前沢宿「川松」
京都にお住まいの京洛先生が、カンカンに怒っておられます。
京都市で、フランス文学者で文化勲章受章の桑原武夫京大名誉教授(1904~88年)の1万冊の蔵書が、ゴミとして破棄された事件を憂えてのことです。
「恐らく、京都市職員幹部が、桑原武夫の名前を知らなかったんじゃないか。AKBやら鶴瓶のことはよく知っていても、歴史に残る大学者を知らないとは無知にもほどがある。世も末じゃ」と嘆いておられます。
どぜう
事件は、4月27日の一部報道で発覚しました。
京都市教育委員会は、無断で廃棄していた市生涯学習部の担当部長の女性(57)とだけしか書いておらず、名前まで分かりませんが、その部長を減給6カ月の懲戒処分にしたそうですが、実に甘い!
57歳にもなるのにこの教養のなさと民度の低さ。市民の血税で食べさせてもらっているという自覚にも欠けます。
市教委の説明では、遺族から寄贈された当初は、蔵書は桑原さんの書斎を再現した記念室で保管されていたそうです。そのうち、人々の記憶も風化して、蔵書は市内のあちこちの図書館で「お荷物」のようにキャッチボールされて、2015年12月、当時図書館副館長だった犯人の担当部長の判断で勝手に廃棄したといいます。
あとで、犯人の担当部長は「図書館と蔵書が重複し、目録もあるため廃棄してよいと考えた。遺族に相談すべきだった」と弁解しているそうですが、本当にお粗末君です。目録を作れば、原本は捨ててもいいという感覚です。
市からの謝罪を受けた桑原さんの遺族は「重要な資料が行政機関で引き継がれなかったのは信じがたい。残念だ」と言うのがやっとで、茫然自失だったことでしょう。
遺族は、歴史的にも価値のある蔵書が散逸しないように、京都市に寄贈したはずです。行政が信頼できなければ、一体、何を信じたらいいのやら?
うなぐ
京洛先生は「この一件は、現代の実相を見る思いがします。廃棄を指示した京都市幹部の教養度が分かります。恐ろしいほどの無知、無教養です。いわば、京都市は、泥酔で無免許の人間に公用車の運転をさせているようなもので、減俸どころか馘首するべき事件です」とまで言って、断罪しています。
京洛先生が、ここまで怒りを顕にするのには訳があります。
スタンダールの「赤と黒」やジャン・ジャック・ルソーの「社会契約論」は桑原訳で読み、岩波新書の「文学入門」は当時のほとんどの学生が読む教養書で、桑原武夫は身近な存在だったからです。
しかも、行きつけの寺町通りの老舗寿司屋「末廣」には、桑原武夫の書が飾っており、彼もこの店の常連だったことが分かります。
おには
もっとも、京洛先生の話では、この「末廣」は、江戸の天保年間創業ですから、看板の「末廣」の額を揮毫したのが、頼山陽だといいますからね。となると、頼山陽の息子で、安政の大獄で処刑された頼三樹三郎も通っていたかもしれませんし、近くの書店兼版元「竹苞楼」に通っていた上田秋成もこの店の常連だったかもしれません。
それでも、江戸時代なんて、京都の人にとっては、つい最近の出来事。
よく京都人に対するジョークで、「京都の人は、『先の大戦』というと、太平洋戦争のことではなく、幕末の鳥羽伏見の戦いのことを指すんですよ」と言われていましたが、それは間違い。
「先の大戦」とは、応仁の乱のことでした!
ごもっとも
京洛先生の怒り、ごもっともです。小生も開いた口がふさがりません。アルカイダがバーミヤンの石仏を破壊したのとそう変わらない。無知は罪、無知に無神経が重なると、もはやコワいものなし。一万冊など三文の値打ちもない、となってしまう。そんなもの、はい処分、とは恐れ入りました。
しかもその暴挙は2年前のこと。今回、バレテからその女性部長(当時右京中央図書館副館長)を降格、減給処分にしてお茶を濁そうとするなど、文化都市京都が聞いて呆れます。
文明は内側から腐っていく、をまさに地で行く。文化庁の京都移転を推し進める門川大作市長。和服着て笑ってる場合ではないのでは?