NHK朝ドラ「おかえりモネ」の宮城県登米市から徳永直まで一気に連想される長い長い物語

釈悪道老師から、いきなりメールが来ました。

 「読み人おらず」の浅薄で不実な駄文を長々綴ることは、老い先が永くない渓流斎翁が為すことではありませぬ。近く、渓流斎翁を逆上させるお便りを差し上げましょう。お楽しみに!

 ナヌー!? です。

 読み人知らず、なら聞いたことありますが、読み人おらず、とは言い得て妙…などと感心している場合か! 何度読み返しても、ここまで他人を陥れて冒涜できる人は、世にも稀で、一種の天賦の才能です。間違いなく極楽浄土へは行けないでしょう。残念…。

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 さて、渓流斎ブログのアクセス・カウントを見てみたら、49万アクセスを超え、記念になる50万アクセスまでもうすぐではありませんか!このブログを開始したのは2005年3月ですが、新しく独立して、このサイトを立ち上げたのは2017年9月です。ほぼ4年で、区切りの良い50万アクセスに到達することができるようです。これもこれも、釈悪道以外の読者の皆様のお蔭です。御礼申し上げます。

「おかえりモネ」

 また、さて、ですが、満洲研究家の松岡將氏から、意外な話と要望等がここ最近、次々と寄せられてきました。

 最初は、5月17日から始まったNHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」を時間があったらご覧ください、といった簡単なものでした。

 ドラマは、宮城県気仙沼市の離島で育った主人公百音(もね=清原果耶)が、高校卒業後、内陸部の登米市にある祖父の知人宅に下宿して、森林組合で働き始め、難関の気象予報士を目指すといった話です。

 何で?と思ったら、舞台になっている登米市が松岡氏の御縁のある故郷だというのです。

 松岡氏は、御母堂の実家の北海道で生まれ、幼少期は満洲(中国東北部)で過ごし苦労して引き揚げてきた方ですが、父親の祖先は、仙台伊達藩の支藩である登米藩士で、代々、祐筆(文書や記録を司る職)を務めていた家柄だったというのです。この御尊父を始め、旧登米伊達藩士松岡家の子弟5人は登米高等尋常小学校を卒業されたというのです。(ドラマを見ていては分かりませんが、登米市は今でもかなり教育熱心な城下町だそうです)

 当然ながら、松岡氏は、登米市の祖母や伯母たちが話していた「登米弁」を、ドラマで俳優たちが、どんな具合に話すか楽しみだという話でした。

 しかし、話はそれで終わらなかったのです!

 私自身、かつては登米市は行ったことも聞いたこともない未知の土地でした。上の写真のバッジは、市の観光課からマスコミに配られた宣伝拡販財用のバッジではありますが(現地で売っていると思われます)、このバッジがなければ、「とめし」とは読めませんでした(苦笑)。

 それが、いきなりですが、登米市は、「太陽のない街」などで知られるプロレタリア作家徳永直(1899〜1958年)と御縁があり、登米を舞台にした「妻よねむれ」「日本人サトウ」などの小説を書いているというのです。

 徳永直の「太陽のない街」は文学史の教科書に必ず載るほど有名で、日本人なら知らない人はいないはず。そんな大作家は熊本出身ですが、(最初の)妻がこの登米出身だったというのです。

◇「妻よねむれ」

 そこで、松岡氏から「二の矢」が放たれ、「是非、徳永直の『妻よねむれ』を古本で御購入されたし。私は涙なしには読めませんでした」といった要望が飛び込んできました。

 「妻よねむれ」は昭和22年の作品で、当時はベストセラーになったようです。ネットで探してみたら、アマゾンの古書で4万円以上もしました。こりゃ無理、ということで、地元の図書館で探したらすぐ見つかり、すぐ借りることができ、今、一生懸命、読んでいるところなのです。

 確かに涙なしでは読めない大変な名作です。

 徳永直が大正13年(1924年)に結婚した最初の妻は、登米町出身の看護婦佐藤トシヲでした。彼女は「私生児」として生まれ、7歳で母親を亡くし、極貧の中で祖母に育てられます。小学校を3年で中退して9歳から奉公を始め、子守りをしたり、糸工場で働いたりして勉学どころではありません。それでも、東京で看護婦の仕事を斡旋してくる所を紹介してもらい、夜に看護婦学校に通って資格を取って、やっと一人前の生活ができる仕事にありつけます。しかし、関東大震災で罹災し、命からがら故郷登米に戻ったときに、「お見合い」で徳永直と結婚することになったのです。

 結婚しても、植字工の夫は労働争議による失業の繰り返しで貧乏は相変わらず。夫婦喧嘩も絶えませんでしたが、トシヲは昭和20年6月、夫と4人の子どもを残して病気で40歳の若さで亡くなってしまいます。「妻よねむれ」は、徳永直が21年に及ぶトシヲとの夫婦生活を愛惜を込めて追悼して描いた小説で、松岡氏もよく御存知の登米市の乾物問屋「菊文」(小説では「竹文」)や、知人や親戚も登場するというのです。トシヲは、かなりの美人さんだったらしく、三女の徳永街子(小説では町子、1935〜2004年)は女優になり、映画「ひめゆりの塔」などに出演しました。また、長男徳永光一(小説では幸一、1927〜2016年)は、岩手大学農学部農業土木工学教授を務めました。

 また、「妻よねむれ」では、徳永直の親しい友人だった作家の小林多喜二がK.T、中野重治がN.Sとイニシャルで登場します。

◇徳永直の妻

 話はそれで終わったと思ったら、松岡氏から「第三の矢」が放たれました。松岡氏は、徳永直の二番目の妻になった女性の身元を歴史探偵のように調べ始めたのです。 

 そしたら、複雑怪奇そのもの。徳永直は2回結婚したという説や3回、いや4回結婚したのではないかといった説など色々あり、本によって年譜に書かれている女性の名前がそれぞれ違っていたりして「何だか、よく分からない」。

 ある説では、徳永直が再婚した相手は、「二十四の瞳」などで知られる壷井栄の実妹で、わずか2カ月で破綻したといいます。となると、探索している女性は三番目の妻ということになるのかー?それとも人違いなのか? 他にも結婚した女性がいたのか?

 小説家というものは、凡人にはない業(ごう)を持って生まれた者ですから一筋縄ではいきません。

 まだ、途中経過なので、この話はどう展開するのか、まだ分かりません。

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