今年4月に亡くなった「知の巨人」立花隆の遺作「最後に語り伝えたいこと」(中央公論新社、2021年8月10日初版)を読みました。
遺作というより、過去に雑誌等に発表した論文や講演録や対談の中で、書籍未収録だったものをを即席にまとめたものです。
第一部の「戦争の記憶」では、2015年に長崎大学で行った講演「被爆者なき時代に向けて」などを収録。第二部「世界はどこへ行くのか」では、ソ連が崩壊した1991年に、21世紀の未来を見通そうと大江健三郎氏と行った対談を収録。ーと、ここまでは目次の丸写しです(笑)。
立花隆氏の本名は、橘隆志。戦前の血盟団事件、5.15事件の黒幕で、「右翼の巨魁」とも呼ばれた農本主義者の橘孝三郎は、立花隆の父橘経雄(日本書籍出版協会理事など歴任)の従兄に当たる人です。ちなみに、立花隆の兄弘道は、元朝日新聞記者、実妹菊入直代氏は立花隆の秘書を務めていた人でした。
立花隆は、父経雄が長崎市内のミッションスクールの教師として在職していた1940年に長崎で生まれたことから、広島・長崎原爆について、人一倍以上、関心があったようです。そして、1942年には、父が文部省職員として中国・北京の師範学校副校長となったため、一家で北京に滞在。日本の敗戦で、5歳で引き揚げ者となった経験についても、「日本人の侵略と引揚げ体験 赤い屍体と黒い屍体」に書いています。
私は結構、立花隆氏の著作は読んでいましたが、自分自身を語ったエッセイなどはほとんど読んで来なかったので、実兄が朝日新聞の記者(後に監査役)だったことなどは知りませんでした。
しかし、縁戚に橘孝三郎がいたことは知っていました。立花隆が「日本共産党の研究」を発表した時に、「親戚に右翼の巨頭がいるから、立花は共産党批判の本を出版したのだ」と一部の人が批判したりしましたが、実は、橘孝三郎は、「右翼の巨魁」だのと一括りにされるような浅薄な人間ではないことを、実際に何十回も面談して取材した昭和史研究家の保阪正康氏がこの本の「解説」に書いております。
保阪氏によると、橘孝三郎という人は、人類史に何らかの貢献をさせることで選ばれた「歴史の神」の一人だというのです。保阪氏は昭和史関係で4000人以上の人にインタビューしましたが、その中でも、橘孝三郎は特別な存在で、それだけ、近代日本における知性と感性の優れた人物だったというのです。つまりは、右翼とか左翼といった、そんな浅薄な概念には収まり切れないとてつもない知性と教養と感性の持ち主だったというわけです。
どうも、橘家という知的家系を見ると、古代の聖武天皇時代の学者肌だった「宰相」橘諸兄の血筋を引いているんじゃないかと思わせるほどです(笑)。
立花氏は、自分の引き揚げ体験などを書いた「赤い屍体と黒い屍体」の中で、アフリカのコンゴが1960年に独立した際に、多くの白人女性が暴行されたり、輪姦されたりした悲惨な宗主国だった「ベルギー人の悲劇」を書きながら、凄いことを書いていたので吃驚しました。少し引用します。
…コンゴにおけるベルギー人の苦難は、確かに悲劇に違いないし、むごたらしいものではあると思うけれども、心の片隅では、ザマアミロとい気持ちがあるのを隠すわけにはいかないのである。それは、事態がここまでに至るまでの、コンゴにおけるベルギー人の植民地支配の苛酷な現実を、私が知っているからだ。
アフリカを支配した列強の中では、比較的温和な政策を取っていたといわれるベルギーではあるが、それが52年の統治の間、毎年、2億ドルもの収奪を続けていたのである。…原住民は二世代にわたって人間の扱いを受けずに、もし、コンゴ人の有能なレポーターがいれば、ベルギー人引き揚げ哀史を顔色なからしめるような分厚い悲劇の歴史を書くことができたはずである。…
うーん、強烈ですね。
広島・長崎の原爆、日本大空襲、シベリア抑留、生死を彷徨うほど苛烈な引き揚げ、残留孤児…等々、日本人は被害者ではあったとはいえ、先の大戦では、明らかに日本はアジアの民衆に対しては加害者であったことを決して忘れるべきではない、という立花隆のメッセージだと受けとめました。
◇文芸春秋の皆様へ
立花隆の1000冊に及ぶ著書を全て読んだわけではありませんが、私が最も知的興奮を覚えて感銘したのは「天皇と東大」です。どうも増刷されていないようで、某ネット通販では、上巻1冊(中古)だけで6000円近い値段が付けられています。是非とも、増刷か復刊してもらいたいものです。宜しくお願い申し上げます。