斎藤充功著「陸軍中野学校全史」(論創社、2021年9月1日初版)をやっと昨日、読了しました。2週間ぐらいかかりましたかね。何しろ627ページに及ぶ大著ですから、情報量が満載です。この《渓流斎日乗》ブログでも何度か取り上げさせて頂きましたが、内容に関して全て御紹介できませんので、是非とも皆様もお読みください。
繰り返しになりますが、著者の斎藤氏は40年に及ぶ中野学校関係者への取材で100人以上にインタビューし、これまで上梓された中野関係の著作は8冊。その中から5冊を中心に再録したものが本書です。新たに増補、書き直しされた箇所もあるようですが、固有名詞の表記で一致しなかったり、平仄が合わなかったり、たまたま誤植も見かけたりしましたので、「永久保存版」として読み継がれるために、御担当編集者の谷川様におかれましては、次の版では改訂して頂ければと存じます。
本書後半の第5章「陸軍が主導して創った巨大商社」では、陸軍中野学校の卒業生も社員として偽装していた「幻の商社」昭和通商が出てきます。この商社は、昭和史を少しでも齧った人なら聞きしに及ぶ有名な商社ですが、中野学校生が絡んでいたことを御存知の方がいれば、よっぽどの通ですね。
昭和通商は1939年4月、陸軍の監督と指導の下で兵器の輸出入を手掛ける趣旨で設立された会社で、資本金1500万円は、三井物産、三菱商事、大倉商事に三社が三等分で醵出したといいます。本社は、東京市日本橋区小舟町の5階建ての小倉石油ビル内にあったということですが、現在の東京メトロ人形町駅から歩いて5分の一等地にあったといいます(現在は7階建てのビル)。
社長の堀三也は、陸士23期、陸大卒の元軍人ですが、夏目漱石の門下で、「三太郎日記」などで知られる阿部次郎の実弟だといいます。へーですね。
昭和通商が「幻の商社」と呼ばれるのは、公式資料がほとんど残されていないからです。その理由は、「阿片」や「金塊密輸」などのダーティービジネスに手を染めていたからだといいます。海軍嘱託で「児玉機関」を率いていた児玉誉士夫は戦後、GHQ・G2による尋問により、昭和通商はヘロインをタングステン(電球のフィラメントに利用)とバーター取引していたことを暴露しています。
昭和通商が阿片を扱っていたことを知る社員は当時ほとんどいなかったといわれ、当然ながら、中野学校卒業生が社員になりすました事実を知る人はまずいなかった、といいます。彼らが何をやったのかと言うと、まさに阿片によって得た軍資金を、軍需物資購入資金に充てるため、例えば卒業生の一人である小田正身は、バンコクにまで運んだのではないか、と著者は推測したりしています。
他にも書きたいことがありますが、長くなるので、あとは私があまり知らなかった5項目だけを特記します。
・昭和17年当時、満洲の関東軍情報本部(哈爾濱ハルビン=最後の本部長は中野学校創立者・秋草俊少将)の支部機関は、16カ所あった。それは、大連、奉天、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、佳木斯(ジャムス)、黒河、斉斉哈爾(チチハル)、満洲里、間島、雛寧、東安、三河、興安、通化、承徳、内蒙古アパカの16カ所(343頁、348頁)。
・軍機保護法では、情報の重要度に応じて、「軍機」「軍機密」「極秘」「秘」「部外秘」の5ランクに分けて取り扱っていた。(317頁)
・「阪田機関」「里見機関」「児玉機関」の三人のボス(阪田誠盛、里見甫、児玉誉士夫)は、上海では「特務三人衆」と呼ばれていた(442頁)
・「梅機関」は、汪兆銘の軍事顧問団で参謀本部謀略課長の影佐禎昭大佐(谷垣禎一・元自民党総裁の祖父)がつくった謀略機関。「松機関」は、陸軍登戸研究所がつくった偽札を現場で工作した機関で、責任者は支那派遣軍参謀部第二課の岡田芳政中佐。実行部隊は「阪田機関」(442頁)。他に、上海では「竹機関」「藤機関」「菊機関」「蘭機関」などが乱立し、横の連絡もなく、勝手に活動していた(445頁)。その後、上海での特務工作は、新設された「土肥原機関」(機関長・土肥原賢二中将。陸士16期。終戦時、第二方面軍司令官で、A級戦犯となり刑死)が実権を握って指揮することになった(446頁)。
・大陸だけでなく、南方でも「民族独立」を支援するマレー工作やインド・ビルマ工作、インドネシア工作、ベトナム工作などが企画され、中野学校卒業生も配置されていった。代表的な機関が「藤原機関」「岩畔機関」「光機関」「南機関」などだった(446頁)。