満洲事変を契機に戦争賛美する新聞=里見脩著「言論統制というビジネス」

 今読んでいる里見脩著「言論統制というビジネス」(新潮選書、2021年8月25日初版)は、「知る」ことの喜びと幸せを感じさせてくれ、メディア史や近現代史に興味がある私にとってはピッタリの本で、読み終わってしまうのが惜しい気すら感じています。

 実は、著者の里見氏は現在、大妻女子大学人間生活文化研究所特別研究員ではありますが、20年前に同じマスコミの会社で机を並べて一緒に仕事をしたことがある先輩記者でもありました。でも、そんなことは抜きにしても、膨大な文献渉猟は当然のことながら、研究調査が深く行き届いており、操觚之士の出身者らしく文章が読みやすく、感心してしまいました。

 この本は「言論統制」が主題になっていますが、それは、政府や官憲によるものだけでなく、メディア(戦時中は新聞)や国民までもが一躍を担っていた事実を明らかにし、検証に際しては、戦前の国策通信社だった同盟通信の古野伊之助社長の軌跡を軸として追っています。

明治 銀座4丁目の「朝野新聞」本社(江戸東京博物館)

 先日9月11日(土)、第37回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)にオンラインで参加したことについて、この《渓流斎日乗》ブログに書きました。その際、講師の一人で「記者・清六の戦争」を書かれた毎日新聞社の伊藤絵理子氏は、大変失礼ながら、「勉強不足で」(本人談)、質問(新聞紙条例のことなど)にお答えできなかった場面がありましたが、この本を読めばバッチリですよ(笑)。

 例えば、日本の新聞は、あれほど戦争や軍部に反対していたのに、ガラッと変わったのは、1931年9月18日(実に今年で90周年!)の満州事変がきっかけだった、とよく言われますが、その経緯が詳しく書かれています。

 東京日日新聞(1943年に大阪毎日新聞と統合して毎日新聞)は、もともと陸軍と親密な関係がありましたが、満洲事変をきっかけにさらに戦争ムードが広がり、満洲事変のことを社内では、「毎日新聞後援・関東軍主催・満洲戦争」と自嘲する者さえいたといいます。しかも、社論を代表する東日と大毎の主筆だった高石真五郎は、外国生活が長く、リベラルな考えの持ち主でしたが、満洲事変に関しては非常な強硬論者だったというのです。彼は「領土的野心を持つものではなく、正当に保持している経済的権益を守るもので、第三国の介入を許さぬ、というものだった」という証言もあったといいます。

 これでは、毎日新聞は、政府や官憲から命令されるまでもなく、戦争に協力していったことがよく分かります。(部数拡大の営業戦略もあったことでしょう)

 一方の「全国二大紙」(1930年まで、読売新聞はまだ22万部程度の小さな東京ローカル紙でした。しかし、正力、務台コンビで販売戦略が奏功し、1937年になると、東京日日、朝日を抜いてトップに浮上します)の朝日新聞はどうだったかと言いますと、その豹変ぶりが実に興味深いのです。例えば、大阪朝日は、事変発生直後の9月20日付朝刊社説で「必要以上の戦闘行為拡大を警(いまし)めなければならぬ」などと戦線拡大に反対の立場を断固主張しておきながら、そのわずか11日後の10月1日付朝刊社説では「現在の国民政府が…日本の有する正当な権益を一掃してしまおうとするには、必ず日本との衝突は免れないであろう」などと満洲独立支持へと主張を一転させてしまうのです。

東銀座「改造」書店 閉店してしまったのか?

 それまで、軍備費削減の論調を張っていた朝日は、在郷軍人会などから猛烈な不買運動に遭っていました。1930年に168万部余だった部数が、翌31年には143万部余と減少し、厳しい経営状態に立たされていたといいます。(しかし、「戦争ビジネス」で起死回生し、部数拡大していきます)

 こうした豹変ぶりについて、月刊誌「改造」は「朝日新聞ともあろうものが、軍部の強気と、読者の非買同盟にひとたまりもなく恐れをなして、お筆先に手加減をした」と揶揄され、月刊誌「文藝春秋」(1932年5月号)からは「東京朝日は昨年の秋、赤坂の星が丘茶寮に幹部総出動で、軍部の御機嫌をひたすら取り結んで、言論の権威を踏みにじった」と暴露されています。

 この「星が丘茶寮」と書いてあるのを読んで、本書には全く書いていませんでしたが、私は、すぐ、北大路魯山人じゃないか!とピンときました。調べてみると、魯山人は1925年にこの会員制料亭「星岡茶寮」の顧問兼料理長に就任しましたが、36年には、その横暴さや出費の多さを理由に解雇されています。でも、1931年秋でしたら、魯山人はいたことになります。あの朝日新聞の編集局長だった緒方竹虎も、朝日不買運動をチラつかせた軍部の連中も、魯山人のつくる食器(重要文化財クラス?)と料理に舌鼓を打ったのではないかと想像すると、何か歴史の現場に踏み込んだような気になってニヤニヤしてしまいました。(文藝春秋が朝日を批判するのは、昔からで、お家芸だったんですね!)

 ちなみに、この 「星岡茶寮」 はもともと、日枝神社の境内だった所を、明治維新で氏子の減少で維持できなくなり、三井財閥の三野村利助ら財界人により買い取られて料亭が作られたものでした。戦時中に米軍による空襲で焼失し、戦後は東急グループに買い取られ、ビートルズが宿泊した東京ヒルトンホテルになったり、キャピタル東急ホテルになったりし、現在は、地上29階の東急キャピトルタワーが屹立しています。

 この本を読みながら、私は、行間から一気に、勝手に色々と脱線しますが、新たに知らなかった知識を得ることができて、ますます 読み終わってしまうのが惜しい気がしています。

 

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