昨日の「T牧場」について殆ど問い合わせがなかったので、正体をばらしてしまいます。「剣山(つるぎさん)どさんこ牧場」と言います。経営者は川原弘之さん。敷地は100haではなくて、120haでした。この広さがどれくらいか。分からない人にご説明すると、山あり谷あり小川ありの難所を馬でゆっくりトレッキングすれば、4~5時間は掛かる広さです。
ここでは、宿泊もできるようです。部屋数4、1泊2食で4000円。5月22日には流鏑馬大会もあります。帯広空港から送迎で片道40分で、2000円です。タクシーを使えば、6500円くらいかかるので金額は良心的だと思います。あ、ここの宣伝になってしまいましたね。
昨日、この牧場には、2人の若い人がいました。宿泊者なのか会員さんなのかお手伝いさんなのか、よくわかりませんでしたが、川原さんが、この二人に噛んで含んで話した「人生訓」が忘れませんでした。2人の若い人は、小野寺君という、将来牧場経営を夢見ている30歳の青年。もう一人は斎藤さんという、馬が好きで好きで堪らないといった感じの20歳代の女性。
御主人の川原さんは、牧場主になりたいという小野寺君に言いました。
「私は来年で70歳になるが、若い時は、牧場主になりたかったがお金がなかった。そんなこと当たり前なんです。道の職員をしていたけど、55歳で早期退職してやっと100万円で土地を買って、夢をかなえた。この辺りは、気候条件が過酷で離農する農家が多く、私が言い値で土地を買うと、『私の土地を買ってくれ』という農家が相次いで訪れてきた。生憎、その時、お金がなかったが、『お金は後でいい。借用書さえ書いてくれれば…』。ということで、次々と土地が増えていった。志があれば、必ず何とかなるものなんです。まずは志を持つことです。私の場合は、25歳で牧場主になる志を立てた。例えば、小野寺君、牧場主になりたかったら、まず、この人という牧場主に弟子入りして、その人の右腕になることです。牧場主から『こいつなら任せて大丈夫だ』という信頼を獲得すれば、後は独立できます。社長になる人は志が違います。私は若い人によく言うのです。『もし社長になりたかったら、毎日、3人の人に葉書を出しなさい』と。社長は一人で仕事はできません。周りの社員に仕事をしてもらって、自分は神輿の上にのっているようなものです。そのためには、一人でも多くの応援団を増やすことです」
応援団長
自分だったら、どんな人を応援したくなるかな~と思いました。
誠実な人、正直な人、真の自由人、才能のある人、
純粋な人、愛に満ちてる人、楽しい人、自分を信じてる人、地球の明るいヴィジョンをみてる人、
わくわく出来る人!!
多分、一緒にいて元気を与えられる人だから、
自然に応援したくなるのかもしれないなあ。
なりたい自分みたいだなあ~結局は。
なりたい自分に皆なれるのだ!!!
なれるものしか、なりたいと思わないそうだから。。。。
ヴィジョン!志!志!かあ~~~~
私は以前、人生にくたびれていた時、
ある人に「夢なんかなくてもいいんじゃないですか?」といわれて、はっとしました。
「今日こころ平和であることが幸せだと思うと」
それまで、常に何かに向ってがんばらなければと生きてきた私には、「夢が無くてもいいの?目標に向ってがんばっていなくていいの?」と
新しい価値観に出会ったようで、とても心が楽になったのを覚えています。
「ねばならない」の呪縛から解き放たれたような。。。
強く信じて結局貫けなかった挫折感があるのようで、
志を持つことが恐いのかもしれません。
創造的ではないですよね。。。。
道教では、山登りは頂上手前9号目で下山するそうで、ただ一歩一歩の今を味わい楽しむ。
頂上に行ったことに意味があるのではなく、その過程にいきる意味があるということでしょうね。
曼荼羅の砂絵は果てしない時間をかけて書き上げ、
出来あがった時に瞬間全て流す。
一切過去を掴まず、あるのは今だけ。。。
人は、それがなかなか出来ないから苦しみや悲しみをいつまでも掴み、また同じように苦しみ悩む。。。
何だか話しがそれましたね。笑
自分で何がいいたいのか分かりませんよ。
夢に向う人生もいいですよね。達成感を味わえますものね。。
斎藤ひとりさんは、夢はないそうですよね。
天はもっと最高なものを与えたがっているから、自分で決めるのはもったいないと、
ふっと思ったしたいこと、直感を大切にしながら、たんたんとやっていく。
結果ではなく、その時を楽しむことが、結果
人に喜ばれ、納税1番なんですよね。
別に1番になりたかったのではなく、
喜こびでやっていることが、喜ばれただけ。。
私は、そんなふうに生きたいですね。
苦しそうに山を登るより、休み休み景色を眺めながら、楽しく生きたい。そして結果は追わない。天にお任せ。~
そうか!!ヴィジョンを持っても、どう歩くかで
全然違うよね。
確かに努力して、やっと登った頂上は達成感を
味わえることでしょう。
何を味わうのも、どう生きるのも自由でしょうが、目標に向って努力していなければ存在価値がないと自分を責める必要は、全くないと今は感じます。