矢沢永吉 再び

20日にMBS系で放送された「情熱大陸」。

矢沢永吉
1949年、広島生まれ。
3歳で、母親が家出。
小学校2年生の時、父死去。
祖母に育てられ、高校に進学。「いつか見返してやる」と心に誓う。
20歳で上京。横浜で、バンド「ヤマト」でプロデビュー。鳴かず飛ばずで、自信喪失。

矢沢「このままチャンスが来ないで、消えてしまうんじゃないかと、不安で不安でしょうがなかった」

しかし、バンド「キャロル」で大成功。「ファンキー・モンキー・ベイビー」などのヒットを飛ばす。
その後、ソロに転向。

矢沢「『おまえならできる』『おまえならやれる』『おまえなら星をつかむことができる』と常に自己暗示をかけてきた」

1998年、マネージャーが豪州で不動産投機に失敗して、35億円の負債を抱える。
時に、49歳。
矢沢「めげそうになった。真っ暗な雲が塞がっている状態で、『この雲はいつか晴れますか?』って問い掛けていた」
「ヨメさんが『矢沢なら返せる』って言うんだ。それからは、もう敵を取ってやるって感じだね。目的を作ればいい。目の前にニンジンをぶらさげればいい。要するにシンプルな方がいい。ガタガタ考えても、駄目なものは駄目なんだから…」

…35億円の借金は、6年で完済する!

2005年、56歳。
日本武道館公演を封印して、全国の小さなライブハウス公演を決行する。原点に帰る意味を込めて、このツアーを「ルーツ」と名付ける。

この番組。とても勇気付けられました。

“矢沢永吉 再び” への1件の返信

  1. yes!!
    タイムリーですね。
     必然ですね。体験した人の言葉は 説得力がありますね。
    芸能人は やはり希望を与える役割があるのでしょうか。
     同時に試練もある。乗り越えるその姿、生きざまが 人に勇気を与えるのですね。
      やはり信じる力ですね。
      信じ切ることですね。 わかりました。なりたい自分をはっきりさせようと思います 
     

Unknown へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む