髭剃り器を通して考える

5、6年使っていた電気髭剃り器の調子が悪くなったので新しく買い換えました。

前に使っていたのは国産のX社製、新しく買ったのは、外国製のY社製です。

X社製のものはシンプルでした。充電のコードが付いているだけでした。しかし、Y社製は、洗浄と充電が同時にできるアダプターが付いていました。若い人なら、「一石二鳥」ということで喜ぶかもしれませんが、このアダプターは、図体が大きくて嵩張るし、洗浄器の「水」もアルコール入りの特製のものなので、無くなったら新しい「洗浄水」のパックを買わなければなりません。

そもそも、髭剃り器の掃除などは、こんな洗浄器に任せるのではなくて、自分で刷毛を使って簡単にできるものです。要するにこんな「便利」なものはいらないのです。

今の世の中、すべて、「効率」と「便利」を金科玉条にしてすすんでいます。この流れに落ちこぼれた人間は、排除されます。

しかし、便利さを追求したおかげで、失ったものが大きいことに、人は誰も気づいていません。

それに、便利といっても、この髭剃り器の洗浄器アダプターに代表されるように、不必要なものが多いのです。

唐突ながら、真冬にトマトが食べられなくてもいいでしょう?
別に真夜中にアイスクリームを食べなくてもいいでしょう?

私の意見に賛成してくれる人は少ないかもしれませんが、反対の人はコメントしてください。

あ、そういえば、5、6年使っていたと思っていたX社製の髭剃り器。保証書が出てきて買った日を確かめてみたら、まだ3年しか使っていませんでした。

“髭剃り器を通して考える” への2件の返信

  1. 視点2
    追伸。もっと突き詰めていうなら、自分の髭を剃るのに電動式の便利なものをやめて小刀や剃刀を使用したりもできる訳です。
    きっと、渓流斎さんの満足できる風流とか、失われた「何か」を味わうことができるでしょう。
    昭和に戻るのがいいのか明治に戻るのがいいのか、あるいは中世まで戻るのがいいのか、それが問題です。
    どの程度の便利を自分の価値観とすり合わせできるか、ということでしょう。

  2. 視点
    真冬の真夜中にアイスクリーム、食べたいですね。
    便利な方がいいと思いますよ。それはバランスの問題で、その境界線がどの辺にあるかというのは個人の価値観。その価値観は生まれ育った環境などの様々なファクターによります。
    田舎で生まれ育った私など、わざわざお金をかけてアウトドア用品を買い揃えてキャンプなどしたくない。都会の人ほど酔狂で環境保護とか自然愛好とか言い出しますからね。食器洗い機も洗濯機もセントラルヒーティングもあった方がいいと思っております。
    ただ、それをするに当たって、どれくらいの代償を払わなければならないのかは問題です。自分がそれをあきらめることによって、ホモサピエンスの生存適合環境の寿命を著しく延ばすことができるとか、それをすることによって、自分が支払う生産的なコストの問題が大きいとか、そういう問題ですよね。
    渓流斎さんの仰ってるのは「好みの問題」のような気がしますが。

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