いまだかつて経営学どころか経済学の専門書を読み通したことがないのですが、経営学の専門用語に「トレードオフ」という言葉があるそうです。
英語辞書を引くと「妥協のための取引」とありました。
要するに「何かを得るために、何かを犠牲にして失う」という商行為のことを指します。
どこかで聞いたことがありました。
12月12日の私のブログ「途方に暮れたら」で同じようなことを書いていました。
再録します。
「人は、何かを手に入れるために何かを失う。
しかし、何かを失ったとしても、決してほかのものが手に入らないわけではない。
失ったら失った分、ほかの幸せを手にすることができる。」
なるほど、経営学と人生訓と似たところがあるのですね。
願い
体一つでこの世に 生まれ 何も持たず天に帰る。 ただあるのは 体験だけ。永遠に残せるものは本物、愛だけだとしたら。。。
この体さえも 本当は借り物だとしたら。
使えなくなれば 神に返す。だから大切にしなければならない。。。。
自分のものなど 果たして本当にあるのだろうか。。 全ては通過してるに過ぎないのではないだろうか。。
一時を共に味わい共有してるに過ぎないのでは。。
お金も家族も 友も恋愛も、仕事も。。
だからこそ大切にしなければならない。当たり前のものなど何もない。
健康も毎日の食事も家も車も天気も雨も雪も
子供も親も妻も夫も。。。何も当たり前ではない。与えられた大切な存在。
マザーテレサは いっていた「私達は何も持っていないから 自由である
だからこそ全てを与えることができる、そして 人にも求めることができる」と
本当に私物はサリーとあと何かだった。
私にはもちろん出来ない生活だが
あるのもを大切に感謝していきることは出来るはず。
執着するのではなく 味わいきれば人に回し
必要であれば やってくると思っていればいいのだろうに。。。
心は知っている。。。
物や人、評価、地位、名誉などに捉われ生きることは 不自由だということ。
どんなことでも 捉われることは苦しいと。
愛することだけに生きられたら
自由でいられるのに。
平和でいられるのに。
失う恐れやあらゆる幻想など 打ち消せるのに。。。愛こそがいつも 鍵だと知っているのに。。
自分のものと思えば 失う恐れが湧くだろう。。。
手にしていると思っているだけで 本当は何も 持っていないのではないだろうか?
あなたは 何も失うことはないのではないだろうか?
もともと 何も持っていなかった。
家族も仕事も あなたの物であっただろうか?
シンプルな生き方.
きっと 答えは ある。
どこにいても 家族や愛する人が側にいなくても 自由と平和でいれる心の世界が必ずある。
そして その心こそ豊かであれば外側も豊かになってゆくだろう。
満ちていれば 更に満ちるだろう。
愛だけで 繋がって広がってゆくだろう。。愛すれば愛するほど 深くなるだろう。。
願い 私の願い。。。自分への願い。