ロシアが2月24日にウクライナに侵略して、5日経ちます。民間人にもかなりの犠牲者が出たようですが、停戦交渉も「画に描いた餅」のように現実性がなく、膠着状態のようです。
こんな蛮行は、冷戦時代にもなく、戦後初めてではないかと思っていたら、冷静に振り返ってみれば、ソ連時代の1956年に「ハンガリー動乱」と1968年に「プラハの春」がありました。いずれも、戦車で首都を制圧し、ブタペストでは数千人、プラハでは約400人の市民の死者を出しています。前者は、ソ連のフルシチョフ首相、後者はブレジネフ第一書記が最高責任者でしたが、プーチン大統領も彼らの顰に倣ったのでしょうか。
ただ、信じられないような未確認情報が飛び交っています。「プーチン大統領は、パーキンソン病を患っており、正常な判断ができない」(英「サン」紙など)のだと。プーチン大統領は、ベラルーシのルカシェンコ大統領と会談した際、彼の左手が痙攣しているようで、椅子の後部を左手で必死に抑えているビデオが流れ、確かに不自然さを誰でも感じてしまう映像でした。
ロシアによるウクライナ侵略について、世界の多くの識者が「狂気の沙汰」と批判していますが、もし、そのまま文字通り、プーチン大統領が正常な判断が出来ない状態だとしたら、そんな人間が核のボタンを握っていることになり、夜も眠れないほど恐ろしくなりますね。
さて、昨日の渓流斎ブログの「昭和の香りがする名店を紹介=森まゆみ著『昭和・東京・食べある記』」の中で、「上野の『黒船亭』には、いつか行くしかない」と書きましたが、昨晩、会社の帰りに途中下車して行って参りました。
思い立ったが吉日。「このブログを書くため」にですから、御苦労さまのことです。どうせ、誰一人、褒めてくれないでしょうけどねえ(苦笑)。
何としてでも行きたかったのは、偏に、尊崇するジョン・レノン様が行かれた店だったからでした。並ぶのが嫌なので、ネットで予約しましたが、結構空いていて、何と、私が予約して確保して頂いた席の壁に、ジョンとヨーコが訪問した時の記念写真が飾ってあったのです。
撮影日は「1979年8月」とありましたから、ジョンが暗殺される1年4カ月前のことでした。老けて見えますが、当時38歳です。
天下のジョン・レノンなんだから、カラーで撮ってくれよお、と突っ込みたくなりましたが、こんなに当たり前にカラー写真が普及したのは、せめて、80年代以降だったことでしょう。私の学生時代は1970年代でしたから、白黒写真が多いです。
何を注文しようかと思いましたが、電車の中で考えていた通り、ビーフシチューにしました。コース料理もありましたが、それほど空腹でもなかったので、サラダとパンとコーヒーの付いたセットにしました。
このセットで5220円ですから、あのプーチンさんの全盛期のように、正常な判断が出来る状態でしたら、こういう高級料理店に足を踏み入れることはありませんでした(笑)。
ついでに、仏産クロズリーデ・ピノ・ノワールのグラスワインを頼んだら、驚くほどドデカイ、ワイングラスを持ってきてくれ、「どんだけ注いでくれるんかいなあ」と愉しみにしていたら、全体の8分の1程度、ちょこっと、注いでくれただけでした。これで950円。
締めて、6170円でした。
ビーフシチューは、シチューが少しだけで、ほとんどビーフでした。4~5時間もグツグツ煮込むようです。味付けは抜群。大抵しょっぱくなるんですが、塩加減を抑えている感じでした。こんな高くてうまいもん、ジョンとヨーコは毎日喰っていたんだろうなあ、と羨ましくなりました。
「ビーフは4~5時間煮込む」というのは、実は、隣りのテーブルの老夫婦も同じビーフシチューを注文していて、彼らの会話が耳に入ってきたのでした。お二人とも85歳は超えているような感じで、旦那さんの方はかなり衰弱していて奥さんには我が儘放題に振舞っていました。でも、何となく、この近くに住み、不動産からの莫大な不労所得がありそうな富裕層で、通い慣れた常連客といった感じでした。
何故なら、店の奥から、若手のシェフがわざわざ二人のテーブルの側に出てきて、「いつも有難う御座います」と最敬礼して会話しておりましたから。