池田町スピナーズファーム
ウーム。今日は複雑な心境です。この世は、科学がすべてでしょうか?非科学的なことはすべてまやかしとして非難されなければならないのでしょうか?
今、世界中で注目されている「ダ・ヴィンチ・コード」も、キリストに子どもがいて、正統派の「オプス・デイ」を陰謀集団に描いたおかげで、キリスト教徒からは非難の応酬とボイコット運動が展開されているようです。
先日、お会いした室岡さんについても「非科学的だ」と断罪する大学教授にお会いしました。大学の先生ですから、さすがに理路整然としており、彼の方が正しいのかもしれません。
しかし、へそ曲がりの私は、たとえそうであっても、もう少し、室岡さんの言動について、振り返ってみたいと思います。それが、同時進行の同時代のブログの利点であり、欠点でもあります。この先の展開は見えません。
室岡さんは、面白いことを言っていました。
世の中の1%の人が知っていれば、それで、世の中に認知されたことになる。
3%の人に認知されれば、それが、当たり前の通常の話になる。例えば、性同一障害や同性愛を3%の人が認知すれば、それは、当たり前の話になる。
5%の人に認知されれば、あたかも、全員が行っているような感じになる。例えば、5%の女子高生がルーズソックスを履けば、すべての女子高生がルーズソックスを履いている感じになる。
つづく
【編集長独白】ブログは一日の閲覧が「10」を切ったら、止めるつもりでいましたら、意外な人が閲覧していたことを知り、驚くやら、恥ずかしいやら…。もう少しだけ続けることにします。
Unknown
カウンセリング授業の話です。
生徒の一人が精神科のお医者さんに旦那さんのことで診療を受けました。
旦那さんは うつ気味で お酒をやめる様にといわれたのです 「あなたが決めなければ 私は何もできない」と つっぱられたらしいのです 決められるなら こんな悩んでいないのにと
奥さんである彼女は憤りを感じたそうです。
そこで 先生である まるちゃんが 言ったことは 全く違う土俵でお互い戦っているということ、
権威ある人 そういう先生などに 多いのが 自分の立場を守りながら 攻撃する。ということ
心理からいうと そういうことだそうです。
でも これは よくやっているようです。
権威がなくても 無意識にやってますよね。。
それほど 人は 特に権威などの 力を守りたいものなのだそうです。
マザーテレサは いいます。
私は何も持っていないから 多くを与えられると。。。
渓流斎さん、 科学非科学と 書かれていますが 本当に人は見たいものを見
信じたいことを信じます。
それでいいのですが、 私はカンボジアに
いった時の話を 思い出しました。
師セアロが 話出しました。
インドにいった時だったか セアロ宛に
サイババから メッセージが届きました。
どんな風にかというと
突然 目の前にあるバナナに文字が浮き出たのです。 「PEACE LOVE CEARO」
セアロにとっては 不思議なことではもちろん
ないことですが まさしく目の前で起きたことでも そこにいたある婦人は 信じられず自分は見なかった事として その場をそそくさと立ち去ったそうでした、 セアロは笑いながら 受け入れないんだよ~といっていたのを思い出します。
そうなのです。人は目の前で起きたことでも
信じたくないことは 信じないのです。
面白いですよね。。。
自分の世界を守ろうとするのです。
慣れ親しんだ世界が 例え窮屈であろうと
自分らしくなかろうと 安全と思い込み守ろうとするのです。
この事は 生きる思考パターンにも よくありがちです。
虐待された子供達が 愛と感じる行為は
どんなことかご存知でしょうか?
私も知らなかったのですが
殴られ暴力を振るわれることを愛されてると
思うようになるのだそうです。
そう認知するということです。
そういう子供にとって一番の恐怖は 「無視」 なのです。どういう形であれ かかわってくれるということが 救いなのです。
人は 信じた自分の世界を守ろうとします。
でも 本当の真実をしっている人は 守る必要がありません。
愛を知っている人は 自分を守る必要などありません。 愛することこそが 自分を守ると知っているからです。
心という見えない世界は 本当に
不思議ですね。。。。。。
PS
そのバナナは セアロのHPにも紹介されていましたが セアロはサイババに逢ってから 今のような人生に導かれているので 師のような存在でしょう。 信じたくない人は信じません。
それでいいのです。