国宝「風神雷神図屏風」(俵屋宗達)
日比谷の出光美術館で開かれている「国宝 風神雷神図屏風 宗達・光琳・抱一 琳派芸術継承と創造」展に行ってきました。
俵屋宗達(国宝=京都・建仁寺蔵)、尾形光琳(重要文化財=東京国立博物館蔵)、酒井抱一(出光美術館蔵)の三者による同じテーマの「風神雷神図屏風」がそろって展示されるのは、昭和15年(1940年)以来、実に66年ぶりということですから、この機会を逃しては、もう一生無理でしょう。前回、幸運にも見ることが出来た方も、若くても、もう80歳近いでしょうし、また、この三者が66年後にしか一堂に会することがないとしたら、まさしく一生に一度の展覧会ということになります。「これは万難を排して、無理をしてでも行くしかない」ということで、皆さんを代表して行って参りました。
混むのが嫌だったので、平日の昼間を狙ったのですが、すごい混雑でした。特に宗達の国宝の前は、三重の人だかりです。幸運にも私は普通の人より頭一つ背が高いので、後ろからでも良く見えたのですが、やっぱり、人にぶつかっても謝りもしないし、日本人はエチケット知らずで嫌ですね。
宗達の作品は想像していたより、意外と小さかったです。(154.5×169.8cm)宗達は生没年不詳なので、いつごろ描かれたのか分かりませんが、恐らく江戸の初期(落款もないのです)。光琳(1658-1716年)は、およそその百年後、抱一(1761-1828年)は、またその百年後に模写したとされています。百年ごとに現れた天才絵師が琳派の伝統を継承してきたわけです。
今回の驚くべき発見は、「宗達狂い」の光琳が、原本の上に薄紙を載せてなぞった、ということが判明しています。まさしく模写というより複写そのものです。もちろん、その上に、光琳自身のオリジナリティーを加えています。姫路藩主の弟であった抱一は、宗達の存在を知らなかったらしく、光琳が宗達に思い入れした以上に光琳にのめり込んで、模写しています。面白いことに、雷神の指が5本ではなくて、わざと4本に描いているのです。
この展覧会では、この三者三様の違いを、「顔」「目」「手」「足」「角」などのアップの写真で並べて比較しているので、大変面白いです。私は一度見てから戻って、もう一度見てきました。1000円の入場料は、200円の割引券があったので安かったです。
もちろん図版(1500円)と絵葉書(1枚100円)も買ってきました。展示と同じ解説が載っていました。また、宗達の上に光琳の、光琳の作品の上に抱一の作品のセロファンが重なっているので違いが分かります。21世紀だからこそ、こんな図版が製作できたのでしょう。宝物になりそうです。
皇居前の出光美術館の休憩所の窓から皇居外苑が見え、急に、二重橋が見たくなって、その帰りに行ってきました。私と同じようなお上りさんと外人観光客が大勢いました。
今日も充実した一日を過すことができました。もう一日生き延びてみようと思います。
有難うございました。
Unknown
出光美術館の窓からは皇居の方が見えたのですね,すっかり忘れていました.
その「休憩所の窓」から皇居外苑に目を留めた渓流斎さんが急に二重橋が見たくなって帰りにそこに寄る,というシークエンス.
上質な映画を見ているようで,美しく,何に向けてのでしょうか,〈いとしさ〉めいたものがこみ上げてくるのを抑えきれません.
宗達作『風神雷神図』と呼ばれている絵画は,京都のどこかで眼にしているような気でいました.
が,今回の記事でその思い違いを知ることになります.なぜそんな思い込みをずっと胸に抱き続けていたのか…ブログの記事を何度も拝見しては,自問している昨日今日です.
それと関連するようでもあるのですが,「一生に一度」とのモチヴェーション.それを持って出かけていくことの大切さにも,今回初めて気付かされたような気がいたします.
いえ,真に深いところに至ったなぞと生意気なことは申しません.ただ,はたして自分はそんな思いを持って諸事にあたっているか、という(いい意味での)疑念を〈悦び〉とともに抱くのです.
「(図版が)宝物になりそうです」という渓流斎さんの言葉.そこから何と晴れ晴れとパッセージの主題が流れてきていることでしょう.
琳派への恋文
秋彼岸となり、日の出の時刻もだいぶ遅くなりました。曼珠沙華の花はきちんとこの季節に咲きますね。そろそろ衣更えをしなくてはいけません。
子どものころは母の手づくりのおはぎが楽しみでした。おはぎは、萩の花の大きさに合わせて、春彼岸の牡丹餅(ぼ …