襟裳岬
キングレコードの杉さんから「聴いて得する日本の大衆芸」のCDを送ってもらいました。全5枚あり、送って戴いたのはそのうちの一枚ですが、内容はこんな感じです。
●第一集「ストリート・パフォーマンス」
紙芝居「天狗剣士」(梅田佳声)、チンドン屋「真室川音頭」(小一堂宣伝社中)、物売り「がまの油売り」他
●第二集「艶笑よもやま噺」
艶笑噺「新婚箱根の一夜」(柳家三亀松)、江戸艶ばなし(三遊亭円龍)他
●第三集「ハイカラソングまるかじり」
鎌倉節、法界節、オッペケペー、デカンショ節、よさほい節他
●第四集「下町浅草・演芸の街」
チャップリンの消防夫(牧野周一=牧伸二の師匠)、ベアトリ姉ちゃん(田谷力三、榎本健一)他
●第五集「相撲甚句アラカルト」
相撲甚句「まくら唄」「大阪場所」「四十八手」(元栃桜他)等
…小沢昭一さんが泣いて喜びそうなものばかりですね。
送って戴いたの、このうちの第三集の「ハイカラソング」です。幕末から明治、大正にかけて大流行したヒットソングを集めたものです。当時は、本当に楽しみとして花柳界などで唄われたのでしょうが、今聴くと、あんまり、ピンと来なくて、学術研究の苦行に近いものになってしまうものなのですね。
当時は、もちろん、ラジオやテレビがない時代ですから、流行歌は、寄席や歌舞伎などの舞台から生まれ、花柳界などに広まったようです。
例えば、鎌倉節は、江戸で飴屋が「米山甚句」にして唄ったものが流行し、明治初年に歌舞伎役者の四代目・五代目菊五郎が取り入れて、飴屋に扮して踊って、一層流行したと解説にあります。
私は、「ぎっちょんちょん」「オッペケペー」「よさほい節」「デカンショ節」は辛うじて知っていましたが、あとは殆ど知りませんでした。「法界節」は、明治二十四年頃に長崎で歌われ、「長崎節」といわれていた。その後、若い娘の門づけ唄として流行した。と書いてありましたが、この「門づけ唄」という意味が分かりません。
何しろ、花柳界が亡んでしまい、これらの唄を披露する場が失われてしまいました。外での物売りも街から消えました。こうして、からうじてCDの中に生きるのみです。