山崎朋子「サンダカンまで」

ローマ

公開日時: 2007年4月1日 @ 09:38

山崎朋子著「サンダカンまで」(朝日新聞社)をやっと読了しました。何とも凄まじい、波乱万丈の半生でした。

偶然にも著者とは謦咳を接する機会に恵まれ、これまで、何度もご本人から直接肉声で伺ったり、何冊かのエッセイを読んでいたので、ある程度の身の上話については、知っているつもりだったのですが、ここまで壮絶だったとは知りませんでした。色々と断片を耳にしていたものですから、今回読了して、細かい断片が継ぎ合わされてジグゾーパズルが完成したような感覚になりました。

例えば、戦時中に潜水艦長だったご尊父が事故で亡くなった話は何度か聞いていましたが、当時は超軍事機密だったため、情報は隠匿されていました。潜水艦が遭難した場所について、海軍省は「東京湾南方海面」としか発表していませんでしたが、後年、著者の調査で、その遭難地点がマリアナ群島東の海域、つまり太平洋のどまん中だったということが分かるのです。この極秘の軍事訓練は「昭和十五年海軍特別大演習」と呼ばれ、推測するに、翌昭和十六年の真珠湾攻撃のための軍事演習だったということが分かるのです。

ご母堂と妹さんとの確執については、何度も聞かされていましたが、広島に原爆が投下されるわずか2ヶ月前に「近いうちに、この広島も軍都だから爆撃されるに違いない。おまえたちをアメリカの飛行機の爆撃で亡くしたりしたら、お父さんに申し訳けがたたないから」という母親の判断で、母親の実家の福井県大野町に疎開したという話をこの本で初めて知りました。山崎さんが通っていた県立広島第二高等女学校の同級生は、ほとんど原爆で亡くなってしまうわけですから、まさに九死に一生を得たわけです。ご母堂の判断がなければ…。

山崎さんが26歳のとき、「顔を切られる」事件に遭遇したことは、当時、小学校の教師を辞めて、喫茶店でウエイトレスやモデルのアルバイトをしながら女優志望だった彼女の人生を大幅に変更せざるをえないきっかけとなり、後の高名な女性史研究家、ノンフィクション作家誕生につながるわけですから、第一部から詳述されています。事件後、何十年たってもトラウマに悩まされたことも正直に告白しています。

最初に結婚した東大大学院生の金光澤氏のことについては、朝鮮半島出身ゆえ、露骨な差別で就職活動もままならなかったこと、その後の悲しい別離の話や欧州に渡って行方不明になった話などは、何かことあるごとに聞いていました。彼と知り合ったきっかけが、山崎さんが当時、女優志望で、スタニスラフスキー理論を本格的に勉強したいがために、ロシア語を学ぼうとして、個人教授としてお願いしたことだったということも初めて知りました。もちろん、現在のご主人の上笙一郎氏との出会いもかなりのページを割いています。

自分のことはなかなか客観的に描写できないものですが、ノンフィクション作家として、あからさまに自己の半生を冷徹に記録したことは、偉業に近いと言ってもいいでしょう。感動の渦に巻き込まれました。

とはいえ、本に出てくる山崎さんと私が直接見た山崎さんとは多少の乖離があります。私が見た山崎さんは、女々しいところが一切なく、とても、せっかちで、思ったことは、考える前に、すぐ行動を起こしてしまう人です。自分に大変厳しい人なので、その分…。あ、これ以上はもう書けません。破門されてしまいます。

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