公開日時: 2008年1月29日
先日会った日刊ゲンダイ敏腕記者林さんは、ビートルズの来日公演5回のうち、「俺は2回も行った。証拠のチケットの半券もまだ持っているよ」と聞かされ、驚き、羨ましくなり、ついには尊敬してしまいました。
私は自他共に認められているかどうか怪しいビートルズ・フリークだからです。
林さんは、団塊の世代で、若い頃、スウエーデンに留学し、そこで知り合ったスウエーデン人の女性と結婚しましたが、最初に彼女に掛けた言葉が
Do you like Beatles?
だったそうです。格好いいですね。
林さんは、今でも、ジョン・レノン・ミュージアムに年に数回は行くというジョン・レノン・ファンです。
ジョンといえば、先日、友人から「ジョン・レノン 120の言葉」(ディスカバー)を貸してもらいました。ジョン・レノンの歌詞やインタビューで語った際の言葉が収録されています。これまで、どこかで読んだり、聞いたりしたことばかりでしたが、一つだけ、知らなかった、気になる言葉がありました。ジョンの言葉ではなく、最初の妻シンシアとの間に生まれた息子ジュリアンの言葉です。
「悲しいけど、僕はジョン・レノンという人間をあまり知らなかったんだ。僕のことをほったらかしてにして平和や愛を熱心に説いている父親の姿を見ると、腹立たしかったよ。平和も愛も僕のもとへはやってこなかったからね」
賛成です
確かにヨーコには功罪があります。
功績は、ヨーコがいなければ、ジョンの知的財産は粉々に散ってしまっていたことでしょう。そしたら「フリー・アズ・ア・バード」も「リアル・ラブ」も生まれなかったでしょう。
罪は、仰るとおり、極端な商業主義。ジョンが生きていたら、できそこないを集めた「アンソロジー」や「ジョン・レノンBOX」の発売を許さなかったでしょう。でも、私は、フリークなんで、両方とも買いましたけどね。
そうなんですね
当のレノン自身はヨーコのことを中国人だと思っていたのではないでしょうか。彼女との間に子ども(ショーン)が生まれたときに家族のためにレノンが作った曲(一時期、資生堂がコマーシャルに使っていましたね)のメロディーは、完全に中国ですね。:)
私は今ごろになって、さかんに日本のメディアにレノンを売りにして登場したり、日本にレノンのミュージーアムを作ることも、コマーシャル主義が全面に出ていて、なんかなあ・・と思ってしまいます。まあ、真相はわかりませんけどね!
そうですね
私も、ビートルズ解散の1970年前後に、大量の小野洋子非難のマスコミのニュースを同時進行で接してきました。おかげで、「ビートルズ解散はヨーコのせいだ」と思っていましたが、そんな単純な話じゃないようですね。
英国人は、ヨーコのことをアメリカ人だとみなしていたようです。(ヨーコは、大財閥安田一族で父親は,
安田銀行ニューヨーク支店勤務。本人もニューヨークのサラ・ローレンス大学中退)どこで、そんな記事を読んだのか、また、思い出したら書いておきます。
1970年当時の現地マスコミの報道も、ヨーコのことを「日本人」ではなく「東洋人」「東洋の魔女」と言った表現が多かったような気がします。
今では、私のヨーコの見方は変わりました。「ビートルズを解散させた張本人」だとは考えていません。「アンソロジー」によると、最初にビートルズを辞めたがったのが、リンゴ。続いて、ジョージで、この時ばかりは、エリック・クラプトンをジョージの代わりに入れるという案もあったとかで、驚いたものです。
それでもやはり、ジョンが投げ出したのが一番大きかったんじゃないでしょうか。
ヨーコにそのあたりの真相を聞いてみたいですね。年を重ねて、丸みと渋みが出て、今一番会って、インタビューしたい人物です。
ヘイ・ジュード
そりゃ、ジュリアンにとってはそうでしょうね。父親が家庭を捨てて、ヘンな日本女のところに走ったんですから。でも、そのおかげであの名曲「ヘイ・ジュード」ができたんですから、彼の苦しみは音楽に貢献したのですね。ご存知のとおり、ポールが父に捨てられたジュリアン(ジュード)をなぐさめようとして彼のために作った歌。それにしても、レノンの2番目の日本人の奥さんの評判の悪いこと、悪いこと。イギリスでは特に元ビートルズメンバーたちから非常に嫌われていたと聞いたことがあります。ああいう人が日本人代表みたいに現地で見られるかと思うと、ちょっと不安です。