日本人が知らない覆面篤志家、逝く=チャールズ・フランシス・フィーニー氏92歳

 チャールズ・フランシス・フィーニーさん。日本人のほとんど誰も知らない米国人の実業家です。免税店「DFS」を共同創業し、まさに巨万の富を築いた人ですが、その全財産に等しい80億ドル(約1兆2000億円)もの大金を自ら設立した慈善団体や病院、大学などに生前に、しかも匿名で寄付した人でした。 

 10月9日に92歳でサンフランシスコの自宅で亡くなりました。それは2部屋しかないアパートで、しかも賃貸住宅でした。若き頃は贅沢三昧で、50代の時には、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ホノルルなどに7軒もの豪邸を所有していました。60代で最初の妻と離婚した際、7軒の豪邸全てをこのフランス系の前妻に与えたといいます。

 かつては、豪華なパーティーに参加し、リムジンやヨットを乗り回していましたが、そのうち、そんな生活が嫌になり疑問さえ持つようになりました。やがて、ヨットやリムジンも売り払い、バスや電車を利用し、飛行機もエコノミークラスです。高級レストラン通いもやめました。しかも、成功した大金持ちの象徴とも言うべき腕時計は、わずか13ドル(約2000円)の日本のカシオ製だったといいます。えっ!?です。それだけの財産があれば、1億円のパテック・フィリップぐらい簡単に買えるのに…。

 その間、匿名で大学や病院(米国だけでなく、アイルランドやベトナムなどにも)に寄付を続けていましたが、1997年に免税店「DFS」の持ち株をルイ・ヴィトンーモエーヘネシーに売却した際に、彼の名前が表に出ることになりました。この時得た利益16億ドルはフィーニー氏の懐に入ったわけではなく、そのままバーミューダーに設立していた慈善団体に寄付されました。

 寄付は、あくまでも「生前」に拘り、老後の生活資金や遺産などのために200万ドル(約3億円)だけ残して、全財産を寄付してしまいました。

東京・中央区役所

 この記事は、10月9日付ニューヨークタイムズ電子版などを参照しながら書いていますが、NYTには、何が彼をそうさせたのか、については詳しく書かれていません。ただ、それとなく暗示することは書かれています。

 チャールズ・フランシス・フィーニー氏は1931年4月23日、米東部ニュージャージー州エリザベス市で、熱心なカトリック教徒であるアイランド系米国人の両親のもとで生まれました。父は保険外務員、母は看護師で、典型的な労働者階級で大学に進学できる余裕もなかったので、1948年に高校卒業後は空軍に志願し、主に、占領地日本で4年間過ごしたといいます。

 米国に帰国後、軍歴があったため奨学金を得てコーネル大学で学ぶことが出来、56年に卒業後、バルセロナに渡り、そこで大学時代の友人ロバート・ミラーと偶然、再会します。この時、2人で高級化粧品や高級酒など販売する免税店を思いつき、起業したといいます。その後、大成功したことは言うまでもありません。

 超富裕層になった彼が、ほぼ全財産を手離すことに躊躇しなかったのは、やはり貧しい労働者階級ながら信仰深く、質素で誠実な両親の下で育ったからだと思われます。「金持ちになると、ニュージャージー時代の友人と対等に気軽に付き合えないから」とフィーニー氏は振り返ったりしています。5人の子宝に恵まれましたが、5人とも父親の莫大な遺産を期待するようなハシタナイ人間ではなく、派手な生活を好まない人間に育ったことも幸いしました。

東京・新富町駅 ???本文と写真合ってないじゃないですか!

 しかも、寄付が匿名というのが、「陰徳」そのものです。「名前が出ると、付きまとわられるから」というのが匿名にした理由だそうですが、大抵、寄付をする富裕層は、寄付した建物やホールなどに自分の名前を付けて自己アピールしたがるものです。やたらと宇宙に行きたがる大金持ちもいます。誰、とは言いませんけど沢山いますねえ(笑)。そんな人たちと比べると、「覆面篤志家」フィーニー氏の行為と質素な生活は立派という他ありません。何と言っても、2000円の腕時計で満足してしまうなんて、考えられませんよ。

 私なんか、ジョン・レノンも愛用した2000万円のパテック・フィリップの腕時計が欲しくてたまらなかったので、まだまだ修行が足りませんねえ。コリャダミダ

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