「圓光寺」〜「詩仙堂」京都の旅

京都・圓光寺

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さらなる皆様方からのコメントをお待ちしております。

京都・圓光寺

奈良の西大寺先生の最大のライバルである京都の京洛先生から、西大寺先生の投稿を御覧になって、早速、飛脚便を飛ばしてきました(笑)。

…東都の紅葉は色づきましたか? こちらは、まだこれからですね。
11月中旬からが、紅葉狩りの本番でしょう。一気に、観光客も増えて、洛中、洛外は大変な賑わいになると思います。
貴人が、過日、上洛されて、鑑賞された京博の特別展覧会「国宝」(今月28日まで開催)ですが、第Ⅲ期展示が始まっていますが、志賀島出土の「金印(漢委奴国王印)」(12日まで展示、福岡市立博物館所蔵)は、最前列で見るには、40分~1時間くらいかかるそうですよ。凄い人気ですね。これに、これからの紅葉シーズンが重なるのですから、京博の前は長蛇の列が予想出来ます。

◇徳川家康開基の圓光寺

迂生は、今日、ちょっと早めに、徳川家康が開基した、京都市左京区の一乗寺にある紅葉の名所、臨済宗南禅寺派「圓光寺」に出かけて来ました。
家康が慶長6年(1601年)に教学を普及するため「足利学校」の学頭だった三要元佶(さんよう・もときつ)という禅僧を招いて、京都伏見に「圓光寺」を建てたのですが、その後、相国寺境内に移ったりしたこともあり、寛文7年(1667年)に、此処、一乗寺に移転しました。お寺も、あちこち引っ越したり、廃寺になったり、栄枯盛衰があるわけです。

京都・圓光寺

◇家康のブレーン

家康に請われて、下野国の足利学校から、「圓光寺」の開基に関わった元佶禅師は、彼の有名な「家康のブレーン」で、事実上、幕政を差配した金地院崇伝や天海上人と同じく、「黒衣の宰相」と呼ばれた実力者だった、と言われています。

◇「貞観政要」を刊行

家康は、圓光寺を教学普及の場にするため、お坊さんだけでなく、俗世間からも、向学心のある人間の入学を許したそうで、聖俗合わせての学問所にしようと考えたわけですね。そして、「貞観政要」などの書物を刊行しました。活字と言っても「鉛」でなく、「木活字」による印刷です。圓光寺の宝物館には、その「木活字」が展示されています。文字通り、出版文化の草分け、嚆矢といえます。
木活字をじっくり見てきましたが、保存状態も、よく、この「木活字」を使った印刷物は、「伏見版」、「圓光寺版」と呼ばれています。
また、同寺には、家康の「歯」も埋葬した東照宮もあります。、家康ゆかりのお寺がこんなところにあったとは、貴人も知らなかったでしょう(笑)。
迂生も徳川家康が、そんな、お寺を、京都に建てたとは知りませんでした。

◇近くに石川丈山の詩仙堂

「圓光寺」の、紅葉は、まだ、色づき始めたばかりです。観光客もそれほど多くいませんでした。
近くには、石川丈山(先祖代々「徳川家」譜代で、丈山は家康に仕え、「大坂夏の陣」でも功名を建てたのですが、この後、武士を棄て、文人になり、50才過ぎに「詩仙堂」を建て、朱子学、詩、煎茶道に勤しみ、90歳の生涯を終えました)の建てた「詩仙堂」もあります。

京都・圓光寺

圓光寺の拝観料は500円ですが、一乗寺周辺には、この「詩仙堂」や宮本武蔵の”一乗下り松の決闘”があった、という場所もあります。もっとも、決闘の地は、このほか、拙宅傍にも、「決闘の場所跡」があり、「決闘の地」は複数で真偽不明ですが、一乗寺界隈は見るところが沢山あります(笑)。今度、ご上洛された折ご案内します。

◇丁稚羊羹、鳩餅、武蔵饅頭

また、あの赤羽彦作村長が涎を垂らしそうな「丁稚羊羹」「鳩餅」、それに「武蔵饅頭」などの甘い「名物」が売られています(笑)。
彦作村長が同行されていたら、パチパチ、写真撮影されていたことでしょうね(笑)。この近くには「修学院離宮」もあります。…

なるほど、圓光寺と詩仙堂は私もいつか行きたいと思っております。

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