スペイン・コルドバ メスキータ
まあ、何と言いましょうか、昨晩は、ウマズイめんくい村の赤羽村長のお導きで、東京の最北にある某街で、むくつけき若人と言いたいところですが、少し薹が立った素敵な紳士5人が参集しまして、懇親会が開催されました。スウェーデンから一時帰国中のHさんを囲む会という名目でした。
最北の某街とは、作家城山三郎の小説「毎日が日曜日」の舞台となったところです。と言っても、分かんないでしょうね(笑)。
◇おつなの落ち武者たち
さて、むくつけき紳士の交際は、ここ30年、いや40年近くにわたります。2014年に解散した「おつな寿司セミナー」に参加していた人たちです。これは、寿司をつくる講習会ではありません(笑)。東京・渋谷にあった「おつな寿司」の2階で毎月一回、土曜日の夕方に色んな講師を無料で(帰りにお土産として持って帰ってもらう寿司のみの手弁当)お呼びして、その専門分野のお話を伺う勉強会めいた、どんちゃん騒ぎめいた、親睦会みたいなものでした。
昨晩は、元日経の浦田さんが「僕は一番最初に参加したんですよ」と、この会の成り立ちを教えてくれました。母体となったのが、1978年頃、東京都庁の記者クラブに詰めていた若い新聞社や通信社、テレビ局の記者たちが、会社の規模や社格を越えて横のつながりを重視して始めた「独身貴族の会」だというのです。中心人物は、最年長だった京洛先生。何かと理由をこじつけて、若い男女が休みの日にハイキングに行ったりして、「青い山脈」のように青春を謳歌したようです。
東京都庁は、今の新宿ではなく、有楽町にあった時代です。今の国際フォーラム、江戸時代は、土佐藩の上屋敷があった所です。記者クラブには格というか差別がありまして、大手マスコミは「有楽クラブ」、二流のマスコミは「鍛冶橋クラブ」に分かれていました。その垣根を越えて友情を育んだわけです。
当初は4~5人でしたが、それが「三・二会」に発展しました。ファション雑誌の編集者伊地知さんが初代会長、PR会社勤務の小柳さんに事務局役を務めてもらい、都庁記者クラブの記者だけでなく、スポーツ新聞の記者や出版社の編集者なども加わり、15人ぐらいの規模となりました。「三・二会」とは、当時、30代と20代だったからという単純な命名です。
◇誰が来るのか、何人来るのか、それが問題だ
渋谷のおつな寿司で、懇親会を開催するようになったのは1985年だったようです。(間違っていたら訂正します)主宰者の京洛先生の行きつけの店で、店主をたらしこんで(笑)、まんまと月に1回、2階を貸し切りにすることに成功しました。
何しろ、ネットもない、糸電話しかない時代。誰が来るのか分からない。危ない人が来るのかもしれない。そもそも、何人来るか分からない。何本ビールを飲むのか分からない。勝手に冷蔵庫を開けて栓を抜く輩も出て、いつ終わるかも分からない、怪しげな秘密結社のような会ですから、店主もよく貸してくれたものです(笑)。
母体の皆さんはマスコミ記者ですから、取材先で知り合った人たちを講師として呼ぶわけです。その講師たちは気に入れば、次回からは会員として参加するようになり、会員が友人のそのまた友人を呼んだりして、ミイラ取りがミイラになるような感じで色んな業種の人が増えていきました。
作家、画家、テレビ局の敏腕プロデューサーやNHKの専務理事、警察関係、刺青師、パチンコの釘師、大学の学長、著作権を管理する在日フランス人、字幕翻訳家、音楽評論家、出版社の編集長、大手広告会社重役、商社マン、銀行員…何ら会則もなく、会費もなし。どなたでも参加自由で、その場で会計をしてお終い。約30年間続きましたから、講師と会員を含めて1000人近くの人が何らかの形で関わったと思います。時代小説の大家となった加藤廣さんのように有名になった方もいますし、既に鬼籍に入られた方も多数おります。
私自身は、渋谷区神南のNHK放送センターの11階にあった「ラジオ・テレビ記者会」に所属していた1990年に京洛先生と知り合い、それからずっと参加してきました。その間、私も、自分自身が講師を務めたり、総計30人以上の方に講師をお願いしたりしました。渋谷のおつな寿司は、閉店したため、その後、会場は内幸町の日本プレスセンターに移りましたが、どこか、「身綺麗」になってしまい、渋谷時代のように、酔った勢いで大喧嘩する人や、管を巻く人もいなくなり、何か、紳士的になってしまい、程なくして解散してしまいました。
◇読売批判で顔向けできず
昨晩は、そのおつな寿司セミナーの「残党」が集まり、ああでもない、こうでもない談義でしたが、元読売新聞の鈴木嘉一氏は「せっかく、あれだけ色んな講師が来て、凄いメンバーが集まったわけだから、記録して後世に残すべきではないかなあ。それが主宰者の後藤さんの仕事です」と強調しておりました。
確かに、私が上記したこともあやふやな記憶に基づいて書いたものなので、正確ではありませんからね(苦笑)。
それにしても、昨晩は、最近、数々の著作を発表し続けている多忙な鈴木氏がお見えになるとは夢にも思っておりませんでした。この《渓流斎日乗》で、読売新聞のことを「御用新聞」だの、「安倍政権の政党機関紙」などと、さんざん批判というか悪態をついてきたので、「合わす顔」がなかったからでした。
でも、鈴木氏は「うん、でも、読売の経済面は良いと褒めてくれてたから、バランスが取れてますよ」と逆にお褒めに預かってしまいました(笑)。わー、何だあ、随分隅から隅まで、よく読まれていたんですねえ。驚きでした。
◇節操ないので宜しくお願い申し上げます
危ない、危ない。これからは注意して書いていかなければなりませんね。ですから、明らかな間違いや記憶違いが御座いましたら、ご連絡頂ければ、すぐ訂正致します。
私自身、信念やら信条やらもなく、優柔不断で、いい加減で、節操ありませんから、と皆様を煙に巻いておきまする(笑)。