「山口メンバー」には違和感

人気アイドルグループTOKIOの山口達也メンバーが25日、強制わいせつの容疑で書類送検され、ファンの間では「信じられない」との声が広がってます。

このニュースについて、特に興味を持ったわけではありませんが、何となく違和感を覚えました。

新聞でも天下のNHKも、山口容疑者のことを「山口メンバー」「山口メンバー」と表記したり、叫んだりしているからです。

警察がそう発表したのか、強大な権力を持つ有名芸能事務所がマスコミにそう呼ばせたのか、真相は分かりませんが、何か水で薄めて緩和している感じです。

ズバリ、「財界」「官界」「芸能界」のゴールデントライアングルの構図が浮き彫りになります。

まず、資本主義社会ですから、企業は物やサービスを買ってもらわなければなりません。でも、庶民は賢いのでそう易々とは買ってくれません(笑)。

そのため、「財界」はタレントを起用してコマーシャルします。消費者は、親の言うことは聞かなくても、好きな芸能人が出ている製品なら飛びついて買います。

「官界」=行政は、タレントを「1日警察署長」や「1日税務署長」に起用して、交通安全や納税を大衆を啓蒙します。山口メンバーのように、「スペシャル・アンバサダー」でもいいですね(笑)。

これらと「芸能界」を取り持って狂言回しの役割をするのがマスコミ媒体です。特に、宣伝と直結する広告代理店は、芸能人のスキャンダルにはいつも厳しい目で監視して、いざという時は、その対応に追われます。

テレビにとって、芸能人は、番組作りに欠かせません(ただし、番組は商品を売るための拡販材料)。新聞・雑誌も売るためには、タレントを起用して華やかにしなけりゃなりません。

持ちつ持たれつの関係です。

まあ、社会の構図がこうなっているのですから、第三者がとやかく言っても始まらず、いつも隔靴掻痒で終わるわけなのです。

【追記】

意外にも、東京発行の全国・ブロック紙「都内最終版」を見ると、読売新聞だけが、「山口容疑者」の表記だったのです!あと朝日、毎日、日経、東京、産経は全て「山口メンバー」でした。

テレビはいわずもがなでしょう。

ただ、まだ書類送検の状態で処分が出ていないため、各社の判断になっているようです。

仮想通貨とは何者だあ!?

銀座「アジュール」パスタランチ1000円

最近、ビットコインや「コインチェック事件」など仮想通貨の話題に事欠きません。

遅ればせながら、小生もほんの少しだけ興味を持ち始めました。21世紀を生きる現代人のマナーとしてです。

もちろん、仮想通貨は投資というより、投機の側面が大きいのでまだ実際に買うつもりはありませんが、その仕組みぐらいは知っておかなければならないと思ったのです。でも、トークンだの、ブロックチェーンだのと言われても、実際やってみないとさっぱり分かりませんね。

仮想通貨でなくても、日本の巷でも、最近はどんどんキャッシュレス化が進んでいます。

そういう私も、専ら、鉄道系の電子マネーカードを愛用しています。硬貨は嵩張り、重いからです。主に、書店や薬局で使っていますが、使える店が最近増えてきました。ポイントが溜まるのも「ポイント乞食」としては有難い(笑)。

最近になって知ったのですが、北欧スウェーデンでは、「Swish」とかいうスマホの現金決済アプリが普及し、何と、2017年末の時点で国民の半数以上が利用しているんだとか。国内の店舗では「現金お断り」の看板も掲げている店もあるそうなので、マジ、スウェーデン中央銀行による紙幣クローナ発行も減ったんじゃないかと勝手に思ってしまいます。

中国では既に、巨大電子商取引アリババの電子ウォレット「Alipay」や無料通信アプリ「微信」を運営するテンセントのモバイル決済ツール「WeChat Pay」などがほとんど日常的に紙幣以上に使われているようです。(偽札が横行しているのも一つの理由)

こうなると国家が保証する通貨や紙幣は一体どうなってしまうのか。そんなら仮想通貨でもええじゃないか、と発展するのではないかと私なんか、考えたわけです。

今日は、眞子さまがご婚約されて延期になっている小室家の真相が読みたくて(笑)「週刊文春」合併号を買ったのですが、旧村上ファンドで名を馳せた投資家村上世彰さんとジャーナリストの巨人池上彰さん(二人とも彰が付くとは!)との対談が一番面白かったです。

さすが、お二人ともよく勉強してます(失礼!)あの村上さんはシンガポール在住と聞いてますが、日本の情報もかなり仕入れているようです。

村上さんによると、仮想通貨を新たに発行(マイニング)するための電気代が、年間数千億円にもなるというのです。ブロックチェーンをつくるのにかなりのエネルギーを消費するそうです。そのため、電気代の安い所や、コンピュータの冷却のため、アイスランドのような寒い国に仮想通貨会社は設立しているらしいんですね。へーと思ってしまいました。

現在、日本で最も多くの株を保有しているのは、日銀と年金基金で、年金基金の最新運用益は6兆円。日銀は、19兆円のETFを買い入れしていて、保有株の時価総額は24兆円余りで、含み益が5兆円(2018年3月末)あるそうです。日銀が保有している赤字国債は4000億円程度。だから、短期的には日本の経済について、村上さんはポジティブに考えているそうです。

ただし、長期的には、少子高齢化による労働人口の減少で、ネガティブと考えているとか。まだ、書きたいのですが、引用はここまでにしておきます。

鹿島神宮は中臣氏の氏神さまだった…

昨晩は、珍しく痛飲してしまい二日酔いです。。。

この《渓流斎日乗》のサイトの技術と運営面でお世話になっているIT実業家の松長会長と一献傾けたところ、あまりにも美味しい料理とお酒に恵まれて、ついメートルがあがってしまいました(笑)。

松長会長は、私よりちょうど一回り若い海城高校の後輩ですが、彼より1年後輩の坂元さんという方がやっている湯島の純酒肴「吟」に連れて行ってもらったところ、驚くほど美味!

この話は一番最後に回すとして、まず、昨晩、松長会長の神保町の会社を訪れたお話から。

◇おねだりしません!

皆様、既にお気づきのことと存じますが、今年1月からこの《渓流斎日乗》のサイトに鬱陶しい(笑)広告が掲載されるようになりました。正直申しますと、魂胆が御座いまして、この広告を皆さんがクリックして頂くと収益になるわけです。高望みはしてません。せめて、サイトのサーバーやドメイン維持料金の肩代わりをしてくれれば、という切ない希望的観測で始めたのでした。

その結果を教えてもらうため、足を運んだのですが、何と、1カ月の収益が、約170円だったということが分かりました。えーーーー!!!これでは何の足しにもなりませんねえ(笑)。アクセス数が少ないからしょうがないのですが、広告までクリックしてくださる方は、アクセス数の1%、つまり、100人に1人だということも分かりました。

何も、皆様に広告をクリックしてほしい、とおねだりしているわけではありませんよ(笑)。何しろ、頻繁にクリックされると、「不自然なクリック」としてマイナスになってしまうのです。また、私自身がクリックすると、どんなに機種を変えてもGPSかなんかで分かってしまい、「違反」になり、これもマイナスになります。

この話はこれぐらいにします。

純酒肴「吟」にて

◇古代史の謎を解明

松長会長はITに詳しいだけでなく、古代史と神社仏閣の縁起に異様に詳しいのでした。

たまたま、「埼玉風土記」の話になると、もう散逸して今は残っていないというのです。知りませんでしたね。現存している写本はたったの五つで、「出雲国風土記」がほぼ完本、「播磨国風土記」、「肥前国風土記」、「常陸国風土記」、「豊後国風土記」が一部欠損して残っているだけだというのです。

そして、常陸国の風土記が残ったのには理由があり、中臣氏の領地だったからだというのです。中臣氏とは、中大兄皇子とともに乙巳の変の革命を行い、大化の改新を遂げた、あの中臣氏です。中臣鎌足は、藤原鎌足と改名し、藤原氏は、摂関政治の黄金時代を築いて、現在でも血脈が続いているので、常陸国の風土記も現代まで残ったといわけです。

その証拠は、中臣氏の氏神が常陸国の鹿島神宮であり、この祭神を大和に移送して祀ったのが春日大社だというのです。神の使いといわれる鹿も一緒です。確かに、春日大社の「御由緒」の中には、記紀に出てくる出雲の国譲りの物語で成就された武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を鹿島神宮からお迎えしたと書いてありますね。中臣氏の氏神とも書いてありますから、結局、鹿島神宮は、中臣氏の氏神を祀った神社だったわけです。

そして、鹿島神宮の「神宮」は、そう滅多に名乗ることができないというのです。明治以前は、天皇家直系の伊勢神宮と、この鹿島神宮と、同じく国譲りの神話に出てくる経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祀った香取神宮(下総)しかありませんでした。明治以降になって、熱田神宮(三種の神器の一つ、草薙神剣が収められている)や明治神宮などがあるぐらいで、社格が段違いに凄いのです。

◇武蔵国の首都は鴻巣市だった!

さて、次は古代の武蔵国の話です。風土記が散逸してしまったので、詳細は分かりませんが、武蔵国の中心は、何と今の埼玉県鴻巣市笠原だったというのです。この地名に残る笠原とは、西暦534年頃に起きた「武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)の乱」で、大和朝廷(今は「ヤマト王権」というらしい)の力を借りて、武蔵国を統一し、この辺りを拠点にした笠原直使主(かさはらのあたいおみ)から付けられたと言われてます。

おまけの話として、古代の地名の上野(こうずけ)国(群馬県)と下野(しもつけ)国(栃木県)はもともと、一つの国で「野」(け)と言われていたそうです。ヤマト王権は全国統一に当たって地元豪族を国造に任命したりしますが、その代わりに屯倉(みやけ)といって直轄地を寄進させます。年貢米の収穫が目的です。

こうして、お米の生産が上がっていくと、人口も増えていきます。そうなると、上野国、下野国のように、国を分割するわけです。「総(ふさ)」の国だったのが、「上総(かずさ)」(千葉県中部)と「下総(しもふさ)」(千葉、茨城、埼玉、東京)に。「備」の国は「備前」(岡山、兵庫、香川)「備中」(岡山県西部)「備後」(広島)に分かれるわけです。

湯島の純酒肴「吟」にて

◇京都の銘酒「まつもと」にはKOされました

そうそう、最後に純酒肴「吟」の話をしなければなりませんね。JR御徒町駅と地下鉄湯島駅の中間辺りのちょっと奥まったビルの2階にあります。15人も入れば満員になるお店です。居酒屋というより、酒肴という代名詞が雰囲気に合ってます。亭主の坂元さんは、30歳過ぎてから日本料理店で修行して、この店を出したという苦労人でした。

刺身を料理ではないと思っている人がいるかもしれませんが、立派な日本料理です。しめ鯖もカツオも旨いこと、旨いこと。

置いているお酒の銘柄は、まったく初めて聞くものばかりで、最初に味わった京都の銘酒「まつもと」は、これまで呑んだ日本酒のベスト5に入るくらい、クセがなく上品なスッキリとした味わいで、驚いてしまいました。

安倍内閣支持率が30%にまで続落で、ほぼ崩壊へ

安倍内閣の支持率低下が止まりません。

23日付朝刊。安倍政権の支持母体とも、「御用新聞」とも、言われたあの読売新聞でさえ、支持率が39%、不支持率が何と最高の53%なんですからね。

毎日新聞になると、内閣支持率は、危険水域と言われる30%(不支持率49%)にまで続落してしまいました。もう無理ですね。

国民はうんざりしているからでしょう。

今日23日付の東京新聞朝刊は、1面トップで、「異常事態の安倍政権」と題して、今年1月から4月にかけてのわずか3カ月で、疑惑と不祥事が「13」もあった、とわざわざ年表(笑)にして列挙してます。

もう忘れかけていますが、1月の「スーパーコンピューター開発をめぐる国の助成金詐取事件関連」に始まって、4月のつい最近は、「福田淳一財務次官のセクハラ疑惑」「幹部自衛官が野党議員に罵声」と続きます。

セクハラ疑惑については、福田さんは依然として認めておらず、「週刊新潮」を発行する新潮社が「この期に及んで否認するとは驚きを禁じえません」とコメントを発表するぐらいです。音声データの証拠があるというのに、まだ否認する福田さんの「一部分を取っただけで、全体ではないから、ありえない」という弁明こそ、やはり、一般国民としても「驚きを禁じえません」と同じ言葉出てきてしまいます。

ただ、ここに来て、セクハラ被害を訴えたテレビ朝日の女性記者が早くも、ネット上で、顔からプロフィールまで晒される「二次被害」が出ているようで、そんなことをする輩に対しては、暗澹たる思いがします。

銀座「味」 さば味噌に定食 880円

それにしても、安倍さんが直接かかわった案件ばかりではないのですが、この3カ月の疑惑と不祥事が「13」というのは異様に多く、クリスチャンでなくても、まさに不吉な数字ですねえ。

安倍さんを首相に「抜擢した」小泉純一郎元首相も先日、「彼は、もう(自民党総裁選の)3選は無理だな」と、引導を渡すような、猫の首に鈴をつけるような発言をしてしまったので、これで、ほぼ完璧に、第5次安倍内閣の芽はなくなったということでしょう。

これから消費税はどうなる? 軍事大国化した中国の覇権問題はどうなる? 何と言っても、混迷の中、経済政策はどうなる?

こんな「国難の時代」と言っていた張本人の安倍さんは辞めてしまうのか?

ご安心ください。首相の代わりはいくらでもいます。誰がなっても同じです。トップは変わっても、政治行政を仕切っているのは、我々官僚ですから。。。

あれ? その声は、福田淳一さんじゃありませんか???

「解明されたゾルゲ事件の端緒ー日本共産党顧問真栄田(松本)三益の疑惑を追ってー」

昨日21日(土)は、東京・御茶ノ水の明大リバティータワーで行われた講演会を聴きに行きました。

「偽りの烙印」などの著書があるゾルゲ事件研究の第一人者の渡部富哉氏が88歳のご高齢になられ、これが「最後の講演会」ということでしたので、渡部氏には大変お世話になったり、こちらもお世話をしたり(笑)した仲でしたので、会場で会いたくない人がいるので気が進まない面もありましたが、足を運んだわけです。

私は読んでませんが、「ゾルゲ研究の第一人者の最後の講演」は、朝日新聞(恐らく都内版)に掲載されたらしく、それを読んだ人が、「大変だ」とプレミア価値を持ったのか分かりませんが、驚くほど大勢の人が押し寄せて、受付も長蛇の列で長い間待たされました。

概算ですが、500人以上は詰め掛けたのではないでしょうか。資料代1000円でした。

プレミアで来られた方の中には、ゾルゲ事件についてあまり詳しいことを知らない人もいたようで、何だか分からないピンボケの質問をする自信満々の唐変木な老人もおりました。

あまりにも多くの人が押し寄せたので、気を良くした渡部さんは「これを最後にしようかと思いましたが、話しきれないので、もう1回やります」と宣言するので、こちらも拍子抜けしてしまいました。

とても88歳とは思えない矍鑠ぶりで、志ん朝のようなべらんめえ調の話術は相変わらずで、落語を聴いているようで、会場から笑いを誘ってました。

肝心の講演会は「解明されたゾルゲ事件の端緒ー日本共産党顧問真栄田(松本)三益の疑惑を追ってー」で、日本共産党中央委員会顧問などを務めた松本三益(1904〜98年、享年94)が、当局(特高)のスパイだった、という説を特高資料や当時の関係者の証言録を引用してかなり説得力がありました。

渡部氏によると、松本三益は、日本共産党入党を1931年10月(「赤旗」など日本共産党の公式見解)としておりますが、真実は、既に1928年に入党しており、これなども当局によるスパイ松本三益隠しの一つだった、などといいます。

ただ、表題の「解明されたゾルゲ事件の端緒」に関しては、全く要領を得ず、納得できるような論は展開されなかった、と私なんかは聴きました。

ゾルゲ国際諜報団の中心人物の一人、宮城与徳(沖縄県名護出身。渡米し、画家に。米国共産党に入党。コミンテルンの指令で日本に戻り、ゾルゲ・グループに合流。逮捕され獄中死。享年40)は、日本に潜入した際、最初に接触したのが、沖縄師範学校時代の同級生だった喜屋武保昌(きやむ・やすまさ、東大新人会に参加し、官憲からマークされた。私立巣鴨高商教授。宮城与徳が描いた喜屋武保昌とその息子と娘の肖像画は記念館に展示されている)で、この喜屋武から「農業部門に詳しい専門家」として松本三益を紹介された。松本は、宮城与徳に高倉テル(1891〜1986、京大英文科卒、作家、教育赤化事件などで検挙。脱獄を企て、その脱獄に便宜を与えた疑いで三木清が逮捕された。戦後、日本共産党に入党し、国会議員)、安田徳太郎(1898〜1983、医師、社会運動家。京大医学部卒。東京・青山に医院を開業し、宮城与徳に、通院していた軍関係者の情報を提供したとして検挙)、久津見房子(1890〜1980、社会運動家。3・15事件で検挙、ゾルゲ事件に連座し、懲役8年の判決。敗戦で4年で釈放)らを紹介した。…などという話は渡部氏は事細かく説明してましたが、松本三益が、いかにしてゾルゲ事件の端緒を開いたのか、説明なしでした。

そこで、講演会の二次会を欠席し、自宅に帰って、古賀牧人編著「『ゾルゲ・尾崎』事典」(アピアランス工房、2003年9月3日初版。加藤哲郎一橋大教授のお薦めで、当時4200円なのに、2012年に古本で4949円で購入)を参照したら「真栄田(松本)三益密告説」など色々書いてあり、これを読んでやっと要点が掴めました。

高倉テルが安田徳太郎に語ったところによると、真栄田(松本)三益は、満州の事件(恐らく、合作社・満鉄調査部事件)で昭和16年に検挙されたが、助けてもらうために、警視庁がまだ知らなかった宮城与徳の諜報活動を密告して、当局と取引したというのです。

「伊藤律端緒説」という誤った説を広めたため、渡部氏が蛇蝎の如く嫌っていた尾崎秀樹(1928〜1999、文芸評論家、尾崎秀実の異母弟)も「越境者たち」の中で、「事実だとすれば、組織発覚の端緒は、これまでいわれていた伊藤律ー北林トモー宮城与徳といった線ではなく、真栄田三益ー宮城与徳ということになる」とはっきり書いてありますね。

私自身、日本ペンクラブ会長も務めた尾崎秀樹さんとは、かつて取材などで親しくさせて頂いたこともあり、渡部氏が批判するほど、そんな頑なで悪い人には思えず、もし彼がもう少し長生きされていたら、「伊藤律端緒説」を取り下げて、渡部氏と和解していたんじゃないかと思っております。

新聞社崩壊は歴史の流れなのか!?

これでも、私は、いわゆるマスコミ業界に40年近く棲息して、禄まで食んで来ましたので、業界の動向は気になります。特に新聞業界は。

そしたら、自分が悲観的に想像した以上に、今はとんでもない事態に陥っていたんですね。畑尾一知著「新聞社崩壊」(新潮新書、2018年2月28日初版)を読んで深い、深い溜息をつきました。

著者は長年、朝日新聞社の販売部門を勤め上げた人で、2015年に60歳の定年で退職されたようです。「花形」と言われる記者職ではないため、傲岸不遜と産経出身の高山正之さんが週刊新潮で批判するような朝日タイプではなく、細かい数字を列挙して冷静に分析し、経済学者のような説得力があります。

冒頭で、いきなり、新聞読者はこの10年間で25%減少した事実を明らかにします。

2005年=5000万人だった読者が

2015年=3700万人と1300万人減少。つまり、25%も減少。

さらに、10年後は最低でも30%減少すると予想されることから、

2025年=2600万人。実に、20年間でほぼ半減、いやそれ以上大幅減少する可能性があると指摘するのです。

このほか、2015年は、若い人はともかく、最も新聞を読むべきはずの50代が40%未満に落ち、半分以上が新聞を読まないという衝撃的な事実が明らかになりました。道理で電車の中で、スマホゲームに熱中する50代を見かけるはずです。

新聞協会のデータによると、2005年(96社)の売上高2兆4000億円から、2015年(91社)は、1兆8000億円と25%減少。

2000年に読売1020万部、朝日830万部だったのが、2017年は、読売880万部、朝日620万部と激減です。

まさに「新聞社崩壊」という衝撃的事実です。

畑尾氏はズバリ、全国紙の中で朝日、読売、日経の「勝ち組」は生き残れるかもしれないが、毎日、産経の「負け組」は危ないと予測しています。つまり、倒産するということでしょうが、新聞メディアがなくなったら、社会的にどんな弊害が起きるか後で列挙することにして、著者は新聞衰退の根本的原因を三つ列挙してます。それは、

(1)値段の高さ

(2)記事の劣化

(3)新聞社への反感

です。

この中で、最も注目したいのが、(2)の記事の劣化。かつて、新聞社の入社試験は狭き門で、優秀な人材しか集まりませんでしたが、今では、業界の将来を悲観してか、優秀な人材は他の業種に移行し、新聞記者になるのは、出来損ないのコネ入社か、昔と比べて二流、三流の人材しか集まらなくなったようです。そうなれば、当然、記事も劣化するはずですなあ。。。

(3)の反感は、勿論、誤報問題が影響しているでしょうが、特に朝日新聞の記者は傲慢で、マンションの理事会に出ないで自己主張するとか、周辺住民の受けが悪く、その反発から購読をやめてしまう人がいるということで、私もそういう話は耳にしたことがあります。当然、その記者にはCS(顧客満足度)感覚などなく、危機意識は全くゼロです。

新聞衰退の危機に対して、畑尾氏は、色々と対策や打開策を提案していますが、果たして功を奏するか疑問ですね。

事情を知らない若い人は、別にネットニュースを見れば十分という人が多いですが、信頼できるネットニュースは、元をただせば、新聞社や通信社のニュース。「源流」のここが崩壊すると、時の権力者に都合のいいニュースか、ニュースに見せかけた企業のコマーシャルか、素人が噂を発信した裏付けのないフェイクニュースばかりになってしまうでしょう。

新聞社の本来が持つ権力を監視する機関が減れば、不都合な真実は隠され、まわりまわって、庶民に不利益が蒙ることになるわけです。

まあ、そういう世界を危機意識のない無学の市民が望めば、確実にそうなるはずです。

最近のクオリティーペイパーと自負する新聞も、広告の品質がかなり落ちてきました。昔なら絶対にオミットしていたサラ金まがいの広告や、福田財務事務次官(58)が泣いて大喜びしそうな恥ずかしい精力剤の広告が堂々と載るような末期症状です。

新聞社崩壊は、著者の予想より早く来てしまうのかもしれません。

官僚の劣化から山種美術館・富士見中・高校まで

国宝犬山城

今ほど、「記憶にない」を連発する霞ヶ関官僚の「劣化」が叫ばれる時代は珍しいかもしれません。

始まりは昨年からの「森友・加計学園事件」でした。自分の出世と、論功行賞が欲しいものですから、「忖度」したり、「首相のご意向」と印籠をかざしたり、はたまた、若い女性記者に言語道断のセクハラ行為をしたり、まさにやりたい放題です。

何でこんな露骨な不祥事を超優秀な官僚諸君が、白昼堂々と行うことになったのかー。その原因は、2014年5月に設置された内閣人事局だ、と再三再四、この《渓流斎日乗》で書いてきました。国家公務員のトップの人事を全て内閣が権限を持って仕切ることができてしまったおかげで、野心のある公務員は、国民を見ずに、内閣トップの総理大臣の顔色見ながら仕事をするようになったからです。

この内閣人事局は、内閣官房の部局の一つですから、内閣官房についてよく分かっていないといけないのですが、私自身はよく知りませんでした。物の本には、内閣官房は、関東大震災後の大正13年(1924年)に設立された、とあります。

内閣官房のトップである官房長官は「総理の女房役」と言われ、毎日何かあれば、見たくもないのに、政権を代表してスポークスマンとして記者会見して見解を公にするので、誰でも顔と名前ぐらいご存知でしょうが、事務方のトップである内閣官房副長官は、戦前の内務省の事務次官経験者が任命されてきたことは意外と知らないでしょう。

莫大な権限を有していた内務省は、戦後、GHQによって解体されて、警察庁、自治省、郵政省、運輸省、厚生省、労働省などに分割されましたから、戦後はその流れをくむ事務次官経験者が内閣官房副長官を任証官として務めてきました。

欅(埼玉県所沢市)

で、もう一つ、内閣総理大臣秘書官なるポストがあります。米国の大統領補佐官みたいなもんでしょうか。今、その首席秘書官のポストについているのが、元経産省官僚の今井尚哉(たかや)氏で、その勢いは飛ぶ鳥を落とすほどで、「影の総理」と呼ばれているそうです。

この今井氏は、あの佐川元国税庁長官、破廉恥福田元財務事務次官と同年の1982年入省組といいますから、今、この年代が天下を取って、世の中を仕切っていることが分かります。

この方が、凄いのは、伯父に、元通産省事務次官の故今井善衛(ぜんえい)、叔父に新日鉄(新日鉄住金)会長、経団連会長を歴任した今井敬(たかし)氏(善衛氏の実弟)とバックに2人も有力者がいたことです。

ちなみに、今井善衛(1913~96)は、府立一中~一高~東京帝大法学部と誠に綺麗なエリートコースから1937年に商工省に入省し、安倍首相の祖父岸信介が商工次官、商工大臣を務めた時に、直属の部下として仕えたことから、安倍首相は、善衛の甥に当たる尚哉氏に親近感を覚えて総理秘書官に抜擢したと言われてます。

また、尚哉氏が入省した時の通産大臣が安倍首相の父晋太郎だったことで、なお一層の絆が深まったようです。

この「影の総理」今井尚哉氏が、経産省の後輩で、「首相のご意向」問題で、証人喚問せよと糾弾されている柳瀬元秘書官(現経産省審議官)に対して強圧的な態度を取っていると週刊誌に書かれています。

なお、先程の元通産事務次官今井善衛は、城山三郎の「官僚たちの夏」のモデルにもなっていたんですね。善衛の妻は山種証券の創業者会長山崎種二の長女繁子です。退官後は、天下りして日石化学の社長になりました。

上州の片田舎の高等小学校を卒業して裸一貫で丁稚奉公から成り上がった山崎種二は、二・二六事件の前に株を大量に売却して、巨万の富を築き、「売りの山種」という評判を世に知らしめました。

巨万の富は、速水御舟の「炎舞」(重要文化財)など、日本の近代絵画のコレクションを網羅した山種美術館の設立と、東京都練馬区の富士見中・高校の買収(山崎学園)などに使い社会還元しました。

福田財務次官盛衰記

仁和寺のみほとけ

位官極めた大臣君(おとどぎみ)の中には、極めて特殊な趣味趣向をお持ちの方が多いようです。

平気で嘘をつくことが大好きで、手を縛ってとか、縛りたいとか、常人にはとても理解を越える言動が口からポンポン飛び出します。

今、同時進行形で進んでいる「狂言 与話情福田横櫛(よわなさけふくだのよこぐし)」は、守田座、春木座、新富座と江戸市中で同時にかかり、何処の芝居小屋も満員御礼の札止めとか聞いております。

58歳の酒色家として市中に名を馳せる老中首座福田財務守(湘南高校〜東大法卒。佐川前幕税守とは1982年入省の同期)は、桜田門の井伊藩邸で、老中首座の地位を辞任する旨を昨晩、酉刻に発表しましたが、あくまでも「幕政が混乱して、業務遂行が困難になったため」という理由で、出入りの業者の瓦版女くノ一への迷惑行為については、「記憶にございません」と否定しました。同時に、南町奉行所の大岡越前守に訴えると息巻きました。

ところが、未明の子刻になって、勧進元の電気紙芝居「旭」の瓦版局長が、緊急記者会見をしまして、「迷惑行為を受けたのは、弊社の社員」だと発表しました。

こりゃ、てーへんだ、ということで、頼母子講仲間が翌朝、福田財務守の目黒の自邸にまで押し掛けて、認否確認に馳せ参じましたが、福田財務守は、駕籠に乗り込む前に「俺はやってない。南町奉行所で会おう」と大声で怒鳴って、執務室のある霞ケ関に向かいました。

というのが、たった今の時点での、物語の展開ですが、これから先どうなるのか、ハラハラドキドキ、どんな偉い脚本家も小説家も想像もつかない話で、こりゃ、江戸市中の庶民も皆注目し、電気紙芝居に釘付けになるはずです。

権力を持った人間による迷惑行為は、古今東西、千差万別、種々雑多、とにかく色々起きたものです。電気紙芝居の時代から手の平サイズの情報網時代になっても、内実、真相はそう大したことは変わらず、最後は「驕れる者は久しからず」というオチで終わるのではないでしょうか。

そうでなきゃ、江戸庶民は納得しませんよ、ねえ、銭形の旦那。

「反動ナショナリスト」の批判にお応えして

こういうことを書くと、必ず「差別主義者」だの「反動ナショナリスト」だのと大反発を喰らって、「炎上」するのが関の山なのかもしれませんが、もう黙ってられません。

最近、公共交通機関、というか電車やバスとはっきり書けばいいんですが、そんな密室やオープンな公道で、とても不愉快な思いをしてます。

外国人の傍若無人な振る舞いに対してです。

列に割り込んだり、車中で大声で携帯で何分も話し込んだり、タブレットで、イアホンをせずに本国語の番組を見てたり、とにかくうるさい。

職場が銀座なのですが、観光客が1年中たむろするようになり、中には公道の縁石で集団で座り込んだりして通行の邪魔になります。また、韓国人の若者4人が横になって歩道を塞ぐように歩いてくるので、日本人の私の方が遠慮して、路肩に身を寄せます。

多分、この1年でこのような不愉快な場面が増えたと思います。先日は、中国語で、我が物顔で右翼の街宣車のような車が銀座の目抜き通りを走ってました。中国語ですよ。一体誰に聞かせようとしてるんでしょう?

日本人は言葉が分からないから同国人に対してでしょう。街宣車で聞かせるほど、銀座は中国人が多いということなんでしょうけど、ここは日本か?しかも、東京を、世界を代表する超一等地なのにと腹が立ってきました。

いくら日本人だって、北京の中心部に街宣車を走らせたりしないでしょう。

銀座「鬼太郎」ランチにぎり 972円

13億人の人口を誇る中国人は、以前は、長い休暇の2月の春節や10月の国慶節になると多く見かけたのに、今では1年中です。365日です。

先日は、中国語をしゃべる若い母親から混んだ通勤電車内で乳母車ごと突進され、こちらにぶつかっているのに平気のへいでした。中国人の友人らしき女と話に夢中になっていましたが、赤ん坊がいるということは、日本に永住していることか?

中国の人は、大抵は声がでか過ぎるので目立ちます。普段は13億人にもみくちゃにされ、生存競争が厳しいせいか、傍若無人というより、はっきり言って図々しい。

日本人同士でもこれだけ憎みあって、理解し合えないのに、まして言葉が通じない連中となるとまさにお手上げです。自分が現役のビジネスマンだったら苦労するだろうなあと思いました。批判されるでしょうが、旧世代として生まれてよかった。今自分が若者で、これから彼らと勝負しなければならないと思うとうんざりします。

何しろ、電車内を眺めると、将来を担うほとんどの日本人の若者は、車内で、スマホのゲームをしています。片や、中国人、ベトナム人、韓国人、フィリピン人、ネパール人、マレーシア人、インドネシア人…は生きるのに必死です。労働時間以外は、寸暇を惜しんで勉強しています。

これじゃ、若い日本人は負けます。これは、確信を持って言えます。それなのに、日本人に全く危機感はありません。

夕刊を見ていたら、五木寛之氏の新刊の広告が掲載されてました。タイトルは「マサカの時代」(新潮新書)。宣伝文句は「常識もルールも通用しない時代を生き抜くヒント!」と書かれてます。

読んでみようかしら?(笑)

友が皆 我より偉く見ゆる日よ

墨俣一夜城

最近、年のせいか、かつての知人、友人が知らないうちに、ど偉く(ドエリャーと読みます)なっていて驚くことがあります。

私の場合、高校の同級生の木本君が、天下の高島屋百貨店の社長さんになっていたと聞いたときは、腰を抜かしました。

そんな時、

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

という歌が、教養があるもんですから(笑)、つい、ふと、頭に浮かんできました。

石川啄木(1886~1912)のあまりにも有名な短歌です。

色んな解釈があるようですが、啄木さんは空想ではなく、実際にあった、感じたことを描いたことでしょう。となると、この「友」とは一体誰なのか、昔、気になって調べたことがありました。

その一人が及川古志郎(1883~1958)でした。

銀座「わのわ」 しょうが焼き定食850円

当時は、近現代史や昭和史をそれほど勉強していなかったので、あまりピンと来なかったのですが、海軍大将、海軍大臣にまで上り詰めた軍人です。

啄木の旧制盛岡中学時代の3年先輩に当たります。戦史に欠かせない大変な人です。(啄木は1886年2月の早生まれで、盛岡中には1898年入学、及川は1883年2月の早生まれ)

及川は軍人ですが、もともと文学少年で、多くの短歌や長詩を文芸誌に投稿し、同期の金田一京助(1882~1971)や野村長一(1882~1963)らと文学サロンめいたことをやっていて、啄木も参加していたようです。

金田一京助は、有名なアイヌ語研究などで知られる言語学者で、啄木はかなり迷惑をかけていたようです。京助の子息で同じく言語学者の金田一春彦は、思い出エッセイの中で、「啄木はよく借金を踏み倒すので、父は啄木のことを『石川五右衛門の子孫じゃないかな』と冗談で言っていた」といったようなことを書いてましたね。

野村長一は、「銭形平次」で知られる作家野村胡堂のことです。盛岡中から第一高等学校~東京帝大を卒業し、報知新聞の政治記者になりました。

彼ら以外に啄木の同期に満州事変を起こした板垣征四郎(1885~1948)がおります。啄木は明治45年に26歳の若さで病死してますから、同級生だったなんて想像もつきませんでしたね。陸軍大将に登りつめた板垣征四郎は戦後、A級戦犯として逮捕され、東京裁判により処刑されてます。享年63。

また、4年先輩には、海軍大将で首相まで務めた米内光政(1880~1948)がおりました。米内は盛岡南部藩士の子息です。

南部藩は、戊辰戦争の「負け組」で、明治革命政権の下では冷や飯を食わされた側でしたが、中にはこうして実力と能力と努力で登りつめた人がいたわけです。

とはいえ、盛岡中(現盛岡第一高校)卒業生の中で、最も知られている有名な人物は詩人・童話作家の宮沢賢治(1896~1933)かもしれませんね。

賢治は、啄木の11年後輩に当たります。久しぶりに彼の作品を読みたくなりました。