スペイン堪能記

ついにガウディのサグラダファミリア教会と御対面

グラナダ・アルハンブラ宮殿(高校時代の世界史の教科書で見たことがある景色を撮ってみました)宮殿は、イスラム教徒がイベリア半島から追われ、標高700メートルの高台につくりました。▽名門グラナダ大学は学生6万人、教職員700人。

2018年9月11日(火)から18日(火)まで、初めてスペインに旅行に行って参りました。

機内泊を含めて7泊8日の旅でしたが、移動日が2日で実質6日間の旅でした。特に、行きは、経由先のヘルシンキ空港で7時間もトランジットで待たされ、結局、成田空港からスペインのマラガ空港まで21時間も掛かり、ヘトヘト。時差ボケと睡眠不足で前半は絶不調で、4日目からやっと馴化して旅行を楽しむことができました。

ミハス(ホテルの部屋からの眺め)

回った都市は、ピカソの生誕地である南部マラガから北上して宿泊先の白い建物で有名なミハス(アンダルシア)、イスラム統治最後のアルハンブラ宮殿があるグラナダ(柘榴という意味=アンダルシア)、イスラム支配最盛期のコルドバ(アンダルシア)、風車のあるラ・マンチャ地方のコンスエグラ、エル・グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」が残るサント・トメ教会のある中世からの都市トレド(カスティーリャ・ラ・マンチャ)、首都マドリード、近郊にゴヤの出身地があるサラゴサ(旧アラゴン王国の首都)、そしてスペイン第2の都市バルセロナ(カタルーニャ)の9都市でした。

世界遺産 コルドバ

メニューが盛りだくさんでした。1492年にカトリック教国スペインとして独立(レコンキスタ=再征服)するまで800年間もイスラム教国の統治下にあったため、アラブの文化遺産が色濃く残り、まず、一口では語られません。

写真も400枚以上撮影してきましたが、さすがに、一度に全部掲載できませんね(笑)。でも、アルハンブラ宮殿にしろ、サグラダファミリア教会にしろ、プラダ美術館のベラスケスにしろ、今まで歴史や美術の教科書や写真集などでしか見たことがなかったものを直接、間近に見ることができ、とても至福な時間を過ごすことができました。現地に行かなくては見られませんからね。(3万点以上収蔵するプラダ美術館にあるベラスケスの傑作「ラス・メニーナス」は、この1点だけは門外不出のため、ここに来なければ本物に会えません!)思い切って、無理して(笑)行ってよかったと思いました。

日頃の心掛けがいいのか(笑)、全日、好天に恵まれ、治安の悪い大都市でも盗難の被害に遭わず、何と言っても添乗員Nさんと現地ガイド(多くが日本人女性)さんがとても優秀で、こちらも多くの知識と情報を得ることができました。それに、「人様とのつながり」のお蔭で、マドリードでは、京洛先生の京都の友人の加藤画伯の御令室と初めてお会いすることができ、わずか3時間でしたが、色んなお話を伺うことができました。加藤御令室には、ツアーのコースに入っていなかったピカソの名作「ゲルニカ」のあるソフア王妃芸術センターにまで連れて行ってもらった上、マドリードの御自宅マンションで、サラダとイカスミ・ライスまで御馳走になってしまい、本当に「人様とのつながり」の有難みを感じました。

コルドバ・メスキータ(大聖堂)▽古代はフェニキアやローマ帝国の神殿があった後に、6世紀ごろから西ゴート時代のキリスト教教会が建てられ、8世紀からイスラム支配の下、モスクに。聖堂内で2万人、戸外を入れると4万人以上が礼拝したとか。1236年からカトリック教会となりましたので、複層した色んな宗教が混在した不思議な空間でした。

実は、正直のところ、今回旅行するまで、スペインは、あまり好きではありませんでした。むしろ、嫌いでした。なぜなら、スペインは大航海時代の16世紀、インカ帝国やアステカ帝国を滅ぼして、中南米を植民地にした国だからです。(おかげで、スペイン語は世界22カ国、4億人が使っているそうです)

しかし、現地スペインに行って、少し考え方が変わりました。

スペインは年間750万トンもオリーブを生産し、世界最大のオリーブ油の輸出国だったんですね。ですから、バスで通過する道路わきの畑は、オリーブばかり植えられていました。ところが、南部アンダルシア地方からラ・マンチャ地方、そしてマドリード辺りまでの一部というか、ほとんどの地域で、植物が生えない、荒れ地というか、赤土の荒野が広がっていて人家も緑も一切なく、「大丈夫なのかなあ」と心配してしまいました。

何で、こんな荒野になってしまったのかというと、イスラム教徒がキリスト教徒に追われて逃げる際に、人家や畑を焼き払ってしまったからという説があります。でも、それは一部にせよ、あまりにも広大なので、ありえないでしょう。

もう一つの説は、イベリア半島は大森林で覆われていましたが、木材を燃料や船舶などの用途で多くの樹木を伐採したからというものです。(特に、レパント沖の海戦で、フェリペ2世が軍艦を建造する際に大量の森林を伐採した)これも、再植林すれば森林は復活するでしょうが、一度伐採してしまったら、もう緑は復活しないということなんでしょうか。これもよく分かりません。

先程、スペイン人は中南米を征服したので、個人的にスペインは嫌いだったと書きましたが、1521年に今のメキシコを征服したコルテスも、1533年に今のペルー辺りを征服したピサロも、二人とも、そんな作物がならない荒れ地が多い、ポルトガル国境に近いイクストレマドゥーラ地方出身だったというのです。

ここで、誤解を恐れずに言えば、私なんか「コルテスもピサロもまるで満蒙開拓団みたいだったんだなあ」と思ってしまったわけです。これも語弊があるかもしれませんが、戦時中に、大陸の満洲などに植民した人たちは日本国内に自分の土地を持たない小作人か、作物があまり実らない貧しい農民でした。どこの国でも、裕福な農民、つまり肥沃な(スペイン語でベガ。ラスベカスは肥沃な土地という意味)大地を持つ地主は国外に出る必要がありませんからね。

ということは、原住民を虐殺して征服したコルテスもピサロに同情の余地はありませんが、生まれ故郷が荒れ地だったことが、子どもの時から海外に出たいと思うようになったきっかけになったのではないか、と想像しました。

しかも、自分たちが生まれる前に、自分たちの領土が800年間も異教徒によって支配、征服されていたという歴史的事実を代々、親たちから聞かされて育てば、現代人が非難するような「征服」や「弱肉強食」の世界に、彼らは矛盾を感じなかったのかもしれません。

そう思うと、スペイン人も同じ人間で、何となく、共感はできなくても、偉そうにも(笑)、「分からないわけではない」という考え方に変わったわけです。

ラ・マンチャ コンスエグラ(ドン・キホーテの恰好をしたバイトさんもいました)

となると、旅行に行く前に避けていたスペイン文化を再認識しなければなりません。

私はジレッタントですから、今まで読んでいなかったセルバンテスの古典的名作「ドン・キホーテ」を読まなければなりませんね。「ドン・キホーテ」は、読んでいない私ですら荒すじを知っているぐらいの世界的な大ベストセラーなのですが、セルバンテス自身は、牢獄につながれたり、家族を亡くしたり、おまけに本が売れても著作権登録していなかったため、一銭も印税が入らず、極貧で亡くなった、という波乱万丈の生涯を送ったそうですから。

小説の中のドン・キホーテは、最後は気が触れたように、風車に向かって立ち向かっていくという話で終わりますが、この風車は、オランダの象徴として捉え、当時、スペイン支配下にあったオランダが近いうちに独立することを示唆したものだ、という説があるそうです。

トレド(世界遺産)1972年に奈良と姉妹都市を締結

とにかく、スペインは世界遺産だらけです。昨年は世界から約8000万人の観光客が訪れ、スペインは、フランスに次ぎ世界第2位の観光立国です。

当然、観光が主要産業になっていますが、現在のスペインが抱える最大の問題は、失業問題だと言われます。

2008年、リーマン・ショックを引き金に、不動産と株バブルがはじけて、多くの失業者を産み、2017年になっても失業率は18.1%と欧州2位。ただし、25歳以下の若者に限定すると40%にも上るそうです。そのため、優秀な人材は、ドイツやフランスなど国外にどんどん「頭脳流出」してしまうとか。

ガイドさんの説明では、職が見つからないため、30歳未満の8割もが両親と同居しているそうです。

当然、結婚もできない。そして、驚くべきことに、スペイン人の離婚率は50%だというのです。これは、正式に婚姻届を提出したカップルの数字で、それ以外を含めるとかなりの数字になるそうですから、異様です。

確か、カトリックの国はそう易々と離婚できなかったはずですけど…。

マドリード スペイン広場 ドン・キホーテ像

一方、マドリードに1971年以来半世紀近く在住している加藤画伯の御令室によると、この1~2年は、スペインは景気が良くなったのか、不動産は2倍近くも上昇したというのです。ただし、富裕層が投資のために購入しているようですが。

今回の旅行で、荒れ地ばかり見てきたのですが、南部の地中海沿いのムルシア地方は一大農業地帯で、諸外国に輸出するほどオレンジやトマトなど野菜を多く栽培しているそうです。アンダルシア地方にはまだ貴族がいて、大地主でもあるそうです。独裁政権を敷いてきたフランコ死去後、スペインは王政復古しましたからね。

加藤画伯の御令室も「スペインは、日本より裕福じゃないでしょうか」と独り言のように呟きました。

ただ、政治面では6月に、汚職が蔓延する右派政権が倒れて、左派連合のサンチェス氏が首相に任命されましたが、連立政権のため、独立機運が高まっているカタルーニャやバスク選出の議員の要求も聞き入れなくてはならず、また、彼らに大臣ポストも用意しなければならなかったので、サンチェス政権も多難な船出なんだそうです。

スペインには、大きく四つの言語と「民族」(顔つきや背格好が少し違う)があるそうで、特に、カタルーニャ地方のバルセロナは、日本のニュースでもよく登場しますが、独立運動デモが頻繁に行われているようです。勿論、首都マドリードの住民は、彼らの勝手な行動には眉をひそめているわけです。

こういった話は現地に行かなければ分かりませんね。

マドリード プラド美術館前にあるゴヤ像(この像の前で、加藤画伯の御令室と待ち合わせをしました)

ちょっと、堅い話になったので、少し外れて、閑話休題。

スペイン到着して始めの頃に訪問したミハスを散策していたら、「Taberna」と書かれたお店を何軒か見かけました。何?食べるな???

実は「タベルナ」は、「バル」と呼ばれる大衆居酒屋と、ほんの少し高級な「レストラン」の中間に当たる食堂で、アンティークな調度品でバルより少し高級感があるそうです。あ、そうか、英語のtavern(居酒屋)なんですね。フランスはでは、ビストロに当たることでしょう。

ちなみに「バカ」はスペイン語で「牛」のこと。「アホ」は「ニンニク」のことなんだそうです。

となると、「バカ・タベルナ」は「牛肉食堂」、「アホ・タベルナ」は「ニンニク食堂」のことですか…(笑)。

あと、面白かったのは、鶏の鳴き声。日本では「コケコッコー」ですが、スペインでは「キッキリキー」ですって。笑っちゃいました。

サラゴサ(近郊のフエンデトドスがゴヤの出身地)

ここで、スペイン人の一般的な生活をー。

スペインは日本の国土の1.3倍ありますが、人口はその3分の1程度の4600万人で、首都マドリードにはその10分の1の460万人が居住しています。

緯度は青森県ぐらいで、日の出が午前7時半ぐらいと遅いのでいつまでも薄暗く、日没は午後8時半ごろなので、夜はいつまでも明るい。当然、食事の時間が日本とはズレて、ランチは14時から16時まで、夜食は20時から22時が普通だとか。

熱心なカトリック国なので、日曜日は安息日で、商店のほとんどが休業。とはいえ、インド系や華僑の店舗は開店し、以前はケーキ屋さんだけが安息日の開店を許可されていましたが、ケーキ屋さんでもパンが売られていたことから、パン協同組合からの抗議もあり、パン屋さんも午前中だけなら、ここ3年ぐらい前から、安息日でも営業できるようになったそうです。

バルセロナ ガウディ作 サグラダファミリア教会 1882年に着工し、130年以上経過しても、まだ未完成(教会はいつ完成するか正式発表せず)。福岡市出身の彫刻家外尾悦郎氏の作品が、上記写真の下部に見えます。

あと、バルセロナの優秀なガイドTさんから聞いた話によると、信号を無視して歩行者が横断歩道を渡ったりして、警察に見つかると、事情を知らない外国人でも、即、100ユーロ(1万3000円)ぐらいの罰金を取られるそうです。

警察を至近距離から撮影したりしても、罰金。ほかに、可愛いからといって、子どもや赤ちゃんを親の許可なく撮影すると、裁判沙汰か、罰金になるそうです。これは、今のネット社会で、親が知らないうちに、自分の子どもの写真が掲載される危険を防ぐためなんだそうです。

そう言えば、スペイン人といえば、ラテン系なので、時間にルーズで、結構いい加減だという悪いイメージがあったのですが、かなり厳格でした。

全行程バス移動だったため、鉄道に乗ったわけではないのですが、アルハンブラ宮殿もプラダ美術館もサグラダファミリア教会なども、事前予約の時間制限があり、例えば、「午後2時入場」でしたら、その時間が来るまで、決して、ゲートを開けてくれないのです。

アルハンブラ宮殿の事前予約「入場券」なんか、QRコード付きのペーパーで、何と私の名前まで明記されておりました。

また、宣伝広告も厳しい規制があり、高速道路沿線は広告掲示板が禁止されていました。どこもかしこもコマーシャルだらけの日本とは大違いです。

バルセロナでフラメンコ鑑賞(本場は全く違いましたね。迫力満点。後ろに義太夫のような歌い手二人と、ギター二人、打楽器1人とバイオリン一人で、ダンサーが躍る。人形浄瑠璃ではなく、人間浄瑠璃のようでしたねえ)

随分、長く書きましたが、これでも、全体にあったことの10分の1も書いてません(笑)。

これまで書き忘れたことで、どうしても、書き残したい話は、またまたバルセロナのガイドのTさんから聞いた話です。何と、スペインでは、医療費(歯医者は除く)は無料なんだそうです。ただし、待ち時間が長く、インフルエンザで、待合室で亡くなった人もいたそうです。

病室は2人部屋が一般的ですが、盲腸など簡単な手術は、入院は1泊で追い出され、白内障の手術を受けるのに3年も待たされるとか。

もちろん、緊急の救急患者は優先されますが、どうしても早めに治療、手術したい場合は、個人的に保険に入る必要があるそうです。

レストランでは、水(Agua=アグア)が、ビール(cerveza=セルベッサ)と同じ値段(2.50~3.00ユーロ)か、少し高かった時は驚きでした。

スペイン料理は、パエリア(Paella=パエージャ)ぐらいしか知りませんでしたが、冷製野菜スープのガスパッチョ、小さく切ったパンの上に色んな食材を載せたタパスやピチョンも美味しかったです。

プラド美術館ではゴヤの作品にはかなり感動しましたので、これから時間を見つけて、未読の名作、堀田善衛著「ゴヤ」全4巻と、スペイン内戦を描いたジョージ・オーウエルの「カタロニア賛歌」にいつか挑戦してみようかと思っています。

ここまで読んで頂き、グラシアス

もう印刷新聞は終わってしまうのか?

奈良・興福寺

あれっ!?

はい、10日(月)は、渓流斎、一応まだ日本におります(笑)。

◇◇◇

会社の先輩も執筆陣の一人として加わった早稲田大学メディア研究所編「『ニュース』は生き残るか」(一藝社・2018年6月初版)を読了しましたので、旅行に出発する前に取り上げておきます。ジャーナリストらが執筆しながら、学術書のせいなのか非常に文章も堅くて読み易くないのですが、最後まで読み通しました。これでも、40年間近く、新聞通信業界ではお世話になってきましたから。

タイトルの「ニュースは生き残るか」というのは少し変で、どんな時代になろうが、ほぼ未来永劫、ニュースはなくなることはないでしょう。しかし、これが、新聞となると、暗澹たる気持ちで、「今の形態ならほぼ難しい」という答えしかありませんね。確実に主流の花形産業からどん底に落ちつつあることは誰でも否定できないでしょう。

新聞協会の調べによると、2017年の新聞購読数は、4212万部で、10年間で1000万部も大幅に減少したといいます。先細りというより、ジェットコースーターで真っ逆さまに落ちるような感じです。

同書では、5年おきに実施されるNHKの国民生活時間調査が引用されております。その最新調査の2015年の新聞読者について、10代後半は5%、20代6%、30代は11%、40代が22%しか新聞を読んでいないというのです。50代になると39%、60代になってやっと半数以上の55%、70歳以上が59%という数字です。
今、働き盛りで幹部クラスの50代の人が10年前の40代だった時は45%、20年前の30代の際は53%読んでいたといいますから、急転直下のような減少率です。

これは、もう3年前の調査ですから、今はもっと酷いことでしょう。こんな数字を見せつけられれば、希望を持てるわけがありませんね。

そもそも、新聞社が、ヤフーやグーグルなどのネットのプラットフォームに割安でニュースを提供したため、「ニュースはただ」という印象を、特に若い読者に植え付けてしまったのが失敗でした。プラットフォームの会社はニュースを取材編集するわけではなく、格安で新聞社からニュースを提供してもらって、それを看板に、「客」を呼び込んで商売に結び付けているため、「ただ乗り」論すら出てきましたが、プラットフォーム側は「そんなの冗談じゃない」と水掛け論になってますから、この溝は永久に埋まらないことでしょう。

今、北海道地震で、厚真町の情報だけが集中して、他に被災した町村の情報が入ってこないのは、そんな「一次情報」を取材する新聞社・通信社の人員と経費が足りないからなのです。こういった新聞社の人的、資源的「劣化」はますます進み、将来、官製発表のみで、だんだん真の情報が伝わってこない状況になることでしょう。

◇◇◇

この本で興味深かったことは、「ウォール・ストリート・ジャーナル」などほんの一部経済専門紙だけが、ネットの有料化に成功しましたが、他は日本を含めて惨憺たるものだということです。そんな中で、カナダのある地方新聞が、「ニュース報道に課金は難しい」と有料化をスッパリ諦めて、無料で記事を提供して大成功した例を挙げておりました。

それは、「グルメ王」の辻下氏がお住まいになっているカナダの中でも、フランス語が公用語になっているケベック州モントリオール最大の「ラ・プレス」という地方紙です。2013年に、社運を懸けて、リサーチや製作などに3年間の歳月と4000万カナダドル(約35億円!)を掛けて、ダブレット用のアプリを開発したのでした。

ホームページに、速報機能は付いていますが、印刷媒体のように、毎朝5時半に1日1回のみ更新するだけです。深く取材した長い読み物と高画質の写真と動画を見てもらうというコンセプトで、16年には27万3000人のユーザーを獲得し、広告収入にも目途がついたことから、17年末で新聞印刷を終了して、完全デジタル化したというのです。

1日分を自動ダウンロードすれば、その後通信費が発生せず、いくらでも読めるので、1日の平均読書時間が平日では40分、土曜日は52分にも上ったというのです。

◇◇◇

一方、今の日本の新聞社の50歳代~60歳代の経営幹部では、打開策を講じるのは難しいのではないでしょうか。本業以外の不動産業等で逃げようとしているからです。今の若者が中高年になった時点で、100人に5人しか新聞を読んでいなければ採算なんか取れるわけがありません。

思い切って、結託して(笑)、ネットのプラットフォームにニュース提供を止めるとか、カナダの地方紙のように、30億円も50億円もかけて、アプリを開発する大英断をするかしかないのかもしれません。

せめて、座して何とかを待つようなことはしてほしくないです。

◇◇◇

ちなみに、人口が日本の約半分の6690万人のフランスは、新聞購読数は全土でわずか600万部。フランスを代表する有力紙ル・モンドやル・フィガロでさえ30万部前後ですから、そう悲観することはないという識者もおります。でも、フランスは日本以上の超エリート主義の格差社会ですからね。

となると、新聞が生き残れるとしたら、地方紙でしょうか。特に、ネット上に掲載されないような地元の人事情報はキラーコンテンツです。冠婚葬祭情報も必須です。叙位叙勲や、司法試験、医師、歯科医国家試験合格者情報も必要です。ついでに、日展や院展の入賞者や地元しか開催しない小さな催し情報など微に入り細に入り紹介することでしょうかね。

これは、日本は「お付き合い」のムラ社会だから、というのが前提です。しかし、地方でも隣同士の交流・交際が減ってきたといいますから、結局のところ、あまり効果がなくなっていくかもしれません。

何とも、大変なアポリアです。

いざ、西班牙へ=単なる個人的なお知らせ

単なる個人的なお知らせですが、明後日11日(火)から18日(火)まで、西班牙に旅行に行って参ります。その間、向こうのWi-Fi事情にもよりますが、恐らく、この《渓流斎日乗》も休載させて頂くかもしれません。

宜しくお願い奉ります。日頃、「スマホ中毒」でしたから、これを機会に少しは中毒症状が治まるのではないかと期待しております。

西班牙は、スリや強盗が多い(友人知人に被害に遭った人を多く聞きます)ので、「おひとりさま」で団体ツアーに申し込みました。日本の地元みたいにチンピラに絡まれないよう、なるべく目立たないよう、大人しく、カメレオンのようにその土地の風景に溶け込むつもりです(笑)。

以前にもこのブログに、チラっと書きましたが、そもそも西班牙旅行を思い立ったのは、今春読んだダン・ブラウンの小説「オリジン」を読み、舞台になったバルセロナのガウディ作サグラダファミリア教会を、死ぬ前に一度見てみたいと思ったからでした。1882年に建設を開始し、130年経った現在でもまだ未完成だというんですからね。卒倒しそうです。今回、中にも少し入れそうなので大いに期待しております。

美術・芸術鑑賞も玄人はだし(笑)の趣味ですから、マドリードのプラダ美術館も楽しみです。ベラスケスの「ラス・メニーナス」、ゴヤの「着衣のマハ」ともう一つ(笑)などスペイン黄金時代の秀作や、プラダ美術館近くにある国立ソフィア王妃芸術センター内にあるピカソの歴史的意欲作「ゲルニカ」などの「ほんまもん」を間近に見ることを特に楽しみにしております。

西班牙は1492年のレコンキスタ完成まで、800年間もイスラム教国だったため、アルハンブラ宮殿なども大いに見る価値があることでしょう。

大航海時代、スペインは中南米のインカ帝国やアステカ帝国を滅亡させるなど権勢をふるっていたのですが、1588年の無敵艦隊アルマダが新興国英国に敗れて制海権を失い、急速に国力も衰退します。

近現代に入って、バスク地方やカタルーニャ地方の独立運動や、現在ではトルコリラ急落に伴い、トルコに貸し付けていたスペインの銀行不安など諸問題が山積しているようです。

単なる美術・建築鑑賞の旅行者には、何もスペイン国内の複雑な諸問題に触れる機会はないでしょうが、同時代人として同じ空気を吸ってきたいと思っております。

以上、北海道での震度7の大地震や台風21号などによる天災被害などがありながら、個人的なことを長々と書いてしまった不届き者の独り言でした。

元号について知識が増えました

所功、久礼旦雄、吉野健一共著「元号 年号から読み解く日本史」(文春新書)は、大変読み応えありました。

僭越ながら、それほど易易と読み飛ばすことができないでしょう。中級から上級読者向けです。まず、「薬子の乱」や「承久の変」といった歴史上の出来事の年代や天皇や藤原氏の系図が頭に入っていないとスラスラ読めないはずです。

私がこの本の中で興味深かったことを2~3点挙げますと、日本の元号は、本来、朝廷内で難陳され、天皇が最終的に裁可して改元されていましたが、やはり、時代を経て、時の最高権力者が元号を決定していたことがあったことでした。平安時代の藤原道長が自邸で、改元を決定していたことはさほど驚きませんが、例えば、織田信長は「天正」、豊臣秀吉は「文禄」「慶長」、徳川家康は「元和」の改元に意見を申し入れたか、直接、選定していたというのです。

もう一つは、年号の読み方については、特に朝廷や幕府から伝達されていなかったということです。改元を伝える「お触れ」などには、一部の地域では、読み方を「ルビ」として記載した例もありましたが、ほとんど各地に任されていたというのです。例えば「慶長」は「けいちょう」か、「きょうちょう」か、「宝暦」は「ほうれき」か「ほうりゃく」かなど、当時の史料でも読み方が一定していないというのです。

「へー」ですよ。日本語の漢字の読み方は「呉音」読みから「漢音」読みまで色々ありますから、日本語は難しい。ま、そこがいい所かもしれませんが(笑)。

現代人は、元号というのは、「一人の天皇陛下に一つ」、つまり、「一世一元」が当たり前だと思いがちですが、それは、明治以降の話であって、それ以前は天皇一代の間に何度も改元が行われてきました。おめでたい「祥瑞」(吉兆)が出現(例えば、白い雉とか)した時とか、都に疫病や天災、戦災に遭った時とか、60年に一度回ってくる「辛酉」(中国では革命が起きると言われた)や「甲子」(革令)の年に、改元したわけです。

幕末の孝明天皇朝(在位20年弱)は、「嘉永」から「慶応」まで6回も改元され、途中の「万延」と「元治」は1年しか続きませんでした。

江戸幕府や大名のお抱え儒学者、例えば、著名な林羅山や藤田東湖、それに山崎闇斎や新井白石らもかなり、改元に際して意見を申し入れていたことも、この本で初めて知りました。

「明治」は、15歳の天皇が「御籤を抽き聖択」、つまり、候補の中からクジを引いて決められたということで、これも驚き。

今では、本家本元の中国は、元号を廃止して西暦を使っていますから、元号は「日本的な、あまりにも日本的な」ものになっています。「日本書紀」の記述から初代神武天皇が紀元前660年に即位し、その年を紀元1年とすると、天保11年(1840年)は皇紀2500年に当たり、当時の知識人たちはしっかりと明記していたことには感心しました。

その100年後の昭和15年(1940年)、日本は盛大に「皇紀2600年」の祝賀会を挙行しました。零式戦闘機、つまりゼロ戦は、この年に製作されたのでそのように命名されたことは有名ですね。

来年は改元の年で、どんな年号になるのか、個人的には興味津々です。

長く貯金してたら没収されるとは!驚き

9月6日付の朝日新聞朝刊だけに郵便局の広告が掲載されていました。

平成19年9月30日までにお預け入れいただいた郵便貯金はありませんか?

満期を過ぎています。払い戻しが受けられなくなります。

といった内容です。

最初見た時、フェイクニュースか冗談かと思いました。もし、そんなに重要なら、大手全国紙6紙(都内最終版)の中で何で朝日しか広告を出稿しないのか、不思議です。

でも、本物のようです。郵便局に預けると、20年2カ月経過すると消滅、いや、捨てるわけないですから没収されるようです。没収した庶民のへそくりは何処に行くんでしょうか?国庫に入るのでしょうか?あれっ?郵便局は民営化されたんじゃなかったでしたっけ?

私は不勉強で知りませんでしたが、とにかく、そういう法律があるそうですから、せめてこのブログの愛読者の皆様方にはくれぐれもお気をつけになるよう、御案内申し上げます。

◇◇◇

以下は郵便局のホームページに掲載されていたものを再録しました。

【長期間ご利用のない貯金のお取扱いについて】

長期間、預入や払戻し等のご利用がない貯金につきましては、お預け入れいただいた時期によって、以下のようなお取扱いとなります。

お心当たりがある場合は、お早めにお近くのゆうちょ銀行または郵便局の貯金窓口で払戻し等のお手続きをしていただきますよう、お願いいたします。

なお、お取扱いの状況によっては、お手続きに日数を要する場合がございますので、あらかじめご了承ください。

また、ご住所やお名前に変更があった場合には、満期の際などに大切なご案内が届かないことがありますので、お早めにお近くのゆうちょ銀行または郵便局の貯金窓口に変更の届出を行ってください。

【平成19年9月30日以前にお預け入れいただいた定額郵便貯金、定期郵便貯金、積立郵便貯金】

満期後20年2か月を経過してもなお払戻しのご請求等がない場合は、旧郵便貯金法の規定により権利消滅いたします。満期の際にはお早めにお手続きをお願いいたします。

【平成19年9月30日以前にお預け入れいただいた通常郵便貯金、通常貯蓄貯金】

平成19年9月30日の時点において、最後のお取扱い日から20年2か月を経過していない場合は、他の金融機関と同様、最後のお取扱い日(郵政民営化前に権利消滅となった通常郵便貯金および通常貯蓄貯金を除き、平成19年10月1日以後に一度もお取扱いがない場合は、平成19年10月1日)から10年が経過した場合には、いわゆる「休眠口座」としてお預かりし、払戻しのご請求があればお支払いすることとしております。
平成19年9月30日の時点において、最後のお取扱い日から20年2か月を経過している場合は、旧郵便貯金法の規定により既に権利消滅しておりますのでご了承ください。

【平成19年10月1日以後にお預け入れいただいた貯金】

他の金融機関と同様、最後のお取扱い日または満期日から10年が経過した場合には、いわゆる「休眠口座」としてお預かりし、払戻しのご請求があればお支払いすることとしております。

◇◇◇

えっ?10年過ぎたら「休眠」? 請求あれば支払う?

「他の金融機関同様」ということは、全ての銀行も同じだということなんでしょう。銀行って、何て強欲な営利企業だこと!

イエメン難民が済州島に押し寄せ、韓国で難民法見直し署名が殺到

はるか遠く中東のイエメンでは、2015年から、またまた内戦が続いています。1990年に南北イエメンが統一された後の94年にも内戦がありましたから、色んな複雑な要素が絡んでいて一言では説明できません。

今回、3年以上続いている内戦は、イスラム教スンニ派が主導するサウジアラビア中心のアラブ連合軍が支える暫定政権と、イランの後押しを受けるイスラム教シーア派の武装組織フーシ派が対立する構図で、要するに、イランとサウジの「代理戦争」とみられているという報道がありましたが、これが一番分かりやすいです。

小生のようなフランスかぶれにとって、イエメンという土地は、仏象徴派詩人アルチュール・ランボーが20歳で筆を折った後、貿易商というより武器商人として拠点にしたイエメンのアデンという港町が非常に印象深くインプットされております。(アデン発のランボーの手紙が多く残っています)

いずれにせよ、その現代のイエメンでは、日本ではほとんど全くといっていいくらい報道されていませんが、内戦という名の残酷な殺戮が毎日のように行われ、多くの難民が国外に逃亡しています。

はるか遠くの中東の話なので、日本や東アジアは関係ないと思っている人が多いでしょうが、今、そのイエメン難民が韓国の済州島に押し寄せて、問題になっているというのです。

このことについては、小学館系のネットメディアNEWSポストセブンに9月4日付で寄稿したノンフィクション作家前川仁之氏の現地取材記事「済州島にイエメン難民続々、反対派韓国人『ニセ難民』と批判」に詳しいので、ご興味のある方は、リンクを貼らせて頂きましたので、クリックしてお読みください。

何で、遠くアラビア半島の南端に位置するイエメンの難民が、はるばる済州島にまでやってきたのかー? 前川氏はこう書いております。

済州島では2002年以来、観光促進のため諸外国からの旅行者に対し、30日間までノービザで滞在できる制度をとっている。そこへ持ってきて昨年12月、マレーシアのクアラルンプールと済州島をつなぐLCCの直行便が就航したのである。内戦状態のイエメンから、近隣諸国を経てマレーシアまで逃げて来ていた人々はそこでの滞在期限に追われ、今度は直行便に乗って済州島までやって来る。こんな具合にして今年の1月から5月までに560名以上のイエメン人が来島し、難民申請を出したのだった。」

東南アジアのインドネシアは世界最大のイスラム国であり、隣国のマレーシアは、イスラム教を国教と定めています。つまり、アフリカもアラビア半島も東南アジアも、イスラム・ネットワークでつながっているわけです。

そして、格安航空で済州島に逃れてきたイエメン難民に対して、韓国国内では「難民法の見直しを求める市民のネット署名が、1カ月で70万人を超えた」というのがこの記事の趣旨です。

現在、日本でも移民・難民問題がクローズアップされる一方、「観光公害」まで叫ばれておりますから、この韓国のケースは、日本の近未来であり、幕末の「鎖国か」「開国か」に匹敵するぐらいの決断を迫られているのかもしれません。

魚住昭氏著、講談社の創業者野間清治物語に瞠目

 昨日の台風21号は、関東地方は電車が遅れる程度で、お店は全開、大きな影響はなかったのですが、関西地方は台風襲来で大変だったようです。
 京都にお住まいの京洛先生は「午前中で、商売を切り上げる店が殆どで、『コンビニ』も同じで、アテにできません。大手デパートはすべて『休業』です。交通機関も同様です。JRは在来線は全面運休で、まるで台風を使った『戒厳令』の予行演習、予備訓練です。『家に閉じ籠もって、政府PR機関のテレビでも見ていろ!』という事です」と憤慨されておりました。
 そして、「貴人も、アホなチンピラにアタマに来るより、そうしたチンピラがもっと増殖して、そのチンピラどもによる騒擾事件が暴発、拡大する日本の近未来をもっと予想して、対応しないとダメですよ。そう考えると『戒厳令』の予行演習は必要ですかね」と、何だかよく分かりません。まるで自暴自棄です(笑)。 
 続けて「こんな時に、都内では、世論支持率1%の『国民民主党』が新代表を選んだ、という事ですが、小、中学校の生徒会の会長選びみたいなものです。
 玉木代表以下、”幹部の顔”は、人生の辛酸など舐めたことがない人々で、顔を見たら分かります。これでは、海千山千の自民党の二階幹事長にはやられますね。どうして、こういう”紳士服の青山”のモデルのような容貌の面々が選挙で当選するのですかね? すべて、一票を投じる有権者の責任です。”トランプ批判”するより、日本のマスコミは『有権者批判』と日本人の頭脳構造を分析して、覚醒させる方が先決です」と、全うなことを仰るのです。
 それにしても、「”紳士服の青山”のモデルのような容貌」とは秀逸ですなあ(笑)。まあ、政治家は国民が税金で養っているわけですから、これぐらいの批判には耐えなければならないでしょう。
◇◇◇
その京洛先生、毎日、毎時、ピンと張り詰めたアンテナを張り巡らして情報収集に努めており、私もその「おこぼれ」に預かっております。
 昨日は、講談社の創業者野間清治の伝記をノンフィクション作家の魚住昭氏が、インターネットの「現代ビジネス」で発表しているから是非読むように、と勧められました。
 「大衆は神である」という大きなタイトルで、「現代では批判にも多くさらされている既存メディアはどのように誕生し、大きくなっていったのか。ノンフィクション作家の魚住昭氏が極秘資料をもとに紡いでいく」と銘打っております。
 極秘資料ですから、面白くないわけがありません(笑)。魚住氏は「野間はズボラで、遊び好きで、借金まみれの放蕩生活を沖縄で送ってきた。それでも野心だけは人一倍あったようだ。」と書きます。野間は、東京で一旗揚げる前に、沖縄で教師をしていたことがあります。

 魚住氏は、日本共産党の指導者として有名な徳田球一(とくだきゅういち・沖縄県立中学出身)の証言を引用します。

〈琉球というところは、中学の先生はほとんどよそからきた人だから、琉球人を特別に軽蔑するので、われわれはいつも団結して反抗した。その先生どもは、いずれもいいかげんな検定をとって琉球に流れてきた連中なので、質がわるく、高師(=高等師範学校)をでたものは十五、六人のうち二、三人で、大学など出ていようものなら、くるとすぐ首席か校長になってしまうというありさまだった。そのなかでも、とくにわるい先生だとおもったのは、のちに講談社の社長となった野間清治だった。野間は私が中学一年のときの漢文の先生だったが、漢文などはほとんど知らない。教室では石童丸(いしどうまる=出家した父を探して幼子が高野山を訪ねる仏教説話)の話や、講談、なにわぶしのようなことばかりやっていた>

<しかもかれは、遊廓を宿舎とし、まいにちそこから酔っぱらって出勤した。かれももちろん、いいかげんな検定をうけて流れてきた部類なのだが、収入は一月四十円か五十円とっていたはずで、遊廓にとまっても、一ヵ月十円ぐらい、一里の道を車でおくりむかえされ、さんざん酒をのみ、女あそびをしても二十円ぐらいですんだときだから、らくにやってゆける。だからかれのような人間にとっては、琉球はたしかに天国であったろう。しかし、われわれにとっては、地獄であった〉(『獄中十八年』)

1950年代に作成された講談社の「極秘資料」には、将来の歴史学者やジャーナリストの批判にも応えられるよう、良い事も本人に都合の悪いことも書かれているというので、確かに「超一級資料」と言えるでしょう。
 やはり、ネットでは読みにくいので、早く単行本になってほしいものです。
 【追記】台風21号の影響で、京都の二条城や西本願寺など国宝、重文建築が損傷したそうです。やはり、相当激しかったのですね。

中華思想は今も健在か?

敬白

昨日は、チンピラに絡まれた話を書いたところ、多くの方から御心配等のコメントやメール頂きました。誠に忝く存じ候です。

やはり、チンピラ如きを相手にして、こちらが加害者(被害者の可能性の方がもっと高いですが=笑)になってしまってはとんでもない話ですからね。

一昨日は、あんなことが現実にありえるのか、「おい、ジジイ!」なんて、まるで時代劇のドラマを見ている感じでした(笑)。昨晩はよく眠れましたので、少し回復しました。

皆さまにはご心配をお掛けして申し訳御座いませんでした。

◇◇◇

さて、名古屋にお住まいの篠田先生お勧めで、所功、久礼旦雄、吉野健一共著「元号 年号がら読み解く日本史」(文春新書)を昨日から読み始めましたが、面白いですね。来年は平成最後の年で、改元されるわけですから、大変タイムリーな本です。それに、非常にマニアックです(笑)。恐らく、一般向けの元号に関する本で、これ以上詳しいものはないかもしれません。ただし、その前に、古代史関連の本を何冊か読んでおくことをお勧めします。一層面白くなると思います。

とはいえ、まだ読み始めたばかりです。篠田先生がこの本を薦めてくれるに際して、「信じられないでしょうが、天皇は昔、住む所がなくて、京都市内の公家らの家にお世話になって、転々として暮らしていた時代があったんですよ。それは、この本に書かれています」と言うのです。

えっ???本当なんですか?全く信じられませんでした。

篠田先生は、やたらと京の都の歴史に詳しく、今ある京都御所は、平安時代のものではなくて、徳川家康が整備したもので、「平安宮」はもともと、今の千本通り(かつては、朱雀大路と呼ばれ、京の南北のメインストリートだった)の北の一条から二条にかけてありました。西の右京が水はけが悪く、大雨が降ると不衛生で疫病がはやり、大火で大内裏も焼失するなどして廃れてしまい、都の中心は東の左京に移っていたといいます。戦乱などで、江戸時代になるまで、天皇といえども、大内裏を失って、定住先がなかった時期もあったわけです。

少し話が本筋が外れてしまいましたが、元号とは、漢の武帝が最初に制定したと言われ、周囲の「属国」は、中国の元号を使わさせられました。日本の最初の公式の元号は645年の大化ですが、その時代に、よくぞ「独立国」として頑張ったものです。(その前に、中国に隠れて、非公式に元号を使っていた時もあったようです)。

この本には「属国」とは書かれていませんが、「中華思想」には、周辺国の民族は文明のない野蛮な夷狄(いてき)として、朝貢させることが当然だと看做されておりました。勿論、そんな「属国」は中国の元号を使うのが当たり前ですから、個別に元号を称するなどとんでもないということになるのです。

皮肉にも、本家本元の中国では、清の時代で元号を使うのが最後で、今は西暦を使っているというのです。朝鮮半島も、一時的に独自か中国の元号を使っていましたが、今はありません。かつて越南と呼ばれて中国に朝貢させられていたベトナムにも元号があり、何と「大正」もあったそうです。(日本が「大正」を採用した際、森鴎外が友人宛ての手紙「何で、他の外国の例を調べないのだ」と憤慨したそうです)

ということは、日本は、ほとんど唯一、今でも元号を使っている国であり、「優等生」と言えなくもないですね。(台湾は、今も中華民国暦を使っているようです)。何しろ、朝鮮半島もベトナムも、今では漢字まで廃止してしまい、日本は「哲学」や「科学」や「経済」など独自の漢字を造語して、中国に逆輸出してしまうぐらいですからね。

◇◇◇

今回、中華思想の夷狄について調べてみたら、南蛮とは、スペインかポルトガル人のことかと思っていたら、本来はベトナムなど南方に住む夷狄民族を指していたんですね。

つまり、中国の皇帝らは、中華の四方に居住していた周辺民族を蔑称して、

「東夷」(中国東北地方、朝鮮半島、日本)

「北狄」(匈奴、鮮卑、韃靼、契丹、蒙古など)

「西戎」(ウイグルなど)

「南蛮」(ベトナム、カンボジアなど東南アジア、西洋人)

―と呼んでいたというのです。

中華思想とは、自分たちの「華夏」が世界の中心であり、それ以外の夷狄は「化外の民」ということになります。

ところで、昨日は、習近平主席ら指導部は、アフリカ53カ国の代表を呼んで、「中国アフリカ協力フォーラム」を開催して、600億ドル(6兆7000億円)も支援すると約束したようです。以前にこのブログで書いたスリランカの港の租借の例もあるように、背後に、どこか、今でも「中華思想」が健在のような気がします。

あれ?元号の話からずれてしまいましたね(笑)。

いずれにせよ、この本、先を読むのが楽しみです。

渓流斎、チンピラに因縁付けらる

今、私の住んでいる所は、民度が低く、清廉潔白、品行方正なる人士が極めて少ないのです。

マンションの門の街灯も夜中に二回も盗まれたり、駐輪場の自転車が盗まれたりすることも再三再四。ジャングルのような緊張感があって、退屈しない街であることは確かです(笑)。

昨日の日曜日のこと。図書館の帰り道。住宅街の小道を歩いていたところ、後ろから自転車が私の袖に当たるぐらいにギリギリで全速力で走ってきて、危うくぶつかるところで、ヒヤッとしました。

競輪選手のような本格的な高級自転車で、ユニフォームのようなものを着て、ヘッドギアまで被っていました。

そいつは、追い越した後、「ヒヤッホー」と奇声を発して、ペッと唾を吐きました。

「何だ、キチガイか」と呟いた瞬間、そいつはキュッとブレーキを掛けて、ユーターンしてこちらに向かってくるではありませんか。

そして、いきなり「おい、爺(ジジイ)!」ですからね。「唾を吐いたろ!?」と因縁を付けてくるのです。唾を吐いたのはそっちじゃないか?しかも、初対面の年長者に向かって、爺はないだろう。

京洛先生が口癖のように仰っていた「ややこしいのと関わってはいけませんよ」という忠告が頭にこびりついていたので、無視して歩こうとすると、そいつは前に立ちはだかって、腕をつかむではありませんか。

初めて顔を直視すると、年の頃、30歳前後。筋骨隆々で、腕だけには自信がありそう。しかし、知性のひとかけらもなく、目つきが怪しい。

でも、また「おい、爺!」と言うので、こっちもムカついてきて、かばんに入っている折り畳み傘で殴ってやろうかと思いつつ、「放してください!」と大声を出したところ、相手は少しひるんで、ちょうど大通りに出かかりました。こちらも加害者になりたくないし、あまりにもしつこかったら、目の前に見える「auショップ」に飛び込んで、警察でも呼んでもらおうかと思ったら、チンピラは、大通りで人目を憚るのか、またもや「ヒヤッホー」と奇声を発して逃げていきました。

速い、速い!原付より速い時速40キロぐらい出ていたかもしれません。スマホで写真を撮る暇もありませんでした。

それにしても、あのチンピラは何者なんでしょう?職場か家庭で相当なストレスを抱えているのか?それとも、精神異常者か?

確かに、こちらは左側を歩いていたのが悪かったかもしれません。とはいえ、以前、右側を歩いていたら、前方から左側を歩いて来る馬鹿者にからまれたことがあります。ここは治安の悪い所ですからね(笑)。

初対面のチンピラから「ジジイ」呼ばわりされるのもショックでしたね。3年前に長患いして、浦島太郎さんのように急激に老け込んだことは確かですが、あまりにも酷過ぎる。

昨晩は、ムカついて何度も目が覚めて眠れませんでしたよ。

落合陽一博士の「結果として中国が正しかった」説には同感

テレビを見ると、どこもかしこも、2世、3世の政治家、俳優、タレント、料理研究家、財界人だらけです。日本の因襲、襲名制度健在なり。ご同慶の至りで御座いまする。

そう言えば、小生が影響を受けた敬愛するジョン・レノンと小野洋子さんの息子ショーンは、幾つになったのかな、と気になって調べたところ、彼は1975年10月9日生まれ。何と、今年43歳。ジョンが暗殺されたのが40歳ですから、そろそろ親父の年齢に近づいたのかな、と思ったら、もうとっくに越えてしまっていたんですね!

私も年取るはずてす。

◇◇◇

そんなこんなで、今、若者のカリスマ落合陽一博士(筑波大学長補佐)の「日本再興戦略」(幻冬社、2018年1月18日初版)を読んでます。

彼は1987年生まれ、といいますから、私より一世代若い。著名作家落合信彦氏の御子息ということで、反発されるでしょうが、こちらも「落合二世」といった感じでしょうか。

世界的な科学雑誌の「別冊」の表紙を飾ったことがあるらしく、まさに現代の若者たちのカリスマと言われてますが、大変失礼ながら、もう少し、我々のような旧世代をコテンパンに圧倒するような瞠目すべき見解が、この本では展開されているのかと思いましたが、期待外れでした。

大和朝廷や出雲のことなども書かれていますが、やはり、専門家の倉本一宏氏らの著書と比べると全くといっていいくらい浅薄ですね。

ただ、御専門のデジタルメディア論に関しては、真っ当なことを仰っておりました。

日本のIT業界は、ホリエモンこと堀江貴文さんの逮捕で、変革の流れは止まってしまった、というのです。

米国のフェイスブックやツイッターが存在感を発揮する一方、「国産」のミクシィは死んでしまった、というのです。

今や、日本のネットユーザーの間では、米国のアマゾンやグーグルなしでは生活できないことでしょう。落合さんは、もう少し、日本が頑張ってたら、アマゾンが日本に進出した時に、せめて、例えば、楽天などと提携せざるを得なかったのではないかというのです。

「僕らは日本をIT鎖国できなかったせいで、中国のようにアリババやテンセントやバイドゥを生むことができませんでした。2000年代の日本は、IT鎖国した中国をバカにしていてグレートファイアウォールと揶揄していましたが、結果として中国が正しかったのです」と落合氏は結論付けます。

私も賛成ですね。

2000年代の日本は、大蔵省の不祥事などを受けて大規模な省庁改革が断行され、結局、大蔵省も通産省も解体され、いわゆる国家主導の「護送船団方式」も終焉してしまいました。

デジタルの世界は、「1」と「0」の世界ですから、一位にならなければ全く無意味です。二位も最下位も同じなのです。つまり、「オール」or「ナッシング」の世界です。

今のFAANG(フェイスブック、アマゾン、アップル、ネットフリックス、グーグル)といわれる米資本に制覇されてしまった日本の現状を見るにつけ、「結果として中国が正しかった」という落合説には同感してしまいます。