飲食店サイト「ぐるなび」の原点は地下鉄広告

 某諜報機関の機関長から、ネットで飲食店の情報を提供している「ぐるなび」を徹底的に調査してほしいとの依頼がありました。

 任せてください。これでもその筋の端くれですからね(笑)。

バルセロナ・グエル邸

まず、「ぐるなび」サイトの「会社概要」によりますと、事業内容は、「パソコン・携帯電話・スマートフォン等による飲食店のインターネット検索サービスその他関連する事業 」とあります。同業他社の中に、カカクコム・グループが運営する「食べログ」がありますが、食べログが消費者からの情報を主軸に基本的に無料で発信しているのに対して、「ぐるなび」は、有料加盟店からの広告収入から成り立っています。総掲載店舗数約50万店のうち、有料の加盟店舗数は5万6967店(2016年3月期末)となっております。

ということは、「ぐるなび」は広告代理店ということになります。同社の公式サイトの沿革には、「1996年6月、株式会社NKBの一事業部として飲食店検索サイト『ぐるなび』をインターネット上に開設」とあります。このNKBとは何かといいますと、1948年に創業された交通広告会社で、旧社名は、交通文化事業株式会社。主に、地下鉄のベンチなどの看板広告を手掛ける会社として出発しました。創業者は、瀧冨士太郎(1903~1975)。

この方、もともとジャーナリストで旬刊誌「交通研究」を発行しておりました。その関係で、阪急の小林一三、東急の五島慶太ら鉄道界の大物との交際を深め、監督官庁の運輸省(当時)高官の天下り先を忖度して交通文化事業株式会社を設立し、広告事業を展開します。新規事業を行うには、政財官の「黄金のトライアングル」が威力を発揮することを熟知していたのでした。


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 交通・観光事業に従事する関係者の子息らへの奨学金として、彼の名前を冠した「瀧冨士基金」が現在でもあります。この育英事業は、瀧が設立した公益財団法人「日本交通文化協会」が行っているもので、同協会はこのほか、駅構内の壁画などパブリックアート事業や展覧会なども開催しております。

瀧冨士太郎の子息が瀧久雄氏(1940~)です。この人こそが「ぐるなび」の創業者です。東工大を卒業し、三菱金属に入社した技術者でしたが、父親の急逝により、後を継ぐことになります。先見の明があった同氏は、看板広告の将来性を案じて米国に視察に出掛け、まだ今後どう展開するか分からなかったインターネットに注目し、「ぐるなび」を始めたわけです。国土交通省の元高官らを顧問に迎えるなど父親のビジネススタイルを踏襲しました。

瀧久雄氏の趣味は囲碁です。NKBの関連会社として、囲碁対局サイトを運営する「株式会社パンダネット」(1962年6月創業)の代表取締役も務めています。話は飛びますが、このパンダネットですが、日本棋院利光松男理事長(1923~2004、日本航空相談役、JALパック社長)が自殺した遠因があったという情報が真しやかに流れております。これは、対局ソフトを開発する際の提供企業の選定をめぐって、日本棋院が「パンダネット」から韓国の「世界サイバー棋院」に切り替えたことで、理事会内で大問題となり、利光理事長の心労が重なったと言われています。


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先ほど、瀧冨士太郎が創刊した旬刊誌「交通研究」の話が出ましたが、鉄道・運輸関係の老舗といえば、1943年に創刊された「陸輸新報」の流れを汲む「交通新聞」があります。交通新聞が美空ひばりなら、交通研究は、丘みどりです(笑)。

交通新聞は業界紙なので、一般の人は知らないかもしれませんが、「時刻表」「旅の手帖」、そして「散歩の達人」を出版している会社だと言えば、分かるかもしれません。戦中から「時刻表」を出すぐらいですから、国鉄、そして政府関係者、労働組合、関連政党などと密接な関係があったという証左になります。

交通新聞社は、瀧氏のNKBと共同出資して、2000年に「トラベルサイト」を設立しましたが、現在機能しているかどうかは不明です。

 以上、まとめサイト「NEVER(決して~ない)」でした。