京都御所で梅を愛でる

京洛先生です。新生「渓流斎ブログ」が、早くも10万アクセスを突破されたようで、おめでとう御座います。御同慶の至りです。

 何やら、迂生の名前まで出して謝辞を述べられておられましたが、迂生は黒子ですからいいですよ。多羅尾伴内のように、ある時は弁護士、ある時は美術鑑定士、そしてある時は…の職業不詳、住所不定の神出鬼没ですから、影武者です(笑)。

 人は、70歳になっても、80歳になってもテレビに出たり、舞台に上がったりして、とにかく目立とう、目立とうとしますが、迂生は御簾に隠れて、三味線を弾いたり、笛を吹いたり、時には大きな銅鑼を鳴らして、けしかけたりする方が性にあっているんですよ(笑)。

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 さて、帝都の本日(2月9日(土))は、大雪だそうですね。まだまだ、厳しい寒さが続きますが、渓流斎先生もご高齢ですから、身体はくれぐれも労わってください。過日、写真をお送りしました折にお伝えしましたように、「北野天満宮」では、8日(金)から境内の「梅苑」公開がスタートしました。週末ですから、9日(土)と10日(日曜)は、梅を愛でる観光客で、かなり混雑することでしょう。


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 迂生はへそ曲がりですから、北野天満宮は避けて、観光客があまり来ない洛中の穴場の「京都御所」の梅を見に出かけました。京都御苑にはおよそ4万の樹木が植わっているそうで、春夏秋冬、何かしらの樹木の花が咲いており、これほど優雅な時間を過ごせるところはあまりないでしょうね。


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 しかも、大宮御所、仙洞御所を囲むように、明治の遷都まで、天皇に身近で奉仕していた近衛、閑院宮、一条、九条、桂宮、賀陽宮、中山、有栖川宮などなど貴族の邸宅跡やこれらに関連する「学習院」など関連施設の旧祉・旧跡もあり、碑や「立て札」で、所在の場所が分かるので歴史の勉強になります。


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 上の写真の「西園寺邸」跡には、今は時季が過ぎた山茶花が少し残っておりました。もともと、西園寺家は「雅楽(琵琶)」の家元で、邸宅跡に「白雲神社」があり、音楽家やミュージシャンらが技芸の上達に祈願に来ております。フォーク歌手の長谷川きよしが寄せた祈願もありました。


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 西園寺は「立命館」の建学にも関わりましたが、”立命館・発祥の地”という謂われの碑文も残され、記されていました。

 この西園寺家跡の前に「梅林」があり、これから3月末まで、紅白の梅が咲き誇ります。


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 桓武天皇が、延暦13年(794年)に長岡京から平安遷都した時には、今の京都御所よりも西の千本通りを中心に、平安宮や内裏などいわゆる「御所」がありました。それが、たびたびの火災で、天皇は宮内裏(仮御所)を転々としました。今の京都御所のある所は、もともと、摂関政治の基礎をつくった藤原良房や、その後の藤原道長らが住んで居た所なのです。


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 正元元年(1259年)になり、当時の里内裏がやはり焼失してしまい、「土御門東洞院殿」を此処に移して改築したそうです。そして、元弘元年(1331年)に光厳天皇が「即位」をして、それが明治2年(1869年)まで続くわけです。今の京都御所は安政2年(1855年)にできたもので、実はまだ歴史的には新しい建物なのです。

以上