嗚呼、ノートルダム大聖堂の大火災

4月15日夜から16日未明にかけて起きたパリのノートルダム大聖堂の大火災。まだ、原因が分かっておりませんが、唖然、呆然としてしまいました。

ノートルダム大聖堂は、1163年に着工され、182年間かけて建設が続けられて1354年に完成。ゴシック建築を代表するもので、世界遺産に登録されていることは皆さま御案内の通りです。

2014年3月に訪れた時のノートルダム大聖堂。この時、長蛇の列だったので、内部に入らず、惜しいことをしてしまった。ステンドグラスは無事だったのかしら?

 訪れる観光客は、何と年間1200万人だとか。私も以前に2~3回、足を運んだことがありますが、まさか、燃えちゃうなんて思いも寄りませんでしたね。正面のファサードは石造りですが、内部や屋根は複雑な木造構造だったようで、96メートルの尖塔が燃えて崩落してしまう様子をテレビで見ましたが、呆然としてしまいました。

 私がフランスに派遣している秘密特派員からの情報によると、ノートルダム大聖堂には、聖ルイ(ルイ9世)が十字軍で持ち帰った聖遺物「キリストの茨の冠」 La couronne d’épines やイエスを磔にする際使われた釘(といわれるもの)などが安置されていましたが、無事保護されたといいます。屋上の12の像も修復工事のため運良く取り外されていたようです。これらは、一時的にパリ市庁舎に避難しているようで、いずれ詳細は明らかになるでしょう。

 ただ驚くことに、フランスでは歴史建造物の修復工事中の火事は、実は多いそうです。フランス人は、日本人ほど作業が慎重でないこともあり、今回の場合も、テロや事件ではなく、作業員のミスの可能性が高いようです。(その場合は、原因究明と再発防止に努め、個人的な犯人探しはやめた方がいいと思います)

 ノートルダム大聖堂は、今年856歳ですが、よくぞ第1次、第2次の両世界大戦でも破壊されず、戦災を逃れてきたものです。しかし、実は、1789年のフランス革命や、1830年の七月革命などではかなり破壊され、荒廃してしまったといいます。

 フランス革命では、ノートルダム大聖堂だけでなく、フランス全土に及び、教会や修道院が破壊尽くされた事実は、案外知られていません。教会や司祭はアンシャンレジームの支配階級の一角だったため、革命勢力の格好の標的になったのです。日本でも明治維新で、「廃仏毀釈」というとんでもないことが起きましたが、単なる維新ではなく、薩長土肥の若者による暴力革命だったことが分かります。

 七月革命で荒廃した大聖堂を嘆いたヴィクトル・ユーゴが、不朽の名作「ノートルダム・ド・パリ」(1831年)を書くきっかけになったことは、知る人ぞ知る逸話ですね。

 ノートルダム大聖堂火災は、日本で言えば、法隆寺や東大寺、または伊勢神宮が火災に遭うようなものです。フランスだけでなく人類の世界遺産ですから、心から御見舞い申し上げます。