古代日本をつくったのは藤原不比等だったのかも=梅原猛著「葬られた王朝ー古代出雲の謎を解くー」を読んで

出雲大社

 大手出版社の大河内氏から贈呈して頂いた梅原猛著「葬られた王朝ー古代出雲の謎を解くー」(新潮文庫)を読了していたので、この本を取り上げるのは、これで3回目ですが、改めて取り上げさせて頂きたく存じます。

 大雑把に言いまして、私なりの解釈では、古代の日本は、群雄割拠の豪族社会で、その最大級がスサノオ系の出雲王国と天孫系の大和王朝だったことです。出雲は、朝鮮の新羅と高句麗からの渡来人が農業や最新医療を伝え、影響が強かった。一方のヤマトは、朝鮮の百済系(秦氏など)の影響が強かった。

 最初は、出雲が大和や近畿まで制圧して一大王国を築き上げましたが、オオクニヌシの後継者争いの内紛につけこんだ大和が勢いを増して、出雲を「国譲り」の形で征服して全国統一を果たす。

 「古事記」「日本書紀」は、天孫系の大和朝廷の正統性を伝える書で、国の成り立ちを神話の形で暗示しましたが、その神々は、実在の豪族をモデルにした可能性が高い。両書は、出雲王国の神話も取り入れていますが、記紀の最高編集責任者は、実は大和朝廷の礎をつくった藤原不比等だったというのが梅原説です。それによると、「古事記」を太安万侶(その父、多品治=おおのしなじ=は壬申の乱で功績を挙げた渡来人だった)に口承して語ったと言われる稗田阿礼は、アメノウズメの子孫で、誰一人として五位以上になったことがない猨女(さるめ)氏出身だったという説もありますが、全く謎の人物で、梅原氏は、稗田阿礼は、藤原不比等ではないかと主張しています。

 梅原氏は、144ページなどにはこう書いています。

 出雲のオオクニヌシ王国を滅ぼしたのは、物部氏の祖先神であるという説がある。その点について、はっきりしたことは言えないが、「古事記」では国譲りの使者はアメノトリフネを副えたタケミカヅチであるのに対して、「日本書紀」では主なる使者は物部の神を思わせるフツヌシであり、タケミカヅチは副使者にすぎない。「出雲風土記」にも、ところどころにフツヌシの話が語られているのをみると、出雲王国を滅ぼしたのは、ニニギ一族より一足先にこの国にやって来た物部氏の祖先神かもしれない。

出雲大社

 そうですか。出雲を征服した先兵は物部氏でしたか。ちなみに、フツヌシを祀っていたのは香取神宮ということで、物部氏は今の千葉県香取市の豪族か神官だったかもしれません。タケミカヅチを祀っているのは鹿嶋神宮で、タケミカヅチは、今の茨城県鹿嶋市から神鹿に乗って大和にやって来て、藤原氏の興福寺や春日大社に祀られるようになったと言い伝えがあります。つまり、鹿嶋神宮の神官だった中臣氏が、出雲王国の征服で一翼を担い、大化の改新では、蘇我氏を滅ぼして、中臣鎌足が藤原姓を賜って異例の出世を遂げた史実を、記紀は暗示したかったかもしれません。

出雲大社

 梅原氏は295ページでこう書きます。

 中臣氏はどんなに贔屓目に見ても、せいぜい舒明朝の御世に朝廷に仕えた中臣御食子(みけこ)の時代に初めて歴史に姿を現したにすぎない。(乙巳の変後)天才政治家、藤原鎌足が現れ、一挙に成り上がった氏族なのである。そのような氏族がアマテラスの石屋戸隠れ及び天孫降臨の時に活躍するはずがない。これは明らかに、神話偽造、歴史偽造と言わざるを得まい。

 厳しい言い方ですが、石屋戸に隠れたアマテラスを引き出す妙案を考えたのはオモイカネで、藤原氏の祖神とされているからです。中臣=藤原氏は、この時に活躍したフトダマを祖神に持ち、(現実世界では)宮廷の神事を司っていた忌部氏を排斥して、天智帝の下で神事を独占するわけです。

 こうして、藤原氏は天皇の外戚の地位を独占して政をし、近現代の近衛氏に至るまで1300年以上も日本の歴史に影響を与え続けます。その礎を創った藤原鎌足と、律令制を確立し、史書までつくった藤原不比等の功績は図抜けています。特に、不比等は、実務、実働部隊の最高責任者なのに記紀の編纂者として明記せず、黒子に徹した辺りは、まるで「黒幕」のようです。恐らく、不比等は、父鎌足の代で急に成り上がった氏族であることを骨身に染みて分かっており、他の有力豪族からの嫉妬や、やっかみや 、反発や反抗を怖れて、「影武者」に成りきっていたのでしょう。

 このような梅原氏の説は、古代史学会では正式に認知されていないのかもしれませんが、面白い本でした。大河内さん、有難う御座いました。

 

古代史が書き換えられるアイアンロード=そして、デマ情報に騙されるな

 「世界史の概念が根底から覆されるよ」と言いながら、会社の同僚川本君が貸してくれたDVDは、今年1月に放送されたNHKスペシャル「アイアンロード~知られざる古代文明の道~」を録画したものでした。

 「随分、大袈裟だな」と半信半疑でしばらく放っておいて、時間が空いた週末に見てみると、これは吃驚。宇宙考古学と呼ばれる人工衛星からの探索で、ユーラシア大陸のアルタイ地域に鉄器文明で栄えたスキタイ人の古代遺跡や50以上の古墳が次々と見つかり、確かに、歴史的大発見!異様に興奮してしまいました。これでは古代史が変わります。

 人類が初めて鉄を生産する技術を獲得したのは、今のトルコのアナトリアに王国を建てたヒッタイト人です。紀元前17世紀前半にムルシリ1世が、バビロン第1王朝を滅ぼして古王国を樹立します。でも、最近になってその遥か昔の紀元前23世紀頃のカマン・カレホユック遺跡から世界最古の人工鉄(直径3センチ)が発掘されたのです。(中近東文化センター考古学研究所・大村幸弘所長ら)

 紀元前23世紀ですよ!今は紀元21世紀ですから、イエス・キリストの時代が随分、つい最近のことのように思えてきます。

 ヒッタイト王国は、鉄を武器に大国エジプト(ラムセス2世)と対等に戦って世界初の平和条約を結んだりしますが、隣国アッシリアなどの勢いに押され、紀元前12世紀に世界史から忽然と消えてしまいます。その後の鉄器文明は、前10世紀にコーカサス地方(ウクライナ・ビルスクヒルフォート遺跡)、前8世紀にはユーラシア・アルタイ地域に伝わり、スキタイ人が広大な領土を持った王国を築いていたことが最近になって遺跡発掘から分かりました。(愛媛大学アジア古代産業考古学研究センター長・村上恭通教授ら)これでは、古代史を書き換えるしかありませんね。

 スキタイ人は文字を持たなかったため、謎の民族で、同時代のギリシャの文献から「敵の血を飲む野蛮人」という扱いでしたが、実は高度な製鉄技術を持ち、短剣のほか、鉄で加工した黄金のネックレスなどもつくることができ、35キロの城壁に囲まれたアテネの4倍もの広大な首都を持った文明国だったことが、発掘調査から分かりました。

 スキタイ人は、馬の口の中に嵌める「鉄のはみ」を発明して、野生馬を自由に御すことによって、長距離の「移動革命」を成し遂げ、広大な領地を広げ、騎馬軍団で、ギリシャやペルシャ帝国を撃退しました。(スキタイ人はイラン系遊牧民という説があり、ペルシャ帝国はイランですから、今後の民族的研究も俟たれます)

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 このスキタイ人の製鉄技術を受け継いだのが、モンゴル地方の遊牧民だった匈奴です。匈奴の侵攻に度々悩まされた秦など古代中国は、万里の長城を築きます。中国の史書では、敵の匈奴は、野蛮で狂暴で悪者扱いですが、実は、高度の製鉄技術を持った文明国で、特に、鎧を打ち抜くほど強力な「鉄の矢じり」を発明して、匈奴の単于(ぜんう=君主)冒頓(ぼくとつ)は、漢の高祖劉邦を苦しめます(紀元前200年の白登山の戦い)。

 ヒッタイト人からコーカサス~アルタイのスキタイ人、そしてモンゴルの匈奴、さらに南下して中国の漢(特に、鉄が農具に使われ農業革命を起こす)にも伝わった製鉄技術は「アイアン・ロード」と命名されます。今のトルコから最後は日本列島(弥生時代)にまで到達するわけです。あのシルクロードより遥かに古いのです。

 いやあ、凄いドキュメンタリーでした。

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 さて、話は少しだけ変わります(笑)。新型コロナウイルスの感染は、ついに世界的な大流行(パンデミック)になりましたが、3月13日付読売新聞に掲載された「世界動かしてきた感染症 『パンデミック』も運んだ交易」と題した山崎貴史編集委員の記事は実に興味深く拝読させて頂きました。

 特に、「感染症は人の移動や交易の活発化で拡大した」という世界史的分析は秀逸でした。例えば、グローバリズムは今に始まったわけではなく、5~8世紀は、シルクロードを経由して交易が国境を越えて大いに盛んとなり、その間にインドが起源とみられる天然痘が西は中東、欧州へ、東は日本にまで拡大します。この記事には詳しく書かれていませんでしたが、当時の日本の奈良時代、「古事記」「日本書紀」を編纂した中心人物と目され、絶大な権力を誇っていた藤原鎌足の次男不比等も、その子ども藤原四兄弟(武智麻呂=南家、房前=北家、宇合=式家、麻呂=京家 )も若くして病で亡くなっています。それは、天然痘だった説が有力です。ですから、私なんか「そうだったのか!」と相槌を打ってしまいました。

 また、14世紀には、欧州では人口の3分の1が死亡し、黒死病と恐れられたペストが大流行します。これは、中央アジアが発生源と言われ、モンゴル帝国が西へ拡大する中、伝わったと言われています。領土拡大の帝国主義と病気拡散はセットだったことが分かります。この黒死病による人口減で、欧州は農奴が急減し、中世の封建的身分制度が崩壊し、ペストを防げなかった教会の権威も失墜し、人々の意識に「国家」の概念が生まれ、近代的な主権国家の誕生に結び付くという分析も、目から鱗が落ちるようでした。つまり、パンデミックが社会を変革したのですからね。

 その点、現在のパンデミックは、貧富の格差拡大など社会の矛盾の現れなのかもしれません。果たして、この現在のパンデミックが、世界を変えるほどの社会変革をもたらすのか? 私自身は、デマ情報に惑わされず、パニックにならず、世界史的視野で、大いに注目していきたいと思っています。

143年ぶりに「茅の輪」が出現=京都・八坂神社

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おはようございます。京都の京洛先生です。新型肺炎が世界中に蔓延して、2020年「東京五輪」どころではありませんね。

トランプ米大統領は「非常事態宣言」を出しました。「大統領再選」の危機感と言えますが、これもトランプ独特の一芝居です(笑)。僅か5兆円か、6兆円くらいで、非常事態が解決、解消できるわけありませんよ。

 日本では、「東京五輪」の開催決定権も無い、小池百合子・東京都知事が偉そうにマスコミ相手に色々喋っていますが、そのコメントの背景も解説せずに垂れ流すマスコミというのは何ですかねえ?小池さんの東京都知事選の事前運動か、PRを手助けしているだけの話です。取材する側にその自覚がないのですから、本当に情けない話です。

 クラスター(cluster)とかいう「感染集団」は、新型肺炎のことだけでなく、裏読みできないマスコミ自体が感染集団みたいなもので、はっきり言って、ただの烏合の衆ですよ。

京都・八坂神社  Photo Copyright par Kyoraque-sensei

ところで「祇園祭」の勧進元である京都・八坂神社では6月30日から始まる夏越の神事の「茅の輪」が、新型肺炎の蔓延もあって、三か月も早く、境内に登場しました。

御覧の通り143年ぶりに夏以外に「茅の輪」が  Photo Copyright par Kyoraque-sensei

 本来の「茅の輪のくぐり」は、新年から半年間にたまった穢れを払い、無事、夏を越せるよう、無病息災を願う神事なのです。

 今回の茅の輪は、八坂神社境内の「疫(えき)神社」と、本殿西側の二か所に設けられ、謂れが書かれた説明を読んで茅の輪をくぐる人が相次ぎ、「これで肺炎に罹らずにすむ」と喋りあう女性の姿が目立ちました。

「これで、肺炎に罹らずに済むわいな…」  Photo Copyright par Kyoraque-sensei

 八坂神社の記録では「夏越の祓え」以外で、「茅の輪」が設けられたのは明治10年(1877年)のコレラの大流行以来143年ぶりだということです。明治10年といえば、西南戦争が起きた年です。

 貴人も、以前、北野天満宮で「夏越の祓え」で茅の輪くぐりをされたことがありましたね。その時は青々とした茅(かや)を使っていた、と思いますが、今回の茅は時季外れでもあり、八坂神社に保管されていた茅を使った、ということで青々としていません。でも、ご利益は不変ということです。

以上

 いやあ、いつもながら、タイムリーなリポート有難う御座います。西南戦争の明治10年以来の茅の輪だなんて、今、凄い時代に生きているんですね。

 実感できました!

再び、消費税ゼロを提言します

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株が世界的に大暴落しています。

 3月12日のニューヨーク・ダウ工業株30種平均は、前日比2352.60ドル(10.0%)安の2万1200.62ドルと、1987年10月の暴落「ブラックマンデー(暗黒の月曜日)」以来の大幅下落をしました。

 それを受けた日本も、13日午前に一時、2016年11月以来3年4カ月ぶりに1万7000円を割り込みました。

 まあ、新型コロナ・ショックというか、パニックですね。

 これから不況になり、個人消費も落ちることから、昨日は、小生は生意気にも「消費税ゼロ」を提言しました。 2019年10月に消費増税する前に、 安倍晋三首相は「(2008年の)リーマン・ショック級の出来事がない限り、10%にする」と啖呵を切ったことを国民は忘れていません。今、まさに、 リーマン・ショック級の出来事、いやそれ以上のことが起きているではありませんか。増税はやめるべきです。

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 「消費税ゼロ」は我ながら、思い切った提言かと思ったら、既に、れいわ新選組の山本太郎代表が今年1月に月刊誌で提言していたんですね。そして、11日には 自民党の有志の若手議員らが経済への影響を最小限に食い止める必要があるとして、消費税ゼロなどを政府に提言しておりました。 自民党がですよ。野党は何をやっているんでしょうかねえ。特に、野党第一党の立憲民主党なんかは、私権を著しく制限する特措法の改定に賛成するんですからね。何考えているでしょうか、枝野代表は。政党の存在価値もなければ意味もありませんよ。

 10年おきに繰り返される株のバブルと大暴落は資本主義社会の宿命ですかね?ここ最近では、1987年10月 のブラックマンデー、1997年10月のアジア通貨危機、2008年10月のリーマン・ショックが記憶に新しいですが、2020年3月は、コロナ・ショックですかぁ…。

 今年は令和2年ですが、元号が新たになって2年目はどういうわけか、何か起きます。平成2年(1990年)はバブル崩壊の開始、昭和2年(1927年)は、昭和恐慌でした。もちろん、偶然でしょうが、我々は今、激動の時代に生きています。

 私もよく存じ上げている愛知県にお住まいの篠田長老は「マスクが売り切れで、買えにゃーからしょうがにゃあだぎゃ」と言って、バスでも電車の中でもマスクせず、堂々と街中を歩いているそうです。

 フランスのテレビを見ていたら、病人でない限り、マスクは必要ないと報道していました。紙か布切れだけで、猛毒のウイルスをシャットアウトできるかどうか甚だ疑問なので、世間の人は気休めで、紙マスクをしているだけなのでしょう。(効果があるのは、医療用のガスマスクのようなマスクだけなのでは?)

 その点、篠田長老の行動は理にかなっているかもしれません。人間、緊急事態でどんな行動を取るのか、その人の個性が現れますね。

 

コロナ不況で消費税をゼロにしたらどうでしょう

 日本のテレビは「新型コロナウイルス」の話ばかりやっていて閉口してしまったので、海外のテレビを見てみました。

 そしたら、海外のテレビニュースも9割方、新型コロナの話ばかりでした。駄目じゃん。さすがに、気落ちしてしまいました。このことをあまりブログに書いても、やたらと不安を煽り立てるだけのような気がして、昨日はブログを書くのはやめにしました。

 でも、今日は書かざるを得ませんね。 世界保健機関(WHO) は日本時間の今日未明に、ついに新型コロナウイルスはパンデミックであることを認めました。WHOが発表する数字は、意図的なのか、能力的なのか、かなり少ないので、米ジョンズ・ホプキンス大学が発表している世界の感染状況の数字を一生懸命に計算して取り上げてみると、3月11日の時点で、12万6093人が感染し、4628人が亡くなっています。このうち、(1)中国の感染者は8万0929人(死者3169人、香港3人)、(2)イタリア1万2462人(827人)、(3)イラン9000人(354人)、(4)韓国7755人(60人)、(5)フランス2284人(48人)、(6)スペイン2272人(55人)、(7)ドイツ1966人(3人)、(8)米国1281人(36人)、(9)クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」 696人(7人)、(10)スイス652人(4人)、(11)日本639人(15人)…となっています。(ジョンズ・ホプキンス大のサイトを見ていると、数字は時々刻々と増えています)

伊ミラノ

 今週になって、急に欧米で増えました。特にイタリアでは、1万人以上が感染し、既に827人が亡くなり、中国に次ぐ多さです。イタリアはどうしっちゃったんでしょうか。

 フランスのテレビですが、映像を見ていたら、芸術の都フィレンツェも、水の都ベネツィアのサンマルコ広場も、遺跡の都ローマのコッロセオも、あんなに観光客で溢れていたのに、今は人影もまばらです。飛行機内も空港もパラパラです。航空会社は大赤字でしょうね。

イタリアのコンテ首相は11日に、テレビを通じて、国内の薬局と食料品店以外の全店舗を閉鎖すると発表しました。イタリア人の大好きなオペラや映画も見られず、外食もできないんでしょうか。鎖国ですね。

 3月10日のフランス2の「20時のニュース」では、新型コロナウイルスは、全世界で11万6000人が感染し、約6100人が死亡しましたが、6万4000人が回復。死亡率は1~3%程度だと報じていました。数字は、米ジョンズ・ホプキンス大学の最新データとは違いますが、結構、回復者がいて、80%は軽症と、合理的なフランス人らしく、努めて冷静になるよう強調している感じがしました。

 ですから、隣国のイタリアは異様です。病床が少なく、医者や看護師が足りないようですが、何でこんな急速に拡大したんでしょうか?北イタリアは、中国人観光客や出稼ぎ労働者が多かったという話もありましたが、隣国のドイツの感染者は1966人、死亡者が3人ですから、何か他に理由がありそうです。

 とにかく、このような新型コロナウイルスの拡大による経済的損失は莫大で、まさに「コロナ・ショック」で世界同時株安、原油安、債権暴落という恐慌が押し寄せてきました。

 我が日本国政府は昨日の11日に「緊急対応策」第3弾の着手を発表し、子育て世帯に3万円を給付する案が検討されているとか。そんなんで大丈夫なんでしょうかねえ。「焼け石に水」のような感じがします。

 この分だと、夏の東京オリンピック開催は無理でしょう。夏には終息するという希望的観測がありますが、真夏の南半球のオーストラリアで感染拡大するぐらいですからね。突然変異するウイルスです。代替開催に「立候補」していたロンドンだって感染者がいるんですから無理ですよ。(英国の感染者は459人、死者8人)

 日本にも大不況が襲ってくるのはほぼ確実で、倒産する会社も出てきますし、個人消費は大幅にダウンすることでしょう。こうなったら、1年間の時限立法でいいですから、消費税を半分ではなく、一層のこと、ゼロに戻したらどうでしょうか。

 私のような単なるブロガーが何を言っても始まりませんが、政府与党の皆さんには景気回復のために真剣に検討してもらいたいです。

出雲王朝の興亡=記紀神話は史実に近いのでは?

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(昨日のつづき)

梅原猛著「葬られた王朝」の出雲の物語は続きます。

 スサノオと兄弟神から命を奪われるほどの煉獄を克服して、再生した(文字通り、何度も死んで甦った)オオクニヌシは、めでたく出雲という大国の王を継承します。オオクニヌシはそれだけでは満足せず、越の国を征服しに行きます。 越の国とは、古代北陸地方の国名で、北陸道の越前(福井県)から越中(富山県)を経て、越後(新潟県)に至る広大な領域で、古志、高志とも書かれました。 ここでは、呪力を持つと言われる翡翠(ひすい)が採れ、三種の神器の一つである勾玉などになりました。「越は、縄文時代以来、大いに栄えていたに違いない。…出雲は長い間、越の支配を免れなかった」と梅原氏も書きます。となると、越の被支配国だった出雲が、逆に越を征服したことになりますね。

 出雲による越の征服は、古事記では、一種の恋物語として描かれています。

 すなわち、八千矛神(やちほこのかみ)、すなわち大国主神が、越の国の沼河比売(ぬなかわひめ)に求婚して結ばれるという話です。二人の間に生まれた子どもが、「国譲り」の際に最後まで抵抗して、ついに諏訪に追いやられ、諏訪神社の祭神となったタケミナカタだったといいます。(103ページなど)

 越を征服して日本海側に広大な王国を築き上げたオオクニヌシは、今度はヤマト征服を目論みます。ところが、出雲がヤマトとどのように戦ったか、「古事記」にも「日本書紀」に書かれていないので分からないといいます。

 しかし、その戦いは幾多の困難があったにせよ、オオクニヌシの大勝利に終わったことはほぼ間違いないと思われる。関西周辺の地域には、オオクニヌシおよび彼の子たちを祀る神社や「出雲」の名前を伝える場所がはなはだ多い。例えば、オオクニヌシと同神といわれるオオモノヌシを祀った大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市)、オオクニヌシの子コトシロヌシを祀った河俣神社(奈良県橿原=かしはら=市)、同じく子アヂスキヤカヒコネを祀った高鴨(たかかも)神社(奈良県御所=ごせ=市)など、ヤマトにある古社はほとんど出雲系の神を祀った神社であると言ってよかろう。また、京都、すなわち山城の亀岡には出雲大神宮という神社があり、それは実に丹波国の一之宮の神として信仰されてきた。…そういえば、京都には出雲路というところもある。…こう考えると、古くはヤマトも山城も出雲族の支配下にあり、この地に多くの出雲人が住んでいたとみるのが最も自然であろう。(110ページなど)

 そうでしたか。(ただし、記紀には書かれていないので、あくまでも、梅原氏の説です)

出雲大社

 オオクニヌシはこのように広大になった出雲王国を、朝鮮から渡来してきたといわれるスクナヒコナとともに治めることにします。スクナヒコナは、最先端の医療技術と酒の醸造法などを日本に伝えたといいます。スクナヒコナは、国造りが一段落したところで何処ともなく去っていきます。その時を同じくして、国造りを手助けをする神が現れます。その神はオオモノヌシといいました。あれっ?さっきの話では、オオモノヌシはオオクニヌシの同神ではなかったでしたっけ?

 日本書記では、オオクニヌシがオオモノヌシに「あなたは誰か」と尋ねると、オオモノヌシは「私はあなたの幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である」と答えたといいます。「私の魂とあなたの魂は同じである。あなたの最も美しい魂のみを持っている」という意味なのだそうです。同神とはそういうことでしたか。

  ということで、出雲王国はオオクニヌシの下で大きな繁栄を遂げます。しかし、次第に崩壊の道に進みます。その理由については記紀には記されていませんが、梅原氏は、オオクニヌシにはたくさんの子どもがいたので、後継者争いを巡る内部分裂が原因だったのではないかと推測しています。

 この内乱につけこまれて、最後は「国譲り」の形で、出雲はヤマトに征服されたということなんでしょう。

 私は2017年12月11日付の渓流斎ブログで「『出雲を原郷とする人たち』には驚きの連続」と題して、出雲の不思議を色々と書き連ねています。そのうちのいくつかを少し表現を変えて再録しますとー。

なぜ、これほどの文化が出雲に栄えたのかといいますと、天皇族の大和の文化が百済から瀬戸内海を通ってきたのに対して、新羅や高句麗を通して日本海ルートで出雲に入ってくる文化があったからだといいます。

◇武蔵国には出雲伊波比神社と出雲乃伊波比神社の2社が

 武蔵国には、出雲から最も離れた所に、二つの出雲系直轄とも言うべき神社が今でもあるといいます。それは、入間郡(埼玉県毛呂山町)の出雲伊波比(いわい)神社と男衾郡(埼玉県寄居町)の出雲乃伊波比神社の2社です。

また、武蔵国の東部にも出雲系の神社が多く、それは氷川神社、久伊豆神社、鷲宮神社群だといいます。埼玉県神社庁によりますと、氷川神社は284社(埼玉県204社、東京都77社、神奈川県3社)、久伊豆神社は54社(全て埼玉県)、鷲宮神社は100社(埼玉県60社、東京40社)に上るといいます。

◇氷川は出雲の斐伊川が由来

この中で、私が特に取り上げたいと思う神社は、足立郡式内氷川神社です。この神社について、文政11年(1828年)の「新編武蔵国風土記稿」には「出雲国氷の川上に鎮座せる杵築大社をうつし祀りし故、氷川神社の神号を賜れり」と記されています。この「氷の川」は古事記で「肥河」(ひのかは)、日本書紀では「簸川」(ひかは)とも書かれた斐伊川のことで、これが氷川神社の社名の由来になったといいます。なるほど。これで、やっと長年の疑問が氷解しました。

大国主命

以上、再録しました。出雲から諏訪に逃れたオオクニヌシの子のタケミナカタが祭神として諏訪神社に祀られたことを梅原氏の本で教えられましたが、このほか、武蔵国まで逃れた出雲の人たちもいたということになります。

 その一方で、梅原氏の説では、出雲が内乱でヤマトに征服される前の最盛期に、強大な出雲王国の方がヤマトを征服していた。その証拠に、大和の各地には出雲系の古社がある、というわけです。

 うーん、どうも、神話は、全くでたらめのフィクションではなく、史実に近いことを書いていたことになりますね。

古代出雲の謎を解く=梅原猛著「葬られた王朝」

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 大手出版社に勤務する大河内先生から、本が送られてきました。本は1000円以上もする高価なカラー写真付きの文庫本です。大河内先生は、新書を担当する編集者なので、おかしい?

 今から1カ月以上前の話。新年会で同席した大河内氏が、酔った勢いなのか、急に「渓流斎さん、本をお送りしますから、名刺をください」と言うではありませんか。てっきり、自分が担当しているどなたか偉い先生の新書で、書評用にマスコミ等に配布する余った「献本」かと思い、楽しみにしていました。

 しかし、待てど暮らせど送って来ません。会社に送るというので、紛れ込んでしまうことが多いので、一応、彼に「『届いたのに挨拶がない』と言われるのは心外なので、もし、お送りしていなかったら、もう送らなくて結構ですよ」とメールしたのでした。

 そしたら、彼から追って連絡があり、「まだ送ってません。これからお送りします」と言うのです。あまり、恩に着せられても困るので(笑)、「それなら結構です」と丁重にお断りしたのですが、結局、大河内先生は、社員割引とはいいながらも、実費で購入して、自分の担当外である文庫本を送ってくださったのです。後で倍返しで請求されそうですねえ(笑)。

 その文庫本が、これ、平成24年11月1日に発行された梅原猛著「葬られた王朝ー古代出雲の謎を解く」(新潮文庫)でした。あら、大手出版社名がバレてしまいましたね。それでは、大河内先生のお名前は仮名とさせていただきましょう。

 何でこの本なのか?しかも新刊でもない。わざわざ、社員割引とはいえ、買って頂いて送ってくださる価値がある本なのか?「お前は教養がないから、もっと勉強しろ」との叱咤激励なのか?-それこそ謎です。

 幸い、この本は未読だったこと。恐らく、小生が古代史、特に出雲の歴史に興味があること等を忖度して、大河内氏は送ってくださったと思います。倍返しはともかく、有難く拝読させて頂くことにしました。

 そしたら、めっちゃ面白い。めたらやったら面白いのです。もともと、「学界の異端児」と言われた梅原猛氏の著作には興味があり、何冊か読んだことがあります。以前、梅原氏が書いた「歴史上、日本が生んだ最大の思想家は法然だ」という一文を読んだことがきっかけで、法然に興味を持ち、日本の浄土教思想を勉強するようになったことも告白しておきます。梅原氏のおかげです。

 随分、前置きが長くなりました(笑)。少し引用させて頂きます。

・「古事記」を素直に読む限り、アマテラスを開祖とするヤマト王朝の前に、スサノオを開祖とする出雲王朝が、この日本に君臨していたと考えねばならない。(34ページ)

・「古事記」では、阿波の国は、「粟(あわ)の国」と書かれている。…日本は、稲作農業以前に粟、稗(ひえ)、黍(きび)、麦、小豆、大豆などの雑穀農業が行われていたと思われるが、徳島県、すなわち阿波は、この雑穀農業のうち粟農業が日本で最初に行われた国ではなかろうか。また、(黍農業が行われた)岡山県、すなわち吉備も、出雲王朝の権力が及ぶところであった。(43ページ)

・スサノオがヤマタノオロチを斬った刀は「韓鋤(からさい)の剣」であるという。韓鋤の剣とは韓国(からくに)から伝来した小刀のことを指す。その韓鋤の剣でヤマタノオロチを斬ったとすれば、スサノオ自身も韓国から来たと考えるのが自然であろう。(48ページ)

 いやあ、凄い大胆な推理ですね。いや、推理なんて言ったらいけないのかもしれません。ただ、私自身の勉強不足で定かではありませんが、これらは、古代史家からは定説として認められていないかもしれません。もう8年以上前に出版された本ですが、学会では無視されたのか、論争になったという記憶もありません。私が知らないだけなのでしょうが…。

 確かに、出雲の国は、大陸や半島との交流・貿易が盛んで一足先に文明が進歩した所だったのでしょう。別の本で読んだのですが、出雲は、タタール人から伝えられた製鉄法で鉄器を生産し、農業や船つくり、そして巨大な神殿づくりが発展した国でもありました。それがオオクニヌシの時代になって「国譲り」の形で、大和朝廷に併合されてしまうのが神話ですが、これは史実に近いのではないでしょうか。

特措法改正の緊急事態宣言は危ないのではないか?

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 まだ3月で、気が早いですが、今年2020年の流行語大賞は、「東京オリンピック」ではなくて、「新型コロナウイルス」で決まりですね。京都・清水寺の漢字一文字も、感染の「染」辺りじゃないでしょうか(苦笑)。

ということで、最近のニュースは、どこもかしこも、閉口するほと「新型コロナウイルス」の話ばかりです。「濃厚接触」だの「クラスター」だの耳慣れない「新語」もすっかり慣れてしまいました。この言葉は、20年後の未来の人が、意味が分からなかったり、違う意味に取ったりしてくれることを願いたいものです。

 個人的ながら、楽しみにしていた来週の高校の同窓会も結局、延期になってしまいました。「同調圧力」に屈したくなく、ギリギリまで開催を模索していたのですが、周囲の状況が許さなくなってしまいました。一番気になっていたのは、わざわざ遠方から参加してくれる友人たちです。1週間前という直前だったので、キャンセル料が発生するからです。幸い、その中の一人のK君の場合は、新型コロナウイルスによる中止延期の場合、新幹線料金のキャンセル料は免除してくれたそうです。まあ、「自粛要請」は国家的規模ですから、一企業としても配慮せざるを得なかったのでしょう。

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 政府は、海外からの渡航者のうち、中国と韓国からは、入国後、二週間は、日本人なら自宅で、外国人ならホテルなどの施設で謹慎してもらう検疫上の措置を取ることになりました。二週間のホテル滞在費は、「自前」ということにしたそうなので、これでは来日、訪日する中国人、韓国人は激減するはずです。まるで「鎖国」ですね(苦笑)。我々今、歴史的な変革期に生きている感じがします。

 この緊急措置に対して、早速、中国政府は「概ね妥当」だとしましたが、韓国外務省は猛烈な抗議をして同じような対抗措置を取ることを発表しました。でも、これは致し方ないんじゃないでしょうか。自然の猛威というか、ウイルスの猛威ですから、人智の及ばない所があるからです。

 それどころか、安倍政権は、日本国民に対しては、来週14日にも、「緊急事態宣言」を施行する構えです。多くの人は甘く考えているようですが、こんな宣言が出されたら、外出禁止令だの集会禁止令だの大幅な私権が制限されることが予想され、国民を不安に陥れます。安倍首相は、新型コロナウイルスにかこつけて、「閣議決定」だけで何でもやりかねませんからね。

 今のメディアは御用新聞化してチェック機能が疎かになっているので、気が付いた時は「いつか来た道」を歩いているかもしれません。

【後記】

 一部のメディアしか報道していませんが、2012年成立の新型インフルエンザ対策特別措置法が改正されて、緊急事態宣言が施行されると、市民の外出や集会を制限できるほか、所有者の同意を得ずに土地・建物の収用なども可能になるといいます。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020030401247&g=pol ☜ 時事通信

大丈夫かなあ?

 

田路舜哉、津田久…住友商事をつくった人たち

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こんにちは 大分の三浦先生です。

 この3月1日から、日本経済新聞の最終面の名物「私の履歴書」で、段ボールの最大手レンゴーの会長兼社長の大坪清氏(1939~)の武勇伝が連載されています。賢い渓流斎さんのことですから、既にお読みになっていることでしょう。

本日(3月6日)も名前が出て来ますが、大坪氏の入社試験で面接した住友商事の社長だった「津田久」という方は、大変面白い人物です。連載の前回に書いてありましたが、住友商事は、財閥の商社の中でも後発で、戦後の昭和20年11月に「日本建設産業」の名称でスタートしました。知らなかったでしょ?当時は「十大商社の9番目」。住友金属(現日本製鉄)関係との取引が際立つ「鉄鋼商社」とも言われていました。それを総合商社として大きく成長させたのが津田久です。

 もう一人、 摂津板紙の創業者である 「増田義雄」 も出てきますが、彼も大変喧嘩早く、今のITか何かの青年実業家なんかと違って、アクが強く、新聞・雑誌記者たちがその逸話を取り上げるだけで、下手な文章でも、輝き出すような取材対象です(笑)。

 津田久も、その前の社長で事実上の住商を創業した「田路舜哉(とうじ・しゅんや)」も東京帝大出身で、卒業後、住友本社に入り、戦後の住友グループの事業拡大に尽力があった逸材です。

 田路は、「ケンカ、とうじ」と言われたり、名刀のように切れるので「村正」と言われたり、まあ、凄いあだ名がついた面白い逸材です。

住友グループの原点の別子銅山に関連して、「別子三羽烏」など綽名もついていたそうで、それだけ、個性のある人物が数多いたわけですね。

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田路の上司で、田路を可愛がった「鷲尾勘解治(わしお・かげじ)」は、住友本社の大幹部で、別子銅山の最高責任者だったのに、住友本社と対立して、住友を去ります。鷲尾は「鉱夫の気持ちが分かるには自分も鉱夫にならないとダメだ」と自ら鉱夫になって懸命に働き、同時に別子銅山の鉱脈の将来性も見通し、次の事業展開も考えていたそうです。

 田路もそうした気風の継承者で、叙勲も固辞しています。まあ、皆さん、信念と気骨のある人ばかりですね。そういう残影に多少でも接した大坪氏だけに、「私の履歴書」には人間味のある逸話が多く出てくるのです(笑)

 えっ?大坪清も増田義雄も津田久も田路舜哉も鷲尾勘解治も初めて聞く名前ですか?ああたのことですから、すぐ、ごっちゃになって、津田清とか、大坪義雄とか、言い出すことでしょう(笑)

 政界も財界も官界も文学界も、人物の逸話が面白いのです。「こんな人がいたんだ」「こういう人たちのお蔭で今の我々がいるのだ」などと、歴史から学ばなければいけません。渓流斎さんも、政治家や財界人を毛嫌いせずにジャンルを超えて知らなければなりませんよ。

日本共産党と社会党がソ連から資金援助を受けていた話=名越健郎著「秘密資金の戦後政党史」

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(渓流斎ブログ3月3日付「冷戦期、自民党は米国からお金をもらい、社会党と共産党はソ連からお金をもらっていた」のつづき)

 名越健郎著「秘密資金の戦後政党史」(新潮選書)の前半は、冷戦時代、自民党が米国からたんまりとお金をもらっていた、という話でしたが、後半は、日本共産党と社会党がソ連から資金援助と便宜供与を受けていたという話です。公文書から具体的に書かれています。

 共産党の場合はこうです。

 ソ連共産党による秘密基金に関する「特別ファイル」の全ての記録は確認できなかったが、判明しただけでも、1951年に10万ドル、55年25万ドル、58年に5万ドル、59年に5万ドル、61年に10万ドル、62年に15万ドル、63年に15万ドルーと少なくても7年で計85万ドルが供与された。この期間の85万ドルは、現在の貨幣価値では30億円以上に匹敵すると思われる。(176~177ページ)

 社会党の場合は、1950年代は中国から60年代からソ連から「友好商社方式」と呼ばれる迂回融資の形で、お金をもらっていました。

 原彬久元東京国際大学教授の著した「戦後史のなかの日本社会党」(中公新書)によると、社会党の浅沼稲次郎委員長の「米帝国主義は日中両国人民の共通の敵」(1959年3月の訪中の際)発言を前後して、中国は日本に「友好商社」を設け、これを通じて中国産の漆、食料品等のいわゆる「配慮物資」を流し、この友好商社の利益の一部を社会党の派閥・個人に還流していったことは、周知の事実であるといいます。(236ページ)

 その後、社会党は、資金援助を中国からソ連に切り替えます。そのきっかけは、1961年のソ連ミコヤン副首相の訪日だったといいます。歴史的な中ソ対立の最中、同副首相は、社会党の河上丈太郎委員長に対し、「日本共産党が中国共産党に接近したので、ソ連共産党は社会党との関係を深めたい」と正式に申し入れ、本格化したといいます。これを受けて、64年7月に成田知巳書記長を団長とする第3次訪ソ団がフルシチョフ首相らと会談し、貿易面の全面協力などを含む共同声明を発表します。(242ページなど)

 これによって、優遇された社会党系商社がソ連との貿易で利益を得て、その一部を社会党に還元していくシステムが確立したわけです。(社会党がソ連寄りになったのは、共産党が60年代から「自主独立路線」を提唱してソ連から離れたことや、70年代に「日中両国の共通の敵」だった米国が中国に接近したことが要因になっています)

 著者は「ソ連がチェコスロバキアの自由化運動『プラハの春』を戦車で鎮圧した1968年のチェコ事件は、ソ連型社会主義への失望を高めたが、社会党左派の理論的指導者、向坂逸郎や岩井章総評事務局長らはソ連の行動を公然と擁護した」と書き、暗に、社会党系は、ソ連からお金をもらっているから批判できなかった、ことを示唆しています。

 嗚呼、公開された公文書によると、自民党は少なくとも1964年まで米国からたんまりとお金をもらって、ズブズブの関係。そんな大企業中心の金権政治に嫌気をさして、共産党と社会党にユートピア世界建設の夢を託していた大衆も、見事、裏切られていたわけですね。ソ連から利益供与を受けた党が全権を掌握すれば、日本はソ連の衛星国になっていたことでしょう。

 別に今さらカマトトぶるわけではありませんが、こんなんでは政治不信、と同時に人間不信になってしまいます。