荒行「大峯千日回峰行」を満行した塩沼亮潤大阿闍梨

 昨晩は、自宅近くの歩道で、暗闇のせいか、段差に気付かずズッコケてしまい、右膝に軽い打撲傷を負ってしまいました。昼間でしたら、段差に気が付いていたことでしょうが、反射神経も鈍くなったものです。

 さて、先日、「大峯千日回峰行の道を行く 修験道・塩沼亮潤の世界」というタイトルのドキュメンタリー番組を見ました。(24日に再放送があります)

 修験の行者・塩沼亮潤大阿闍梨(52)については全く知りませんでしたが、みるみる引き込まれました。塩沼氏が大阿闍梨の称号を持つのは、彼が荒行「大峯千日回峰行」を満行を成し遂げた人だからです。「大峯千日回峰行」とは、修験道発祥の地と言われる奈良県大峯山で一日48キロ(吉野金峰山寺~大峯山山上ケ岳=さんじょうがたけ=の険しい山道を往復)を5月から9月の間、9年間、歩き、その上で、9日間「飲まず」「食べず」「寝ず」「横にならず」の「四無行」までやり遂げなければなりません。まさに生死の境目を体験する荒行で、塩沼氏の達成は史上2人目ということは納得できます。(「四無行」を満行したのは2000年ということですから、同氏32歳の時だと思われます)

 塩沼氏は、実家のある仙台に戻り、慈眼寺(じげんじ)という寺院を建立し、護摩行を行い、噂を聞きつけた人々が全国から集まります。不動明王が御本尊の護摩堂で、人々が「家内安全」や「病気平癒」などと書いた木片を火にくべると大きな炎が立ち上がり、人々も一斉にお祈りします。

 護摩行なので、真言密教かと思いましたら、慈眼寺のホームページを見てもはっきり宗派は書かれていません。塩沼氏は奈良県吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)で修行されたことから、金峯山修験本宗だと思われます。この宗派も初めて知りました。修験道ですが奥が深いです。

 塩沼氏は、僧侶になるつもりはなかったといいます。中学2年生の多感な時に、家庭内暴力を振るう実父が家を出て、極貧の中、母親一人の手で育てられます。その時、母親から「恨み、憎しみを持ってはいけない」と諭されたことが、後の彼の人生に大きな影響を与えたようです。

 人が恨みや憎しみをなくすことなど、なかなか出来ることではありません。煩悩凡夫の私はとてもできません。それなのに、彼はいつも笑顔を絶やさず、「謙虚」「素直」「感謝」を心がけているといいます。仏教で言う「和顔施」でしょう。

 そして、彼の座右の銘は「独り慎む」だと言います。誰も見ていなくても、襟を正して慎み深い行動をする、といった意味らしいですが、英国ジェントルマンのモットーみたいですね。

 番組を見て感動したものですから、こうしてブログに書いておりますが、私は天邪鬼ですから、少し引っ掛かることもあります。素直じゃないんですね(笑)。

 ネットでは彼の笑顔のプロフィールや立派な慈眼寺のホームページが出てきます。英語版もあるので海外の信者もいるようで、コロナ禍の前は年に何度か海外にも出かけていたようです。

 現代は「家」の絆も薄れ、「墓仕舞い」をする家も現れ、オウム真理教やカトリック神父による性虐待事件などの影響からか、宗教離れをする人々も増えてきています。特に地方では住職のいない寺も増え、廃寺になる寺院も多いと聞きます。

 何を言いたいのかといいますと、寺の経営が大変だろうなあ、ということです。しかも、彼は自分の寺を創建したぐらいですからね。テレビに出て露出して有名にならなければならないし、番組を見るとお弟子さんも沢山いらっしゃるようで、どういう風に捻出されているのかなあ、と心配になりました。番組では全く出てきませんでしたが、墓地もあって檀家さんもいるのかなあ、と思ったりしました。

 まあ、天邪鬼の戯言です。御寛恕の程を。