凄過ぎる木下グループ=PCR検査までやるとは

  東京・新橋駅前に来店型の「新型コロナPCR検査センター」が12月4日から開業したことをニュースで知りました。完全予約制(ウエブなど)で、店舗で唾液を採取(所要時間3分前後)し、翌日には結果が本人に通知されるそうです。検査価格は2900円(税別)。それは良いとして、驚いたことに、この「新型コロナ検査センター」という会社は、木下グループの一員だということです。

 木下グループは、木下工務店を中心にした建設会社グループだと思いきや、映画「関ケ原」などの製作や、ハリウッド映画「ミッドウエイ」など海外映画の配給をやっているキノフィルムズ、東京や福岡にある映画館キノシネマ、俳優の小林稔侍、光石研、オダギリジョーらが所属する芸能プロダクションの鈍牛倶楽部、それにラジオのインターFMの100%株主といった芸能、報道関係、それに木下スケートアカデミーや水谷隼、張本智和ら卓球選手のスポンサーなどスポーツ関係の会社を運営しています。

 そこまでは、私も何となく知っておりました。仕事で調べたことがあったからです。でも、この木下グループが医療、福祉、教育関係にまで「進出」していたとは知りませんでしたね。木下グループのホームページを見ると、「木下の介護」「木下の保育」「木下福祉アカデミー」「木下未来学園」…何でもござれです。「新型コロナ検査センター」はグループ100%子会社で、グループ内の医療法人和光会が監修しているとのこと。意外でしたね。知らなかった人も多いと思います。

 建設会社から芸能、病院まで、どこか節操がないほど広範囲にカバーしている木下グループは凄過ぎますね。これだけ節操がないことで思い出すのは、このブログでどういうわけかアクセス数が多い、2017年2月23日に書いた「凄過ぎる滋慶学園」ぐらいです。

Luca Two-year old birthday

 つい、「節操がない」などと言ってしまいましたが、建設会社として出発して、芸能も医療も福祉も必要だったから、段々、拡大していったのかもしれません。

 木下グループは、株式を上場していないせいか、「会社概要」情報は「四季報」にも掲載されておらず、ネットでも正式に公開していないみたいですが、非公認のネット情報によると、現在のグループCEO木下直哉氏(1965年生まれ、福岡県出身)が2004年 に1000億円の債務超過に陥っていた木下工務店を買収して代表取締役に就任されたようです。木下氏は、同姓ながら木下工務店の創業者と関係がないようですが、キノフィルムズなど拡大戦略はこの人の経営手腕によるものだったんですね。かなりのやり手です。

 ラジオのインターFMを聴くと、盛んに「木下抗菌サービス」などのCMを流しています。メディアを広告媒体として相乗効果を狙っているのでしょう。

 コロナ禍の中、日本では縦割り行政の弊害でPCR検査が遅々として進んでいません。その間隙を縫って、営利事業としてPCR検査までやってしまうとは、木下グループ、凄過ぎる。

 12月5日午前11時の時点で、木下グループのPCR検査の予約サーバーが込み合っていて繋がらず。「12月8日まで予約は埋まっているので、9日以降のご予約を受け付けます」との告知がありました。

ランチで2~3万円はとても、とても=「銀座百点」12月号を読んで

 「銀座百点」という冊子があります。1955年に創刊、ということは今年で65周年にもなります。

  銀座に出店している小売店から大型店まで会員になっている協同組合「銀座百店会」が発行しています。紳士服の英國屋、カバンのタニザワ、真珠のミキモト、文房具の伊東屋、それに三笠会館や歌舞伎座、近年銀座に進出したユニクロまで現在会員数は125店に上ります。


 銀座百店会の広報誌的役割を持つのがこの「銀座百点」です。広報誌的とは言ってもあまり宣伝臭くなく、創刊号から久保田万太郎、吉屋信子、源氏鶏太ら一流作家が執筆し、また同誌に連載された作品で、向田邦子「父の詫び状」、池波正太郎「銀座日記」などがベストセラーになったりしています。

 年間定期購読料は4248円ですが、私は銀座の店で食事をしたり、物を買ったりした時、加盟店の店頭に「ご自由にお持ち帰りください」と置いてある時があるので、たまに貰っていくことがあります。

 先日は、銀座の天ぷら「ハゲ天」に久しぶりにランチをし、ハゲ天も銀座百店の会員で、お店にこの冊子の最新12月号が置いてあったので、お店の人に断って持ち帰ったのです。

 久しぶりに読んでみたら、私の大学時代の同級生・生駒芳子さんが「審美眼が求められる街」というタイトルで、エッセイを書いておられました。出世されましたねえ(笑)。彼女はファッション雑誌「マリー・クレール」の編集長なども歴任したファッション評論家ですが、10年前に、金沢に行って伝統工芸に目覚めてからは、「伝統工芸・ファッションプロデューサー」の肩書で今はお仕事されているようです。

 彼女が駆け出し雑誌ライターだった頃、東銀座のマガジンハウス(恐らく当時は平凡出版だったかも)にほぼ毎日、朝まで詰めて原稿を書いていたらしく、その時に一番楽しみにしていたのが、歌舞伎座の裏にあった「さつまや」というご飯屋さん。「そこで頂くおでんやお魚定食は、美意識に溢れた本物の味」と書かれていたので、「行ってみようかなあ」と思ったら、程なくして閉店してしまったそうです。嗚呼、残念でした。

 ほかに、私も25年ぐらい昔、六本木の事務所でインタビューしたことがある作曲家の三枝成彰さんが「いつまでも特別な場所」というタイトルで、同氏が贔屓にしている行きつけの銀座の店を書いておられます。

 そしたら吃驚、ビックリ、そのまたびっくりです。

 三枝氏ご贔屓の「すきやばし次郎」はミシュランが認めた超一流の寿司店ですが、確か、ランチでも3万円はくだらない値段です。数寄屋橋通りのおでん店「おぐ羅」は、グルメネットの相場を検索してみると、7000円ぐらい。歌舞伎座の向かいの路地にある京料理「井雪」は、「日本料理の神髄が味わえる」らしいのですが、5万円から6万円。新橋演舞場近くにあるステーキ店「ひらやま」は、「肉好きの方には是非一度、行っていただきたい」と三枝先生は仰いますが、ランチが1万5000円~2万円、ディナーは5万円~6万円が相場のようです。

東銀座「井雪」 「日本料理の神髄が味わえる」そうですよ。

 並木通りのフレンチレストラン「ロオジエ」は、三枝氏がよく行かれる店のようですが、こちらもランチが1万5000円~2万円、ディナーは5万円~6万円。「金春湯」の近くにある高級居酒屋「大羽」も「好きな店だ」と書かれてますが、2万円~3万円。

 まあ、これぐらいにして、凡夫の私が吃驚仰天するのはお分かりになって頂けたかもしれません。何しろ、私は「銀座で500円のランチが食べられた!」と嬉々としてブログに書くような輩ですからね。人間的にも器が小さい、小さい。我ながら嫌になりますよ。

 でも、オペラも作曲される三枝氏のような大物の有名作曲家ともなると、毎日のようにランチ2~3万円、ディナー5~6万円は普通で何ともないんですね。協奏曲や管弦楽曲などのほかに、映画音楽やテレビニュースのテーマ曲、CMなど作品の印税が入って来るからだと思われます。人間的にも器が大きくなるはずです。

 

どうなる眞子さま、ご結婚問題?=そして、橋田壽賀子先生の思い出

  今、世間ではあの話題で騒然、まさに沸騰しています。

 戦前なら「不敬罪」で、獄中入り間違いなしでしょうが、自由と民主主義の成熟した国家になった今は大丈夫だからなのでしょう。多少、度が過ぎた報道もありますが…。

 例えば、週刊文春は、「総力取材」と称して「虚栄の履歴 小室さん母子の正体」「抗議殺到、職員連続退職…追い詰められる秋篠宮家」と見出しだけで内容が分かるような書き方です。中には「高3 社長令嬢との交際に母歓喜『いいじゃない!』」は、笑わせてもらいました。

 いつも斜から世間を見据える週刊新潮は、「『眞子さま』ご結婚でどうなる 『髪結いの亭主』との生活設計」と大見出し。眞子さまを何でかぎかっこにするのか不思議です。あの世間を騒がせている眞子さま、と強調したいんでしょうか(笑)。中見出しの中には「『あの方々が親戚になるの…』女性皇族から戸惑いの声」とインサイダー情報まで載せています。

 もう一つ、同誌では「『皇室を揺るがす婚姻』に思う」と題して識者にインタビューしています。この中で、脚本家の橋田壽賀子さんが登場し、「渡る世間に佳代さんがいても」などととコメントしています。

 で、お前さんはその週刊誌を買ったのかい?と聞かれそうですが、これだけ充実した(?)見出しを読まされると、何か、全文読んだ気になってしまい、もうお腹いっぱいです(笑)。特に、私なんか、見出しを読むどころか、こうして、わざわざ、一字一句書き写していますからね。勿論引用として。

 ところで、最後に引用した橋田壽賀子さんには、個人的な思い出があります。

京都・光明寺 Copyright par Kyoraquesensei

 今ではシリーズ化して日本人なら知らない人はいないドラマ「渡る世間は鬼ばかり」をTBSが開局40周年企画として初めて製作発表した1990年のことですから、もう30年も昔の話です。

 マスコミ用語に「かこみ」取材というものがありますが、椅子に座って対峙した正式な記者会見のほかに、懇親会か何かで、対象者を囲んで話を聞いたりする取材があり、「かこみ」はその後者を指します。その「渡る世間…」の製作発表の直後だったか、後日改めて大々的に開かれた懇親会だったか忘れてしまいましたが、長山藍子さんや中田喜子さんといった女優さんと一緒に脚本家の橋田さんも参加していました。

 その時、橋田さんを囲んだのは私を含めて3人か4人ぐらいだったと思います。私はもともと、こういった家庭ドラマは興味も関心もないし、嫁と姑めの古典的な争いも何かマンネリみたいな感じだったので、仕事として適当に話を聞いていました。

 橋田先生は饒舌な方で、喋るは、喋るは…。「早く終わらないかな」といった表情を私がしたのかもしれません。突然、喋り続けていた橋田先生が、ピタッと話をやめ、よりによって、私の傍に近寄ってきて、「ああた、さっきから私の話、聞いてないでしょ!!」と怒り出したのです。

 「その通りです」と正直に告白するわけにもいかず、「いいえ、そんなことありませんよ。一生懸命聞いてますよ」と、冷や汗をかきながら自己弁護するのに必死になったことを今でも覚えています。(橋田先生は、TBSの社長が車寄せまでお出迎えするほど超VIPだということは後で知りました)

 ということで、正直、私自身、日本人なら知らない人はいない著名ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」を全編通して真面目に見たことはありません。そして、今でも橋田壽賀子先生の「ああた、さっきから私の話、聞いてないでしょ!!」というお言葉が、耳の奥にこびりつくように残っています。

でも、どうして分かっちゃったのかなあ? 正直者なので、顔に出ちゃうのかなあ…?橋田壽賀子先生、覚えていますか?

スウイング感に痺れました=エラ・フィッツジェラルド「エラ ~ザ・ロスト・ベルリン・テープ」

 久しぶりに、本当に久しぶりにCDレコードを買いました。

 20世紀最高の女性ジャズ・ヴォーカリストの一人と言われるエラ・フィッツジェラルド(1917~96)の「エラ ~ザ・ロスト・ベルリン・テープ」(ユニバーサル)です。

 「最高の一人」という言い方も変なのですが、「女王は、ビリー・ホリデイだ」「いや、サラ・ヴォーンでしょう」という人がいるからです。あとは好みの問題でしょう。

 このアルバムは、音楽プロデューサーで、「ヴァーヴ」などのジャズレーベルを創設したノーマン・グランツ(1918~2001)がプライベート・コレクションとして保管していた未公開ライヴ・テープをCD化したものです。テープは最近になって発見されたそうです。これは1962年にベルリンで録音されたライヴ音源で、私も先日、FMラジオで初めて聴いて、すっかり魅せられてしまい、久しぶりにレコード店に足を運んだわけです。

 エラのベルリン・ライヴといえば、1960年に録音された有名な「マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン」があり、これはグラミー賞受賞した名盤です。

 でも、はっきり言って、同じベルリン・ライヴでも、私自身は、こっちの62年録音の「ザ・ロスト・ベルリン・テープ」の方が好きですね。

  スウイング(ノリ)感が全然違います。特に、60年盤でタイトルにもなって有名になった「マック・ザ・ナイフ」は、62年盤では脂の乗り切ったといいますか、少女のような可憐さとベテランの熟練さを合わせ持ったようなヴォーカルです。途中で、乗りに乗ってサッチモ(ルイ・アームストロング)の真似もしています。調べてみたら、この時彼女は45歳だったんですね。

山野楽器の入り口は狭くなりました

 60年盤はギターも入ってますが、62年盤は、ポール・スミスのピアノ、ウィルフレッド・ミドルブルックスのベース、スタン・リーヴィーのドラムスのトリオ。わずか3人なのに、オーケストラのような厚みのある音色を奏でるのです。特に、エラのお気に入りのスミスのピアノは、ピカ一ですね。音楽理論に詳しくないのですが、ジャズ・ヴォーカルのピアノ演奏は、クラシックともロックとも違い、独特というか、異様です。不協和音に近い独特の度数の兼ね合いで、さすがプロ、よくぞ、音程を外さないで唄えるものでした。勿論、この微妙な不協音が、聴く者に心地良い緊張感も与えてくれます。

 1962年といえば、ちょうどビートルズがデビューした年です。エラの「ザ・ロスト・ベルリン・テープ」には「ハレルヤ・アイ・ラブ・ヒム・ソー」も収録されていました。この曲は、1957年のレイ・チャールズのヒット曲ですが、デビュー前のビートルズがドイツのハンブルクで演奏していた曲だったので、「おー、あの曲だあ」と思ってしまいました。

 今はネットで情報が沢山入ってきます。調べてみると、エラの生涯も子どもの頃に孤児院に入れられたり、早く親を亡くしたり、幸せな環境で生育したとはいえませんでした。二度の離婚経験もありました。孤児などという境遇はフランス・シャンソンの女王エディット・ピアフに似ていますね。ジョン・レノンも子どもの頃に両親に「捨てられた」というトラウマが大人になってもなくなりませんでした。歴史に残る大スターに共通しているので、子どもの頃の不幸は、スーパースターになる条件にさえ思えてきてしまいました。

 このCDを買ったのは、東京・銀座の山野楽器です。半年ぐらい、ビルを改装していましたが、新装開店したこの店に入って吃驚です。2階を中心に、大手携帯電話会社のショップが入居し、CDレコードは4階に追いやられていました。

 しかも、演歌もロックもクラシックもジャズも同じフロアです。以前は、地下にDVDがあり、1階はJ-POPSや演歌、2階は確か(笑)クラシック、3階は確か(笑)ジャズと別れていたのに、凄い縮小ぶりです。

携帯電話ショップになってしまった山野楽器

 つまりは、皆、CDを買わなくなっちゃったということなんでしょうね。今、ネットでユーチューブもあれば、スポッティファイもあり、わざわざお金を出さなくてもタダで音楽は見たり聴いたりできちゃいますからね。

 それに、少子高齢化でピアノを始め、楽器を買う家庭も少なくなってしまったのかもしれません。

 小生は14年前に、この山野楽器で思い切って、目の玉が飛び出るほど高いフォークギター「マーチンD-28」を買ったことがあります。このギターは、ビートルズのプロモーションビデオの「ハローグッドバイ」でジョン・レノンが弾き、映画「レット・イット・ビー」の中では、ポール・マッカートニーがこのマーチンで「トゥ・オブ・アス」を唄っていました。

 山野楽器のギターショップも縮小されたでしょうが、何か哀しくて、そこまで行けませんでした。

朝日新聞が危ない!?=中間決算で419億円の大赤字

 昨日、朝日新聞社が2020年9月中間連結決算を発表しましたが、純損益が約419億円の大赤字だったことを明らかにしました。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、売上高が前年同期比22.5%減の1390億円余だったらしいのですが、それにしても赤字幅が莫大です。9年ぶりの赤字だそうですが、渡辺雅隆社長は来年4月1日に社長から退き、中村史郎副社長を後任とする意向を表明しました。

 若い人の新聞離れで、購読者が激減したことが赤字の原因であることは確かですが、もう一つ、広告収入の激減も要因だと思われます。コロナ禍では、旅行の広告はほぼゼロになりましたし、宝飾品やブランドものの高級品も売り上げが落ち、広告を出稿するどころではありません。

 朝日は日本一のクオリティーペーパーだというのに、昔だったらプライドが邪魔して掲載しなかった摩訶不思議な滋養強壮剤や三流の格落ちの通販の広告ばかりで穴埋めするようになりました。

 結局、本業の新聞業では儲からないので、東京・銀座の一等地などにある不動産業で鎬を削っているのが実情です。別に朝日だけでなく、天下の読売新聞も毎日新聞も似たような状況です。

 今や新聞業界は斜陽産業化し、優秀な人材も入って来ないという悪循環に悩まされています。でも、これは、単に、新聞業界だけの問題ではなく、日本全体の問題になることをほとんどの人は知りません。健全なメディアがあってこそ、健全な国家ができるからです。政治家の汚職をチェックする報道機関が劣化すれば、悪徳政治が蔓延るわけです。

 とはいえ、そういう危機的状況が日増しに深刻になってきました。誰が、こんな状況を想像できたことでしょうか?

 勿論、一番大きい原因は、インターネットの発達だと思いますが、それ以外にも要因があると私は睨んでいます。

 特に朝日新聞は日本を代表する新聞社です。それが故に、取材記者も社風もかなり傲慢な点が垣間見られ、私自身のかつての経験から、「驕れるものも久しからず」と、いつか朝日新聞は衰退するのではないかと思ったことがあったのです。

 もう時効ですから、この際、書いてみます。今から28年ぐらい昔の1993年1月のことでした。

Mt Fuji Copyright par Duc de Matsuoqua

 園山俊二という漫画家がいました。私も「はじめ人間ギャートルズ」とか「花の係長」などを愛読していました。彼は、その1993年1月20日に57歳の若さで亡くなるのですが、その翌日の21日の午前11時頃だったと思います。私は当時、通信社の文化部記者でした。デスクにいたら、「どうも園山俊二さんが亡くなったらしい」という一報というか、噂が流れてきました。著名人ですから、訃報記事を書かなければなりません。

 私は、早速、園山さんの自宅に電話しました。そしたら、電話に出てきた遺族らしき方から「そういう話でしたら、朝日新聞の方に聞いてください。そちらが窓口になっていますから」と仰るので、朝日に電話を掛け直しました。

 園山さんは前年の12月まで朝日新聞に「ペエスケ」という四コマ漫画を長期連載していたので、「窓口」になることは理にかなっていました。

 そして、朝日新聞の代表に電話をし、こちらの名前と所属もはっきりと伝えて、担当者につないでもらいました。そしたら、出てきたその「担当者」らしき人物は「今日のウチ(朝日新聞)の夕刊に(園山氏の訃報が)出ますから、それを見てください」と言い放ったのです。

 「えーーー」ですよ。こちらは夕刊の締め切りに間に合わせようと必死に取材しているのに、何でそんな木で鼻をくくったような応対しかできないのでしょうか。通信社は新聞、テレビ、ラジオ等全国のいや、全世界に第一報を伝える使命があり、速報だけはどこの社より先んじなければなりません。

 担当者はそれを知っていて、ワザと「教えてあげないよ」といった態度を取ったのかもしれません。通信社が配信すれば、他のライバル新聞社も情報を知ることになります。園山俊二さんは朝日に長期連載していた、いわば自分の社が囲っていた作家さんです。他社にスクープされてはたまったものではなかったのかもしれません。

 話は前後するかもしれませんが、その時だったのか、その前のことだったのか、「朝日に載らない記事はニュースではない」と朝日新聞の関係者に聞かされたことがありました。何と言う傲慢。今のようなネット時代、普通の市民でさえニュースを発信する時代では、こんな話を聞かされれば、単なる笑い話に過ぎませんが、当時は、実際、その通りの話でしたので、こんな風に邪見にされると、「驕れるものも久しからず」と怒りに任せて、心の中で呟いたものでした。

◇頑張れ!朝日新聞

 あれから28年。朝日新聞の凋落は目を覆うばかりです。名物コラム「天声人語」を読んでも、まるで「渓流斎日乗」を読んでいるみたいで、パンチも風刺も鋭い知性すら感じず、気の抜けたビールのような文章です。

 「為政者には耳が痛い事ばかりを書く朝日を潰せ」といった政治家の陰謀説の噂が流れていますが、そんな陰謀説の前に、このまま赤字が続けば、風前の灯火といった状況です。

 9連覇を達成した読売巨人軍のように、あの憎たらしいほど強かった傲慢な、そしてその実力が伴った朝日新聞に戻って来てほしいものですが、私のような者から同情されるようでは駄目ですよ。私自身も、こんなことを書いて、「意趣返し」などと思われたくありませんから。

 私が書いた長い記事がそのまま朝日新聞に掲載された時は、嬉しかったことを付け加えておきます。(読者は全く知らないことですが)