自己中心的な日本人が増えたのでは?=コロナ禍で心の余裕がなくなったのか?

◇セロトニントランスポーターが少ない日本人

 ブログなんかに、正直に心の内を書くべきではないのかもしれませんが、私は、ここ毎日のように、社会や政治に対する「不満」と「不快」と、そして何よりもぼんやりとした「不安」の「3不」を抱えて生きています。だから生きているのが辛く、苦しくなります。

 最後の「不安」ですが、脳科学者の中野信子さんによると、日本人の97%がセロトニントランスポーターという遺伝子が少ないので、不安を感じる人が多いのだといいます。

 セロトニンとは、ストレス物質であるノルアドレナリンの作用を抑制して、不安を鎮める役割があります。でも、何でも「諸刃の剣」という側面があり、このセロトニンが多過ぎても、大胆不敵で、羽目を外して、犯罪まがいの無謀な行いも平気でしてしまうことになります。日本人にセロトニントランスポーターが少ないのは、古代から地震、雷、噴火、津波、水害など天災があまりにも多かったため、不安を感じて、将来に備えて準備するような遺伝子を持った人間だけが生き残ってきたからではないかというのが中野氏の説です。

 セロトニントランスポーターが多い民族は、北欧や南欧に多いそうですが、いわゆる冒険心が強いので、バイキングになったり、新大陸を発見したり、インカ帝国やアステカ帝国を滅ぼしたりするんですね。

 農耕社会の日本人は、作業に協力しない不逞の輩を村八分にしたり、同調圧力で監視社会を作ったりしたわけで、今の日本社会にもその遺伝子が繋がっているわけです。少しでも、セロトニントランスポーターが多い人は、そんな閉鎖社会に嫌気をさして、国内を放浪するか、海外に逃避行したりするわけです。

◇譲り合いの精神が喪失

 そんな日本人も最近、随分変わってきたように思われます。セロトニントランスポーターが増えて、大胆不敵になった、とも言えます。恐らく、コロナ禍で皆が本当にイライラしているせいかもしれません。電車に乗っても、真冬で着ぶくれしているせいか、座席に座っても隣同士窮屈になります。お互いさまなのに、急に大声を出して威喝する輩を毎日のように見かけます。大胆、40代ぐらいの男が多いです。狭い歩道を歩いていて、こちらが右側の端っこを歩いても、向こうから歩いてくる輩は、絶対によけたりせず、「オラオラ、この爺い、モタモタすんな、ドケい」と睨みつけてきます。とにかく、譲り合いの精神が喪失してしまっているのです。

◇異星人を見るような目つき

 こんな不快は、私が住む関東人に多いのかと思ったら、昨日、久しぶりに中部地方に住む旧い友人と電話で話をしたところ、何処(いずこ)も同じ冬の夕暮れでした。彼は、かつて大病して障碍者手帳を持つ身で、まだ老け込む年でもないのに、歩くときは杖が手離せません。電車やバスに乗る際、揺れると引っ繰り返ってしまうので、なるべく座るようにしています。それなのに、優先席に座っている若者は、スマホに夢中で、一切、周囲を気配ることなく、当然の権利として座り続けるというのです。

 友人は仕方がないので、そこは優先席であるため、席を譲ってくれるように懇願すると、さも驚いたように、相手を宇宙人か異星人か珍しい動物でも見るかのような目つきで、そして、自分のプライドだけが傷つけられて、恥をかかされたような雰囲気を醸し出して、実に不愉快そうに立ち去るというのです。自分は何も悪いことはしていない。無実だ、と言いたそうに。

 それは一人や二人ではなく、何十人も、皆そうだというのです。

◇優秀で心優しい日本人は何処に行った?

 あらまあ、世界に比類なき優秀で、心優しい、節度と品格があり、教養が高い日本人なんじゃなかったのでしょうか?スマホで夢中になっているのは、たかだかゲームとかSNSです。目の前にいる困っている人間には眼中になく、ヴァーチャルな世界にだけ浸っているのです。

 日本人はこういう自己中心的な人間を世の中に生み出すためだけに、社会を作り上げてきたかと思うと、不快で不快でしょうがありません。

 今、ロシアでは、プーチン独裁政権下で、反政府指導者のアレクセイ・ナワリヌイ氏が拘束されたことから、全土で同氏釈放を求めて、デモが広がり、1月23日は3000人以上が拘束されたという報道があります。警官が若者を殴りつけている場面もありました。今の日本は、菅義偉政権の支持率が各社の世論調査で30%台という「危険水域」に達しても、ロシアのような深刻なデモ運動や政権交代の気運も起きません。

 今はコロナ禍で、外国人観光客が皆無となり、街では日本人だけが目立つようになりました。そのせいか、余計に日本人の「アラ」が目立つようになったと感じるのは私だけなのでしょうか?