高校時代からの親友神林康君が急死=ショックで立ち直れない

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 海城高校時代からの親友が急死したと聞いて、落ち込んでいます。

 今朝、急にテリー君から「康さん 御冥福をお祈りします。」とメールがあり、「えっ?何のこと? 高校の先輩で国際暗黒プロデューサーとして著名の康芳夫氏に御不幸があったのかしら?」と思ったら御健在で、後で、親友の神林康君のことだと分かり吃驚仰天。しかも、亡くなったのは4月27日(火)だったということで、10日も前のこと。病院に行く前に心筋梗塞で倒れ、そのまま、帰らぬ人になったというのです。行年64歳。今の御時世、若過ぎる。

 彼は一人っ子の独身で、都内で独り暮らしだったので、伝えようがありません。彼とは月に数回は連絡を取り合っていて、亡くなる数日前にテレビ電話で私の孫と一緒に話したばかりだったので、余計にショックでした。

 彼とは高校時代からのバンド仲間でした。彼の急死がどうして分かったかと言いますと、同じバンド仲間の幸信君が神林君とは中学、高校とも同窓で、中学時代のグループが、最近、神林君から連絡がないと不審に思い、連絡を取ったら、神林君の従兄弟が出てきて訃報を知らせてくれたというのです。

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 それにしてもショックです。彼と初めて会ったのは高校1年の時で、私が無謀にも東京・池袋の東武百貨店内の楽器店で開催された素人バンド演奏会に申し込み、あまりにも下手くそだったので、観客として来ていた幸信君の中学時代からの友人だった神林君が堪りかねて飛び入り参加してくれたのでした。ギターとボーカルが私、ギターが幸信君、ドラムが黒川君、キーボードが武藤君、ベースが福沢君だったと思いますが、記憶は曖昧。皆、1年5組でした。神林君は1年8組でベーシストで、他の人とバンドを組んでいました。

 高校2年になると、彼とは同じクラスになり、ギター幸信君、ドラムス黒川君、ベース神林君との4人で、ビートルズのコピーバンドを結成しました。大学時代まで続き、名前は「ザ・ツオンズ」(雑音のこと)とか、「ドクター・ペッパーズ・ハッピー・メンタル・バンド」とか「ザ・パーハップス」(神林君と幸信君の「まあな」という口癖から)とか変遷しました。神林君はベースの他に、ギターもプロ並みにうまく、彼の日野の自宅に週末は泊りがけで遊びに行き、コードの抑え方など色々と教えてもらい、私の師匠のような存在でした。彼は楽譜は読めず、レコードを聴いただけで、音をとってしまうのです。耳が抜群に良いのです。何で?と聞いたら、彼の御尊父がピアノの調律師だったらしく、彼にも絶対音感があり、「遺伝かなあ」と打ち明けていました。

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 半世紀近い付き合いだったので、私の若い頃の華麗なる遍歴まで、彼は色々知っています。私が学生時代に失恋した時とか、仕事で失敗した時などは酔いつぶれて、彼には随分一方的に迷惑を掛けたものです。これから、もっとあの頃の恩返しをしたいと思っていたので残念無念です。

 社会人になってからお互い忙しくなりましたが、40歳過ぎてバンドを復活させて、幸信君の会社の同僚で、声量抜群のテリー君にヴォーカル参加してもらったりして、バンド遊びを続けてきました。でも、病気がちの彼は、急に体調を悪くしてドタキャンが続き、もう10年以上はバンド遊びができませんでした。それでも、連絡する度に「今度、またバンドやろうね」と約束してくれました。その約束を反故にするなんて…。

 確かに、神林君は社会的に何かをやり遂げたわけでもなく、市井の無名人であり、ブログに書くのもどうかなと思いましたが、私にとっては大切な親友です。もしかして、人類の中で最も、心の奥底まで何でも打ち明けることができる、かけがえのない友人でした。何と言っても、このブログを書いている本人が全く無名の凡夫なのですから、有名だからと言って、ナンボのもんじゃいですよ(苦笑)。

 もしかして、神林康君の急死をこのブログで初めて知る人もいるかもしれません。皆さんと一緒に彼のことを思い出して、冥福をお祈りしたいと思っています。それにしても、悲し過ぎる。

人生に上下も勝ち負けもない、という発想=老荘思想

所沢航空公園 大正天皇御駐輦(ちゅうれん)碑 Copyright par Keiryusai

 大型連休期間中は、「不要不急の外出は控えよ」「自粛せよ」「酒は店で呑むな」といった政府の法令に圧倒されて、結局、遠出はできませんでした。よゐこなもんで(笑)。

 不良になって、ちょっと近場のお城巡りでもしたかったんですけど、それも控えました。天気のせいもありましたが(苦笑)。ただ唯一例外として出掛けたのは、お墓参りといいますが、お墓のお掃除と草むしりでした。

 お墓は、埼玉県所沢市の航空公園駅からバスで5分ぐらいの所にあります。亡き父親が購入しましたが、結構広大です。同じ霊園に、お笑いの三波伸介さんのお墓もありますが、ウチはその3倍以上の敷地面積はありました。草むしりも大変でした(苦笑)。

 何故、九州出身の父親がここを最期の地として選んだのかといいますと、御縁があったからでした。もともと、航空公園は明治44年(1911年)、日本で最初に開設された飛行場でした。戦時中には陸軍航空整備学校なども開校し、陸軍に志願して入隊した父は、最初は飛行士を目指すものの、色覚異常のため、飛行機の整備員に回され、この所沢にも配属されたことがあったと聞きます。他に青森県の三沢基地にも配属されたらしく、生前にもっと詳しく話を聞いておけばよかったのですが、整備した飛行機の中に、確か「飛燕」があったと記憶しています。

紫蘭(Y氏から御教授賜りました) 所沢航空公園 Copyright par Keiryusai

 戦後になって、父は運輸省(現国土交通省)の航空管制官になり、長らく東京交通管制部に勤務しましたが、その本部が1963年から77年まで東京都東久留米市、77年以降に所沢市に移転したので、他にも成田や釧路など色々と転勤しましたが、東久留米と所沢での勤務が一番長かったのでした。

 そういうわけで、父と所沢とは不思議な縁でつながっていたわけです。

 私は、自宅から所沢の航空公園駅まで電車とバスで行きましたが、車内でずっと読んでいたのが、この野村総一郎著「人生に、上下も勝ち負けもありません」(文響社、2019年4月初版)という本でした。著者の野村氏は、読売新聞の「人生案内」の回答者としても有名な精神科医です。

 内容はタイトル通りで、それで終わってしまいますが、著者は、「上り坂の儒家、下り坂の老荘」という言葉を引用して、元気な時は、「論語」の孔子の思想が良いかもしれないが、いまいち元気がなく、行き詰っている時は、無為自然に任せて気楽に生きろという老子の方がいいんじゃないか、と提案しているのです。

 確かに、先日、このブログでも、今最も注目されている渋沢栄一の「論語と算盤」を御紹介しましたが、500もの企業を起業したイケイケドンドンのいつも「人生上り坂」の渋沢栄一なら、そのブレーキ役のような孔子の「論語」が必要とされるかもしれませんが、何をやってもうまくいかず、いつも劣等感に苛まれているような人(私もその典型かなあ~~)にとっては、老荘思想の方が心の薬になるかもしれません。

 45年間、延べ10万人以上の患者さんと向き合ってきたという野村氏によると、ヒトの悩みや不安の根本的な原因は、他人と比較するからだといいます。そこで、人と比較したり、判定したりするような、つまり、ジャッジすることを意識的にやめることを勧めています。

 また、精神科医野村氏によると、心の問題を抱える人の傾向には4種類あるといいます。それは、(1)自分は駄目な人間だという「劣等意識」(2)自分は損ばかりして、やられてばかりいるという「被害者意識」(3)自分は完璧でなければいけないのに、それができないとう「完璧主義」(4)自分のペースに拘る「執着主義」

 これらを乗り越えるために、どうしたらいいのかー。やはり、考え方や、思考傾向を変える必要があり、それには老荘思想が役に立ち、タイトルの通り、「人生に、上下も勝ち負けもない」ことを悟るべきだと著者は言うのです。本書では老子の言葉を易しく「意訳」ではなく「医訳」してくれます。例えば、老子の「人に勝つものは力あり。自ら勝つものは強し」は「人に勝つ人というのは力(権力、経済力、腕力)がある。しかし、本当に強いのは『自分の弱さに勝つ人』だ」と医訳しています。

散歩途中で見かける花の名前が分からず困っていたので、植物の名前が瞬時に分かるアプリを発見して導入しました。このアプリは千葉工業大学が開発したAI「ハナノナ」です

 もう一つ、私が好きな老子の言葉「恨みに報ゆるに徳をもってす」は、「酷い扱いを受けても、まるで恩を受けたように、そっと優しく返してあげるのが徳というものだ」などと医訳しています。

 どなたも、気分が落ち込んだ時、この本を読めば、少しは、気持ちが楽になるかもしれません。

花の美しさはない=雲の波間に消え去った彼

Cloud  Copyright par Keiryusai

 雲をつかむような話です。

 遠く異国に棲む旧友であり、都会の賢人でもあるT君が夢枕に立ち、「美しい花がある。花の美しさというようなものは無い」と急に言い出しました。

 急に何のことなのだろうか、と訝しがっていると、彼はこう続けました。

 一匹の猿が山桜を眺めていたとしましょう。果たしてこの猿は、山桜の美しさを愛でていたのでしょうか? 恐らくそうではあるまい。花や葉に隠れて、何か食べられる実でもなっているのかどうか、確かめていたに違いないのです。同じように、川面に立つシロサギが一心不乱に川の流れを見つめています。果たして、このシロサギは光が屈折して反射する美しい川の流れを我を忘れて眺めていたのでしょうか? そうではなく、生きる糧である小魚でも探していたに違いないのです。

 つまり、美しい山桜があるが、山桜の美しさというものはない、のです。

 美しい川はあるが、川の美しさというものはない、のです。

 翻って、ヒトは何故、桜を愛でたりするのでしょうか? 美しい桜はあるが、桜の美しさはないというのに…。

うーむ、そう言われてみると、そうなのかもしれません。

 彼はさらに続けます。

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「欲望の資本主義」が最期に行き着く所は、貧富格差の膨大な拡大と人類の破滅です。現代の経済学は、数理化、数値化し、金融工学として発展し、人間一人ひとりの感情を置いてきぼりにして、疎外していきました。

 今一番、見直さなければならないのは、宇沢弘文(1928〜2014年)が唱えた社会的共通資本です。地球環境も、医療も教育も人類が持つ社会的共通資本です。これらが、金融工学のような功利主義や儲け主義と合うわけがありません。そもそも、環境保護も医療も教育も投下資本に見合った見返りがあるわけがなく、最初から採算が合わないものなのです。

 僕も、毒された欲望資本主義には異議を唱えたい。

 冷静に考えれば、文学も美術も音楽も芸術など表象(シーニュ)に過ぎないのです。ブランドに過ぎないのです。何?ベートーヴェン? 交響曲7番? サントリーホールで、クラウディオ・アバド指揮のベルリン・フィル? そりゃあ何万円しようが、チケットは手に入れなければー。といった調子で、人々はシーニュに踊らされているだけなのです。それが貴方の人生なのですか?と言いたい。

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 僕はね、そんな毒された欲望資本主義には背を向けて、この世に生まれて来たからには、何でも自分でやろうとしてきたんだよ。ピアノとギターを独習して、何十曲も自分で作詞作曲してきたし、下手なりに油絵も水墨画にも挑戦してきた。

 料理も自分なりに工夫して作ってきた。食べられるキノコや雑草まで散々調べたし、美味い野菜を作るために土壌の勉強までしてきた。これもそれも、オーダーメードの、ありきたりの、お膳立てされたものばかりでは飽きたらなかったからなのです。味噌も作ったし、漬物もパンもお手製で作ってきた。

それが人生ってもんじゃないのかい?親や教師や上司がお膳立てした道を歩めば、そりゃ楽だろう。でも、そんな他人が決めた人生をなぞって何が面白いのだろう?

僕はもう若くないし、後戻りはできないけど、自分なりに苦労して切り開いてきた道に関しては、一点の曇りもないほど後悔はしていませんよ。功成り名遂げたわけではないけれど、少なくとも自分は強欲ではなかったし、常に謙虚であることを心掛け、他人を利用したり、踏台にしようとしたことなど一度もありませんでしたから。

そう言うと、彼は、雲の波間に吸い込まれるように消えていきました。

近世城郭は500城しかなかった=日本の5万城のわずか1%

彩翔亭(所沢航空記念公園)Copyright par Keiryusai

 ゴールデンウイークだというのに、私が住んでいる首都圏では緊急事態宣言とまん延防止等重点措置が発令され、居酒屋でもお酒出しちゃ駄目よお、ということになり、不要不急の外出を避けるよう通達が出されているので、鎌倉の寺社仏閣や好きな城巡りもできません。

 仕方がないので、誌上で城巡りをすることにしました。

 またまた、月刊誌「歴史人」(ABCアーク)ですが、5月号で「日本の城 基本のき」を特集してくれてたので、またまた購入しました。「城の見方 徹底解説」「知っていれば城歩きが100倍面白くなる!」などと銘打ってますが、かなり難易度が高い内容だと思います。

 私自身、「破風(はふ)」とは何か、説明できませんでしたし、「懸魚」も「蟇股」も「冠木門」も、漢字が読めませんでしたからね。(それぞれ、「げぎょ」「かえるまた」「かぶきもん」と読みます)

 私は「石フェチ」というか(笑)、お城の石垣を見るのは大好きなんですが、名称として、一見、乱雑に積み上げているように見える(1)「野面積(のづらづみ)」ぐらいしか知りませんでした。それが、この本で、この他に、合端(あいば=築石の接合部分)を削って加工し、隙間を減らして接合する(2)「打込接(うちこみはぎ)」と、それをさらに徹底的に加工して隙間なくキッチリ積んだ(3)「切込接(きりこみはぎ)」の3種類の工法があることを教えられました。

 この3種類の工法の中でも、不規則に積む「乱積(らんづみ)」や、同じような高さの石を積む「布積(ぬのづみ)」、または、変則的な「谷積(たにづみ)」や、亀の甲羅のような形を積む「亀甲積(きっこうづみ)」、石材の対角線を垂直に落とし込むように積む「矢筈積(やはずつみ)」など色んな積み方があることも知りました。この中で、「野面積・乱積」の代表は、会津若松城天守台、一番キチンと整頓されて積み上げられた「切込接・布積」の代表に江戸城天守台などがありました。

アヤメ 彩翔亭で Copyright par Keiryusai

 何と言っても、勉強になったのが、三浦正幸広島大学名誉教授の解説です。城の定義は色々ありますが、飛鳥時代に築かれた(渡来人が伝えた)朝鮮式山城を城の嚆矢とすると、明治までに全国で築かれた城の数は約5万もあるといいます。(2020年の統計で、全国のコンビニの店舗数は5万6844軒といいますから、コンビニ並みに全国にお城があったということになります。)

 しかし、我々が城をイメージするのは、大抵、天守があるお城のことで、それは、安土桃山時代以降に築かれた近世城郭だといいます。その数は500城で、全体の1%に過ぎないのです。実は、飛鳥時代や平安時代に築かれた城は極めて少なく、鎌倉末期から室町末にかけて築かれた中世城郭が99%も占めるといいます。しかし、中世城郭は粗末な掘っ立て小屋みたいなもので、江戸時代の農家の納屋よりも格段に低級だったため、残っている実物は皆無で、現存する城郭建築は全て近世城郭だというのです。この独創的な近世城郭を創始したのは織田信長と言っても過言ではない、と三浦名誉教授は言います。

 明治維新当時に存在した城は全国に180ありましたが、明治政府による廃城令や、米軍による空爆などで、往時の城郭建築を全て失った城は133城に及ぶといいます。単純計算すると、500城あった近世城郭のうち、一部でも、往時の姿を現代に残している城はわずか47城しかないといことになりますね。

◇天守現存はわずか12城

 それでも、江戸時代以前からの天守が残る城はわずか、たったの12城で、そのうち5城(姫路城、彦根城、松本城、松江城、犬山城)が国宝、7城(丸岡城、丸亀城、宇和島城、備中松山城、高知城、弘前城、伊予松山城)が重要文化財に指定されていることは皆様御存知の通りです。

 公益財団法人・日本城郭協会が「日本100名城」「続日本100名城」を選出しておりますが、この200城を全て巡れば、近世城郭は半分近く踏破したことになります。うーん、誌上だけでは、やはり満足できなくなりました。死ぬまでに200城巡れるかしら?若い時に全国を出張で駆け回っていたので、もっと早く城巡りしていたら、もうとっくにクリアしていたことでしょう。これまで、50城ぐらい巡ったから、何とかなるかなあー?