「クレイ賞」受賞を祝福致します=松岡聡著「スパコン富岳の挑戦」

 (2022年10月27日付「日本のスーパーコンピューターの父」のつづき)

 松岡聡著「スパコン富岳の挑戦」(文春新書)を読了しました。後半は、「科学少年」だった著者が如何にコンピューターの世界にのめり込んでいったのか、個人的遍歴が書かれ、また、コンピューターは日進月歩の世界ですから、早くも5年後、10年後を見据えた「富岳」の後継機やGAFAなき日本の人材の育成まで考慮しておりました。

 私は前回、著者のことを「日本のスパコンの父」と書いてしまいましたが、もし本人がその箇所を読んだら驚いてしまっていたかもしれません。著者の松岡氏は、本文の中で「『富岳』は何百人、何千人が関わったマシンなので、わたしひとりの成果ではまったくない」と書いているからです。

東京・銀座

 ただし、スパコン富岳をつくるに当たって最高責任者としてチームをリードする際の苦労話なども包み隠さずに書かれておりました。その際、著者は、米国の1960年代のアポロ計画の報告書を精読して、それらを参考にしたそうです。同計画では、何度も失敗しても挑戦し、念には念を入れて何度も何度も試作を試みた上で、ついに人類初の月着陸を成功させました。

 著者も同じように、何度も技術的困難に直面し、失敗もしてきた、と正直に告白しておりました。でも、私のような人間から見れば、大変、「縁」と「運」に恵まれて来た人だと思いました。著者が名門武蔵高校生時代、学校の帰りにパソコン・オタクがたむろしていた池袋の西武で、当時、東工大生で、後に任天堂の社長になったゲームクリエーターの岩田聡氏(惜しくも55歳で早世された)や、あのビル・ゲイツから「プログラミングの天才」と評された鈴木仁志氏らと知り合う機会を得て、著者が研究者の道を選ぶ影響を与えた人だったことも書かれていたからです。

 勿論、御本人の相当な努力の賜物もあったことでしょう。改めて、スパコン賞の世界的な最高の名誉である「シーモア・クレイ賞」と日本のNECの「C&C賞」の受賞、おめでとう御座いました。