ユダヤ民族は何故、優秀なのか=寺島実郎著「ダビデの星を見つめて 体験的ユダヤ・ネットワーク論」を読んで

 寺島実郎著「ダビデの星を見つめて 体験的ユダヤ・ネットワーク論」(NHK出版、2022年12月20日初版)を読了しました。著者による「ユニオンジャックの矢 大英帝国のネットワーク戦略」「大中華圏 ネットワーク型世界観から中国の本質に迫る」に続く3部作の完結編ということですが、私自身はこの本だけしか読んでおりません。

 本書は世界に張り巡らされたユダヤ人のネットワークが描かれています。しかし、世に蔓延る「ユダヤ陰謀論」とは全く一線を画し、至極真っ当な体験論になっております。(何故、体験論なのかについては後述します。)

 ユダヤ人の人口は世界で約1510万人(イスラエルに約620万人、米国に約550万人で、この2カ国で77%を占め、残りはEU域内に72万人、英国に38万人=2020年統計)で、世界人口(約78億人)の0.2%に過ぎない少数民族が、歴史的に何度も迫害を受けながら、なぜこれほど多くの偉人を輩出し、世界的ネットワークを広げて、人類として欠かせない偉業を成し遂げてきたのか、著者の体験を基に描かれています。

 結論を先に書けば、ひときわ優秀なユダヤ民族が最も重視するのは高等教育だということでした。また、世界各地で離散と抑圧の中を生き抜くために、決して単純かつ簡単に他人に与することなく「個」としての強さを確立して、その個を結んでネットワークを形成しているからだと言います。だから、ユダヤ的価値とは「高付加価値主義」と「国際主義」ということになります。そして、ユダヤ民族にとって、紀元前6世紀の「バビロンの捕囚」も、約2000年前のローマ帝国によるディアスポラ(離散)もつい昨日の出来事として忘れない「記憶の民」であると言います。

 バビロンの捕囚で、ユダヤ人を解放したのは、アケメネス朝ペルシャの王キロス2世だったことから、ユダヤ王国の末裔であるイスラエルは、現在も、潜在意識的にはペルシャの末裔であるイランに対して好意的だという話は、まさに「記憶の民」の真骨頂と言えるかもしれません。

東京・銀座

 さて、何故、この本が「体験的ユダヤ・ネットワーク論」なのかー。著者の寺島氏(1947~)は、よく知られているように、もともと三井物産の商社マンです。彼が入社した1970年代、同社は社運を懸けてイラン・ジャパン石油化学(IJPC)プロジェクトに取り組んでいました。しかし、それが1979年のイラン革命などの影響で失敗します。倒産寸前状態にまで追い込まれた三井物産は1981年、寺島氏を今後のイラン情勢に関する情報収集するよう米国に派遣します。そこで寺島氏が会った専門家の5人のうち3人もがユダヤ人で「イスラム原理主義革命がイランで起こることは5年も前から論文に書いていた」という専門家もいたといいます。そこで、寺島氏は多くの人からのアドバイスにより、その翌年、ほとんどコネもないのにイスラエルのテルアビブ大学のシロア研究所(現ダヤン研究所)に飛び込んでアプローチします。そこで、寺島氏が一番驚いたことは、「三井はなぜイランで失敗したのか」という127ページにわたる報告書まであり、同氏の周囲にいた物産幹部の固有名詞まで次々と出てきたというのです。彼らの桁外れの情報収集力はここにも表れています。これが、寺島氏のユダヤ研究のきっかけになったようです。

◇本に書かれなかったこと

 と、ここまで書いておきながら、本書に書かれていたことー例えば、アインシュタインやマルクスやフロイトといった著名人や、ロシア革命のレーニンやトロツキー、それに今のウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ人だとか、欧州で一大金融王国を築いたロスチャイルド家の話やポグロム、ホロコーストなどーは、ほとんど私も他の書物(広瀬隆著「赤い楯」など)で得た知識から知っていることばかりでした。

 それよりも、生意気ですが、何故、私でも知っていることがこの本に書かれないのか、の方が不思議でした。特に、著者の寺島氏は三井物産の商社マンとして米国に10年も滞在していたというのに、何故、ユダヤ系のロックフェラーやモルガン家のことについて全く触れていないのか気になりました。

 また、私自身がユダヤ民族について関心を持ったきっかけは芸術家に多かったので、作曲家のメンデルスゾーンやマーラー、演奏家のルービンシュタインやホロヴィッツ、アシュケナージ、ギドン・クレーメル、映画のスピルバーグやハリソン・フォード、ポピュラーのボブ・ディラン(ノーベル文学賞受賞者)、サイモンとガーファンクル、ニール・ヤング、ビリー・ジョエル、画家のモジリアーニやシャガール、または哲学者のスピノザやウイットゲンシュタインらについて彼らがユダヤ系であることを熟知していたのですが、本書ではその趣旨が違うせいか全く出てきませんでした。

 ただ、この本で驚いたことは、著者がエルサレムのイエス・キリストが処刑されたゴルゴタの丘跡に建てられた聖墳墓教会を実際に訪れ、その教会内の分断統治図に気付き、その9割がギリシャ正教会などの東方教会で、ローマ・カトリック教会はその残りのわずか1割しかなかったという事実でした。著者も、東方教会のロシア正教のことを知らなければ、プーチンによるウクライナ侵攻の背景が説明つかない、などと力説しておりましたが、その通りだと思いました。

 最後に、何故、世界人口のわずか0.2%に過ぎないユダヤ民族が優秀で頭脳明晰なのか?ー私見によれば、彼らは子どもの頃からユダヤ教の律法であるタルムードを意味が分からなくても脳に詰め込まれるからではないか、と思っております。「門前の小僧習わぬ経を読む」みたいなものです。エマニュエル・トッド(彼もユダヤ系)も「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」の中で書いておりましたが、幼児から10代にかけての読書習慣がその人間の知性を形成するといいますから、脳科学的にも証明されるはずです。

 そして、付言しておきたいことは、私自身は、600万人を超えるホロコーストによる被害から、今では逆にパレスチナ人を迫害する側に回ってしまったユダヤ人には残念な思いがありますが、ユダヤ人に対する偏見はなく、ましてやユダヤ陰謀論には全く賛同しません。(そう言えば、30年も前に東京のイスラエル大使館に取材しに行ったことがありますが、ロシア大使館以上のそのあまりにも厳重な警戒態勢を見て、逆に気の毒になってしまいました。)

 むしろ、映画や音楽や美術に関する限り、そしてユダヤ人であるユヴァル・ノア・ハラリ氏(彼はユダヤ原理主義については否定的な発言をしていますが)の書く「サピエンス全史」が世界的ベストセラーになるなど、ユダヤ文化は世界中の人々から愛されているわけですから、陰謀論が成り立つわけありません。私は文化国粋主義者ですから、そんな陰謀論に取り組む暇があったら、日本人はもっともっと勉強して頑張ってほしいと思っています。