BS11「偉人・素顔履歴書」の番組プレゼントに当選してしまいました!

  ありゃまあ~。写真の通り、BS11「偉人・素顔履歴書」の番組プレゼントに当選してしまいました。「平安人物伝 安倍晴明」(ポプラ社、2019年10月初版、1100円)が贈られて来ました。

 「偉人・素顔履歴書」は、毎回歴史上の偉人を一人取り上げ、歴史家の加来耕三先生が解説してくれる面白い番組で、私も毎回見ております。加来耕三先生とはもう20年近く昔に、帯広での講演会に講師として列席して頂いた際、前夜に、一緒に飲んだことがありますが、多分覚えていらっしゃらないでしょうね(笑)。

 いえいえ、何も自慢話として書きたかったわけではありません。むしろ、逆です。怖いんです。気持ち悪いんです。何故なら、私は子どもの時分から、くじ運や博打運が非常に悪く、高額商品なんぞ当たったためしがありません。当たらないから博打は今では全くやりません。昔やっていた時でも、宝くじなら、その最高の当選額は1万円(元手は回収できず)。競馬もサッパリ駄目で、配当金を貰ったという記憶がないほどです。パチンコ・スロットは随分、一方的に授業料を払いました。麻雀なんかは、学生時代からルールも覚えず、一度もやったことはありません。

 博打の才能があれば、その筋の人になっていたかもしれませんよ(笑)。

 そんな人間ですから、テレビやラジオや雑誌の懸賞に当選することなど稀です。覚えているのは、中学生の頃、聴いていたラジオの音楽番組でリクエスト曲を葉書に書いて応募したところ、ジャニス・ジョプリンのシングル・レコード「クライ・ベイビー」が当選したことぐらいです。

 それが、ここ1~2年になって、急に当選するようになったのです。このブログでも何度か書きましたが、雑誌「歴史人」の読者プレゼントでは、倉本一宏ほか著「新説 戦乱の日本史」(SB新書)や展覧会の入場券など5~6回も当選したのです。でも、今回のように、テレビのような視聴者の多い番組プレゼントに当選することは初めてのことなので、怖いと言いますか、気持ち悪いという感覚は皆様にも感じて頂ければ幸いです。

 もっとも、当選した品は、大変失礼ながら、数千円以内で高額ではないので、有難く、自分の運にも感謝して拝受させてもらうことにしています。確かに、くじや博打は、「運」に作用されるものです。そんな非科学的な運について深く考える良い機会になりました。

顧客名簿が世界経済を左右している?=CATVと契約して随分節約できた友人のお話

 昨晩、旧い友人のAさんから久しぶりに電話が掛かってきました。2年ぶりぐらいでしょうか。特段の急用ではなく、世間話程度でしたが、彼には長いブランクを感じさせない話術がありました(笑)。

 Aさんとは、あることがきっかけで長い間、没交渉が続いておりました(笑)。ただ、わだかまりがあったのは私だけで、先方は何も気が付いていなかったかもしれません(笑)。Aさんは尋常ならざる多くの友人の持ち主で、私はワンオブゼムに過ぎませんからね。長いブランクがあったにも関わらず、かつての友情関係が何事もなかったかのようにリセットされたことは不思議でした。

銀座

 そんなAさんの話で面白かったことは、昨年、自宅でケーブルテレビと契約した話でした。今は、本当に凄い時代ですね。Aさんが加入したケーブルテレビJ:COMの親会社は、住友商事とKDDIなので、何と一緒に携帯電話(auのスマホ)まで契約できるというのです。しかも、それだけではありません。auの電気とガスまで契約できるというのです。

 Aさんは、佐賀県で一人暮らしですが、このケーブルテレビと契約したおかげで、テレビとスマホと電気とガス代、それにパソコンのWi-Fi代も合わせて、月に1万5000円程度で済んでしまったというから驚きです。今時、電気代の高騰で一人暮らしでも月1万円近くなりますからね。それに、それまではソフトバンクのスマホとWi-Fiの使用料だけで月に1万1000円も支払っていましたからかなりの割安です。

 テレビは4Kも見られる50インチの超大型テレビに買い替えたそうです。凄いですねえ(笑)。ケーブルテレビは有料チャンネルとは契約していませんが、それでも、基本料金だけで、CNNを含めかなり多くのチャンネルが見られるそうです。しかも衛星ではなく有線なので、以前は衛星だと天気が悪いと画面がブレたりしましたが、有線だと安定しているといいます。

 それで、テレビは何を見ているかと言いますと、何とユーチューブなんだそうです。今のユーチューブは、お笑いから資料的価値の高いドキュメンタリーまで何でも見られます。「地上波のテレビは今はつまらないでしょ? ユーチューブでも、50インチの大型テレビですから、スマホとは迫力が違います」とAさんは仰います。

 それで、ユーチューブで何を見ているかと尋ねると、Aさんは、戦中生まれの高齢者ですから、映画は溝口健二や成瀬巳喜男ら昭和初期の映画も楽しんでいるそうです。ロックやジャズ、クラシックなどはそれほど好きではないので見ていないようですが、歌舞伎や文楽を始めとした演劇にはうるさい(笑)。「吉本新喜劇は、松竹新喜劇と比べればやはり劣りますなあ。吉本は音楽が酷い。松竹は、歌舞伎を興行しているだけあって、ちゃんと『地がた』を使っていますからね。やはり藤山寛美はピカイチですよ」と鋭く批評されるのです。

◇個人情報のダダ洩れには気を付けるべし

 話はこれだけでは終わりません。世界や日本でも、もう30年以上も前から金融自由化が始まり、銀行や証券や保険などに異業種が参入するようになりました。電気会社のソニーが銀行や保険を始めるようになったのもその一例です。通信会社のKDDI=auや通販の楽天などが電気やガス事業も始めたのもその一環でしょう。

 「多角経営」と言えば聞こえが良いですが、それだけ世の中が世知辛くなったということでしょう。何もかもに手を出さないと企業は生き残れなくなった時代になったわけです。新聞業界も本業では赤字が続いてますから、不動産業にシフトしているくらいですからね。また、百貨店も家電量販店も、ファッションブランド店も、どこもかしこもカードをつくって、顧客の「囲い込み」に必死です。もうカード会社みたいなもんです。

 結局、顧客名簿が世界経済を左右しているということになります。グーグルもヤフーも、フェイスブックもツイッターも、タダで仕入れた顧客名簿の個人情報が生命線です。今、話題になっているマニラから日本に護送されている特殊詐欺強盗グループも、そういった個人情報を巧みに入手して犯罪を行っていたわけですから、気が抜けない毎日ですよ。

知的レベルの高さに驚嘆=レヴィ=ストロース著、川田順造訳「悲しき熱帯1」をやっと読了

 昨秋、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)を読んだことがきっかけで、すっかり人類学、進化論、そして、生物学、地球物理学にはまってしまったことは、このブログで何度も書いております。正確に言いますと、その前に、春先にユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」(河出書房新社)などを読んだことがきっかけでした。

 根本的に、「人間とは一体、何者なのか?」という素朴な疑問が少年時代からありました。そもそも、人間とは何か分からなければ、社会現象も政治や経済のシステムも歴史も何も分かりません。つまり、哲学的考察だけでは限界があると思うようになったのです。最終的には、自然科学的アプローチで、生命とは何かに行きつくのかもしれませんが、それらについても大いに関心がありますので、これからも勉学に励んでいきたいと思っております。

 そんな読書遍歴の一環で、レヴィ=ストロース著、川田順造訳「悲しき熱帯1」(中公クラシックス)をやっと読了することが出来ました。難解で、他の本も並行して読んでいたので、読破するのに数カ月かかりました(苦笑)。既に、「古典」と呼ばれる名著ですが、昔の人の知的レベルの高さには驚嘆するばかりです。著者のレヴィ=ストロースは当然のことながら、それを受け入れる一般大衆の読者の知的レベルの高さもです。正直言いますと、当初は未開の「野蛮人」(264ページ)に接触した文化人類学者による体験記か旅行記、もしくはフィールドワークの報告記かと思っていましたら、そこまでに到達するまでが長い(笑)。少年時代の教師の身振りや服装までも事細かく描写され、船に乗り込む話かと思ったら、いつの間にか、インドの思い出の話になったりです。要するに、時系列に書かれていないのです。この本を12年間もかけて翻訳した訳者の川田氏も「時間の叙述を無視した叙述」などと前書きに書いております。

 しかも、暗喩と隠喩が多く含まれているので、この本をさらに難渋難解にしています。著者のクロード・レヴィ=ストロース(1908~2009年)が、ブラジルのサンパウロ大学の社会学教授の職を得た若き頃の1930年代にアマゾンの奥地の未開の地で先住民を取材した体験記が中心ですが、執筆したのは、何とそれから四半世紀を経た1954年から翌年にかけてだったのです(初版は1955年)。何という恐るべき記憶力!と思いましたが、恐らく著者は異様なメモ魔で、あらゆることをメモに書き残していたのではないかと想像されます。

 この本は一応、ノンフィクションではありますが、暗喩を伴った実に詩的な文章なので、まるで「失われた時を求めて」のマルセル・プルーストのような文体です(如何に難解か分かることでしょう)。レヴィ=ストロースもプルーストもユダヤ系ですから、頭脳の明晰さは人類学上でもピカイチなので、その難解さで読解できる人は少ないと思いきや、いずれもベストセラーになっておりますから、最初に書いた通り、読者の知的レベルの高さに驚嘆したわけです。

 私自身は、それほど深く理解することができたわけではないことは告白しておきます。とにかく、ブラジルの地理が頭に入っていないので、色んな地名が出て来ますが、感覚的にもつかめないのでした。

 この本はまだ「上巻」で、いまだに「下巻」まで読んでおりませんが、この上巻の中で、一つだけ興味深かったことを書いて、この記事をお終いにすることにします。

 それは、著者が、顔全体に入れ墨か、もしくは何かの染料で幾何学模様のような線を顔上に描く風習のあるカデュヴェオCADUVEO族の集落を訪れた話です。

  彼らは写真に撮られることに対して支払いを要求しただけでなく、金を払わせるため、無理失裡私に彼らの写真を撮らせようとした。女が度外れに飾り立てて私の前に現われ、私の意向にはお構いなく、シャッターを切って彼女に敬意を表するように私に強要しない日はほとんど一日もなかった。持っていたフィルムを節約するために、しばしば私は写す真似だけをし、金を払った。(306~307ページ)

 先述した通り、この本は「時間の秩序を無視した叙述」なので、はっきりといつのことか書かれておりませんが、恐らく、著者がブラジルに滞在していた1930年代初めのことだと思われます。1930年の時点で、もうすでに「未開人」の人々が金銭経済の波の中での生活を余儀なくされていたことをこの箇所で知ったわけです。

作曲家村井邦彦氏と中村吉右衛門とは親友だったとは=日経「私の履歴書」

  私は音楽好きなので、今、日本経済新聞で連載中の「私の履歴書」の作曲家「村井邦彦さんの巻」を毎日楽しみに読んでおります。昨年12月の指揮者の「リッカルド・ムーティの巻」も大変興味深かったでしたね。特にムーティ若き頃、バーリ音楽院で同校の校長を務めていたニーノ・ロータと出会い、指揮を習ったことがあったことが書かれていて本当に驚きました。ニーノ・ロータは私も大好きな「太陽がいっぱい」などの映画音楽も多く作曲した人だったことは、以前このブログにも書きました。色んな人との繋がりがあり、人との御縁が成功の道に導かれることを垣間見た感じでした。

 扨て、今月の村井邦彦さん(1945~)ですが、この方も素晴らしい友人に恵まれたお蔭で大家となったことが読んでいて分かりました。大変失礼ながら、村井さんについて、私自身は、歌謡曲の作曲家というお名前程度で詳しく知りませんでした。

 歌謡曲は今では全く聴かなくなりましたが、小中学生の頃はよく聴いていたものでした。そしたら、村井邦彦氏の代表作が、ちょうどその頃に私が聴いていたヒット曲とドンピシャリ合っていたのです。テンプターズの「エメラルドの伝説」、ピーターの「夜と朝の間に」、赤い鳥「翼をください」、辺見マリ「経験」、トワエモア「虹と雪のバラード」(1972年札幌冬季五輪のテーマ)等々、みーんな、村井氏の作曲だったのです。「え?あれも?」「これも?」てな感じです。

 しかも、調べてみたら、村井邦彦氏がそれらのヒット曲を量産していたのは、まだ20歳代前半の若造(失礼!)だったのです。またまた、「しかも」と書きますが、大学は慶応の法学部と畑違いで、正式な音楽教育を受けていないような感じなのです。どこで、作曲なんか学んだのか? 色んな疑問を持ちながら読んでいくと、毎日面白い逸話にぶつかります。

銀座

 特に、2月5日(日)に掲載された連載5回目「吉右衛門こと波野君 生涯の仲」には吃驚してしまいました。村井氏は、一昨年に亡くなった歌舞伎俳優二代目中村吉右衛門こと波野久信さん(1944~2021年)とは暁星学園(フランス語必修のカトリック系中高一貫男子校)の同級生で、しかも、彼とその兄昭暁(てるあき=二代目松本白鸚)氏の3人でジャズ・トリオのバンドを組んだことがあったというのです。白鸚さんがドラム、吉右衛門がベース、村井氏は独学でマスターしたピアノだったといいます。ラジオの文化放送で演奏がオンエアされたこともあったといいますから、まさに「へー、知らなかったあ」です。村井氏と吉右衛門は生涯、家族ぐるみの付き合いだったそうです。

 私自身はかつて、歌舞伎の取材で吉右衛門丈には大変お世話になったことがあり(そして大好きな役者でした)、実兄の松本幸四郎丈(当時)とはあまり仲が良くなく、「二人は共演はしない」という噂を聞いていたので、まさに、驚いてしまったわけです。

 村井邦彦氏は、中学生時代からヌーベルバーグ映画とモダンジャズに魅せられ、「スイングジャーナル」誌を定期購読し、高校1年の時、同誌に載っていた「ジャズ演奏 生徒募集」の広告を見て応募し、そこでサックスの吉本栄さんから譜面の読み方などを学び、またそこで知り合った慶応高校生からの誘いで、慶応の「ライト・ミュージック・ソサイエティ」(ジュニア版)というジャズオーケストラに参加するようになり、音楽の基礎をみっちり学んだたようでした。

 やはり、村井氏も人との出会いと御縁で、運が開けていった感じです。(この先を読むのが楽しみです。)

「パタゴニア」買っちゃいました=そして「世に盗人の種は尽きまじ」

 私は「有言実行」の人ですから、早速、写真の通り、パタゴニアのジャケットと帽子を購入しました。

 と、書いても、初めてこのブログをお読みの方は何のことかさっぱり分からないと思いますが、渓流斎ブログの先月1月30日に書いた記事「自社株を環境保護団体に寄付した創業者=パタゴニアのシュイナードさん」をお読み頂くと分かります。

 アウトドア用品「パタゴニア」の創業者シュイナードさん(84)が、自分と家族が持つ自社株3900億円相当を環境保護団体に寄付したという話でした。このまま地球環境が破壊されれば、地球は死んでしまいます。そんな死んだ星では、何もできない。せめて、パタゴニアは200年は続く企業になってほしい、という願いを込めて環境団体に寄付したのでした。そんな創業者の理念に私も共鳴し、いつか、今まで買ったことがないパタゴニアの商品を買うつもり、と書いたのでした。

 実は、緊急を要するほど欲しいものはなかったのですが、東京の丸の内にある直営店で帽子を買い、地元のスポーツ用品店で、ジャケットを買いました。いずれもリサイクルした再生衣料らしいですが、価格は、何と、ユニクロさんの4倍以上もしました。でも、ユニクロさんの名誉のために言えば、ユニクロ製品は、防寒面など質的には劣るわけではないと思います。素人の感想ですが、むしろ、ユニクロが安過ぎるのかもしれません。それとも、パタゴニアが高過ぎるのかも?

 商店で、パタゴニアの製品を買うに当たって、お店の人に東京新聞の記事を読んで、御社の企業理念に感銘したから、と私が説明しても、誰も東京新聞の記事を読んでいないんですよね。最近の若い人は新聞読みませんからね。ガッカリしました(苦笑)。

銀座

 ところで、例のフィリピンの入管施設に拘束されているルフィを首魁とする特殊詐欺グループは、わずかここ数年で60億円以上も稼いでいたという報道に接して本当に魂消ました。強盗に入られて殺されてしまっては、防ぎようはありませんが、オレオレ詐欺とか、還付金詐欺などに多くの人がどうして簡単に引っ掛かってしまうのか不思議です。

 特に、還付金なんて、わざわざ、お上がご丁寧にも電話を掛けて教えてくださるわけがないのですよ! 例えば、確定申告の本を何冊も買い込んで死ぬほど勉強して、苦労して、苦労して、面倒臭い申告をして、初めて還付金なるものを勝ち取ることが出来るものなんです。世の中甘くない。そんな簡単に、うまい儲け話や1年で2倍になる投資話などあるわけがないんです。

 そもそも、そんな簡単に儲かる話なんかを、見ず知らずの赤の他人に教えるわけがないでしょう? 元本保証の高利率の定期預金でさえ、ほとんど宣伝せず、小さい字で、そっと書かれているものなのです。売れない商品ほど派手に広告宣伝すると思って間違いないのです。広告で笑顔を振りまくタレントさんは、決して弁償してくれませんよ。騙される方も悪いのです。

 そんなこと、冷静になればすぐ分かるのですが、高齢になると判断力がだんだん鈍って来ます。詐欺集団もそんな弱みを心得て付け込んで来ますからタチが悪いたらありしゃしない。マニラの特殊詐欺集団は遠隔操作をしているだけなので、自分の手は血で汚していないので、罪悪感が薄いようです。騙した金で看守を買収して施設から抜け出して、高級ホテルのカジノで一晩で1000万円も2000万円も浪費している、などという報道までありましたから唖然としてしまいました。

 「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と言った石川五右衛門も、これほどまで人間があくどくなるとは想像もつかなかったのではないでしょうか。

個人情報ながら、確定申告の体験記

 もし、貴方がこのブログの相当熱心な御愛読者でしたら、昨日の記事には唖然とされたことでしょう。お昼頃にアップしたのですが、夜になって、後半部分は全て削除してしまったからです。ちょっと、プライベートなことを書いておりました。

 何で削除したかといいますと、昨今、ルフィとかいう親玉を中心とした、とてもおっとろしい特殊詐欺集団がいて、フィリピンの入管施設からスマホを使って闇サイトを開設して、遠隔操作で、強盗・殺人なんでもござれの指令を出しているというニュースに接したからでした。主犯格の4人はもうすぐ日本に強制送還されるようですが、何と言っても不可解なことは、入管施設だというのに、カネさえあれば何でもやりたい放題だという実態です。フィリピンでは公務員の給与が安いため、賄賂が横行しているそうで、地獄の沙汰も金次第みたいですね。

 そして、何と言っても怖ろしいことは、特殊詐欺集団の情報収集力です。何処に、誰が住んでいて、老人の独り暮らしで資産家なら万々歳です。指示された相手は、追い詰められて困り果てた人間ですから、手段を選ばず、強盗だろうが殺人だろうがお構いなしです。一体どうやってそんな情報を仕入れることが出来るのか?ー探偵、密偵、総会屋、トップ屋、情報ゴロ、元警察、元銀行・保険・証券など金融マン、元マスコミ人も怪しい…。そんな人間を媒介したヒューミントだけでなく、今では、新聞雑誌など公開情報によるオシントを使う手口もあることでしょう。

 特に、今やネットの世界では怪しい情報に溢れています。スマホなら位置情報でカモが何処にいるのか瞬時に分かりますし、もしかしたら、こんなちっぽけなブログでも、悪用されているかもしれません。うかつに個人情報は書けませんよね。

新富町

 てなことで、ブログではなるべく、個人情報は書きたくないのですが、この渓流斎ブログは「個人事業主」として、広告を入れて配信しているため、確定申告していることだけは皆様にもお伝えしなくてはならないと思いました。

 本日は、会社を休んで、地元の税務署にまで、その確定申告に行って参りました。記録が残る限り(笑)、3年連続です。強い北風が吹き荒れる中、自転車で行きましたが、体力が衰えたせいか、なかなか前に進んでくれません。

 とにかく、会場に着いて、無事済ますことができましたが、年々、やり方が変わっているので、驚くばかりでした。2年前は、初めに用紙に手書きで書いて、パソコンに入力する形でした。それが、昨年は、パソコンが全て撤去されて、手書きした上で、自分のスマホに入力する形になりました。そしたら、今年は、何と、手書きがなくなりました!いきなり、そのまま、スマホに金額等を入力していくのです。そのスマホに入力する前に、昨年でしたら、電子申告e-TAXの16桁の利用者識別番号とパスワードを入れるだけでよかったのに、今年は、マイナンバーカードをスマホで読み取る手続きが必要になっていたのです。読み取りリーダーはいらず、スマホに「マイナポータル」アプリをダウンロードしておけば、スマホをカードの上に置いて簡単に読み取ることが出来ます。

 全ての入力が終われば、昨年でしたら、「印刷」にかけて、書類になった紙を係りの人に提出していましたが、今年はその印刷がなくなっていたのです。「送信」ボタンを押して完了です。まさに、ペーパーレスです! えっ?これで大丈夫かいな?てな感じでした。

 これなら自宅でも出来そうで、国税庁も自宅でスマホによる登録と提出を推奨しておりますが、やはり、途中で色々と分からないことが沢山出てくるんですよ、これが。私も、会場の係りの人に何度も何度も聞いて、手取り足取り教えてもらいました。やはり、自宅で一人でやっていたら、分からなくなるとパニクってしまいますから、会場で係りの人から教えてもらいながら申告するのが一番です。また来年も、LINEで予約して会場まで足を運ぶことにしました。

 年々、だんだん、申告のやり方が簡略化されていますから、来年の確定申告はどう変わるのか、今から楽しみですね(笑)。

【追記】2023.2.7

 「女性セブン」などによると、資産家の情報を売る「闇の名簿屋」なるものが存在して、奴らは情報をどうやって収集するかと言うと、中古品の買い取り業者から資産状況や金庫の在り処などを把握し、引っ越しやリフォーム業者から部屋の間取りなどをキャッチするようです。高額商品が当たるからといって、安易にアンケートに応えたりすると情報がダダ洩れになることでしょう。とにかく、騙されないよう気を付けるしかありません。

友情について

  杉田敏先生(と勝手に呼ばせて頂きますが)の「現代ビジネス英語」は、NHKラジオ講座は終了してしまいましたが、引き続き、季刊で、ネットやアプリで聴ける講座が続いています。私も2021年春号からずっと聴き続けておりますが、これ以上の教材はないと思うぐらいいつも感心しながら勉強しております。

 今、ネットで聴いているのは、Lesson14「Let’s talk to strangers」の巻ですが、この中で、新型コロナのパンデミックで、友人と会う機会がなくなり、友人関係を解消する話まで出て来ます。例えば、こんなフレーズです。

 During lockdown, I let go of a couple of friendships that had been withering on the vine, as it were.

この文章を辞書なしで理解出来る日本人は相当レベルが高い人です。正直、私はさっぱり分かりませんでした。イディオムを知っていれば簡単で、let go of ~ は、「手放す」「解消する」といった意味。withering on the vine は「葡萄の木の上でしおれていく」ということから、「だんだん薄れていく」という意味です。ということは、

 私は、ロックダウン期間中は、だんだん関係が薄れていった何人かの友人たちとは連絡を取らなくなりました。

 といった意味でしょう。ズバリ、「絶交しました」と訳していいかもしれませんが、ちょっときつくなるとはいえ、意味は同じです。つまり、SNSで友達が100人いようが、100万人いようが、真の友はそれほどいるもんじゃない、ということです。こんなフレーズも出て来ます。

 One friend in a lifetime is much; two are many; three are hardly possible.

 米国の歴史家・作家のヘンリー・アダムズ(1838~1918年)の言葉らしいですが、「生涯で一人の友人を持てれば十分だ。二人は多い。三人はありえない」といった意味です。

 実は、私自身も昨年、パンデミックのせいではありませんが、withering on the vine した何人かの友人たちとlet go of した事件があったので、驚愕してしまったのです。まるで、杉田先生に見透かされた感じだったからです。杉田先生は予言者ではないか、と思ったぐらいです。

 何でその友人との関係が崩れたのか、恐らく、その友人はこのブログを見ているので、ここでは理由は書きませんが、またさらに複雑なことが起きて、いい加減に嫌になりました(笑)。そんな苦い経験と同じようなことが、テキストの文章の中に発見して、またまた驚愕してしまいました。

 I found myself resetting my friendship button. I realized that I don’t need to be around chronic complainers and naysayers. I was tired of dealing with people for whom something is always wrong, out of place, or not up to their impossibly high standards. They suck up your energy. I want to maintain a positive attitude.

 この文章なら皆さんも辞書なしでお分かりでしょうから、翻訳しませんが、まるで私の気持ちを少し代弁してくださっているようで、本当に驚愕してしまったわけです。杉田先生は千里眼です。

東久留米市