大坂の陣こそ「天下分け目」の戦いだった?=「歴史人」1月号

 久しぶりに「歴史人」(ABCアーク)1月号を購入しました。来年、2024年のカレンダー(平安 源氏物語の世界)が付録として付いているからです。カレンダーが欲しいので買いました、と正直に書いておきます(笑)。

 「歴史人」はここ5~6年買い続けましたから、生意気ですけど、そろそろ卒業したかな、と思ったのでした。同じような企画特集が繰り返されて、同じようなことが書かれているので、「あ、またか」という思いもあったのでした。歴史に関してはかなり精通した気分にもなっておりました。

 でも、それは、やはり「生意気」でした。自分にとって、知らない新事実が湧き出る泉の如く頻出するのです。そりゃ、そうでしょう。

 「歴史人」1月号の特集記事は「大坂の陣 12の謎」でした。ちょうど、NHK大河ドラマ「どうする家康」が最終回を迎え、最後は「大坂の陣」で勝利を収めた徳川家康が亡くなるところで終わっていました。まあ、このテレビ番組とタイアップした格好なので、読者獲得狙いは見え見えです(笑)。いやはや、そんな不遜なことを言ってはいけませんね。内容は実に充実していて、浅学菲才の私が知らないことが多く書かれておりました。

◇淀君は蔑称?

 例えば、「淀君」です。織田信長の妹お市の方と浅井長政の長女で、豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の生母と言われ、それを盾に権勢を振るった人と言われています。この「淀君」とは、私は尊称かと思ったら、全く逆で蔑称だったんですね。当時、最下級の遊女である「辻君」(道端で春を売る女)にこと寄せて「淀君」と呼んだようです。幼名は茶々などがありますが、本来は「淀殿」でした。これは、産所(住居)としてあてがわれた淀古城に因んだものでした。

 もう一つ。大坂冬の陣、夏の陣(1614~15年)は、局地的な戦争で、天下分け目の「関ヶ原の戦い」(1600年)と比べると見劣りすると思っておりましたが、徳川方約20万人、豊臣方も約10万人とかなり大規模な戦争だったことを知りました。実は、関ヶ原の戦いで雌雄が決したわけではなく、まだまだ火種が燻っていて、大坂の陣でやっと決着が付いたことが歴史の正当な解釈でした。 

 何で、歴史の教科書などで大坂の陣が関ヶ原の戦いより重視されなかったのか? それは、豊臣方として、大野治長や真田幸村(信繁)、それに黒田家の元重臣後藤又兵衛(基次)、土佐の長宗我部盛親らは有名ですが、それ以外は「牢人衆」として十把一絡にされてしまい、後の徳川政権によって、まるで烏合の衆扱いされていたからだと思います。

 しかし、よく見ると、「牢人衆」の中には、関ヶ原の戦いで西軍に属して、領地を没収された大名の子息らも少なくなかったのでした。大谷吉治は、石田三成の片腕だった大谷刑部吉継の子、石川康長は、家康の元家老で秀吉方に出奔した石川数正の子、増田盛次は、秀吉の五奉行の一人増田長盛の次男、細川興秋は、小倉藩主細川忠興の次男(三男が嫡子となったため出奔した)、浅井井頼は、浅井長政の庶子(ということは淀殿の異母きょうだい)らがいたことを見れば明らかです。

 あと、大河ドラマ「どうする家康」を見ていると、評定(ひょうじょう)らしき重要な場や、仲介交渉役として多くの女性が登場するので、あの封建的な女性差別の時代ではあり得ず、フィクションのドラマかと思っていましたら、史実だったんですね。徳川方の和議の使者となったのは、家康の側室阿茶局(武田家の家臣飯田直政の娘)で、豊臣方の窓口となったのが、淀殿の妹初(常高院)だったことは歴史的事実でした。ドラマの時代考証さま、疑ってすみませんでした。

 最後に、豊臣秀頼は、「秀吉の実子ではないのではないか」という憶測が現在でもあります。有力なのが、淀殿の乳母大蔵卿局の子息の大野治長、秀吉の重臣片桐且元、それに石田三成説まであります。しかし、歴史家の加来耕三氏は、秀吉は天下人になって灸をすえ、漢方を服用し、温泉に浸かったりして努力していたことから、「秀吉の実子」説を唱えておりました。

 となると、淀殿と秀頼の自害で豊臣家が滅亡したことはかえずがえすも残念でした。嫡子ではないにせよ、北条氏や織田家でさえ、江戸時代~現代も残りましたからね。

【追記】2023年12月19日

 やはり、大坂の陣は、歴史のターニングポイントでしたね。近世の城郭の建築ラッシュになったのが、1600年の関ケ原の戦いから1614年大坂冬の陣までの慶長年間だったというからです。関ケ原では、加藤清正、福島正則、黒田長政ら旧豊臣方の活躍で勝利したため、徳川家康も仕方なく論功行賞として領地を与えなくてはなりませんでした。彼らが壮大な城を建築すれば、徳川方も防御とし多くの城を建築せざるを得ません。名古屋城などは、全国の大名をかき集めて公儀(天下)普請で行った他、西に睨みを効かすために、井伊直政には石田三成の所領を与えて彦根城をつくらせ、藤堂高虎には安濃津城を任せたりしましたから、大坂の陣まで戦国時代は続いていたという見方は正しいのではないでしょうか。

年末ジャンボ宝くじを買うなら京都御所ですか?

 ご覧の写真は、年末の風物詩です。早朝から、「東京で一番当たる」と濃厚な噂と評判がある西銀座チャンスセンターの「億の細道」を並ぶ皆々様方で御座います。

 ご苦労さまです。今年も、1等は前後賞合わせて10億円ですか。。。そりゃ、風雨、嵐、豪雪、極寒はものかは。万難を排してでも、並びますよね。

 でもですね。1等の当選確率は、2000万本に1本と公式発表されています。まさに奇跡が起こらない限り、当選は難しいでしょう。それでも夢を懸ける人が大勢いらはります。くじの収益金の一部は、公園遊具を整備したり、消防車を購入したり、福祉活動にも使われるといいますから、彼らがいなくては困ります。私は密かに、彼らのことを「納税者」と呼んでいますけど。。。

 ところで、そんな宝くじに「大河の法則」があることを御存知でしょうか?

 年末ジャンボ宝くじで、翌年のNHK大河ドラマの舞台になる「県」の宝くじ売り場で購入すると高額当選金が、ウッハ、ウッハ当たるというのです。

 昨年の年末ジャンボでは、今年の大河ドラマ「どうする家康」の徳川家康の出身地三河=愛知県の宝くじ売り場で、1等7億円当選が4本も出たといいます。

 来年2024年の大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部が主人公ということで、京都府になります。ということで、京都の御所に近い最も有名で売れている宝くじ売り場で、購入すれば、当たる確率が高いというのです。

 これは、全世界の《渓流斎日乗》のご愛読者の皆様だけにお送りする極秘情報です(笑)。もし、その気のある方がいらっしゃいましたら、今からでも遅くはない。京都御所近くの有名宝くじ売り場に飛んでいかれたら如何でしょうか?

 ※この記事は、出典が銘記されていないので、信頼性に欠けます。

心も環境も遺伝によるものだとは!!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(下)

 2023年12月6日の記事「大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著『能力はどのように遺伝するのか』(上)」の続きです。

 先日、安藤寿康著『能力はどのように遺伝するのか』(ブルーバックス)を読了しましたが、この本の内容について、誤解を招くことなく、どうやってまとめていいやら随分、悩んでしまいました。

 著者の安藤慶大名誉教授も「あとがき」で書いているように、遺伝について語ること自体をタブー視する風潮は、我が国では依然として根強く、教育現場で「学力は遺伝だ」などと言うと、生徒が勉強する意欲をなくすので、「言ってはいけない」ことになっているそうです。「本書はパンドラの箱を開けてしまったことになるかもしれない」とまで書いております。

 著者が専門の行動遺伝学とは、文字通り、行動に及ぼす遺伝の影響を実証的に研究する学問です。一卵性、二卵性の双子のきょうだいの類似性から実証データを収集する「双生児法」が基本になっていますが、既に150年の歴史があるといいます。その結果-。

・「心は全て遺伝的である」、すなわち人間のあらゆる行動や心の働きに、遺伝の影響が無視できないほど効いている。(51ページ)

・環境も遺伝だというと、詭弁だと非難されそうだが、これも行動遺伝学が見出した重要な発見の一つである。つまり、人が出会い、環境を作り出すときには、その人の行動が関わっている。だから、そこには遺伝の影響が反映されているということである。(151ページ)

・親の社会経済階層(収入)と子どもの教育年数とは相関関係が見られ、昨今流行した「親ガチャ」は正しいことになるが、遺伝の影響はそれとは独立に個人差を生み、貧しい家庭に生まれても本人に遺伝的才覚があればのし上がることが出来る(その逆も然り)。(199ページなど)

 ーなどといった驚くべきことが例証されています。

上野・西郷どん

 行動遺伝学は、「分散の学問」とも言われています。世の中には色んな人がいらはりますが、そのバラつきの原因は何なのか、そこに遺伝の違いが関わっているのか、遺伝で説明できない環境の要因で説明することが出来るのはどれくらいあるのかーといったことを研究する学問だといいます。そこで、遺伝による分散をVg、環境による分散をVeとすると、両者を足し合わせたものが表現型の全分散と考えてVpとなり、以下の数式で表されるといいます。 

 Vp=Vg+Ve

 これは、統計学の「分散分析」と呼ばれる手法となり、まさに、行動遺伝学というのは数学であり、科学であるということが分かります。

 その一方で、データ解析によって、遺伝による学力格差や収入格差などが見出され、それに加えて、障害者に対する差別などの問題も表れることから、科学的分析だけでは済まなくなります。いかに一般大衆にも誤解のないように分かりやすく説明するには「文学(レトリック)」の力が必要とされますし、問題を解決するためには、教育や行政による政策も必要とされます。さらに、最後に残るのは倫理問題になるかもしれません。

 パンドラの箱を開けてしまった著者も、行動遺伝学がもたらした危険性を予言して批判したり、逆にそこから新しい教育制度、政治制度、社会思想などを構築する議論が起こるだけでも、「本書を出版した意義は十分にあると信じている」と最後のあとがきで吐露しておりました。

 読者には、重く深い課題を課せられたようなものです。

 私は政治活動をするようなことは不向きですがら、個人的に、困難な状況や難題に遭遇したとき、「遺伝だからしょうがない」と自分自身を諦める納得の材料にしたり、実に嫌な、生意気で性格の悪い人間に遭遇したとき、「こいつ個人が悪いのではなく、単なる遺伝によるものに過ぎない」と思い込むことによって不快感から逃れる手立てにして、なるべく自分自身を追い込まずに精神障害を発症しない手段にしようかと思っています。

 あ、そっか~。何でも自分自身を追い込む生真面目な性格は、遺伝に過ぎないかもしれませんね(笑)。

新聞・通信在京8社とはどこなのか?=報道とはかなり恣意的なものです

 本日12月12日(火)付毎日新聞朝刊に、「社会部長が選ぶ今年の十大ニュース」(新聞乃新聞社主催)の第1位に「自民党派閥パーティー券問題、岸田政権に打撃」が選ばれたことが報じられていました。まあ、妥当な話でしょう。

 この十大ニュースは、在京新聞・通信8社の社会部長が選出するのですが、毎日新聞は、この8社のことを「毎日、産経、日経、東京、共同通信など」と堂々と報じています。8社のうち5社だけがまるで「代表」です。残る3社は、朝日、読売、時事通信なのですが、毎日新聞をトップに持ってくる辺り、毎日新聞のかなり恣意的な「選別」を感じました(笑)。

 そしたら、産経新聞を見てみたら、全く同じ記事が載っていたのです。産経が頭ではなく、「毎日、産経、日経、東京、共同通信など」の順番も同じです。ハハア、これは共同通信の配信記事だったのか! と分かりました。小生は業界人ですからね(笑)。

 よく見てみると、毎日も産経も日経も東京も、共同通信の加盟紙です! 時事通信は共同のライバルですから、わざわざ、なかったことにして、「記事化」しないことは見え見えです。朝日は共同の外信、外報記事は契約していますが、純然たる加盟紙ではないし、読売と共同は大変仲が悪いことは、戦前の読売・正力松太郎社長と同盟通信時代の関係以来の「伝統」です。となると、やはり、共同通信の記者がわざと朝日、読売、時事通信を排除したことはかなり恣意的であり、意図的だったことが発覚してしまったわけです。

上野 ロダン「考える人」

 随分、レベルが低い話になってしまいましたので、もっと大きな国際的な話題に変えます。先日、12月5日、パリを本拠地とする経済協力開発機構(OECD)が、81カ国・地域の15歳(日本は高校1年)約69万人を対象に実施した2022年の国際学習到達度調査(PISA)結果を公表しました。全3分野のうち、日本は「読解力」が前回18年調査で過去最低だった15位から過去最高の3位に躍進。前回5位だった「科学的応用力」が2位、6位だった「数学的応用力」が5位に上がり、世界トップレベルを堅持したことが報道されました。

 しかし、これはあくまでも「日本向けの報道」で、OECDが公表した資料の10分の1、いや100分の1程度しか報道していません。他国のことについてはほとんど報道していなかったからです。「数学的応用力」「読解力」「科学的応用力」の全3分野で第1位に輝いたのはシンガポールでしたが、これは、前回1位を独占しながら、コロナ禍で学校が閉鎖されて今回不参加だった中国(北京、上海、江蘇省、浙江省)のことを割り引いて考えなければなりません。中国が参加していたら、第1位を独占していたかもしれない、ということです。

 今回、国際ニュースとして注目されたことは、欧州各国のレベル低下でした。例えば、「数学的応用力」で、エストニアが510点で7位、スイスは508点で8位、オランダは493点で10位と大いに健闘しましたが、欧州大国であるはずの英国は489点で14位、ドイツは475点で25位、フランスは474点で26位です。米国となると、465点で34位です。469点で31位のベトナムよりも低いのです。日本は536点の5位ですから、右翼雑誌や国家主義者が「欧米なんか大したことない」と大喜びするような結果です。

 加えて、上位に顔を出したのは、シンガポールと日本以外ではマカオ、台湾、香港、韓国です。いずれも東アジアです。そして、これらの国・地域はいずれも過去に欧米と日本の植民地になった所でしたが、「頭の良さなら、東アジア人の方が欧米人より上だ」とこれまた右翼雑誌や国家主義者が喜びそうな結果です。

 ただし、気をつけなければいけないことは、5位の日本の536点にせよ、34位の465点の米国にせよ、点数はあくまでも「平均点」だという事実です。ということは、個別の最低点は日本の方が上であっても、最高点は米国人の方が上であってもおかしくないのです。つまり、日本人は概ね、最高と最低の差が少なく平準化されていますが、米国ではその格差が膨大だということです。成績が悪い奴のお陰で、平均点が下がっているだけで、賢い米国人は日本人なんかよりも遙かに賢い、ということになってしまうわけです(笑)。

 実は、この話は、先日読了した安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(ブルーバックス)に掲載されていた2018年に実施されたPISAの結果から導いた著者の見解を翻案して借用させて頂きました。

 いずれにせよ、報道ニュースに関心を持たれる方は、色々と差し引いたり、疑問に思ったりしながら接することをお勧めします。

「戦時下の娯楽とメディア」=第55回諜報研究会

 12月9日(土)に東京・早稲田大学で開催された第55回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)に参加して来ました。お二人の研究者が登壇されましたが、今回の共通テーマは「戦時下の娯楽とメディア」でした。大変興味深いテーマで、実際、お二人とも清々しいほど面白い講演でしたが、参加者はわずか数人でした。オンラインで参加されていた方も何人かいらっしゃったようですが、それにしても「勿体ないなあ」と個人的には思いました。戦時下の古い話とはいえ、現代にも通じる話もあったからです。

 最初の講師は、都留文科大学・明星大学非常勤講師の戸ノ下達也氏でした。演題は「戦時下日本の娯楽政策ー『健全娯楽』の実像ー」でした。主に、1931年の満州事変から45年の終戦にかけての戦時体制下で、映画、演劇、音楽やダンスホール、バー、待合といった娯楽やその施設が徐々に検閲されたり、閉鎖されたり、上演、上映、レコード販売が禁止されたりする様を、歴史的に丹念に、その政策を逐次に追った報告でした。内容は、驚くほど大変マニアックでしたが、これ以上の漏れはないと思われるほど完璧で綿密な調査には圧倒されました。あまりにも内容量が多いので、このブログで御紹介できることはほんのわずかです。

 今、NHK朝のドラマで、笠置シヅ子をモデルにした「東京ブギウギ」をやっていますが、まさに戦時中が舞台で、上演が禁止されたり、風紀上の理由で直立不動で歌わされたりする場面が出てきたりしました。こういった娯楽の規制については、当時の文部省や内務省警保局の風俗警察、興行警察(こんなんのがあったとは!)、特高や、それに内閣情報部(局)が監督官庁として実際に取り締まりや政策を行って来ましたが、このような娯楽禁止や「弾圧」政策はほとんど「閣議決定」で決められていたというのです。

 これらは78年も大昔に終わった過去のことに過ぎない、と水に流すことは簡単ですが、講師の戸ノ下氏は、つい3年前の新型コロナウイルス感染拡大防止策として、第二次安倍内閣が行った学校休校や劇場や音楽ホールなどでの上演、演奏自粛などを閣議決定で決めたことを思わせる、と発言していました。小池百合子都知事による「三密」政策なんかもありましたね。慮ってみれば、善い悪いという話は別にして、平時でなくなれば、時の権力者や当局者がいとも容易く国民をコントロールできる仕組みを強調したかったのではないかと思われました。

 ただ、緊急の戦時体制ですから、為政者だけでなく、大衆の中には「ぜいたくは敵だ」との当局の口車に乗って、娯楽を営業する「非国民」を密告したり、為政者に協力した人もいたようですので、日本人らしい生真面目さといえば言えなくもありません。先のコロナ禍でも、マスクをしなかったり、ワクチンを接種しなかった人に対して、私も含めて白眼視してきましたからね(苦笑)。いわゆる同調圧力です。

 いやはや、戸ノ下先生の講演から少し外れてしまいましたが、敵性音楽となったジャズやタンゴの演奏やレコード販売の禁止の話はよく聞いていましたが、能や文楽や歌舞伎など日本の伝統芸能まで、演目によっては上演が禁止されていたことは今回初めて知りました。実は、これは私が会場で質問したものでしたが(笑)、戦前の国家主義といいますか、全体主義は「芸術家受難の時代」と言ってもよく、とても当時に生きたいとは思えませんね。判断基準が「不健全」とか「風紀を乱す」といった恣意的な理由ですが、実際は、反戦思想や国体護持に違反する思想を取り締まって、1億総国民を全て戦争に協力させることが目的ですから、表現の自由なんかあるわけありません。(もう少し書きたいのですが、戸ノ下氏の講演はこの辺で終わりにします。もっと詳しく知りたい方は、戸ノ下氏の著書「戦時下日本の娯楽政策」(青弓社)をお読みください。)

 続いて登壇したのは、元NHK放送文化研究所研究員の大森淳郎氏で、演題は「戦時ラジオ放送を聴く」でした。大森氏は、テレビディレクターだったので、人前で講演するのは「今回が初めて」と吐露されていましたが、落語家のような味のある噺し方をされる方で、暗い話も随分と緩和されました。また、大森氏が今年6月に出版した「ラジオと戦争」(NHK出版)が今年の第77回毎日出版文化賞を受賞されました。

 私自身、この本は未読でしたが、大森氏は「なるべく本に書かなかったことをお話しします」と始めたので、拍子抜けしてしまいました(笑)。大森氏のお話で私が一番驚いたのは、あの天下無敵のNHK(当時は社団法人日本放送協会)さんが、戦時中の音源を一切所蔵していないという事実でした。戦前は勿論、テレビはなく、ラジオ放送だけでしたが、文字通り、「放送=送りっ放し」だったわけです。

 それが、今回、当時、ラジオ放送された「サイパン島陥落」を伝える大本営発表や、鹿児島県の知覧飛行場からの「特攻隊出撃」の実況放送などの音源を聴かせてもらうことが出来ました。えっ?どうしたことでしょう?ー実は、それらは、当時、高校生だったタカハシ・エイイチさん(耳で聞いただけなので、漢字が分からず済みません。大森さん教えてください)という方が、いわゆる「ラジオ少年」で、部品を買い集めて録音機まで自分で作ってしまい、その奇跡的な貴重な音源をNHKの大森氏がタカハシさんからお借りして来たものだと明かしておりました。いつお借りしたのか分かりませんが、タカハシさんが御存命なら現在、90歳代後半です。「無名の少年」が残した貴重な歴史的音源ですから、もっと世間に知られても良いと思いました。

 サイパン島陥落は、昭和19年7月18日午後5時に大本営が発表した原稿でした。サイパンの最高指揮官である南雲忠一海軍中将を始め、全員が戦死したことを伝えるとともに、サトウキビ栽培などで移住していた2万人の邦人市民も「おおむね将兵と運命をともにせるものの如し」と発表していました。しかし、大森氏によると、住民の半数は米軍によって収容されたといいます。

 興味深いことは、このサイパン陥落報道から間もなくして、大木惇夫作詞、山田耕筰作曲で「サイパン殉国の歌」(木下保、千葉静子歌)が作られ、SPレコード(ニッチク)も発売され、戦意高揚のため、毎日、ラジオ放送もされたというのです。サイパン玉砕を予測した軍部が、随分前にあらかじめ作詞作曲を依頼したのではないかと思わせるほどの手早さです。

 大森氏は、ラジオ放送の歴史を綿密に調べ上げておりました。NHKは最初から政府べったりの「御用放送」かと思っていたら、放送が開始した大正14年(1925年)から数年は、講演会を放送し、中には軍事費を増強する政府を批判する講演まで放送していたといいます。それが、軍国主義が台頭していく中で、次第に軍部に協力するようになったといいます。 

 一般の人にはあまり知られていませんが、NHKは戦前は、ニュース報道の取材はしていませんでした。専ら国策ニュー通信社である同盟通信社(現電通、時事通信、共同通信)の配信するニュース原稿を読んで放送していました。それが、大森氏らが発掘した戦時中のニュース原稿のゲラを見たら驚きです。同盟通信の原稿を大幅に削除したり、加えたりして、より戦意が高揚するように書き換えて放送していたのです。

 こういう史実は語り継がれなければならない、と思いました。

 

日本人好みの作品なのかなあ?=上野の森美術館「モネ 連作の情景」展

 東京・上野の森美術館で開催中の「モネ 連作の情景」展を万難を排して観に行って来ました。(来年1月28日まで)

入り口はモネのジヴェルニーの庭を再現(撮影許可された作品)

  この展覧会は、主催が産経新聞社ということで、失礼ながら宣伝力が弱く、開催されていること自体を知らない人も多いかもしれません。東京朝日新聞は、毎週、火曜日の夕刊で、目下、関東圏で開催中の美術展を表枠にして紹介していますが、産経はライバル社なので、一切、モネ展について報道しないのです。裏事情は分かり、そのうち報道するかもしれませんけど、意地が悪い新聞社ですねえ(苦笑)。

 でも、フランスの印象派の巨匠クロード・モネ(1840~1926年)は、私の大学の卒論の対象者でしたから、見逃すわけにはいきません。(卒論テーマは「印象派」で、作曲家のクロード・ドビュッシーも取り上げて「二人のクロード」と題しました。)

モネ「睡蓮」1897~98年 米ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵(撮影許可された作品)

 一応、私は、モネの専門家気取りでしたから、モネの作品を求めて、世界各国の美術館を行脚しました。パリのオルセー美術館、ルーブル美術館、ロンドンの大英博物館、ニューヨーク・メトロポリタン美術館、それに東京のブリヂストン(現アーティゾン)美術館や倉敷の大原美術館など色々と行きましたが、やはり、モネの「睡蓮」の連作があるパリのオランジュリー美術館と第1回印象派展(1874年)に出展した記念すべき「印象・日の出」を所蔵するパリのマルモッタン美術館は忘れられません(本物に接して鳥肌が立ちましたよ)。意外な大穴は、スイスのチューリヒ美術館です。忘れてしまいましたが(笑)、何かの仕事でチューリヒに滞在した時、たまたま入った美術館でしたが、パリのオランジュリー美術館と全く引けを取らない「睡蓮」の連作が何十点も展示されていて驚くとともに、本当に圧倒されてしまいました。特に最晩年の「睡蓮」は、姿形が全く把握できない、網膜で創作せざるを得ないほど抽象的になり、その混在する色彩がほぼ暴力的に迫ってきました。

 そんな凄いものを観てしまっているので、今展の「モネ 連作の情景」展は、申し訳ないですが、「看板に偽りあり」と思ってしまいましたね。ただ、最初に展示されていた「1章 印象派以前のモネ」では、「桃の入った瓶」(1866年)、「ルーヴル河岸」(1867年)などモネ20代の初期作品が展示され、結構、初めて拝見する作品ばかりでした。

モネ「ロンドン国会議事堂、バラ色のシンフォニー」1900年 ポーラ美術館蔵(撮影許可された作品)

 個人的には、連作の一つ「積みわら」(1885年)と「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」(1900年)が気に入りましたが、前者は倉敷の大原美術館所蔵、後者は箱根のポーラ美術館所蔵じゃありませんか。両方とも国内にあるとは! 私も典型的な日本人(もしくは、ほんの少し外れた日本人=笑)なので、いかにも日本人が好みそうな作品なのかもしれませんね。

 同時に、何でモネはこれほどまで日本人に愛されているのかも不思議です。モネ自身もアトリエに葛飾北斎の浮世絵を飾っていたり、当時のジャポニスムに多大な影響を受けた作品を残していますから、もしかしたら、相思相愛なのかもしれません。

モネ「ロンドン・ウォータールー橋、曇り」1900年 ダブリン・ヒュー・レイン画廊(撮影許可された作品)

 来年2024年は、第1回印象派展が開催されて、ちょうど150年に当たる年だということで、全国の美術館で「印象派展」がいくつか開催されるようです。どれを観たらいいのか困っちゃいます。だって、入場料がバカにならないからです。この産経主催のモネ展だって、土日祝日の一般の料金は3000円もするんですからね!! 観るのを諦めようかと思いましたが、私は賢者ですから、平日の午後4時以降の割引2300円で観ることが出来ました。それでも、こういうチケットだけは直ぐ完売してしまうので、二度目の挑戦でやっとゲット出来ました(笑)。

 

我々はタイ人だったのか?中国人だったのか?とにかく混血ですが衝撃的な結末です=NHK「日本人とは何者なのか」

 先日、NHKBSで放送された「フロンティア」第1回「日本人とは何者なのか」は、この《渓流斎日乗》の愛読者の皆さんには必見の番組でした。ちょっと制作者側のわざとらしさが目に付きましたが、内容はひっくり返って驚くほど衝撃的でした。(NHK総合で、12月18日午前0時25分から再放送あり)

 私はせっかちなので、結論を先に書いてしまいますが、我々日本人はもともとタイ南部に今でも狩猟採取を続けるマニ族(東京大学の太田博樹教授によると、タイやラオス周辺に住んでいる「ホアビニアン」と呼ばれる民族)の流れを汲む1000人の勇気のあるフロンティアが北上して3万年前に日本列島に住み着いて「縄文人」となり、その後、3000年前に大陸の北東中国から渡来した「弥生人」との混血が進み、これまでの定説ではその「二重構造説」でお仕舞いでした。しかし、次世代シーケンサーと呼ばれる最新のDNA解析により、3世紀の古墳時代に東アジア全域から渡来した民族との混血、つまり、「三重構造説」だったということが分かったというのです。これは驚きです。

 要するに、DNA解析により、今の日本人の多くには、東アジアから渡来した「古墳人」が半分、「弥生人」が4分の1、「縄文人」が4分の1の割合で混血したDNAが残っているというのです。(縄文人の流れを色濃く残すアイヌ民族と沖縄人は除きます)ただし、この肝心要の「古墳人」については、まだ研究の最中なので、どんな人たちなのか、何故、3世紀になって大量の東アジアの民族が日本列島に渡来したのかはまだ不明で分かっていません。東アジアの民族とは、中国だけではなく、ベトナムのキン族なども含まれているようです。中国には56も民族がありますから、日本人とそっくりの雲南省の白(ペー)族なども含まれているのではないかと思われます。(番組ではそこまで詳しくやってくれませんでした!)

築地

 我々の祖先であるホモ・サピエンスは20万~30万年前にアフリカで誕生し、7万年前にアフリカを出て西アジアに行き、そこから欧州に行く者と東アジアに行く者とに分かれ、日本列島には3万年前に辿り着いたといいます。それが、先述したホアビニアンの1000人です。3万年前は、まだ氷河期で日本列島と大陸は、くっついていたといわれます。南は対馬と九州が、北は北海道が大陸にくっついていたので、歩いて渡って来ることが出来たのでしょう。

 それが、1万8000年前に氷河期が終わり、温暖化で海面が上昇し、日本列島は孤立状態となります。お陰で、列島に閉じ込められた人たちが縄文文化(1万6000年前~3000年前)を1万3000年間も花咲かせます。なあんだ、鎖国じゃん、と突っ込みたくなります(笑)。あの火炎土器も奇妙な宇宙人のような土偶も、鎖国の産物だったとは!

 でも、今から3000年前に北東中国から渡来した「弥生人」たちは、稲作と金属器をもたらしました。恐らく、高度な造船と航海術を身に付けていたからこそ、渡来できたのでしょう。縄文人と混血します。

築地

 そして、残るは「古墳人」です。3世紀となると、日本はもう卑弥呼の時代でした。中国では漢王朝が滅亡して魏呉蜀の三国時代などになりますから、内乱続きで不安定なため、日本列島に「亡命」する人が溢れたのではないかと推測されます。職人や技術者や技能者だけでなく、手に職を持たない一般庶民も多く渡来したようです。現代日本人のDNAの半分も「古墳人」が占めているといいますから、相当大量の民族が海を渡って日本にやって来たことは確かです。この時の「日本人」と言っても、容姿や皮膚の色が違い、お互いに言葉が全く通じない、現代以上に国際色豊かだったと考えれています。(「人類の起源」の著者篠田謙一国立科学博物館館長

 最新のDNA解析って本当に凄いですね。古墳人を中心にもっともっと解明されていけば、日本人とは何者なのか、分かっていきます。これは大いに楽しみです。皆さんも一緒に長生きしましょう(笑)。

「現代のアヘン戦争」フェンタニルから情報問題を考える

  私は毎朝、出勤する前にTBSラジオの「森本毅郎・スタンバイ!」を聴いています。その日の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)の都内最終版とスポーツ紙(報知、スポニチ、日刊、サンスポ、東中、デイリー)のニュースをコンパクトにまとめて、日替わりにコメンテーターが解説するスタイルです。

 その5人のコメンテーターのうち、2人も私の会社の先輩、後輩に当たる人なので、一緒に仕事をしたことはありませんが、よく存じ上げている方なので、身近に感じています(笑)。要するに取材方法といいますか、ニュースソースといいますか、情報の取捨選択の仕方がどうしても会社の方式(社風)から抜けきれないので、想像がつくという意味においてです。

 最近は、遅くとも朝7時半には家を出るので放送の全部は聴くことができませんけど、本日(12月7日、木曜日)はたまたま所用で有休を取っていたので、朝8時からのコメンテーターによる「深堀解説」を聴くことが出来ました。この日のコメンテーターは日経BP出身のジャーナリスト渋谷和宏さんで、「現代のアヘン戦争」の話でした。

 「現代のアヘン」というのは、フェンタニルと呼ばれる鎮痛剤のことで、医療用麻酔として本来は使われているのですが、合成オピオイドという麻薬性鎮痛剤なので、乱用すると死に至る危険があるというのです。効果はヘロインの50倍、モルヒネの100倍と言われています。

◇あのプリンスも過剰摂取で死亡

 米国ではこの薬物乱用によって、2020年には5万8000人、21年には7万1000人もの人が亡くなったと言われています。あのロック界のスーパースター、プリンスも、ジョージ・ハリスンとバンドを組んだこともあるトム・ペティも、そしてラップ歌手のクーリオも、このフェンタニルの過剰摂取で亡くなったと言われています。

 このフェンタニルは、中国から輸入されているということで、「現代のアヘン戦争」と米国が騒いでいるわけです。表向きは輸入禁止にしても、密輸の形で入って来るか、メキシコ経由で加工されたものが米国に入って来るということで、先のバイデン大統領と習近平国家主席との会談でも、この問題が取り上げられたというのです。

築地本願寺

 この話、知らなかったですね。私は一応、ジャーナリズムの仕事に携わって、毎日、新聞6紙に目を通し、テレビニュースもフォローしているつもりなんですが、これではジャーナリスト失格です。

 コメンテーターの渋谷氏も、随分よく調べているなあ、と感心しましたが、実は、問題のフェンタニルが、ラジオで音声で聴いただけなので、ペンタミンと言っているのか、フェンタミンと言っているのか、聞き取れなかったのです。仕方がないので、スマホで検索してみました。そしたら、国際情勢アナリストの山田敏弘さんという人が今年4月に、何と、時事通信のJIJI.comに「『現代のアヘン戦争』米中間の深刻な懸念」というタイトルで、このフェンタニルのことを詳細に書いていたのです。しかも、内容は、渋谷氏が話していたものと似通っていましたから、恐らく、渋谷氏はこの記事を参照した可能性があるような気がしました。

 まあ、それを言ったらキリがない話でありまして、時事通信に寄稿した山田氏のニュースソースも、彼が一時在職したことがあるロイター通信や、AP通信やニューヨーク・タイムズやワシントンポストやウォールストリート・ジャーナルやガーディアンの記事だったりするわけです。つまり、彼がバイデン大統領に直接取材して談話を取ったわけではなく、外国メディアからの「引用」だというわけです。

築地本願寺

 私はFacebookを始めとしたSNSにはなるべく近づかないようにしています。YouTubeもそうですが、「興行師」サイドは、SNSを、莫大な収益をもたらす宣伝媒体といいますか、洗脳宣撫活動として使っているからです。ニュースの信憑性には大いに欠けるので時間の無駄です。

 とは言いながら、「現代のアヘン戦争」を書いた国際情勢アナリストの山田敏弘さんについて、よく知らなかったので検索してみましたら、他人のSNSの記事から引用した、推測に溢れた「まとめ」記事が出てきて、思わず騙されて読んでしまいましたよ(苦笑)。でも、内容が全く想像の域を出ていません。素人が書いたからでしょう。

 要するに、他人が書いたあやふやな推測記事を引用したものなので、それらは二次情報であり、三次情報だったりするわけです。一次情報に接することが出来る人は、プロの記者や事件事故の当事者に限られていますが、最近のネット社会では、霞ケ関の省庁や地方公共団体もホームページで積極的に情報を公開するようになったので、普通の人でもアクセスすることが出来るようになりました。素人でも、記者会見などの報道資料を読むことが出来るのです。

 無味乾燥の面白くもない、データ解読に必要な知識を要する読みにくい情報も多いのですが、それこそが真の一次情報なのです。

大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(上)

 12月1日付の渓流斎ブログ「身も蓋もない議論なのか? 究極の理論なのか?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」の記事の最後の方で、「(著者の)安藤寿康氏には失礼なことを書いてしまったので、安藤氏の近著『能力はどのように遺伝するのか』(ブルーバックス、2023年6月22日初版)を購入して読んでみようかと思っております。大いに期待しています。」と書いたことを覚えていらっしゃる読者の方が、もし、いらしたら、その人は「通」です(笑)。

 目下、有言実行でこの「能力はどのように遺伝するのか」を読んでおります。何しろ「科学の聖典」を多く出版しているブルーバックスですからね。私が子どもの頃に創刊されたあこがれのシリーズです。学術書なので難解ではありますが、購入して良かったと思っています。前回、安藤氏ご自身が、自分の著書について、ネット上の書評で「言いたいことがあるならはっきり言え」「期待外れだった、橘さんの本で十分」などと批判されたことを「あとがき」に書いていたことをご紹介しました。確かに、この本もなるべく断定的な言説を避けているので、失礼ながら、前述の批判も頭に浮かんだりしますが、そこは、誤謬を嫌うデータ重視の科学者としての誠実で真摯な態度の表明と受け取ることが出来ます。

 私も今、回りくどい言い方をしましたが、この本は名著だと思います。何も知らない初心者でも「行動遺伝学」とは何なのか、理解できるからです。この本を知らずに一生を終わるのは勿体ない、と皆さんには言っておきます。

東銀座「紹興苑」

 このブログを長年お読み頂いている皆様には周知の事実ではありますが、私の人生のテーマは、仏画家ポール・ゴーギャンが描いた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の言葉そのものです。そのために、ここ何年も何年も、古人類学や文化人類学、進化論、宇宙論、量子論、物理学、心理学、数学…と難解で不慣れな書籍に挑戦して来たことは皆様ご案内の通りです。その結果、「我々はどこから来たのか 」は大体分かってしまいました。時間も空間もない「無」からインフレーションとビッグバンが起きて138億年前に宇宙が誕生し、46億年前に地球が誕生し、40億年前に生命が誕生し、中略して、700万年前に霊長類の人類がチンパンジーから分かれて「誕生」し、また、中略して、20万年前にホモ・サピエンスがアフリカで出現して、7万年前にアフリカを出て、3万年前に日本列島にまで到達した、ということでした。

 「我々はどこへ行くのか」も分かってしまいました。身も蓋もない話ですが、滅亡します。地球はあと20億~50億年で寿命で消滅することが分かっていますから、生命はその前に絶滅します。このまま、環境破壊と地球温暖化が進めば、もっと早い時期に滅亡することでしょう。別に脅しでも脅迫でもありません。私が言っているのではなく、科学者ら言っているのです(苦笑)。となると、せめて、生きているうちに幸福を求めて生を謳歌するしかありませんよね?

 その前に「我々は何者か 」が残っておりました。これは、人類学や進化論、宇宙論だけではアプローチ出来ません。そんな中で、偶然出合ったのが、行動遺伝学です。そして、手に入りやすいその代表的な関連書籍が前回の橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書)であり、今回の安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(ブルーバックス)であると言っても過言ではないと思っています。

東銀座「紹興苑」牛すじ煮込みランチと点心(点心は写真に写っていません) 1400円

 さて、前置きがあまりにも長くなってしまったので、本日取り上げるのは「第1章 遺伝子が描く人間像」です。私が一番驚いたことを書きます。今年(2023年)、最も話題になった「天才」として、二刀流の大谷翔平選手と将棋八冠の藤井聡太さんがおりますが、彼らのDNAの塩基配列の99.9%までが我々と同じだというのです。えっ?です。違うのは0.1%だけで、そこに「個人差」の源泉が潜んでいるというのです。もっとも、この後、読み進めていくと、わずか0.1%しか違わないと言っても、ヒトの遺伝子は30億の塩基対から成るので、その0.1%とは300万、つまり、300万カ所に個人差があるというのです。

 なあんだ、ですよね。この後、第2章に入ると「才能は生まれつきか、努力か」という話になり、フィギュアの4回転半ジャンプも、難曲のピアノ演奏も、野球やサッカーや囲碁将棋も、才能によるのか、努力が開花したのか、要するに、遺伝なのか、環境によるものなのか、生まれつきなのか、練習のたまものなのか、といった悩ましい話になってきます。しかし、実に興味深い話です。自分とは一体何者なのか? あの嫌〜な奴は、何であんなにあくどい悪賢い人間なのか?(笑) 何で彼はそんなにメンタルが強いのか? それなのに、自分は何で気弱で、毎日悩み苦しんでばかりいるのか?ーといった難題を解くヒントになります。

 なお、22ページには必須アミノ酸20種類がどんな塩基に対応しているのか(これは「コドン」と呼ばれる)という「DNAコード表」が掲載されています。「AGA」が「アルギニン」、「GGT」が「グリシン」などとなっていますが、これが今の高校の生物で習うとも書かれています。

 えっ?!私が高校生の頃は全く習いませんでしたよ! それだけ、学問は日進月歩、進化しているということですよね。だから、幾ら歳を取っても、勉強し続けなければならない、ということになりますか。

英国人捕虜を連行した憲兵軍曹大山勉は東京外語仏語部出身だった=インテリジェンス研究所特別研究員名倉有一氏の業績(その2)

 全く意図しておりませんでしたが、昨日、この渓流斎ブログに書いた「日本軍捕虜の英国人遺族の娘が78年ぶりに来日した物語=インテリジェンス研究所特別研究員名倉有一氏の業績」の続きのような読み物を本日書くことになりました。

 あれから、また名倉氏から「資料」が送られてきたのです。「駿河台分室物語 対米謀略放送『日の丸アワー』の記録」です。昨日、添付しようとしたら、容量が大きすぎて添付出来なかったことを書きましたが、同じ「駿河台分室物語 対米謀略放送『日の丸アワー』の記録」の中でも、これは別物で、対米ラジオ放送の協力を拒否した英国人捕虜のウィリアムズさんを東京憲兵隊本部へ連行した大山勉・憲兵軍曹の履歴に絞った資料でした。

 送られて来た資料を読んで驚きました。大山勉憲兵は、1939年に東京外国語大学仏語科(当時は、東京外国語学校仏語部文科)を卒業した人で、小生の大先輩に当たる人だったからです。

 こちらの資料は、容量がそれほど大きくなかったので、うまく添付することが出来ました。名倉氏が、小生にわざわざ「大山勉」の資料を送ってくださったのは、私が東京外国語大学のフランス語科のOBだということを存じ上げていたからのようでした。

 東京外語大の仏語科出身の歴史的人物といえば、無政府主義者の大杉栄や詩人の富永太郎、中原中也、それに作家の石川淳らがおり、いずれも、「反体制派」の烙印を押されてもおかしくない人ばかりです。いや、むしろ、体制に準じない反骨の精神を誇りに思っている人が少なくないと言っても良いでしょう。私自身も含めて(笑)。このほか、東京外大出身で、反骨精神に溢れた人物として、作家の永井荷風(清語)、新美南吉(英語)、二葉亭四迷、島田雅彦(露語)を挙げておきます。

 嗚呼、それなのに、体制派べったりの憲兵さんが先輩にいたとは! 勿論、語学力を生かして、外務省に入省したり、総合商社に就職したりする「体制派」の方々も多いのですが(笑)、憲兵さんとなるとどうも異色です。

 名倉氏から送られた資料には、大山勉の学友(同級生)で満鉄東京支社調査室に勤務したこともある武博宜氏の書簡も掲載されていますが、「(大山勉と)私とは昭和10年から14年まで東京外語の仏語部で一緒でした。旧制中学は当時名門だった府立四中(現都立戸山高校)でしたから勉強はよく出来ました。時折、改造社辺りから出版されたブハーリン、トロツキーなどの書籍を小脇に抱えていたのを覚えています。後年、憲兵になったー恐らく志願したのでしょうーことを思い合わせると違和感を覚えます。」と証言するほどでした。

赤羽

 その一方で、池田徳真著「日の丸アワー―対米謀略放送物語 」(中公新書)にはこんなエピソードが紹介されています。

 また時には大山憲兵の部屋にいって、話し込むこともあった。彼の部屋をみるとこれまた不思議である。フランス語の本がずらりと並んでいて、彼自身はゾラやモウバッサンの小説をフランス語で読んでいる。それは私たちの憲兵のイメージとだいぶ違うので聞きただしてみると、彼が言うには「私は仏文卒で、フランス語の勉強を命じられているのです」とのことであった。

 恐らく、仏印などに派遣された時に、現地で尋問や通訳・翻訳としてフランス語を使う場合もあるので、大山も上司に命じられて仏語の勉強を続けていたということなのでしょう。(実際、大山は、日米開戦後は、仏印サイゴンの憲兵隊に転勤した。)

 戦後、憲兵だった大山が、公職追放されたのか、そして、どんな生活を送ったのか、この資料だけでは不明ですが、晩年は宇都宮に住んでいたようです。戦後まもなく、大山は、富士山麓の農民の先頭に立って、米軍の実弾射撃訓練に反対する行動を指導していたという噂があった一方、大山の同級生の武氏は「戦後、大山君が『反米』『反戦』の立場を取っていたかどうかについては、全く心当たりがありません。彼との間でその種の話を交わした記憶はありません」(1998年3月24日付、名倉氏宛て書簡)と証言しています。

 物静かな人だったらしいので、指導者の噂は眉唾ものだったと思われます。依然と、大山憲兵軍曹の履歴は謎に包まれていますが、もし彼が戦争がない時代に生まれていれば、フランス文学者になっていたのかもしれません。