来年1月から東博で開催される「顔真卿展」は見ものです

スペイン・コルドバ

 こんにちは、奈良の西大寺先生です。今発売中の「芸術新潮」誌12月号を読まれましたか?

来年2019年に開催される美術展を同誌が推薦しています。このうち、新年、第一の見ものは、1月16日から上野の東京国立博物館で開催される「顔真卿展」だ、としています。

台湾の「国立故宮博物」に出かけても見られない、という秘宝が、東博に「出開帳」されるわけですね(笑)。

東博の展覧会の案内は、以下の通りになっております。

「中国の歴史上、東晋時代(317–420)と唐時代(618–907)は書法が最高潮に到達しました。書聖・王羲之(おうぎし303–361)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させました。そして顔真卿(がんしんけい、709–785)は三大家の伝統を継承しながら、顔法と称される特異な筆法を創出します。王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、後世にきわめて大きな影響を与えました。


本展は、書の普遍的な美しさを法則化した唐時代に焦点をあて、顔真卿の人物や書の本質に迫ります。また、後世や日本に与えた影響にも目を向け、唐時代の書の果たした役割を検証します。」(以上、東博のホームページより)

どうですか。新年、必見の展覧会ですね。貴人も覗かれるとよいでしょう。

また、「芸術新潮」12月号には、2017年10月から今年10月の一年間の展覧会の入場者の多かった「美術展」も載せています。

一位は、貴人も行かれた京都国立博物館で開催された「国宝」展で62万4493人だそうです。これに次いで60万人を超えた美術展は、森美術館での「アンドロ・エルリッヒ」展の61万4411人。続いて東京国立博物館の「運慶展」の60万439人です。詳しくは、同誌をご覧になるとよいでしょう。

「藝術新潮」は毎号、目を通さないと駄目だめですよ。

スペイン・コルドバ

えっ?何? 私が新潮社の回し者ですって?

いやいや、最近、極左老人向けの「新潮65」が廃刊したばかりですから、少しぐらい新潮社を応援してあげたっていいじゃないですか。

許してたもれ。

奈良国博の「正倉院展」と興福寺は大賑わい

お久しぶりです、大和先生です。

先月10月27日から始まった奈良国立博物館の第70回「正倉院展」は、例年通り大変な賑わいです。

会期は今月12日までですが、おそらく今週末は、紅葉見物も重なりえらい混雑をすると思い、今日(7日)午後、会場を覗いてきましたが、10分程度並んでスイスイ入場できました。

それでもやはり館内はえらい混雑でしたね。

いつもながら、館内の写真撮影は出来ませんので、肝心の展示物は、NHKテレビの美術番組や「読売新聞」(特別協力)紙上でご覧になるとよいでしょう。いつもながら、陳列品で人気のあるのは色艶やかな宝物です。色のついた宝物の前は人だかりで、案内人が「後の方もご覧になるので、スムースに前に進んでください!」といくら言っても、じっと動かず、どうにもなりませんね。

逆に、地味な、文書類の展示品の前は人だかりは少なく、空いていて割とゆっくり見られました。大衆は「色物」に弱いことがよく分かります(笑)。

いくつか、注目されている宝物の中で、緑色に白い斑点、黄色の十字の文様の陶製の「磁鼓(じこ)」の前は、やはり人だかりが多かったですね。奈良時代に奈良で作られた「奈良三彩」と呼ばれる「鼓(つつみ)」です。当時、両側に革を張って使っていたと言われていますが、どんな音なのか聞きたくなりました。

また、朝鮮半島の民族楽器「新羅琴(しらぎこと)」も出ていました。こちらは、伽耶の国で作られた琴ですが、弦は12本、これまた、当時の貴族で、歌舞音曲の腕達者が優雅に奏でていたのだと思います。

平成最後の「正倉院展」ですが、今年は南倉(東大寺の儀式関係品)、中倉(役所の書類、武器など)、北倉(聖武天皇、光明皇后皇后の遺品)の三倉から、宝物56件が出展されています。

同じ奈良公園のそばの「興福寺」は10月7日から11日まで「中金堂落慶法要」が終わったところですが、こちらも特別公開されていて、平日ながら、拝観者で賑わっています。

藤原不比等が710年(和銅3年)に建立、その後7回も焼失、再建を繰り返してきましたが、江戸時代の文政2年(1819年)からは仮堂でしのいできて、今年10月、301年ぶりに再建されたわけです。

以上 大和先生でした。

加藤画伯と鎌倉でスペイン談義

3日(土)は文化の日。前夜、東銀座の大伽藍での懇親会に参加しました。

全部で22人も参加し、本当に久し振り、10年ぶりぐらいの方とも再会したため、しこたま呑んでしまい、翌日は大誤算の二日酔い。もう1週間は、酒の顔を見たくないほどです(笑)。

何を話したのか、細かいことはすっかり忘れましたが(笑)、スマホのアプリの「スマートニュース」は必携だとか、テレビの番組を見逃したら、「TVer」(民放公式テレビポータル)とかいうアプリがいい、といった話を聞いたと思います。

湘南海岸

大手新聞記者から大学教授に華麗なる転身を遂げたK氏は、髪の毛がすっかり白くなり、「もうアルツハイマーになっても、若年性と言われなくなってしまった」と、嬉しそうに話してました。

それだけ長生きできた、というわけで、マスコミ業界人は、ストレスと激務のため早死にする人が多く、おめでたい話なわけです。

二次会にも参加したら、全く前後不覚と相成り、どうやって帰ったか、覚えてません。

江ノ電

以上が11月2日(金)夜の話で、翌3日は、二日酔いながら、鎌倉に行って来ました。

運悪く、その日は、川崎駅の拡張工事とかで東海道線の東京〜横浜間が一日中不通だというのです。どうしたもんか、小田急線で行こうか迷っていたら、湘南ライナーなるものがあり、それで藤沢まで行き、そこから江ノ電で、鎌倉高校前に行きました。

加藤力之輔展

目指すは画廊ジタン。加藤力之輔画伯の個展を訪問するのが目的でした。加藤画伯の御令室朝子様には、9月のスペイン旅行の際、マドリードで、ピカソの「ゲルニカ」に連れて行ってもらうなど、大変お世話になってしまったのです。

画廊ジタンは、入り組んだ所にあり、結局、分からなくて電話して、近くまで、画廊の女性オーナーに迎えに来てもらいました。

何か、非常に変わった洋館で、昭和初期に建てられたような古い感じ。鈴木清順監督の映画「チゴイネルワイゼン」に出てきそうな、ロケをしても大丈夫なような立派な建物でした。

スペイン・コルドバ メスキータ

すぐお暇する予定でしたが、加藤画伯とはスペイン談義に花が咲いてしまいました。

スペイン・バスク地方は、今では、三ツ星レストランの宝庫としてサンセバスチャンが世界中で有名になりましたが、かつてはフランス王室の避暑地で、フランコ将軍の別荘もあったこと、1960〜70年代に一世を風靡したマカロニ・ウエスタン(ジュリアーノ・ジェンマらが主演)の荒野はスペインで撮影されていたことなど薀蓄あるお話を伺いました。

過去最大規模のルーベンス展には圧倒されっぱなしでした

昨日は、京洛先生からの飛脚便で、小生が「ムンク展」に行ったのでは?ーと推測されておりましたが、残念!  同じ東京・上野公園内でも、国立西洋美術館で開催中の「ルーベンス展」を覗いてきました。日曜日なので、覚悟してましたが、若い女性が押し寄せず、割と空いてました。

いがったですねえ。感動で打ち震えました。もう3カ月も前に前売り券1400円を購入して準備万端だったのです(笑)。

ルーベンスは、私は小さい子供の頃から知ってました。何故かと言いますと、自宅のダイニングキッチンの壁にルーベンスによる天使と果物などが描かれた絵画(題名は忘却)があり、毎日眺めながら、そのきめ細かい絵筆と写実性に圧倒されていたからでした。勿論、それは本物であるわけがなく、しかも、複製画でも何でもなく、どこかの銀行かどこかでもらってきたカレンダーでしたけど…(笑)。

そして、もう25年以上も昔ですが、在日ベルギー政府観光局の招待でベルギーに取材旅行に行った際、アントワープの聖母大聖堂で見たルーベンスの「キリストの降架」(1614年)は、いまだに印象に強く残っております。「フランダースの犬」の物語でネロとパトラッシュが最期に見上げるあの作品です。大いに感動したものでしたが、「フランダースの犬」は地元ではあまり知られていないと聞いた時は、驚いたものでした。英国作家が書いたものだから、とか、フランドルのことをあまり好意的に描いていないというのが理由らしいですが、日本人の多くは、子どもの頃に読んだ「フランダースの犬」を通して、ルーベンスの名前を知ったのではないでしょうか。

◇ピーター・ポール・ルーベンスはペテロ・パウロ・ルーベンス

さて、ペーテル・パウロ・ルーベンス(1577~1640)は(Peter Paul Rubensですから、英語読みすると、ピーター・ポール・ルーベンスになりますね)、62年の生涯で何千点もの作品を生み出しましたが、もちろん、一人で描き切ったわけではなく、主にアントワープの工房で、ヨルダーンスら弟子らとともに製作しました。ルーベンスが実際に描いたのは主要人物の顔だけ、なんという作品もありました。17世紀のフランドルはスペイン統治下で(オランダは1581年に独立、ベルギーは1830年になってやっと独立)、詳しくはよく知りませんが、ドイツ生まれのルーベンス自身は語学堪能、博学で、画家だけでなく、外交官としても活躍しました。

題材は聖書や神話や伝説などが多いですが、その大きさもさることながら、あまりにも写実的で本当に圧倒されます。ローマ皇帝ネロによって自害を命じられた「セネカの死」は、血管の一本一本が透けて見えるほどでした。

今展は、スペイン・マドリードのプラド美術館やロシアのエルミタージュ美術館など世界10カ国から約40点が集められたもので、日本では「過去最大規模のルーベンス展」と銘打っております。その宣伝文句は、文字通りで、看板に偽りはありませんでした。

※なお、上記写真は、写真撮影が解禁されている「常設展」(いわゆる、松方コレクション。現在も海外から西洋画を買い進めていたのには驚きでした)の様子です。

ルーベンス展は、撮影禁止でしたので、パンフレットの写真を下に掲載しておきます。

実物を見たくなることでしょう(笑)。

若い女性が群がる「京のかたな」展=刀剣が大ブーム

お久しぶりです。京都の京洛先生です。

最近の《渓流斎日乗》のアクセスは如何ですか?
お堅い話ばかり続いておりましたから、読者の皆さんがついていけないのか、高踏過ぎたのか分かりませんが、減ったことでしょう。まあ、めげずに頑張ってください。
 さて、美術の季節の到来ですが、今日の日曜日は、貴人は、東京・上野公園で「ムンク」展でも鑑賞ですかね? 「共鳴する魂の叫び」などと「魂」のない紙面づくりをしている朝日新聞社がえらい力を入れていますね。前日に起きたことを載せるのが日刊新聞のはずですが、2,3日遅れても、平気で、紙面に載せることが目立つのが、最近の「朝日新聞」です。
 これでは、「新聞」でなく、「朝日旧聞」ですよ(笑)。
 「朝日は左翼だ!」なんて、皮相的に紙面批判している連中は、こういうことに気が付かないのでしょうかね。
 朝日新聞は完全に紙面づくりに手を抜いているのです。貴人が「経済面」を評価する読売新聞のような、ある種の「真面目さ」と「ひたむきさ」が感じられませんね。要するに、読者をなめているのです。
 迂生は昨日、国立京都博物館の「京のかたな」展(11月25日まで)を覗いてきました。昨日から始まった第70回「正倉院展」(奈良国立博物館、11月12日まで)も、読売新聞社が「特別協力」ですが、この「京のかたな」展も、読売新聞がNHKと共催です。
 かって、「ミロのビーナス」展や「ツタンカーメン」展を主催した朝日新聞社の文化事業のパワーは、この分野でも、完全に消え失せています。「適当にやっていても給料はもらえる」と社内がだらけ切っているのでしょうね。これでは、部数が400万部切ったと言われてますが、ますます減ることでしょう。社長以外は、危機感ゼロではないでしょうか。
◇若い女性がいっぱい
 ところで、迂生は、週末はなるだけ美術展は混雑するので避けていますが、昨日の土曜日(11月27日)は、新装した「南座」の記念行事で、歌舞伎役者総勢70人が、南座前から八坂神社までの四条通りを「お練り」をするので、観光客などはそちらに目が行き、京博には来ないと考え、同時刻に出かけましたが、まったく想定が外れました(笑)。
 京博も入場するのに10分も待たされ、しかも、館内は最前列で名刀を見る人が、長い列を作っている有様です。
 しかも、最近、若い女性の「刀剣マニア」が激増しているそうで、昨日の同展も7割は若い女性で吃驚仰天しました(笑)。
 京博の案内人によると「平日も女性で混んでいて、週末だけではありません」ということでした。どうやら、今、若い女性の間で、刀剣が大ブームになっているらしいのです。
 「京のかたな」展では、鎌倉時代の国宝の則国、久國、吉光の名刀や重文の刀がずらりと並び、いずれも、手入れが行き届いているので燦然と輝いているのは圧倒されます。
 それを若い女性がガラス越しに食い入るように眺め、「凄いわね!」「きれい!何とも言えない、妖しい!」と言葉を交わしていました(笑)。
◇長刀鉾をじっくり拝見
 迂生は、同展の目玉の一つ、「祇園祭」の山鉾巡行では、常に、先頭にいく「長刀鉾」に飾られていて、今は非公開になっている全長1.47メートルの、長刀を見ることが楽しみでしたが、こちらは、手入れはされているとはいっても、光り輝いてはおらず、見る人も少なく、じっくり拝見できました。
 この長刀はは室町時代後半の大永2年(1522年)に京都の鍛冶師、長吉が作ったと伝えられています。
 ところが、1536年の「天文(てんぶん)法華の乱」(延暦寺の天台宗僧徒と日蓮宗宗徒の争い)で、何者かに強奪され行方不明になりました。しかし、行方不明になった翌年、近江のお寺で見つかり、買い取られて、再び、祇園祭を執行する「八坂神社」に奉納された経緯があります。
 恐らく、その間にいろいろな逸話、ドラマがあったと思いますが、刀剣に限らず、貴重な美術品には権力、経済力を持った人間に絡む逸話があり、それを追うだけでも面白いと思いますね。
 以上、おしまい。

箱根の岡田美術館の収蔵品には驚き

スペイン、アルハンブラ宮殿

箱根にある岡田美術館で、来年3月まで「開館5周年記念展 美のスターたち 光琳、若冲、北斎、汝窯など名品勢ぞろい」が開催されております。

重要文化財を含み約450点が公開されているようですが、その出展作品は半端じゃありません。

美術好きの私ではありますが、岡田美術館は、一度も行ったことがありませんし、全く知りませんでした。熱海にあるMOA美術館が世界救世教の教祖の岡田茂吉(1882~1955年)が創立者なので、てっきり、その「姉妹館」かと思いました。

そしたら、まるっきり違うんですね。岡田美術館の創立者は岡田和生氏(76)で、ユニバーサルエンターテインメントの創業者。何の会社かと思いましたら、パチンコ機などの製造販売メーカーで、ラスベガスや香港など海外でカジノまで経営しているようです。旧社名「アルゼ」なら聞いたことがあります。

今は便利な世の中で、このユニバーサル社についても、岡田氏についても、ネット上で簡単に検索できます。まさに毀誉褒貶で、何処まで正しい正確な情報なのかは神のみぞ知るといった感じでしょうか。下世話な言い方で恐縮ですが、バクチって随分儲かるものなんですね、ただし「胴元」なら(笑)。

とにかく、コレクションの質の高さには驚きです。1948年以降、64年間所在が不明だった喜多川歌麿の肉筆大作「深川の雪」、83年間所在不明だった伊藤若冲の「孔雀鳳凰図」、重要文化財の尾形乾山「色絵竜田川文透彫反鉢」、それに、尾形光琳、葛飾北斎、横山大観、速水御舟ら名品ぞろい。これら全て、個人の収集品なんですからね。思わず、「凄い財力」「半端じゃない資産」と叫びたくなってしまうほどです。

別に「成金趣味」などと批判するつもりは毛頭ありません。むしろ、貴重な日本の美術品が海外に流出されなくてよかったわけで、これは岡田氏の功績です。

ただ、入場料の一般2800円は、ちょっと高過ぎるんじゃないかなあ(笑)。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」で心が洗われました

「体育の日」のある三連休のほとんどがブログの取材と執筆と校正と、講演者様とのメールのやり取りと、訂正と更新とさらに更新に追われてしまいました(笑)が、寸暇を惜しんで、東京・上野の国立博物館で開催中の特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に足を運んできました。

普段の私は、やましい心の狭いことばかり考えておりますから、せめて仏像様のお力と御慈悲によって、心を洗おうという罰当たりな魂胆を敢行したわけです。

京都にお住まいの京洛先生のお導きで、有難いことに、京都奈良の寺社仏閣はかなり巡っているのですが、大報恩寺は聞いたことがありませんでした。

非常に楽しみに出掛けたところ、大報恩寺とは、北野天満宮近くの千本釈迦堂のことではありませんか!

ここなら、京洛先生お気に入りの寺で、小生も何度かお参りしておりました。

千本釈迦堂大報恩寺は、鎌倉初期の安貞元年(1227年)に義空上人(奥州藤原秀衡の孫に当たる)によって開創された寺です。洛中で「火災に遭うことなく現存する」最も古い寺だといいます。本堂は、創建時そのままのもので「国宝」に指定されております。柱には応仁の乱の刀や槍の傷跡が残っていました。

◇京洛先生と倶梨伽羅紋々

京都の人が言う「この前の戦災」とは、鳥羽伏見の戦いではなく、応仁の乱を指すことがこれで分かりました。

境内では毎年12月に「大根焚き」が行われ、もう5、6年前のことですが、たまたま京洛先生と一緒にベンチに座って、熱々の大根を食べていたら、テレビがこちらに取材に来ました。

そしたら、京洛先生はその筋の人ですから、背中の倶利伽羅紋々を見せながら、何か一言言った途端、テレビ・クルーの人たちは真っ青な顔をして慌てて逃げ去ってしまったのです。

何事が起きたのか、京洛先生に尋ねたところ、彼は、ちょうど取材に来たテレビ局のライバル・テレビ局のロゴが背中に入ったジャンパーを着ていたのです。

「『ここの者だけど、いいの?』と言っただけですよ」と京洛先生は平然としたものでした。もちろん、彼はライバル・テレビ局の人間ではありません(笑)。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」のパンフレットより

さて、大報恩寺展のことでした。

四年に一度のご開帳でしか拝めない「釈迦如来坐像」(快慶の一番弟子・行快作)や「釈迦十大弟子立像」(快慶最晩年作)、「六観音菩薩像」(運慶の晩年の弟子・肥後定慶作)は、前から後ろから360度の角度から見ることができて、見応え十分でした。なんて、言ってはいけませんね。荘厳な気持ちになりました。

合掌

お蔭さまで、心が少し軽くなりました。

【六観音菩薩】とは

六道それぞれの衆生を救う6体の観音密教では、地獄道聖(しょう)観音餓鬼道千手観音畜生道馬頭観音修羅道十一面観音人間道准胝(じゅんでい)または不空羂索(ふくうけんじゃく)観音天道如意輪観音を配する。(大辞泉より)

【釈迦十大弟子】とは

釈迦(しゃか)の10人の高弟。「智慧第一」の舎利弗(しゃりほつ)、「神通(じんつう)第一」の目犍連(もくけんれん)、「頭陀(ずだ)第一」の摩訶迦葉(まかかしょう)、「天眼第一」の阿那律(あなりつ)、「解空(げくう)第一」の須菩提(しゅぼだい)、「説法第一」の富楼那(ふるな)、「論義第一」の迦旃延(かせんねん)、「持律第一」の優婆離(うばり)、「密行第一」の羅睺羅(らごら)、「多聞(たもん)第一」の阿難陀(あなんだ)。(大辞泉より)
地獄道から衆生を救済する聖観音菩薩像(もちろん、この菩薩像だけがフラッシュなしの撮影を許可されていました。「地獄にいる人が多いせいなのかなあ」と邪推してしまいました)

クールベ「世界の起源」のモデルをついに発見!

アルハンブラ宮殿

ギュスターヴ・クールベ(1819〜77)は、19世紀フランスを代表する写実主義の画家です。代表作「オルナンの埋葬」「画家のアトリエ」などはよく知られています。詩人ボードレールの肖像画も残しています。

私自身は、大学の卒論に「印象派」(モネとドビュッシー)を選んだくらいですから、フランス史の中では、19世紀の文化や、革命を挟んだ帝政、王政復古、共和制、帝政、共和制とコロコロ変わる政治体制などにも関心があり、今でも興味を持ち続けております。

さて、クールベですが、パリのオルセー美術館に行かれると、クールベ・コーナーがありますが、そこに、ほぼ等身大の女性のgenitalsのクローズアップが展示されていて、まず大抵の人は度肝を抜かされます。タイトルの「世界の起源」(46×55センチ)とは言い得て妙で、よく名付けたものです(笑)。顔は描かれていません。局部だけです。

あまりにもリアル過ぎて「これ、ゲージュツなの?」と東洋から来たおじさんは圧倒されますが、これを見る前に、2人の若い裸婦がベッドで絡むようにまどろんでいる姿を描いた有名な、あの官能的な、想像以上に巨大な「眠り」(135×200センチ、プティ・パレ美術館)を事前に見ていれば、そのドギマギ感は少し薄れるかもしれませんが(笑)。

勿論、19世紀のサロンでは、このgenitals作品は大スキャンダルとなり、すぐさま隠匿され、オルセー美術館で一般公開されるようになったのは、つい最近の1995年からでした。その前は、著名な精神科医のジャック・ラカン(1901~81)がオークションで落札して何年間も、秘蔵していたようです。

「世界の起源」は検索すればその画像が出てきますが(18歳未満お断り。ここでは載せられません!)、そのモデルは誰なのか150年以上も不明で、一時はクールベお気に入りのモデル、ジョアンナ・ヒファーナン説もありましたが、謎に包まれていました。

それが、このほど、ついにその「正体」が分かったというのです。歴史家のクロード・ショップ氏が、仏国立図書館の司書部長で美術史家のシルビー・オーブナ氏の手を借りて、小説家のアレクサンドル・デュマと閨秀作家ジョルジュ・サンド(ショパンとの関係は有名)との往復書簡に注釈を付ける作業をしているうちに、そのモデルの名前が出てきて、偶然にも発見したというのです。

写真左がモデルのコンスタンス・ケニオー、右が画家クールベ

10月2日付のニューヨーク・タイムズ紙によると、そのモデルは、コンスタンス・ケニオー(Constance Quéniaux 1832~1908)という人物でした。パリ郊外で私生児として生まれ、オペラ座バレー団の踊り子として活躍した後、膝の故障で引退し、その後、高級娼婦になります。今ではすっかり忘れ去られましたが、当時は、あの楽聖ワーグナーと並び称されたオペラ作曲家のダニエル・フランソワ・エスプリ・オーベール(1782~1871)(現在は、パリ高速地下鉄オーベール駅にその名を残しています)の愛人となり、晩年はロワイヤル通りの豪邸に住み、彼女の死後は、その財産目録がオークションにかけられるほど裕福な後半生を送った人でした。

彼女がモデルになったのは1866年で、34歳ごろだったことが分かります。クールベは47歳でした。(依頼主は、当時コンスタンスを愛人にしていた元オスマントルコの外交官で超お金持ちのハリル・ベイ)その後、クールベは1870年のパリ・コミューンに参加してスイスに亡命せざるを得なくなり、不遇のうちに亡命先で57歳で亡くなります。

コンスタンスは、オペラ座の踊り子としてはかなり才能があったらしく、1854年の新聞の批評欄でも「優美で気品がある」と褒められています。詩人で批評家のテオフィル・ゴーティエも注目したようでした。

時は、日本で言えば、幕末の話です。現代人の感覚では、娼婦から愛人という遍歴は、眉をひそめるかもしれませんが、150年前は、田舎出の、しかも、私生児として生まれた女の子が、社交界にデビューするなり、それなりの地位に昇る手段の一つだったのかもしれません。富裕層は、劇場などに出かけては踊り子や女優らを自分の愛人にする時代でした。

 クールベも依頼主のベイの2人とも不遇のうちに亡くなりました。でも、コンスタンスの場合は、美貌と才覚に恵まれたおかげか、「成功者」として穏やかな晩年を過ごしたようでした。享年75。

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。

縄文土器と土偶さまには圧倒されました

今日は斎藤君のお誕生日でしたが、猛暑の中、上野の東京国立博物館で開催中の「特別展 1万年の美の鼓動 縄文」を見に行って来ました。

暑かったので、戸外で並びたくなかったのですが、流石にこの暑さでは通常の週末にしては空いていました。

今は夏休みですから、子どもさんも多く訪れ、母親と小学校3年生ぐらいの男の子が仲良く見学していて、男の子は土偶を見ながら、「おちんちん付いているね」「おっぱいあるね」と感動してお母さんに大声で話しかけていました。将来が楽しみです(笑)。

大きくなってもこの感動を忘れないでほしいものです。私自身は、最近、日ごろの生きているだけでシンドイ、数々の、諸々の、生まれいずる悩みに振り回されていたことから、1万年前の日本人のご先祖さまたちが作った作品に癒しを求めにいったというのが正直なところでしょうか。

何しろ、5000年も1万年も前の大昔の人たちがつくった土器や土偶や飾りなどが目の前で見られるわけですから、たかだか、100年も生きられるか分からない人間の悩みなんて、ちっぽけに感じてしまうわけです。

フラッシュなしの撮影コーナーがありました

土器1点、土偶5点の「国宝コーナー」もありました。比較的新しい1992年ごろに指定されたようです。もっと早く認定されてもおかしくなかったことでしょう。今のところ、縄文作品の国宝は、この6点だけらしいのですが、それが、一堂に会して見られるのですからこんな贅沢な至福の時はありません。

国宝の「火焔型土器」(新潟県十日町市笹山遺跡出土)は意外と小さかったですね。でも、あの文様は誰が考案したんでしょうか。現代人やAIではとても作れませんね。果たして人間は進歩しているのかしら?

有名な土偶「仮面のビーナス」(長野県茅野市棚畑遺跡出土)や「縄文の女神」(山形県舟形町西ノ前遺跡出土)などは、まるで、宇宙人がつくったような造形でした。私が気に入った国宝は「合掌土偶」(青森県八戸市風張1遺跡出土)で、30センチもない本当に小さな土偶で、若い男性が這いつくばるようにして、蹲って手を前で合掌している姿をしていました。一度目にしただけで、ぐっと胸に迫ってくる感動がありました。

細かい技巧には圧倒されます。赤ちゃんを産んでいる母親の壺まであるんですよ。土偶などは祭祀に使われたのでしょう。縄文時代は、まだまだ未解明なところが多く、さらに研究が進んでほしい分野です。日本列島、南は九州から、北は函館まで、あちらこちらに縄文時代の遺跡が分散していたことには驚かされました。

せっかく、上野まで来ましたので、上野山の激戦地に建てられた彰義隊の墓をお参りして、国営放送の大河ドラマの主人公「西郷どん」の銅像にも会いに行ってきました。

やはり暑くて、とてもじっとしていられませんでした。

昼時を過ぎていたので、明治の文豪森鴎外もよく通っていたという「上野 蓮玉庵」に久しぶりに入り、かき揚げそば1000円とビール中700円を注文し、一人で縄文土器の感動に再び浸っておりました。

ご案内の通り、稲作の伝わった弥生時代の土器は、機能重視で、芸術性に欠けることは確かです。

縄文土器は、柳宗悦、河井寛次郎(文化勲章、人間国宝などは辞退)、濱田庄司といった民藝派をはじめ、「芸術は爆発だ」の岡本太郎らがこよなく愛し、多大な芸術的影響を受けたと言われています。

確かに見ているだけで、生きる勇気が湧いてきて、会場では思わず手を合わせて感謝してしまいました。

うまいめん食い村通信 ごちそうさまでした            2拍手