旧大阪毎日新聞京都支局、現「同時代ギャラリー」で加藤力之輔さんの個展

加藤力之輔画伯 Copyright par Kyoraque-sensei

 京洛先生です。しばしば、「渓流斎ブログ」にお邪魔して恐縮です(笑)。 

 先日、東京・銀座で2週間にわたり個展をされた加藤力之輔さんが、4月9日(火)から14日(日)まで、京都でも個展を開かれているので、会場の「同時代ギャラリー」(中京区三条寺町西入る1928ビル)を覗いてきました。


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 同時代ギャラリーは、展示スペースが広いので、加藤さんの得意の大きな絵をゆったり並べられるので、加藤さんも満足げでした。

  東京では、木炭で描がかれた大きな裸体のデッサンが画廊の床まで垂れ下がっていたそうですが、京都では、炭の単色の大作ではなく、色彩を巧みに使い分け、明るい基調の大きな作品が並べられ、作家の自信が溢れ、見ごたえ、迫力のある個展です。


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 加藤さんは「東京では、どうしても会場に限界があり、小品しか展示できなかったのですが、この『現代ギャラリー』さんでは、そういうことを考えなくても好いので、助かりますね。展示空間に窮屈さがあると、見に来てくださった方も、おおらかに見てもらえませんから」と仰っていました。 


重厚な旧大毎京都支局ビル Copyright par Kyoraque-sensei

 「同時代ギャラリー」の入っているビルは、毎日新聞社(当時「大阪毎日新聞社=大毎」)が戦前の1928年(昭和3年)に京都支局として建てたもので、京都市の登録有形文化財に指定されています。


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 当時、大毎の本山彦一社長が、関西の”建築家の大御所”武田五一氏(京都帝大教授)に建築、設計を全面的に委嘱、完成させ、京都支局として使われてきました。


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 しかし、ビルの老朽化もあり、1998年、毎日新聞京都支局は、別の場所にビルを建て、移転。一時は「保存は無理か!」といわれましたが、建築家の若林広幸氏が「歴史あるビルを壊すのは惜しい」と自ら買い取り、今は保存しながら、画廊などに活用しています。


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 アールヌーボー風の建物で、若林氏がオーナーになってから同ビルの内部を補強、修復していますが、外壁は昔の儘で、今でも「大毎」の記章が壁に埋め込まれています。

以上 ご報告まで。

「旅の中の旅-加藤力之輔展」=東京・銀座

 京都にお住まいの京洛先生の御親友でもある加藤力之輔画伯の個展が、東京・銀座の風月堂ビル3階の「一枚の絵 olive eye gallery」で開催中ということで、覗いてきました。(Part IV:3月18日~23日、 Part V:3月25日~30日)

 京洛先生の「鶴の一声」で陸続と「関係者」も押し寄せているようで、私がお邪魔した時には、著名な経済ジャーナリストの阿部和義氏がちょうどお見えになっておりました。

 加藤画伯は、何回か、このブログでも登場させて頂いておりますが、昨年、個人的にスペインに旅行した際、マドリード在住の加藤画伯の奥方さまから、ピカソの「ゲルニカ」見学に連れて行ってもらったり、御自宅で御手製ランチ(イカスミライス)をご馳走になったり、大変お世話になってしまったのでした。

 加藤画伯は、プラド美術館で、4年間もティツィアーノの作品を模写研究された芸術家ではありますが、大変気さくな方で、大変、話好きです。多分、初対面の方でも、何の気兼ねすることなく画廊を訪れて、鑑賞したり、気に入ったら購入したりできますので、足を運ばれたらいいでしょう。


鎌倉の画廊でも展示されていた特大の人物画像も、今回出品されていて、加藤画伯にはその前に立って、写真を撮らさせて頂きました。

 「今日は取材で参りました。写真はブログに載せても大丈夫ですか?」とお伺いしたところ、「いいですよ」と快諾して頂きましたので、こうして皆様のお目にも留まることと相成りました。

「奇想の系譜展」と「国風盆栽展」を見て来ました

 昨日の建国記念日の祝日は、ほんの少し小雪がちらつく寒い中、東京・上野の東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」(日経・NHK主催)を観に行ってきました。(当日券1600円、前売り券1400円)

 目玉は、空前のブームが続いている伊藤若冲ですから、寒い戸外に延々と行列が出来て待たされるんじゃないかと覚悟して行ったのですが、寒さのお蔭で人が少なく、逆に並ばずにスッと入ることができました。ただ、絵画の前は三重ぐらいの人だかりでしたけど、私は背が高いので十分に見られました。

 美術史家の辻惟雄氏が1970年に出版した「奇想の系譜」で紹介した岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の6人のほか、白隠慧鶴と鈴木其一を加えた8人の画家の展覧会でした。恐らく、1970年の時点で、琳派の鈴木其一を除いて、全員の画家を知っていた人は、専門家以外はほとんどいなかったのではないでしょうか。

 私も、空前のブームに則って、伊藤若冲は結構、拝見したのですが、今回展示されていた作品は、お初にお目にかかるものが多かったでした。(初公開もあり)若冲といえば、雄鶏ですが、「旭日鳳凰図」なんかも見事と言いようがないほど素晴らしかったですね。

 白隠、芦雪、蕭白らはかつての展覧会で結構見たことがあったのですが、岩佐又兵衛(1578~1650)は、私の記憶では、生まれて初めてかもしれません。又兵衛は、織田信長に謀反を起こして滅ぼされた有名な戦国武将荒木村重の子息だったとは知りませんでしたね。どんな絵具を使っていたのか、詳細は知りませんが、とても350年も昔に描かれたとは思えないほど色鮮やかで、描写も非常にリアルです。「山中常盤物語絵巻」(重文=MOA美術館蔵)では、かなり残酷な場面も淡々と描かれています。特に気に入ったのは六曲一双の「豊国祭礼図屏風」(重文=徳川美術館蔵)で、武士から僧侶、町人、農民に至るまで何百人も登場し、一人一人の表情も豊かで、その細かさには圧倒されました。

 著作権の関係で、この屏風絵の画像のリンクも貼れないので、ご興味を持たれた方は、展覧会に足を運ぶか、画像検索して見てみてください。腰を抜かしますよ(笑)。

 さて、これで帰るつもりだったのですが、前夜、京洛先生から電話があり、「もし、東京都美術館に行かれるのでしたら、そこでやっている盆栽展も観に行かなければいけませんよ。画竜点睛を欠くといいますからね」との極秘情報が齎されました(笑)。

 盆栽なら、以前、さいたま市大宮の盆栽博物館にも行って、さんざん見てきたことでしたので、敢えて見たいとは思わなかったのですが、京洛先生は「今回は、一般庶民が滅多に見られない盆栽が展示されていますから、この機会を逃してはいけませんよ」と例のニヤニヤ笑いを浮かべて仄めかすのです。(電話で顔は見えませんが、テレパシーで見えました)そこで、「奇想の系譜展」の隣りの会場で開催されていた「第93回国風盆栽展」にも1000円の入場料を支払って、覗いてきましたよ。

 世の中、熱心な盆栽ファンがいるもので、結構、人で混んでいました。

 大宮の盆栽は、黒松や五葉松など、松が多かったのですが、この展覧会は、今が旬の梅や桜までありました。全国から「入選」を懸けて150点以上が出品されていました。

 「奇想の系譜展」では、ほとんど日本人か、あとは中国、台湾、韓国人ぐらいでしたが、「盆栽展」の方は欧米人が多いので驚きました。特に、スペイン語を多く聞きました。

 さて、京洛先生が仰っていた「庶民が滅多に見られない盆栽」とは何かと思ったら、宮内庁所有の盆栽でした。樹齢180年の黒松だとか。天皇・皇后両陛下が毎日のように御覧になっている盆栽でした。平成最後ということで、特別出品でした。 

平成最後の年に宮内庁から出品

 国風展は、戦前の 昭和9年(1934)3月に東京府美術館(現在の東京都美術館)で、第1回盆栽展が開かれたということで、今年で93回目。結構歴史がある展覧会だったのですね。

 今では日本人より、海外の人の方がよく知るようになり、こうして、はるばると「奇想の系譜展」は見向きもせずに、ただ只管、盆栽を目指してやって来ることが分かりました。背がスラリとした北欧系と見られる亜麻色の髪の乙女が父親と見られる人と一緒に来場していて、熱心に盆栽を見ているのを見て、ちょっと感動してしまいました。

 狭い通路ですれ違ったので、彼女に一礼したら、ニコッと挨拶を返してくれたので、年甲斐もなくドキッとしてしまいました(笑)。せめて、「何処のお国からいらしたのですか」ぐらい聞いておけばよかったと思いました。

来年1月から東博で開催される「顔真卿展」は見ものです

スペイン・コルドバ

 こんにちは、奈良の西大寺先生です。今発売中の「芸術新潮」誌12月号を読まれましたか?

来年2019年に開催される美術展を同誌が推薦しています。このうち、新年、第一の見ものは、1月16日から上野の東京国立博物館で開催される「顔真卿展」だ、としています。

台湾の「国立故宮博物」に出かけても見られない、という秘宝が、東博に「出開帳」されるわけですね(笑)。

東博の展覧会の案内は、以下の通りになっております。

「中国の歴史上、東晋時代(317–420)と唐時代(618–907)は書法が最高潮に到達しました。書聖・王羲之(おうぎし303–361)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させました。そして顔真卿(がんしんけい、709–785)は三大家の伝統を継承しながら、顔法と称される特異な筆法を創出します。王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、後世にきわめて大きな影響を与えました。


本展は、書の普遍的な美しさを法則化した唐時代に焦点をあて、顔真卿の人物や書の本質に迫ります。また、後世や日本に与えた影響にも目を向け、唐時代の書の果たした役割を検証します。」(以上、東博のホームページより)

どうですか。新年、必見の展覧会ですね。貴人も覗かれるとよいでしょう。

また、「芸術新潮」12月号には、2017年10月から今年10月の一年間の展覧会の入場者の多かった「美術展」も載せています。

一位は、貴人も行かれた京都国立博物館で開催された「国宝」展で62万4493人だそうです。これに次いで60万人を超えた美術展は、森美術館での「アンドロ・エルリッヒ」展の61万4411人。続いて東京国立博物館の「運慶展」の60万439人です。詳しくは、同誌をご覧になるとよいでしょう。

「藝術新潮」は毎号、目を通さないと駄目だめですよ。

スペイン・コルドバ

えっ?何? 私が新潮社の回し者ですって?

いやいや、最近、極左老人向けの「新潮65」が廃刊したばかりですから、少しぐらい新潮社を応援してあげたっていいじゃないですか。

許してたもれ。

奈良国博の「正倉院展」と興福寺は大賑わい

お久しぶりです、大和先生です。

先月10月27日から始まった奈良国立博物館の第70回「正倉院展」は、例年通り大変な賑わいです。

会期は今月12日までですが、おそらく今週末は、紅葉見物も重なりえらい混雑をすると思い、今日(7日)午後、会場を覗いてきましたが、10分程度並んでスイスイ入場できました。

それでもやはり館内はえらい混雑でしたね。

いつもながら、館内の写真撮影は出来ませんので、肝心の展示物は、NHKテレビの美術番組や「読売新聞」(特別協力)紙上でご覧になるとよいでしょう。いつもながら、陳列品で人気のあるのは色艶やかな宝物です。色のついた宝物の前は人だかりで、案内人が「後の方もご覧になるので、スムースに前に進んでください!」といくら言っても、じっと動かず、どうにもなりませんね。

逆に、地味な、文書類の展示品の前は人だかりは少なく、空いていて割とゆっくり見られました。大衆は「色物」に弱いことがよく分かります(笑)。

いくつか、注目されている宝物の中で、緑色に白い斑点、黄色の十字の文様の陶製の「磁鼓(じこ)」の前は、やはり人だかりが多かったですね。奈良時代に奈良で作られた「奈良三彩」と呼ばれる「鼓(つつみ)」です。当時、両側に革を張って使っていたと言われていますが、どんな音なのか聞きたくなりました。

また、朝鮮半島の民族楽器「新羅琴(しらぎこと)」も出ていました。こちらは、伽耶の国で作られた琴ですが、弦は12本、これまた、当時の貴族で、歌舞音曲の腕達者が優雅に奏でていたのだと思います。

平成最後の「正倉院展」ですが、今年は南倉(東大寺の儀式関係品)、中倉(役所の書類、武器など)、北倉(聖武天皇、光明皇后皇后の遺品)の三倉から、宝物56件が出展されています。

同じ奈良公園のそばの「興福寺」は10月7日から11日まで「中金堂落慶法要」が終わったところですが、こちらも特別公開されていて、平日ながら、拝観者で賑わっています。

藤原不比等が710年(和銅3年)に建立、その後7回も焼失、再建を繰り返してきましたが、江戸時代の文政2年(1819年)からは仮堂でしのいできて、今年10月、301年ぶりに再建されたわけです。

以上 大和先生でした。

加藤画伯と鎌倉でスペイン談義

3日(土)は文化の日。前夜、東銀座の大伽藍での懇親会に参加しました。

全部で22人も参加し、本当に久し振り、10年ぶりぐらいの方とも再会したため、しこたま呑んでしまい、翌日は大誤算の二日酔い。もう1週間は、酒の顔を見たくないほどです(笑)。

何を話したのか、細かいことはすっかり忘れましたが(笑)、スマホのアプリの「スマートニュース」は必携だとか、テレビの番組を見逃したら、「TVer」(民放公式テレビポータル)とかいうアプリがいい、といった話を聞いたと思います。

湘南海岸

大手新聞記者から大学教授に華麗なる転身を遂げたK氏は、髪の毛がすっかり白くなり、「もうアルツハイマーになっても、若年性と言われなくなってしまった」と、嬉しそうに話してました。

それだけ長生きできた、というわけで、マスコミ業界人は、ストレスと激務のため早死にする人が多く、おめでたい話なわけです。

二次会にも参加したら、全く前後不覚と相成り、どうやって帰ったか、覚えてません。

江ノ電

以上が11月2日(金)夜の話で、翌3日は、二日酔いながら、鎌倉に行って来ました。

運悪く、その日は、川崎駅の拡張工事とかで東海道線の東京〜横浜間が一日中不通だというのです。どうしたもんか、小田急線で行こうか迷っていたら、湘南ライナーなるものがあり、それで藤沢まで行き、そこから江ノ電で、鎌倉高校前に行きました。

加藤力之輔展

目指すは画廊ジタン。加藤力之輔画伯の個展を訪問するのが目的でした。加藤画伯の御令室朝子様には、9月のスペイン旅行の際、マドリードで、ピカソの「ゲルニカ」に連れて行ってもらうなど、大変お世話になってしまったのです。

画廊ジタンは、入り組んだ所にあり、結局、分からなくて電話して、近くまで、画廊の女性オーナーに迎えに来てもらいました。

何か、非常に変わった洋館で、昭和初期に建てられたような古い感じ。鈴木清順監督の映画「チゴイネルワイゼン」に出てきそうな、ロケをしても大丈夫なような立派な建物でした。

スペイン・コルドバ メスキータ

すぐお暇する予定でしたが、加藤画伯とはスペイン談義に花が咲いてしまいました。

スペイン・バスク地方は、今では、三ツ星レストランの宝庫としてサンセバスチャンが世界中で有名になりましたが、かつてはフランス王室の避暑地で、フランコ将軍の別荘もあったこと、1960〜70年代に一世を風靡したマカロニ・ウエスタン(ジュリアーノ・ジェンマらが主演)の荒野はスペインで撮影されていたことなど薀蓄あるお話を伺いました。

過去最大規模のルーベンス展には圧倒されっぱなしでした

昨日は、京洛先生からの飛脚便で、小生が「ムンク展」に行ったのでは?ーと推測されておりましたが、残念!  同じ東京・上野公園内でも、国立西洋美術館で開催中の「ルーベンス展」を覗いてきました。日曜日なので、覚悟してましたが、若い女性が押し寄せず、割と空いてました。

いがったですねえ。感動で打ち震えました。もう3カ月も前に前売り券1400円を購入して準備万端だったのです(笑)。

ルーベンスは、私は小さい子供の頃から知ってました。何故かと言いますと、自宅のダイニングキッチンの壁にルーベンスによる天使と果物などが描かれた絵画(題名は忘却)があり、毎日眺めながら、そのきめ細かい絵筆と写実性に圧倒されていたからでした。勿論、それは本物であるわけがなく、しかも、複製画でも何でもなく、どこかの銀行かどこかでもらってきたカレンダーでしたけど…(笑)。

そして、もう25年以上も昔ですが、在日ベルギー政府観光局の招待でベルギーに取材旅行に行った際、アントワープの聖母大聖堂で見たルーベンスの「キリストの降架」(1614年)は、いまだに印象に強く残っております。「フランダースの犬」の物語でネロとパトラッシュが最期に見上げるあの作品です。大いに感動したものでしたが、「フランダースの犬」は地元ではあまり知られていないと聞いた時は、驚いたものでした。英国作家が書いたものだから、とか、フランドルのことをあまり好意的に描いていないというのが理由らしいですが、日本人の多くは、子どもの頃に読んだ「フランダースの犬」を通して、ルーベンスの名前を知ったのではないでしょうか。

◇ピーター・ポール・ルーベンスはペテロ・パウロ・ルーベンス

さて、ペーテル・パウロ・ルーベンス(1577~1640)は(Peter Paul Rubensですから、英語読みすると、ピーター・ポール・ルーベンスになりますね)、62年の生涯で何千点もの作品を生み出しましたが、もちろん、一人で描き切ったわけではなく、主にアントワープの工房で、ヨルダーンスら弟子らとともに製作しました。ルーベンスが実際に描いたのは主要人物の顔だけ、なんという作品もありました。17世紀のフランドルはスペイン統治下で(オランダは1581年に独立、ベルギーは1830年になってやっと独立)、詳しくはよく知りませんが、ドイツ生まれのルーベンス自身は語学堪能、博学で、画家だけでなく、外交官としても活躍しました。

題材は聖書や神話や伝説などが多いですが、その大きさもさることながら、あまりにも写実的で本当に圧倒されます。ローマ皇帝ネロによって自害を命じられた「セネカの死」は、血管の一本一本が透けて見えるほどでした。

今展は、スペイン・マドリードのプラド美術館やロシアのエルミタージュ美術館など世界10カ国から約40点が集められたもので、日本では「過去最大規模のルーベンス展」と銘打っております。その宣伝文句は、文字通りで、看板に偽りはありませんでした。

※なお、上記写真は、写真撮影が解禁されている「常設展」(いわゆる、松方コレクション。現在も海外から西洋画を買い進めていたのには驚きでした)の様子です。

ルーベンス展は、撮影禁止でしたので、パンフレットの写真を下に掲載しておきます。

実物を見たくなることでしょう(笑)。

若い女性が群がる「京のかたな」展=刀剣が大ブーム

お久しぶりです。京都の京洛先生です。

最近の《渓流斎日乗》のアクセスは如何ですか?
お堅い話ばかり続いておりましたから、読者の皆さんがついていけないのか、高踏過ぎたのか分かりませんが、減ったことでしょう。まあ、めげずに頑張ってください。
 さて、美術の季節の到来ですが、今日の日曜日は、貴人は、東京・上野公園で「ムンク」展でも鑑賞ですかね? 「共鳴する魂の叫び」などと「魂」のない紙面づくりをしている朝日新聞社がえらい力を入れていますね。前日に起きたことを載せるのが日刊新聞のはずですが、2,3日遅れても、平気で、紙面に載せることが目立つのが、最近の「朝日新聞」です。
 これでは、「新聞」でなく、「朝日旧聞」ですよ(笑)。
 「朝日は左翼だ!」なんて、皮相的に紙面批判している連中は、こういうことに気が付かないのでしょうかね。
 朝日新聞は完全に紙面づくりに手を抜いているのです。貴人が「経済面」を評価する読売新聞のような、ある種の「真面目さ」と「ひたむきさ」が感じられませんね。要するに、読者をなめているのです。
 迂生は昨日、国立京都博物館の「京のかたな」展(11月25日まで)を覗いてきました。昨日から始まった第70回「正倉院展」(奈良国立博物館、11月12日まで)も、読売新聞社が「特別協力」ですが、この「京のかたな」展も、読売新聞がNHKと共催です。
 かって、「ミロのビーナス」展や「ツタンカーメン」展を主催した朝日新聞社の文化事業のパワーは、この分野でも、完全に消え失せています。「適当にやっていても給料はもらえる」と社内がだらけ切っているのでしょうね。これでは、部数が400万部切ったと言われてますが、ますます減ることでしょう。社長以外は、危機感ゼロではないでしょうか。
◇若い女性がいっぱい
 ところで、迂生は、週末はなるだけ美術展は混雑するので避けていますが、昨日の土曜日(11月27日)は、新装した「南座」の記念行事で、歌舞伎役者総勢70人が、南座前から八坂神社までの四条通りを「お練り」をするので、観光客などはそちらに目が行き、京博には来ないと考え、同時刻に出かけましたが、まったく想定が外れました(笑)。
 京博も入場するのに10分も待たされ、しかも、館内は最前列で名刀を見る人が、長い列を作っている有様です。
 しかも、最近、若い女性の「刀剣マニア」が激増しているそうで、昨日の同展も7割は若い女性で吃驚仰天しました(笑)。
 京博の案内人によると「平日も女性で混んでいて、週末だけではありません」ということでした。どうやら、今、若い女性の間で、刀剣が大ブームになっているらしいのです。
 「京のかたな」展では、鎌倉時代の国宝の則国、久國、吉光の名刀や重文の刀がずらりと並び、いずれも、手入れが行き届いているので燦然と輝いているのは圧倒されます。
 それを若い女性がガラス越しに食い入るように眺め、「凄いわね!」「きれい!何とも言えない、妖しい!」と言葉を交わしていました(笑)。
◇長刀鉾をじっくり拝見
 迂生は、同展の目玉の一つ、「祇園祭」の山鉾巡行では、常に、先頭にいく「長刀鉾」に飾られていて、今は非公開になっている全長1.47メートルの、長刀を見ることが楽しみでしたが、こちらは、手入れはされているとはいっても、光り輝いてはおらず、見る人も少なく、じっくり拝見できました。
 この長刀はは室町時代後半の大永2年(1522年)に京都の鍛冶師、長吉が作ったと伝えられています。
 ところが、1536年の「天文(てんぶん)法華の乱」(延暦寺の天台宗僧徒と日蓮宗宗徒の争い)で、何者かに強奪され行方不明になりました。しかし、行方不明になった翌年、近江のお寺で見つかり、買い取られて、再び、祇園祭を執行する「八坂神社」に奉納された経緯があります。
 恐らく、その間にいろいろな逸話、ドラマがあったと思いますが、刀剣に限らず、貴重な美術品には権力、経済力を持った人間に絡む逸話があり、それを追うだけでも面白いと思いますね。
 以上、おしまい。

箱根の岡田美術館の収蔵品には驚き

スペイン、アルハンブラ宮殿

箱根にある岡田美術館で、来年3月まで「開館5周年記念展 美のスターたち 光琳、若冲、北斎、汝窯など名品勢ぞろい」が開催されております。

重要文化財を含み約450点が公開されているようですが、その出展作品は半端じゃありません。

美術好きの私ではありますが、岡田美術館は、一度も行ったことがありませんし、全く知りませんでした。熱海にあるMOA美術館が世界救世教の教祖の岡田茂吉(1882~1955年)が創立者なので、てっきり、その「姉妹館」かと思いました。

そしたら、まるっきり違うんですね。岡田美術館の創立者は岡田和生氏(76)で、ユニバーサルエンターテインメントの創業者。何の会社かと思いましたら、パチンコ機などの製造販売メーカーで、ラスベガスや香港など海外でカジノまで経営しているようです。旧社名「アルゼ」なら聞いたことがあります。

今は便利な世の中で、このユニバーサル社についても、岡田氏についても、ネット上で簡単に検索できます。まさに毀誉褒貶で、何処まで正しい正確な情報なのかは神のみぞ知るといった感じでしょうか。下世話な言い方で恐縮ですが、バクチって随分儲かるものなんですね、ただし「胴元」なら(笑)。

とにかく、コレクションの質の高さには驚きです。1948年以降、64年間所在が不明だった喜多川歌麿の肉筆大作「深川の雪」、83年間所在不明だった伊藤若冲の「孔雀鳳凰図」、重要文化財の尾形乾山「色絵竜田川文透彫反鉢」、それに、尾形光琳、葛飾北斎、横山大観、速水御舟ら名品ぞろい。これら全て、個人の収集品なんですからね。思わず、「凄い財力」「半端じゃない資産」と叫びたくなってしまうほどです。

別に「成金趣味」などと批判するつもりは毛頭ありません。むしろ、貴重な日本の美術品が海外に流出されなくてよかったわけで、これは岡田氏の功績です。

ただ、入場料の一般2800円は、ちょっと高過ぎるんじゃないかなあ(笑)。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」で心が洗われました

「体育の日」のある三連休のほとんどがブログの取材と執筆と校正と、講演者様とのメールのやり取りと、訂正と更新とさらに更新に追われてしまいました(笑)が、寸暇を惜しんで、東京・上野の国立博物館で開催中の特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に足を運んできました。

普段の私は、やましい心の狭いことばかり考えておりますから、せめて仏像様のお力と御慈悲によって、心を洗おうという罰当たりな魂胆を敢行したわけです。

京都にお住まいの京洛先生のお導きで、有難いことに、京都奈良の寺社仏閣はかなり巡っているのですが、大報恩寺は聞いたことがありませんでした。

非常に楽しみに出掛けたところ、大報恩寺とは、北野天満宮近くの千本釈迦堂のことではありませんか!

ここなら、京洛先生お気に入りの寺で、小生も何度かお参りしておりました。

千本釈迦堂大報恩寺は、鎌倉初期の安貞元年(1227年)に義空上人(奥州藤原秀衡の孫に当たる)によって開創された寺です。洛中で「火災に遭うことなく現存する」最も古い寺だといいます。本堂は、創建時そのままのもので「国宝」に指定されております。柱には応仁の乱の刀や槍の傷跡が残っていました。

◇京洛先生と倶梨伽羅紋々

京都の人が言う「この前の戦災」とは、鳥羽伏見の戦いではなく、応仁の乱を指すことがこれで分かりました。

境内では毎年12月に「大根焚き」が行われ、もう5、6年前のことですが、たまたま京洛先生と一緒にベンチに座って、熱々の大根を食べていたら、テレビがこちらに取材に来ました。

そしたら、京洛先生はその筋の人ですから、背中の倶利伽羅紋々を見せながら、何か一言言った途端、テレビ・クルーの人たちは真っ青な顔をして慌てて逃げ去ってしまったのです。

何事が起きたのか、京洛先生に尋ねたところ、彼は、ちょうど取材に来たテレビ局のライバル・テレビ局のロゴが背中に入ったジャンパーを着ていたのです。

「『ここの者だけど、いいの?』と言っただけですよ」と京洛先生は平然としたものでした。もちろん、彼はライバル・テレビ局の人間ではありません(笑)。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」のパンフレットより

さて、大報恩寺展のことでした。

四年に一度のご開帳でしか拝めない「釈迦如来坐像」(快慶の一番弟子・行快作)や「釈迦十大弟子立像」(快慶最晩年作)、「六観音菩薩像」(運慶の晩年の弟子・肥後定慶作)は、前から後ろから360度の角度から見ることができて、見応え十分でした。なんて、言ってはいけませんね。荘厳な気持ちになりました。

合掌

お蔭さまで、心が少し軽くなりました。

【六観音菩薩】とは

六道それぞれの衆生を救う6体の観音密教では、地獄道聖(しょう)観音餓鬼道千手観音畜生道馬頭観音修羅道十一面観音人間道准胝(じゅんでい)または不空羂索(ふくうけんじゃく)観音天道如意輪観音を配する。(大辞泉より)

【釈迦十大弟子】とは

釈迦(しゃか)の10人の高弟。「智慧第一」の舎利弗(しゃりほつ)、「神通(じんつう)第一」の目犍連(もくけんれん)、「頭陀(ずだ)第一」の摩訶迦葉(まかかしょう)、「天眼第一」の阿那律(あなりつ)、「解空(げくう)第一」の須菩提(しゅぼだい)、「説法第一」の富楼那(ふるな)、「論義第一」の迦旃延(かせんねん)、「持律第一」の優婆離(うばり)、「密行第一」の羅睺羅(らごら)、「多聞(たもん)第一」の阿難陀(あなんだ)。(大辞泉より)
地獄道から衆生を救済する聖観音菩薩像(もちろん、この菩薩像だけがフラッシュなしの撮影を許可されていました。「地獄にいる人が多いせいなのかなあ」と邪推してしまいました)