山名文夫を御存知でしたか?

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 10月1日だというのに、東京都心は気温29度と蒸し暑く、半袖で出勤しました。こんなこと、長い長い俸給通勤地獄生活で初めてです。

 昔は「暑さ、寒さも彼岸まで」とよく言ったものです。彼岸を過ぎれは猛暑もやんで、一気に秋らしくなっていました。10月1日は衣替えじゃなかったでしたっけ? 異常気象ですね。

 さて、話は変わって、今日も私が知らなかったことを書きます。

東京・銀座の資生堂本社

 大正から昭和にかけて活躍したグラフィックデザイナーの山名文夫(やまな・あやお、1897~1980)のことです。この方、御存知でしょうか? 私は不勉強にも知りませんでした。

 山名を最も有名にしたのが、化粧品の資生堂の蔓バラの「花椿マーク」です(原案は福原信三)。著作権やらうるさいので、このブログにその写真を掲載できませんが、誰でも御存知でしょう。資生堂の意匠部の社員だったこともあり、化粧品「de Luxe」の唐草模様などもを手掛けたのは山名だといいます。

とは言いながら、銀座の資生堂本社にある山名がデザインしたロゴマークを撮影してきました。これですの。

  昭和史に関心がある人はよく知っていますが、山名は昭和9年、名取洋之助が主宰する日本工房に参加して対外宣伝誌「NIPPON」の表紙絵まで描いておりました。へー、そうだったのか、ですよ。

 山名は戦後、多摩美大の教授なども務めますが、新潮社の新潮文庫の葡萄のロゴマークも彼のデザインでした。読書家の皆さんですから、あの葡萄のマークはよく御存知ですよね?

 山名文夫は戦前から有名で、太宰治の小説「皮膚と心」(昭和14年11月「文学界」初出)のモデル(主人公の若妻の旦那さん)だったのです。これまた、へー、そうだったのかあ、です。この作品、今では青空文庫で読めます。

 

「特別展 三国志」と特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」=上野の東博

蜀・劉備軍の要・関羽像(明時代15~16世紀、青銅製)

 何が哀しいのか、日曜日、気温34度の猛暑の中、東京・上野の東京国立博物館の平成館で開催中の「特別展 三国志」と、本館で開催中の特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」を観に出掛けてきました。

魏の曹操

 猛暑の中を、外出するようなおめでたい人間は少ないだろうし、お盆休みなので、都心は地方出身者が帰省していて、館内は空いているだろうと予測したからでした。

しかし、外れました。何処にも行くあてがない富裕でもなさそうな層(単なる個人的な勘違い)や、外国からの観光客でごった返し、陳列物の前は、二重三重のとぐろを巻く人だかりでした。

蜀の劉備

 この特別展に限ってなのか、国内の展覧会にしては珍しく、展示物の撮影はフラッシュさえ止めれば自由でした。それらの写真は、「個人の使用」なら許可され、館内の係りの人に「ブログにアップしてもいいですか?」と聞いたところ、「大丈夫です」と答えてくれたので、こうしてアップしているのです。 

呉の孫権

写真をバシャバシャ撮ったおかげで、一体何を撮ったのか、分からないものまでありましたが、ご勘弁ください(笑)。

「三国志」は、御案内の通り、後漢末期の2世紀に鼎立した魏・呉・蜀の三国の興亡が描かれた歴史書です。

 どういうわけか日本でも大人気で、江戸末期の忍藩の下級武士、尾崎石城さんの蔵書の中にも「三国志演義」があり、古代からほとんどの日本の知識階級は読んでいたと思われます。

赤壁の戦い(208年、曹操対劉備・孫権連合軍 劉備の諸葛亮が曹操を退却させる)

 現代では吉川英治や柴田錬三郎らが小説化したり、横山光輝が漫画化したり、テレビの人形劇やゲームにもなったりしているので、若者たちにも親しみやすいのでしょう。若者客が目立ちました。

蜀 「揺銭樹台座」 富裕層の墓に置かれた「金のなる木」の台座。3世紀、土製。2012年、重慶市で出土。

私自身は、ゲームもやらないし、「三国志」も「三国志演義」も読んでいないという体たらくで、知っているのは、劉備が諸葛孔明をスカウトするために三度も足を運んだ「三顧の礼」などエピソードぐらいですからね。見ても、知識が薄いため、今ひとつ、力が入りませんでした(苦笑)。

曹操高陵で発掘された 一級文物「魏武王(ぎのぶおう)常所用(つねにもちいるところの)挌虎大戟(かくこだいげき)」。魏武王とは曹操のこと。この発掘で、曹操の陵だと証明された。

 特別展の最大の見どころは、上の写真の石牌(せきはい)です。2009年、河南省安陽市で発掘されたもので、この石牌には「魏武王が愛用した虎をも打ち取る大きな戟」と刻まれています。魏の武王とは曹操のことで、これにより発掘された墓が「曹操高陵」である証明になったというのです。

 2009年ということは、つい最近のことです。今後も新たな新発見が出で来るのかもしれません。

 その前に、魏の勢力は、高句麗を倒して、今の北朝鮮にまで及んでいたことを知り、驚いてしまいました。

 また、この特別展のおかげで、189年に後漢より遼東太守に任命された公孫氏が、一時期独立して、満洲、いや中国東北地方の南まで勢力を伸ばしていたことや、魏呉蜀の三国は結局、どこも全国統一できず、代わって「晋」が覇者となりますが、その晋の高官の一人が、あの書聖と言われた王義之の一族だったという新知識も得ることができました。

 猛暑の東博のもう一つの目的は、本館で開催中の特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」を参拝することでした。「観覧料:一般620円」とありましたが、平成館の「三国志」の切符(前売り券1400円)を持っていたら、無料で観られました。何か得した気分です。

 でも、本館の第11室という狭い空間だけでしたので、ちょっと物足りなく、「岡寺」「室生寺」「長谷寺」「安倍文殊院」の奈良大和四寺を実際に訪れたくなりました。

 今の自分は、年を重ねたせいなのか、三国志の英雄よりも、仏像と対面した方がはるかに落ち着き、日本人として親和性を感じる気がしました。

 (本館の特別企画は勿論、写真撮影禁止でした。)

「図案対象」と戦没画学生・久保克彦の青春

WGT National Gallery copyright par Duc de Matsuoqua

8月は哀しい。

昨日6日は広島原爆忌、9日は長崎原爆と日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍による満洲侵攻(その後のシベリア抑留)。そして15日の終戦(敗戦記念日は、ミズーリ号で降伏文書を調印した9月2日)。

 あれから74年も経ち、戦争を直接体験した語り部が減り、テレビでは特集番組さえ消えつつあります。

 嗚呼、それではいけません。

 最近、ほんのちょっとしたきっかけで知り、感動し、興味を持った藝術作品として、東京美術学校(現東京芸大)を卒業し、徴兵されて中国湖北省で戦死した久保克彦が遺した 「図案対象」 という7メートルを超す大作があります。

美術作品は、何百万語言葉を費やして説明しても実物を見なければ無理なので、ちょうど2年前の2017年8月にNHKの「日曜美術館」で放送された「遺(のこ)された青春の大作~戦没画学生・久保克彦の挑戦」をまとめたブログ(?)がありましたので、勝手ながら引用させて頂きます。

 これをお読み頂ければ、付け足すことはありません。

 私は、このテレビ番組は見ていません。「図案対象」を描いた久保克彦の甥に当たる木村亨著「輓馬の歌 《図案対象》と戦没画学生・久保克彦の青春 」(図書刊行会、2019年6月20日初版)の存在を最近知り、興味を持ったわけです。

この「図案対象」はとてつもない前衛作品です。全部で5画面あり、抽象的な模様もあれば、戦闘機や大型船が描かれた具象画もあります。

久保克彦は23歳の時、東京美術学校の卒業制作としてこの作品を完成させましたが、2年後の25歳で中国大陸で戦死しており、作品についての解説は残しませんでした。

 しかし、その後、あらゆる角度から分析、解釈、照合、比較研究などの考察を重ねた結果、驚くべきことに、一見バラバラに見える事物の配置は、全て「黄金比」の法則に従って、整然と並べられていたことが分かったのです。

 黄金比というのは、人間が最も美しいと感じる比率のことで、それは、1:1.618…だというのです。

 この黄金比に沿って建築されたのが、古代ギリシャのパルテノン神殿や古代エジプトのピラミッド、パリの凱旋門、ガウディのサグラダファミリア大聖堂などがあり、美術作品としては、ミロのビーナスやレオナルド・ダビンチの「モナリザ」などがあります。

WGT National Gallery copyright par Duc de Matsuoqua 

 私は、黄金比については、映画化もされたダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」を2004年に読んで初めて知りましたが、結構、身近に使われていて、クレジットカードや名刺などの縦横比も「1:1.16」と黄金比になっているようです。

 それに、今何かとお騒がせのGAFAのグーグルやアップルのロゴもしっかり黄金比を使ってデザインされております。ご興味がある方は、そういうサイトが出てきますのでご参照してみてください。

 久保克彦が、黄金比を使って「図案対象」を制作したのは昭和17年(1942年)のこと。戦死しないで旺盛な創作活動を続けていたら、「ダビンチの再来」という評価を得ていたかもしれないと思うと、実に哀しい。

 

旧大阪毎日新聞京都支局、現「同時代ギャラリー」で加藤力之輔さんの個展

加藤力之輔画伯 Copyright par Kyoraque-sensei

 京洛先生です。しばしば、「渓流斎ブログ」にお邪魔して恐縮です(笑)。 

 先日、東京・銀座で2週間にわたり個展をされた加藤力之輔さんが、4月9日(火)から14日(日)まで、京都でも個展を開かれているので、会場の「同時代ギャラリー」(中京区三条寺町西入る1928ビル)を覗いてきました。


Copyright par Kyoraque-sensei

 同時代ギャラリーは、展示スペースが広いので、加藤さんの得意の大きな絵をゆったり並べられるので、加藤さんも満足げでした。

  東京では、木炭で描がかれた大きな裸体のデッサンが画廊の床まで垂れ下がっていたそうですが、京都では、炭の単色の大作ではなく、色彩を巧みに使い分け、明るい基調の大きな作品が並べられ、作家の自信が溢れ、見ごたえ、迫力のある個展です。


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 加藤さんは「東京では、どうしても会場に限界があり、小品しか展示できなかったのですが、この『現代ギャラリー』さんでは、そういうことを考えなくても好いので、助かりますね。展示空間に窮屈さがあると、見に来てくださった方も、おおらかに見てもらえませんから」と仰っていました。 


重厚な旧大毎京都支局ビル Copyright par Kyoraque-sensei

 「同時代ギャラリー」の入っているビルは、毎日新聞社(当時「大阪毎日新聞社=大毎」)が戦前の1928年(昭和3年)に京都支局として建てたもので、京都市の登録有形文化財に指定されています。


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 当時、大毎の本山彦一社長が、関西の”建築家の大御所”武田五一氏(京都帝大教授)に建築、設計を全面的に委嘱、完成させ、京都支局として使われてきました。


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 しかし、ビルの老朽化もあり、1998年、毎日新聞京都支局は、別の場所にビルを建て、移転。一時は「保存は無理か!」といわれましたが、建築家の若林広幸氏が「歴史あるビルを壊すのは惜しい」と自ら買い取り、今は保存しながら、画廊などに活用しています。


Copyright par Kyoraque-sensei

 アールヌーボー風の建物で、若林氏がオーナーになってから同ビルの内部を補強、修復していますが、外壁は昔の儘で、今でも「大毎」の記章が壁に埋め込まれています。

以上 ご報告まで。

「旅の中の旅-加藤力之輔展」=東京・銀座

 京都にお住まいの京洛先生の御親友でもある加藤力之輔画伯の個展が、東京・銀座の風月堂ビル3階の「一枚の絵 olive eye gallery」で開催中ということで、覗いてきました。(Part IV:3月18日~23日、 Part V:3月25日~30日)

 京洛先生の「鶴の一声」で陸続と「関係者」も押し寄せているようで、私がお邪魔した時には、著名な経済ジャーナリストの阿部和義氏がちょうどお見えになっておりました。

 加藤画伯は、何回か、このブログでも登場させて頂いておりますが、昨年、個人的にスペインに旅行した際、マドリード在住の加藤画伯の奥方さまから、ピカソの「ゲルニカ」見学に連れて行ってもらったり、御自宅で御手製ランチ(イカスミライス)をご馳走になったり、大変お世話になってしまったのでした。

 加藤画伯は、プラド美術館で、4年間もティツィアーノの作品を模写研究された芸術家ではありますが、大変気さくな方で、大変、話好きです。多分、初対面の方でも、何の気兼ねすることなく画廊を訪れて、鑑賞したり、気に入ったら購入したりできますので、足を運ばれたらいいでしょう。


鎌倉の画廊でも展示されていた特大の人物画像も、今回出品されていて、加藤画伯にはその前に立って、写真を撮らさせて頂きました。

 「今日は取材で参りました。写真はブログに載せても大丈夫ですか?」とお伺いしたところ、「いいですよ」と快諾して頂きましたので、こうして皆様のお目にも留まることと相成りました。

「奇想の系譜展」と「国風盆栽展」を見て来ました

 昨日の建国記念日の祝日は、ほんの少し小雪がちらつく寒い中、東京・上野の東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」(日経・NHK主催)を観に行ってきました。(当日券1600円、前売り券1400円)

 目玉は、空前のブームが続いている伊藤若冲ですから、寒い戸外に延々と行列が出来て待たされるんじゃないかと覚悟して行ったのですが、寒さのお蔭で人が少なく、逆に並ばずにスッと入ることができました。ただ、絵画の前は三重ぐらいの人だかりでしたけど、私は背が高いので十分に見られました。

 美術史家の辻惟雄氏が1970年に出版した「奇想の系譜」で紹介した岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の6人のほか、白隠慧鶴と鈴木其一を加えた8人の画家の展覧会でした。恐らく、1970年の時点で、琳派の鈴木其一を除いて、全員の画家を知っていた人は、専門家以外はほとんどいなかったのではないでしょうか。

 私も、空前のブームに則って、伊藤若冲は結構、拝見したのですが、今回展示されていた作品は、お初にお目にかかるものが多かったでした。(初公開もあり)若冲といえば、雄鶏ですが、「旭日鳳凰図」なんかも見事と言いようがないほど素晴らしかったですね。

 白隠、芦雪、蕭白らはかつての展覧会で結構見たことがあったのですが、岩佐又兵衛(1578~1650)は、私の記憶では、生まれて初めてかもしれません。又兵衛は、織田信長に謀反を起こして滅ぼされた有名な戦国武将荒木村重の子息だったとは知りませんでしたね。どんな絵具を使っていたのか、詳細は知りませんが、とても350年も昔に描かれたとは思えないほど色鮮やかで、描写も非常にリアルです。「山中常盤物語絵巻」(重文=MOA美術館蔵)では、かなり残酷な場面も淡々と描かれています。特に気に入ったのは六曲一双の「豊国祭礼図屏風」(重文=徳川美術館蔵)で、武士から僧侶、町人、農民に至るまで何百人も登場し、一人一人の表情も豊かで、その細かさには圧倒されました。

 著作権の関係で、この屏風絵の画像のリンクも貼れないので、ご興味を持たれた方は、展覧会に足を運ぶか、画像検索して見てみてください。腰を抜かしますよ(笑)。

 さて、これで帰るつもりだったのですが、前夜、京洛先生から電話があり、「もし、東京都美術館に行かれるのでしたら、そこでやっている盆栽展も観に行かなければいけませんよ。画竜点睛を欠くといいますからね」との極秘情報が齎されました(笑)。

 盆栽なら、以前、さいたま市大宮の盆栽博物館にも行って、さんざん見てきたことでしたので、敢えて見たいとは思わなかったのですが、京洛先生は「今回は、一般庶民が滅多に見られない盆栽が展示されていますから、この機会を逃してはいけませんよ」と例のニヤニヤ笑いを浮かべて仄めかすのです。(電話で顔は見えませんが、テレパシーで見えました)そこで、「奇想の系譜展」の隣りの会場で開催されていた「第93回国風盆栽展」にも1000円の入場料を支払って、覗いてきましたよ。

 世の中、熱心な盆栽ファンがいるもので、結構、人で混んでいました。

 大宮の盆栽は、黒松や五葉松など、松が多かったのですが、この展覧会は、今が旬の梅や桜までありました。全国から「入選」を懸けて150点以上が出品されていました。

 「奇想の系譜展」では、ほとんど日本人か、あとは中国、台湾、韓国人ぐらいでしたが、「盆栽展」の方は欧米人が多いので驚きました。特に、スペイン語を多く聞きました。

 さて、京洛先生が仰っていた「庶民が滅多に見られない盆栽」とは何かと思ったら、宮内庁所有の盆栽でした。樹齢180年の黒松だとか。天皇・皇后両陛下が毎日のように御覧になっている盆栽でした。平成最後ということで、特別出品でした。 

平成最後の年に宮内庁から出品

 国風展は、戦前の 昭和9年(1934)3月に東京府美術館(現在の東京都美術館)で、第1回盆栽展が開かれたということで、今年で93回目。結構歴史がある展覧会だったのですね。

 今では日本人より、海外の人の方がよく知るようになり、こうして、はるばると「奇想の系譜展」は見向きもせずに、ただ只管、盆栽を目指してやって来ることが分かりました。背がスラリとした北欧系と見られる亜麻色の髪の乙女が父親と見られる人と一緒に来場していて、熱心に盆栽を見ているのを見て、ちょっと感動してしまいました。

 狭い通路ですれ違ったので、彼女に一礼したら、ニコッと挨拶を返してくれたので、年甲斐もなくドキッとしてしまいました(笑)。せめて、「何処のお国からいらしたのですか」ぐらい聞いておけばよかったと思いました。

来年1月から東博で開催される「顔真卿展」は見ものです

スペイン・コルドバ

 こんにちは、奈良の西大寺先生です。今発売中の「芸術新潮」誌12月号を読まれましたか?

来年2019年に開催される美術展を同誌が推薦しています。このうち、新年、第一の見ものは、1月16日から上野の東京国立博物館で開催される「顔真卿展」だ、としています。

台湾の「国立故宮博物」に出かけても見られない、という秘宝が、東博に「出開帳」されるわけですね(笑)。

東博の展覧会の案内は、以下の通りになっております。

「中国の歴史上、東晋時代(317–420)と唐時代(618–907)は書法が最高潮に到達しました。書聖・王羲之(おうぎし303–361)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させました。そして顔真卿(がんしんけい、709–785)は三大家の伝統を継承しながら、顔法と称される特異な筆法を創出します。王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、後世にきわめて大きな影響を与えました。


本展は、書の普遍的な美しさを法則化した唐時代に焦点をあて、顔真卿の人物や書の本質に迫ります。また、後世や日本に与えた影響にも目を向け、唐時代の書の果たした役割を検証します。」(以上、東博のホームページより)

どうですか。新年、必見の展覧会ですね。貴人も覗かれるとよいでしょう。

また、「芸術新潮」12月号には、2017年10月から今年10月の一年間の展覧会の入場者の多かった「美術展」も載せています。

一位は、貴人も行かれた京都国立博物館で開催された「国宝」展で62万4493人だそうです。これに次いで60万人を超えた美術展は、森美術館での「アンドロ・エルリッヒ」展の61万4411人。続いて東京国立博物館の「運慶展」の60万439人です。詳しくは、同誌をご覧になるとよいでしょう。

「藝術新潮」は毎号、目を通さないと駄目だめですよ。

スペイン・コルドバ

えっ?何? 私が新潮社の回し者ですって?

いやいや、最近、極左老人向けの「新潮65」が廃刊したばかりですから、少しぐらい新潮社を応援してあげたっていいじゃないですか。

許してたもれ。

奈良国博の「正倉院展」と興福寺は大賑わい

お久しぶりです、大和先生です。

先月10月27日から始まった奈良国立博物館の第70回「正倉院展」は、例年通り大変な賑わいです。

会期は今月12日までですが、おそらく今週末は、紅葉見物も重なりえらい混雑をすると思い、今日(7日)午後、会場を覗いてきましたが、10分程度並んでスイスイ入場できました。

それでもやはり館内はえらい混雑でしたね。

いつもながら、館内の写真撮影は出来ませんので、肝心の展示物は、NHKテレビの美術番組や「読売新聞」(特別協力)紙上でご覧になるとよいでしょう。いつもながら、陳列品で人気のあるのは色艶やかな宝物です。色のついた宝物の前は人だかりで、案内人が「後の方もご覧になるので、スムースに前に進んでください!」といくら言っても、じっと動かず、どうにもなりませんね。

逆に、地味な、文書類の展示品の前は人だかりは少なく、空いていて割とゆっくり見られました。大衆は「色物」に弱いことがよく分かります(笑)。

いくつか、注目されている宝物の中で、緑色に白い斑点、黄色の十字の文様の陶製の「磁鼓(じこ)」の前は、やはり人だかりが多かったですね。奈良時代に奈良で作られた「奈良三彩」と呼ばれる「鼓(つつみ)」です。当時、両側に革を張って使っていたと言われていますが、どんな音なのか聞きたくなりました。

また、朝鮮半島の民族楽器「新羅琴(しらぎこと)」も出ていました。こちらは、伽耶の国で作られた琴ですが、弦は12本、これまた、当時の貴族で、歌舞音曲の腕達者が優雅に奏でていたのだと思います。

平成最後の「正倉院展」ですが、今年は南倉(東大寺の儀式関係品)、中倉(役所の書類、武器など)、北倉(聖武天皇、光明皇后皇后の遺品)の三倉から、宝物56件が出展されています。

同じ奈良公園のそばの「興福寺」は10月7日から11日まで「中金堂落慶法要」が終わったところですが、こちらも特別公開されていて、平日ながら、拝観者で賑わっています。

藤原不比等が710年(和銅3年)に建立、その後7回も焼失、再建を繰り返してきましたが、江戸時代の文政2年(1819年)からは仮堂でしのいできて、今年10月、301年ぶりに再建されたわけです。

以上 大和先生でした。

加藤画伯と鎌倉でスペイン談義

3日(土)は文化の日。前夜、東銀座の大伽藍での懇親会に参加しました。

全部で22人も参加し、本当に久し振り、10年ぶりぐらいの方とも再会したため、しこたま呑んでしまい、翌日は大誤算の二日酔い。もう1週間は、酒の顔を見たくないほどです(笑)。

何を話したのか、細かいことはすっかり忘れましたが(笑)、スマホのアプリの「スマートニュース」は必携だとか、テレビの番組を見逃したら、「TVer」(民放公式テレビポータル)とかいうアプリがいい、といった話を聞いたと思います。

湘南海岸

大手新聞記者から大学教授に華麗なる転身を遂げたK氏は、髪の毛がすっかり白くなり、「もうアルツハイマーになっても、若年性と言われなくなってしまった」と、嬉しそうに話してました。

それだけ長生きできた、というわけで、マスコミ業界人は、ストレスと激務のため早死にする人が多く、おめでたい話なわけです。

二次会にも参加したら、全く前後不覚と相成り、どうやって帰ったか、覚えてません。

江ノ電

以上が11月2日(金)夜の話で、翌3日は、二日酔いながら、鎌倉に行って来ました。

運悪く、その日は、川崎駅の拡張工事とかで東海道線の東京〜横浜間が一日中不通だというのです。どうしたもんか、小田急線で行こうか迷っていたら、湘南ライナーなるものがあり、それで藤沢まで行き、そこから江ノ電で、鎌倉高校前に行きました。

加藤力之輔展

目指すは画廊ジタン。加藤力之輔画伯の個展を訪問するのが目的でした。加藤画伯の御令室朝子様には、9月のスペイン旅行の際、マドリードで、ピカソの「ゲルニカ」に連れて行ってもらうなど、大変お世話になってしまったのです。

画廊ジタンは、入り組んだ所にあり、結局、分からなくて電話して、近くまで、画廊の女性オーナーに迎えに来てもらいました。

何か、非常に変わった洋館で、昭和初期に建てられたような古い感じ。鈴木清順監督の映画「チゴイネルワイゼン」に出てきそうな、ロケをしても大丈夫なような立派な建物でした。

スペイン・コルドバ メスキータ

すぐお暇する予定でしたが、加藤画伯とはスペイン談義に花が咲いてしまいました。

スペイン・バスク地方は、今では、三ツ星レストランの宝庫としてサンセバスチャンが世界中で有名になりましたが、かつてはフランス王室の避暑地で、フランコ将軍の別荘もあったこと、1960〜70年代に一世を風靡したマカロニ・ウエスタン(ジュリアーノ・ジェンマらが主演)の荒野はスペインで撮影されていたことなど薀蓄あるお話を伺いました。

過去最大規模のルーベンス展には圧倒されっぱなしでした

昨日は、京洛先生からの飛脚便で、小生が「ムンク展」に行ったのでは?ーと推測されておりましたが、残念!  同じ東京・上野公園内でも、国立西洋美術館で開催中の「ルーベンス展」を覗いてきました。日曜日なので、覚悟してましたが、若い女性が押し寄せず、割と空いてました。

いがったですねえ。感動で打ち震えました。もう3カ月も前に前売り券1400円を購入して準備万端だったのです(笑)。

ルーベンスは、私は小さい子供の頃から知ってました。何故かと言いますと、自宅のダイニングキッチンの壁にルーベンスによる天使と果物などが描かれた絵画(題名は忘却)があり、毎日眺めながら、そのきめ細かい絵筆と写実性に圧倒されていたからでした。勿論、それは本物であるわけがなく、しかも、複製画でも何でもなく、どこかの銀行かどこかでもらってきたカレンダーでしたけど…(笑)。

そして、もう25年以上も昔ですが、在日ベルギー政府観光局の招待でベルギーに取材旅行に行った際、アントワープの聖母大聖堂で見たルーベンスの「キリストの降架」(1614年)は、いまだに印象に強く残っております。「フランダースの犬」の物語でネロとパトラッシュが最期に見上げるあの作品です。大いに感動したものでしたが、「フランダースの犬」は地元ではあまり知られていないと聞いた時は、驚いたものでした。英国作家が書いたものだから、とか、フランドルのことをあまり好意的に描いていないというのが理由らしいですが、日本人の多くは、子どもの頃に読んだ「フランダースの犬」を通して、ルーベンスの名前を知ったのではないでしょうか。

◇ピーター・ポール・ルーベンスはペテロ・パウロ・ルーベンス

さて、ペーテル・パウロ・ルーベンス(1577~1640)は(Peter Paul Rubensですから、英語読みすると、ピーター・ポール・ルーベンスになりますね)、62年の生涯で何千点もの作品を生み出しましたが、もちろん、一人で描き切ったわけではなく、主にアントワープの工房で、ヨルダーンスら弟子らとともに製作しました。ルーベンスが実際に描いたのは主要人物の顔だけ、なんという作品もありました。17世紀のフランドルはスペイン統治下で(オランダは1581年に独立、ベルギーは1830年になってやっと独立)、詳しくはよく知りませんが、ドイツ生まれのルーベンス自身は語学堪能、博学で、画家だけでなく、外交官としても活躍しました。

題材は聖書や神話や伝説などが多いですが、その大きさもさることながら、あまりにも写実的で本当に圧倒されます。ローマ皇帝ネロによって自害を命じられた「セネカの死」は、血管の一本一本が透けて見えるほどでした。

今展は、スペイン・マドリードのプラド美術館やロシアのエルミタージュ美術館など世界10カ国から約40点が集められたもので、日本では「過去最大規模のルーベンス展」と銘打っております。その宣伝文句は、文字通りで、看板に偽りはありませんでした。

※なお、上記写真は、写真撮影が解禁されている「常設展」(いわゆる、松方コレクション。現在も海外から西洋画を買い進めていたのには驚きでした)の様子です。

ルーベンス展は、撮影禁止でしたので、パンフレットの写真を下に掲載しておきます。

実物を見たくなることでしょう(笑)。