「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 三十六肖像」

 満洲研究家だと思っていた松岡將氏が、いつのまにか美術評論家になっていました。

 今年7月に「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景ー美の殿堂へのいざない」(同時代社)を発行したばかりの松岡氏が、今度は、その「参百景」の補遺版に当たる「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 三十六肖像ー美の殿堂へのいざない・補遺」(同)を10月20日に初版刊行されたのです。1年に2冊も出版されるとはそのバイタリティーには脱帽です。松岡氏の略歴は巻末に誕生日まで詳細されておりますが、昭和10年生まれということは、今年85歳。頭が下がるばかりです。解説がうまく的確にまとめられています。

 7月の前著「参百景」では、ワシントンの在米日本大使館勤務時代を中心に何年も何年もナショナル・ギャラリーに通い詰めて、同館の新米学芸員以上の作品に対する知識をご披露されておりましたが、新著の「三十六肖像」も大変読み応え十分で、鑑賞し甲斐があります。

 これでも、小生は大学の卒論にクロード・モネを中心にした「印象派」を選び、記者になってからは文化部の美術担当になったこともあり、全国、全世界の主要美術館も巡り歩き、美術の知識はかなりあると自負しておりましたが、「三十六肖像」の画家の半分近くも知らなくて、自分の不勉強を恥じるばかりです。思えば、自分が詳しかったのは、泰西美術の中でも、バルビゾン派以降の写実派や印象派やキュービズムやバウハウスなど近現代ばかり。それもフランス中心の知識でした。ドイツ・ルネサンスもロシア・アヴァンギャルドもあまり知らないし、英国系は、ターナーかミレイかウィリアム・モリスぐらいです。

 例えば、本書では、ギルバート・スチュアート(1755~1828)とトマス・サリー(1783~1872)という米国人なら誰もが知っている画家が登場しています。何で知られているかと言いますと、二人とも肖像画が得意でスチュアートの描いジョージ・ワシントン初代米大統領は1ドル紙幣に、サリーの描いたアンドリュー・ジャクソン第7代大統領は20ドル紙幣に採用されているからだといいます。正直、私は知りませんでした。

 本書前半にイタリア・ルネッサンスのエルコレ・デ・ロベルティ(1455/56~1496)の「ジネブラ・ベンティヴォーリョ」の肖像画(1474/77)も取り上げられています。

 私自身、この絵も画家も知りませんでしたが、解説を読むと、ロベルティは、40歳余で早逝したため、残された作品が少ないが、後の批評家からレオナルド(・ダビンチ)と比肩するほど高い評価を受けている、とまで書かれています。

 取り上げられた画家の中には、意外とペストや肺結核で亡くなっている方が多いのですが、作品はこうして残り、芸術は永遠だなあ、と感じます

 色々と勉強になりました。

 私自身は、フランスびいきのせいか、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748~1825)の「フランス皇帝ナポレオン:テュイルリー宮殿の書斎にて」(1812)のあまりにも細密でその精巧さに、改めて驚かされました。ナポレオンが目の前に立って、まるで生きているような感じです。
 勿論、写真が綺麗なせいかもしれません。撮影した松岡氏の玄人はだしの腕前です。もしかして、ライティングにもしっかりと気を配り、カメラが当時の最高機種だったかもしれませんが(笑)。

 私も意地が悪いですが、本文中、ジャクソン大統領を第八代としたり(実際は第7代)、セザンヌのところで、1861年のところを1961年としたり、明らかな間違いを見つけてしまいました。恐らく、この本は売れると思いますので、第2刷の際に訂正されることでしょう。

【追記】

 FBからの読者であるK氏からのメッセージで、ワシントンの一連のスミソニアン博物館群の入場は無料だということを御教授頂きました。ワシントン・ナショナル・ギャラリーもその中に含まれるので無料です。K氏は、ワシントン出張の際、スミソニアン博物館に行けなくても、ワシントン・ナショナル・ギャラリーだけは行くようにしたそうです。

 また、私は知りませんでしたが、この一群の中にフリーア美術館があり、(ということは無料公開)、俵屋宗達の「松島図屏風」を所蔵しているそうです。明治に米実業家の手を経て海外に渡ったものですが、日本に残っていれば、勿論、国宝になった作品です。見たいなあ。

特別展「桃山 天下人の100年」と上野「ぽん多」のカツレツ

 嗚呼、上野駅

 台風14号の影響で大雨が降る中、上野の東京国立博物館で開催中の特別展「桃山 天下人の100年」を見に行って来ました。圧巻、感服、圧倒されました。普段は滅多に買わない図録(3000円)まで買ってしまいました。

 室町末から安土桃山、江戸初期にかけては、日本の美術史の中でもその時代は頂点を極めたと言っても過言ではないでしょう。狩野永徳、長谷川等伯、本阿弥光悦、俵屋宗達…国宝級が勢ぞろいです。彼らの先駆者の雪舟と後継者の尾形光琳、最近では伊藤若冲あたりを加えれば、もうほぼ完璧に近いでしょう。もしかして、逆に言えば、この奇跡的な時代に、日本人の美意識が完成したと言っても良いかもしれません。

 台風なのに出掛けたのは、この展覧会は、コロナ禍でオンラインによる日時指定の切符しか手に入らなかったからでした。しかも2400円もしました。(お蔭で、普段より空いていましたが、不注意にぶつかって来る人が何人もいて、一人も謝らない。日本人らしいなあ、と思いました。海外では、少しかすっただけでも、絶対、Excuse me とか Pardon ぐらい言いますからね)

 上野は久しぶりでした。2月に「出雲と大和」展(東博)を見に行って以来でしょうから8カ月ぶりです。そしたら、写真にある通り、嗚呼、上野駅はすっかり変わっておりました。東京文化会館や動物園、東博などがある公園口前の車道がなくなり、もう横断歩道を渡ることなく、そのまま駅から降りたら歩けるようになったのです。(そう言えば、東京・銀座の地下鉄の地下街を久しぶりに歩いたら、すっかり化粧直しされ、明るくなり、新しい店舗も入るようになりました)

 さて、肝心の「桃山」展ですが、絵画、襖絵から、武具甲冑、刀剣、茶道具、陶器、小袖に至るまで、信長、秀吉、家康に代表される天下人が愛用した品までもが見られるのです。また、御用絵師に描かせた肖像画などもあります。(会場には御用絵師の狩野家や土佐家の系図もありました)

 テレビの「なんでも鑑定団」の見過ぎかもしれませんが、1点何千万円も何億円も何十億円もしそうな「お宝」ばかりです。やはり、戦国武将ですから生命が掛かっています。命を削って得た「戦利品」です。これこそが、ハイリスク、ハイリターンの極致だと言えますね。

 この展覧会で特筆すべき作品を1点だけ挙げろ、と言われれば、私は本阿弥光悦・筆、俵屋宗達・絵による「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(京都国立博物館蔵)を挙げます。何十羽もの鶴が地上から空に飛び立つ連続写真のような絵を俵屋宗達が描き、その上に、本阿弥光悦が三十六歌仙の和歌を書いた巻物です。特に、「風神雷神図屛風」で有名な俵屋宗達は、生年没年不詳の謎の絵師で、たまたま彼を取り上げたテレビ番組を見ていたら、この作品が取り上げれられ、「いつか見たいものだ」と思っておりました。

 展覧会の鑑賞は90分までと、お上から子ども扱いされて、制限時間まで決められていました。私はギリギリ、85分粘ってやめましたが、もう一度見たかった作品もありました。展覧会は後期に作品を入れ替えするので、もしかして、もう一回行くかもしれません(笑)。

 会場を出て、この後、行ったのが上野の「三大とんかつ屋」の一つと言われる「ぽん多」でした。とんかつ屋御三家の一つ、「双葉」(川島雄三監督作品「喜劇 とんかつ一代」モデルになった=閉店)と「蓬莱屋」(小津安二郎監督がこよなく愛した店)には行ったことがありますが、「ぽん多」はどうも敷居が高く、店の前に行ったことがありますが、入るのは今日が初めてでした。

 これまた、テレビで「ぽん多」の主人に焦点を当てた番組を見てしまったため、「いつか是非」と思っていたのです。明治38年創業。「カツレツ」の元祖という有名店だということで、ランチでも1~2時間待たされると、ネットでありましたが、この日は台風のせいか、13時過ぎに入ったら運良く空いていて、すぐ座れました。

 ちょっと値が張ることは知ってましたが、ビール小瓶(550円)とカツレツ(2970円)とご飯と赤味噌汁とお漬物(550円)を注文しました。消費税を入れると、お会計は4400円でした。

 主人が腱鞘炎になるほど叩いて柔らかくしたお肉は、とても上品なお味でしたが、個人的ながら、目黒の「とんき」で食したロースかつ定食(2100円)の方が衝撃的にうまかったでした。比較してはいけなかったかもしれませんが、どなたかをお連れして再訪したいのは「とんき」の方ですね。

 そう言えば、夏目漱石も大好物だったという「空也最中」の御主人もよく行かれるという銀座のとんかつ屋「とん喜」のランチのひれかつ定食(950円)は安くて旨いです。先週も行きましたが、私はこの店にはもう30年以上前から通っています。ランチなので、これまたテレビ番組に出ていた店の御主人は全く小生のことを覚えていませんが。

 結局、「とんかつ屋談義」みたいになってしまいましたが、「ぽん多」のことを特別に称賛しないのは、やっぱり敷居が高いせいかな、と我ながら反省しています。

松岡將写真・文「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景ー美の殿堂へのいざない」(同時代社)

 「有言実行の人」です。

 まさかこんなに早く企画が実現するとは思ってもみませんでした。

 私のブログが本になりました。いや、間違いました。言葉足らずでした。屡々、私のブログに掲載させて頂いている写真(WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua)が本になりました、というのが正確です。

 7月7日に同時代社から刊行される「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景ー美の殿堂へのいざない」(4800円+税)という美術書のことです。

 写真と文は、近現代史・満洲研究家の松岡將氏です。1970年代初頭といいますから、もう今から半世紀近い昔。30歳代後半の農水省のエリート官僚だった松岡氏は在ワシントン日本国大使館勤務を命じられました。丸4年間の滞米生活を送った折、まさに公私ともに通い詰めた所がワシントン・ナショナル・ギャラリーでした。自宅から車でわずか20分という近距離だったこともあり、週末のプライベートの時だけでなく、日米農産物貿易交渉に関わる日本の国会議員や政府関係者、米国の上下両院議員、米農務省高官らとの接遇場所や空いた時間に案内するなど訪問回数は、幾何学級数的(多いという意味です)。ついでに撮った写真も何百枚、何千枚だったようです。詳しくは分かりませんが、そのカメラ装備も、ライカのようなプロ仕様だったと思われます。欧米の美術館のほとんどでは写真撮影は問題はないのですが、フラッシュ撮影は禁止でしょう。恐らくプロカメラマンのように照明まで配備できなかったかもしれませんが、驚くほど画像が鮮明で、画素数もかなり高感度です。

 実は、この有り余るほどのギャラリーの写真を松岡氏は最初、持て余していたようです。彼は、有難いことに、このブログの愛読者でして、私が適当に選んだ写真とブログの記事とのあまりにもの乖離(つまり合っていないこと)を嘆かわしく思われたらしく、ある日、「この写真をブログに御自由に使ってください」と、小生に添付メールで送ってくださったのです。

 そのうち、「ギャラリーの写真をまとめた本をいつか出したい」という話を伺ったのが、1年半ほど前でしたか。それが、「ある出版社に企画を持ちかけています」と聞いたのが、昨年の今ごろ。「著作権は大丈夫かなあ」と心配しつつ、その後、コロナ禍もあり、「企画の実現は随分先のこと」とこちらで勝手に思っていたところ、予告もなく、この本が「贈呈」として送られてきたのです。もう吃驚です。

 表紙の写真は、レオナルド・ダビンチ作「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」(1474~78)です。ダビンチの作品が欧州の美術館以外で所蔵されているのは、ここしかないそうです。この名作は、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの創設者アンドリュー・メロンの長女エルサ・メロン・ブルースAilsa Mellon Bruce (1901~1969)が1967年に購入したといいます。長い美術史から見れば、つい最近のことではありませんか。

 ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、世界の有名美術館の中でもごく新しい美術館で、実業家・銀行家で米財務長官などを歴任したアンドリュー・メロン(カーネギー・メロン大学に名を遺す)が1931年に個人でエルミタージュ美術館などから取得した収集品を米国民に寄贈する形で、当時のルーズベルト大統領と米議会の同意で1937年にワシントンDCの地で着工し、1941年に開館した美術館だったのです。近現代史、昭和史のど真ん中じゃありませんか。

 松岡氏はさすが近現代史研究家ですから、「あとがき」の中で、1931(昭和6)年は満洲事変が勃発した年、1937(昭和12)年は支那事変(日中戦争)が開始した年、ギャラリー開館2カ月前の1941(昭和16)年1月は、陸相東条英機大将が「生キテ虜囚ノ辱メヲ受クルナカレ」とする「戦陣訓」を全軍に示達した、などと書いておられます。

 そして、「ナショナル・ギャラリーは全長238メートル、戦艦大和は全長256メートルで、大きさはほぼ同じだった」などと過去の御自身の著作からも引用しています。日本が軍国主義に邁進している時に、米国は着々と文化を育成していたのです。

 本書では、肝心の美術作品については13世紀末の宗教画辺りから、ルネサンスを経て、近世、近代の写実主義、印象派辺りまで網羅しています。ダビンチ、ラファエロ、レンブラント、モネ、ゴッホら巨匠の名前は、表紙写真の帯に出ている通りです。

オランダの聖ルチア伝説のマスター「天上の聖母マリア」(1485/1500年)WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 私はかなりの面倒臭がり屋ですから、松岡氏からお借りした写真をブログに掲載する際、わざと(笑)キャプションを掲載しませんでしたが、この本ではしっかりと、作品名、年代、作者まで明記されていますので、長年、渓流斎ブログを見て「この写真の作品は何だっけ?」と悩んでおられた方々は、一気に解消されます。(松岡氏は、特別に思い入れのある作品については、個人的なコメントを添えています。例えば、上の写真の「天上の聖母マリア」については「ワシントン駐在となる数年前に母を失ったばかりの私の心を、仏画にも似て癒してくれるものだった」などと…)

 かつては王侯貴族ぐらいしかこのような美術作品に触れることができなかった時代と比べれば現代人は本当に恵まれています。しかも、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、米国民のために設立された美術館なのに、「文化は人類共通の財産」として、異邦人(しかも設立当時は敵性国人!)にも自由に開放しているところが本当に素晴らしい。松岡氏もあとがきで、「(写真を)このまま自分一人のものとしておくのは、いかにも勿体ない。出来れば何とかこれを多くの人々と共有することができないか、と思うようになった」ことが、出版の動機だったことを明かしています。

 この「世界初」の書評(?)を読まれて御興味を持たれた方は、是非手に取って御覧になって頂ければ私も嬉しいです。

鎌倉のジタン館で「加藤力之輔展 時の足跡」

Daisuke Kato et Angela Cuadra ミクストメディア

 かけた情けは水に流せ

 受けた恩は石に刻め

 2年前のスペイン旅行で、ピカソの「ゲルニカ」を見る際に奥方様に大変お世話になり、昨年は京都での「送り火」で再会した加藤力之輔画伯が鎌倉で個展を開催されているということで、ちょっと足を延ばしてきました。

昨年は、加藤画伯の御子息Daisuke氏と御令室のAngelaさん、それに可愛い盛りの腕白のお孫さんたちにもお会いしましたが、二代にわたる芸術一家でDaisuke氏とAngelaさんの作品も展示されていました。

新型コロナで甚大な被害を受けたスペイン・マドリード在住の加藤画伯の奥方と御子息夫妻、お孫さんたちは、どうにか息災で元気にしているということで、少し安心しました。

東京では2日、ついにコロナ感染者が100人を越えました。

そこで、観光地鎌倉の人混みを避けて、平日に有休を取って伺ったのですが、交際範囲が広い加藤画伯のことですから、結構、訪れる方がいらっしゃいました。

ジタン館は、画廊のオーナーの御尊父が、自宅を改造して画廊に仕立てたようですが、戦前は若い無名画家のパトロンでもあり、仲が良かった藤田嗣治の若い頃の全く見たことがない後年の画風とは全然違う作品も所蔵されておりました。それを内緒で見せてもらいました(笑)。

この画廊は、鈴木清順監督なら涎を垂らしてでもロケに使いたいような雰囲気があります。私も何年かぶりに訪れたのですが、方向音痴で地図を読めない男ですから、ちょっと迷ってしまいました(笑)。

加藤力之輔展は、7月6日(月)まで開催中です。

そう言えば、帰り際、小生が「これから鎌倉近辺の寺社仏閣巡りをするつもりです」と話したところ、加藤画伯は「2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公北条義時が建てた覚園寺(かくおんじ)に行かれると良いですよ。あそこはまだあまりよく知られていませんが、素晴らしいお寺ですよ。鎌倉駅からバスが出てます」などと色々と教えてくれました。

 加藤画伯は地元鎌倉出身なので色々と詳しいのです。生憎、この日は別の寺社仏閣に行く予定をしていたので今回は覚園寺には行きませんでした。でも、再来年にブームになる前に一度訪れたいなあ、と思ってます。

ウクレレ・トリオ「まかまか」と加藤力之輔画伯の個展

WST Nationak Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua 

 外出自粛で、皆さんもストレスが溜まっていることと、拝察致します。ということで、本日は、趣向を変えまして、このブログなどで大変お世話になっている先輩・芸術家の皆様の「作品」をアップすることにしました。

 まずは、満洲関連でお世話になっている宮さんが参加しているウクレレ・トリオ「まかまか」。その演奏セッションを音声ファイルで送ってくださいました。

 小生、ズブのIT音痴であるため、ブログに画像と動画を貼っつけることは、どうにかこうにかできるようになりましたが、「音声」となると初めてです。(そうでないかもしれませんが=笑)

 さんざん苦労して一日がかりで、やっとアップできたようですので、皆さまもお聴きください。

「まかまか」の「ホテルカリフォルニア」

 ウクレレ・トリオ「まかまか」は、がまちゃん(リーダー 編曲)と、かずえさんのリードにバックコード演奏の宮さんの3人。極秘情報ですが、平均年齢は後期高齢者年齢をはるかに超えていると噂されています。
 お聴きになればお分かり通りの、曲はイーグルスの 「ホテルカリフォルニア」。「なかなかやるじゃん」と私は、称賛の返信を送っておきました。

 宮さんは、PDFでこの編曲の楽譜も送ってくださいましたが、残念ながら、何度挑戦してもうまくアップできず。画像でも音声でもないPDFは、どうブログに貼っつけたらいいのか…うまくいきませんでした。宮さん、悪しからず。

 もう一人は、京都の泉涌寺にお住まいの加藤力之輔画伯です。一昨年のスペイン旅行の際には画伯の奥方様には、ピカソの「ゲルニカ」を鑑賞する時など、お世話になりました。スペインでは予想外にも感染者と死者が拡大して大変心配していたのですが、奥方様も、昨夏お会いした画伯と同業者である御子息とスペイン人の奥さんとお子さんたちもお元気なようで安心しました。

 加藤画伯は、最近、京都市の同時代ギャラリーで個展を開催されたということで、その「展示風景」を送ってくださいました。

YouTubeのブログへのアップの仕方は、最近覚えたので、今回も大丈夫のようです(と、思われます)。

 音楽コンサートや歌舞伎を始めとした演劇公演もほとんど全てが中止に追い込まれ、芸術家の皆様も厳しい生活に追い込まれていると思います。

 アーティストだけでなく、何ともお困りなのは、裏方さんと言われる大道具、小道具、音声、照明さんらのスタッフだと思います。

 政府の対応の遅さには、虚脱感を味わいますが、何とかこの難局を乗り切ってもらいたいものです。明けない夜はない、ということで。

【追記】

 ウクレレ・トリオ「まかまか」の「ホテルカリフォルニア」の楽譜がPDFなので、ブログに貼れない、と書いたところ、宮さんが、わざわざPDFをJPGファイルに変換して送ってくださいました。これなら画像と同じですので、ブログにアップできました。

古代史の新発見が望まれる=東博で「出雲と大和」展

 新型コロナウイルスが猛威を奮う中、「よゐこは不特定多数の人が集まる所に行ってはいけません」と一国の総理大臣から通告されていたにも関わらず、上野の東京国立博物館に行って来ました。「出雲と大和」が開催されていたからです。

 週末なので混むはずでしたが、空いていたわけではありませんが、近くで見られました。けど、中国語が聞こえると(彼らは何処にいようが我が物顔で声がデカい!)、ドキッと緊張している自分を発見しました。

出品目録をざっと見ただけですが、出品111点中、国宝が23点、重要文化財75点という豪華絢爛さです。失礼、太古の発掘物ですから、絢爛さまではいかず、正直、余程、古代に関心があり、ある程度の知識がないとつまらないかもしれません。

 国宝「銅剣、銅鐸、銅矛」(出雲市荒神谷遺跡出土、弥生時代、前2〜前1世紀、文化庁蔵)や日本書記にも記された国宝「七支刀(しちしとう)」(古墳時代、4世紀、奈良・石神神宮像)など眼を見張るものが沢山ありました。でも、私自身は、ある程度の知識はあるつもりでしたが、はっきり言って難しかったですね。

 銅鐸一つ取っても、祭司用だと言われてますが、実際にどのように使われたのか諸説あります。

 また、考古学や古代学は、大半は文字がない時代ですから発掘された出土品から想像しなければなりません。専門家なら勾玉一つ見ただけで、色んなことが分かるでしょうが、悲しい哉、素人には限界があります。

 個人的には古代には48メートルの高さを誇ったと言われる出雲大社本殿の縮小版の模型が良かったですね。昨年は、実際に初めて出雲大社をお参りする機会に恵まれたので、感激も一入です。巨大本殿が存在したという証明になる鎌倉時代の宇豆柱(うづばしら)も展示されていました。

 出雲では博物館に立ち寄らなかったので、今回、初めて色んなお宝を見ることができました。

 3世紀になって大和に王権が成立し、巨大な前方後円墳がつくられます。しかし、多くの古墳は文化庁と宮内庁の管轄で、学者でさえ立ち入り禁止されているので、まだまだ未解明な所が多いのです。

◇国譲りで大和が出雲を征服したのか?

 最後のコーナーの年譜を見ていたら、大陸との交流が盛んだった出雲の勢力というか文明圏は弥生時代初期からあり、その一方で、後から大和政権は成立して、「国譲り」で大和が出雲を併合したのは明白に思えました。

 「古事記」は、敗れた出雲の側の立場を描き、出雲のことはあまり触れていない「日本書記」は、大和の側から叙述したものだということをある学者さんは言ってましたが、そう考えると分かりやすいですね。

 いずれにせよ、古墳が考古学者に公開されて、新史実が発見されれば、素晴らしいと思っております。

 この後、遅ればせの新年会が根津駅近くの「駅馬車」という店であるので、地下鉄で行こうとしたら、博物館のチケットの裏を見たら地図が載っていて、歩いて行けそうな距離だと分かり、徒歩で行きました。

 そしたら、参加した赤坂さんも東博を見て歩いて根津まで来たという小生と同じコースだったので笑ってしまいました。

 新年会では赤坂さんは、ピントが外れた唐変木なことばかり発言するので皆の笑い者、いや人気者でした(笑)。

奈良・春日大社「国宝殿」で「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」

Copyright par Siadaiji-sensei

ご無沙汰しております。奈良に居ります、御存知「西大寺先生」です。

 奈良通信員として拝命していますが、本業が多忙で渓流斎ブログに出稿せず誠に申し訳ありません。令和二年の新年になり、第一弾の出稿です。

 奈良の美術展と言えば、国立奈良博物館の「正倉院展」があまりにも有名ですが、県内にはあまりにも多くの国宝、文化財があり、しかも、お寺、神社そのものが歴史遺産であり、美術展を見に行くというより、歴史遺産自体が自然体の「美術展」でもあります。ですから、奈良では東京のように博物館、美術館に「美術展」を見に出かける必要もそれほどないわけですね。

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そんな奈良ですが、新年3月1日まで春日大社「国宝殿」で開かれている「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」は見ごたえがありますよ。

 平安時代に伯耆(ほうき)の国(今の鳥取県中・西部)にいた安綱(やすな)の一門の刀は武家社会は勿論、神にも捧げられましたが、その後、この刀匠の流れは途絶え、作品もほんのわずかしか残っていません。現存の安綱の作品はほとんどが「国宝」「重要文化財」になっています。

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 今回はその国宝に指定された春日大社所蔵の「金地螺鈿毛抜形太刀」や、あの源頼綱が酒呑童子を斬った刀と言われる、やはり安綱作の国宝「童子切」(国立東京博物館所蔵)、重要文化財で「大平記」にも記されていて渡辺綱が鬼退治に使ったと言われる「鬼切丸」(髭切)(北野天満宮所蔵)が並び、日本の刀の歴史がよく分かります。

 会場はそれほど広くなく、展示数も厳選され、ゆったり、時間をかけて展示品が見られるのは好いですね。特に伯耆の国が、たたら、砂鉄がとれることから古代から刀作りが盛んで、この展覧会でも、安綱の作品だけでなく古伯耆の太刀も展示されています。

Copyright par Siadaiji-sensei

 また、お城巡りを趣味にされている渓流斎山人ですが、徳川家を中心にした全国の諸大名が「家宝」にしていた太刀、名刀はいずれも、平安期から時の権力者のもとを迂余転変してきたことも分かりやすく説明がされていました。「へえ!足利、信長、秀吉、各大名家にこうして伝わったのか」「名刀には歴史の逸話がある!」と、貴人もご覧になれば関心、興味が倍加するでしょう。

 刀は歴史好きには堪えられない面白さがあると思いますよ。茶器とは別の奥深さが秘められています。単なる「武器」だけでなく「祭事や儀礼用」の意味、価値も持っているということです。春日大社「国宝殿」は同大社の本殿傍にあり、上の写真のように、境内の鹿も入口付近にやって来て、都心の美術館では味わえない雰囲気が漂います。

Copyright par Siadaiji-sensei

この展覧会も館内の写真撮影は禁止でしたが、ただ、一点だけ国宝のレプリカは撮影OKでした。あまり上手く撮れませんでしたが、悪しからずご了承ください。

 3月1日まで開催しているので、奈良に行かれる機会があれば覗かれると良いでしょう。入場料は800円ですが事前に金券ショップのガラスケースを覗けばさらに格安のチケットが売られていると思いますよ(笑)。

 西大寺先生より

◇◇◇◇◇

 いやあ、有難いですね。いつもながら、ネタ切れになりますと、特派員リポートが送稿されます。紙面を埋めなければならない新聞社や雑誌社のデスクの気持ちがよく分かります(笑)。

 お城と並んで、今、刀剣もブームです。特に若い女性が全国の品評会にまで回っており、「刀剣女子」と呼ばれているとか。

 日本刀は武器ですが、美術工芸品でもありますね。戦場では、刀の威力はそれほど発揮せず、殺傷力では(1)弓矢(後に鉄砲)(2)薙刀(後に槍)(3)投石(4)刀ーの順らしいですね。何故、刀より投石による戦死者の方が多かったのか、というと、農民が合戦に駆り出されて、高価な刀剣は買うことができないか、刀の使い方ができなかったというのが有力な説です。刀狩りで、農民は刀剣を奪われていましたしね。

東博「正倉院の世界」展は満杯だった

 東京・上野の東京国立博物館で開催中の「正倉院の世界 皇室がまもり伝えた美」展(読売新聞社など主催)(当日1700円)に行って来ました。

 読売新聞を読んでいないと、こんな展覧会が開催されているなんて、さっぱり分かりませんが、つまり、朝日や毎日や日経や東京や産経を読んでいてはその存在自体も知りにくいのですが、さすが、天下の読売です。その「力」で、平成館の入り口前には長蛇の列が出来ていたので、吃驚しました。

スカイツリーが見えました

20分近く並んでやっと入れました。

説明するまでもなく、正倉院とは、奈良にある聖武天皇の御遺愛品を収蔵した倉庫でしたね。今回、新天皇陛下の御即位ということで、特別に公開されることになったのです。

正倉院の原寸大(?)の模擬建造物

 恐らく廃仏毀釈のせいか、明治になって、法隆寺から皇室に献納された宝物も今回展示されていました。

 とにかく、読売新聞の力で、会場内は超満員で、展示物を飾ったガラスケースの前は、二重三重のとぐろが巻かれていました。

 宝物を見に来たのか、人間を見に来たのか、区別がつかなくなるほどです。

上の写真は、「螺鈿紫檀五弦琵琶」です。模造なので、館内で数少ない写真撮影オッケーの宝物でした。パンフレットには、11月4日までの「前期展示」と書かれているので、前期には模造ではなく、本物が展示されていたのかもしれません。(私が訪れたのは11月16日でした)

今回の展示で、私が注目した1点だけ挙げるとしたら、「蘭奢待(らんじゃたい)」(黄熟香=おうじゅくこう)です。写真はありませんが、「天下人が切望した香り」とあるように、「門外不出」どころか、本来なら触ることも厳禁だった香木ですが、3カ所だけ、くっきりと切断されて持って行かれているのです。その3カ所にはわざわざ名前が書かれていて、それは「足利義政」「織田信長」「明治天皇」だったことが分かっています。一体どんな香りだったのか、興味が湧きますね。切断された空洞は、権力の象徴に見えます。

        ◇◇◇◇◇

 人混みが大嫌いなので、本館で開催中の「文化財よ、永遠に」展に移動しました。正院院展のチケットを持っていたので、そのまま入れますが、ここだけ入るには620円の観覧料が必要です。でも、それだけの価値はありました。

 同展は、住友財団が修復した仏像が展示されていました。中には、昭和18年に日本から仏領インドシナのフランス極東学院に送られた鎌倉時代の阿弥陀如来立像(ベトナム国立歴史博物館蔵)が、75年ぶりに里帰りし、修復された姿が展示されていました。

 変な言い方ですが、私は仏像が大好きです。対面すると心が落ち着きます。大変信仰深い仏教徒とは言えないかもしれませんが、自然と手を合わせてお祈りしたくなります。やはり、自分は日本人なんだなあ、と思います。

 今さらながらですが、観音様と一言で言っても、観音様には「千手観音菩薩」「十一面観音菩薩」、それに「聖観音菩薩」「如意輪観音菩薩」など本当に色々とあります。正直、その違いと意味合いについて深く分かっていないことに気づき、ミュージアムショップで、手頃な本を探しました。

 そしたら、ありました、ありました。「仏像でめぐる日本のお寺名鑑」(廣済堂出版、1650円)です。仏像の種類について何でも書いてあり、特に国宝や重文の仏像が御本尊になっている代表的なお寺まで紹介されています。これを参考に、小生の寺社仏閣巡りに拍車をかけたいと思っています。正直、ウキウキ、ワクワクです。

山名文夫を御存知でしたか?

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 10月1日だというのに、東京都心は気温29度と蒸し暑く、半袖で出勤しました。こんなこと、長い長い俸給通勤地獄生活で初めてです。

 昔は「暑さ、寒さも彼岸まで」とよく言ったものです。彼岸を過ぎれは猛暑もやんで、一気に秋らしくなっていました。10月1日は衣替えじゃなかったでしたっけ? 異常気象ですね。

 さて、話は変わって、今日も私が知らなかったことを書きます。

東京・銀座の資生堂本社

 大正から昭和にかけて活躍したグラフィックデザイナーの山名文夫(やまな・あやお、1897~1980)のことです。この方、御存知でしょうか? 私は不勉強にも知りませんでした。

 山名を最も有名にしたのが、化粧品の資生堂の蔓バラの「花椿マーク」です(原案は福原信三)。著作権やらうるさいので、このブログにその写真を掲載できませんが、誰でも御存知でしょう。資生堂の意匠部の社員だったこともあり、化粧品「de Luxe」の唐草模様などもを手掛けたのは山名だといいます。

とは言いながら、銀座の資生堂本社にある山名がデザインしたロゴマークを撮影してきました。これですの。

  昭和史に関心がある人はよく知っていますが、山名は昭和9年、名取洋之助が主宰する日本工房に参加して対外宣伝誌「NIPPON」の表紙絵まで描いておりました。へー、そうだったのか、ですよ。

 山名は戦後、多摩美大の教授なども務めますが、新潮社の新潮文庫の葡萄のロゴマークも彼のデザインでした。読書家の皆さんですから、あの葡萄のマークはよく御存知ですよね?

 山名文夫は戦前から有名で、太宰治の小説「皮膚と心」(昭和14年11月「文学界」初出)のモデル(主人公の若妻の旦那さん)だったのです。これまた、へー、そうだったのかあ、です。この作品、今では青空文庫で読めます。

 

「特別展 三国志」と特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」=上野の東博

蜀・劉備軍の要・関羽像(明時代15~16世紀、青銅製)

 何が哀しいのか、日曜日、気温34度の猛暑の中、東京・上野の東京国立博物館の平成館で開催中の「特別展 三国志」と、本館で開催中の特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」を観に出掛けてきました。

魏の曹操

 猛暑の中を、外出するようなおめでたい人間は少ないだろうし、お盆休みなので、都心は地方出身者が帰省していて、館内は空いているだろうと予測したからでした。

しかし、外れました。何処にも行くあてがない富裕でもなさそうな層(単なる個人的な勘違い)や、外国からの観光客でごった返し、陳列物の前は、二重三重のとぐろを巻く人だかりでした。

蜀の劉備

 この特別展に限ってなのか、国内の展覧会にしては珍しく、展示物の撮影はフラッシュさえ止めれば自由でした。それらの写真は、「個人の使用」なら許可され、館内の係りの人に「ブログにアップしてもいいですか?」と聞いたところ、「大丈夫です」と答えてくれたので、こうしてアップしているのです。 

呉の孫権

写真をバシャバシャ撮ったおかげで、一体何を撮ったのか、分からないものまでありましたが、ご勘弁ください(笑)。

「三国志」は、御案内の通り、後漢末期の2世紀に鼎立した魏・呉・蜀の三国の興亡が描かれた歴史書です。

 どういうわけか日本でも大人気で、江戸末期の忍藩の下級武士、尾崎石城さんの蔵書の中にも「三国志演義」があり、古代からほとんどの日本の知識階級は読んでいたと思われます。

赤壁の戦い(208年、曹操対劉備・孫権連合軍 劉備の諸葛亮が曹操を退却させる)

 現代では吉川英治や柴田錬三郎らが小説化したり、横山光輝が漫画化したり、テレビの人形劇やゲームにもなったりしているので、若者たちにも親しみやすいのでしょう。若者客が目立ちました。

蜀 「揺銭樹台座」 富裕層の墓に置かれた「金のなる木」の台座。3世紀、土製。2012年、重慶市で出土。

私自身は、ゲームもやらないし、「三国志」も「三国志演義」も読んでいないという体たらくで、知っているのは、劉備が諸葛孔明をスカウトするために三度も足を運んだ「三顧の礼」などエピソードぐらいですからね。見ても、知識が薄いため、今ひとつ、力が入りませんでした(苦笑)。

曹操高陵で発掘された 一級文物「魏武王(ぎのぶおう)常所用(つねにもちいるところの)挌虎大戟(かくこだいげき)」。魏武王とは曹操のこと。この発掘で、曹操の陵だと証明された。

 特別展の最大の見どころは、上の写真の石牌(せきはい)です。2009年、河南省安陽市で発掘されたもので、この石牌には「魏武王が愛用した虎をも打ち取る大きな戟」と刻まれています。魏の武王とは曹操のことで、これにより発掘された墓が「曹操高陵」である証明になったというのです。

 2009年ということは、つい最近のことです。今後も新たな新発見が出で来るのかもしれません。

 その前に、魏の勢力は、高句麗を倒して、今の北朝鮮にまで及んでいたことを知り、驚いてしまいました。

 また、この特別展のおかげで、189年に後漢より遼東太守に任命された公孫氏が、一時期独立して、満洲、いや中国東北地方の南まで勢力を伸ばしていたことや、魏呉蜀の三国は結局、どこも全国統一できず、代わって「晋」が覇者となりますが、その晋の高官の一人が、あの書聖と言われた王義之の一族だったという新知識も得ることができました。

 猛暑の東博のもう一つの目的は、本館で開催中の特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」を参拝することでした。「観覧料:一般620円」とありましたが、平成館の「三国志」の切符(前売り券1400円)を持っていたら、無料で観られました。何か得した気分です。

 でも、本館の第11室という狭い空間だけでしたので、ちょっと物足りなく、「岡寺」「室生寺」「長谷寺」「安倍文殊院」の奈良大和四寺を実際に訪れたくなりました。

 今の自分は、年を重ねたせいなのか、三国志の英雄よりも、仏像と対面した方がはるかに落ち着き、日本人として親和性を感じる気がしました。

 (本館の特別企画は勿論、写真撮影禁止でした。)