山里亮太さん蒼井優さん、ご結婚おめでとうございます!

 最近は、衝撃的な無差別殺人事件や高齢者ドライバーによる交通死亡事故や幼児虐待のニュースばかり聞かされていたので、心がささくれだっておりました。そのせいか、昨日電撃的に発表されたお笑い芸人と美人女優との結婚ニュースは久しぶりに明るい話題を提供してくれました。大変失礼ながら、もてない世の男性諸君に勇気を与えてくれたんじゃないでしょうか(笑)。

  結婚を発表した山ちゃんこと南海キャンディーズ山里亮太(42)さんと女優の蒼井優(33)さんのことです。

 最初このニュースを聞いたとき、多くの人と同じように「えーー!」と思いました。「ありえない」というのが正直な感想です。

 でも、今朝のワイドショーでの2人の会見を仕事として(笑)見ていたら、「お似合いのカップルじゃないかな」と妙に納得しました。芸能界は虚像と実像が複雑に交じり合った世界ですから、実際のところは分かりませんが、派手好きな芸能人とは違って2人とも堅実で、飾らない性格同士だったことには感心しました。

 特に、蒼井さんは、山ちゃんから結婚指輪を贈られようとしたら断って、「それよりいい思い出をつくってください」と頼んだことには驚きました。2人で色んな所を旅行したり、食事したりする方がいいというのです。女優さんなら派手にネックレスや指輪で飾りたがるものですが、感心感心です。もっとも、本当の理由は、彼女は大切な物はすぐなくしてしまうから、ということらしいですが。

 私もしっかり研修してますね。芸能リポーターみたいです(笑)。

 とはいえ、2人は6月3日に入籍しながら、同居していないというのも気になります。(その必要はないか?)蒼井さんも「恋多き女優」として噂が絶えなかった過去があります。男性42歳、女性33歳は「厄年」ですからね。所属事務所は、山ちゃんが「よしもと」、蒼井さんは、ともさかりえでブレイクしたイトーカンパニーですか。よしもとはともかく、イトーカンパニーの沢山の所属タレントは、ともさかさんと蒼井さん以外、私は知りませんけど…。

 いやいや、せっかくの明るいニュースなのに水を差す必要はないですかあ…(笑)。末永くお幸せに。

?「記者たち 衝撃と畏怖の真実」は★★★★★

 大変遅ればせながら、ロブ・ライナー監督作品「記者たち 衝撃と畏怖の真実」を東京・日比谷の東宝シャンテ・シネマまで観に行って来ました。(最初、間違えて、東宝シネマ日比谷に行ってしまい、案内係の人も呆れておりました。駄目ですねえ)

 封切りが今年3月29日で、もう1カ月半近くのロングランとなり、来週で、いよいよ公開終了(東京・日比谷は)ということで、慌てて観に行ったのでした。

 とても良い映画でした。満点です。「スタン・バイ・ミー」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」などで知られる巨匠ロブ・ライナーが、監督、製作、そして出演(新聞社ナイト・リッダーのワシントン支局長ジョン・ウォルコット役 )まで兼ねた意欲作です。

 先日、バイス(悪徳)ディック・チェイニー副大統領を正面から取り上げた「バイス」を観て、その感想をこのブログにも書きましたが、その「バイス」も、この「記者たち」とほぼ同じ題材(「9.11」からイラク侵攻へ)を扱っていながら、「記者たち」の方が骨組みがしっかりして、人物相関図も分かりやすく、時間の経過を忘れるほどの力作でした。

 それに、CNNやNBCやFOXなど当時のテレビ・ニュースを挿入してドキュメンタリータッチに描く手法は、マイケル・ムーア監督の得意とするところで、ロブ・ライナー監督は、その手法にかなり影響を受けているというか、はっきり言って、真似をしていますが、こう言っては何なんですが、ロブ・ライナー監督の方が上品に感じました。

 今でこそ、「フェイク・ニュース」は有名になりましたが、ブッシュ息子大統領政権は、イラクに大量破壊兵器(WMD)がないにも関わらず、NYタイムズやワシントンポストやNBCといった大手メディアに、嘘の情報を垂れ流し、世論をイラク戦争への道に駆り立てます。

 そんな中、ナイト・リッダーという新聞社というより、田舎の地方新聞社31社に記事を配信している通信社だけが、地べたを這いずり回るほど地道な取材で、政府発表の嘘を見抜いて、ただ1社だけ、イラク戦争反対のキャンペーンを張ります。

 これでも、私自身もジャーナリストの端くれですから、観ていて、記者魂が燃えてきましたね。全米でも最も信頼されている高級紙ニューヨーク・タイムズは「イラクのフセイン政権は、大量破壊兵器を隠し持っている」といったスクープを連発するというのに、規模も小さく、信頼度も大手紙と比較すれば劣るナイト・リッダーは、その正反対のことを書き、9.11以降、日増しに高まる「愛国心」を持った市民らから非難されたり、記者に脅迫メールが送られたりします。加盟紙も記事掲載を拒否したりします。

 この時のナイト・リッダー社の主人公であるジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)という2人の記者の猜疑心と孤立感と不安と焦燥と怒りが、本当に手に取るように分かり、観ていて、こちらも気持ちが高ぶってしまいました。

 特に、大手紙は、恐らく、ブッシュ大統領やチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官といった中枢と直接取材できるのに、弱小メディアであるナイト・リッダーは、それが出来ずに、末端の政府職員や、かつての情報分析官らからしか取材できないという事情もあったことでしょう。それが、逆に「政府広報紙」にも「御用新聞」にならずに済んだ要因になったことは皮肉と言えば皮肉ですが、「真実を報道したのは1社だけだった」ことは称賛すべきでしょう。

 映画は、実話に基づく話ですが、ロブ・ライナー監督は、もう一人、愛国心に燃える19歳の黒人青年が、志願してイラク戦争に従軍し、重傷を負って帰還する姿も描き、物語に厚みを持たせていました。

 2003年のイラク戦争も、もう多くの映画になるほど「歴史」になってしまったとは感慨深いですが、ベトナム戦争開戦の火ぶたとなった「トンキン湾侵攻」に賛成し、後に後悔することになる上院議員が「歴史は繰り返す」と発言していたことも印象的でした。

 ハリウッド映画(ワーナー系)でしたが、久々に骨太の映画を観ました。間に合えば、今からでも多くの人に見てもらいたいと思いました。

 

?「幸福なラザロ」は★★★★

 何か予定調和のように、ゴールデンウイークのどこかいつかに観に行きたいと、このブログで予告していた映画「幸福なラザロ」を渋谷の文化村ル・シネマにまで観に行って参りました。渋谷の人混みが大嫌いなので、朝一番の回を観て来ました。

 物語の終わり方がちょっと腑に落ちなくて、しばらく、「どゆこと…?」と目が宙に浮いてしまいましたが(笑)、「この物語は、ファンタジーか寓話なのかな?」と考えているうちに、段々、感動が胃の腑の下にまでゆっくりと降りてきました。

 新鋭のイタリア人女性監督アリーチェ・ロルヴァケルは、実際にあった詐欺事件と、聖書の「ルカによる福音書」などに出てくる死者から復活したラザロの逸話などから着想して脚色したようです。

 【注】以下に書くことは少し内容に触れますので、これから御覧になる方はお読みにならないでください。絶対に!


 映画ポスターに「その人は疑わない、怒らない、欲しがらない」と書かれているように、正直者のラザロの物語です。舞台は、急な渓谷によって外の文明世界から遮断されたイタリアの片田舎の村。今から20年ほど前の話です。54人もの小作人たちが、領主であるデ・ルーナ侯爵夫人によって賃金も支払われずにタバコ農園で働かされ、搾取されいます。

 その中でも青年ラザロは、人一倍の働き者で、人に指図されても怒らないし、何でも人の言うことを聞き、食べ物も飲み物も欲しがらない。そもそも搾取されていることについてすら何ら疑いもしない。純真無垢なラザロには、血筋が通っているのかどうかもよく分からない祖母らしき老婆がいるだけで、天涯孤独です。

 そんな中、侯爵夫人の我儘息子タンクレディが起こした誘拐騒ぎがきっかけで、警察の捜査が入り、村人たちは都会へ「解放」されます。しかし、ラザロだけは、タンクレディを探し求めている時に足を滑らして崖から転落して気を失ってしまいます。

 正気を戻して村の中心に戻ると、他の村人たちはもう何処にもいません。ラザロは、再びタンクレディを探し求めて、雪が降る中、夏服のまま歩いて都会に行くことにします。

 すると、いつの間にか、とんでもない年月が経っていて、かつての村人だったアントニアと偶然再会します。ラザロの姿を見たアントニアは、彼が聖人だったことが分かり、彼の前で跪(ひざまず)きます。

 ここが最大のポイントで、私も、あっと驚く為五郎で、思わず感涙してしまいました。(何故か、については映画をご覧になれば分かります)

 あ、かなりのことを書いてしまいましたね(笑)。これから御覧になるつもりの方は読んでいないと思われますので、このまま続けますが、アントニアがラザロの前で跪いた時がハイライトで、この後の物語展開がちょっと不満でした。ラザロは奇跡を起こすわけでもなく、最後の最後まで、純真無垢の普通の青年で、他人のためになることしか考えず、あっけないエンディングを迎えてしまいます。

 ファンタジーや寓話なら、もう少し、どうにかならないものかと思い、不可思議感が尾を引きました。でも、この映画は不可解だっただけに、今年私が見た映画のベスト5、いやベスト3に入るかもしれません。

旧大阪毎日新聞京都支局、現「同時代ギャラリー」で加藤力之輔さんの個展

加藤力之輔画伯 Copyright par Kyoraque-sensei

 京洛先生です。しばしば、「渓流斎ブログ」にお邪魔して恐縮です(笑)。 

 先日、東京・銀座で2週間にわたり個展をされた加藤力之輔さんが、4月9日(火)から14日(日)まで、京都でも個展を開かれているので、会場の「同時代ギャラリー」(中京区三条寺町西入る1928ビル)を覗いてきました。


Copyright par Kyoraque-sensei

 同時代ギャラリーは、展示スペースが広いので、加藤さんの得意の大きな絵をゆったり並べられるので、加藤さんも満足げでした。

  東京では、木炭で描がかれた大きな裸体のデッサンが画廊の床まで垂れ下がっていたそうですが、京都では、炭の単色の大作ではなく、色彩を巧みに使い分け、明るい基調の大きな作品が並べられ、作家の自信が溢れ、見ごたえ、迫力のある個展です。


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 加藤さんは「東京では、どうしても会場に限界があり、小品しか展示できなかったのですが、この『現代ギャラリー』さんでは、そういうことを考えなくても好いので、助かりますね。展示空間に窮屈さがあると、見に来てくださった方も、おおらかに見てもらえませんから」と仰っていました。 


重厚な旧大毎京都支局ビル Copyright par Kyoraque-sensei

 「同時代ギャラリー」の入っているビルは、毎日新聞社(当時「大阪毎日新聞社=大毎」)が戦前の1928年(昭和3年)に京都支局として建てたもので、京都市の登録有形文化財に指定されています。


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 当時、大毎の本山彦一社長が、関西の”建築家の大御所”武田五一氏(京都帝大教授)に建築、設計を全面的に委嘱、完成させ、京都支局として使われてきました。


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 しかし、ビルの老朽化もあり、1998年、毎日新聞京都支局は、別の場所にビルを建て、移転。一時は「保存は無理か!」といわれましたが、建築家の若林広幸氏が「歴史あるビルを壊すのは惜しい」と自ら買い取り、今は保存しながら、画廊などに活用しています。


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 アールヌーボー風の建物で、若林氏がオーナーになってから同ビルの内部を補強、修復していますが、外壁は昔の儘で、今でも「大毎」の記章が壁に埋め込まれています。

以上 ご報告まで。

映画「バイス」は★★★★

  ディック・チェイニー(1941~)第46代副大統領(78)の半生を描いた映画「バイス」(アダム・マッケイ監督作品)を観てきました。もうちょっと、コメディタッチで、皮肉的に描かれているかと思っていたら、意外にも正統派のドキュメンタリータッチで真面目に描いていました。ドキュメンタリータッチなら、マイケル・ムーア監督ならもっとスパイスを効かせたと思いますので、はっきり言って、その点だけは面白みに欠けていました。

 また、後半部分で、「心臓移植?」のオペシーンなど、日本人としては目を背けたくなる場面も多く出てきて、日本人の監督ならここまで描かないだろうなあ、と、いかにも米国らしい映画に思えました。

 この映画のコピーでは「まさかの実話!アメリカ史上最強で最凶の副大統領」となっていましたが、「最凶」ぶりはあまり感じませんでしたね。しっかり者の妻リンに尻を叩かれて、政界に進出し、権力の実態とその「蜜の味」を知っていくうちに自然に頂点を目指すようになる男の家族の物語に終始しておりました。次女が同性愛者ということで、選挙運動にネックになったりしますが、あくまでも家族として結束する姿が描かれ、これまた米国らしい、米国人が納得しそうなファミリー映画でした。



 この映画は、やはり、主役のチェイニー役を演じたクリスチャン・ベールがいなければできなかったことでしょうね。1963年のチェイニーの20代から60代後半まで演じていますが、体重を20キロも増量したらしく、特殊メイクも5時間ぐらい掛けたらしいので、本物そくりです。クリスチャン・ベールの姿は何処にもいません。(チェイニーが副大統領になった時、75歳ぐらいに見えましたが、まだ、60歳の若さだったので驚いてしまいました)

 そっくりと言えば、パウエル国務長官役の俳優も、ライス大統領補佐官役の俳優も、そして、ブッシュ大統領役の俳優もみんな名前は知りませんが(笑)、本当に「そっくりさん」でした。

 この映画は大いに期待していたので、事前に「予習」をしておいてよかったでした。もしかして、予習しておかないと時代背景は分かっても、裏に隠れた本質は分からないかもしれません。

 「大量破壊兵器」がないことを知りながら、イラク戦争を強行したチェイニー副大統領は、石油サービス会社ハリバートンの最高経営責任者(CEO)だったこともしっかり描かれていました。チェイニー氏はCEOを退任する際に、2600万ドルの退職金をもらい、「自分が想像していたより2倍も多かった」といった台詞が出てきます。

 2600万ドルは、当時でレート(1ドル=116円)で計算すると、30億円ぐらいですか。桁が違いますね。しかし、ハリバートンは、恐らくチェイニー副大統領のお陰で、米軍の食事から洗濯までのサービスを入札なしで獲得しており、イラク戦争後、株式が500%も値上がりしたので、十分に元手は取れたことでしょう。

 チェイニーの妻リンは、世界最大の軍需産業ロッキード社の取締役を務めていたことを予習していましたが、そのことは全く出てきませんでしたね。

 映画ですから、全てを描くことはできませんが、この映画を観ただけでは、何で、学生時代から飲んだくれで、飲酒運転で逮捕され、学業成績も悪く、スポーツ能力もない、平均以下の人物でイエール大学を中退した男が、石油大手のCEOになったり、「影の大統領」と呼ばれるほどホワイトハウスの頂点に上り詰めたりすることができたのか不思議でしたが、調べてみたら、イエール大学中退後は、ワイオミング大学で修士号まで取っており、やはり、後に、国防長官などを歴任するラムズフェルトらと知り合ったことが大きかったように思えました。

 それにしても、世界一の大国で権力を握ると、戦争遂行でも、企業との癒着でも、歴史を変えるほど莫大な力を行使できるんですね。この映画を観て、権力とか、パワーとか言われるものは何かといえば、はっきり言って、結局、「軍事力」だということが分かりました。

チェイニー副大統領から、話はケネディ大統領、ドレクセル商会まで飛びました

 変貌自在の「カメレオン俳優」クリスチャン・ベールが 、20キロも増量して第46代副大統領ディック・チェイニーを演じる「バイス」(アダム・マッケイ監督)が今週末の4月5日に公開されるというので楽しみにしてます。

 その予習を兼ねて、広瀬隆著「世界金融戦争」(NHK出版、2002年11月30日初版)を読み返しております。

見沼遊歩道

 チェイニー副大統領といえば、「米史上最強で最凶の副大統領」(映画のコピー)との悪名高く、能力に秀でいないブッシュ(息子)大統領に「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」と嘘の報告書を信じ込ませて、米国をイラク戦争に導いたと言われてます。どれもこれも、自らCEOを務め、大量の株式を保有していた石油サービス会社ハリバートン(米テキサス州ヒューストン)のためだったといわれてます。ハリバートンは、石油や天然ガスなどの採掘から、米軍の食事や洗濯サービスに至るまで幅広く事業を展開し、子会社にこれまた政府や米軍などと密接な関係を持つテクノロジー企業KBR(ケロッグ・ブラウン・ルート)まであります。

 チェイニーの妻リン(エイミー・アダムズが演じる)は、この映画の公式ホームページでは「文学博士号を持つ著述家」で、酒癖の悪い夫の尻を叩いて政界に進出させたしっかり者のように書かれています。しかし、広瀬氏の「世界金融戦争」では、リン・アン・チェイニーは、普通の主婦ではなく、「世界最大の軍需産業ロッキード・マーティンの重役で、保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所の幹部を務めていた」と暴露しております。映画ではそこまで描かれているのでしょうか?


見沼遊歩道

 さて、「世界金融戦争」にはあまりにも多くの欧米を中心にした世界の人名と企業が出てきますので、一回読んだだけではとても頭に入りきれません(苦笑)。ドストエフスキーの小説を読むより大変です。

 同書では、ロスチャイルド系のゴールドマン・サックスやメリルリンチ、リーマンなどウォール街のユダヤ資本と石油企業とホワイトハウスが三位一体で利権をたらい回ししている構造を明らかにしてます。

 この本は、2001年の「9・11事件」直後に書かれたので、米国とイスラム資本との対峙も描かれて、なかなか濃密な内容です。私は、学生時代は「イスラム教の預言者マホメット(ムハンマド)は、アラブの商人だった」といった程度しか勉強しませんでしたが、同書によると、ムハンマドを生んだハーシム家は、小規模ではなく、恐らく、日本の三井、三菱、住友、安田財閥を足して数百倍にもしたような超・大財閥だったようで、著者が作成した系図からは、その子孫としてサウジアラビアやイエメン、イラン、インドネシアなどイスラム圏の国王を生んでいたことが明かされています。実に驚きです。

 でも、私自身、頭が悪いせいか、もう既に、ここに描かれている「エンロン事件」も「ワールドコム倒産」などもすっかり忘れているんですからね。情けない。ま、20年前の話ですから、日本人の多くも忘れていることでしょうが…。


見沼遊歩道

 この本が書かれた2002年当時は、現在ほどネット情報が充実していなかったので、著者はよくぞここまで「手作業」で調べたと思います。例えば、「アメリカの政党や大統領で石油利権と無関係の政権は、1870年にロックフェラーがスタンダード石油を創業してから一度も出現していない」と自信たっぷりに書き、関係者の人間関係を明らかにします。

 その内容について、色々書きたいのですが、長くなるので今日は、ジョン・F・ケネディ大統領のことだけ書いておきます。その父、ジョゼフ・ケネディは1929年のニューヨーク株式大暴落の際、事前に持ち株を売り逃げて莫大な財産をつくり、その資金でルーズヴェルトを大統領に押し上げる最大な功労者だったと言われます。

 ルーズヴェルトは、その見返りにジョゼフをウォール街の番人とも言うべき米証券取引委員会(SEC)の初代委員長に任命します。ジョゼフは息子のジョン・フィッツジェラルド(JFK)の結婚相手にジョン・ブーヴィエの娘ジャックリーンを指名します。ブーヴィエの大伯父が、米国の産業界を支配するモルガン商会のパートナー、フランシス・ドレクセルだったからだと言われています。フランシスの弟のアンソニー・ドレクセルがジョン・ピアポント・モルガンとともに、ドレクセル・モルガン商会を設立し、のちにモルガン商会、J・P・モルガン・チェースに発展します。

 また、ドレクセル商会から生まれた投資銀行がドレクセル・バーナム・ランベールです。バーナムは、証券ブローカーを経営していたアイザック・バーナムのこと。そして、残りの共同創業者の一人、ランベールは、リュシー・ロスチャイルドと結婚したベルギーの男爵レオン・ランベールの孫だったと言われてます。

 同書では、このようなユダヤ系のウォール街の金融マフィアたちが、インサイダー取引や政界工作などで巨万の富を築く話が描かれ、さらに、後に逮捕されるアイヴァン・ボウスキーやマイケル・ミルケンといった超大物投機家も登場しますが、話が複雑になるのでこの辺でやめておきます。

また、次回ということで。

映画「翔んで埼玉」は★★★★

  あまり公表したくはないのですが、私の「終の棲家」は埼玉県です。九州出身の父親が、御縁のあった埼玉県内の「聖地霊園」を手に入れて鬼籍に入ったので、私も、いずれは、そちらでお世話になるつもりだからです。

 ですから、日本全国の中で、一番気になる県は埼玉県なのです。

 とはいえ、埼玉県のイメージがあまりにも悪い。ダサイタマだの、クサイタマだの、田舎もんだの、世間では鼻つまみものです。私は東京生まれで、埼玉出身ではありませんが、許せませんねえ。

 それなのに、埼玉県を馬鹿にしたような映画「翔んで埼玉」(武内秀樹監督)が世間では大うけで、しかも、全国的に大ヒットしているというのですから、見逃すわけにはいきません。仕方がないので、ロングラン中の埼玉県内にある映画館に遠出して観に行ってきました。

 原作は30年以上も昔に発表された同名のコミック(魔夜峰央・作、1986年)だそうで、埼玉県人が東京に入るには「通行手形」がなくてはならず、三等市民扱いです。埼玉県特有の恐怖の熱病「サイタマラリヤ」まであります。

 「埼玉県には何もない。海もない。郷土愛もない」 

 「埼玉県人は、そこらへんの草でも喰わせておけ!」

 凄い台詞が飛び出します。

 とはいえ、パロディーであり、実は、かなり埼玉県民に対する愛情に溢れ、ホロリとしてしまう場面も出てきます。勿論、大いに笑えます。

 よく観ると、同じ関東圏なのに、 東京と横浜のある神奈川県は一等市民扱いですが、群馬県や茨城県や栃木県は、埼玉県以下の扱いです。

 所詮、荒唐無稽の架空のバカっ話なのですが、生徒会長・壇ノ浦百美役の二階堂ふみも、米国帰りの転校生・麻実麗役のGACKTも、執事・阿久津翔役の伊勢谷友介も、こちらが恥ずかしくなるくらい真面目に演じています。

 細かく観ると、大宮と浦和が仲が悪いことなど、しっかり「取材」しており、もう一度観てみたくなるほどです。ヒットする要因が少し分かった気がしました。

 最初に書いた通り、私の場合、埼玉県が終の棲家になりますので、少し、埼玉県を擁護する薀蓄を述べておきます。

 埼玉の語源は、「幸御魂(さきみたま)」と言われ、これは「人に幸福を与える神の霊魂」を意味します。凄いですよね。この映画のように、他人様を笑わせ、埼玉県の位置を知らしめて、全国的にも有名にしてしまったのですから。

 また、かなり歴史もあり、行田市に「さきたま古墳群」があります。古代に豪族が支配し、文明が開けていた証拠です。大和朝廷時代には「武蔵国」とされ、江戸時代にはその一部が、江戸になったため、将軍さまは、「武蔵守」みたいなものでしょう。だから、大岡「越前守」とか、島津「薩摩守」などは名乗ることは許されても、「武蔵守」を名乗ることは禁止されました。それだけ、「格」があったのでした。

以上

名脇役があってこその主役

 昨日、ジャズ・シンガーの新倉美子のことを書いたところ、京洛先生から「ああたは、新倉美子も知らないんですか」と、早速、京都から、上から目線で電話がかかってきました(笑)。

 京洛先生は、私よりも一回り年長、という老世代ですから、よく御存知なのでしょう。それでいて、京洛先生は若作りですから、京都の街中では、2人でいると、ちょくちょく私の方が年上に、つまり老けて見られてしまい、若く見られた彼は大喜びしているのです。ずるいですね(笑)。

 「画家の東郷青児の長女のたまみ(1940~2006)だってジャズ歌手だったんですよ。朝丘雪路、水谷良重と『七光り三人娘』を組んで舞台に立ったこともあります」

 さすが、物識りの京洛先生。何でも知ってますねえ。朝丘雪路は、画家伊東深水の娘、水谷良重は、父が14世守田勘弥、母が初代水谷八重子でした。

 「水谷良重はジャズ・ドラマーの白木秀雄と結婚しました。えっ?知らない?駄目ですねえ。白木は東京芸大出身ですよ。後に離婚しますが、水谷の『愛しているから別れます』は当時の流行語になったんですよ」

 えー、知らなかった。1963年のことですか。白木さんは、晩年が悲惨で、自分のバンドも解散し、渡辺プロダクションからも解雇され、最後は、赤坂の自室で、精神安定剤の過剰摂取で亡くなったようですね。享年39。

 そう言えば、芸能プロダクションのナベプロの渡辺晋氏も、ホリプロの堀威夫氏も、もともとはジャズ・ミュージシャンでした。

Alhambra, Espagne

 「やれスマホだ、やれインターネットだの言っても、アナログの知識がなければ、言葉も知らず、検索さえできないのですよ」と言いながら、京洛先生は、不良中学生時代に毎日のように嵌って観た東映時代劇など映画の名脇役の名前をズラズラと列挙し始めました。

 「新倉美子のお父さん辰巳柳太郎は新国劇でしたね。沢田正二郎らつくった劇団です。辰巳と並ぶスターが島田正吾です。その弟子筋に緒方拳や若林豪らがいますが、他に、悪役で名を馳せた上田吉二郎石山健二郎らもいて、彼らも新国劇の出身者だということは知らないでしょう。えっ?上田吉二郎は知っているけど、石山健二郎は知らない。いや、写真を見ればすぐ分かりますよ。タコ坊主のような独特の容貌で、黒澤明監督「天国と地獄」で田口部長刑事役や山本薩夫監督「白い巨塔」では田宮二郎の義父役で独特の印象を残しました。やっぱり脇役がしっかり固めないと、主役が引き立たないんですよ」

 そういえば、悪役と言えば、私の子ども時代は、上田吉二郎でした。あの太った、独特のだみ声で「ふ、ふ、ふざけんじゃねえ」と、笑うように怒りながら、子分たちに向かって「お、おめえたち、やっちまえ」という台詞は今でも耳にこびりついております。

 京洛先生も、子どもの時分から主役に注目しないで、脇役ばかり見ていたとは変わった人だったんですね(笑)。さらに名脇役を言及します。

 「吉田義夫ね。この人は日本画家から俳優になった人ですよ。法隆寺壁画の修復にも参加した人です。テレビの「悪魔くん」でメフィスト役をやり、映画では『男はつらいよ』の常連です。チャンバラの悪役は山形勲。この人、ロンドン生まれです。『旗本退屈男』や『大菩薩峠』に出ていました。も一人は骸骨のような顔した薄田研二、家老役がぴったりでした。築地小劇場出身です。溝口健二監督の『山椒大夫』『浪華悲歌』などに出ていた「溝口組」の進藤英太郎。いかにも憎々しい役です。
 伊東四朗や財津一郎の師匠だった 石井均は、喜劇役者ですが、新宿で一座を持っていたのに解散して、大阪の曾我廼家十吾の松竹家庭劇に入った人です。この時、西川きよしがかばん持ちをやったことがあります。松竹新喜劇と言えば、高田次郎ですね。ドラマ『細うで繁盛記』や『どてらい男』でいじめ役で、実にうまい俳優です」と、キリがないほど、ポンポンと色んな役者の名前が飛び出してきます。

Alhambra, Espagne

 「脇役は、結構、裕福な家庭の出が多くて、道楽でやってるような役者も多いんですよ。それにしても今の俳優は、駄目ですねえ。目だけギョロギョロさせて下手で下手で、顔だけで演技していて見てられませんよ。迫力がない。何度でも言いますが、脇役に凄みがないと主役も目立ちません。その点、昔の役者の方がはるかに凄かったですよ」と、「芝居通」ぶりを発揮しておりました。

 確かに、昔の脇役や悪役には凄味がありました。

リキー宮川と新倉美子 ジャズこそがすべて

 インターネットは、若者向きかと思いきや、意外と中高年の皆様にも役立ちます。

 私もその一人(笑)。その理由の一つが、最新流行に付いていけなくなってしまったことがあります。特に音楽なんか、今の流行歌には全くついていけません。中でもラップなんか駄目ですねえ。しっかり、メロディーがないと心に染み渡ってくれません。

 でも、最新の流行歌についていけなくても、ネットの発達のお蔭で、以前はとてもレコードが手に入らなかったり、聴けなかったりした昔の音楽が簡単に聴けるようになり、恩恵を受けてます。昔は「音」だけしか聴けなかったのに、今では、動く姿、まさに「動画」まで見ることができますからね。ネットのお蔭です。

 最近、特に熱中しているのがジャズ・ヴォーカルです。先日も、このブログで1950年代に活躍したジュリー・ロンドンを取り上げましたが(CD買っちゃいました)、この間(3月9日)、また、NHK-FMの番組「世界の快適音楽セレクション」(毎週土曜、午前9時から放送)で初めてその存在を知ったジャズ歌手、リキー宮川(1911~49 )にはまってしまいました。
 この人の経歴について、あまり詳細に分かりませんでしたが、米シアトル生まれということから、日系2世なのでしょう。昭和8年に来日し、9年にコロムビア専属として歌手デビュー。その後、ダンサーとして知られるマヌエラこと山田妙子と結婚し、その後離婚。「ダイナ」「夢見る心」など多くのジャズを吹き込んだほか、「すみれ娘」(1935年)など多くの映画にも出演したようです。戦時中は南方戦線の暗号解読に駆り出されたといわれてます。

 あるサイトを見ていたら、彼は戦後も日劇のレビューなどで活躍しますが、「昭和24年に非業の死を遂げる」とだけ書かれていました。逆算すると、享年38か39ですから、事故か事件か何かだったのかもしれません。

 その話より、私は以前から、個人的に昭和初期に興味を持っていることは、このブログの熱心な読者の皆様も御存知だと思います。昭和初期と言えば、金融恐慌に始まり、軍部の台頭、大陸進出、テロ事件の横行と、何か、不穏で不自由な暗黒時代だとばかりを連想しておりましたが、いったん、芸能に目を向けてみると、案外庶民はしたたかで、「エロ」「グロ」「ナンセンス」が流行ったり、モボ、モガたちが銀座の並木道を闊歩したり、自由を謳歌していたんですね(ただし、戦況が悪化してからは、隣組で密告したり、「欲しがりません勝つまでは」で大変な時代だったでしょう)

 敵性言語だった英語が禁止され、野球も「セーフ」が「よし」に変えられたり、敵性音楽のジャズ演奏も禁止され、ディック・ミネも三根耕一と改名させられたり、大変な時代になりますが、それ以前の昭和初期は、かなりジャズが流行っていたことが分かります。

 リキー宮川も、軍部台頭もテロ横行も知っていたのか知らずにいたのか、大変失礼ながら、 かなり「能天気」な歌唱法です。聴いているだけでホノボノしてしまいます。「世帯を持つなら」という曲の歌詞も「箱根飽きたら熱海 熱海飽きたらまた箱根」などとどうでもいいことを照れずに歌っております。後世の人間から見ると、信じられませんね。案外、平和も戦争も紙一重だということかもしれません。

 それにしても、昭和初期は、明治に開国してまだ60年しか経っていないというのに、貪欲に西洋の文物を吸収して、ジャズ演奏もホンマモンと比較しても遜色ないほどの技術力があり、驚きです。日本人って努力家というか、器用なんですね。

 著作権の関係がよく分かりませんので、すぐ削除してしまうかもしれませんが、リキー宮川の顔が分かるように、その代表曲「世帯を持つなら」を下に引用しておきます。

リキー宮川

 リキー宮川を検索したりして遊んでいたら、偶然、新倉美子(しんくら・よしこ、1933~)というジャズ歌手を「発見」しました(笑)。

 勿論、私より一回り先輩の世代なら御存知でしょうが、私は全く知りませんでした。英語の発音はネイティブ並み。歌もうまいし、超美人。この人、どういう人なのかと思ったら、新国劇の辰巳柳太郎(1905~89)のお嬢さんだったんですね。新東宝映画「青春ジャズ娘」「娘ごころは恥づかしうれし」など30数本に出演していました。「 昭和26年にデビューし、昭和32年に結婚を機に引退」とありましたから、道理で私は知らないはずです。物心ついた頃は引退していたからです。

 当時は絶世の人気を誇ったというのに、忘れ去れてしまうんですね。儚いですね。(私だけが知らないのかもしれませんが)

 でも、ネットが発達したおかげで、今ではこうして、彼女の姿を見ることができ、そういう意味では良い時代にまで長生きできたと言えるかもしれません(笑)。

 下は、東京キューバン・ボーイズとの「マイアミビーチ・ルンバ」を引用させて頂きます。映画の一場面のようです。当時は、日本でも「マンボ」や「ルンバ」が大流行していたんですね。

新倉美子

 今の最新流行歌を聴いても、まったくつまらないのに、ルンバやマンボなどこういう昔の曲を聴くと、ウキウキしてきて、血湧き、肉が踊ってしまいます(笑)。(こちらも、「引用」ですが、著作権の関係で削除される可能性があります)

「旅の中の旅-加藤力之輔展」=東京・銀座

 京都にお住まいの京洛先生の御親友でもある加藤力之輔画伯の個展が、東京・銀座の風月堂ビル3階の「一枚の絵 olive eye gallery」で開催中ということで、覗いてきました。(Part IV:3月18日~23日、 Part V:3月25日~30日)

 京洛先生の「鶴の一声」で陸続と「関係者」も押し寄せているようで、私がお邪魔した時には、著名な経済ジャーナリストの阿部和義氏がちょうどお見えになっておりました。

 加藤画伯は、何回か、このブログでも登場させて頂いておりますが、昨年、個人的にスペインに旅行した際、マドリード在住の加藤画伯の奥方さまから、ピカソの「ゲルニカ」見学に連れて行ってもらったり、御自宅で御手製ランチ(イカスミライス)をご馳走になったり、大変お世話になってしまったのでした。

 加藤画伯は、プラド美術館で、4年間もティツィアーノの作品を模写研究された芸術家ではありますが、大変気さくな方で、大変、話好きです。多分、初対面の方でも、何の気兼ねすることなく画廊を訪れて、鑑賞したり、気に入ったら購入したりできますので、足を運ばれたらいいでしょう。


鎌倉の画廊でも展示されていた特大の人物画像も、今回出品されていて、加藤画伯にはその前に立って、写真を撮らさせて頂きました。

 「今日は取材で参りました。写真はブログに載せても大丈夫ですか?」とお伺いしたところ、「いいですよ」と快諾して頂きましたので、こうして皆様のお目にも留まることと相成りました。