「運び屋」は★★★

 クリント・イーストウッド(1930年5月31日、米サンフランシスコ生まれ)88歳。彼が製作・監督・主演した話題作「運び屋」を観にいって来ました。イーストウッドは芸暦60年以上。私も、子どもの頃、テレビの「ローハイド」から見てますからね。「ダーティーハリー」(シリーズ)も、渋谷駅前の東急文化会館にかつてあった映画館で観にいったら、ロケに使われた銃弾だらけのバスが広告で展示されていたのを覚えてますが、若い人は知らないでしょうねえ…。

 その後、監督業でも脚光浴びて、「ミリオン・ダラー・ベイビー」「グラン・トリノ」「硫黄島からの手紙」「ハドソン川の奇跡」と次々と話題作を発表し、「まず外れがない」ので、イーストウッド監督作品となると必ず観にいくことにしてました。

 で、この作品は?

 なかなか、よく出来た練り上げた作品ではありますが、予告編を観て、かなり期待し過ぎてしまった関係で、正直、その期待を上回らなかったですね。途中で、「長いなあ」と感じてしまい、あと20分ぐらいカットできる、と生意気ながら思ってしまいました。

 ストーリーは単純で、実際にあった90歳の老人がひょんなことからメキシコの麻薬組織のコカインを運ぶ危険な仕事を請け負う話です。その背景に彼の家庭事情やら、組織内の揉め事、麻薬捜査官の活躍などがありますが、「細部」は観てのお楽しみということで(笑)。

 原題の「The mule」は、本来ならラバとか、それに派生して頑固者という意味なのですが、ちゃんと、俗語として「麻薬の運び屋」がありました。最近の洋画はほとんど、原題をカタカナ表記するというマヌケな行動が多いのですけど、「ザ・ミュール」では訳が分かりませんからね。何か、宇宙船の話かと思ってしまいます。だから、「運び屋」とはうまいタイトルを付けたものです。

 とにかく、88歳になっても映画に対する情熱を失わないイーストウッドに脱帽するしかありません。

 

ジュリー・ロンドンはお好き?

 最近のお気に入りの音楽番組は、毎週土曜日の午前9時からゴンチチがDJを務めているNHK-FMラジオの「世界の快適音楽セレクション」です。

 クラシック、フォーク、ジャズ、演歌、ワールドミュージックなど驚くほど幅広いジャンルの音楽を選曲してくれて、「音楽通」を自称する私も聴いたことがない曲ばかりですが、ゆったりとした気分にさせてくれます。

 これだけ幅広い音楽知識を持った選曲者は誰なのかなあ、と思ったら、藤川パパQ、湯浅学、渡辺亨の著名な音楽評論家3氏だそうです。

 先日(2日)、この番組を途中から聴いていたら、とても魅力的な女性ヴォーカルで、心がとても穏やかになりました。朝に聴くというより、夜、仕事から疲れて帰って来て、自宅でくつろいだ時に、癒されるような音楽でした。

ジュリー・ロンドン

 曲が終わって、タイトルは、ジュリー・ロンドンの「メランコリー・マーチ」という曲だと紹介されました。ジュリー・ロンドンは名前だけは聞いたことがありますが、彼女の歌はあまり聴いたことがありません。でも、レコード店で、彼女のジャケットを見て、容姿は知っていました。とても、肉感的なセクシーさを売り物にしている感じでした。

 若い頃は、ハードロックやメタルロックをジャンジャン聴いていましたが、年を取るとだんだんうるさくなって、ついて行けなくなってきました(苦笑)。今は、ボサノヴァが一番好きですし、ゆったりとした音楽の方が心が静まります。

 最初、「メランコリー・マーチ」というタイトルを耳だけで聞いて、「憂鬱な行進曲」とは変なタイトルだなあ、と思っていたら、「哀愁の3月」という意味だったんですね。番組では3月にちなんだ曲を特集していたわけです。

 ジュリー・ロンドン(1926~2000)も英国人かと思ったら、芸名で本名はゲイル・ペック。米カリフォルニア州出身で、もともとは女優さんだったようです。(1944年「ジャングルの妖女」でデビュー)道理でスタイルが良く、美貌に恵まれていたわけです。一度は芸能界を引退しますが、55年にアルバム「彼女の名はジュリー」を発表してジャズ歌手と女優業を再スタートして、この中の「クライ・ミー・ア・リバー」がヒットして一躍人気者になったようです。

 いずれも、私が生まれる前の出来事でしたので、知りませんでした(笑)。でも、「クライ・ミー・ア・リバー」はさすがに聴いたことがありました。彼女はセクシー路線で売り出したせいか、ジャケット写真が凄い。まるで、「プレイボーイ」誌のピンナップガールのようです。あの格好は、恐らく、当時の流行の最先端だったのでしょう。1926年生まれといえば、あのマリリン・モンローと同い年だったのですから。

 昨日の昼休みは、久しぶりに、銀座の「山野楽器」に行って、このジュリー・ロンドンの「メランコリー・マーチ」の入ったCDを買おうと思いましたが、なかなか見つからず、結局、諦めて帰って来てしまいました。

 あとで、ウチに帰って、ネットで調べてみたら、「カレンダー・ガール」というアルバムに収録されていることが分かりました。1月から、どういうわけけか、13月までをテーマにした13曲が収録されていました。

 これを読んだ諸先輩の皆々様は「何を今さら、ジュリー・ロンドンなんて言ってるんだ!」と訝しがることでしょうが、私の親の世代が全盛期だったので、私自身はよく知らなかったのです。今聴いても、とても新鮮で癒される気分になるので取り上げさせて頂きました。

 若い頃は、ジャズは、爺むさくて、敬遠していたのですが、年を重ねるとだんだん身に染みて好きになってきました。特にヴォーカルがいいですね。以前は、チェット・ベイカーのアルバム「シング」をよく聴いていましたが、これから、女性ヴォーカル代表として、ジュリー・ロンドンを聴いてみることにします。(でも、女性ヴォーカリストは、やはり、エラ・フィッツジェラルドが最高かな?)

 

 

映画「グリーンブック」は★★★★

 アカデミー賞には弱いです。特に「作品賞」となると、できれば見逃したくありません。

 でも、最近の作品賞は、観てがっかりするものが多く、多少、信頼できなくなってきました。私もかつて、本場米国ではなく、日本アカデミー賞の審査員をやっていたことがあるので、何となく、内実が想像できるからです。

 では、今年の受賞作「グリーンブック」はどうでしょうか。アカデミー賞を獲る前の時点で、予告編を観て、面白そうなのでこれから観る候補作としてリストアップしていました。でも、作品賞を獲るとは全く予想していませんでした。私は、映画1本観るのに、新聞や雑誌の映画評に目を通して、念入りに検討するのですが(笑)、この作品に限って、評価は両極端でした。「人種差別の現実を描かれていない」ということでかなり低い評価をする評論家もいれば、「社会派の神髄を体現している」と高評価する評論家もいたのです。

 前置きが長過ぎましたが、私の評価はすこぶる良かった、です。涙腺が弱いので、何度も感涙してしまいました。あらすじは単純と言えば、単純です。1962年の、まだ黒人差別が公然と激しかった時代。黒人ということで、泊まる所も、トイレもバスの乗車も公共のベンチも差別された時代です。NYのナイトクラブ「コパカバーナ」で用心棒を務めるイタリア系の白人トニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)が、天才黒人ピアニスト、ドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手として雇われ、2カ月間、特に黒人差別の激しい深南部の州でのコンサート・ツアーに同行し、さまざまな差別と偏見に出遭うロード・ムービーです。


 実話に基づいた話ということですが、二人はまるっきり対照的です。運転手のトニーは、がさつで乱暴で、差別主義者ながら、大家族に恵まれ、良き父、良き夫として一家の柱になっています。ピアニストの「ドクター」シャーリーは、高等教育を受けて心理学などの博士号まで取得したインテリで礼儀正しく、才能に恵まれながら、離婚して家族に恵まれず孤独である、といった感じです。

 当初、二人は反目しながら、最後は、深い友情の絆で結ばれることになりますが、途中での虐待に近い黒人に対する差別は度を超しており、「人種差別の現実を描かれていない」という主張は的外れに感じました。想像力が足りないのではないでしょうか。

 私自身は、音楽映画としても大いに楽しみました。1962年ですから、ビートルズが英国でデビューした年ですが、まだ、米国に上陸していないので、当時のヒット曲は、リトル・リチャードやチャビー・チェッカーら黒人のロンクンロールです。これらの音楽を、クラシック育ちの天才ピアニスト、シャーリーが「知らない」といったところが、面白かったですね。

 この映画がきっかけで、私自身がその存在すら知らなかったシャーリーの古い演奏動画を見てみましたが、やはり、凄いプレイヤーで、本物の演奏を聴いたらもっと感動すると思いました。

 実話に基づくとはいえ、映画ですから、脚色した部分は多かったかもしれません。「ケンタッキー・フライド・チキン」やウイスキーの「カティーサーク」といった商品が実名で、しかも、映画の中でかなりキーポイントとして登場するので、「潜在的宣伝広告」として契約されたものに違いありません。

映画「ギルティ」は★★★

 こんな映画、初めて観た、ってな感じです。

 全く言葉が分からなくて、見当もつかないと思ったら、デンマーク映画でした。キャッチフレーズは「犯人は、音の中に、潜んでいる」。そして「事件解決のカギは電話の声だけ。88分、試されるのはあなたの<想像力>」てな具合です。監督はスウェーデン出身のグスタフ・モーラー。2018年、サンダンス国際映画祭観客賞を獲ったようです。

 誘拐事件を解決するサスペンス映画なので、内容はお伝えできませんが、舞台はたった一つ。コペンハーゲンにある警察の緊急通報指令室です。セリフがある主要登場人物は、中年のハンサムなおじさんたった一人だけ。勿論、他にも数人登場しますが、セリフは一言か二言だけなのです。主人公アスガー(ヤコブ・セーダーグレン=この人もスウェーデン出身、デンマーク育ち)は、ある事件をきっかけに第一線の現場から離れ、しがないオペレーターに従事している警察官という設定ですが、やたらと彼のアップの素顔がスクリーンいっぱいに広がります。

 そんな全く単純な場面だけなのに、キャッチフレーズに書かれている通り、88分間もグイグイ観客を引き込みます。まるで、演劇の舞台のように、何が現場で実際に起きたのかは、観客の想像力に任せています。

 こういうのって、ボディーブロー映画というんでしょうか。あとで、効いてくるんですよね。終わっても「何で、アスガーは単独行動をして、内部でチームワークをとらないのか?」とか、「結局、事件の真相は何だったのか?」などと色んな疑問が湧きましたが、誰かが教えてくれるものでもありません。

 答えは、観客の想像力にあるのかもしれません。

 勝手に吟味しますか(笑)。

ジョン・レノンの靴が有名なテニス・シューズだったとは!

 皆様、御案内の通り、小生はビートルズ・フリーク、特にジョン・レノンのファンなのですが、先日の読売新聞夕刊に出ていたジョン・レノンの靴の話は、知らなかったので、とても興奮して読んでしまいました。

 ビートルズ最後の録音アルバム「アビイ・ロード」は、世界で最も有名なジャケットの一つです。英ロンドンのアビイ・ロード・EMIスタジオの前の横断歩道をビートルズの4人が歩いているカットです。あたしも若い頃、わざわざ現場に行って横断歩道を歩きました(笑)。先頭のジョンは、純白の上下スーツに白いスニーカー(運動靴)。2番目のリンゴは、黒いスーツに黒い革靴。3番目のポールは、濃紺の上下スーツに裸足。4番目のジョージは、上下紺のデニムにクリーム色の靴というイデタチです。

 「アビイ・ロード」は、日本では1969年10月21日に発売されました。確か2500円。父親に買ってもらいました。あれから50年ですか…。もう半世紀も大昔になるとは!レコードですから、針で擦り切れるほど、ソニーのインテグラという当時発売されたばかりのコンポーネント・ステレオで何度も何度も飽きずに聴いたものです。

当時、「ポール死亡説」が流れ、このアルバムのジャケットでポールが裸足で、後ろに写っている車(VWビートル)のナンバーに「26IF」とあったことから、「もしポールが生きていたら26歳だった」とこじつけられたり、先頭のジョンは牧師、リンゴは会葬者、ジョージは墓堀人の象徴と言われたりしました。

今回は、その話ではなく、ジョンの白いスニーカーの話でした。この運動靴、ただの運動靴ではなく、フランス・パリで1936年に創業されたスプリング・コートというブランドの「G2クラシック・キャンバス」というテニス・シューズだったのです。宣伝文句によると、「シンプルなデザインで、バネのように跳ねる履き心地と機能」を持つそうな。

 テニスの四大トーナメントの一つ、全仏オープン(1891年スタート)はクレイコート(赤土)ですから、そのコートに合うように開発された靴でした。

 もちろん、ジョンはその履き心地の良さと機能性を知って買ったことでしょう。何となく嬉しくなってしまいました。

 インナーに特殊クッションがあり、靴底はラバー(ゴム)。1965年に発売されたビートルズの6枚目のアルバム「ラバー・ソウル」(「ミッシェル」「ガール」など収録)は、「ゴムのようなソウル・ミュージック」rubber soulと、「ゴム底靴」rubber soleを掛けたタイトルでしたから、ジョンはもうその頃からこの靴を愛用していたかもしれない、というのは考え過ぎなんでしょうね(笑)。

 1969年1月30日のいわゆる「ルーフ・バルコニー・セッション」(映画「レット・イット・ビー」で公開)でも、ジョンは白っぽいスニーカーを履いておりますが、これもスプリング・コートだったのかどうかは不明です。

ちなみに、日本では2015年からカメイ・プロアクトが総代理店契約を結んでいるそうで、価格は1万800円ぐらいで販売されているようです。いや、別に宣伝するために書いたわけではなく、この会社をよく知っていたので驚いてしまったからです。私の親族が一昨年、この会社に入社しましたが、理由があって、1年も経たないうちに辞めてしまったのです。銀座にも直営店舗があるので見に行ったりしました。どんな会社なのか調べたりもしました。

 何か、色んな繋がりがあったので、ついつい興奮して書いてしまいました。

「奇想の系譜展」と「国風盆栽展」を見て来ました

 昨日の建国記念日の祝日は、ほんの少し小雪がちらつく寒い中、東京・上野の東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」(日経・NHK主催)を観に行ってきました。(当日券1600円、前売り券1400円)

 目玉は、空前のブームが続いている伊藤若冲ですから、寒い戸外に延々と行列が出来て待たされるんじゃないかと覚悟して行ったのですが、寒さのお蔭で人が少なく、逆に並ばずにスッと入ることができました。ただ、絵画の前は三重ぐらいの人だかりでしたけど、私は背が高いので十分に見られました。

 美術史家の辻惟雄氏が1970年に出版した「奇想の系譜」で紹介した岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の6人のほか、白隠慧鶴と鈴木其一を加えた8人の画家の展覧会でした。恐らく、1970年の時点で、琳派の鈴木其一を除いて、全員の画家を知っていた人は、専門家以外はほとんどいなかったのではないでしょうか。

 私も、空前のブームに則って、伊藤若冲は結構、拝見したのですが、今回展示されていた作品は、お初にお目にかかるものが多かったでした。(初公開もあり)若冲といえば、雄鶏ですが、「旭日鳳凰図」なんかも見事と言いようがないほど素晴らしかったですね。

 白隠、芦雪、蕭白らはかつての展覧会で結構見たことがあったのですが、岩佐又兵衛(1578~1650)は、私の記憶では、生まれて初めてかもしれません。又兵衛は、織田信長に謀反を起こして滅ぼされた有名な戦国武将荒木村重の子息だったとは知りませんでしたね。どんな絵具を使っていたのか、詳細は知りませんが、とても350年も昔に描かれたとは思えないほど色鮮やかで、描写も非常にリアルです。「山中常盤物語絵巻」(重文=MOA美術館蔵)では、かなり残酷な場面も淡々と描かれています。特に気に入ったのは六曲一双の「豊国祭礼図屏風」(重文=徳川美術館蔵)で、武士から僧侶、町人、農民に至るまで何百人も登場し、一人一人の表情も豊かで、その細かさには圧倒されました。

 著作権の関係で、この屏風絵の画像のリンクも貼れないので、ご興味を持たれた方は、展覧会に足を運ぶか、画像検索して見てみてください。腰を抜かしますよ(笑)。

 さて、これで帰るつもりだったのですが、前夜、京洛先生から電話があり、「もし、東京都美術館に行かれるのでしたら、そこでやっている盆栽展も観に行かなければいけませんよ。画竜点睛を欠くといいますからね」との極秘情報が齎されました(笑)。

 盆栽なら、以前、さいたま市大宮の盆栽博物館にも行って、さんざん見てきたことでしたので、敢えて見たいとは思わなかったのですが、京洛先生は「今回は、一般庶民が滅多に見られない盆栽が展示されていますから、この機会を逃してはいけませんよ」と例のニヤニヤ笑いを浮かべて仄めかすのです。(電話で顔は見えませんが、テレパシーで見えました)そこで、「奇想の系譜展」の隣りの会場で開催されていた「第93回国風盆栽展」にも1000円の入場料を支払って、覗いてきましたよ。

 世の中、熱心な盆栽ファンがいるもので、結構、人で混んでいました。

 大宮の盆栽は、黒松や五葉松など、松が多かったのですが、この展覧会は、今が旬の梅や桜までありました。全国から「入選」を懸けて150点以上が出品されていました。

 「奇想の系譜展」では、ほとんど日本人か、あとは中国、台湾、韓国人ぐらいでしたが、「盆栽展」の方は欧米人が多いので驚きました。特に、スペイン語を多く聞きました。

 さて、京洛先生が仰っていた「庶民が滅多に見られない盆栽」とは何かと思ったら、宮内庁所有の盆栽でした。樹齢180年の黒松だとか。天皇・皇后両陛下が毎日のように御覧になっている盆栽でした。平成最後ということで、特別出品でした。 

平成最後の年に宮内庁から出品

 国風展は、戦前の 昭和9年(1934)3月に東京府美術館(現在の東京都美術館)で、第1回盆栽展が開かれたということで、今年で93回目。結構歴史がある展覧会だったのですね。

 今では日本人より、海外の人の方がよく知るようになり、こうして、はるばると「奇想の系譜展」は見向きもせずに、ただ只管、盆栽を目指してやって来ることが分かりました。背がスラリとした北欧系と見られる亜麻色の髪の乙女が父親と見られる人と一緒に来場していて、熱心に盆栽を見ているのを見て、ちょっと感動してしまいました。

 狭い通路ですれ違ったので、彼女に一礼したら、ニコッと挨拶を返してくれたので、年甲斐もなくドキッとしてしまいました(笑)。せめて、「何処のお国からいらしたのですか」ぐらい聞いておけばよかったと思いました。

「私は、マリア・カラス」は★★★★

 映画「私は、マリア・カラス」(トム・ヴォルフ監督)を観てきました。彼女が出演した過去の公演フィルムや本人のテレビ・インタビューなどを繋げて編集したドキュメンタリー映画でしたが、見終わって、哀しい気持ちになりました。

 マリア・カラス(1923~77)は、説明するまでもなくオペラ歌手で、「世紀のディーバ」「20世紀最高のソプラノ歌手」などと称賛される一方、「気位が高い」「気分屋ですぐ公演をキャンセルする」などの悪評もあり、毀誉褒貶の多い人だった気がします。

 私の親の世代なので、彼女の現役時代は、ちょうど私が子どもの頃から大学生の頃だったので、海運王オナシスとのスキャンダルなども極東に住む異国の子どもの耳に入っておりました。でも、まだ53歳の若さでパリで急死したことは、私は大学生だったのに、フォローしていなくて、あまり覚えていないんですよね。

莫大な富と揺るぎのない名声を獲得しても、あっけないものです。いずれにせよ、若い頃はオペラ鑑賞など高くて観に行けるわけがなく、レコードも高くて手に届きませんでした。つまり、マリア・カラスの名声だけは聞こえてきても、私にとっては雲の上のそのまた上の存在で、たまに、NHK-FMラジオで、彼女のアリアを聴くぐらいでした。

 でも、この映画を観て、初めて彼女の苦悩が分かりました。ドタキャンも、心因性にせよ、身体性にしろ、体調不良でまともに声が出なくなったことが原因だったらしく、事情を知らない音楽記者や評論家らの非難や激しいバッシングに彼女はどんなに心に傷を負って、耐えてきただろうかと同情してしまいました。

 人間ですから当然かもしれませんが、若い頃から中年、壮年になるにつれて、まるで別人のように彼女の人相がどんどん変わっていくのには驚かされました。晩年になり、高音域がだんだん出にくくなって、発声練習に時間を掛けなくてはならなくなった焦りみたいなものまで顔に表れていました。

 彼女は確かに天才でしたが、この映画を観ると、芸術家というものは何と不幸なんだろう、と思ってしまいました。こうして、彼女の暗い面ばかり見てしまいましたが、「トスカ」の「歌に生き、恋に生き」にせよ、「ジャンニ・スキッキ」の「私のお父さん」にせよ、映像を見ただけでも彼女の最盛期の歌声はまさに比類なきもので、その巧さは空前絶後という感じがしました。それだけが唯一の救いといえば、救いでした。

文楽初春公演と初戎

明けましておめでとう御座います。大阪の難波先生です。昨日は「10日えび(戎)」でした。関東よりも関西、京阪神の方が賑やかですね。もしかして、関西以外の日本人は知らないかもしれません。

ところで、不肖は新年1月7日(月)に国立文楽劇場に初春公演を見てきましたが、今年は文楽の人形芝居もさることながら、「10日戎」の前触れを味わうこともできました。

 10日付の、関西の各紙夕刊は全国の恵比寿神社の総本社で、西宮市内にある「西宮神社」での、参拝の一番乗りを競う「福男」の神事を写真入りで大きく報じています。

 早朝6時の開門と同時に、全力疾走して一番乗りを競う神事で、今年の「一番福」は広島県福山市から来た22歳の消防士だったそうです。5000人が参加したということですが、昔から商いが盛んな京阪神は、七福神で商売繁盛の「恵比寿さん」信仰が盛んです。皆さん、福笹を買いに神社に出かけますね。

 ちなみに、七福神の中で、恵比寿さんだけが日本の神さまで、残りの六福神は、インドか中国の神さまです。

Copyright par Namva-sensei

 上の写真は「国立文楽劇場」のロビーに飾られた今宮神社の宝恵籠行列に参加する蓮台とその案内です。この蓮台に人形遣いの豊松清十郎と文楽人形が乗って、この行列に参加するわけで、その前触れの宣伝です。賑やかに宝恵籠行列が繰り広げられたと思います。

また、恵比寿さんと言えば「鯛」ですが、やはりロビーに近所の「黒門市場」から贈られた大きな、立派な睨み鯛がデーンとおかれていました。凄いでしょう(笑)。


Copyright par Namva-sensei

「初戎」は各神社とも1月8日から始まり12日まで5日間、賑やかに開かれます。

何処も「宝恵籠行列」やいろいろな行事が繰り広げられます。

ちなみに、関西では「三大恵比寿神社」とは、兵庫県の西宮神社、大阪の今宮神社、京都の恵比寿神社のことを指します。

大阪の今宮神社は、船乗り込みや、ミナミの繁華街を歌舞伎役者、落語家、芸能人が加わった宝恵籠行列が繰り出したりします。

京都の恵比寿神社は祇園にあるので、舞妓さんの福笹授与などがあり、其々その土地柄が滲み出ます。

以上 本年も宜しく御願い申し上げます。

10年ぶりに旧友と再会できました

 今年のお正月の初詣は、自宅近くと実家近くなど3社もお参りしてきました。そのうち、自宅近くで引いたおみくじは「小吉」。吉だから良かったと思って、読んでみたら、「過信禁物」だの、「慎重に行動せよ」だの、「謙虚になれ」だのと、まるで「凶」に近いようなお達しを受けてしまいました(苦笑)。

 さて、1月5日の土曜日のことでしたが、都内某所で、実に10年ぶりに旧友の上森君と再会することができました。

 何でそれまで会わなかったのかについては、すべて向こうの都合でした。こちらが一生懸命に会う機会をつくっても、当日の朝になって急に、電話が掛かってきたり、メールが来たりして、色々な理由でドタキャンになってしまうのでした。その理由とは、自分自身の体調不良やインフルエンザ、親戚の病気見舞い、家族の急病、その他諸々です。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

 10年間会わなかったということは、その驚異のドタキャンが5回や10回どころか、50回ぐらいはあったということです(笑)。これだけドタキャンが続けば、普通なら呆れて諦めますね。「何か、自分は悪いことでもしたのだろうか」などと猜疑心も起こります。でも、私は辛抱強く連絡を取り続けました。が、とうとう限界が来ました。昨年になってもうすっかり冷めてしまったのです。「もういいや。やめにしよう。いくら約束してもドタキャンされる。彼とはもうこのまま一生会うことはないだろう」と心の中で決めました。他の友人たちの中には、彼のことを「引き籠り」だの「対人恐怖症になった」と言う者もおりました。

 一番気の置けない友人なのに、しかも、仕事でもなく、ただ遊びで会うだけなのに、理由がさっぱり分かりませんでした。彼に余程の事情があるのだったら、もう無理強いする必要はないのではないか、と諦めたのでした。

バルセロナ市街

 それが、昨年末から急に潮目が変わってきました。ようやく、彼の口からプライベートな悩みについてほんの少しずつだけ打ち明けてくれるようになったのです。その中でも最大の肝になっている家族が抱えている借金問題の核心についてまで告白してくれたのです。

そのことについて話したせいか、彼は、今度、彼の自宅近くの居酒屋兼レストランで会ってもいいという話になったのです。勿論、もう50回もドタキャンされ続けてきたので、どうせ今回も直前になって連絡してきてドタキャンするのだろう、と覚悟していました。

 そしたら、珍しく、当日朝になっても電話もメールもないのです。彼の自宅近くまで、電車とバスを乗り継ぎましたが、車内でも半信半疑でした。

このブログの1月3日にも「今年は個人的にも色々ありそうで、旧友との交際が復活しそうだ」といったようなことを書きましたが、長らく音信不通だった根岸君と連絡が取れるようになったことに続いて、やっと上森君とも再会することができたのです。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

10年ぶりに再会した彼はすっかり、顔の筋肉が弛み、色白で、やつれてしまっておりました。自身が病気を抱えているせいもありますが、ほとんど運動どころか歩いたりもしていないので、脚力は衰え、お婆さんのように、小さな簡易乳母車のようなものを曳いてやって来ました。

居酒屋兼レストランで、ビールやワインを飲みながら3時間ぐらい話をしたでしょうか。上森君は、自身の病気と親の介護、そして莫大な借金という三重苦を抱えて地獄の苦しみだという話を告白してくれました。特に、莫大な借金については、親御さんが認知症になる寸前に契約してしまった甘い投資話で、養護施設に投資すれば、社会貢献にもなり、1年で最低10%の還元もでき、一石二鳥だという神奈川県藤沢市の詐欺師に騙されたというのです。

冷静に考えれば、今時、マイナスの低金利時代、10%のリターンなど、ほとんどありえる話ではなく、本当に冷静に考えれば、そんな詐欺話に引っかかることはないのですが、親御さんは認知症気味で判断力も落ち、口八丁手八丁の男に騙されてしまったというのです。当然ながら、民事裁判にもなったらしいのですが、結局、昨年、彼の親御さんの方が敗北してしまったようでした。

バルセロナ市街

まあ、こういうイザコザを抱えていたので、彼も水臭いですが、友人と会う気がしなかったのかもしれません。こちらも、カルロス・ゴーンではないので、彼の親御さんの借金の肩代わりをすることを出来るわけでもなく、黙って話を聞いてあげるしかありませんでした。

上森君とは高校時代のバンド仲間で、一緒にビートルズの曲などを演奏したり、酒を飲んだりして楽しんでいた仲でした。そのビートルズですが、彼らがロンドン・アップル本社の屋上で、バンドとして最期のライブ演奏した「ゲットバック・セッション」(この模様は、翌1970年公開の映画「レット・イット・ビー」で披露されました)が行われたのが、1969年1月30日のことでした。ということは、あれから、ちょうど50年、半世紀もの歳月が流れたわけですね。

えーーー、本当かあ???です。半世紀なんてあっという間だったんですね。同時代を生きてきて、その時間の流れの速さに圧倒されるとともに、全く信じられない気持ちです。「10年ひと昔」と言い、上森君とも10年ぶりに再会しましたが、この10年も一瞬前の出来事のように速かった気がします。

 私自身もこの10年の間、大病したりして色んな事がありましたが、時の流れの速さには今さらながら、驚愕せざるを得ませんでした。

「ボヘミアン・ラプソディ」は★★★★★

 久し振りに映画を観てきました。伝説のバンド、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」(ブライアン・シンガー監督作品)です。

当初は全く観るつもりはなかったのですが、あまりにも話題が先行したため、つい、観ざるを得なくなってしまったのです。それに、やっと昨日、仕事納めで解放され、気晴らしに映画でも観ようかと思ったら、ほとんどお子ちゃま向けで、他に観るのがなかったからでした(苦笑)。

 なぜ、クイーンの映画を最初観るつもりはなかったのかと言いますと、その理由の第一が、クイーンは、1970年代、私が学生の頃に全盛期だったため、新譜が出る度にLPレコード(CDさえなかった)を買い集めて熱中したからでした。1974年頃に、ラジオで「キラー・クイーン」を初めて聴いて、「何て、洗練された面白い曲なんだ」と感動してすっかりファンになってしまいました。この曲は、彼らの3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」に入ってましたから、それ以降の新譜を発売の度に買っていたのですが、その前の彼らの2枚目のアルバム「クイーンⅡ」は、大学の同級生の熱烈なファンの女の子から借りたことを思い出しました。(その後、CDを買い揃えましたが)

 さすがに、バンドでコピーするのはとてもレベルが高すぎて、あのフレディ・マーキュリーの美声は誰にも真似できるものではなかったでしたね。

だから、ドキュメンタリーならともかく、どんなそっくりさんが演じようが、作り物の映画は観る気がしなかったのです。フレディがバイセクシュアルで、最期にエイズで45歳の若さで亡くなってしまう「物語」は、同時代人として共有してきましたし、当時の私は、クイーンに関しては音楽誌や評伝なども読んでましたから、自分の知らない物珍しい話などないと思ったからでした。それは、ブライアン・メイのギターは手作りのカスタムメイドだといった類の話ですが、随分傲岸不遜でしたね(苦笑)。

富士山 Copyright par Duc de Matsuoqua

 しかし、観た途端、すっかり40数年前の昔の若い頃に戻ってしまい、鳥肌が立って、年甲斐もなく感涙してしまいました。映画では、フレディ・マーキュリーを中心に回ってましたが、フレディ役のエジプト系米国人俳優ラミ・マレックがなかなか健闘し、魂が入ってましたね。もう、そっくりさんとは言わせないとばかりの迫真の演技で、フレディ本人にさえ見えてきてしまいました。

スペイン・バルセロナ・サグラダファミリア教会

大変失礼致しました。クイーンを全く知らない若い世代が競って観ているというのは、やはり、時代を超えた共通の何かがあり、映画作品としても完成度が高かったということなんでしょうね。

でも、最後まで見てて、辛くなってしまいましたね。フレディは、若い頃から容姿で「パキスタン野郎」と差別され、何と孤独で不幸だったんだ、と単純に思ってしまいました。それが、スーパースターになってしまった代償だとすれば、あまりにも厳しくて切ない話です。

家に帰って、手元にあったクイーンのアルバムを久しぶりに聴きまくりました。最近は、落ち着いたベートーベンの弦楽四重奏曲ばかり聴いていたので、ロックはもう重くて聴けなくなっていたのですが、映画を観たせいで、激しいリズムとビートが心の奥深くに染み渡ってしまいました。