来年1月から東博で開催される「顔真卿展」は見ものです

スペイン・コルドバ

 こんにちは、奈良の西大寺先生です。今発売中の「芸術新潮」誌12月号を読まれましたか?

来年2019年に開催される美術展を同誌が推薦しています。このうち、新年、第一の見ものは、1月16日から上野の東京国立博物館で開催される「顔真卿展」だ、としています。

台湾の「国立故宮博物」に出かけても見られない、という秘宝が、東博に「出開帳」されるわけですね(笑)。

東博の展覧会の案内は、以下の通りになっております。

「中国の歴史上、東晋時代(317–420)と唐時代(618–907)は書法が最高潮に到達しました。書聖・王羲之(おうぎし303–361)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させました。そして顔真卿(がんしんけい、709–785)は三大家の伝統を継承しながら、顔法と称される特異な筆法を創出します。王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、後世にきわめて大きな影響を与えました。


本展は、書の普遍的な美しさを法則化した唐時代に焦点をあて、顔真卿の人物や書の本質に迫ります。また、後世や日本に与えた影響にも目を向け、唐時代の書の果たした役割を検証します。」(以上、東博のホームページより)

どうですか。新年、必見の展覧会ですね。貴人も覗かれるとよいでしょう。

また、「芸術新潮」12月号には、2017年10月から今年10月の一年間の展覧会の入場者の多かった「美術展」も載せています。

一位は、貴人も行かれた京都国立博物館で開催された「国宝」展で62万4493人だそうです。これに次いで60万人を超えた美術展は、森美術館での「アンドロ・エルリッヒ」展の61万4411人。続いて東京国立博物館の「運慶展」の60万439人です。詳しくは、同誌をご覧になるとよいでしょう。

「藝術新潮」は毎号、目を通さないと駄目だめですよ。

スペイン・コルドバ

えっ?何? 私が新潮社の回し者ですって?

いやいや、最近、極左老人向けの「新潮65」が廃刊したばかりですから、少しぐらい新潮社を応援してあげたっていいじゃないですか。

許してたもれ。

奈良国博の「正倉院展」と興福寺は大賑わい

お久しぶりです、大和先生です。

先月10月27日から始まった奈良国立博物館の第70回「正倉院展」は、例年通り大変な賑わいです。

会期は今月12日までですが、おそらく今週末は、紅葉見物も重なりえらい混雑をすると思い、今日(7日)午後、会場を覗いてきましたが、10分程度並んでスイスイ入場できました。

それでもやはり館内はえらい混雑でしたね。

いつもながら、館内の写真撮影は出来ませんので、肝心の展示物は、NHKテレビの美術番組や「読売新聞」(特別協力)紙上でご覧になるとよいでしょう。いつもながら、陳列品で人気のあるのは色艶やかな宝物です。色のついた宝物の前は人だかりで、案内人が「後の方もご覧になるので、スムースに前に進んでください!」といくら言っても、じっと動かず、どうにもなりませんね。

逆に、地味な、文書類の展示品の前は人だかりは少なく、空いていて割とゆっくり見られました。大衆は「色物」に弱いことがよく分かります(笑)。

いくつか、注目されている宝物の中で、緑色に白い斑点、黄色の十字の文様の陶製の「磁鼓(じこ)」の前は、やはり人だかりが多かったですね。奈良時代に奈良で作られた「奈良三彩」と呼ばれる「鼓(つつみ)」です。当時、両側に革を張って使っていたと言われていますが、どんな音なのか聞きたくなりました。

また、朝鮮半島の民族楽器「新羅琴(しらぎこと)」も出ていました。こちらは、伽耶の国で作られた琴ですが、弦は12本、これまた、当時の貴族で、歌舞音曲の腕達者が優雅に奏でていたのだと思います。

平成最後の「正倉院展」ですが、今年は南倉(東大寺の儀式関係品)、中倉(役所の書類、武器など)、北倉(聖武天皇、光明皇后皇后の遺品)の三倉から、宝物56件が出展されています。

同じ奈良公園のそばの「興福寺」は10月7日から11日まで「中金堂落慶法要」が終わったところですが、こちらも特別公開されていて、平日ながら、拝観者で賑わっています。

藤原不比等が710年(和銅3年)に建立、その後7回も焼失、再建を繰り返してきましたが、江戸時代の文政2年(1819年)からは仮堂でしのいできて、今年10月、301年ぶりに再建されたわけです。

以上 大和先生でした。

映画「華氏119」は★★

一昨日11月3日(祝日)に鎌倉に行ったら、川崎駅の工事で東海道線の東京~横浜間が不通でしたが、今度は4日(日)に自宅近くの映画館に自転車で行ったら、私に何ら断りもなく(笑)、国際的なロードレース開催とやらで、道が塞がれ、迂回せざるを得なくなり、普段なら20分ぐらいのところが40分も掛かり、危うく上演時間に遅れるところでした。

マイケル・ムーア監督作品「華氏119」をどうしても見たかったのです。事前にただで見た新聞社の論説委員や編集委員さんらが書く文章を読んでも評判が良く、何しろ、11月6日の米中間選挙の投票前に影響を与えようという野心がいっぱいの映画らしかったのです。でも、観終わって、いや、途中から、何か、気持ちが荒むような、いやあな印象を受けてしまいました。

気になった一つは、ムーア監督が描く、そして最後まで強調するヒラリー候補の民主党=リベラル、自由主義、善で、トランプ大統領の共和党=保守、銃規制反対、大企業優先による多額の寄付、悪、という単純な図式です。

そんなに、共和党のトランプ氏がとんでもない独裁者の悪党で(ヒトラーになぞらえて、そういう描き方をしてましたが)、ムーア監督が応援する民主党が善でバラ色の社会を築いてくれる政党だというのでしょうか。

確かに、トランプ氏にはスキャンダルが多く、自分の実の娘同伴でテレビに出演して性的な話題をしたりして、不快を超えた嘔吐感しか残らないような唾棄すべき人物かもしれませんが、民主党のヒラリー候補だって、講演会で65万ドルもの超大金を提示されたりする特権階級で、貧困層の痛みも悩みも分からないのです。

民主党大統領候補として「社会主義者」のサンダース氏が、投票数ではヒラリー候補を上回ったというのに、最終的にはどういうわけか、民主党はヒラリー氏を候補に選ぶような不可解な政党でした。

第一、民主党というのは、リベラルでも善でも、平和主義者でも何でもなく、日本人としては、市民を無差別大虐殺したカーティス・ルメイ将軍による東京など日本の各都市大空襲にゴーサインをしたのは民主党のルーズベルト大統領であり、何と言っても、広島と長崎への原爆投下を最終承認したのも民主党のトルーマン大統領だったことをよく覚えているのです。

このドキュメンタリー映画で、かなりの時間を割いて「報道」しているのは、ムーア監督の出身地元であるミシガン州フリントで起きた水質汚染問題でした。

ここで、2010年にミシガン州知事に当選した、トランプ氏とは古くからの友人であるスナイダー氏を槍玉に挙げています。ムーア監督の描き方によると、スナイダー知事は、自己の金儲けのために、民営の水道水を開設したところ、その水に鉛が含まれており、多くの子どもや住民に被害が及んだというのです。被害者の多くは、黒人が多くすむ貧困層の住宅街です。日本の水俣病かイタイイタイ病みたいなものです。それなのに、スナイダー知事は大企業のGMに対しては、汚染されていない綺麗な水を配給したりするのです。

大問題となり、当時の民主党のオバマ大統領が「慰問」にフリントまでやって来ますが、水道水の安全宣言をするために、コップの水を飲むふりをして、ただ口を付けただけのパフォーマンスをしただけだったので、逆に地元民の反感と失望をかってしまいます。

途中で観ていて嫌になってしまったのは、このようなレベルの米国の政治システムが、世界中に、特に日本にも多大な影響を与えながら、投票権のない部外者は、黙って見ているしかないという歯がゆさだったかもしれません。

加藤画伯と鎌倉でスペイン談義

3日(土)は文化の日。前夜、東銀座の大伽藍での懇親会に参加しました。

全部で22人も参加し、本当に久し振り、10年ぶりぐらいの方とも再会したため、しこたま呑んでしまい、翌日は大誤算の二日酔い。もう1週間は、酒の顔を見たくないほどです(笑)。

何を話したのか、細かいことはすっかり忘れましたが(笑)、スマホのアプリの「スマートニュース」は必携だとか、テレビの番組を見逃したら、「TVer」(民放公式テレビポータル)とかいうアプリがいい、といった話を聞いたと思います。

湘南海岸

大手新聞記者から大学教授に華麗なる転身を遂げたK氏は、髪の毛がすっかり白くなり、「もうアルツハイマーになっても、若年性と言われなくなってしまった」と、嬉しそうに話してました。

それだけ長生きできた、というわけで、マスコミ業界人は、ストレスと激務のため早死にする人が多く、おめでたい話なわけです。

二次会にも参加したら、全く前後不覚と相成り、どうやって帰ったか、覚えてません。

江ノ電

以上が11月2日(金)夜の話で、翌3日は、二日酔いながら、鎌倉に行って来ました。

運悪く、その日は、川崎駅の拡張工事とかで東海道線の東京〜横浜間が一日中不通だというのです。どうしたもんか、小田急線で行こうか迷っていたら、湘南ライナーなるものがあり、それで藤沢まで行き、そこから江ノ電で、鎌倉高校前に行きました。

加藤力之輔展

目指すは画廊ジタン。加藤力之輔画伯の個展を訪問するのが目的でした。加藤画伯の御令室朝子様には、9月のスペイン旅行の際、マドリードで、ピカソの「ゲルニカ」に連れて行ってもらうなど、大変お世話になってしまったのです。

画廊ジタンは、入り組んだ所にあり、結局、分からなくて電話して、近くまで、画廊の女性オーナーに迎えに来てもらいました。

何か、非常に変わった洋館で、昭和初期に建てられたような古い感じ。鈴木清順監督の映画「チゴイネルワイゼン」に出てきそうな、ロケをしても大丈夫なような立派な建物でした。

スペイン・コルドバ メスキータ

すぐお暇する予定でしたが、加藤画伯とはスペイン談義に花が咲いてしまいました。

スペイン・バスク地方は、今では、三ツ星レストランの宝庫としてサンセバスチャンが世界中で有名になりましたが、かつてはフランス王室の避暑地で、フランコ将軍の別荘もあったこと、1960〜70年代に一世を風靡したマカロニ・ウエスタン(ジュリアーノ・ジェンマらが主演)の荒野はスペインで撮影されていたことなど薀蓄あるお話を伺いました。

パリ・ジャポニスム2018で、伊藤若冲展、明治展、風呂敷アート…

《渓流斎日乗》がフランスに特別派遣している農林水産IT通信員から、今、パリで開催中の「ジャポニスム Japonismes2018」の写真とリポートを送ってくださいました。
 「そんなもん、やってたの?」という日本人が多いでしょうが(笑)、今、日本文化はパリっ子の度肝を抜いておりますぜよ。
◇◇◇
 こちらパリです。
  日仏修好通商条約調印160周年を記念した「Japonismes2018」は、確かに盛り上がっています。
 私も日本人なので、寿司講師なんてものに借り出されました。
 あちこちで行われる様々なイベントを全て見ることができませんが、せっかくの機会ですから見逃すわけにはいきません。
 「伊藤若冲展」は、何と3時間もの行列に耐え、「動植綵絵30幅」を間近で見ることができました。
 鶏のリアルな赤い鶏冠が迫力でした。
 今年は明治150年。ギメ東洋美術館の創設者であるエミール・ギメの没後100周年を記念して、明治時代をテーマとした「明治展」は、講演会を聴きに行きましたが、ここでも大変な行列がありました。
また、公式企画として、パレ・デ・コングレ・デ・パリ大劇場で、「美少女戦士セーラームーン」のパフォーマンスショーもあります(11月3、4日)
   先日、パリ市庁舎の前を通ったら、風呂敷プロジェクトなるものの準備中でした。

 そうです。ちょうど今、11月1日から6日まで、パリ市庁舎前で開催している【特別企画】パリ東京文化タンデム2018 FUROSHIKI PARISの準備だったのです。

 これは、「東京からパリへの贈り物」と題して、建築家田根剛氏によって、風呂敷包みをイメージしたパビリオンをパリ市庁舎前に設置したものです。

パビリオンの内部では、前衛芸術家の草間彌生さんや映画監督の北野武さんら日仏のアーティスト、デザイナーらの協力による「風呂敷のアート」作品が展示されているほか、風呂敷の様々な使い方を映したビデオなどが公開されています。

また、風呂敷は「世界初のエコバッグ」とされており、パリ日本文化会館で、11月2日、10日、17日、24日に風呂敷を使ったワークショップが開かれます。

◇◇◇

有難う御座いました。

知らぬは日本人なりけり、ですかね?

過去最大規模のルーベンス展には圧倒されっぱなしでした

昨日は、京洛先生からの飛脚便で、小生が「ムンク展」に行ったのでは?ーと推測されておりましたが、残念!  同じ東京・上野公園内でも、国立西洋美術館で開催中の「ルーベンス展」を覗いてきました。日曜日なので、覚悟してましたが、若い女性が押し寄せず、割と空いてました。

いがったですねえ。感動で打ち震えました。もう3カ月も前に前売り券1400円を購入して準備万端だったのです(笑)。

ルーベンスは、私は小さい子供の頃から知ってました。何故かと言いますと、自宅のダイニングキッチンの壁にルーベンスによる天使と果物などが描かれた絵画(題名は忘却)があり、毎日眺めながら、そのきめ細かい絵筆と写実性に圧倒されていたからでした。勿論、それは本物であるわけがなく、しかも、複製画でも何でもなく、どこかの銀行かどこかでもらってきたカレンダーでしたけど…(笑)。

そして、もう25年以上も昔ですが、在日ベルギー政府観光局の招待でベルギーに取材旅行に行った際、アントワープの聖母大聖堂で見たルーベンスの「キリストの降架」(1614年)は、いまだに印象に強く残っております。「フランダースの犬」の物語でネロとパトラッシュが最期に見上げるあの作品です。大いに感動したものでしたが、「フランダースの犬」は地元ではあまり知られていないと聞いた時は、驚いたものでした。英国作家が書いたものだから、とか、フランドルのことをあまり好意的に描いていないというのが理由らしいですが、日本人の多くは、子どもの頃に読んだ「フランダースの犬」を通して、ルーベンスの名前を知ったのではないでしょうか。

◇ピーター・ポール・ルーベンスはペテロ・パウロ・ルーベンス

さて、ペーテル・パウロ・ルーベンス(1577~1640)は(Peter Paul Rubensですから、英語読みすると、ピーター・ポール・ルーベンスになりますね)、62年の生涯で何千点もの作品を生み出しましたが、もちろん、一人で描き切ったわけではなく、主にアントワープの工房で、ヨルダーンスら弟子らとともに製作しました。ルーベンスが実際に描いたのは主要人物の顔だけ、なんという作品もありました。17世紀のフランドルはスペイン統治下で(オランダは1581年に独立、ベルギーは1830年になってやっと独立)、詳しくはよく知りませんが、ドイツ生まれのルーベンス自身は語学堪能、博学で、画家だけでなく、外交官としても活躍しました。

題材は聖書や神話や伝説などが多いですが、その大きさもさることながら、あまりにも写実的で本当に圧倒されます。ローマ皇帝ネロによって自害を命じられた「セネカの死」は、血管の一本一本が透けて見えるほどでした。

今展は、スペイン・マドリードのプラド美術館やロシアのエルミタージュ美術館など世界10カ国から約40点が集められたもので、日本では「過去最大規模のルーベンス展」と銘打っております。その宣伝文句は、文字通りで、看板に偽りはありませんでした。

※なお、上記写真は、写真撮影が解禁されている「常設展」(いわゆる、松方コレクション。現在も海外から西洋画を買い進めていたのには驚きでした)の様子です。

ルーベンス展は、撮影禁止でしたので、パンフレットの写真を下に掲載しておきます。

実物を見たくなることでしょう(笑)。

若い女性が群がる「京のかたな」展=刀剣が大ブーム

お久しぶりです。京都の京洛先生です。

最近の《渓流斎日乗》のアクセスは如何ですか?
お堅い話ばかり続いておりましたから、読者の皆さんがついていけないのか、高踏過ぎたのか分かりませんが、減ったことでしょう。まあ、めげずに頑張ってください。
 さて、美術の季節の到来ですが、今日の日曜日は、貴人は、東京・上野公園で「ムンク」展でも鑑賞ですかね? 「共鳴する魂の叫び」などと「魂」のない紙面づくりをしている朝日新聞社がえらい力を入れていますね。前日に起きたことを載せるのが日刊新聞のはずですが、2,3日遅れても、平気で、紙面に載せることが目立つのが、最近の「朝日新聞」です。
 これでは、「新聞」でなく、「朝日旧聞」ですよ(笑)。
 「朝日は左翼だ!」なんて、皮相的に紙面批判している連中は、こういうことに気が付かないのでしょうかね。
 朝日新聞は完全に紙面づくりに手を抜いているのです。貴人が「経済面」を評価する読売新聞のような、ある種の「真面目さ」と「ひたむきさ」が感じられませんね。要するに、読者をなめているのです。
 迂生は昨日、国立京都博物館の「京のかたな」展(11月25日まで)を覗いてきました。昨日から始まった第70回「正倉院展」(奈良国立博物館、11月12日まで)も、読売新聞社が「特別協力」ですが、この「京のかたな」展も、読売新聞がNHKと共催です。
 かって、「ミロのビーナス」展や「ツタンカーメン」展を主催した朝日新聞社の文化事業のパワーは、この分野でも、完全に消え失せています。「適当にやっていても給料はもらえる」と社内がだらけ切っているのでしょうね。これでは、部数が400万部切ったと言われてますが、ますます減ることでしょう。社長以外は、危機感ゼロではないでしょうか。
◇若い女性がいっぱい
 ところで、迂生は、週末はなるだけ美術展は混雑するので避けていますが、昨日の土曜日(11月27日)は、新装した「南座」の記念行事で、歌舞伎役者総勢70人が、南座前から八坂神社までの四条通りを「お練り」をするので、観光客などはそちらに目が行き、京博には来ないと考え、同時刻に出かけましたが、まったく想定が外れました(笑)。
 京博も入場するのに10分も待たされ、しかも、館内は最前列で名刀を見る人が、長い列を作っている有様です。
 しかも、最近、若い女性の「刀剣マニア」が激増しているそうで、昨日の同展も7割は若い女性で吃驚仰天しました(笑)。
 京博の案内人によると「平日も女性で混んでいて、週末だけではありません」ということでした。どうやら、今、若い女性の間で、刀剣が大ブームになっているらしいのです。
 「京のかたな」展では、鎌倉時代の国宝の則国、久國、吉光の名刀や重文の刀がずらりと並び、いずれも、手入れが行き届いているので燦然と輝いているのは圧倒されます。
 それを若い女性がガラス越しに食い入るように眺め、「凄いわね!」「きれい!何とも言えない、妖しい!」と言葉を交わしていました(笑)。
◇長刀鉾をじっくり拝見
 迂生は、同展の目玉の一つ、「祇園祭」の山鉾巡行では、常に、先頭にいく「長刀鉾」に飾られていて、今は非公開になっている全長1.47メートルの、長刀を見ることが楽しみでしたが、こちらは、手入れはされているとはいっても、光り輝いてはおらず、見る人も少なく、じっくり拝見できました。
 この長刀はは室町時代後半の大永2年(1522年)に京都の鍛冶師、長吉が作ったと伝えられています。
 ところが、1536年の「天文(てんぶん)法華の乱」(延暦寺の天台宗僧徒と日蓮宗宗徒の争い)で、何者かに強奪され行方不明になりました。しかし、行方不明になった翌年、近江のお寺で見つかり、買い取られて、再び、祇園祭を執行する「八坂神社」に奉納された経緯があります。
 恐らく、その間にいろいろな逸話、ドラマがあったと思いますが、刀剣に限らず、貴重な美術品には権力、経済力を持った人間に絡む逸話があり、それを追うだけでも面白いと思いますね。
 以上、おしまい。

箱根の岡田美術館の収蔵品には驚き

スペイン、アルハンブラ宮殿

箱根にある岡田美術館で、来年3月まで「開館5周年記念展 美のスターたち 光琳、若冲、北斎、汝窯など名品勢ぞろい」が開催されております。

重要文化財を含み約450点が公開されているようですが、その出展作品は半端じゃありません。

美術好きの私ではありますが、岡田美術館は、一度も行ったことがありませんし、全く知りませんでした。熱海にあるMOA美術館が世界救世教の教祖の岡田茂吉(1882~1955年)が創立者なので、てっきり、その「姉妹館」かと思いました。

そしたら、まるっきり違うんですね。岡田美術館の創立者は岡田和生氏(76)で、ユニバーサルエンターテインメントの創業者。何の会社かと思いましたら、パチンコ機などの製造販売メーカーで、ラスベガスや香港など海外でカジノまで経営しているようです。旧社名「アルゼ」なら聞いたことがあります。

今は便利な世の中で、このユニバーサル社についても、岡田氏についても、ネット上で簡単に検索できます。まさに毀誉褒貶で、何処まで正しい正確な情報なのかは神のみぞ知るといった感じでしょうか。下世話な言い方で恐縮ですが、バクチって随分儲かるものなんですね、ただし「胴元」なら(笑)。

とにかく、コレクションの質の高さには驚きです。1948年以降、64年間所在が不明だった喜多川歌麿の肉筆大作「深川の雪」、83年間所在不明だった伊藤若冲の「孔雀鳳凰図」、重要文化財の尾形乾山「色絵竜田川文透彫反鉢」、それに、尾形光琳、葛飾北斎、横山大観、速水御舟ら名品ぞろい。これら全て、個人の収集品なんですからね。思わず、「凄い財力」「半端じゃない資産」と叫びたくなってしまうほどです。

別に「成金趣味」などと批判するつもりは毛頭ありません。むしろ、貴重な日本の美術品が海外に流出されなくてよかったわけで、これは岡田氏の功績です。

ただ、入場料の一般2800円は、ちょっと高過ぎるんじゃないかなあ(笑)。

「アンダー・ザ・シルバーレイク」は★★

久しぶりに劇場に足を運んで映画を見てきました。最近、ほんの少し嫌なことがありまして、現実逃避したかったからです(笑)。

それにしても、最近は、一食抜いてでも、是が非でも観てみたいという映画がない!ない、と断定すれば、製作者にあまりにも失礼なので、少ない!と言っておきます。

第一、ただで観ている映画評論家はグルですからね。つまらない映画でも「最高!」だの「面白い!」だのといった陳腐な言葉を並べて、見事、宣伝マンの役割を果たします。あまり、貶せば次に仕事が来なくなるからでしょう。

でも私は騙されました。「今年ベストの声続々」「カンヌも騒然となった”新感覚サスペンス”」の宣伝文句に惹かれて「アンダー・ザ・シルバーレイク」(デヴィット・ロバート・ミッチェル監督最新作)を観てきましたが、支離滅裂。最初に、とっても懐かしアソシエイションズの「ネバー・マイ・ラブ」(1967年)が掛かって、大いに期待されたのですが、はっきり言いますが、駄作でした。

まさに、ロサンゼルス郊外のハリウッドが舞台のハリウッド映画。天下のハリウッド映画も随分劣化したものです。

ミッチェル監督は、何を表現したかったのか。ヒッチコックや無声映画女優ジャネット・ゲイナーらの墓が出てきたり、マリリン・モンローの主演映画「女房は生きていた」を模したシーンが出てきたり、往年の黄金時代のハリウッド映画に対するオマージュが随所に盛り込まれ、それは分かりますがね。ホラーサスペンスと称しても、日本人の感覚からすれば、ちょっと頂けない残虐な暴力や殺人場面が多過ぎです。それに、暗号解読と言っても、子ども騙しのパズルのようなダサいからくりなので呆れてしまいました。

登場する若い男も女も、気ままに本能のまんま生きている感じで、退廃的。ハリウッド・セレブたちのパーティー場面が多く出てきて、「現代風俗を活写した」とでも言いたいのでしょうが、まさに、エログロナンセンスのオンパレードでした。

主人公のサムは、映画か音楽業界での成功を夢見て田舎から出てきた青年で、家賃が払えないという設定ながら、高級車を持っているというのも変。マザコンの母親がしょっちゅう電話を掛けてくるので、家賃代を借りればいいのに、払えず追い出される寸前と話が進んでいきます。住んでいるアパートもプール付きですからね。

暗号解読の末、新興宗教のカルト集団のアジトに行き着きますが、その教祖らしい男が「生きているだけで、心配事が多過ぎる」と言いながら、3人の若い女と一緒に集団自殺するのも、作り物の映画と知りつつ、何か、最後まで歯がゆくなるほど、イライラしてしまいました。

これは、あくまでも個人の感想ですが、この映画を観た後、小津安二郎監督の「東京物語」をまた観たくなってしまいました。もう何十回も観てますが、あんな「時代風俗」を活写した名作はないからです。原節子は、戦死した次男の妻紀子役でした。尾道から出てきた年老いた両親を親身になって世話をするのは、実の息子や娘ではなくて、この血の繋がっていない戦争未亡人でした。

戦死した次男は出てきません。この映画は1953年公開ですが、まだまだ、戦争の傷跡が残っている時代で、どこの家庭でも、親戚や親、兄弟の中で、一人か二人は戦死しているという共通の体験がありました。だから、説明しなくても、笠智衆と東山千栄子が演じた年老いた両親の気持ちが分かったのでしょう。

「アンダー・ザ・シルバーレイク」は確かに現代という風俗を活写してましたが、駄作に終わったのは、時代そのものが劣化したせいのような気もしてきました。

「青年の樹」のモデルの藤木氏

これでも私は昔、映画に出演したことがあります。長身痩躯で美男子でしたからねえ(笑)。

でも、出演と言っても端役、いや、これも言い過ぎで、台詞もない単なるエキストラを学生時代にアルバイトで何本かやっただけでした。

その中に「青年の樹」という作品がありました。1977年公開の東宝映画(西村潔監督)で、主演は、三浦友和と檀ふみ。後から知ったのですが、原作は石原慎太郎の同名の小説(1959~60年、「週刊明星」連載)で、既に60年に石原裕次郎と北原三枝のコンビで日活で映画化されており、これが二度目でした。

横浜の港を舞台にした作品で、ヤクザ和久組の跡取りとして生まれた主人公が東京の大学に入学し、「苦闘の末、二代目となる青春怒号篇」ということですが、もう40年以上も昔なので、内容はすっかり忘れてしまっております(笑)。学生役でしたから、衣装も私服で、そのまんまでした。

撮影現場は、立教大学だったかなあという程度の記憶ですが、主役の三浦友和さんが学食で食事する場面で、彼が箸を口元に持って行くと「カット」。食べようとすると「カット」。それをアップで撮ったり、少し離れて撮ったり、右から撮ったり、左から撮ったり、そのたんびに、「カット」の連続。「えっ?これで演技できるの?」という感じでした。

溝口健二監督らが映画のことをよく「シャシン」と言ってましたが、本当に映像ではなく、写真を撮っている感じでした。そう言えば、昔は映画のことを活動写真と言ってましたからね。「あー、こうして映画が撮影されているのかあ」と思うのと同時に、「俳優って、あまり面白くないなあ」と生意気に思ってしまい、それ以来、俳優志望をやめてしまいました(笑)。

檀ふみさんは、憧れの女優で、私も大ファンの檀一雄先生のお嬢様ですからね。サインをもらいたかったのですが、彼女は勉強家でいつもロケバスの中で本ばかり読んでいて近づけない雰囲気でした。

気張った私は、単なる主役の背景になる学生なので、目立ってはいけないのに、カメラを見てしまったりして、「おい!そこの! エキストラなんだから、目立っちゃ駄目なんだよ。何やってんだよ!」と助監督に大声で怒られたことを覚えています。それで、エキストラも嫌になって、アルバイトもやめた気がします。

さて、この石原慎太郎著「青年の樹」にはモデルがいました。横浜港運協会会長で、藤木企業会長・横浜エフエム社長の藤木幸夫氏です。少し、毀誉褒貶のある方で、陰では全国的に有名な「横浜のドン」と呼ばれ、地元政財界を仕切っているという噂の持ち主です。これもまた、噂の領域を出ませんが、菅官房長官のパトロンとも言われ、横浜市がカジノを誘致した場合、一番の顔役になる人とも言われています。

その彼の半自叙伝「ミナトのせがれ」(神奈川新聞社、2004年8月18日初版)を読むように、と名古屋にお住まいの篠田先生が貸してくれました。その本の帯に石原慎太郎氏が「私はかつて、若き日の著者をモデルに『青年の樹』を書いたことがある…」と推薦文を書いていたので、自分も上述したことを思い出したわけです。

藤木氏は、早稲田大学政経学部卒のインテリながら、父親の藤木幸太郎が一代で築き上げた港湾荷役業会社を継いだ二代目です。腕力だけが頼りのかつての荷役業者には「酒と女とバクチ」にはまるヤクザな荒くれ者が多かったのです。それを父親は、自分の腕力と交渉力と良き先輩に恵まれ、カタギだけを育てたことで、全国船内荷役協会の会長まで昇り詰めます。同協会副会長が神戸の田岡一雄甲陽運輸社長だったことから、「田岡のおじさん」とは公私にわたる家族ぐるみの付き合いで、そこから世間の誤解も招いたります。

藤木氏は、中国に何度も何度も渡り、大連港の荷役業務を整備して中国政府から表彰されたり、横浜オランダの名誉領事に選ばれたりする逸話は読み応えがありました。