蒔絵、書、作陶にも才能を発揮した目利き職人=東博特別展「本阿弥光悦の大宇宙」

 先週の土曜日、東京・上野の国立科学博物館で開催中の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(2100円)に行って参りました。通好みの展覧会なので、土曜日だというのに割りと空いておりました。

 私が本阿弥光悦のことを初めて知ったのは今から30年以上昔、美術記者をしていた頃でした。連載企画として「琳派」を取り上げることにしたのです。琳派と言えば、いずれも国宝に指定されている「風神雷神図屏風」の俵屋宗達と「燕子花(かきつばた)図」の尾形光琳は、あまりにも有名ですが、それ以外(尾形乾山、酒井抱一を除き)はあまり知られていません。自分の勉強も兼ねて、どなたか連載を書いてくださる専門家はいないものか、探したところ、大阪出身の先輩の持田さんから「奈良の大和文華館に琳派の専門家いるから、そこがええんちゃう?」と仰るのです。電話で交渉し、学芸員の中部義隆さんという方を紹介されました。彼は、たまたま東京に出張があるというので、仕事の合間をぬって直接お会いすることにしたのです。

 お会いすると、縁なし眼鏡をかけ、ガリガリに痩せていて、髪の毛もボサボサ。私より4歳若い新進気鋭の学芸員でしたが、大変失礼ながら、風采も上がらず、「この人で大丈夫かな」と心配したものでした。彼には、12回の連載記事であること、行数は13字×100行、写真の手配もお願いします。原稿料は1回分○○円といった具合で交渉が成立しました。そして、最初の心配は杞憂に終わり、結果的に、読者の評判も良く、この人を選んで良かったでした。

 この連載の第1回に取り上げられていたのが、本阿弥光悦で、写真は彼の代表作で国宝に指定されている「舟橋蒔絵硯箱」でした。私はこの時、本阿弥光悦のことをよく知らなかったのですが、「本阿弥光悦こそが琳派の祖である」という出だしだったので、大変驚いたことを鮮明に覚えています。ですから、大和文華館の中部義隆さんのお名前も、その後、忘れることはありませんでした。

 その中部さん、今頃、何をなさっているのか、検索してみたら、吃驚しました。2016年4月5日に56歳の若さでお亡くなりになっていたのです。大和文華館には28年間勤務し、12年には学芸部長にまで昇り詰めておりました。

 正直な話、中部義隆さんと出会わなかったら、本阿弥光悦の存在を知らず、今回の展覧会に足を運ぶことはなかったと思います。不思議な御縁だったので、ショックを受けました。

 30年前は、本阿弥光悦(1558~1637年)についての詳細はそれほど分かっていませんでしたが、その後、新たに発掘された史料や書簡などで今ではかなり詳しく分かってきました。本阿弥家は、代々、刀剣の真贋を鑑定する「目利き」の職でした。それが、光悦に限って、本職以外に蒔絵や漆芸、書、作陶などに並外れた才能を発揮した「万能の天才」で、また、茶碗の楽家ら多くの職人同士を結びつけて合作させるような総合プロデューサーでもあったのです。(光悦は、茶の湯は、織田有楽斎と古田織部から伝授されたといいます。)

 彼が生きた時代は激動期です。織田信長が明智光秀の謀反で討たれた本能寺の変(1582年)が起きた時、25歳。豊臣秀吉が小田原征伐(1590年)で天下統一を果たした時は33歳。徳川家康が征夷大将軍に任じられた時(1603年)は46歳です。戦国時代の末期ですから、刀の鑑定は重職です。光悦は、この時、加賀の前田家の禄を食んだと言われていますが、大坂の陣が終わった1615年に、徳川家康から京都洛北の鷹峯(たかがみね)の地を拝領しています。

 話は少し脱線しますが、東博のミュージアムショップで玉蟲敏子ら著「もっと知りたい本阿弥光悦 生涯と作品」(東京美術)が販売されていたので、購入することにしました。この本によると、この鷹峯の地を下賜するに当たり、家康の命を受けて立ち会ったのが京都所司代の板倉勝重だったというのです。

 板倉勝重については、この渓流斎ブログで書いたことがあります。(2023年4月30日付「通好みの家康の家臣板倉重昌の江戸屋敷は現在、宝殊稲荷神社に」)勝重は家康の信頼が厚い三河武士で江戸町奉行などを歴任し、嫡男の重昌は、島原の乱の総大将になりましたが、戦死し、江戸屋敷があった木挽町(現東銀座のマガジンハウス社向かい)に今では宝殊稲荷神社が建ち、重昌がまつられているという話を書きました。

 さて、展覧会ですが、国宝「船橋蒔絵硯箱」と俵屋宗達下絵、光悦筆の13メートル以上に及ぶ重要文化財「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」、それに、光悦は熱心な日蓮法華宗の信徒だったことから「法華題目抄」(重文)などが見ものです。このほか、近代三大茶人の一人、益田鈍翁がかつて所持していたといわれる光悦作の「赤楽茶碗」もありました。鈍翁とは益田孝のことで、幕臣から維新後、今の三井物産や日本経済新聞をつくった人です。さすが、お目が高い。

 私は刀剣も茶碗も、全く目利きが効かず、贋作をつかまされるタイプでしょう。普通の人より、かなり多くの「本物」を見てきたつもりですが、真贋鑑定だけは諦めています(苦笑)。

 先程の「もっと知りたい本阿弥光悦 生涯と作品」によると、俵屋宗達は生没年不詳ですが、本阿弥光悦の義兄弟(宗達は、光悦の従兄で本阿弥家九代の光徳の姉妹と結婚)と言われ、尾形光琳・乾山兄弟は、光悦の甥宗柏の孫に当たります。また、光悦の曾孫光山から始まる家系(親善系)に生まれた本阿弥光恕(1767~1845)は、芍薬亭長根(しゃくやくてい・ながね)の名前で戯作者として活躍し、葛飾北斎(画)と組んだ「国字鵼(おんなもじぬえ)物語」などを出版しています。また、光恕は、酒井抱一、大田南畝らとも交際していました。

SNSの恐怖と嫌悪感=Facebookやめましたが…

 Facebookはやめたつもりでしたが、メッセンジャーに全く知らない若い女性から、急に「FBの知り合いかもにお名前があったので何か繋がりがあるかと思い、メッセージを送っています。人との交流からインスピレーションを受けて交流の幅を広げたいと思います。友達になれたらいいですね」とのメッセージが送られてきました。

 若くて綺麗な女性ではありますが、私はやはりぞっとしてしまいました。私のFacebookの顔写真が大昔の若い時の写真なので、先方さまは何か勘違いされていたかもしれません(苦笑)。でも、彼女だけではなく、他にも複数の若い美しい女性からメッセージがありました。中にはこれ見よがしに、ビキニ姿の姿態を披露されている方もいらっしゃいました。ここまで来ると、本当は毛むくじゃらの男なのに若い美しい女性を騙った「国際結婚詐欺」かもしれないと疑いたくたります。

 こうなれば、Facebookのアカウントを削除すればいいのですが、そうすると、メッセンジャーが全く使えなくなります。辛うじてメッセンジャーだけで繋がっている学生時代の友人もおりますので、結局、メッセンジャーだけは残せるFacebookの「アカウント停止」にしました。これだと、もう私のFacebookは(更新していませんが)誰も見ることが出来ないと思います。

 この話に関連しますが、先日見たNHKの海外ドキュメンタリー「SNSが作った“世論”#ジョニー・デップ裁判」(フランス、2023年)にはかなり衝撃を受けました。恐怖と嫌悪感でいっぱいになりましたよ。

 内容は、有名なハリウッド俳優ジョニー・デップと元妻で女優のアンバー・ハードとの離婚裁判をを巡る騒動です。最初はデップによる家庭内暴力(DV)が認められたものの、全面的にデップを擁護する男性優位主義者たちが被害者のハードを中傷する動画などを拡散し、世論はハードに対して批判的になっていく経緯を追ったものでした。ユーチューブやティックトックなどSNSによる印象操作が世論を変える恐ろしさを伝えていました。

 特に驚愕したのは、デップの辣腕弁護士が、デップとハードとの私的会話録音を、男性優位主義のユーチューバーに渡し、それをユーチューバーたちは使って、ねじ曲げた「編集」でハードが悪意を持ってデップを攻撃しているようにみえかねない録音に改竄して流していたことでした。また、ハードが法廷で証言した際、泣いたりすると、それを茶化して、ティックトックで物真似したりする輩が出現し、まさにハードさんの社会的信用を貶める誹謗中傷を行っていました。

 ユーチューブもティックトックも視聴回数か何かで「収益」が得られるシステムになっていますから、とにかくアクセスしてもらえれば、内容は嘘でも何でもいいのです。日本でもユーチューバーだったガーシーこと東谷義和被告が暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)などで裁判になったりしておりますが、欧米ですと、ガーシーとは比べものがならないくらい過激で虚偽に満ちています。そして唖然とするほどその量の多さです。

 SNSの閲覧数が収益につながるビジネスモデルとなっているのなら、その過激度は際限ないことでしょう。視聴者=世論も真実よりも陰謀論に飛びつく傾向があります。私は、改めて、SNSに恐怖と嫌悪を感じました。

そんなに有名になりたい?=無名という名の恍惚我にあり

 個人的な身辺雑記が続いております。

 私の旧い友人のA君は、幼少から習っていたピアノの腕前を発揮して自分で作曲もし、仲間と一緒に音楽会を毎月、都内で開催しています(クラッシックをベースにしたピアノ曲)。多い時は月に3~4回です。その度に、「参加してほしい」と連絡が来るのですが、こう見えても私は、週末は、老親介護やセミナー参加や展覧会や映画やマンション理事会やら色々とありまして、まず行けません。その度に、何度も何度もお断りするので、先方も「その気はないな」とそろそろ諦めてくれるかなと期待していました。それでも、彼はしつこく連絡してきます。

 こりゃあ、いつか、はっきり、断った方がいいかもしれないな。ーと思いつつ、その断りの文面がなかなか思い浮かびません。機微に触れる問題なので、相手を傷つけたくないし、最初から喧嘩別れするなら話が早いのですが、別に彼とは絶交したいわけではなく、たまに会って一緒に酒でも飲みたい相手でもあるからです。

Higashi-Kurume

 実は、私自身も中学生からギターを始め、高校生ぐらいから自分でデタラメな曲を作り始め、大学では軽音楽クラブに入って、学園祭で自作を演奏したりしていました。何を言いたいのかと言いますと、音楽に関する趣味や好みや拘りが普通の人より強いということです。何しろ、自分で曲を作ってしまうぐらいですからね。

 毎年のように、音楽の好みは変わっていきますが、ロックなら1960年代のビートルズから80年代のポリスまで。今のヒップホップは付いていけません。ジャズは、ビル・エヴァンスとウエス・モンゴメリーに始まり、マイルス、コルトレーン、ヴォーカルならエラ・フィッツジェラルドとシナトラはやはりピカイチ。

 クラシックならモーツァルト。そして、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの「3大B」の正統派。卒論でドビュッシー、他にシューベルト、ショパン、チャイコフスキー、ストラビンスキー、マーラーはかなり聴いた方。

 それ以外なら、ボサノヴァのA・C・ジョビンとシャンソンのゲンズブールはレノン=マッカートニーと並ぶ20世紀の偉大なコンポーザーだと思っていますし、バート・バカラックもフランシス・レイもニーノ・ロータも同時代人として生まれた幸せを感じています。

 自分の好きな音楽の100分の1も此処ではご紹介出来ませんでしたが、まあ、ざっと、好きな曲ばかり聴いて来ましたので、わざわざ時間と電車賃を掛けて、いくら「素晴らしい音楽です」と説得されても、彼の音楽は、以前に何度か生で聴いたことはありますが、自分の好みにピタリと合って万難を排してでも、といった最優先事項にならないのです。申し訳ないのですが。

 そこで、今回は、はっきりと断ることにしました。特に、彼は、私がマスコミ人であることを知っているので、「都庁の記者クラブで会見を開いて音楽会を取り上げてほしいので、手続きの仕方を教えて下さい」と聞きに来たからです。

 都庁の記者クラブは行政が中心ですから、コンサートはまず取り上げません。その辺りを含めて、彼には色々と説明し、嫌われるのを覚悟で最後にこんな文面を付け足しました。

 「貴兄はそんなに有名になりたいのですか?そんなに名声を得たいのですか? そこまでしたいのなら、プロになって大手音楽事務所と契約したら良いと思います。興行面で裏社会とつながっていることが多いですが、かなり売り込んでくれますよ」

 これに対して、彼は、

「目的は、より多くの人にじっくり聴いてもらって、心の財産にしてほしいと思っているだけですよ。ですから、音楽を聴いてもらえる新たな仕組みを作る必要性を感じてます。足下をしっかりさせないといけないので、宗教団体と同じかもしれません」云々の答えでした。

 まあ、あまり話がかみ合っていませんが(笑)、顧客開発は独自でやってくれそうで、私は大いに期待したい。

 それにしても、ヒトはそんなに有名になりたいものですかねえ? 私は長年、取材記者として有名人と会ってきましたが、彼らがうらやましいなんて一度も思ったことがありません。むしろ気の毒になるくらいです。プライバシーもないし、自由に街を歩けないし、公共トイレなんかにも入れないでしょう。

 そんな私でさえ、正直、自分のブログを読んでいただける読者数が増えてほしいとは思いますけど、有名になりたいとか、名声を勝ち取りたいとか思いませんね。分かって頂ける皆さまの心に伝われば、それで十分です。

 ですから、自分が無名であるということの恍惚を感じています。

最新映画より小津安二郎など旧い作品の方が観たくなりました

 2024年(令和6年)、新年明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い賜わります。

 扨て、「一年の計は元旦にあり」とよく言いますけど、あまり、しゃちこばらずに今年はどんな一年にしようか、考えてみました。

 一言でいいますと、アナクロニズム(時代錯誤)と批判されようが、もうあまり流行は追わずに、アナログ人間でもいいから、ゆったりとシンプルに過ごしていこうという心構えです。

 昨年末に観たヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」の影響かもしれません。役所広司演じる主人公の平山のように、あそこまで、カセットテープやネガフィルムカメラに戻る気持ちはないのですが、便利さや効率ばかりを追及するデジタル人間にならなくても、アナログ人間的生き方でも許してもらえるのではないか、と思うようになったのです。

 昨年は、スマートフォンのiPhoneⅩから5年ぶりに20万円以上もするiPhone15Proに買い換えました。4Gから5Gにもなったので、データ送受信速度も目を見張るほど速くなるものと期待したら、楽天モバイルのせいか、殆ど変わりません。アプリもそのまま移行したので、内容も変わらず、変わったのは少しだけバッテリーの持ちが良くなったぐらいです。たったそれだけですよ! スマホの進化は、終わったといいますか、頭打ちになったということなのでしょう。

 昨今、AI(人工知能)やロボットばかり注目されていますが、普段の生活にそれほど必要なのか、私は懐疑的です。本当の人間らしさとは何かを考えた時、そして、心の豊かさを求めようとした時、やはり、AIやデジタルより、アナログ的思考ではないかと思っています。

 私には、人生の全てをアルゴリズムで決められてたまるか!といった感情があります。

さいたま新都心

 昨年末の大晦日に、NHKの紅白歌合戦を何十年ぶりか見たところ、出演者のほとんど知りませんし、怒られますが、歌って踊っている若い歌手は、皆同じ顔に見えて区別がつきませんでした。名前だけは知っている乃木坂だったか、欅坂とかいう若い女性グループは、4~5人なのかと思ったら、40~50人もいるではありませんか。あれじゃ、宝塚です(もっとも、昨年事件を起こした宝塚ですから、出演出来なかったことでしょうが)。私と同世代の郷ひろみさんは、流石に高齢となり、高音の伸びがなくなり、ブレイクダンスまで挑戦しようとしましたが、やっと周囲に支えられてポーズを取るのがやっと、です。何か、痛々しいなあ、と思い、テレビを消してしまいました。性加害事件で旧ジャニーズ事務所所属のタレントが44年ぶりに不出場ということでしたが、似たような、と言っては顰蹙を買うかもしれませんが、他に若い男性グループが沢山出演していたので、「ジャニーズ不在」と言われても分かりませんでした。

 何か、「終わった人」の老人のつぶやきを聞かされているようで申し訳ないですねえ(笑)。

 最初にヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」の話をしましたが、最新の映画はFXやCGを使った暴力やアクションものが多くなり、年配者にはとても付いていけなくなりました。今は色々と便利になりましたから、私は、今年は最新封切映画より、旧い映画を観なおしたりすると思います。

 この年末年始は、ビデオ録画していた小津安二郎監督の「お早う」(1959年)と「秋刀魚の味」(1962年)を観ました。昨年は没後60年、生誕120年の節目の年で大いに注目された小津安二郎ですが、やはり、いいですね。ヴィム・ヴェンダース監督が影響受けただけあります。

 「お早う」は、東京郊外の新興住宅街を舞台に、テレビを買って、とねだる子どもたちとそれに振り回される家族の日常が描かれた何でもない内容なのですが、何とも滋味深いものがありました。佐田啓二と久我美子主演。公開された1959年は、テレビの普及率は24%、価格は7万円でした。当時のサラリーマンの月給は1万7000円程度でしたから、4カ月以上分と高価でした。騒動になるのは当たり前で、当時最新の話題を盛り込んだホームドラマだったわけです。東京郊外は何処なのかと思ったら、佐田啓二と久我美子が駅のプラットフォームで一緒になる場面があり、その駅は「八丁畷」でした。川崎市にある京浜急行の駅でした。

 「秋刀魚の味」はもう観るのは3回目ぐらいですが、細かい場面は忘れているので何度観てもいい(笑)小津監督の遺作です。笠智衆演じる初老のサラリーマン平山と、岩下志麻演じるその娘路子(みちこ)の縁談話を軸に展開されるこれまたホームドラマです。秋刀魚の味といいながら、秋刀魚が出て来ない不思議な映画で、つまりは秋刀魚の味は初老の平山の感慨のメタファーになっているという説もあるようです。岩下志麻は「極道の妻」のせいで、怖いイメージが強過ぎてしまいましたが、役柄とはいえ、若い時は純朴、おしとやかで、天下一の別嬪さんだったことが分かります。

 とにかく、小津監督が好んで使った女優さんは、他に杉村春子、三宅邦子、原節子、岡田茉莉子ら、大変失礼ながら、今の女優さんにはない品格と内面的美貌がありました。男優も笠智衆、佐田啓二を始め、中村伸郎、東野英治郎、山村聡、加東大介ら重厚で、一度見たら忘れられないアクの強そうな脇役も揃え、脳裏に焼き付いてしまいます。台詞がなくても、背中で演技が出来る名役者ばかりです。(小津組ではなかった高峰秀子や京マチ子、若尾文子らも、今の役者と比べて存在感が全く違います。)

 アナクロながら、最新映画よりも旧作映画の方にどうしても関心が向かってしまうのもそんな理由からでした。

 

🎬「Perfect Days」は★★★★★

 今年の仏カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(役所広司)を獲得した名匠ヴィム・ヴェンダース監督作品「Perfect Days」には1本やられました。

 (内容に触れますので、まだ御覧になっていない方は、この先、お読みにならない方が良いかもしれません。)

 何でもない、東京の公共トイレ掃除人の単調な日常を描いただけなのに、妙に泣けてしまいました。主役の役所広司が私と同い年のせいか、今やアナクロニズムとなったカセットテープやガラケーなど、世代的感覚がフィットしてしまったせいかもしれません。

 そこで、最初に悪口を書いておきたい(笑)。役所広司はこの映画で、主役だけでなく、エグゼクティブプロデューサーにまで名を連ねておりました。ですから、この映画は、ヴィム・ヴェンダース監督作品というより、役所広司による、役所広司のための、役所広司の作品と言っても過言ではないでしょう。最後に、役所広司のアップが延々と、5分ぐらい続きます。もうアイドルじゃあるまいし、老人のおっさんの顔を見て喜ぶ観客はそういないでしょう(失礼!)。1分でも長い。私なんか、心の中で「もう勘弁してくれ!」と叫んでしまいました。

 そして、何気ない日常とは言っても、映画ですから、まず、あり得ないことが起きます。役所広司演じる平山が住む汚いアパートに、十数年ぶりに可愛い姪が急に家出して来るとか、最後に、浅草の小料理屋のママ(石川さゆり)の元夫・友山役の三浦友和が、隅田川岸で、やけ酒の缶酎ハイを呑んでいた平山を見つけたりすることです。あまりにも偶然過ぎます。

 ま、そこが映画なんでしょう。

東銀座

 何よりも、こんな日本的な、日本人好みの作品がフランス人を始め、欧州人に受け入れられたことが驚きです。ヴィム・ヴェンダースはドイツ人ですから、幾ら小津安二郎に影響を受けたからと言っても、(主人公の平山は、小津安二郎の「東京物語」で笠智衆が演じた平山周吉から取ったと思われます。)、日本人の心因性をここまで理解しているとは思えません。脚本を共同執筆した日本人の高崎卓馬さんにかなりの面で負ったことでしょう。

 その台詞ですが、極端に少ないところがとても良いのです。映画が始まって、ずっと役所広司が出てきて、早朝から起き出す平山の日常が映し出されますが、最初の10分近くも映像だけで、台詞がないのです。あとで、「平山さんは無口ですからね」という平山の同僚の若いタカシ(柄本時生)の台詞で、平山が殆ど喋らない理由が初めて観客に分かります。

 キューバの古老ミュージシャンにスポットライトを浴びせた私も大好きな映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999年)を監督したヴィム・ヴェンダースですから、この映画でも音楽が実に効果的に使われています。役所広司演じる平山は、今はトイレ掃除人ですが、過去に何をしていたのかすら最後まで明かされません。独り住まいのアパートにはテレビもお風呂もなく、あるのは文庫の古本と古いカセットデッキぐらいです。仕事で使う車を運転している間、カセットテープで音楽を聴きますが、ブルーカラーらしい日本の演歌ではなく、何と洋楽なんですよね。アニマニルズの「朝日の当たる家」とか、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」など、私もよく聴いていた1960~70年代のポップスです。夜寝る前は必ず、文庫本を読む。これで、平山はもともとはインテリで、過去に何かあったのではないかと、観客に思わせます。

 物語はフィクションですが、映画ロケで使われた渋谷区の「東京トイレ」は本物です。しかも、安藤忠雄、隈研吾、伊藤豊雄、坂茂、槇文彦といった錚々たる建築家がデザインした「超高級公共トイレ」です。これは、過日、テレビ東京の「新・美の巨人たち」でも取り上げられていました。また、平山行きつけの浅草駅地下の居酒屋などは昭和のレトロが残る商店街の中にあります。あまりにも日本的な下町の場所が国際的に通用するなんて、笑いたくなりました。

 そして、この映画で、ヴィム・ヴェンダースは何を表現したかったのか、考えたくなります。いわば社会の底辺で、東京の片隅につましく住む昭和の生き残りのような老人と、カセットテープの存在さえ知らない平成生まれの若者。どちらが幸福で充実した人生を送っているのか? 雑草のような観葉植物を育て、早朝から仕事場の公共トイレに向かい、お昼はコンビニのサンドイッチを神社のベンチで食べ、そこで、フィルムカメラで木洩れ陽の写真を撮り、仕事が終われば銭湯に行って、その後、一杯引っ掛けて帰るという判で押したような規則正しい毎日を送るアナログ人間の平山の方が、将来に明るい展望が見いだせずに閉塞した状態で悩んで、スマホを片時も放せないデジタル人間の若者たちより、まだまし、というか幸せそうに見えてしまいます。

 何よりも、便利さや効率ばかり優先して、大切な心を忘れてきた日本人へのアンチテーゼのような作品にも見えます。米アカデミー賞を始め、名のある映画祭で賞を取った作品は、タダで観ている審査員のせいか、最近、本当につまらないものが多いのですが、この作品は名作です。年末になって、やっと良い映画が観られました。日本人の一人として、ドイツ人監督に感謝したいと思いました。

【追記】

 今年2023年に観た映画で、私が選んだナンバーワンは、9月に上映された「福田村事件」(森達也監督)です。関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺の史実を題材にした意欲作です。見逃した方は、DVDでもいいですから、是非ご覧になってください。

大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です

 昨日、この渓流斎ブログに音楽の話題を掲載しましたところ、皆様ご存じの宮さんからメールを頂きました。

 

渓流斎高田謹之祐様

 お久しぶりです。
 記事としては久しぶりの音楽ネタ、待ってました。
 バンド演奏中のミュージシャンとしてのお姿も拝見することができよかったです。
 カッコいい!
 どんな演奏なのかな? 動画が見たいです。または音源が聴けると良いですね。
(LINEだと何でも送れますね)

 さて私も、12月23日(土)、近くの介護施設のデイサービスセンターでバンド演奏してきました。
 公民館のウクレレサークルがあっという間に18年目を迎え、これが101回目の演奏会です。
 サークル名は「大谷(おおや)ウクレレサウンズ」です。
 創立当初からの会員はもう私を含めて4名しかいませんが、指導してくれる講師の先生が86歳で最高齢、会員数は12名で私が会員で最年長の83歳、女性も含めて80代が4名、平均年齢75歳のサークルです。
 演奏曲は
 ジングルベル
 小さな竹の橋
 浜千鳥
 高校三年生
 東京ブギウギ
 昴
 里の秋
 パ-フィデア
 オ-シャンゼリゼ
 どうにも止まらない
 いい日旅立ち
 聖夜

 夢一夜
 ある恋の物語
という内容で、ウクレレで色々なジャンルを弾いています。

朝の銀座

 渓流斎さんのハイレベルな大学バンド「エトランジェ」とは違い、はっきり言って下手バンドです。が、施設の方々も一緒に歌って楽しいひと時を過ごしていただいています。
 動画を送りたいのですが、データ量が私のメールの送信容量を超えてしまうので、動画からの静止画(ボケてます)と動画から音データのみを取り込んだ音源を添付します。暇な時にご笑聴下さい。
 悩んだ末! ブログに掲載自由です(笑)

◇◇◇◇◇

 ということで、思いもかけない「朗報」が届きました。この記事の最初と最後に掲載した「音声」(両方とも同じです)が、大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です。ヴォーカルも宮さんのようです。頑張ってますねえ。負けました!エトランジェよりうまい!これまで101回も演奏されてきただけあります。音楽は素晴らしいですね。

 皆さまもお楽しみください。

 

45年ぶりの演奏会でした=東京外語大音楽クラブGMC忘年会

 皆々様方にはちょっと内緒にしておきましたが、12月23日(土)、東京・中目黒のライブハウスで大学時代の音楽クラブGMCの忘年会がありまして、そこで、学生時代以来45年ぶりにステージに立って(実は座って)演奏して来ました。

 まあ、無事終了し、自己採点でも合格点をあげてもいいくらいでしたが、実は、ここまで来る道程が半端ではないくらい難行苦行の世界でした(苦笑)。参加を決めてからのこの3カ月間、3回ぐらい参加の断念を考えたぐらいでしたからね。

 まず、今年10月某日、学生時代に、50曲ぐらい英語でオリジナル曲を作って演奏するバンド「エトランジェ」を組んでいた相方の刀根君から急にメールで、「12月にGMCの忘年会が(コロナ禍を経て)4年ぶりに開催されるので、一緒に参加しよう」との連絡がありました。小生はOB会のメールリストから漏れていたので、初耳でした。ですから、彼から連絡がなければ参加しなかったことでしょう。

 それにしても、卒業して以来一度も演奏会に参加したことがないので、実に45年ぶりの共演です。ま、何とかなるか、と始めましたが、直ぐに難所に突き当たりました。私は関東地方に住み、相方の刀根君は東海地方に住んでいるので、そう直々顔を合わせられません。そこで、オンラインで「せーの」と始めてみましたが、通信には「時間差」があって、とてもうまくいきません。お互いに録音したものを合わせることにしましたが、音のやり取りですから限界がありました。

新富町

 次に、障害が出てきました。11月になって、小生の拙宅で練習することにしたのですが、前日になって、彼の持病が発症して入院するはめになりました。即退院は出来たのですが、彼の体調の面で参加は無理かなあ、と思った次第です。

 もう一つは、12月になって、「不自信過剰」で、精神的に不安定な私が、公私ともに、どうも「心のわだかまり」が出てきて音を楽しめなくなり、「やっぱり参加はやめようか」という気になってしまったのです。

 他にも沢山の難局がありましたが、昨日参加出来たということは、結局、切り抜けることができたということになります。他人事みたいですが(笑)。

 23日当日は、午後2時集合でしたので、午前9時から午後1時まで秋葉原で借りたスタジオ(4時間で5400円)で2人で最初で最後の音合わせをしました。演奏制限時間が20分で、わずか6曲でしたので、何とかうまくいきました。

 会場に行くと、80人ぐらい集まっていたと思いますが、90%以上知らない後輩の皆さんばかりでした。それでも、学園祭の演奏会で、我々のバンドのバックでベースとして参加してくれた久島君やキーボードで参加してくれた上阪君やドラムスで参加してくれた、我々が3年生の時に部長を務めた小林先輩と45年ぶりにお会いしました。他に、会場には、我々が2年生の時に部長だった巌野さんや玉井先輩もいらっしゃっていて、ビックリしました。皆さん、昔の面影はなく、全く風貌は変貌していたので、街中ですれ違っても絶対分からないことでしょう(苦笑)。はっきり言って、もう別人です。

 忘れてはいけない人は、国木さん(旧姓)です。彼女がいなかったら、参加していなかったことでしょう。温かい助言を沢山頂きました。彼女は、フランス科の先輩でもある山室さんのバンド「ファウンダーズ」のボーカリストとして松原先輩と一緒に参加しておりましたが、私が見た範囲のバンドの中でナンバーワンでした。このバンドには同期の荒城君がベース、キーボードが上阪君、ドラムスが小林先輩が参加していて息がぴったり合っていました。後から、同期で部長も務めた梶原君もやって来て旧交を改めました。

築地本願寺

 GMCというのは、「外語ミュージック・サークル(またはクラブという説も)」の略で、私が入会した最初の頃は「フォークソング・クラブ」と名乗っておりました。ここには刀根君から誘われて入ったわけです。その前は「軽音楽クラブ」とも言っていたようですが、詳しくは知りません。ただ、その頃、後にゴダイゴのメンバーになって大成功したタケカワユキヒデさん(英米語科)もクラブ員でした。

 もう一人、私の同期の人見君はロックバンド「バウワウ」のヴォーカリストとして、世界的に一世風靡した人でした。彼については、あるネット情報では、早大軽音楽サークル「ロッククライミング」出身としか書いていませんが、実は東京外語大GMC出身で、「ポーの一族」というバンドで、荒城君のギター、久島君のベース、梶原君のドラムスで当時からプロ顔負けのヘヴィーなヴォーカルを披露しておりました。

 何を言いたいのかと言いますと、GMCはそれだけレベルが高かったということです(笑)。今回、全く知らなかった後輩の皆さんの演奏を聴きましたが、やはりレベルは非常に高かったでした。彼ら、彼女らも、若くて40代、ほとんど還暦を過ぎているように見受けられましたが、若い、若い。

 (演奏風景は、主催者の幹事さんから動画が送られてきました。小生、動画編集が出来ませんが、もし、奇跡的に動画編集が出来ましたら、いつか、このブログにアップする予定です。)

 【追記】2024年1月1日

 昨年末、宮さんが大変御親切にも動画を編集してくださり、LINE用とメールから開封できる動画編集を添付して送ってくださいました。受け取る側の私も色々、試行錯誤して、やっと、ブログに貼り付けられる状態まで持って行くことが出来ましたが、結局、いずれもデータ量が多過ぎて、ブログに添付することは出来ませんでした。

 いずれにせよ、大変な労力と時間を掛けて動画を編集してくださったジョン・レノンと同い年の宮さんには大変感謝申し上げます。

日本人好みの作品なのかなあ?=上野の森美術館「モネ 連作の情景」展

 東京・上野の森美術館で開催中の「モネ 連作の情景」展を万難を排して観に行って来ました。(来年1月28日まで)

入り口はモネのジヴェルニーの庭を再現(撮影許可された作品)

  この展覧会は、主催が産経新聞社ということで、失礼ながら宣伝力が弱く、開催されていること自体を知らない人も多いかもしれません。東京朝日新聞は、毎週、火曜日の夕刊で、目下、関東圏で開催中の美術展を表枠にして紹介していますが、産経はライバル社なので、一切、モネ展について報道しないのです。裏事情は分かり、そのうち報道するかもしれませんけど、意地が悪い新聞社ですねえ(苦笑)。

 でも、フランスの印象派の巨匠クロード・モネ(1840~1926年)は、私の大学の卒論の対象者でしたから、見逃すわけにはいきません。(卒論テーマは「印象派」で、作曲家のクロード・ドビュッシーも取り上げて「二人のクロード」と題しました。)

モネ「睡蓮」1897~98年 米ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵(撮影許可された作品)

 一応、私は、モネの専門家気取りでしたから、モネの作品を求めて、世界各国の美術館を行脚しました。パリのオルセー美術館、ルーブル美術館、ロンドンの大英博物館、ニューヨーク・メトロポリタン美術館、それに東京のブリヂストン(現アーティゾン)美術館や倉敷の大原美術館など色々と行きましたが、やはり、モネの「睡蓮」の連作があるパリのオランジュリー美術館と第1回印象派展(1874年)に出展した記念すべき「印象・日の出」を所蔵するパリのマルモッタン美術館は忘れられません(本物に接して鳥肌が立ちましたよ)。意外な大穴は、スイスのチューリヒ美術館です。忘れてしまいましたが(笑)、何かの仕事でチューリヒに滞在した時、たまたま入った美術館でしたが、パリのオランジュリー美術館と全く引けを取らない「睡蓮」の連作が何十点も展示されていて驚くとともに、本当に圧倒されてしまいました。特に最晩年の「睡蓮」は、姿形が全く把握できない、網膜で創作せざるを得ないほど抽象的になり、その混在する色彩がほぼ暴力的に迫ってきました。

 そんな凄いものを観てしまっているので、今展の「モネ 連作の情景」展は、申し訳ないですが、「看板に偽りあり」と思ってしまいましたね。ただ、最初に展示されていた「1章 印象派以前のモネ」では、「桃の入った瓶」(1866年)、「ルーヴル河岸」(1867年)などモネ20代の初期作品が展示され、結構、初めて拝見する作品ばかりでした。

モネ「ロンドン国会議事堂、バラ色のシンフォニー」1900年 ポーラ美術館蔵(撮影許可された作品)

 個人的には、連作の一つ「積みわら」(1885年)と「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」(1900年)が気に入りましたが、前者は倉敷の大原美術館所蔵、後者は箱根のポーラ美術館所蔵じゃありませんか。両方とも国内にあるとは! 私も典型的な日本人(もしくは、ほんの少し外れた日本人=笑)なので、いかにも日本人が好みそうな作品なのかもしれませんね。

 同時に、何でモネはこれほどまで日本人に愛されているのかも不思議です。モネ自身もアトリエに葛飾北斎の浮世絵を飾っていたり、当時のジャポニスムに多大な影響を受けた作品を残していますから、もしかしたら、相思相愛なのかもしれません。

モネ「ロンドン・ウォータールー橋、曇り」1900年 ダブリン・ヒュー・レイン画廊(撮影許可された作品)

 来年2024年は、第1回印象派展が開催されて、ちょうど150年に当たる年だということで、全国の美術館で「印象派展」がいくつか開催されるようです。どれを観たらいいのか困っちゃいます。だって、入場料がバカにならないからです。この産経主催のモネ展だって、土日祝日の一般の料金は3000円もするんですからね!! 観るのを諦めようかと思いましたが、私は賢者ですから、平日の午後4時以降の割引2300円で観ることが出来ました。それでも、こういうチケットだけは直ぐ完売してしまうので、二度目の挑戦でやっとゲット出来ました(笑)。

 

「現代のアヘン戦争」フェンタニルから情報問題を考える

  私は毎朝、出勤する前にTBSラジオの「森本毅郎・スタンバイ!」を聴いています。その日の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)の都内最終版とスポーツ紙(報知、スポニチ、日刊、サンスポ、東中、デイリー)のニュースをコンパクトにまとめて、日替わりにコメンテーターが解説するスタイルです。

 その5人のコメンテーターのうち、2人も私の会社の先輩、後輩に当たる人なので、一緒に仕事をしたことはありませんが、よく存じ上げている方なので、身近に感じています(笑)。要するに取材方法といいますか、ニュースソースといいますか、情報の取捨選択の仕方がどうしても会社の方式(社風)から抜けきれないので、想像がつくという意味においてです。

 最近は、遅くとも朝7時半には家を出るので放送の全部は聴くことができませんけど、本日(12月7日、木曜日)はたまたま所用で有休を取っていたので、朝8時からのコメンテーターによる「深堀解説」を聴くことが出来ました。この日のコメンテーターは日経BP出身のジャーナリスト渋谷和宏さんで、「現代のアヘン戦争」の話でした。

 「現代のアヘン」というのは、フェンタニルと呼ばれる鎮痛剤のことで、医療用麻酔として本来は使われているのですが、合成オピオイドという麻薬性鎮痛剤なので、乱用すると死に至る危険があるというのです。効果はヘロインの50倍、モルヒネの100倍と言われています。

◇あのプリンスも過剰摂取で死亡

 米国ではこの薬物乱用によって、2020年には5万8000人、21年には7万1000人もの人が亡くなったと言われています。あのロック界のスーパースター、プリンスも、ジョージ・ハリスンとバンドを組んだこともあるトム・ペティも、そしてラップ歌手のクーリオも、このフェンタニルの過剰摂取で亡くなったと言われています。

 このフェンタニルは、中国から輸入されているということで、「現代のアヘン戦争」と米国が騒いでいるわけです。表向きは輸入禁止にしても、密輸の形で入って来るか、メキシコ経由で加工されたものが米国に入って来るということで、先のバイデン大統領と習近平国家主席との会談でも、この問題が取り上げられたというのです。

築地本願寺

 この話、知らなかったですね。私は一応、ジャーナリズムの仕事に携わって、毎日、新聞6紙に目を通し、テレビニュースもフォローしているつもりなんですが、これではジャーナリスト失格です。

 コメンテーターの渋谷氏も、随分よく調べているなあ、と感心しましたが、実は、問題のフェンタニルが、ラジオで音声で聴いただけなので、ペンタミンと言っているのか、フェンタミンと言っているのか、聞き取れなかったのです。仕方がないので、スマホで検索してみました。そしたら、国際情勢アナリストの山田敏弘さんという人が今年4月に、何と、時事通信のJIJI.comに「『現代のアヘン戦争』米中間の深刻な懸念」というタイトルで、このフェンタニルのことを詳細に書いていたのです。しかも、内容は、渋谷氏が話していたものと似通っていましたから、恐らく、渋谷氏はこの記事を参照した可能性があるような気がしました。

 まあ、それを言ったらキリがない話でありまして、時事通信に寄稿した山田氏のニュースソースも、彼が一時在職したことがあるロイター通信や、AP通信やニューヨーク・タイムズやワシントンポストやウォールストリート・ジャーナルやガーディアンの記事だったりするわけです。つまり、彼がバイデン大統領に直接取材して談話を取ったわけではなく、外国メディアからの「引用」だというわけです。

築地本願寺

 私はFacebookを始めとしたSNSにはなるべく近づかないようにしています。YouTubeもそうですが、「興行師」サイドは、SNSを、莫大な収益をもたらす宣伝媒体といいますか、洗脳宣撫活動として使っているからです。ニュースの信憑性には大いに欠けるので時間の無駄です。

 とは言いながら、「現代のアヘン戦争」を書いた国際情勢アナリストの山田敏弘さんについて、よく知らなかったので検索してみましたら、他人のSNSの記事から引用した、推測に溢れた「まとめ」記事が出てきて、思わず騙されて読んでしまいましたよ(苦笑)。でも、内容が全く想像の域を出ていません。素人が書いたからでしょう。

 要するに、他人が書いたあやふやな推測記事を引用したものなので、それらは二次情報であり、三次情報だったりするわけです。一次情報に接することが出来る人は、プロの記者や事件事故の当事者に限られていますが、最近のネット社会では、霞ケ関の省庁や地方公共団体もホームページで積極的に情報を公開するようになったので、普通の人でもアクセスすることが出来るようになりました。素人でも、記者会見などの報道資料を読むことが出来るのです。

 無味乾燥の面白くもない、データ解読に必要な知識を要する読みにくい情報も多いのですが、それこそが真の一次情報なのです。

🎬「ナポレオン」は★★★

 最近、どうも映画づいてしまい、毎週のように観に行っておりますが、今週は、今、派手に宣伝しているリドリー・スコット監督作品「ナポレオン」(ソニー・コロムビア)を観て来ました。

 私は、自称「フランス語屋」ですので、大いに期待したのですが、仏皇帝ナポレオンなのに「英語」でガッカリです。これは、ユダヤ資本の米ハリウッド映画なので最初から分かっている話ですけど、世界的に一番「売れる」作品としてのマーケット戦略が見え隠れします。それに、一大戦争スペクタクル映画なので、巨額の製作費が掛かっているはずです。今、調べたところ、2億ドルらしいので、約300億円です。これでは、恐らく、今のフランス映画界では製作できないことでしょう。仏語での興行収入を回収できるかどうか見込めないという意味でも。

 「ブレードランナー」「グラディエーター」で知られる名のある巨匠リドリー・スコット(86)だからこそ、投資できる映画だと言えます。ですから、フランス人から見たナポレオンではなく、英国人リドリー・スコットから見たナポレオンが描かれています。そして、監督は、肝心要のナポレオン役に、「ジョーカー」で米アカデミー主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスを起用しましたが、どう見てもナポレオンに見えない!今、旬のフランス人の世界的映画俳優が見当たらないせいかもしれませんけど、もし、アラン・ドロン(88)がもう少し若くてナポレオンを演じたら、ギトギトした野心家の面を彼なら自然に出せたんじゃないかと思いました。

 映画の宣伝コピーにあるように、「英雄と呼ばれる一方で、悪魔と恐れられた男」の話にはなっておりますが、実に人間臭く描かれています。英雄ナポレオンは、天下国家を論じたり、領土拡大の野心を語るのでもなく、不逞を働く妻ジョゼフィーヌとの関係に悩む「弱い男」丸出しです。

 勿論、史実に基づいて描かれていますが、映画ですから脚色されています。ナポレオンの弱さを強調する辺りは、歴史上の人物というより、「リドリー・スコットのナポレオン」と言っても間違いないでしょう。

 ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年、51歳没)の時代は、日本で言えば十代将軍徳川家斉(1773~1841年)の時代に当たります。日本は一応安定した江戸時代ですが、フランスは、仏革命後の粛清の嵐と戦争に明け暮れた時代でした。残酷なギロチンの場面も出て来ます。

 映画のエンドロールで、ナポレオン戦争での戦死者が450万人にも上ったことを数字で明らかにしていました。これだけの犠牲者を出したわけですから、ナポレオンは英雄視される一方、今でも、「コルシカ人」の彼のことを憎悪する欧州人がいるのは納得せざるを得ません。映画では、有名なアウステルリッツの戦いや最後のワーテルローの戦いなど数々の戦争シーンが出て来ますが、恐らくCGも使ったことでしょうが、実に圧巻で、観客も、まるで戦場に立たされているような感じでした。

 この映画では、モスクワの「冬将軍」に遭遇する場面や「百日天下」などが再現されますから、世界史を齧った人なら、「うまく描いているなあ」と納得しますが、ハイライトは、ダヴィッドが描いた有名な「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」(パリ・ルーヴル美術館)を再現した場面かもしれません。まさに、あの絵画を参照して映像化したことが読み取れます。まるで、歴史ドキュメンタリーのような感じですが、やはり、ドラマは、まるでその場を見てきたような「リドリー・スコットのナポレオン」になっています。