辻井伸行さんのパリ公演には感動しました=BSフジ再放送

  私のようなもう古い世代では考えられなかったことを今の若い世代はやり遂げています。例えば、我々が若かった1970年代~80年代では、サッカーのワールドカップに日本が出場することなど夢のまた夢でしたが、今では、出場は当たり前で、強豪スペインやドイツを打破して、ベスト4を狙うことは全くあり得ない夢ではなくなりました。

 何と言っても、米大リーグで二刀流として活躍する大谷翔平選手は、今年、かつては考えられなかった日本人初の本塁打王に輝き、史上初の2回目のア・リーグ最優秀選手賞(MVP)を満票で獲得しました。

 それに加えて、将棋の藤井聡汰さんは21歳2カ月の若さで史上初の八冠を達成しました。あの羽生善治七冠をあっさり超えてしまい、全くあり得ない快挙です。我々の世代は、将棋の棋士と言えば、大山康晴とか升田幸三といったお爺ちゃんや無頼漢のイメージがあったので、中学生でプロデビューして全タイトルを独占した藤井八冠には驚愕するしかありません。

 大谷選手も藤井八冠も我々の世代ではなし得なかったことを成就した天才に他なりませんが、もう一人、大天才がいました。ピアニストの辻井伸行さんです。皆さん御存知のように、彼は目が不自由であるにも関わらず、ショパンやリストなど難曲中の難曲と言われる名曲を弾きこなしています。目が不自由なので、全て暗譜です。指の使い方もどう習得されたのでしょうか?ペダルを踏む箇所も楽譜に記載されていますが、それらも全て耳だけで習得したはずです。彼のような天才は見たことも聞いたこともありません。

有田の豪華御膳(本文とは関係ありまへん)

 というのも、昨晩、テレビのBSフジで「辻井伸行×パリ ~ショパンが舞い降りた夜~」という番組を偶然、観たからでした。偶然でしたので、途中から観ました。番組は2017年に放送されたものの再放送でした。2017年、辻井さん29歳の時のパリ公演をメインに、彼が敬愛するショパンの所縁の地を訪問するドキュメンタリーでした。

 ショパン所縁の地というのは、パリにある「ポーランド歴史文芸協会」(ショパンが実際に使ったピアノなどが展示)やサル・エラール(ショパンが演奏したサロン)やパリ郊外のノアン村にあるジョルジュ・サンドの館(ショパンが最も多くの曲を作曲した場所)などでした。この他、18~19世紀の古いピアノを修復する店を訪れ、ここのアンティーク・ピアノで、ショパンやリストなどを「試し弾き」していました。

 パリ公演の会場は、シャンゼリゼ劇場という聴衆の耳が肥えた老舗のホールで、ここは、ストラビンスキーの「春の祭典」が初演(1913年5月29日)された所で、大論争を巻き起こしたことでも有名です。辻井さんは、ここで、ショパンの「エチュード」と、アンコールでリストの「ラ・カンパネラ」を演奏し、耳が肥えたうるさい聴衆を熱狂させていました。実に感動ものでした。ハンディを乗り越えた本人の努力の賜物ですが、番組のタイトルのように、時空を超えてショパンの魂が辻井さんに乗り移ったような完璧な演奏でした。

 こうして若い世代の天才たちと同時代に生きることが出来て、その巡り合わせには幸せを感じます。

🎬北野武監督作品「首」は★★★

 今年5月の仏カンヌ国際映画祭のプレミア部門で上映され、熱狂的な歓迎を受けた北野武監督の6年ぶりの新作「首」を、日本の田舎の映画館で観て来ました。

 「本能寺の変」前後の織田信長とその家臣団との間の血と血で洗う、マフィアの跡目争いのような抗争です。まさに「首」が飛び交うグロテスクな場面も描かれ、「15歳未満お断り」に指定されていました。

 個人的な感想としましては、部分、部分でとても迫力が良い場面が多かったのですが、全体的、特に、「物語」の面では、腑に落ちない面が多々ありました。ご案内の通り、この辺りの歴史には精通していますからね(笑)。

 まず、良かった場面は、合戦場面です。特に長篠・設楽原の戦いで、武田軍の騎馬隊と信長・家康連合軍の鉄砲隊とが戦う場面や何百本の弓矢が空中で飛び交うシーンは迫力満点で、黒澤明監督を思わせました。

 羽柴秀吉をビートたけし、黒田官兵衛を浅野忠信、明智光秀を西島秀俊、徳川家康を小林薫が演じていましたが、何と言っても秀逸だったのが、織田信長役の加瀬亮でした。狂気じみた独裁者信長が名古屋弁で理不尽なことばかり命令しながら、多くの面前で家臣を殴り倒したりしますが、恐らく、実際の信長もああいう感じだったのではないか、と思わせました。とにかく、台詞を尾張言葉と言いますか、名古屋弁にしたことは大成功でした。

 北野監督の30年の構想ということで、かなりの自信作なのでしょうが、光秀と荒木村重(遠藤憲一)との関係が本能寺の変につながったという説はどうも違和感がありました。勿論、壮大なるフィクションなので、エンターテインメントとして楽しめば良いかもしれませんが。

 秀吉の参謀で弟の秀長役を大森南朋が演じておりましたが、彼は大河ドラマ「どうする家康」で、家康の四天王の筆頭、酒井忠次役を演じ、その印象が強過ぎて、何か変な感じがしました(苦笑)。ついでに言えば、大河ドラマでさえ、多くの家臣が登場するのに、例えば、光秀の家臣として登場するのは斎藤利三ぐらい、秀吉の家臣も目立つ家臣は蜂須賀小六と宇喜多直家ぐらいで、加藤清正も福島正則も石田三成も登場しません。合戦前の軍評定に家臣が二人ぐらいしか登場しないのはあり得ない(笑)。

 でも、北野監督がスポットライトを浴びせたかったのは、木村祐一演じる曾呂利新左衛門だったかもしれません。元甲賀忍者で密偵として働く「芸人」という役柄で、ビートたけし自身を反映させたかったのかもしれません。

 エンドロールで大竹まことが出ていたので、「あれっ?いたっけ?」と思い、家に帰って調べてみたら、千利休(岸部一徳)に使える間宮無聊役でした。分からなかったなあ~。

映画「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~」は★★★

 映画「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~」をロードショウ公開初日の11月23日(木・祝日)に観に行って来ました。

 別に埼玉県に対して思い入れはありませんけど、人生の終焉地が埼玉県の所沢聖地霊園ですので、少しは関心を持たざるを得ません。。。てゆうか、前作の「翔んで埼玉 」(2019年)があまりにも面白かったので、大いに期待して観に行ったのでした。

 しかし、残念ながら期待外れでした。前回のように「埼玉県人にはそこら辺の草でも喰わせておけ!」といった超過激な印象に残る台詞もなかったし、ストーリーを関西に展開したのはいいものの、ちょっと物語の焦点が散漫になり、役者たちが真剣に演技すればするほど、観ている方は白けてしまいました。

 面白かったのは、神戸市長役として出ていた藤原紀香が、「戦闘」場面で、女優の藤原紀香として登場した時、兵庫県西宮出身と言われながら、実は、映画の中では差別されている和歌山県出身だった、というオチぐらいでした(どうでもいいですけど、彼女の両親は和歌山県出身らしい)。観客は、藤原紀香と大阪府知事役の片岡愛之助とは実生活では夫婦であることを知っているので、冷や冷やする場面もありました。コメディーなのに笑える箇所が前回と比べて少なかったのが低評価につながりました。

東銀座「わのわ」日替定食 950円

 映画は「壮大な茶番劇」と銘打っているので、別に目くじらを立てて批評する必要は全くないのですが、第1作の大成功に気を良くしてか、かなりの宣伝費を注ぎ込んでいるように見受けられます。直接の番宣だけでなく、主演のGACKTが滅多に出ないバラエティー番組に出演したりしておりました(笑)。

 GACKTさんは、これまで年齢非公表だったのに、「50歳です」と明らかにしたり、「20歳で悩むことをやめた。だから悩んでいる人を見るとイライラしてしまう」などと話したりしていました。話し方も考え方も、映画のキャラクターと実人物とはそれほど乖離していなかったので、驚いてしまいました。

 映画の最後のエンドロールでは、ミルクボーイの漫才が観られます。こっちの方が面白かったと言ったりしたら、映画関係者に怒られるだろうなあ。。。

「やまと絵」はまさに世界の宝=東京・上野の国立博物館で特別展

 11月2日(木)は家族のお見舞いがありましたので、会社を休みました。《渓流斎日乗》の日乗とは日記という意味なので、個人的なお話で失礼致します。

 施設の最寄り駅は埼京線の浮間舟渡園駅なのですが、赤羽から乗り換えた際、知らぬ間に「快速」に乗ってしまい、赤羽から二つ目の浮間舟渡園駅を通り越して、戸田公園駅に着いてしまいました。

例の発砲事件があった病院の広告。鈴木常雄容疑者は何と86歳のお爺さん。バイクを乗り回し、拳銃まで所持していたとは!元組員とも、組員との付き合いから入手したとも言われております。

 この駅には、かつて私も入院したことがある病院があり、出来ることなら避けたい駅なのですが(苦笑)、快速に乗ってしまったので仕方ありません。そしたら、先日、発砲事件があった病院の広告が目立つところにあったので、思わず、写真を撮ってしまいました。感想文はキャプションに書いておきました。

 浮間舟渡園の施設での面会はわずか15分の制限で拒絶されてしまいます。大変な所に入ってしまったものだと心を痛めております。

東京国立博物館

 面会時間はすぐ終わってしまったので、この後、上野に向かいました。東京国立博物館で「やまと絵」展が開催されていたからです。

 いやあ、実に素晴らしい展覧会でした。何しろ、国宝と重要文化財のオンパレードで、これでもか、これでもか、といった感じで惜しげもなく公開して頂いているのです。観覧料2100円はちっと高いなあと思いましたが、十分、元手が取れる価値のある展覧会でした。

 木曜でしたので、空いていたわけではありませんが、二列目からかなり余裕を持って拝見出来ました。ちなみに、土日は事前予約制になっていますので注意が必要です(12月3日まで)。恐らく、週末は展示品の前の列は3列ぐらいになるぐらい混むことでしょうから、有休を取ってでも平日に御覧になることをお勧めします。

 残念なことに、展示品の撮影は禁止されていたので、カタログの写真でごまかします(笑)。この展覧会で一番私が驚いたのは、上の写真にもありますが、神護寺所蔵の「伝源頼朝像」でした。私も教科書などで何度も見たことがある肖像画でしたが、その大きさに驚いたのです。デカい! まさにその大きさに驚いたのです。迫力が違いました。やはり、実際に足を運んで実物を見なければ駄目ですね。これも残念ながら、11月5日で展示期間が終わってしまうようです。

 会場に置いてあった「出品目録」で勘定してみたら、全245点中、国宝は53点、重要文化財は126点もありました。勿論、展示期間がそれぞれ違うので、これら全てを同時に観ることは出来ませんが。

 私は個人的に、鎌倉仏教に関心があるので、「法然上人絵伝」や「一遍聖絵」(いずれも国宝)の本物を目にすることが出来て、感動してしまいました。

 このほか、「源氏物語絵巻」や「鳥獣戯画」や「信貴山縁起絵巻」など何でもあります。会場には外国人観光客らしき人たちも多く詰めかけていました。私も海外旅行に行けば、必ずその地元の博物館や美術館に行きますが、「やまと絵」は日本の宝というより、まさに世界の宝という認識を強くしました。

18年ぶりのニューアルバム=ローリング・ストーンズ「ハックニー・ダイアモンズ 」

 むふふふふ、本日10月20日、世界同時発売のローリング・ストーンズの18年ぶりのニューアルバム「ハックニー・ダイアモンズ 」(ユニバーサルミュージック)が店頭に並ぶということで、昼休みに東京・銀座の山野楽器に買いに走りました。

 結構、列をつくって並んでいるかと思いましたら、ほぼガラガラ。今どき、CDを買うような奇特な人がいるわけありませんよね? 特に最近の若者は、ネット配信とか、サブスクとか言って、フィジカルなレコードやCDは買わなくなったようです。CDも紙の本と同じような運命を辿ってしまったわけです。

 それが証拠に、明治25年(1892年)創業の天下の老舗の山野楽器の銀座4丁目のビルは、今や1階から3階まで、携帯電話のauショップに占拠(実はテナントとして貸していることでしょう)されてしまって、山野楽器本体のCDや楽器、楽譜などの売り場は大幅に縮小されてしまいました。

 そして、本日驚いたことに、私はこの山野楽器の長年の顧客ですから、会計でポイントカードを出したら、「もうポイントカードは廃止されました」と言うではありませんか。つまり、もうポイントカードを作って、サービスとして顧客に還元できるほど売上高がないし、余裕がなくなったということを意味するのでしょう。

 嗚呼~、溜息が出ます。

 実は、ローリング・ストーンズのニューアルバムに関しても、ちょっと無理して買ったことを告白しなければいけません。正直に言えば、もう五月蠅いロックを聴くような年ではなくなったし、年配になれば、ムーディーなジャズ・ヴォーカルやボサノヴァやシャンソンの方が遥かに落ち着いて聴けるからです。

 でも、ローリング・ストーンズは私が小学生の頃から60年間も聴き続けて来たアーティストです。それに、ミック・ジャガーは80歳になるというのに、いまだに現役で頑張っているじゃありませんか!!今の若者言葉では「推し」というらしいですが、応援したくなります。18年ぶりということで、前回のアルバム「ア・ビガー・バン」は2005年発売。ちょうど、この《渓流斎日乗》を開始した同じ年ですから奇遇を感じた次第です。

東銀座「ふらいぱん」生姜焼き定食・コーヒー付きで1100円

 CDを買った後、ランチに入った東銀座の洋食レストラン「ふらいぱん」では、BGMに何とも懐かしい1970年代のロックが流れていました。イーグルスやドゥービーブラザースやブロンディ、ボズ・スッキャグスなどです。笑顔が素敵なお店の若い店員さんは生まれる前の曲です。

 最近は、五月蠅いロックはとても聴く気になれなかったのですが、こうして耳に入ってくると懐かしくてしょうがなく、何となく若い時の自分に戻ったような感じで、気持ちも若返りました。

 これは音楽の力ですね。これから、仕事が終わって帰宅して、部屋でじっくりストーンズのニューアルバムを聴いて、また若返ることにしますか(笑)。

青柳いづみこ著「パリの音楽サロンーペルエポックから狂乱の時代まで」を読んで興奮しています

 個人的なお話ながら、私の大学の卒論のテーマが「印象派」だったため、どうしても19世紀から20世紀にかけてのフランス文化からの桎梏から抜けきれません。

 卒論は「二人のクロード」というタイトルで、美術界の印象派を代表するクロード・モネと音楽界を代表するクロード・ドビュッシーの二人にスポットライトを当てて、何故、印象派なるものが当時席捲したのか、その時代的背景や思想等も含めて分析したつもりなのですが、今から読み返せば、まるで小学生以下の作文です。

 今、青柳いづみこ著「パリの音楽サロンーペルエポックから狂乱の時代まで」(岩波新書、2023年7月20日初版)を読んでいますが、この本を読むと、改めてその思いを強くしました。著者は、ドビュッシー演奏では第一人者の世界的なピアニストですが、講談社エッセイ賞を受賞するなど文にも秀でたいわゆる両刀使いの才人です。実に本当によく文献を調べ尽くしておられます。

 時代は、ナポレオン三世の第二帝政から普仏戦争での敗北~パリ・コミューンを経て、第三共和政に移行した激動期です。この時代なら、フランス語を少しは齧ったことがある人なら誰でも、画家のモネと音楽家のドビュッシー以外なら、ヴェルレーヌやランボー、ボードレール、マラルメといった詩人を挙げることでしょう。もしくは、フロベールやゾラといった小説家か。そんな時代でもいわゆるブルジョワ階級の貴族が健在で、特に暇を持て余した?公爵夫人、伯爵夫人たちが自宅を開放して、芸術家(の卵も)を招いて夜な夜な怪しげなパーティーを開き、そんなサロンから巣立って世界的にも有名になった詩人、音楽家、画家、小説家は数多に及ぶといった史実は、さすがに私でも知っておりましたが、誰が具体的にどんなサロンに参加して、参加した人たち同士はどんなつながりがあったのか?ーつまり複雑な人物相関図までは知りませんでした、と告白しておきます。

 著者は、数多いるサロンの主宰者の中で、まずニナ・ド・ヴィヤール夫人(1843~84年)を取り上げております。勿論、恥ずかしながら、私自身すっかり忘れておりましたが、この方、「フィガロ」紙の記者エクトール・ド・カイヤス伯爵と結婚し、夫の金利と父親の資産で何不自由のない生活を送っていましたが、ほどなく別居してサロンを開きました。彼女を慕って集まったのが、反体制ジャーナリストや詩人、画家、音楽家らの芸術家です。彼女自身も詩人で、バッハ、ベートーヴェンらを得意とするピアニストでもありました。

 彼女の男性遍歴は「公然の秘密」で、ステファヌ・マラルメが夢中になり、ヴィリエ・ド・リラダンは生涯の友、アナトール・フランスは愛人でした。この3人は、特に有名ですが、他に親しい関係があった人物に医師で画家で科学者のシャルル・クロ、シャンソン作曲家のシャルル・ド・シヴリー、画家のフラン・ラミ、ジャーナリストで作家のエドモン・バジールらがいます。この他、サロンに参加した人の名前が多く出て来ますが、私が知っているのは、詩人のポール・ヴェルレーヌとヴェルレーヌとランボーの共通の友人だった知る人ぞ知る詩人のジェルマン・ヌーヴォーと、小説家のギイ・ド・モーパッサンぐらいでした。また、エドワール・マネが彼女をモデルに「団扇と婦人」という絵を描いています。(ヴィヤール夫人は1884年、41歳の若さで精神科病院で死去します。)

 さて、この中で、長年、名前は知っていても「人物相関図」がなかなか分からなった人物がこの本を手掛かりにやっと分かりました。鍵を握っていたのが、サロンに頻繁に通って、ヴィヤール夫人とも昵懇だったシャンソン作曲家のシャルル・ド・シヴリーでした。このシヴリーとサロンで知り合ったのか、その前からの友人だったのか分かりませんが、有名な詩人ポール・ヴェルレーヌがいます。ヴェルレーヌは、このシヴリーの妹マチルドと結婚します。そして、新婚早々の二人の家庭生活をめちゃくちゃにして破壊したのが、シャルルヴィルの田舎からパリに出て来たばかりの17歳の少年アルチュール・ランボーだというのは、皆さん、御案内の通りです。

Asoukayama

 ここまではよく知られていることですが、何とドビュッシーが登場します。9歳のドビュッシーにピアノを教えてパリ音楽院に合格するほどまで手ほどきをしたのがモーテ夫人で、彼女は一説にはショパンの門下生と言われていますが、シャルル・ド・シヴリーの母親だったのです。経緯はこうなります。

 普仏戦争の末期、ドビュッシーの父親は志願して国民軍に入隊しますが、国民軍は敗北して、サトリ―の監獄に収監されます。同時にシャルル・ド・シヴリーもパリ・コミューンに巻き込まれて同じサトリー監獄に送り込まれます。ここで二人は知り合い、ドビュッシーの父親は音感の良い自分の息子の音楽の教育について、シヴリーに相談します。それなら自分の母親はピアノ教師だから、どうか、と提案したようです。こうして、9歳のドビュッシーが、モーテ夫人の下を訪れたのは1871年秋のことでした。詩人ランボーがパリに上京し、ヴェルレーヌ宅、つまりは、モーテ夫人宅に居候したのが1871年9月中旬で、乱暴狼藉を働いたかどで追い出されたのが1カ月後の10月中旬か下旬だったといいます。となると、ドビュッシーがランボーに会ったか見た可能性は微妙ですが、ゼロではない気がします。ランボーは1891年に37歳の若さで亡くなり、ドビュッシーは20世紀初頭に活躍した印象があったので、2人が同時代人で、パリ市内の何処かですれ違っていたかもしれない、と思うとちょっと興奮しますね。

Asoukayama

 もう一人だけ、取り上げたいのは、サロン主宰者のヴィヤール夫人の愛人だったシャルル・クロです。この忘れられた天才、もしくは歴史から抹殺された天才の偉業は、この本では「第2章 シャルル・クロ」と章立てされて詳細されています。サロンには医者であるアンリとともに、パリ大学の医学部学生時代から参加し、詩人であり、画家であり、科学者でもあった人です。ヴェルレーヌとは親友で、ランボーが上京した際、最初に面倒を見たのがシャルル・クロだったというのに、ヴェルレーヌは「呪われた詩人」のラインアップの中にクロの名前を無視して入れませんでした。いわゆるヴェルレーヌ=ランボー事件でのわだかまりが、ヴェルレーヌにはあったようでした。

 他に、科学者としてのクロの不幸はまだあります。1867年末、フランスの科学アカデミーに「色彩、形体、運動の記録と再生の修法」という論文を送り、カラー写真に関する「三色写真法」に発展しましたが、わずが2日の差で他人に先を越されてしまいます。

 また、1877年4月、現在のレコードとほぼ変わらないディスク式の「パレオフォン」と名付けた蓄音機の原理の論文を科学アカデミーに送付し、この時点で米国のエジソンに半年先んじていましたが、特許を取るのはエジソンの「フォノグラム」の方が先でした。

 実についていない人、と言わざるを得ませんね。

好きな上野で「京都・南山城の仏像」展

 本日は木曜日でしたが、会社を休んで上野に行って来ました。上野は東京で2番目に好きな所です。1番目は? それは勿論、神田神保町です。古書店の街ですが、三省堂、東京堂など新刊書店も多くあり、何よりも安くて美味しい隠れたグルメの街でもあります。

 3番目に好きな東京は、神宮外苑の銀杏並木道ですが、どうやら、この「外苑の森」が伐採されるという話が進んでいるようですね。亡くなった坂本龍一教授も、再開発に大反対で、小池都知事に中止するよう手紙まで送付したらしいというのに。大都会東京のど真ん中で、あそこほど心休まる所は他にありません。銀杏並木だけは残す計画もあるようですが、もしこのまま強行されれば、小池百合子さんは「神宮外苑の森の伐採を認可した都知事」として歴史に名を残すことでしょう。

東京・上野東博「京都/南山城の仏像」展

 さて、上野に行ったのは、目下、東京国立博物館で開催中の「京都・南山城の仏像」展を拝観するためでした。自他ともに「仏像好き」を自称する私ですが、さすがに南山城(なんざんじょう、ではなく、みなみやましろ)の寺院にまで足を延ばしたことはありませんでしたからね。南山城とは京都府の南端で奈良県に近い地域で、住所で言えば、木津川市とか宇治田原町などがあります。

東京・上野東博「京都/南山城の仏像」展

 会場は、本館の「特別5室」が当てがわれ、いずれも京都・浄瑠璃寺(木津川市)蔵の「阿弥陀如来坐像」「多聞天立像」「広目天立像」の3点の国宝を含む18体の仏像(うち12体もが重要文化財)が展示されていました。

 しかし、「えっ?これだけ??」というのが正直な感想でした。「国宝3体、重文12体もあれば十分でしょ!」と主催者の日経新聞社には言われてしまいそうですが、もし、これが仏像ではなく、そして、有難みもなく、ただの彫刻として眺めただけでしたら、長くても5分で「見学」を終えてしまいます(笑)。こ、こ、これで、入場料は1500円もするんですからねえ。高いでしょう? 奥さま~、そう思いませんこと? 

 あっという間に「出口」になってしまったので、私なんか、慌てて5秒間で入り口方面に戻って、再度、拝観したほどでした。それほど狭い「特別5室」でした。

上野・東京国立博物館

 今回、「十一面観音菩薩像」が3体展示(京都・禅定寺など)されておりましたが、いずれも後頭部の真後ろにあしらわれた「面」が「大笑い」の観音菩薩であることが、パネルでも解説されていました。十一面もありますから、大衆を教化するため忿怒の表情の観音菩薩もありますが、この「大笑い」の面だけ突出していて、改めて仏像の魅力に染まってしまいました。

 会場を何気なく見回すと、平日だからかもしれませんが、どうも日本人が少ない気がしました。7割近くは、どう見ても外国人観光客でした。コーカサス系だけでなく、東南アジアやインド系、勿論、中国、韓国系の人もです。そう言えば、私も海外に行けば、必ず、博物館や美術館に足を運びますからね。ガイドブック等で上野の博物館・美術館が紹介されているということなのでしょう。まさに、「世界に誇れる上野」です。

 でも、私は歴史好きなので、「この博物館はねえ、江戸時代は、東叡山寛永寺の本堂があった所だったんですよ。今の上野公園と言われている敷地は全て、寛永寺の敷地で、幕末には彰義隊が最後まで新政府軍に抵抗してここで戦ったんですよ」と外国人観光客に蘊蓄を垂れたくなりました(笑)。

上野・東博・常設展

 私はせっかちな性格で、「京都・南山城の仏像」展はわずか20分程で鑑賞し終えてしまいましたので、同じ本館の常設展も駆け足で見て回りました。

 やはり、ここでも、絵画ではなく、彫刻、特に仏像彫刻ばかり注目して観てしまいました。

 やはり、(ともう一度書きますが)仏像を拝観すると心が落ち着き、心が洗われる思いがします。仕事や人間関係で疲れた皆様にもお薦めですよ。出来れば、その前に、仏像の基礎知識を頭に入れて行かれれば鑑賞の醍醐味も倍増します。例えば、四天王の北の一角「多聞天」は、独尊としてまつられると「毘沙門天」と呼ばれます。この毘沙門天とは、インドの財宝神クベーラの前身で、「ヴァイシュラヴァナ」という別名を持っていました。この「ヴァイシュラヴァナ」はサンスクリット語で「よく聞く」と意味することから、中国語で「多聞天」と訳されたといいます。 

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 また、五大明王の中心となる不動明王立像(京都・神童寺蔵)が展示されていましたが、この不動明王とは、密教の大日如来の化身と言われています。煩悩多き救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をし、光背は怒りの炎がメラメラと燃え上がっているわけです。

 えっ?それぐらい御存知でしたか? 失敬、失敬。

「ジャニーズ問題」について、ワシも考へた

 私は某マスコミで、もう20年以上昔の話ですが、10年近く芸能担当記者をしたことがありますので、今年一番のスキャンダルになっている「ジャニーズ問題」について、何か、一家言を持たないと言えばウソになります。ただ、あまりにも正直なことを書いて、このブログが炎上したくはないし、端(はな)からガーシー元議員のように目立ちたくもありません。あくまでも、低姿勢 keep low profile で、このブログも長く続けられたら、と思っているからです。

 最初にお断りしなければならないことは、事件の核心部分である故ジャニ―喜多川氏による10代の少年に対する性虐待の現場を見たわけではないのですが、当時、記者の間でも噂として広まっていたという事実があります。しかも、誰も糾弾しようと、取材しようとした芸能記者は皆無で、「芸能界とはそういうもの」という暗黙の了解が蔓延っていました。

 「芸能界とはそういうもの」とは、端的に言いますと、芸能プロダクションの「社長」さんの中には小指がなかったり、裏社会とのつながりを暗示するような「空気」もありました。日本の芸能史は、白拍子や角兵衛獅子や瞽女など差別された人たちによる伝統芸能から始まり、歌や踊りや芝居興行は、既に江戸時代には「地回りの顔役」がいて全国興行のシステムも確立していたという説もあります。これ以上書くと何かと差し障りがありますので、やめておきます(苦笑)。

 兎に角、芸能界は、その華やかさで目を奪われるため、その裏か内部で関わったか、取材したことがある人でないとなかなか実体が分からないと思います。ジャニーズ問題が大きくなって、「見て見ぬふりをしてきた」テレビ局のプロデューサーらがつるしあげになっている風潮に今はなっていますが、彼らは特別なことをしたわけではなく、同じ地位に就いた人なら誰でも、恐らく100人中100人、見て見ぬふりをしてジャニーズ事務所のタレントを使っていたはずです。経済団体のお偉方さんたちは、自分たちが火の粉を浴びたくないものだから、眼をむいて、「児童虐待」をアピールしながら、スポンサーからの撤退を次々と表明していますが、私から言わせれば同じ穴のムジナです。財界人のお偉方の人なら、ジャニー喜多川氏の噂を知らなかった、と言える人はいないんじゃないでしょうか。それぐらい噂は広まっていましたから。

 何しろ、私がジャニ―喜多川氏の「噂」を知ったのは、1970年代で、まだ私が中学生か高校生の頃でした。当時、人気絶頂だったフォーリーブスの北公次さんが週刊誌などで盛んに「暴露」していたのです。経団連の十倉雅和会長(73)も経済同友会の新浪剛史代表理事(64)も私と同世代ですから、知らなかったはずはないと思っています。

 そこで、一家言を持ちたいのですが、確かにジャニ―喜多川氏の蛮行は、事務所の新社長に就いた東山紀之氏が言うように「鬼畜の所業」であることは間違いありません。そういう意味で被害に遭われた方には一刻も早く救済の手を差し伸べてあげてもらいたいものです。ジャニ―喜多川氏は、人間の功罪で言えば、「罪」の方が遥かに大きかった人でした。

 しかし、「功」がゼロかと言えばそうではありません。彼しか持ちえない独特の美意識と観念が、「売れる」タレントを発掘する才能として開花したことは間違いないからです。彼がスターに育て上げたタレントは、5人や10人ではなく、何十人、何百人です。これと比例するかのように、性被害に遭った少年たちの数も5人や10人ではなく、何百人にも及びました。確かにおぞましい事件ではありますが、独特の美意識を持った彼だからこそ犯した罪であり、タレント発掘の能力とは表裏一体です。

 別に、ジャニ―喜多川氏の肩を持って肯定するわけではありませんが、彼だからこそ発掘できたタレント集団でした。彼のお蔭で世に出て、たっぷり恩恵を受けた人もいました。彼亡き後は、これまでのスターと比べると格が落ちるのではないかと思っています。

 何と言っても、日本の芸能界は「事務所」が力を持ちます。やれ、人気が出たということで「独立」したりすると、テレビ出演をほされたり、邪魔されたりすることは多くの人の耳に入っていると思います。だから、大スターになっても多くのスターは事務所を辞めないのです。「平成の小早川秀秋」と言われた木村拓哉さんもジャニーズ事務所を辞めなかったし、日本で一番売れていると言われる明石家さんまも吉本興業を辞めることなど一度も考えたことはないんじゃないでしょうか。

 逆に言うと、「何でこんなつまらないタレントが売れてるのか?」と思って、調べてみたら、必ずと言っていいぐらいそのタレントは、芸能界を牛耳っている大手事務所に所属しているのです。テレビ局というものは、長屋の大家さんみたいなもんで、空いた時間帯を番組制作会社や大手の芸能事務所に丸投げして売っているようなものなのです。だから、まさに媒体であり、権限も、思われているほどないのです。

 でも、芸能界について、あまり知り過ぎると、つまらなくなりますよ。むしろ、何も知らないで、キャーキャー言って騒いでいた方が幸せですよ。

青い歯とは何ぞや?

 CDプレーヤーを買い替えた話をこのブログに書きました。最新機種なので、まだ使い方がよく分かりません。何しろ、それまでは中古の(恐らく、15年ぐらい前に作られた)MD付CDプレーヤーを使っていたので、最新技術についていけません(苦笑)。

 まず、電気業界の勝手な方針でMDプレーヤーは生産中止に追い込まれたのですが、その代わりにSDカードかUSBで録音できるようになりました。SDカードはあんまり好きではないので、32GBのUSBを購入し、試してみたところ、一応、CDの録音はうまくいきました。私としましては、語学(フランス語)のラジオ放送の予約録音をしたいので、いつか挑戦してみたいと思っております。

 もう一つ、Bluetooth 機能が付いていることを知りました。Bluetooth? 「青い歯」って何じゃい? 遅れて来たおじさんは、最新技術についていけません。説明書(旧いおじさんはマニュアルなんて言いません)を読むと、スマホと無線で接続できる機能らしい、ということで、早速試してみました。

 そしたら、簡単。直ぐにつながり、スマホのスポッティファイの音楽を掛けたら、CDプレーヤーのスピーカーから重低音の迫力のある音が流れて来たのです。

 こりゃあ、いい!

 何でも、食わず嫌いではいけませんね。

 

名倉有一氏の「恒石重嗣年譜」とモーツァルトの曲、何だっけ?

 在野の近現代史研究家で、NPO法人インテリジェンス研究所特別研究員の名倉有一氏から「恒石重嗣年譜」の資料が、メール添付で小生にも送られて来ました。579ページという膨大な資料で、おっ魂消ました。

 恒石重嗣(つねいし・しげつぐ、1909~96年)という人は、太平洋戦争中、陸軍参謀本部参謀(宣伝主任)兼報道部員として敵の戦意喪失を目的としてラジオの宣伝放送「ゼロ・アワー」「日の丸アワー」等を担当した元陸軍中佐です。謀略放送ということで、戦後、戦犯容疑でGHQに2年間で23回も出頭したといいます。東京ローズ裁判のからみや、捕虜を強制的に謀略放送に使った容疑だったようです。その後、出身地の高知市に戻り、不動産業などで生計を立てていたようです。陸士44期ということで、あの瀬島龍三と同期ですね。

 もし、御興味が御座いましたら、インテリジェンス研究所のホームページにも掲載されておりますので、そちらをご参照ください。

 恒石重嗣と同じ1909年生まれの文学者には大岡昇平、中島敦、花田清輝、長谷川四郎、太宰治、松本清張、まど・みちお、飯沢匡らがおり、多士済々です。

 さて、先日、CDプレーヤーを買い換えた話をこのブログに書きました。しばらく聴けなかったCDがやっと聴けるということで、喜び勇んでかけようとしましたが、曲名が分かりません。

 モーツァルトの曲です。「ジャガジャガジャガ ジャガジャガジャガジャ ジャッジャ チャラララッチャチャ」というメロディだけは鮮明に思い浮かぶのに、何の曲かさっぱり出てきません。でも、最初は高を括っておりました。ディヴェルティメントの何番かではないか、という薄っすらとした確信があったからでした。そこで、持っているCDの中の全てのディヴェルティメントを聴いてみました。が、どれも違う? ディヴェルティメント15番変ロ長調でもありませんでした。

 おっかしいなあ?それなら「管楽器のための協奏曲」かな?ということで、フルート協奏曲やホルン協奏曲やオーボエ協奏曲など手当たり次第に聴いてみましたが、どれも違います。モーツァルトはわずか35年の生涯でしたが、作品は厖大です。K626と言われていますが、ジャンルも交響曲、室内楽から宗教曲、オペラまで作曲しています。まさに大天才です。

 そっかあ、もしかして、私の頭の中でグルグルと回っている「ジャガジャガジャガ ジャガジャガジャガジャ ジャッジャ チャラララッチャチャ」という旋律は交響曲39番だったかなあ?ということで聴いてみましたが、これも違いました。ああ、もう分からん、ということで奥歯に物が挟まった感覚でしたが、この日は諦めました。

 それが、一日経った本日、「もしかして、ヴァイオリン協奏曲かもしれない」と急に思い当たり、これまた持っているCDを手当たり次第に聴いてみましたら、やっと見つかりました。「ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調」の第1楽章アレグロでした。

 私が文字で示した「ジャガジャガジャガ ジャガジャガジャガジャ ジャッジャ チャラララッチャチャ」というメロディが出てきますよ(笑)。

 この曲を聴くと凄く元気が出ます。

【追記】2023年9月10日(日)

 渓流斎ブログの愛読者であるYさんから連絡があり、思い出せない曲があったら、グーグルの「鼻歌検索」があるので、試してみては如何ですか?と教えてもらいました。早速、チャレンジしてみましたが、あまりにも鼻歌が下手くそで音痴なのか、うまく行きませんでした。

 でも、iPhoneを使って、CDで曲をかけながら「この曲何?」と聞いたところ、曲名だけでなく、交響楽団名からヴァイオリン奏者まで提示し、そのCDが買えるサイトまで辿り着けるようになっていたのです。これには吃驚。