死の恐怖から逃れようとする人類=B・グリーン著「時間の終わりまで」

  皆様ご案内の通り、私は最近、科学的知識に飢えておりますので、何か良書がないものか、と手始めに講談社のブルーバックスを探してみました。過日、同社から出た安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」を読んだばかりでしたので、ブルーバックスに関しては多大なる信頼を置いているからです。

《ご参照》

・12月6日付「大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(上)」

・12月13日付「心も環境も遺伝によるものだとは!!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(下)」

 そうしましたら、たまたま、ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙」(2023年8月10日第3刷)を見つけました。新書なのに1980円もするので散々迷った末、購入しました。686ページもある部厚い本です。よく見たら、2021年に出版された書籍を新書化した世界的ベストセラーでした。

 知らなかったなあ。私は一応、新聞の書評欄には目を通しているつもりですが、著者も書籍も全く聞いたことがなかったからです。やはり、本とは偶然の出会いなのかもしれません。

 この本、「はじめに」から読み始めていますが、他の科学書と比べても一風変わっています。数式が出てこないのは勿論ですが、シュペングラーやサルトル、バートランド・ラッセルといった歴史家や哲学者が多く登場するからです。科学書ではなく、まるで哲学書です。著者は、米コロンビア大学教授で、宇宙論や超ひも理論がご専門のようですが、科学者の思考の行き着く所は哲学にあるように見えます。

Soleil Levant

 著者は、エントロピー(無秩序の度合い)の法則などの物理学や、生物学、人類学を援用しながら、こうまで言ってのけます。

 考えるという行為そのものが、無益な環境エントロピーを増大させてしまうせいで自滅するというあまりにも現実的な可能性に出会うだろう。遠い未来には、考える者はなんであれ、己の思考によって生じる熱のせいで焦げ付いてしまうのかもしれない。つまり、思考そのものが、物理的に不可能になりそうなのだ。

 えっ? どういうこと? 一瞬、何を言っているのか、著者のブライアン・グリーン氏(1963~)が何を言いたいのかさっぱり分かりませんが、何度か読むと、混沌とした状態の中で、人類の脳回路が破綻していく、という意味ではないかと私は勝手に推察しました。人類は高度に知能が発達したほぼ究極の生物ではありますが、あくまでも宇宙の中で原子と素粒子と電子が複雑に組み合わさって、偶然に出来上がった生物の種、または機能に過ぎませんから、あり得ないことはありません。

 この本では、著者は、私以上に悲観論を述べています。

・来るべき時が来れば、生きとし生ける者はすべて死ぬ。

・(シュペングラーを引用して)人間は、死を知る唯一の生物である。すべての宗教、すべての科学研究、すべての哲学は、死の怖れに由来する。

・生命の出現とともに勃興した知識もまた、生命の消滅とともに失われるだろう。永遠に存在するものは何もない。絶対的なものは何ひとつないのだ。

 ワァオゥ〜です。科学者ですから、一刀両断です。妥協や斟酌や忖度はありません(笑)。「人類という生物種は物語が大好き」なため、小説や映画演劇や音楽や美術など芸術作品を創作しようとする。それらは、すべて、死の恐怖から逃れようとするためなのだ。作品を残すことによって永遠の生命を得ようとする。しかし、それらはまやかしで科学的に否定される。人類を含め、あらゆる生物はいずれ死滅するので、永遠も絶対もない。ーというのですからこれほど、身もふたもない、絶望的な言説はありません。でも、科学的事実と言えばそうなってしまいます。

 どうしたらいいのか?

 という話になります。残りの人生、飲めや歌えや踊れやで大騒ぎしてその日暮らしをすればいいのか? それとも、あらゆる欲望を断ち切って修行して無我の境地を目指せばいいのか? 只管勉強を続けるべきなのか? うーん、難しいところです。宇宙から見れば、有名だろうが無名だろうが、歴史に残ろうが残るまいが、泣こうが喚こうが、ヒトの一生など大したことではありません。

 取り敢えず、686ページもあるこの大著を最後まで読んでいくことにしました。宇宙論の科学書として。

大坂の陣こそ「天下分け目」の戦いだった?=「歴史人」1月号

 久しぶりに「歴史人」(ABCアーク)1月号を購入しました。来年、2024年のカレンダー(平安 源氏物語の世界)が付録として付いているからです。カレンダーが欲しいので買いました、と正直に書いておきます(笑)。

 「歴史人」はここ5~6年買い続けましたから、生意気ですけど、そろそろ卒業したかな、と思ったのでした。同じような企画特集が繰り返されて、同じようなことが書かれているので、「あ、またか」という思いもあったのでした。歴史に関してはかなり精通した気分にもなっておりました。

 でも、それは、やはり「生意気」でした。自分にとって、知らない新事実が湧き出る泉の如く頻出するのです。そりゃ、そうでしょう。

 「歴史人」1月号の特集記事は「大坂の陣 12の謎」でした。ちょうど、NHK大河ドラマ「どうする家康」が最終回を迎え、最後は「大坂の陣」で勝利を収めた徳川家康が亡くなるところで終わっていました。まあ、このテレビ番組とタイアップした格好なので、読者獲得狙いは見え見えです(笑)。いやはや、そんな不遜なことを言ってはいけませんね。内容は実に充実していて、浅学菲才の私が知らないことが多く書かれておりました。

◇淀君は蔑称?

 例えば、「淀君」です。織田信長の妹お市の方と浅井長政の長女で、豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の生母と言われ、それを盾に権勢を振るった人と言われています。この「淀君」とは、私は尊称かと思ったら、全く逆で蔑称だったんですね。当時、最下級の遊女である「辻君」(道端で春を売る女)にこと寄せて「淀君」と呼んだようです。幼名は茶々などがありますが、本来は「淀殿」でした。これは、産所(住居)としてあてがわれた淀古城に因んだものでした。

 もう一つ。大坂冬の陣、夏の陣(1614~15年)は、局地的な戦争で、天下分け目の「関ヶ原の戦い」(1600年)と比べると見劣りすると思っておりましたが、徳川方約20万人、豊臣方も約10万人とかなり大規模な戦争だったことを知りました。実は、関ヶ原の戦いで雌雄が決したわけではなく、まだまだ火種が燻っていて、大坂の陣でやっと決着が付いたことが歴史の正当な解釈でした。 

 何で、歴史の教科書などで大坂の陣が関ヶ原の戦いより重視されなかったのか? それは、豊臣方として、大野治長や真田幸村(信繁)、それに黒田家の元重臣後藤又兵衛(基次)、土佐の長宗我部盛親らは有名ですが、それ以外は「牢人衆」として十把一絡にされてしまい、後の徳川政権によって、まるで烏合の衆扱いされていたからだと思います。

 しかし、よく見ると、「牢人衆」の中には、関ヶ原の戦いで西軍に属して、領地を没収された大名の子息らも少なくなかったのでした。大谷吉治は、石田三成の片腕だった大谷刑部吉継の子、石川康長は、家康の元家老で秀吉方に出奔した石川数正の子、増田盛次は、秀吉の五奉行の一人増田長盛の次男、細川興秋は、小倉藩主細川忠興の次男(三男が嫡子となったため出奔した)、浅井井頼は、浅井長政の庶子(ということは淀殿の異母きょうだい)らがいたことを見れば明らかです。

 あと、大河ドラマ「どうする家康」を見ていると、評定(ひょうじょう)らしき重要な場や、仲介交渉役として多くの女性が登場するので、あの封建的な女性差別の時代ではあり得ず、フィクションのドラマかと思っていましたら、史実だったんですね。徳川方の和議の使者となったのは、家康の側室阿茶局(武田家の家臣飯田直政の娘)で、豊臣方の窓口となったのが、淀殿の妹初(常高院)だったことは歴史的事実でした。ドラマの時代考証さま、疑ってすみませんでした。

 最後に、豊臣秀頼は、「秀吉の実子ではないのではないか」という憶測が現在でもあります。有力なのが、淀殿の乳母大蔵卿局の子息の大野治長、秀吉の重臣片桐且元、それに石田三成説まであります。しかし、歴史家の加来耕三氏は、秀吉は天下人になって灸をすえ、漢方を服用し、温泉に浸かったりして努力していたことから、「秀吉の実子」説を唱えておりました。

 となると、淀殿と秀頼の自害で豊臣家が滅亡したことはかえずがえすも残念でした。嫡子ではないにせよ、北条氏や織田家でさえ、江戸時代~現代も残りましたからね。

【追記】2023年12月19日

 やはり、大坂の陣は、歴史のターニングポイントでしたね。近世の城郭の建築ラッシュになったのが、1600年の関ケ原の戦いから1614年大坂冬の陣までの慶長年間だったというからです。関ケ原では、加藤清正、福島正則、黒田長政ら旧豊臣方の活躍で勝利したため、徳川家康も仕方なく論功行賞として領地を与えなくてはなりませんでした。彼らが壮大な城を建築すれば、徳川方も防御とし多くの城を建築せざるを得ません。名古屋城などは、全国の大名をかき集めて公儀(天下)普請で行った他、西に睨みを効かすために、井伊直政には石田三成の所領を与えて彦根城をつくらせ、藤堂高虎には安濃津城を任せたりしましたから、大坂の陣まで戦国時代は続いていたという見方は正しいのではないでしょうか。

心も環境も遺伝によるものだとは!!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(下)

 2023年12月6日の記事「大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著『能力はどのように遺伝するのか』(上)」の続きです。

 先日、安藤寿康著『能力はどのように遺伝するのか』(ブルーバックス)を読了しましたが、この本の内容について、誤解を招くことなく、どうやってまとめていいやら随分、悩んでしまいました。

 著者の安藤慶大名誉教授も「あとがき」で書いているように、遺伝について語ること自体をタブー視する風潮は、我が国では依然として根強く、教育現場で「学力は遺伝だ」などと言うと、生徒が勉強する意欲をなくすので、「言ってはいけない」ことになっているそうです。「本書はパンドラの箱を開けてしまったことになるかもしれない」とまで書いております。

 著者が専門の行動遺伝学とは、文字通り、行動に及ぼす遺伝の影響を実証的に研究する学問です。一卵性、二卵性の双子のきょうだいの類似性から実証データを収集する「双生児法」が基本になっていますが、既に150年の歴史があるといいます。その結果-。

・「心は全て遺伝的である」、すなわち人間のあらゆる行動や心の働きに、遺伝の影響が無視できないほど効いている。(51ページ)

・環境も遺伝だというと、詭弁だと非難されそうだが、これも行動遺伝学が見出した重要な発見の一つである。つまり、人が出会い、環境を作り出すときには、その人の行動が関わっている。だから、そこには遺伝の影響が反映されているということである。(151ページ)

・親の社会経済階層(収入)と子どもの教育年数とは相関関係が見られ、昨今流行した「親ガチャ」は正しいことになるが、遺伝の影響はそれとは独立に個人差を生み、貧しい家庭に生まれても本人に遺伝的才覚があればのし上がることが出来る(その逆も然り)。(199ページなど)

 ーなどといった驚くべきことが例証されています。

上野・西郷どん

 行動遺伝学は、「分散の学問」とも言われています。世の中には色んな人がいらはりますが、そのバラつきの原因は何なのか、そこに遺伝の違いが関わっているのか、遺伝で説明できない環境の要因で説明することが出来るのはどれくらいあるのかーといったことを研究する学問だといいます。そこで、遺伝による分散をVg、環境による分散をVeとすると、両者を足し合わせたものが表現型の全分散と考えてVpとなり、以下の数式で表されるといいます。 

 Vp=Vg+Ve

 これは、統計学の「分散分析」と呼ばれる手法となり、まさに、行動遺伝学というのは数学であり、科学であるということが分かります。

 その一方で、データ解析によって、遺伝による学力格差や収入格差などが見出され、それに加えて、障害者に対する差別などの問題も表れることから、科学的分析だけでは済まなくなります。いかに一般大衆にも誤解のないように分かりやすく説明するには「文学(レトリック)」の力が必要とされますし、問題を解決するためには、教育や行政による政策も必要とされます。さらに、最後に残るのは倫理問題になるかもしれません。

 パンドラの箱を開けてしまった著者も、行動遺伝学がもたらした危険性を予言して批判したり、逆にそこから新しい教育制度、政治制度、社会思想などを構築する議論が起こるだけでも、「本書を出版した意義は十分にあると信じている」と最後のあとがきで吐露しておりました。

 読者には、重く深い課題を課せられたようなものです。

 私は政治活動をするようなことは不向きですがら、個人的に、困難な状況や難題に遭遇したとき、「遺伝だからしょうがない」と自分自身を諦める納得の材料にしたり、実に嫌な、生意気で性格の悪い人間に遭遇したとき、「こいつ個人が悪いのではなく、単なる遺伝によるものに過ぎない」と思い込むことによって不快感から逃れる手立てにして、なるべく自分自身を追い込まずに精神障害を発症しない手段にしようかと思っています。

 あ、そっか~。何でも自分自身を追い込む生真面目な性格は、遺伝に過ぎないかもしれませんね(笑)。

大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(上)

 12月1日付の渓流斎ブログ「身も蓋もない議論なのか? 究極の理論なのか?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」の記事の最後の方で、「(著者の)安藤寿康氏には失礼なことを書いてしまったので、安藤氏の近著『能力はどのように遺伝するのか』(ブルーバックス、2023年6月22日初版)を購入して読んでみようかと思っております。大いに期待しています。」と書いたことを覚えていらっしゃる読者の方が、もし、いらしたら、その人は「通」です(笑)。

 目下、有言実行でこの「能力はどのように遺伝するのか」を読んでおります。何しろ「科学の聖典」を多く出版しているブルーバックスですからね。私が子どもの頃に創刊されたあこがれのシリーズです。学術書なので難解ではありますが、購入して良かったと思っています。前回、安藤氏ご自身が、自分の著書について、ネット上の書評で「言いたいことがあるならはっきり言え」「期待外れだった、橘さんの本で十分」などと批判されたことを「あとがき」に書いていたことをご紹介しました。確かに、この本もなるべく断定的な言説を避けているので、失礼ながら、前述の批判も頭に浮かんだりしますが、そこは、誤謬を嫌うデータ重視の科学者としての誠実で真摯な態度の表明と受け取ることが出来ます。

 私も今、回りくどい言い方をしましたが、この本は名著だと思います。何も知らない初心者でも「行動遺伝学」とは何なのか、理解できるからです。この本を知らずに一生を終わるのは勿体ない、と皆さんには言っておきます。

東銀座「紹興苑」

 このブログを長年お読み頂いている皆様には周知の事実ではありますが、私の人生のテーマは、仏画家ポール・ゴーギャンが描いた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の言葉そのものです。そのために、ここ何年も何年も、古人類学や文化人類学、進化論、宇宙論、量子論、物理学、心理学、数学…と難解で不慣れな書籍に挑戦して来たことは皆様ご案内の通りです。その結果、「我々はどこから来たのか 」は大体分かってしまいました。時間も空間もない「無」からインフレーションとビッグバンが起きて138億年前に宇宙が誕生し、46億年前に地球が誕生し、40億年前に生命が誕生し、中略して、700万年前に霊長類の人類がチンパンジーから分かれて「誕生」し、また、中略して、20万年前にホモ・サピエンスがアフリカで出現して、7万年前にアフリカを出て、3万年前に日本列島にまで到達した、ということでした。

 「我々はどこへ行くのか」も分かってしまいました。身も蓋もない話ですが、滅亡します。地球はあと20億~50億年で寿命で消滅することが分かっていますから、生命はその前に絶滅します。このまま、環境破壊と地球温暖化が進めば、もっと早い時期に滅亡することでしょう。別に脅しでも脅迫でもありません。私が言っているのではなく、科学者ら言っているのです(苦笑)。となると、せめて、生きているうちに幸福を求めて生を謳歌するしかありませんよね?

 その前に「我々は何者か 」が残っておりました。これは、人類学や進化論、宇宙論だけではアプローチ出来ません。そんな中で、偶然出合ったのが、行動遺伝学です。そして、手に入りやすいその代表的な関連書籍が前回の橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書)であり、今回の安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(ブルーバックス)であると言っても過言ではないと思っています。

東銀座「紹興苑」牛すじ煮込みランチと点心(点心は写真に写っていません) 1400円

 さて、前置きがあまりにも長くなってしまったので、本日取り上げるのは「第1章 遺伝子が描く人間像」です。私が一番驚いたことを書きます。今年(2023年)、最も話題になった「天才」として、二刀流の大谷翔平選手と将棋八冠の藤井聡太さんがおりますが、彼らのDNAの塩基配列の99.9%までが我々と同じだというのです。えっ?です。違うのは0.1%だけで、そこに「個人差」の源泉が潜んでいるというのです。もっとも、この後、読み進めていくと、わずか0.1%しか違わないと言っても、ヒトの遺伝子は30億の塩基対から成るので、その0.1%とは300万、つまり、300万カ所に個人差があるというのです。

 なあんだ、ですよね。この後、第2章に入ると「才能は生まれつきか、努力か」という話になり、フィギュアの4回転半ジャンプも、難曲のピアノ演奏も、野球やサッカーや囲碁将棋も、才能によるのか、努力が開花したのか、要するに、遺伝なのか、環境によるものなのか、生まれつきなのか、練習のたまものなのか、といった悩ましい話になってきます。しかし、実に興味深い話です。自分とは一体何者なのか? あの嫌〜な奴は、何であんなにあくどい悪賢い人間なのか?(笑) 何で彼はそんなにメンタルが強いのか? それなのに、自分は何で気弱で、毎日悩み苦しんでばかりいるのか?ーといった難題を解くヒントになります。

 なお、22ページには必須アミノ酸20種類がどんな塩基に対応しているのか(これは「コドン」と呼ばれる)という「DNAコード表」が掲載されています。「AGA」が「アルギニン」、「GGT」が「グリシン」などとなっていますが、これが今の高校の生物で習うとも書かれています。

 えっ?!私が高校生の頃は全く習いませんでしたよ! それだけ、学問は日進月歩、進化しているということですよね。だから、幾ら歳を取っても、勉強し続けなければならない、ということになりますか。

英国人捕虜を連行した憲兵軍曹大山勉は東京外語仏語部出身だった=インテリジェンス研究所特別研究員名倉有一氏の業績(その2)

 全く意図しておりませんでしたが、昨日、この渓流斎ブログに書いた「日本軍捕虜の英国人遺族の娘が78年ぶりに来日した物語=インテリジェンス研究所特別研究員名倉有一氏の業績」の続きのような読み物を本日書くことになりました。

 あれから、また名倉氏から「資料」が送られてきたのです。「駿河台分室物語 対米謀略放送『日の丸アワー』の記録」です。昨日、添付しようとしたら、容量が大きすぎて添付出来なかったことを書きましたが、同じ「駿河台分室物語 対米謀略放送『日の丸アワー』の記録」の中でも、これは別物で、対米ラジオ放送の協力を拒否した英国人捕虜のウィリアムズさんを東京憲兵隊本部へ連行した大山勉・憲兵軍曹の履歴に絞った資料でした。

 送られて来た資料を読んで驚きました。大山勉憲兵は、1939年に東京外国語大学仏語科(当時は、東京外国語学校仏語部文科)を卒業した人で、小生の大先輩に当たる人だったからです。

 こちらの資料は、容量がそれほど大きくなかったので、うまく添付することが出来ました。名倉氏が、小生にわざわざ「大山勉」の資料を送ってくださったのは、私が東京外国語大学のフランス語科のOBだということを存じ上げていたからのようでした。

 東京外語大の仏語科出身の歴史的人物といえば、無政府主義者の大杉栄や詩人の富永太郎、中原中也、それに作家の石川淳らがおり、いずれも、「反体制派」の烙印を押されてもおかしくない人ばかりです。いや、むしろ、体制に準じない反骨の精神を誇りに思っている人が少なくないと言っても良いでしょう。私自身も含めて(笑)。このほか、東京外大出身で、反骨精神に溢れた人物として、作家の永井荷風(清語)、新美南吉(英語)、二葉亭四迷、島田雅彦(露語)を挙げておきます。

 嗚呼、それなのに、体制派べったりの憲兵さんが先輩にいたとは! 勿論、語学力を生かして、外務省に入省したり、総合商社に就職したりする「体制派」の方々も多いのですが(笑)、憲兵さんとなるとどうも異色です。

 名倉氏から送られた資料には、大山勉の学友(同級生)で満鉄東京支社調査室に勤務したこともある武博宜氏の書簡も掲載されていますが、「(大山勉と)私とは昭和10年から14年まで東京外語の仏語部で一緒でした。旧制中学は当時名門だった府立四中(現都立戸山高校)でしたから勉強はよく出来ました。時折、改造社辺りから出版されたブハーリン、トロツキーなどの書籍を小脇に抱えていたのを覚えています。後年、憲兵になったー恐らく志願したのでしょうーことを思い合わせると違和感を覚えます。」と証言するほどでした。

赤羽

 その一方で、池田徳真著「日の丸アワー―対米謀略放送物語 」(中公新書)にはこんなエピソードが紹介されています。

 また時には大山憲兵の部屋にいって、話し込むこともあった。彼の部屋をみるとこれまた不思議である。フランス語の本がずらりと並んでいて、彼自身はゾラやモウバッサンの小説をフランス語で読んでいる。それは私たちの憲兵のイメージとだいぶ違うので聞きただしてみると、彼が言うには「私は仏文卒で、フランス語の勉強を命じられているのです」とのことであった。

 恐らく、仏印などに派遣された時に、現地で尋問や通訳・翻訳としてフランス語を使う場合もあるので、大山も上司に命じられて仏語の勉強を続けていたということなのでしょう。(実際、大山は、日米開戦後は、仏印サイゴンの憲兵隊に転勤した。)

 戦後、憲兵だった大山が、公職追放されたのか、そして、どんな生活を送ったのか、この資料だけでは不明ですが、晩年は宇都宮に住んでいたようです。戦後まもなく、大山は、富士山麓の農民の先頭に立って、米軍の実弾射撃訓練に反対する行動を指導していたという噂があった一方、大山の同級生の武氏は「戦後、大山君が『反米』『反戦』の立場を取っていたかどうかについては、全く心当たりがありません。彼との間でその種の話を交わした記憶はありません」(1998年3月24日付、名倉氏宛て書簡)と証言しています。

 物静かな人だったらしいので、指導者の噂は眉唾ものだったと思われます。依然と、大山憲兵軍曹の履歴は謎に包まれていますが、もし彼が戦争がない時代に生まれていれば、フランス文学者になっていたのかもしれません。

浮世の憂さから逃れられる良書=永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」

 永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」(NHK出版新書、2022年4月10日初版)を先日、読了しました。この渓流斎ブログでこの本について初めて触れたのが、11月17日に書いた「そうだ、何歳になっても数学を勉強しよう」でしたから、11月の後半は、通勤電車の中でどっぷり数学に浸かっていたことになります。頭の悪そうな老人が、スマホのゲームをしないで、数学の本を読んでいるなんて、さぞかし異様な光景だったことでしょう。

 それでいて、数学を勉強している本人は、一瞬ながら浮世の憂さを逃れる気分になることが出来ました(苦笑)。恐らく、心配したり悩んだりする脳の器官(もしくは部位)と、数学の難問を解く脳の器官は別になってるんじゃないかと思います。

 前回にも書きましたが、数学の勉強をしたのは、予備校時代以来約半世紀ぶりでしたから、すっかり錆びついていた、どころか、完璧に忘れていました。中3で習う二次方程式の解の方程式すら忘れていたわけですから、もう何をか況やです。

 それに文部科学省の「学習指導要領」が半世紀前の昔とは大幅に変わっていますから、我々の世代ではそれほど深く習わなかったか、もしくは理科系の「数Ⅲ」で習うような「集合」や「確率」などが今では「数ⅠA」の段階で教えられていることを知りました。

 それに加えて、19世紀のドイツの天才数学者ガウス(1777~1855年、ナポレオンと同時代人!)の「合同式」(a と b とが法 n に関して合同であることを表記するとa ≡ b (mod n)となる。)なんかも掲載されていて驚くばかりです。

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 この本の趣旨は、数学の公式だけを単に丸暗記するのではなく、それに至るプロセスや問題解決能力を養うことを目的に「論理的思考力」を涵養することにありましたが、その通り、文学的、情緒的、感覚的思考力ではない明晰な思考力が身に着くような気がしました。そういう意味では、大変な良書です。確かに、社会に出れば、殆どの人は、sin、cos、tanも、平方根も、三角関数も、微分積分も、つまり、数学を使うことはないので、役に立たない学問だと錯覚しがちですが、そうではなかったことが分かったわけです。

 17世紀半ばに活躍したフランスの哲学者デカルトは、私も影響を受けた哲学者ですが、彼は代数学全盛の時代に、座標軸を発明し、古代ギリシア時代以来埋もれてしまっていた幾何学を復興した人でした。つまり、デカルトの哲学とは数学的思考によって裏付けられていたというわけです。(その逆も言えます。プラトンは、アテネ郊外に創立した哲学学校の校門に「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」と掲げたそうです。)

 だからこそ、ヨーロッパでは、古代ギリシャの数学者ユークリッドが書いた「原論」を20世紀初頭まで、2000年間も現役の数学の教科書として使われていたといいます。(ユークリッド幾何学は、2次元平面を前提とした幾何学なので、平行線公準は成立しますが、球面上の幾何学では平行線が交わることがあります。こうして、平行線公準を否定することによって、非ユークリッド幾何学が生まれました。)

 とにかく、数学的思考は奥が深いのです。人間としてこの世に生まれてきたからには、数学は、役に立つとか立たないとかいった打算に左右されることなく、論理的思考力を涵養するために学ぶべきだということをこの本で教えられました。いつか、もし、続編の「教養としての『数Ⅱ・B』」が出版されれば、絶対に買います。

身も蓋もない議論なのか? 究極の理論なのか?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」

昨日は、橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書)を読了しましたが、あまりにも面白かったことと、専門用語が沢山出来てきたこともあり、もう一度、軽く再読しました。勿論、再読する価値はありました。専門用語とは、GWAS(ゲノムワイド関連解析)とか、MAO(モノアミン酸化酵素)-A遺伝子とか、SES(社会経済的地位)等々です。

  この本については、11月27日にも触れましたので、それと重ならないことを書かなければいけませんけど、ダブったらすみません(苦笑)。行動遺伝学とは、前回ご説明しましたが、行動遺伝学者のエリック・タークハイマーが「行動遺伝学の3原則」の第1番に「ヒトの行動特性はすべて遺伝的である」としていることに象徴されます。つまり、人との出会いや本や趣味などとの出合い、そして事故や病気までもが、全くの偶然ではなく、何らかしら、遺伝的要素によるものだ、ということを治験や双生児らの成長記録などからエビデンスを探索して証明するという学問が行動遺伝学だと大ざっぱに言って良いと思います。

 行動遺伝学の日本の第一人者が、慶応大学の安藤寿康名誉教授で、「言ってはいけない」などのベストセラーになった著作で世間に行動遺伝学なる学問を認知させたのが作家の橘玲氏ということで、この2人による対談をまとめたものが本書ですから、面白くないわけがありません。

所沢航空公園

 私が他人に共感したりすることが出来るのは、その人が、他人に見せたがらない、知られたくない自分の「弱さ」を正直に披瀝した時があります。特に安藤名誉教授は、長年、行動遺伝学に関する書籍を出版しても世間から注目されず、50歳を過ぎるまで、自分の学問は何の役に立たないといった劣等感でいっぱいだったことを告白しています。50歳を超えて色んな経験を積んだことでようやく自分の居場所に気づけたといいます。安藤氏は大変、正直な人で、「あとがき」で「実は『橘玲』の名前はよく目にしていたものの、私が苦手で無関心とするお金儲けの話や、人の心を逆なでするようなタイトルの本ばかり出すという先入観で、申し訳ないが手に取って読んだことがなかった」とまで書いちゃっています。勿論、この後には、行動遺伝学を世間に知らしめた橘玲氏の「言ってはいけない」を読まざるを得なくなり、読んでみたら、教え子の学生や研究仲間以上に実に正確に深く理解して持論を展開していたので、感服したこともちゃんと書いています。

 安藤氏は、橘氏の著作について、「偽悪的芸風の行間に垣間見られる愛」と喝破し、自分の芸風については「偽善的とも受け取られるような姿勢」と自認していますから、本書は、「偽悪」対「偽善」の対談ということになりますか?(笑)。というのも、行動遺伝学そのものが、もともと悪の学問である優生学を同根としているからだと安藤氏は言います。誰だって、「年収や学歴や健康は遺伝によるもので、環境(子育て)の影響はさほど大きくない」などと言われれば、身も蓋もないと感じることでしょう。その半面、両親に収入も学歴がなくても、「鳶が鷹を産むことがある」とか、「作曲家・指揮者レナード・バーンスタインの両親は全く音楽の才能がなかったのに…」といった例が挙げられたりしています。

 勿論、安藤氏は学者としての誠実さで科学的知見を披露しているだけなのですが、ネットの書評では「言いたいことがあるならはっきり言え」「期待外れだった、橘さんの本で十分」とまで書き込まれる始末です(苦笑)。

所沢航空公園

 一方の橘氏は、確かに作家的自由奔放さで、大胆な仮説をボンボン提案しています。例えば「ADHD(注意欠如・多動性)が発達障害とされるのは、…現代の知識社会が、机に座って教師の話をじっと聞いたり、会社で長時間のデスクワークをする能力が重視されているからです。環境が目まぐるしく変わる旧石器時代にはADHDの方が適応的だったはずだし、だからこそ遺伝子が現代でも残っているのでしょう」と発言したり、「攻撃性を抑制して高い知能を持つようになった東アジア系は、全体的に幼時化していったと私は考えています。社会的・文化的な圧力で協調的で従順な性質に進化していくことを『自己家畜化』といいますが、…『日本人は世界で最も自己家畜化した民族』だということを誰か証明してくれることを期待しています」などと、持論を展開したりしています。同感ですね。このような発言を読んだだけでも、頭脳明晰な橘氏が相当、行動遺伝学の関連書を何十冊も読み込んで、持論にしていることが分かります。確かに、「橘さんの本で十分」かもしれません(失敬!)。

 安藤氏には失礼なことを書いてしまったので、安藤氏の近著「能力はどのように遺伝するのか」(ブルーバックス、2023年6月22日初版)を購入して読んでみようかと思っております。大いに期待しています。

行動遺伝学とは何か?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する」は読み応えあり 

 数日前から少しずつ橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書、2023年11月10日初版)なる本を読んでいます。有楽町の三省堂書店にNHKラジオのフランス語のテキストを買いに行って、ついでに書棚を覗いていたら、偶然この本が見つかったのです。まさに、セレンディピティ(思い掛けぬ幸運)かもしれません。

 この本は、三省堂有楽町店の新書部門で第1位を獲得していたので目立つ所にありました。中をパラパラめくっていたら、こんな文章に巡り合いました。(ちなみに、この本は、「言ってはいけない」などで知られるベストセラー作家の橘氏と、「能力はどのように遺伝するのか」を今年出版した行動遺伝学者の安藤慶大名誉教授との対談で構成されています。)

 病気になったり、近しい人が亡くなったり、強盗に遭うなど、一般的に運が悪かったとされる偶然の出来事と、離婚や解雇、お金の問題など、本人にも責任があると見なされる出来事を比較したところ、偶然の出来事の26%が遺伝で説明でき、本人に依存する出来事の遺伝率30%と統計的に有意な差はなかった。(14ページ)

 えっ?どういうこと???  次にこんなことが書かれています。

 よく考えてみると、病気には遺伝が関わっているし、…強盗に遭うのは確かに運が悪かったのでしょうが、危険な場所にいたり、目立つ行動をとったりしたのが原因だとすれば、そこにも遺伝の要素がある。知人が交通事故に遭ったら、「運が悪かったね」と同情するでしょう。でもそれが信号を無視して横断歩道を渡ろうとしたり、無理な追い越しをしようとして起きたら単なる偶然とは言えない。そう考えれば、私たちの人生の全てを遺伝の長い影が覆っていて、そこから逃れることができないのではないでしょうか。(15ページ)

 この渓流斎ブログを長年お読み頂いている皆様はご承知かと存じますが、私は色んなことに好奇心を働かせております。そのうちの一つが、「人間は、遺伝で決まるのか、育った環境によって決まるのか」といった難題です。俗に言う「氏(うじ)か、育ちか」、「生まれつきか努力か」、Nature or Nurture? です。だから、これまで苦労して人類学や進化論に関する書籍を読んできたのです(苦笑)。

 でも、我思うに、もしこれが、AかBかの二者択一問題だとしたら、日本人は圧倒的に「氏」を尊重してきた民族だと言っても良いのではないでしょうか。天皇制にしろ、武家社会にしろ、現代政界にせよ、芸能の歌舞伎の世界にせよ、「世襲」を重んじてきたからです。

大興善寺(佐賀県)

 この本では、作家の橘氏が、行動遺伝学者である専門家の安藤氏に質問を投げかける形で対談が進んでおりますが、博覧強記のお二人ですから、私なんか全く知らなかった多くの文献を引用されています。例えば、行動遺伝学の大御所ロバート・プロミンは、著書「ブループリントーDNAはどのようにして、私たちが何者であるかをつくりあげるのか」を出版し、遺伝子レベルで行動遺伝学の知見が証明されたと「勝利宣言」したといいます。 

 また、行動遺伝学の大立者エリック・タークハイマーは「行動遺伝学の3原則」(原則1:人間の行動形質は全て遺伝の影響を受ける。 原則2:同じ家庭で育ったことの影響は、遺伝の影響よりも小さい。 原則3:人間の複雑な行動形質に見られる分散のうち、相当な部分が、遺伝でも家族環境でも説 明できない。)を提唱し、この3原則が今や、行動遺伝学の基本中の基本になっているようです。

 そんなことを急に言われても、何のことを言っているのか分からないと思いますので、そもそも行動遺伝学とは何かと言いますと、知能や性格を含めて、あらゆる行動や心の働きが遺伝の影響を受けるというのが原則だという学問です。おおよそですが、知能は60%ぐらい遺伝子の影響を受け、「協調性」や「外向性」や神経質」などの性格は、30~40%遺伝によるというものです。行動遺伝学は、主に、双生児(一卵性、二卵性)の方々を長年追跡して科学的知見を追究していきます。

 そこで、この本は、まさに「遺伝か環境か、どちらなのか」の議論が展開されています。1冊の本になるぐらいですから、色んな所見が出てきて面白い読み物になっていますが、なかなか結論は出てきません。色んな要素が複雑に絡み合っているからだというのです。結局、ヒトは、遺伝と環境の要素を50%ずつ受けているのが正解なのでしょうが、「30%の遺伝でも多いと言えばかなり多い」「偶然であっても、遺伝的に必然だったかもしれない」などと言われると、こちらも思わず頷いてしまいます(笑)。

大興善寺(佐賀県)

 さらに言えば、例えば、私は、電車やバスや職場などで嫌~な奴に遭遇することがあるのですが、彼ら本人だけが悪いのではなく、生まれつきの遺伝の産物なんだと思うと、あまり腹が立たなくなるんですよね(笑)。

 「病気になったのは遺伝のせい」「学力がなく、年収が低いのも全て遺伝のせい」ということにすれば、大変気が楽になりますが、この本をじっくり読めば、行動遺伝学はそこまで結論づけて断定的に言っていない、ということになっています。「じゃどっち何だ!」と思う方はこの本を読むしかないでしょう。そして、自分自身で納得する結論を引き出したらどうでしょうか。

クロード・ハウザー、ピエール=イヴ・ドンゼ編「駐日スイス公使が見た第二次世界大戦―カミーユ・ゴルジェの日記」を翻訳した鈴木光子氏=大学同窓会で講演

 11月19日(日)は、東京・大手町で開催された大学の同窓会「第28回サロン仏友会」にオンラインで参加しました。毎年、この時期に開催されるのは、ボージョレ・ヌーヴォーが解禁される「飲み頃」を狙ったものですが、会場参加出来なかったので、恩恵に預かれませんでした(苦笑)。

 今回のゲスト講師は、元スイス政府観光局次長で旅行作家、翻訳家の鈴木光子氏でした。御高齢ということで、彼女もオンライン参加でした。お話は、今年3月に、足かけ5年の歳月をかけて翻訳出版したクロード・ハウザー、ピエール=イヴ・ドンゼ編「駐日スイス公使が見た第二次世界大戦―カミーユ・ゴルジェの日記」(大阪大学出版会)の完訳までの苦労話が中心でした。

 日記を書いたカミーユ・ゴルジェ(1893~1978年)は、スイス・ジュラ州(フランス語圏)出身の外交官で、日本には1924年から26年にかけて、当時、国際連盟事務局次長だった新渡戸稲造の推薦を得て外務省法律顧問として初来日し、40年から45年にかけて駐日スイス公使を務めた人です(その後、ソ連やデンマークなどの公使も歴任)。最初の来日は、大正デモクラシーの自由な世界で、公使を務めた時は、軍国主義の戦時体制でしたから、あまりにもの違いに驚くことが日記に書かれています。(未読なので、そのようです)

 日記は戦後10年経って公表されましたが、今回は、スイス・フリブール大学のハウザー教授が、カミーユ・ゴルジェの子息に連絡を取って、出版の許可を得て、大阪大学のドンゼ教授と連携して編纂し、前書きと後書きを執筆したというものです。1938年生まれの鈴木光子氏は、先の大戦で空襲の体験があることから、「歴史と記憶」を大命題とし、「太平洋戦争の記憶が薄れていく現代で、何が歴史として残るかを問う著作」として綿密に翻訳作業に取り組んだといいます。

 鈴木氏によると、日記には、皇室への憧憬、大国と小国の席の序列など外交界での身分格差、戦時下の一般庶民の投げやりな日常、スイス外交団の軽井沢への疎開など、貴重な歴史的証言が描かれているといいます。邦訳は583ページにも及ぶ大作で、「持つと重さ1キロもありますが、多くの人に読んで頂きたい」と鈴木氏は話しておりました。

 ついでながら、鈴木氏はスイスの専門家なので、日本人が意外と知らない「スイス人」の著名人として、思想家のジャン・ジャック・ルソー(1712~78年、父親はジュネーブ共和国の時計職人)、建築家のル・コルビュジエ(1887~1965年、本名Charles-Édouard Jeanneret-Gris、タグ・ホイヤーなど世界的時計メーカーが本拠地を置くラショー・ド・フォン出身)、フランス6人組の一人である作曲家アルトゥール・オネゲル(1892~1955年、仏とスイスの二重国籍)らを挙げておりました。

そうだ、何歳になっても数学を勉強しよう=永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」

 渓流斎という人は勤勉で生真面目な人間なので、目下、数学を勉強しています。大学は文系でしたので、高校卒業以来約半世紀ぶりの学習です。社会人になっても、数学は全くと言ってもいいほどほとんど使いませんでした。せめて使うとしたら算数ぐらいでしたから、すっかり忘れてしまいました。

 国立の文科系大学を受験したので、数学はⅡBまで必須でした。あれだけ、微分積分の問題を苦しみながら解いたのに、悲しいかな、やれば思い出すでしょうが、忘れてしまいました。それどころか、二次方程式の解の公式すら忘れているのです。

{\displaystyle ax^{2}+bx+c=0\quad (a\neq 0)} の解の公式は

{\displaystyle x={\frac {-b\pm {\sqrt {b^{2}-4ac}}}{2a}}}

 となりますが、全く記憶にないほどです(苦笑)。この公式は中学3年で習うといいますから、中学生の時、よほどサボっていたことになります。思い起こせば、中学生の時、私はグレていたので確かにその通りです(笑)。

 今、世界ではロシアがウクライナに侵攻し、イスラエルがガザ地区に報復の大量殺戮を行い、戦争が絶えることがありません。それに対して、無力感に浸っているのは私だけではないと思います。国連を始めとした国際機関の働きも無力で、大国の米国は逆に戦争を容認するか、むしろ煽っている状況です。

 文学も音楽も美術も映画も演劇も戦争を止めることが出来ません。もう絶望するしかありません。そこで救いを求めたのが(宗教ではなく)数学でした。数学的思考形態を脳髄に刷り込ませよう、と思ったのです。

 その数学の前にイーロン・マスクさんを見習って、感情をシャットダウン出来ないものか模索しました。私は大変涙もろいので、ウクライナのブチャでの虐殺や、本来なら病人やケガ人を治療するガザ地区のシファ病院が空爆されたり地上戦で子どもたちに死者が出たりする映像を見ただけでも、涙が止まらなくなってしまいます。なるべく、感情的にならないようにしましたが、修行が足りないせいか、やはり、心を痛めてしまいます。

銀座1丁目「舞桜」 舞桜御膳1000円

 数学的思考とは何か? ーたまたま、目にした本に明晰に書かれていました。その本は「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」(NHK出版新書、2022年4月10日初版)という本です。著者の永野裕之氏は言います。

 社会に根ざした学問の場合、非常に似通ったケースであっても、一方は正しく、他方は正しくないということがあり得ます。グレーゾーンのような領域が多々あり、判断が難しいのです。その点、数学にはそういった玉虫色の結論がありません。いつでも白黒がはっきりするので明瞭です。

 私はこの節を読んで目から鱗が落ちる思いでした。勿論、現実世界はそう単純ではありませんから、神さまがいて白黒をはっきりさせて悪者を退治してくれるようにはなっていません。ただ、著者の永野氏は、数学を学ぶことによって「論理的思考力」、言い換えれば「問題解決能力」を養うことが出来ると力説しています。

 なるほど、その通りですね。先日、フランスの格言に「明晰でないものはフランス語ではない」というものがあることをこのブログでご紹介しましたが、この伝でいきますと、「明瞭でないものは数学ではない」ということになります。

 数学は確かに数式を多用して問題を証明する学問ですが、論理的に証明する学問でもあります。例えば、「集合」論では、「ある命題の真偽と、その対偶の真偽は一致する」という定理があります。命題とは、真偽を客観的に判断できる事柄のことで、対偶とは、その命題の「逆」の「裏」から作られたものとなります。つまり、「pならばqである」という命題の対偶は、「qでないならばpではない」となります。

 例えば、「天才でなければピカソではない」という命題があったとしたら、その対偶は「ピカソであれば天才である」となります。天才という定義は難しいですが、ピカソは天才なので、「命題と対偶の真偽は一致する」ことになるわけです。

 このほか、本書では「背理法」による証明も出てきますが、対偶と同じように数の計算式は出てきません。まさに論理的思考力を養う学問と言えます。

 この本は、まだ半分しか読んでいませんが、108ページ辺りからデカルト(1596~1650年)が登場してきます。私は学生時代、デカルトを卒論のテーマにしようとして、「我思う故に我あり」で有名な「方法序説」だけは原書で読み、「省察」や「情念論」なども読みましたが、難解過ぎて理解できず、とうとう途中で挫折してしまいました。そのせいか、デカルトが哲学者であるのと同時に優れた数学者だったことを忘れるところでした。この本では、座標軸を発明したのはデカルトだとはっきり書かれております。

 デカルトは、意味が抽象的になる短所を持つ代数学に、意味が具体的になる長所を持つ幾何学を導入して座標軸を発明したといいます。例えば、二次関数の代数を、幾何学でグラフ化(図形的に関数が変化する様子を表す)することによって意味を分かりやすくしたというのです。(私はこのブログにグラフを書くことが出来ないので、分かりづらいかもしれませんが、堪忍してください。)

 なるほど、デカルトは偉い。哲学と数学は矛盾するわけではないことを証明したような人だったとも言えます。