明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

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 新型コロナウイルスの影響で、さらに自粛ムードが広がり、世間では3連休だというのに身動きできない状況です。

 新型コロナウイルスに緊急対応した医師や看護師に対して、「バイ菌」扱いしたり、いじめをしたりする事案が各地で頻発しているらしく、日ごろ、「日本民族は礼儀正しく優秀だ」「日本人は素晴らしい」と歓呼している人も、知らないふりをして声を潜めています。

 さりはさりとて、今から44年前の1976年2月に起きたロッキード事件関係の本を読んでいたら、ロッキード社から秘密工作費21億円を受け取ったとして脱税などで起訴された児玉誉士夫氏の東京都世田谷区の住所が番地まで出ていました。

 たまたまその近くの豪邸にお住まいの深沢令夫人と面識があるので、「散歩のついでに、旧児玉邸が現在どうなっているか調べてください」と探訪要請したところ、快く引き受けてくださいました。

 令夫人のことですから、「写真を撮影するのは憚れました」ということで、残念ながら、現場写真はありませんが、どうやら、現在は高級マンションになっているとのことでした。確か、ロッキード事件発覚後の翌月に、児玉邸にセスナ機が自爆特攻した事件があり、2階の1部が損傷しただけだったので、大豪邸だったのでしょう。やはり、跡の敷地に高級マンションが建つほど広大な敷地だったんですね。

 そんな話を大分にお住まいの物知りの三浦先生に話したところ、「児玉さんの御子息は、何をされたかご存知ですか? 赤坂方面の放送局の重役まで務められましたよ。それより、あの石原莞爾の孫はその放送局の会長までやってますよ。作家の息子とはレベルが違います。世の中の人は何も知らないでしょうけどね」と仰るではありませんか。

 あらま。私も「世の中の人」ですから、何も知りませんでした。調べてみたら、フィクサー児玉誉士夫氏の御子息である児玉守弘氏は、TBSの常務取締役や関連会社の役員を務めた後、日音の相談役になったとか。満州事変を画策した石原莞爾の孫の石原俊爾(としちか)氏はTBSの社長~会長を歴任されてますね。

作家の息子とは、昨年、フジテレビの社長に就任した遠藤周作の御子息遠藤龍之介氏のことでしょうかねえ?

 最後に今日はこれだけは書いておきたい。「桜を見る会」事件のことです。

 報道に接する限り、桜を見る会の招待者は、特別な功績や功労がなくても、安倍首相の後援会の関係者ならフリーパスで、内閣府もチェックせずにそのまま通っていたことが明らかになりました。これでは、国民の税金を首相が「私物化」したことになります。花見会も高級ホテルでの前夜祭も、やりたければ個人のポケットマネーでやれば、納税者から誰も文句は出ないはずです。

 自分の選挙民を優遇すれば、「偉い先生」として、国会議員に当選するのは当たり前です。しかも、脱法的な手段で国民の代表として居座るなら言語道断で、民主主義の危機です。

  明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

 これは、浄土真宗の開祖親鸞が9歳のときに出家する際に読んだ歌とされます。

 飛躍して読めば、今の「桜を見る会」の騒動に一石投げかけるようにも読めます。

 恐らく、時の最高権力者はこの歌のことはご存知のことでしょうが、「驕れる者久しからず」ことを肝に銘じてもらいたいものです。

黒川弘務氏の最高検検事総長就任を阻止しよう

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黒川弘務氏の最高検検事総長就任問題は、新聞の投書になるほど国民的関心が深まってきました。投書は、黒川氏に対して、「今夏に最高検検事総長就任の打診があったら辞退したらどうですか」と勧告するものでしたが、同感です。素晴らしいことです。先日、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫)を読了して、その意を強くしました。

 この本には、明治の日糖事件から、時の最高権力者だった田中角栄元首相が逮捕された昭和のロッキード事件まで政財界による疑獄事件を取り上げています。その中で、私自身が不勉強なため、知らなかった疑獄事件がありました。昭和43年(1968年)に発覚した日通事件です。運輸会社最大手の日本通運が、独占輸送をしている米麦などの政府食糧について、社会党の大倉精一(元日通労組委員長)と自民党の池田正之輔両衆院議員に対し、議会発言をしないよう働きかける見返りとして、日通が大倉に200万円、池田には300万円の現金を渡したとされる事件です。

料亭「花蝶」(今は新橋に近い東銀座にあり。当時もここにあったか不明。だって、高くて入れないんだもん!)

 この一連の日通事件の中に「花蝶事件」があります。これは、日通事件の渦中の68年4月19日に、新橋の料亭「花蝶」で井本台吉・最高検検事総長と自民党幹事長の福田赳夫(後の首相)と容疑者の池田正之輔代議士とが会食していたというのです。同年9月になって「赤旗」と「財界展望」が料亭の領収書を添えてすっぱ抜きました。井本検事総長は、池田代議士の逮捕には強硬に反対した人で、後に「この会食は日通事件とは関係がない。検事総長に就任したときに池田正之輔が祝いの宴を開いてくれたので、そのお返しとして一席設けただけだ」と弁明しています。 井本検事総長と福田幹事長は、ともに群馬県出身で、一高~東大の同級生です。

 「李下に冠を正さず」という諺がありますが、これでは、どうも検察のトップが政界疑獄を握り潰そうとしたかのような印象を強烈に残しています。逆に言えば、検察トップである最高検検事総長が「NO」と言えば、政治家の逮捕に手加減できる構図が浮かび上がります。

料亭「花蝶」(1968年当時の花蝶の流れを汲む料亭なのかどうか不明だが、新橋演舞場が目と鼻の先にあるので、恐らく、ここで検事総長と疑獄被疑者が会談したことでしょう)

 それを現代に当てはめれば、黒川弘務氏が安倍政権の強力な後押しで、最高検検事総長に就任すれば、安倍政権のスキャンダルを潰し、自民党員の選挙違反を曖昧にし、捜査に手加減をすることができることが容易に想像できるわけです。

 検察の世界では「被害者のいない犯罪」と呼ばれる三つの犯罪があるといいます。「汚職」「脱税」「選挙違反」です。

 先ほどの山本祐司著「東京地検特捜部」には、昭電疑獄から日通事件まで、特捜の鬼検事と言われた河井信太郎氏の残した言葉が掲載されています。

 「汚職、脱税、選挙違反などが蔓延すれば、法無視の荒廃した風潮を招く。やがて社会は自壊作用を起こし、国家は衰亡する」

 これは、1968年6月に著者のインタビューで語ったものですが、半世紀経った今、同じような状況になったということです。

 ロッキード事件を担当した検察OBも「世論の後押しで勇気づけられた」と後に語ったそうです。50年後の我々も、世論を高めて、黒川弘務氏の最高検検事総長就任を阻止しなければいけません。

黒川弘務氏の最高検検事総長就任は民主主義の危機

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 東京高検の黒川弘務検事長の定年を延長して、今夏には、検察トップの最高検検事総長に据えようとする安倍政権の目論見は、ついに国会でも追及されました。行政府の長が、司法検察のトップを意のままに動かすことができれば、勝手やりたい放題で、三権分立をうたう憲法違反になりかねませんからね。民主主義の危機です。

 ということで、私自身は検察関係とはこれまで「御縁」がなく、知識が浅かったので、友人に勧められて、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫、1985年11月10日初版)を赤線を引きながら読んでいます。これが、めちゃ面白い。人間臭い、人事の派閥抗争が検察庁内部で明治時代からあり、あまりにも人間的な検察官に親しみすら感じてしまいました。

 著者の山本祐司氏(1936~2017)は、元毎日新聞記者で、司法記者クラブに長らく在籍したスペシャリストです。特捜部関係の本は他にも結構あります。「東京地検特捜部」 は、文庫版になる前に現代評論社から1980年に初版が出ており、「古典的名著」と言われ、司法担当記者も、検察官自身も必読の書と言われています。が、文庫版になっても、間違いを散見します。例えば、21ページの「海部は、昭和22年大阪経済大を首席で卒業」は、「神戸経済大(現神戸大)」の間違い。55ページの「塩野のほうは、小原より四歳下」は「三歳下」の間違い。66ページの「ドイツの通信社ロイター電」は「英国の通信社」の間違い。114ページの「一木喜徳郎(いちのきき・とくろう)」は 「一木喜徳郎(いちき・きとくろう)」 の間違い…。いやはや、職業病というか、我ながら嫌な性格ですが、古典なら間違いを訂正して復刻してほしいものです。確かに名著だと思うからです。

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 私は「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」性格なので、どうも物事や歴史を当局や権力者側からというより、虐げられた側の人からの目線で見がちです。中年時代から近現代史に興味を持ち、「大逆事件」やら「2・26事件」やら「ゾルゲ事件」やら歴史的事件を自分なりに勉学してきましたが、そう言えば、「裁かれる側」からの視点ばかりで、検察など「裁く側」の視点に欠けておりました。

  戦前は、平沼騏一郎に代表されるような「公安・思想検察」が幅を利かせていましたが、戦後になって汚職などを摘発する「経済検察」が勢いを盛り返して、両者の間で血みどろの派閥抗争が続いていたことが、この本を読んで初めて知りました。

 経済検事の派閥を代表するのが、その後、司法大臣などを歴任した小原直(1877~1967)で、木内曽益(きうち・つねのり=1896~1976、最高検次長など歴任)~馬場義続(1902~77=元検事総長)に引き継がれます。小原は、大逆事件も担当しましたが、日本製糖汚職事件やシーメンス事件など戦前の大きな疑獄事件はほとんど担当し、その弟子筋の木内と馬場は、東京地検特捜部(東京地方検察庁特別捜査部)の産みの親と言われています。

 一方の公安検察の派閥を代表するのが、平沼騏一郎の引きなどで司法大臣なども務めた塩野季彦(1880~1949)で、その女婿の岸本義広(1897~1965)に引き継がれます。塩野は、日本共産党を壊滅にまで追い込んだ「3・15事件」や「4・16事件」などで実質的に指揮を執りました。

明治終わりに始まった経済検事・小原直と思想検事・塩野季彦との壮絶な覇権争いは、戦後は馬場義続と岸本義広による報復人事合戦による戦いとなり、最後は、経済検察側の勝利になりますが、映画かドラマを見ているような展開でした。

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 戦後まもなく起きた政界と財界との癒着汚職である「昭和電工事件」や犬養健法相による指揮権が発動された「造船疑獄事件」なども検察側からの視点で描かれ、多少、新鮮な感じがしました。「政界の爆弾男」田中彰治衆院議員や、「街の金融王」森脇将光らも登場します。石川達三原作で映画化された「金環食」では、この2人のモデルも登場し、それぞれ三国連太郎と宇野重吉が迫真の演技で強烈な印象を放っていたので、思い出してしまいました。

 先程の指揮権発動というのは言うまでもなく、1954年の造船疑獄事件で、犬養法相が、与党自由党の幹事長佐藤栄作の逮捕を阻止するために、使わざるを得なかった歴史的汚点のような事件のことを指します。 (犬養氏はすぐに法相を辞任し、事件の6年後に、この事件の背後に東京高検検事長だった岸本義広がいたのではないかと仄めかす論文を文芸春秋に発表)

 さて、今現在の話です。

 黒川弘務東京高検検事長を、最高検検事総長に据え置くという安倍政権の目論見は、指揮権発動に他ならないのではないでしょうか。この本を読んで、その思いを強くしました。

お経は今を生きる人が心の糧として読むべきでは?

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  何か、毎日、本を読んでいるか、映画館か博物館に行くか、とにかくブログを書いているのが自分の人生に思えてきました(笑)。何も取り得がなく、希望がなくても絶望はせず。ただひたすら真面目に誠実に生きたい、ということだけは心掛けて生きています。

 そういう意味では、仏教哲学は大変役に立っています。苦諦(現実世界は苦に満ちている)、集諦(じったい=苦の原因は人間の無知から生まれ、執着心から起こる。その根源をはっきり認識する)、滅諦(執着を断ち切り、苦を滅する)、道諦(苦のない涅槃の境地に達するために八正道=はっしょうどう=など修行をすること)の四諦(したい)を見極めて、その八正道を実践するという仏教の教えは特に身に染みます。

 八正道とは、(1)正見(しょうけん=正しい見解)(2)正思惟(しょうしい=正しい考え)(3)正語(しょうご=正しい言葉遣い)(4)正業(しょうごう=正しい行い)(5)正命(しょうみょう=正しい生活)(6)正精進(しょうしょうじん=正しい努力)(7)正念(しょうねん=邪念を離れ正しく念想する)(8)正定(しょうじょう=迷いのない正しい瞑想)ーのことです。

 これらは、上座部仏教の教学「清浄道論」に書かれています。

 …なんて、知ったかぶりばかりしておりますが、先日読了した松濤弘道著「お経の基本がわかる小事典」(PHP新書)に書いてあります。読了したとはいえ、全て頭の中に入っているわけではありません。逆に言うと、この事典の内容を奥深く理解して、頭の中に記憶できて入ったら、自分自身の仏教に関する知識が格段に進歩し、少しは自信がつくことでしょう。

 著者によると、お釈迦様が説いた教えである経典は、梵語から漢訳されて日本に伝わったものだけで1692部、日本で生まれたお経も含めれば3360部もあるといいます。

 この本では、お釈迦様の直説とされる「阿含経」から、「法句経」「大般若経」「無量寿経」「法華経」を始め、中国で生まれた「往生論註」「臨済録」「天台四教義」、日本で生まれた「山家学生式」「十住心論」「選択集」「教行信証」「正法眼蔵」など主要なお経はほとんど取り上げて内容について短く説明しています。(経典とは言えない「今昔物語」まで)

 これらのお経の内容を全て茲でご紹介するのは無理なので、この本を読んで特筆したいことと、その感想めいたことを書くことにします(拍子抜けされた方はすみません)。

 ・釈迦の滅後、聞き間違えや異説を唱える者が出て、何が師の教えだったのか再確認する必要に迫られた。それが、結集(けつじゅう)と呼ばれ、第一回の結集は、紀元前483年に開かれた、と書かれています(29ページ)。釈迦の生没年に関しては、(1)紀元前565~同486年(2)紀元前465~同386年(3)紀元前463~同383など、諸説ありますが、紀元前483年に釈迦入滅後初の結集が開催されたとしたら、(2)と(3)はあり得ず、(1)しかなく、お釈迦様が入滅された3年後に開催されたことになります。

・インドから膨大な量の経典を中国に持ち帰って「大般若経」600巻などを漢訳した玄奘三蔵法師の「三蔵」(ティピタカ)とは、「経」(スッタ=釈迦の直説の教え)と「律」(ヴィナヤ=その教えに従う弟子の教団の規律)、「論」(アビダルマ=経の注釈書)のこと。

・最澄は、大乗戒を説く「梵網経」に基づき、朝廷に対して、比叡山に大乗戒壇の建立を願う建白書をまとめたのが「山家学生式」。それまでは、僧侶になるには奈良の東大寺か、下野の薬師寺か、筑紫の観世音寺へ行って、小乗の戒律を受けなければならなかった(173ページ)。

中国仏教に感謝するしかない

・日本の仏教は、インド仏教というより、漢訳された中国仏教の影響の方が強いのではないかと思う。例えば、浄土宗の開祖法然は、中国浄土教の善導から最も強い影響を受けましたし、最澄の天台宗は、中国の南北朝時代から随にかけての天台智顗(538~598)なくしては語れません。栄西の開いた禅の臨済宗も、もともと中国の臨済義玄(?~867)が開宗したもので、道元が中国宋から持ち帰った曹洞宗も、中国禅宗六祖慧能が説法した曹渓と、慧能が大成した南宗禅の法系である良价(りょうかい)が住んだ洞山にちなんで、曹洞宗と名付けられたといわれてます。

 となると、今の中国仏教が見る影もないほど廃れてしまったことは大変残念です。と同時に、これまでの中国仏教には感謝するしかありません。日本の仏教は、明治の廃仏毀釈後も残りましたから、御先祖さまの長年の信仰と、存在価値があったからでしょう。

諸行無常、こだわってはいけない

・著者の松濤氏は、お経というものは、死者の冥福や慰霊のために、僧侶が唱えるものというのは固定観念であって、今を生きる普通の人でも、生きる糧として読むべきであり、現代人でも、釈迦の教えに逸脱しなければお経をつくっていいと主張しています。これは素晴らしいことだと思いました。

 やはり、悟りを開けなくても、人生を深く考え、見極めることが大切です。それはお経に書いてあります。例えば「諸行無常」です。西洋でいえば、「万物は流転する」ということでしょうか。すべてのものは変わっていて、同じ状態で居続けることはあり得ない。無常なものである。人の命も、愛情も友情もたったひと時のことである、と著者は語り掛けてくれます。

 人生、こだわってはいけないんですね。とらわれてはいけないんですね。先日15年ぶりに会ったM氏も、長年親しく付き合っていた北海道の友人と、何のきっかけもないのに、相手から連絡がなくなり、疎遠になってしまった、と嘆いていましたが、私も同じような経験があるので、気持ちがよく分かりました。でも、人生とは諸行無常であり、友情でさえ、一時のもので、変化していくものだという真理を知れば納得できます。

 私は特定の宗派の教団の信徒にはならないと思いますが、私が仏教哲学に、改めて心の奥底から惹かれるようになったのは、苦い人生経験を経た末のことだと思っています。

継体天皇は新王朝なのか?

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「今、東博で『出雲と大和』展をやってますね。『芸術新潮』の今月2月号が、日本書紀を特集していますから、それを読んで展覧会に行かれたら分かりやすいんじゃないですか」との京洛先生からのお薦めがあったものですから、万難を排して本屋さんに行って買い求めて来ました。

 何しろ、今年2020年は「日本書紀」が編纂されてちょうど1300年という記念の年ですからね。

 で、読み始めたのですが、「嗚呼、こりゃあ駄目だあ~」となりました。特集「ラノベ日本書紀」のラノベの意味も分からず買ってしまったのですが、これは、どうやらライトノベルの略らしく、恐れ多くも畏くも天皇陛下の歴代記録をライトノベルにアレンジしてしまっていたのです。ライトとは若者向きの「軽い」読み物ということになるんでしょうけど、「軽妙」ならまだしも、「軽薄」気味で、2~3行読んですぐ嫌になりました。推測に過ぎませんけど、戦前なら不敬罪になりかねない、かもしれませんよ。とにかく、買って損しました(苦笑)。

 新潮社の編集者のレベルとまでは言いませんけど、センスが落ちた気がしました。いや、真相は、現代人である読者のレベルが落ちたのでしょう。岩のように堅くて難解な教養主義では、雑誌は売れないんですからね。

 これらはあくまでも個人的な見解ですが、もう一つ、この特集で波長が合わなかったのが編集者の質問に答える形で、「ここが知りたい!日本書紀」で「解説」を担当している遠藤慶太皇學館大学教授(1974~)です。 例えば、第26代継体天皇について。後継ぎのなかった武烈天皇が崩御したため、 大連(おおむらじ)の大伴金村と物部麁鹿火(もののべのあらかび)らによって、近江生まれで(母親の実家の)越前育ちの男大迹(おおど)王 が推挙されて即位したことから、学問研究が自由に解放された戦後になって、「それまでの王朝とは血縁関係のない新王朝」とか「越前王朝」といった新説が出ました。

 侃々諤々の論争が続いているのに(いまだ決着せず)、 遠藤教授は「(日本書記では継体天皇の)出自は応神天皇から5世の孫、彦主人王(ひこうしのおおきみ)の子とあるだけ。…それ以前の王朝とは血縁関係を否定する意見が多数派ですが、裏付けに乏しく、 私などは、あえて主張するほどの近さでもないのに、わざわざそう書くのだから、素直に5世の孫と受け止めていいのではと思っています」と、アッサリとまとめてしまっています。

 それなら、「5世の孫」とはいっても、系図が失われているので裏付けがなく、この論争は史料がみつからない限り、決着がつかないでしょう。でも、そこが古代史の面白さとも言えます。

 他にもありますが、長くなると、文句が百出して、読まれませんのでこの辺で(笑)。

 【後記】

 三浦佑之・千葉大名誉教授による「神話でくらべる古事記と日本書記」は大変勉強になる論考でした。この論文を読めるだけでこの雑誌の価値はありました。簡単に要約すると、古事記は、出雲の神々の滅びに対する哀悼や鎮魂を語ろうとしている印象を受けるのに対して、日本書記は、国家の正史として、王権の側の視点で出来事を叙述しようとする意図を強く感じるといいます。日本書記では、古事記で大きな分量を占めていた地上の王オオクニヌシの物語を意図的に削除したのが丸見えで、いびつな流れになっている、とまで指摘するのです。なるほど、そういうことだったのですか。「国譲りの物語」とは、やはり、大和朝廷が最後の強大な豪族「出雲」を征服する物語だったということなのでしょうね。

みすず書房を創った人、小尾俊人

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 岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晃、三笠書房の押鐘富士雄、青春出版社の小澤和一、大和書房の大和岩雄…と、どういうわけか、出版社の創業者には長野県人が多いのです。長野県は、熱心な教育県で、真面目で忍耐強い人が多く、悪く言えば(笑)頭でっかちの教条主義者を多く輩出し、「日本のドイツ」の異名を取るぐらいですからね。

 忘れてはならない長野県出版人には、他にみずず書房を創業した小尾俊人がいました。私も学生時代から大変お世話になりました。当時の学生の間でよく読まれたバートランド・ラッセル、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティ、ロラン・バルトなど高くて買えず、背表紙を眺める怠惰な学生ではありましたが、図書館で借りて読んだものでした。

 また、長じでからは、ゾルゲ事件にはまり、みすず書房から出ている「現代史資料」は必需品でした。その編集・解説者として小尾俊人(1922~2011)の名前は自然と覚えましたが、この方の経歴にまで興味が及ぶことはありませんでした。

 それが、最近、この方の評伝が出て、「渓流斎はんや、この本、読まなきゃいかんぜよ」という土佐方面からのお薦めがあったものですから、早速手に取ることにしました。

 宮田昇著「小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃」(みすず書房、2016年4月25日初版)という本です。著者の宮田氏(1928〜2019)は早川書房などを経て、版権などを扱う日本ユニ・エージェンシーを創立し、翻訳関係の本を多く出版している方でした。生前から小尾俊人と長期に渡って接点があった人です。

 それでも、小尾俊人の人となりについてはわずかしか知らず、彼の生涯はどういうものだったのか、小尾俊人の生地である長野県諏訪郡豊平村上古田(かみふった)などを何度も訪れて、辿っていくのがこの本です。

 正直、大変失礼ながら、個人的に、著者の宮田氏の文章は、読みにくくて、すっと頭の中に入って来ず、難儀しています。悪文ではなく、私との相性が悪いというべきか(笑)、こちらの理解力が足りず、スラスラ読めないというのが真相でしょう。というわけで、まだ400超ページ中200ページぐらいしか読んでいないのに、拙速にも、この本を取り上げることをお許し頂きたい。何しろ、意外と知られていない「真実」が、この本では掘り起こされているからです。

 まず、取り上げなければならないことは、小尾俊人は、昭和15年に岡谷工業高校卒業後、18歳で上京し、同郷の岩波書店入社を希望したものの叶わず、創業者の岩波茂雄から紹介された羽田書店に入社したことです。

 この羽田書店とは、元首相の羽田孜(1935~2017)の父親の羽田武嗣郎(はた・ぶしろう、1903~79)が岩波茂雄の薦めで起こした出版社でした。この羽田武嗣郎という人は面白い人で、師範学校の校長を定年で辞めた後、バス会社「和田嶺自動車」を創業した貞義を父に長野県和田村で生まれ、東北帝大では漱石門下の阿部次郎に師事し、卒業後は東京朝日新聞の政治記者になり、その後、政治家に転身した人でした。

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小尾俊人の父栄は、島木赤彦に師事した歌人で、南信日日新聞や信陽新聞の歌壇の選者でした。

 こんな感じで、色んな著名人や関係者が出てきます。

 ロマン・ロラン全集などを世に出した創業当初は、みすず書房ではなく、信濃にかかる枕詞「美篶(みすず)刈る」から取った美篶書房だったことも初めて知りました。

 小尾俊人は、経営者というより、根っからの編集者で、日々の勉強を怠らず、あの丸山眞男からも一目置かれていたようです。小尾の目利きで、ロングセラーになったフランクルの「夜と霧」を出したことは知ってましたが、芥川賞を受賞した小島信夫「アメリカ・スクール」と庄野潤三「プールサイド小景」まで、みすず書房だったことをこの本で知りました。

 先に書いた通り、みすず書房=小尾俊人が海外から日本に紹介した学者、作家は、ロマン・ロラン、バートランド・ラッセル、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティ、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ユング…と数知れず。今や死語になった教養主義の金字塔を打ち立てた人だったことは間違いありません。

 しかも、お金も学閥もない、長野県の田舎から出てきた一介の無名の青年が、「志」一つで、ここまで大きな仕事を成し遂げたことは、まさに奇跡に近い感じがしました。

今や、学生でさえ本を読まなくなり、金融工学が世界を支配してカネだけが全てになり、教養主義が蔑ろにされる時代になったことから、今後、採算を度外視し、志だけを信念に仕事をする小尾俊人のような人間が出ることはないでしょう。

日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人=児玉誉士夫、笹川良一、小佐野賢治、田中角栄ら

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東京の調布先生に久しぶりにお会いしたら、「貴方も好きですねえ。真面目に仏教思想を勉強していたかと思ったら、最近またアンダーグラウンド関係に熱中していますね」と言われてしまいました。調布先生もしっかりと渓流斎ブログをお読みになっているんですね(笑)。

 アンダーグラウンド関係にのめり込むきっかけの一つが、何を隠そう、調布先生の影響でした。もう時効ですから明かしますが、もう四半世紀以上も昔のこと。当時会社があった東京・内幸町界隈にどでかい東武財閥系の富国生命ビルがあり、その地下は飲食街になっていて、よくランチに行っておりました。ある日、調布先生が、わざわざ弊社にお見えになり、昼時なので、その富国生命ビルにランチに行くことになりました。

 そこの1階には、入居しているテナントの会社のプレートがあり、調布先生は「この方を御存知ですか?」とニヤニヤしながら御下問するではありませんか。そこには「日本政治文化研究所 西山広喜」と書かれていました。当時の私はまだ紅顔の美青年ですから、世間のことは何も知りません。後で、その方は、その筋では知らない人はいない右翼活動家で総会屋の大物だということを知りました。

 その後、調布先生から、いきなり「滋賀県の大津に行きましょう」と言われ、連れて行かれたのが、義仲寺です。名前から分かる通り、源平時代の武将・木曽義仲の墓所でした。しかし、昭和初期には荒廃して壊滅寸前だったといいます。戦後、この寺の復興整備に尽力した著名人の墓もありました。一人は、「日本浪漫派」の文芸評論家保田与重郎(1910~81)。この人は私も知っています。しかし、調布先生が私に教えたかったのがもう一人の方でした。三浦義一(1898~1971)。大分県出身。戦前は虎屋事件、益田男爵事件などを起こし、戦後直後は、政財界の最大の黒幕と恐れられ、日本橋室町の三井ビルに事務所を構え、大物政治家や財界人が足繁く通ったことから、「室町将軍」の異名を取った人だというのです。

 私もナイーブでしたから、知るわけありませんよね。当時は、インターネット情報も充実していませんし、「知る人ぞ知る」人物に関する人名事典すら書籍として発行されていなかったので、その筋の情報は、一部の関係者の間で口コミで広がるぐらいでした。

 しかし、今は違います。ガセネタも多いですが、ネット情報があふれ、本もいっぱい出ています。前置きが随分長くなりましたが、21世紀の令和時代となり、昭和時代も歴史となった今、いい本が出ました。これもまた、調布先生が教えてくれた、というおまけ付きです(笑)。

 別冊宝島編集部編「昭和の怪物 日本の闇を牛耳った120人の生きざま」(宝島社、2019年12月25日初版)です。恐らく、色んなライターが別々に書いているようで、それぞれに出来不出来があり、明らかな間違いや校正ミスもありますが、全体的によくまとまっています。見開きページに一人、顔写真と経歴付きですから、小事典としても使えます。

 裏世界を何も知らなかった頃から30年近く経ち、あれから、普通の人よりもかなり多くのその筋の本を読み(笑)、重要人物からもお話を聴くなどかなりの情報を獲得しましたから、私もさすがにその方面には異様に詳しくなり、情報の目利きができるようになりました。

  この本の「日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人 」をどういう基準で編集部が選んだのか、よく分かりませんが、欠かせない人物なのに落ちている人がいることが散見されます。例えば、フィクサー田中清玄(1906~93)、北星会会長岡村吾一(1907~2000)、 情報誌「現代産業情報」発行人石原俊介(1942~2013) はマストでしょう。山段芳春(1930~99)を取り上げるなら、「京都三山」の高山登久太郎(1928~2003)らも取り上げなければいけませんね。バブル期のリゾート王・高橋治則(1945~2005)や末野謙一氏、北浜の天才相場師・尾上縫(1930~2014)らも欲しいですが、彼らは別に黒幕でも何でもないですけどね(苦笑)。

 この本には、先程の三浦義一と西山広喜(1923~2005)はもちろんのこと、児玉誉士夫(1911~84)、笹川良一(1899~1995)、小佐野賢治(1917~86)、岸信介(1896~1987)、田中角栄(1918~93)ら、この手の本では必ず出てくる人物は漏れなく登場しますが、番外編として、玄洋社の頭山満(1855~1944)と杉山茂丸(1864~1935)や黒龍会の内田良平(1874~1937)らも取り上げているのが良い点です。また、私自身が取材経験のない弱点でである(笑)総会屋系の木島力也(1926~93)、芳賀龍臥(1929~2004)、小川薫(1937~2009)、正木龍樹(1941~2016)、小池隆一氏(1943~)らの略歴で、彼らの師弟関係も分かり勉強になりました。

 【後記】

 「昭和の120人」のせいなのか、1926年(大正15年、昭和元年)生まれが異様に多かったですね。安藤昇、渡辺恒雄、氏家斎一郎、木島力也、五味武、根本陸夫といった面々です。ちなみに、同年生まれには、梶山静六、森英恵、多胡輝、菅井きん、山岡久乃、佐田啓二、マリリン・モンロー、仏のジスカールデスタン、キューバのカストロ、中国の江沢民、米コルトレーン、チャック・ベリーら多彩な人を輩出しております。

大手メディア報道は政府情報と政府情報を足した情報?=「教養としてのヤクザ」

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 溝口敦/鈴木智彦「教養としてのヤクザ」(小学館新書、2019年10月8日初版)という大学の講義のような本を書店で見つけ購入しました。

 溝口氏は、日本の組織犯罪問題の第一人者と言われる著名なノンフィクション作家ですが、若い頃、あの「アサヒ芸能」(徳間書店)の記者だったことは自身のプロフィルには書かれていませんね。 私も「食肉の帝王」「暴力団」など多くの著書でお世話になっております。鈴木氏は「ヤクザと原発」「サカナとヤクザ」(安倍首相夫人がこの本に感動し、著者は『ご進講』をお願いされたことを本人が語っています)などで話題になったジャーナリストで、若い頃、その筋の「実話時代」などで腕を磨いた人です。

 この巨匠ともいうべき筋金入りの2人の対談集ですが、2人の記憶力には恐れ入るばかりです。「ヤクザと食品」「ヤクザと五輪」「ヤクザと選挙」など実に多岐にわたって発言されておりますが、私が一番興味深く読んだのは「ヤクザとメディア」です。鈴木氏は「新聞やテレビの暴力団担当記者は、実際には暴力団を取り締まる警察の担当で、その警察から暴力団の情報をもらって書いている。記者の大半は、警察発表と検察発表を整合させて、これを『裏を取る』と言っているわけです。当該暴力団にアテるわけじゃないんです。彼らの裏取りは政府情報と政府情報を足して、それで合わせるから暴力団に接触なんかしない。そもそも『接触するな』って言われているから」と発言しています。

 その通りでしょうね。大手メディアは、戦場の最前線にしろ、危ない所には行きませんからね。世間では暴力団存在そのものに対する疑義があり、それは当然です。しかし、何でもそうですが、メディアが政府情報のみの一方的な報道だけでは、官報と変わりがなく、情報の受け手である市民の方もバイアスをかけて見る必要がありますね。

 鈴木氏は、こんな逸話も紹介していました。抗争事件があって、テレビ局が現場取材にいくと、組員が掃除をしていたので、「撮らせてください」と頼むと、組員は「オッケー」と言いながらも、「ただし、こっちも体面があるから、俺が怒っているところを撮れ」と言って、「オリャア、コリャア」という場面を撮ったらしいのです(笑)。漫画の世界ですね。

  何しろ、「教養本」ですから、この本を読めば社会の仕組みから、政治の裏世界までよく分かります。原発の汚染水処理も、東京オリンピックも、かなり暴力団が関わっていることも明かしています。

 このほか、今、タピオカがブームになって、かなり儲かっていますが、暴力団がこれに目を付けてかなり進出していることもこの本で初めて知りました。何しろ、原価は30~40円なのに、売値は500円ぐらい。都心の超一等地でも5坪ぐらいあれば簡単に開業でき、1店舗に付き月80万~100万円の利益が出るそうです。

 ほかにも、たくさんありますが、「裏社会を知らずにジャーナリズムを語ること勿れ」ですね。

「諸悪莫作、諸善奉行」「世間虚仮、唯仏是真」=聖徳太子

 このブログは、ほぼ毎日更新しているため、恐らく、付いていけず脱落された方も多いと思います。私も脱落する自信があります(笑)。ただ、日々の知的好奇心が読書量に追い付いていない気がします。いや、その逆かもしれません。日々の読書量が知的好奇心に追い付いていない気がします。知りたいことがまだ沢山あります。

 今も2冊を平行して読んでいます。読み終わると1カ月も経てば忘れてしまうので、備忘録としてこのブログに書いているだけなのかもしれません。

 先週は、松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」を読了したので、羅列したいと思います。

如意輪観音の「如意」とは、如意宝珠のことで、どんな願いでも叶えてくれる珠のこと。「輪」とは、法輪のことで、仏の教えを指し、この仏に祈るとすべての願いが叶う。右手の第1手は頬につけて思惟をしている姿で、地獄道の人々を救う。右手の第2手は如意宝珠を持ち、餓鬼道から人々を救う。右手の第3手は、立膝の上で数珠を持ち、畜生道から人々を救う。また、左手の第1手は蓮弁に触れて修羅道から人々を救い、第2手は脇の下から蓮華を持ち、人道から人々を救い、第3手は、肩の上に法輪を持ち上げて、天道から人々を救うという。

・観音菩薩は、仏弟子の舎利弗、勢至菩薩は、目連のそれぞれ神話化されたものという。

・華厳経によると、善財童子(菩薩)は、仏の教えてを求めて、文殊菩薩の薦めで、53人のあらゆる職業の師に教えを乞う旅に出て、最後に勢至菩薩と巡り会って、所期の目的を果たす。この故事から、東海道五十三次などが生まれた。

・「明王」は、インドの原住民ドラヴィダ族の神の化身で、外来のアーリア人からの支配を受けた関係で、奴婢や奴隷の姿をしている。不動明王大日如来が変身し、降三世(ごうさんぜ)明王は、阿閦如来が変身したものといわれる。また、軍荼利明王は、宝生如来の変身、大威徳明王は阿弥陀如来の変身と言われる。さらに、金剛夜叉明王は不空成就如来(釈迦)の変身、愛染明王は、金剛愛菩薩の化身といわれる。

・世界の中心に須弥山(しゅみせん)がそびえ、その周囲に九重の山脈と八つの海がめぐらされている。その海の東西南北に四つの島が浮かび、南のしまの閻浮提(えんぶだい)が我々の住む世界。

・須弥山世界の下から十層目にある天界(有頂天)に梵天(ヒンズー教の最高神ブラフマンが仏教化)が住み、須弥山の頂上の忉利天(とうりてん)の喜見城(きけんじょう)には、帝釈天(原名インドラ)が住む。梵天と帝釈天を釈迦の脇侍とする三尊像が、ガンダーラでつくられた。帝釈天は、音楽神の乾闥婆(けんだつば)の娘をめぐって、阿修羅(八部衆)と争い、その闘いは熾烈を極めたことから、修羅場という言葉が生まれた。

・東の持国天、南の増長天、西の広目天(シヴァ神の化身)、北の多聞天(ヴィシュヌ神の化身⇒単独では毘沙門天)は「四天王」と呼ばれ、帝釈天の家来に当たる。

吉祥天は、鬼子母神(訶梨帝母=日蓮宗に多くまつられている)の娘で、毘沙門天の妻。弁財天は、梵天の妃。

大黒天は、シヴァ神の化身で、梵天の子。また、毘盧遮那仏の化身。

荼吉尼(だきに)天は、インドの魔女ダーキニーの音訳。平安時代の頃に、稲荷と習合する。稲荷は、イネナリから稲の実りを意味する農耕の神。宇迦之御霊(うかのみたま)、保食神(うけもちのかみ)といわれる。伏見の稲荷大社は、真言宗東寺の鎮守神として崇められ、荼吉尼天を本地とする神仏混淆の神。

・七福神=毘沙門天は、災いから身を守る神、大黒天は食欲を、弁財天は性欲を、寿老人は長生きを、福禄寿は権力欲を、布袋は笑いを、恵比寿は金欲を満たす神。

聖徳太子は死に臨み、周囲には「諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸善奉行」(もろもろの悪しきことはなさず、もろもろの善きことを行え)と告げ、妻には「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(世の中のものは全てむなし、ただ仏の真実なり)と語ったという。

真理に目覚めた仏陀=仏像の世界は大変奥が深い話

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

一昨日から松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」(日本文芸社、1988年4月30日初版)を読んでおりますが、教えられることが多く、大変勉強になります。

 ちょっと古い本ですが、会社の資料室にあったのを見つけ、自分用として読みたかったので、ネットで購入したのでした。「自分用」というのは、著者には大変申し訳ないのですが、本文に赤線を引いたり、書き込みしたりしてしまうことです。それほど格闘しながら読ませて頂いている、ということでお許し願いたいところです。

 著者の松濤弘道(まつなみ・こうどう)氏は1933年、栃木県生まれで、大正大学から米ハーバード大学大学院で修士号を取得され、栃木市の浄土宗近龍寺の住職などを務めておられましたが、2010年に77歳でお浄土へ往生されたようです。

近龍寺のHPによると、松濤氏には、日本語で55冊、英語で30冊、他にも中国語、フランス語、ポルトガル語等、多数の著作があったそうです。また、近龍寺には、栃木出身の作家山本有三のお墓があるらしく、私も昔、「路傍の石」や「真実一路」など愛読させて頂きましたので、いつか、この寺を訪れたいと思います。

  「日本の仏様を知る事典」は、特に、「如来」「菩薩」「明王」「天」など階級別に仏像について詳しく書かれていますが、仏教とは何か、といった基本的なことにも折に触れて解説してくれます。

 多くの人が誤解しているようですが、仏教とは、キリスト教などと違って、絶対的な神を信仰する宗教ではなく、修行によって自分自身も、真理に目覚める仏陀(覚者)になることを目指すことでした。松濤氏によると、仏陀とは、宇宙を創造した神でもなく、人間を裁く審判神でもなく、超越的な権力や力を備えた至上神ではない、といいます。

 仏教とは、釈迦という一人の人間が、説いた教えです。(王子の身分でありながら、妻子も捨てて29歳で出家し、6年間の修行の末、仏陀となり、80歳で入滅)釈迦が悟ったことは、すべての生物は自己の存在や自我意識に執着し、無明(執着の根源)から他者を差別し、他者の犠牲のもとに生き延びている、ということでした。そこで、釈迦は、他人を害することなしに生存するには、各自の特異性を認め、生命の同一存在(一如=いちにょ)を追体験することだと考えたといいます。もし、一如の生活に則れば、他者と喜びを分かち合い、他者の苦しみはわが苦しみとして受け入れ、人の幸せも自分の幸せとして感じ、気づくことができるだろう、といいます。

 このように、釈迦が悟ったことを簡略して、大きく二つだとすると、「智慧」と「慈悲」がそれに当たります。それゆえに、仏像にこの二者の概念が付きまといます。例えば、釈迦三尊像の場合、真ん中に釈迦如来を据え、脇侍(わきじ)として文殊菩薩と普賢菩薩を配し、それぞれ、智慧と慈悲を象徴しています。阿弥陀三尊の場合、中央の阿弥陀如来の脇侍には観音菩薩(慈悲)と勢至菩薩(智慧)を配します。密教の大日如来の場合、金剛界が智慧、胎蔵界が慈悲を表します。

 仏を分かりやすく整理すると、世界の真実そのものを人格化した毘盧遮那如来(奈良の大仏など)や大日如来を「宇宙仏」、釈迦如来のように世の真実を体得したものを「人間仏」、仏の徳性の働きを象徴する阿弥陀如来や弥勒如来を「理想仏」と分ける考え方もあるそうです。また、鎌倉時代には「過去仏」として釈迦、「現代仏」として阿弥陀、「未来仏」として弥勒の三世仏が盛んにつくられたといいます。弥勒如来は、釈迦の死後、56億7000万年後の未来に現れて、衆生を救済してくれる仏で、天理教や大本教に影響を与えました。(その弥勒如来が現れるまでに、地獄に堕ちた人でも救済してくれるのが地蔵菩薩です)

自宅の御本尊である36年前に鎌倉の仏具店で購入した仏様。当時20万円ぐらい。てっきり釈迦如来像かと思ったら、阿弥陀如来像でした。(本文参照)

 この本では色々と教えられましたが、釈迦如来像と阿弥陀如来像の区別の仕方が初めて分かりました(苦笑)。右手を上げて、中指を曲げているのが釈迦で、両手で印を結んでいるのが阿弥陀だといいます。東南アジアに広がった小乗仏教は仏像といえば、ほとんど釈迦如来像ですが、大乗仏教となると、さまざまになります。特に日本では、本地垂迹説で、色々な仏像がつくられ、釈迦如来像は天平期の頃がピークで、それ以降は、浄土教の影響からか阿弥陀如来像が主に占めたそうです。

 この本については、またいつか取り上げたいと思いますが、今日最後に特記したいのが阿閦如来です。「あしゅくにょらい」と読みます。 阿閦とは無瞋恚(むしんい)と同じ意味で、すべての誘惑に打ち勝ち、永遠に怒りや恨みを抱かないと誓って、東方世界に妙喜浄土をたてた仏だといいます。以前、このブログでも書きましたが、瞋恚とは、仏教用語の十悪(殺生・偸盗・邪婬・妄語・綺語・両舌・悪口・貪欲・瞋恚・邪見)の一つでしたね。私自身、最近、この瞋恚(自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)に取りつかれていたので、この阿閦如来さまに縋るしかありません。奈良の西大寺にも鎮座されているそうなので、西大寺先生に写真を送ってもらいたいものです。