羽生善治著「決断力」不利な状況を喜べる人間 

羽生善治の『決断力』。昨日の続きです。

第1章「勝機は誰にでもある」から…。

「私は人間には二通りあると思っている。不利な状況を喜べる人間と、喜べない人間だ」

「完璧な将棋を指さない限り、欠点がないことはない。私は神様ではなく人間なのだから、私の将棋にも、もちろん、欠点はある。もし、私が『ハブ・ヨシハル』と対戦したら、攻略する作戦はある。企業秘密なので言わないが、自分ではわかっている。自分ではわかっているのだから、その欠点を消すことができるかというと、それは難しい。例えば、今トップを争っている人たちは、欠点を裏返すと、それがその人の一番の長所であったりする。だから、それを消そうとすると、また別の欠点が出てくる」

こうして、彼の「文章」を写していて、これは、彼が書いたものではない、と私は確信しました。
読んでいるときには分からなかったのですが、これは書き言葉ではないからです。

おそらく、ゴーストライターが、「聞き書き」したのものでしょう。

矢沢永吉のベストセラーになった『成りあがり』のゴーストライターは、確か、糸井重里氏ではなかったかしら。

話がとんでもない所に飛んでしまったので、今日はこの辺で。

羽生善治の決断力 

久しぶりに、赤線を引きながら本を読んでいます。

羽生善治著『決断力』(角川)

言わずと知れた将棋界の天才「7冠王」です。

私自身、将棋は小学校の時に遊びでやっただけで、全くの素人です。負けるのが悔しくて、遊びで指すのさえもやめてしまいました(笑)。

勝負の世界の非情さについていけなかったというのが正直なところです。

ところが、人間生きていれば、勝負なんかしなくても、様々な困難が押し寄せてきて、岐路に立たされます。正直言って、生きているだけで本当にシンドイ毎日を送らざるを得ない時期もやってきます。

今がその時期のせいか、彼の書く文章が妙に心に残って感動するのです。私より一回り以上若い年少の方なのに、私より多くの人生経験を積んで達観されているようにさえ見えるのです。

例えば「はじめに」で羽生氏は「名人」という称号がいかにすごいか書いています。

日本の将棋界に初めて名人が誕生したのは、1612年(慶長12年)。以来400年近くで、この名人の地位を得た者は、僅かに25人しかいない。

羽生氏はその「名人」の座にわずか23歳で就く。

「将棋は自分との孤独な戦いである。追い込まれた状況からいかに抜け出すか。
追い込まれるということはどういうことか、でも、人間は本当に追い詰められた経験をしなければダメだということもわかった。逆にいうと、追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ」

私は、この本を将棋の本としてではなく、「人生訓」として読み始めました。(つづく)

「信長の棺」の加藤廣さんの出版記念会

今日は、あの小泉首相も絶賛した「信長の棺」を書いた加藤廣さんの出版記念パーティーに行ってきました。(東京・内幸町のプレスセンター)

60人くらい集まりましたかね。驚いたことに、小泉さんからも祝電が届きました。「内閣総理大臣」ではなく「自由民主党総裁 小泉純一郎」としてです。噂では、小泉さんは、「内閣総理大臣」の名刺も持たないそうです。悪用されたくないからだそうで、面会して名刺をもらった人には、帰り際に、相手の名刺をお返しするそうです。自分の名刺を出さないからです。

小泉さんとは、6年前に一度会ったことがあります。もちろん、無任相の時です。その時は名刺をもらいましたが、「衆議院議員」という肩書きでした。

おっと、加藤さんの出版記念パーティーの話でした。

司会者は、目下、IT企業に買収されかかっている放送局の部長さん。彼は、何の前触れもなく、私に挨拶の指名をしてくるのです。何も考えていなかったので、北海道でも、話題になって結構売れていること。飛行機で東京に来た際、隣の席の人が,『信長の棺』を呼んでいたこと、などを話しました。急には無理ですよね。

加藤さんは75歳です。遅咲きも遅咲きですが、小学校から作家を目指していたそうです。旧制六中、現在の都立新宿高校から東京大学法学部を卒業し、「生活のために」銀行員から経済コンサルタントに転じて成功した人ですが、やはり、小説家の夢を捨てませんでした。

『信長の棺』は、20年前に構想し、最初の書き出しと、最後の締めを思いつくのに、10年も試行錯誤し、それが決まったら、中身はすらすらと3年くらいで書いたそうです。あ、まだ読んでいない方は、面白さは分からないですね。

現在、ハードカバーの単行本は1万部売れれば「成功」なんだそうですが、『信長の棺』は目下、16万5千部も売れているそうです。「今年の話題作」になることは間違いないでしょう。

加藤さんは、来年3月にも第2弾の小説を発表するそうです。今度は、豊臣秀吉の話だそうです。まだ他に、明智光秀に関する本も出すようで「これから、直木賞を目指したい」と話していました。

何しろ、75歳にしての作家デビューです。私も加藤さんから勇気と希望をもらって、帰路に着きました。

日垣隆長女「世間のウソ」

空港の本屋さんで、立ち読みしていたら、面白そうだったので、つい買ってしまいました。
日垣隆「世間のウソ」(新潮選書)

要するに世間の常識を疑え、といった趣旨の話が満載されています。

例えば「宝くじのウソ」。1999年以降、1等の当選確率が、250万本の1から、1000万本に1へとこっそり、4分の1にも切り下げられたというのです。

つまり、1等が当たる確率は、0.0000001だというのです。

2004年の1年間で交通事故で保険金を請求するほどの被害者が117万人。人口1億2628万人とすると、0.0092651の確率。ということは、交通事故で死んだり、大怪我をしたりする方が、宝くじに当たるより、9万2651倍も高いというのです。

宝くじは、総務省の管轄。1万円を賭けて負ける平均額が、米国のルーレットが800円ぐらいなのに対して、日本の宝くじは5200円だそうです。何という搾取!
鋭い分析です。
これで、宝くじを買う気がなくなってしまいました。

他にも「『値段』をめぐるウソ」「『制度』をめぐるウソ」など収録してます。
彼の文体というか、文章に下品なところがありますが、読むと目から鱗が落ちました。

信長の棺

最近、私の知人が次々と本を出版しています。

軍事評論家の鍛冶俊樹さんは、2冊目の「戦争の常識」(文春文庫)を出して、ベストセラーになりましたし、インドにはもう160回も往復している東南アジア通の山本悦夫氏は「インドに行こう」(扶桑社)を出版し、これも、ベストセラーの上位にランクされています。

そして、今回、加藤廣氏が「信長の棺」(日本経済新聞社)を出したところ、何と、小泉純一郎首相の「愛読書」として話題になって、現在、ベストセラー街道まっしぐらといったところです。

上記2冊は既に読み、目下、加藤さんの本を読んでいますが、これがメッチャ面白いのです。信長の公式伝記「信長公記」を書いた太田牛一を語り部に、消えた信長の棺が何処にいったのか、ミステリー仕立てになっているのです。

加藤さんは今年75歳。これが作家デビュー作です。人々に勇気を与えますね!伝え聞くところによると、加藤さんは、この本を書くのに、取材費と資料代で一千万円もかけたそうです。既に、第2弾、第3弾も準備中とか。

がんばれ、加藤さん。これが少しの宣伝になればいいですね。

家族、使用人、敵

今読んでいる本の中で、本当に懐かしいフレーズに出会いました。

当時、外務大臣で渦中のど真ん中にいた田中真紀子氏の発言です。

「世の中には、家族、使用人と敵しかいない」

彼女の思想を超えて哲学の領域に達しているので抗弁できませんが、すごい言葉ですね。

もう一度繰り返します。

「世の中には、家族、使用人と敵しかいない」

もう「歴史的な」な言葉になったので言いますが、恥ずかしくないのかなあ。

フジ子・ヘミング 「人生はうまく行かない方が当たり前」

公開日時: 2005年7月2日

ピアニストのフジ子・ヘミング。正直、7,8年ほど前に彼女が一世風靡した時、どうも好きになれず「食わず嫌い」でした。
しかし、帯広に来て、ある人から熱心に薦められて、聴いているうちに、つい、のめり込んでしまいました。

4,5冊、彼女に関する本が出てますが、特に『運命の力』(TBSブリタニカ)がいいです。音楽家として致命的ともいわれる聴覚を失っても、希望を失わずに艱難辛苦と闘って、ピアニストとして成功を収める姿が本人のイラストと写真付きで克明に描かれています。

「人生はうまく行かない方が当たり前」「運命はいつか必ずやってくる」-。彼女の言葉に重みがあります。そのせいか、彼女の弾くピアノにも普通のエリートの天才ピアニストとは違った重みが感じられます。 すっかり有名になった「ラ・カンパネラ」にしろ、偶然の産物ではなく、リストの魂が彼女の頭上に舞い降りたかのような必然性すら感じるのです。

蓮池薫さん

北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さんが、初めて翻訳書を出しました。本当にすごいですね。
豊臣秀吉の朝鮮出兵で、秀吉を苦しめた李舜臣将軍の生涯を描いた金薫氏の歴史小説「孤将」(新潮社)がそれですが、聞けば聞くほど、蓮池さんの努力には頭が下がります。日中は、大学や柏崎市役所で仕事があったため、何と、朝の3時に起き出して、翻訳の時間に当てていたそうです。

出版社の編集者は、最初、粗原稿を読んだ時、蓮池さんとは知らず、日本語の文章があまりにも清冽だったので、その「実力」で依頼したそうです。翻訳力とは外国語力のように思えますが、実は日本語力が一番肝心なのでしょう。拉致された24年間で、蓮池さんは、明らかにしてはいませんが、情報収集活動として、相当数の日本語の新聞や雑誌を読み込み、記事を翻訳していたのではないのでしょうか。

それでも、蓮池さんとは私と世代が同じなので、お会いしたことはないのに近しいものを感じています。それは、20歳の若さで亡くなった柏崎市出身の友人がいたせいかもしれません。ですから、柏崎には何度も行ったことがあります。その友人の法事で、十回以上は行っています。蓮池さんが拉致されたと言われる柏崎の海岸で泳いだこともあります。もちろん、その頃、拉致の「ら」の字も知りませんでしたが…。おっと、海岸では泳げませんね。泳いだのは海でした。沢山のランプのような電灯を装備したイカ釣り船が、何隻も停泊していたのを覚えています。

以前、蓮池さんは「レナード・スキナード」のファンだった、と聞いた時、「渋いなあ」と感心しました。恐らく今では知る人は少ないでしょうが、「スウイート・ホーム・アラバマ」のヒット曲で知られるアメリカの70年代のロックバンドです。メンバーの2人が飛行機事故で亡くなっています。この曲を聴いていた蓮池さんは、20歳の中央大学法学部の学生でした。弁護士を目指していました。同大学に復学した蓮池さんは、今、司法試験の勉強に励んでいるそうです。

本当に素晴らしい。すらばしい!

佐賀のがばいばあちゃん

物事は常に多面体であって、時によって、人によって、気分によって、それぞれ物の見方や解釈が違う、ということは真理だと思っています。

堅い前触れで始めてしまいましたが、本来なら貧窮という人生の最下層の経験をすれば、やれ、社会が悪いだの、会社が悪いだのと言って抗議運動を起こすか、私はいかにも辛い体験をしました、とお涙頂戴式の文章を綴るかのどちらかを実行する人が大半でしょうが、そんな辛い経験を笑い飛ばしてしまう人も世の中にいるものだと妙に感心してしまいました。

漫才「B&B」のコンビの一人として、1980年代に一世を風靡した島田洋七さんの書いた「佐賀のがばいばあちゃん」(徳間書店)にはその典型的な話が出てきます。

理由があって、両親の住む広島から祖母の住む佐賀に預けられた島田少年は、優しいおばあさんの愛情に育まれて、そこに8年間も起居を供にします。しかし、おばあちゃんにも、お金がない。島田少年が「お腹がすいた」と訴えると「それは気のせいや」と交わされ、外に遊びに行くと、「腹が減るから外へ出るな」と窘められる。「それじゃあ、どうしたらいいの?」と聞くと、まだ午後4時半だというのに「もう寝ろ」と急かされる。しょうがないので、寝床に入ると、夜の11時ごろ、目を覚まし「やっぱり、お腹がすいた」と言うと、「それは夢だ」とピシャリ。意を決して眠り、翌朝目覚めて「お腹すいた」と訴えると、「昨日、食べたやろ。それよりさっさと学校にお行き!」。それで、やっと学校の給食にありつけるのでした。

普通なら、子供時代、いかに貧乏のどん底だったかと書くのが普通です。それを笑いと涙のペーソスに包んで、読者をホッとさせます。年内に映画化される、と聞いて「是非見に行きたい」と思いました。

歴史の教訓

歴史家でもある作家の加来耕三氏の講演を聞きました。加来氏は46歳の若さですが、すでに300冊の著作があり、年間160日も全国を講演に飛び回っているそうです。演題「歴史を学び、未来を読む」のポイントは1つ。「歴史小説やドラマを史実として誤解して騙されてはいけない」ということでした。

日本人で人気のある歴史上の人物のベストスリーは①織田信長②坂本龍馬③諸葛孔明(この3人を特集すると歴史雑誌は完売するそうです)。しかし、実際は人気のある人物ほど「歴史の空白」があって、分からない所が多いそうです。それを作家が空想で穴埋めをし、脚色し、時には講談調の受け狙いで、全く事実に反することを書き加えることもあるそうです。

ですから、急に凡人から偉人に変身したりする。その方が面白いからです。しかし、これを史実だと信じてはいけない。龍馬ファンの多くは、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んだ人で、そういう人に限って頭が悪くておっちょこちょいなのです。

日本人は歴史を夢とロマンで語ろうとする。それでは歴史から教訓を引き出せない。歴史に奇跡や偶然はないし、ありえない。要するに地道な努力しかないのです。昨日アホだった人間が急に明日利口になるわけがない。やはり明日もアホなのです。

常に歴史から前向きに未来を予測し、前兆をつかむこと。そのためには、例えば経営者の場合、出発点に戻って創業の理念に戻ったらどうかーといった内容でした。

昨今、「歴史に学ぶ経営術」といった類の特集をしたビジネス雑誌・書籍が飛ぶように売れるようですが、百害あって一理なし。序に、ホリエモン本も眉唾ものです。人間は、残念ながら成功から何一つ学べない。失敗からしか学べないからです。これは私見です。