「警察用語の基礎知識」は役に立つ

 嫌な映画を観たせいか、馬鹿らしくなり、我ながら読書量が衰えません。先ほど、古野まほろ著「警察用語の基礎知識」(幻冬舎新書、2019年3月30日初版)を読了しました。

 皆さまご案内の通り、私はメディアの仕事に従事していますが、経歴としてほとんど「サツ回り」(県警や所轄担当の事件記者)はしたことはありません。例外として北海道に赴任したときに、道警の警察署に顔を出して何十本かの事件、事故記事を書いたぐらいでした。社会部に配属されたこともないし、正直、警察の組織にも興味はなく、普段でも、警察モノのテレビドラマや映画は見ませんし、いわゆる警察小説も読みません。

それでは、何で、このような本を読んだかといいますと、今たまたま、仕事で、警察関係の人事情報処理もやっているもので、そのための参考書を読まないといけないと以前から思っていたらからでした。

※自分で撮った本の表紙も著作権侵害に当たるのなら、この写真は削除します。コメントで連絡ください。

 この本も、会社近くの本屋さんで、たまたま見つけたものでした。

 著者の古野まほろ氏は、今はミステリー作家ですが、東大法学部を卒業して警察官僚のキャリアとなり、警察大学校主任教授を最後に退官しているということで、60代ぐらいの人かと思ったら、年齢は公開しておらず、定年退官でなければ、まだ40代後半の方なのかもしれません。ま、それはともかく。

 私はメディアの人間ですから、それが当たり前かと思っていたら、単なるメディア用語で、警察内では正式に(法令として)使わないという用語をこの本で取り上げていたので、少し驚いてしまいました。

 例えば、「容疑者」です。これがメディア用語だとは恥ずかしながら知りませんでした。業界(著者の言うところの警察業界)では、「被疑者」と言うんだそうですね。また、「重要参考人」も「現場検証」もメディア用語で、業界ではあまり聞かない、とのこと。

 このほか、「送検」や「書類送検」もメディア用語で、業界では絶対に使わず、「送致」(事件を法務省の検察官の手に移す手続き)しか警察官の脳内辞書には登録されていない、と書いてありました。「県警」「道警」などもメディア用語で、正式には「北海道警察」「静岡県警察」などと最後の「察」は省略しません。でも、世間では「県警」などが浸透してしまっているので、業界内でも非公式な口頭などでは使っているようです。

◇「星の数」とは階級のこと

 この本には、色んな事が書かれていますが、最初に書いた通り、私が仕事で使う人事、つまり、警察の階級を特記したいと思います。以下の9階級あります。

(1)警視総監 星四つ  警察庁長官と警視総監(紛らわしいが、こちらは東京都警察本部のトップ)の2人だけ

(2)警視監 「大規模県の警察本部長」役員クラス 40人ほど

(3)警視長(業界での通称はケイシナガ、警視庁と混同されるため)ノンキャリアの最高位。「警察本部長」「警察本部の総務部長」

(4)警視正(通称マサ)「警察本部の部長」「大規模県の警察本部の課長」

(5)警視(通称シ)「署長」「警察本部の課長」。ここまでの警視以上の階級は全体の3%

(6)警部(通称ブ)最初の管理職。「署の課長」「警察本部の課長補佐」全体の7%

(7)警部補(通称ホ)現場の実働部隊のトップ。「係長」。キャリア組のスタートはここから。

(8)巡査部長(通称ブチョウ)「主任」

(9)’ 巡査長巡査(通称サチョウ、非正式な名誉称号で階級は巡査と同じ)

(9)巡査(通称サ)企業でいえば「係員」

(1)の警視総監は別格。(2)~(4)が将官、(5)~(7)が士官、(8)~(9)が下士官に当たる。

 警察庁は国家公務員で、全国の47都道府県の警察本部は、独立した組織。警視庁(東京都警察本部)は5万人で最大。他の県警は2000人~3000人程度。

・仕事をしない、できない、それなのに態度がでかい(笑)不良警察官のことを「ゴンゾウ」という。ゴンゾウでもクビにできないから、中には、あらゆる人事措置に耐え抜いてしまうゴンゾウ警察官はサバイバーと呼ばれ、ある種の敬意の対象にすらなるそうです。

・警察用語の「ニンチャク」とは人相着衣のこと。被疑者は「マルヒ」、被害者は「マルガイ」という。警察小説やドラマなどで使われて社会常識になってしまった「ホシ」や「ガイシャ」は業界では使わない。

・警察官の一人称として「本官」はあり得ない。「本職」か、少し卑下する場合は「小職」を使う。

他にもありますが、ここまで。

「天才と発達障害」との関係

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 たまたま本屋さんで見つけた岩波明著「天才と発達障害」(文春新書)を読了しました。最近、自宅近くの本屋さんがつぶれまくって、このようなセレンディピティ(素晴らしい偶然の発見)に出会う機会も少なくなってきているのが残念です。

 著者は、東大医学部を卒業した発達障害が専門の精神科医です。本書では、古今東西、世に天才と呼ばれた人たちを取り上げ、「彼らは、実はADHD(注意欠如多動性障害)やASD(自閉症スペクトラム障害)の特徴を示していた」などと、書かれた作品や周囲が残した証言などから、何でも天才と発達障害を結び付けている感がありましたが、実際に、臨床実験などでも証明されているようです。

例えば、作家には、うつ病や躁うつ病など精神疾患に罹っている人が多いという記述があり、そう言えば夏目漱石も芥川龍之介も太宰治も北杜夫らもそうでしたね。

 作家や芸術家や天才には精神疾患が多いとはいえ、その逆も然り、とはいきませんが、ASDと呼ばれた人の中には、全国の鉄道路線と駅名を全て暗記してしまう人もいます。普通の人とは集中力と根気力が違うのでしょう。

引退した野球のイチローも天才と言われましたが、彼は常人ではとてもできない単調な素振りを毎日何百回も続け、毎日、同じカレーを食べ続けたりする「努力の天才」とも言えます。超人的能力は、やはりASDのような毎日反復しても飽きない格別な能力の賜物のような気がして来ます。

岡山城

 本書で取り上げられている古今東西の有名な天才として、賭博依存症だったモーツァルトやドストエフスキーのほか、今で言う発達障害の傾向があったダーウィンやアインシュタイン、ゴッホやウイットゲンシュタイン、野口英世、南方熊楠らの逸話を取り上げています。

 私は知らなかったのですが、作家のジェームズ・ジョイスやコナン・ドイル、英首相だったチャーチル、劇作家のテネシー・ウイリアムズ、女優のヴィヴィアン・リーまで発達障害や精神疾患を抱えていたんですね。

 類まれな文学的才能に恵まれ、ノーベル賞を受賞したアーネスト・ヘミングウエイは、若い頃は傲慢で周囲の人間は付き合いづらかったらしいですが、晩年はうつ病に悩まされ、創作力も落ちて、税金が支払えなくなるという不安に陥り、最期は猟銃自殺しています。精神疾患は家族性なもので、父親のクラレンスも、うつ病から拳銃自殺し、妹のアーシェラと弟のレスターも自殺したといます。しかも、ヘミングウエイの最初の妻ハドリーとの間の息子ジャックの娘、つまり孫に当たるマーゴも、モデル、女優として活躍しながら、発症して自殺し、ヘミングウエイの三男グレゴリーも精神疾患から変死したことなどもよく知られています。

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 東大医学部には天才の研究のための資料として、傑出した人の脳標本が保存されています。夏目漱石は聞いたことがありましたが、このほかに、中江兆民、内村鑑三、桂太郎、浜口雄幸らもあるそうです。

 天才とは全般的に学業成績が秀でているというのではなく、つまり、勉強ができるから天才だというわけではなく、一つのことでも根気よく集中することができて、普通の人ではとてもできないことを成し遂げる才能だと言えます。そして、周囲との協調性がなく、被害妄想から薬物依存症になるなど、凡人から見ると、どうも不幸な生涯を送ったようにも見えます。

 著者は「天才と呼ばれる人たちは扱いにくい人たちである。彼らは発達障害の特性を持つことが多く、人の話は聞かず、独断で物事を進めてしまう傾向が大きく、自分勝手で衝動的なことも多い」としながらも、「天才や異能を排除する社会は何よりも面白みのないものになってしまうに違いない」「天才を使いこなせない日本社会の現状を変えて行かなければいけない」などと主張しています。

 確かに同感ではありますが、正直、実生活では天才とはあまりお付き合いしたくないですね。でも、どういうわけか、私の友人の多くは、世間的に有名ではないかもしれませんが、天才肌が多いんです。私が言いたいこと分かりますよね?(笑)

煩悩に取りつかれたカルロス・ゴーン被告

 日本時間の8日午後10時のカルロス・ゴーン被告の記者会見は予想通りでしたね。自分の言いたい放題で、肝心なことは秘匿して、自己正当化と自己保身と自己主張に終始しました。弁護士でもある日本政府の森雅子法相が夜中の1時近くに臨時記者会見して「(ゴーン被告の)出国は犯罪行為に該当し得る。それを正当化するために、国内外に向けてわが国の法制度について誤った事実を喧伝するのは到底看過できない」と批判したことは大いに賛同します。日頃、日本政府に対して、厳しい批判を書き連ねている渓流斎も、諸手を挙げて賛同致します。

 記者会見場には、ゴーン被告の「お気に入り」のメディアしか入場できず、日本のマスコミはほとんどシャットアウト。唯一許されたのが、朝日新聞と小学館とテレビ東京だったらしいですが、その選別の仕方には思わず笑ってしまいました。選ばれなかった読売新聞は、「米CNNの中継映像などによると」といった報道の仕方で、聊か格好悪かったですねえ。

 それにしても、ゴーン被告が、映画まがいの犯罪的逃避行をしながら、全く悪びれることなく、世界中が注目する公の席に登場できた自信の根拠は焉んぞあらんや、と感嘆してしまいました。

 たまたまですが、先程、阿満利麿・現代語訳の法然「選択本願念仏集」(角川ソフィア文庫、平成19年5月25日初版)をやっと読破することができました。途中で難解な仏教用語を調べながら読んでいたので、1カ月以上掛かりました。最初は、無謀にも、法然房源空上人の原文をそのまま読んでみましたが、理解できずに挫折。現代語訳に辿り着き、やっと少しは理解できました。

色んな専門家が現代語訳を出版されていますが、最初にこの阿満氏の訳文にしてよかったでした。初心者でも大変分かりやすかったからです。阿満氏は巻末に他の雑誌に寄稿したエッセイ「なぜ他力なのか」も収録しています。その中で、煩悩について書かれた箇所があり、法然と親鸞は、煩悩を以下の3種類として捉えていたといいます。

(1)欲が深いこと(従って怒りやすく、妬み、嫉むこともしばしば)

(2)生への執着心(生きたい、死にたくないという拘り)

(3)自己正当化に熱心な精神(自己と他人を区別し、自己の優越を誇る)

 もちろん、これら3者を全否定してしまっては、生への原動力もなくなり、資本主義社会は成り立っていかなくなります。とはいえ、煩悩にとらわれた存在が凡夫であるということを自覚し、そんな凡夫でも、精励刻苦、修行し、智慧と慈悲の心を身に着け、菩提心を起こせば、煩悩から解脱した浄土の世界に行くことができるという宗教が浄土教思想であり、仏教だというのです。

 ゴーン被告は、(3)の自己正当化の煩悩に取りつかれていますが、仏教徒ではないので、聞く耳を持たず、逃亡を続けることでしょう。まさに、資本主義社会の権化ですからね。しかし、彼はまだ65歳。果たして、このまま、心の平穏(peace of mind)を得て往生できるのでしょうか。老婆心ながら御同情申し上げます。

大正期に東京主要5大紙の首位だった報知新聞=「近代日本のメディア議員」

佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」(創元社)を読了しました。ちょっと無味乾燥な部分もあり、「大学紀要」を読んでいる感じでしたが(失礼!)、大変よく調べ上げられており、メディアに 興味がない人でも、面白く読めるかもしれません。データ資料がしっかりしているので、恐らく、今後出版されるメディア関係の書籍も、この本から引用されていくことでしょう。

 例によって、自分が興味を持った箇所を、逸早く引用させて戴くことにしましょう。

・関東大震災が起こる前の1923年5月の東京主要5大紙の発行部数は、「報知新聞」が36万部でトップ。続いて「東京日日新聞」が30.5万部、「東京朝日新聞」が29万部、「国民新聞」が23万部、「時事新報」が20万部だった。新聞社の企業化の先頭を走った大阪系の朝日新聞・毎日新聞と比べれば、報知新聞はなおも「政治の論理」にとらわれた町田忠治社長(1919年、憲政会総務から社長に就任)派が影響力を保持していた。(35ページなどを改編)※ しかし、震災後、商業化路線の朝日、毎日によって部数は逆転することになります。 当時、いまだ健在だった黒岩涙香の「萬朝報」や「二六新報」などの部数は如何ほどだったんでしょうか?

早稲田大学出身者は1912年の第11回総選挙で、8人から16人へと議席を倍増させ、さらに政友会、憲政会、革新倶楽部の3党が護憲三派を形成した1924年の第15回総選挙で30人を超え、1942年、戦前最後の第21回総選挙まで30人以上維持し続けている。…このように、議会開設当初、メディア関連議員には早稲田出身者が多く、彼らが改進党系に連なったのというのは早稲田の政治的立場を考えれば当然かもしれない。明治14年の政変で政府から追放された大隈重信が改進党を創立し、郵便報知新聞を買収して実質的な社主になったことが理由の一端に挙げられる。(94~95ページを改編)

・駄馬裕司「大新聞社 その人脈・金脈の研究」によると、朝日新聞社が三井財閥と近しい関係にあり、毎日新聞社長の本山彦一は三菱財閥や改進党に関与していた。その結果、「朝日の方が権力中枢に食い込む上で有利だったに違いない」というのは、明治14年の政変で、改進党の大隈重信が失脚し、三井財閥に関連の深い伊藤博文井上馨が、権力の中枢に残ったからである。(99ページを改編)

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・1855年生まれの田口卯吉は、1879年に経済雑誌社を創業し、日本初の本格的な経済雑誌と言われる「東京経済雑誌」を創刊した。…田口はジャーナリストというよりも経済学者であることが分かる。1872年に大蔵省の上等生徒となり、経済学の研究を進め、そこで、お抱え外国人のシャンドと出会い、英「エコノミスト」誌を範とする経済誌を日本でも発行したいという願いが、東京経済雑誌創刊の動機の一つとなった。(181ページ改編)

・同じ1855年生まれの犬養毅は、郵便報知新聞記者を経て、1880年に豊川良平と「東海経済新報」を創刊した。田口卯吉の「東京経済雑誌」が自由貿易を主張していたのに対し、犬養の「東海経済新報」は保護貿易を主張した。

・前述した1919年に報知新聞の社長になった町田忠治は、「朝野新聞」「郵便報知新聞」記者を経て、外遊後の1895年に東洋経済新報社を創立し「東洋経済新報」(現「週刊東洋経済」)を創刊した。同社出身の議員に、天野為之石橋湛山苅田アサノがいる。同誌は創刊以来、会社経営などの私経済よりも、経済界の大勢あるいは国家財政など公経済を得意としてきた。同誌の主張は、日露戦争まで経済的自由主義の域にとどまっていたが、大正期以降、帝国主義の放棄や民本主義などを主張し、石橋湛山編集長の頃は、「小日本主義」を唱えて日本の帝国主義的侵略を批判するなど政治的な言論活動を展開した。(183ページ改編)

・1897年に創刊された「実業之日本」(1964年から「実業の日本」、2002年休刊)は、1900年から、読売新聞経済部主任記者だった増田義一に、東京専門学校の同窓生の光岡威一郎が健康悪化により、「発行編輯に関する一切」を譲渡された。

野依秀市の「実業之世界」で編集を行っていた石山賢吉は1911年、実業之世界社を退社し、1913年にダイヤモンド社を設立し、「ダイヤモンド」誌(1968年から「週刊ダイヤモンド」)を創刊した。同誌には、財界の概況や時報が掲載され、会社の経営分析を連載し、併せて経済統計や調査資料が示されたが、政論は含まれていなかった。(187ページを改編)

・翼賛選挙を象徴するメディア議員である三木武吉(香川出身、早稲田法卒)は、1928年の京成電車疑獄事件で失脚し、34年に実刑が確定。36年の第19回総選挙に立候補できなかった。「浪人生活」を送っていた1939年5月に「報知新聞」社長に就任した。しかし、1941年7月、三木は報知新聞の株式を読売新聞の正力松太郎に譲渡してしまう。これについて、報知新聞で主筆を務めた武藤貞一は、「武藤貞一評論集 戦後篇」(動向社、1962年)の中で、三木は、翼賛選挙の政治資金を獲得するために、報知新聞を手離した、と厳しく批判した。(313~315ページ改編)

 キリがないのでこの辺でやめておきます。

戦争の抑止力にならなかった新聞社出身の国会議員=佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」

 大阪にお住まいの滝本先生のお薦めで、佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」(創元社、2018年11月10日初版、4950円)を読んでいます。1960年から86年にかけて生まれた「比較的」若い中堅の学者10人が共著でまとめた学術研究書です。かつてはかなり多くのマスコミ出身の国会議員や首相にまで上り詰めた人がいたことが分かります。

 滝本先生が何故、この本を薦めてくださったかというと、先日、大阪市内で、この本の編著者である佐藤卓己・京大教授の講演会を聴いたからでした。会場には、現役時代にブイブイ言わせていた朝日新聞や毎日新聞など大手新聞社のOBの方々も見えていたそうです。

 新聞メディアの歴史を大雑把に、やや乱暴に要約しますと、明治の勃興期は、薩長を中心にした藩閥政府に対する批判と独自の政論を展開する大新聞が主流でした。柳河春三の「中外新聞」、福地源一郎の「江湖新聞」、栗本鋤雲の「郵便報知新聞」、成島柳北の「朝野新聞」などです。彼らは全員、幕臣でした。その後、政府による新聞紙条例や讒謗律などで反政府系の大新聞は廃刊に追い込まれ、代わって台頭したのが、大阪朝日新聞や、大阪毎日新聞、読売新聞などの小新聞と呼ばれる大衆紙でした。政論主流が薄れたとはいえ、新聞社出身の国会議員を多く輩出します。まるで新聞記者が国会議員の登竜門の様相ですが、政治家志望の政治記者が多かったという証左にもなります。

でも、「白虹事件」で大阪朝日新聞を退社したジャーナリストの長谷川如是閑は「大正八年版新聞総覧」で、以下のような面白いことを書いています。

 …新聞記者は、主観的生活に於いては、同時に政治家であり、思索家であり、改革家であり、学者であり、文士であり得るが、客観的生活に於いては、ただのプロレタリアに毛が生えたものであり得るのみである。…

 大手新聞出身のOBの皆さんは、新聞社出身の議員の活躍を聴きたいがために、佐藤卓己教授の講演会に参加したようでしたが、見事に裏切られることになります。

佐藤教授によると、満洲事変から2・26事件などを経て、日本が軍国主義化していく昭和12年(1937年)、マスコミ出身の国会議員が占める割合は、実に34%の高率だったそうですが、その直後に支那事変(日中戦争)が起こり、皮肉にも、マスコミ出身議員は、何ら戦争の抑止にもならなかった、というのです。


 この本の巻末には、「メディア関連議員一覧」が資料として掲載されているので、これだけ読んでも、興味がそそられます。

 例えば、現首相の父君に当たる安倍晋太郎は、毎日新聞政治部記者だったことはよく知られていますが、二番目に登録されています。全部で984人も掲載されているので、キリがないので、首相まで経験した有名人を取り上げると、まずは5.15事件で暗殺された犬養毅が挙げられます。岡山出身の犬養は、慶應義塾の学生の時、郵便報知新聞の主筆藤田茂吉の食客となり、明治10年の西南戦争の際には、「戦地探偵人」となり、「戦地直報」を報知新聞に連載するなどして記者生活をスタートしています。

 平民宰相として有名な盛岡藩出身の原敬は明治12年、フランス語翻訳係として栗本鋤雲の推薦で郵便報知新聞社に入社しています。「憲政の神様」尾崎行雄も、慶應義塾で学び、新潟新聞や郵便報知新聞などで記者としての経歴があります。

 明治14年の政変で大隈重信とともに下野して、立憲改進党を結成した矢野文雄は、郵便報知新聞の社長や大阪毎日新聞の副社長などを務めています。この本では、佐藤教授は、矢野文雄としか書いていませんでしたが、政治小説「経国美談」の作者矢野龍渓(雅号)のことでした。日清戦争の前後に、清国特命全権公使を務めています。

 佐藤教授は、このほかメディア関連の首相として、郵便報知新聞を買収して実質上の社主だった大隈重信、東洋自由新聞の社主だった西園寺公望、東京日日新聞で外国新聞を翻訳して収入を得ていた高橋是清、東京日日新聞の第4代社長を務めた加藤高明、戦後では、産経新聞記者だった森喜朗や朝日新聞記者を務めた細川護熙らを挙げていました。

 また、最近のメディア関連の国会議員の中の自民党系として、大島理森(毎日新聞広告局)、額賀福志郎(産経記者)、松島みどり(朝日記者)、茂木敏充(読売政治部)、竹下亘(NHK記者)、鈴木貴子(NHK)、小渕優子(TBS)らを挙げていて、私も知らなかったことも多々あり、これまた興味深かったでした。

 この本は、まだ読み始めたばかりなので、また取り上げるかもしれません。

(同書に合わせて敬称を略しました)

人間嫌いで友達もいないのに人間に興味がある=樹木希林著「一切なりゆき」

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 2020年、令和2年、新年明けましておめでとう御座います。

 えっ!? お正月だというのに、ブログなんかをチェックしているんですか?まあまあ、お正月ぐらいゆっくり休んで、気楽にお過ごしくださいな。

 私も皆さまと同じように、年末年始はゆっくり過ごさせて頂きました。大晦日は、何年振りかに「紅白」を30分ぐらいチラッとみて、除夜の鐘も聞かずに寝てしまいました。(最近流行の音楽は、もう、とても付いていけなかったのですが、乃木坂とか日向坂とか、欅坂とか、やけに坂が付いたアイドル名が多いんですね。あと、46とか48ってどういう意味何でしょうか?)

 正月は実家に行って、お節料理と、ノーベル賞授賞式後の晩餐会で出されたという灘の生一本「福寿」を堪能しました。

 そんな年末年始の日本人の油断と隙をついて、あのカルロス・ゴーン被告が、まさかの国外逃亡するとは!今年も波乱の幕開けとなりました。

 個人的ながら、私自身の運勢は「ディケイド decade」と呼ばれる「人生で10年に1度、変革が起きる」という運命に左右されており、今年がその年に当たります。社会人になって、1980年、1990年、2000年、2010年と、過酷な運命に晒されて来たわけです。

 ま、これ以上、悲惨な人生になることはないので、2020年は、良い意味での変革が起きると思っております。

 さて、年末年始は、軽い、といったら失礼ですが、お酒に酔っても頭に入るような本を読んでいました。昨年2019年に最も売れた大ベストセラーでもある樹木希林著「一切なりゆき」(文春新書)です。著書というより、そしてエッセイというより、本人が、色んな雑誌などのメディアの取材で応えたことをまとめた「安易」な作りで、「現代日本人のベストセラー」の読者と編集者のレベルが如実に反映されていました。

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 樹木希林さんは、かなり自然に振る舞うように見せかけた演技でしたが、日本の芸能史には欠かせない、比類のない個性派女優でした。ロックンローラー内田裕也氏との40年以上にわたる「別居結婚」や、映画やテレビやCMに至るまで幅広く活躍し、2018年9月に行年75歳で逝去されたことはほとんどの日本人なら御存知のことでしょう。この本で面白かった箇所を引用しますとー。

・モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ。私の下着は、友達の亡くなった旦那さんのお古で、みんな前が開いているの。

・年を取るって好きなの。若くなりたいなんて思わない。

・私は人のこと嫌いなんです、煩わしいから。だから友達もいない。…だけど裏腹に、人間そのものにはすごく興味があるんです。

・失敗することも沢山あるけど、歳のせいかすぐ忘れちゃう。特に嫌なことは(笑)。だから、「あの時、こうしておけばよかった」と後悔することは一切ありません。いつまでも後ろを振り返るより、前に向かって歩いた方がいいんじゃないですか。

・どうやったら他人の価値観に振り回されないか?「自立すること」じゃないでしょうか。自分はどうしたいか、何をするべきか、とにかく自分の頭で考えて自分で動く。時に人に頼るのもいいかもしれないけど、誰にも助けを求められないときにどうするかくらいは考えておかないと。

 女優樹木希林は、やはり、普通の知識人以上に物事をよく考え、見極める人だったんですね。

・性格の良い男はいると思うんですけど、性格の良い女はいないですね。年齢に関係なく、女の持っているものの中でまず裏側の怖さの方が先に分かっちゃう。女の持っている「たち」というのは、凄まじいものだなと思います。

…嗚呼、もっと若い時に、知っていたならば…

スマホに支配される前に自分自身を知れ!=ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」

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 ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社 ) を読了しました。どちらかと言えば、歴史書ではなく、哲学書でした。深い歴史の知識に支えられた歴史哲学書でした。深く考えさせられました。

 色んな書評が出ているでしょうが、どれも、象を撫でて、犬だ、猫だと言っているような類で、どれも的確でない気がします。一言でまとめること自体、複雑な示唆に富む論考が数多含まれているからです。強いて言えば、「訳者あとがき」が最も著者の意図を端的に代弁しているかもしれません。(例えば、著者のハラリ氏は、謙虚さを重視し、一神教よりも多神教に優しい目を向ける、とか、著者は人類の将来に非現実的な期待を抱いていないが、絶望もしていない、などといった部分)

 前著を読んでいない私が意外だったことは、ハラリ氏はイスラエル出身の人ですから、ユダヤ教やシオニズムなどに対して絶対的な信仰と信頼を置いているかと思っていたら、言ってよければ、冷ややかに批判的に見ていることでした。それどころか、人類の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史から見れば、宗教も思想も人間の生きる価値までもが取るに足りない、大したことはないと明示しているのです。科学者らの見解を引用して、そもそも2億年後には哺乳類は絶滅する、とまで書いていますから、王の墳墓も歴史的建造物も何もかも無意味に思えてきます。

 ハラリ氏はこんなことを書いています。

 「自己嫌悪に陥ったユダヤ人」あるいは「反ユダヤ主義者」だ思われたくないので強調しておきたいのだが、私はユダヤ教が特別邪悪な宗教だとか、暗愚な宗教だとか言っているわけではない。ただ、ユダヤ教は人類史にとって、特別重要ではなかったと言っているだけだ。ユダヤ教は何世紀にわたって、…書物を読んでじっくり考えることを好む、迫害された少数派の質素な宗教だった。(255ページ)

 シオニズムは、地表のおよそ0.005%の土地を占める、人類のおよそ0.2%の人々(ユダヤ人のこと)がほんのわずかな時間に行った冒険を神聖なものとしている。シオニズムの物語は、…モーセやアブラハムが生きた時代や類人猿の進化の前に超過した果てしない歳月にも、何一つ意味を与えていない。(354ページ)

 エルサレムは「ユダヤ民族の永遠の都」であり、永遠のものに関しては絶対に妥協できないと、彼らは主張する。…現在の宇宙の年齢は138億年。地球はおよそ45憶年前に形作られ、人類は少なくとも200万年存在してきた。それに対して、エルサレムはわずか5000年前に創設され、ユダヤ民族は長くても3000年の歴史しか持たない。これでは永遠という資格はとうていない。(同ページ)

 ユダヤ教超正統派の男性の約半分が一生働かない。彼らは聖典を読み、宗教的儀式を執り行うことに人生を捧げる。彼らと家族が飢えずに済むのは、一つには妻たちが働いているからで、一つには(イスラエル)政府がかなりの補助金や無料のサービスを提供し、基本的な生活必需品に困らないようにするからだ。(67ページ)

 このほか、現代人に対して、こんな風に批判しています。

 テクノロジー自体は悪いものではない。…だが、人生で何をしたいのか分かっていなければ、代わりにテクノロジーがいとも簡単にあなたの目的を決め、あなたの人生を支配するだろう。…スマートフォンに目が釘付けになったまま通りを歩き回るゾンビたちを見たことがあるだろう。あなたは彼らがテクノロジーを支配していると思うだろうか?それとも、テクノロジーが彼らを支配しているのか?(345ページ)

コカ・コーラをたくさん飲んでも若返られないし、健康になれないし、運動が得意にもなれない。むしろ、肥満と糖尿病になる危険が高まる。それにも関わらず、コカ・コーラは長年、膨大な資金を投じて、自らの若さや健康やスポーツと結びつけてきた。(309ページ)コカ・コーラや アマゾン、百度、政府がみな我先にあなたをハッキングしようとしている。あなたのスマホやパソコンや銀行口座ではなく、あなたとあなたの有機的なオペレーションシステム(OS)をハッキングしようと競っている。私たちはコンピューターがハッキングされる時代に生きていると言われるが、…、実は私たち人間がハッキングされる時代に生きているのだ。(一部換骨奪胎)(346ページ)

 やはり、訳者もあとがきで、引用しているように、この本で著者が最も言いたかったことは、次の部分かもしれません。

 もちろん、あなたは、権限を全てアルゴリズム(AIによる問題解決の方法や手順)に譲り、アルゴリズムを信頼して自分のこともそれ以外の世の中のことも全て決めてもらって、満足そのものかもしれない。それならば、くつろいで、そういう暮らしを楽しめばよい。…だが、自分という個人の存在や生命の将来に関して、多少の支配権を維持したければ、アルゴリズムより先回りし、アマゾンや政府より先回りし、彼らより前に自分自身のことを知っておかなければならない。

 著者のハラリは、その自分自身を知る一つの方法として最後にヴィパッサナー(物事をありのままに鑑札する、という意味)瞑想を挙げていました。確かに、タイトル通り、21世紀に生きる人類のための指南書でした。

【追記】

 ●法然は「選択本願念仏集」の中で、念仏(仏を念ずる)の手段として、凡夫では到底できない瞑想よりも、易行である称名を選択するべきだ、という革命的理論を展開していました。

 ●著者のハラリ氏が本書で言いたかったことは、既に古代ギリシャの賢人が述べています。

 人生の究極的な価値とは、ただ単に生き長らえるということではなく、むしろ、気づきと深い思考を巡らすことに掛かっている。(アリストレス)

知能と意識は全くの別物=ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」を読みながら

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 12月某日、木曜日。日本を代表する週刊誌「週刊文春」と「週刊新潮」の発売日。朝の通勤電車内。7人掛けの椅子に座っている7人のうち5人、その前に立っている9人全員がスマホの画面とにらめっこしていました。週刊誌を読んでいる人、ゼロ、新聞を読んでいる人、ゼロ。本を読んでいる人、1人。それは私でした。

「サピエンス全史」が世界的なベストセラーとなり、現在、世界的に最も著名になった歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社、2019年11月30日初版発行)を今、読んでいます。

 まだ、半分しか読んでいませんが、私的には、ブログを書くことが「主」で、本を読むことは「従」なので、まだ途中なのにこの本のことを語ろうとしています(笑)。実は、私はハラリ氏の前作「サピエンス全史」も「ホモ・デウス」も読んでいません。が、梗概だけは何となく知っています。そして、ハラリ氏がインタビューされている番組をテレビで見たことがあり、大変頭脳明晰ながら、かなり、かなりの饒舌家で、しゃべる速度と内容が思考の回転について行っていない様子で、ところどころで矛盾するように思われる箇所もあり、「内容明晰・意味不明」に陥っている感じでした。

 この本を読んでも同じ印象を受けました。論理展開が早すぎるのです。現代の話かと思ったら、1714年のバルセロナの大虐殺が出てきたりします。本人は納得していても、読者はついていけない面がありました。それでも、不思議にも4分の1ほど読み進めていくと、彼の策略に嵌ったかのように、分かってきます。なぜなら、環境問題にせよ、雇用問題にせよ、第1次資料は、市販かネット上から拝借された新聞や雑誌の記事や、テレビからの情報が多いからです。毎日、新聞を読んでいる人なら、そして世界史の知識があれば、目新しい話はなく、ついていけないことはありません。

 それよりも、ハラリ氏を有名にした言説の一つは、前作「ホモ・デウス」で明らかにした「人工知能(AI)とバイオテクノロジーの力でごく一握りのエリート層が、大半の人類を『ユースレスクラス(無用者階級)』として支配するかもしれない 」といった推測でしょう。彼は歴史学者であり、未来の予言者ではないので、必ずしも将来、彼の推測した通りにはならない、とひねくれ者の私なんか思っているのですが、耳を傾ける価値はあると確信しています。(私なんか、若いハラリ氏の容貌と体形がどうも未来の人類か宇宙人に見えてきます)

本書ではこんなことを書いています。

 吉報が一つある。今後少なくとも数十年間は、人工知能(AI)が意識を獲得して人類を奴隷にしたり、一掃したりすることを決めるというSFのような本格的な悪夢に対処しなくて済みそうだ。私たちは次第にAIに頼り、自分のために決定を下してもらうようになるだろうが、アルゴリズムが意識的に私たちを操作し始めることはありそうにない。アルゴリズムが意識を持つことはない。

 …現実に、AIが意識を獲得すると考える理由はない。なぜなら、知能と意識は全く別物だからだ。…(ただし、)AIが独自の感情を発達させるのが絶対に不可能ではないことは言うまでもない。不可能だと言い切るほど、私たちは、意識についてよく分かっていない。(99~100ページ、一部漢字改めなど)

 これは非常に分かりやすい論法であり、大いに納得します。

 人類のほんの数%の人間だけが、富と権力を独占し、残りの多くの人間がAIによって仕事を奪われて、不要階級に没落するというおっとろしい御託宣よりも…。(つづく)

「江戸・東京の被差別部落の歴史」を読んで

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沖浦和光著「天皇の国・賤民の国」のことを会社の同僚の川本君に話したら、彼は浦本誉至史著「江戸・東京の被差別部落の歴史」(明石書店・2003年11月10日初版)を貸してくれました。彼がこのような問題に興味があったとは知りませんでした。

 著者の浦本氏は、「連続大量差別はがき事件―被害者としての誇りをかけた闘い―」 ( 解放出版社 、2011年3月10日初版)という本も上梓された方で、謂れもない差別に苦しんだ人でもありました。この事件とは、2003年5月から1年半にわたって、東京を中心に全国の被差別部落出身者や団体に差別文言をつらねた匿名のはがきや手紙や、注文してもいない高額商品が代引きで大量に送りつけられたりしたもので、逮捕された犯人は都内に住む34歳の青年でした。浦本氏個人に対する恨みではなく、「就職難のストレスから、部落差別の意図を持って一連の犯行を行った」と自供したといいます 。 これに対して、浦本氏は「無知が差別を生む」と、講演で全国を駆け巡っているといいます。

 世の中には実にさまざまな考えを持っている人がおり、彼らの個人的信条については尊重しなければなりませんが、中には根も葉もないデマを信じて被害者妄想に駆られて、法を犯す行為を厭わない悪質な人間もおります。刃(やいば)は弱者に対して向けられます。このような不特定少数向けのブログに対してでさえも、誤解や誤読や思い込みで、犯罪行為に走るような人間が世の中に少なからずいるので、困ったものです。

 その上で強調したいのは、この本は名著だと思います。著者は、内藤清成「天正日記」や「弾左衛門由緒書」「武江年表」など当時の文献を渉猟し、アカデミズムの学者以上によく調べ、よく研究し、私もこの本で沢山のことを教えてもらいました。

 差別問題は、古代からありましたが、制度として固められたのは近世に入った徳川幕府からでしょう。特定の職業(死んだ牛馬の処理、革製品の製造、街の警護や刑場の管理、祭礼の清め役など)を押し付け、 統治しやすいように特定の場所に住まわせ、リーダーを認めてトップダウン方式で支配してきました。幕府が穢多と呼称し、自分たちは「長吏」と自称した頭は、代々弾左衛門の名前を襲名してきました。この中で、四代目弾左衛門集久(ちかひさ、在籍1669~1709年)は歌舞伎の市川團十郎家の十八番「助六」の敵役の髭の意休(意久)のモデルだったという説があります。「助六」は、歌舞伎の興行権を巡る訴訟争い(勝扇子事件)から着想を得て、全く新しくつくられた世話物(作者不詳)で、正徳3年(1713年)、江戸木挽町(今の東銀座)の山村座で二世團十郎によって初演されました。 山村座は、翌年の正徳4年(1714)に江島生島事件で廃絶されていますから、歌舞伎通にとっては感慨深い逸話です。

 家康が関東江戸に入府した天正18年(1590年)、弾左衛門とその配下は、それまで居住していた日本橋尼店(あまだな、現室町、日本銀行がある所)から上野の鳥越に移住させられます。これは、日本橋にあった刑場が鳥越などに移転したことと関係があると思われます。同様に、正保2(1645 )年 には、鳥越から、浅草新町に再び、移住させられますが、これも、刑場が鳥越から品川の鈴ヶ森と北浅草の小塚原に移転したことも関係しているのでしょう。 蝋燭や行灯の芯である「灯心」の独占製造販売権も持った弾左衛門の浅草新町の屋敷(役所も兼ねていた)の敷地は740坪もあり、旗本か、小さな大名クラスの規模だったようです。

 長吏頭・弾左衛門の下に4人の非人頭がいたとも書かれています(93~94ページ)。浅草の車善七、品川の松右衛門、深川の善三郎、代々木の九兵衛です(こちらも代々襲名)。浅草と品川には「溜」と呼ばれる囚人の看護や身寄りのない病人や少年の世話をする施設があり、それを管理していたのが、それぞれ車善七と松右衛門でした。非人たちは、町や堀川などの清掃、刑場での労役などのほか、鑑札を発行してもらって、「物貰い」をすることも生業だったといいます。物貰いは、他の町人らには許されていませんでした。

 また、非人頭は、乞胸(ごうむね)や願人(がんにん)(下層僧侶)と呼ばれる大道芸人を支配していたといいます。史料によると、乞胸の稼業は、綾取( 竹に綱をつけ、まりなどを投げ上げては受け止める曲芸 )、猿若(顔を染めて芝居をする芸)、江戸万歳、辻放下(つじほうか=手玉芸)、操(あやつり)、浄瑠璃、説教、物真似、仕方能、物読、講釈、辻勧進(芸のない者や女や子どもたちが往来に出て銭を乞う)などでした。願人の代表芸は、「住吉踊り」でした。

 乞胸は、被差別民ながら、平民だったといわれ、町人が、無宿となって非人になったりする場合も多く、明確な規定などもなかったようです。要するに、支配者階級が、都合の良いように利用し、決めつけた制度に過ぎず、驚くことに、弾左衛門と配下らは、関ヶ原の戦いや、幕末の長州征伐にまで参戦させられた史料までもが残っていました。

「仏像でめぐる日本のお寺名鑑」で巡る日本のお寺

 この本は本当にためになりました。これまで、自分が如何に無手勝流に、気儘に、散漫に仏像を鑑賞していたかよく分かりました。

 まず、仏像には「尊格」というものがあって、 「如来」「菩薩」「明王」「天部」「その他」があります。

如来」=釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来など

菩薩」=観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩など

明王」=不動明王、軍荼利明王、愛染明王など

天部」=四天王(広目天など)、梵天、毘沙門天、弁財天、鬼子母神、二十八部衆(迦楼羅王など)、十王(閻魔王など)

「その他」=十大弟子(舎利弗など)、役小角など

如来とは、菩薩が六波羅蜜の修行と艱難辛苦の末に、悟りを開いた最高の格でしたね。阿弥陀如来は、法蔵菩薩が正覚(しょうがく)したお姿でした。

この本の「如来」の中に、弥勒如来があったので、弥勒菩薩の間違いではないかと思いました。私は、個人的ながら、京都・広隆寺の弥勒菩薩像が大のお気に入りで、苦しい時に、よく写真を見て心を落ち着かせていたことがありました。奈良・中宮寺の弥勒菩薩像もよくお参りしました。

 そしたら、弥勒如来とは、釈迦が入定されて56億7000万年後に、弥勒菩薩が如来になることが約束された救済主のことだったんですね。その間に、一切衆生を救済するのが地蔵菩薩でした。あたしなんか、お地蔵さんなんて、道端によくある道祖神かと思っていましたら、地獄に堕ちた者どもさえも極楽浄土に導いてくださる偉い偉い菩薩さまだったのです。

 種類が多いのは、衆生が「観音様」と気軽に読んでいる観音菩薩です。聖観音菩薩(地獄)、千手観音菩薩(餓鬼)、 馬頭観音菩薩(畜生)、十一面観音菩薩(修羅)、不空羂索観音菩薩准胝観音菩薩(人間)、如意輪観音菩薩(天)と六道に沿って救済してくれます。このうち、如意輪観音菩薩の如意とは、「如意宝珠」のことで、苦しみを取り除く働きをし、輪は、「法輪」のことで煩悩を打ち砕く働きを持ちます。仏様の持ち物に注目すると、これまた興味深いです。

 脇侍(わきじ、または、きょうじ)とは如来の右左に侍る菩薩のことで、三尊像としてパターンが決まってます。釈迦如来なら普賢・文殊菩薩、阿弥陀如来なら聖観音・勢至菩薩、薬師如来なら日光・月光菩薩といった具合です。

 そういえば、京都・泉涌寺即成院では、毎年10月第3日曜日に「二十五菩薩お練り供養」がありましたね。文字通り、25もの菩薩様が壇上でお練りします。 仏像に関する知識があれば、より有難みが分かります。

 明王とは、五大明王(不動明王=中央、降三世明王=東、大威徳明王=西、軍荼利明=南、金剛夜叉明=北)がその代表で、仏様の教えに目覚めない衆生に対して、怒りの炎を光背にして、憤怒の表情で諫めるお姿になってます。

 天部は、この本では「ガードマン」と分かりやすく書かれていました。その代表的は四天王は、持国天(東)、広目天(西)、 増長天(南) 、多聞天(北)です。この本は大変素晴らしいのですが、80ページで、増長天を西、広目天を南と誤記されていました。間違って覚えてしまうところでした。たまたま、京都・東寺で買った伽藍の写真を照合したら間違いを発見しました。良い本なので、速やかに訂正してほしいものです。

 北を護衛する多聞天は、単独ですと、毘沙門天となります。梵天は、バラモン教の最高神ブラフマンのことですが、インドでは仏教が衰退して密教化した中で、インドの古代の神々を取り入れていったことが分かります。

 沖浦和光説によると、仏教を開いた釈迦は、その人の生まれや種姓とは関係なく、誰でも真理に目覚めれば覚者(ブッダ)になれると、「四姓平等」「万人成仏」の道を明らかにし、カースト制差別の永遠性と合理性を根拠づけようとするバラモン教に対して根底的に批判したと言われます。

 それが、釈迦入滅後、500年も1000年も経つと、翳りが出て、平等主義を唱える釈迦の教えとは似ても似つかない色々なインドの神々を取り入れて延命策を図ったのではないか、釈迦如来より上位に置く大日如来もバラモン教の影響ではないか、というのが沖浦説でした。

 お釈迦様自身も偶然崇拝には反対だったとも言われ、そう言われてしまうと、仏像好きの私としては立つ瀬がなくなってしまいます。

 それでも、この本の本文や巻末には、全国の寺院や博物館が収蔵する重要文化財や国宝の仏像リストが掲載されているので、極楽浄土に行く前に、一度は巡ってみたいと思っています。