生物に運命なし、全ては偶然の産物=ダーウイン「種の起源」を読了

 「わーお、やったーー」。通勤電車の中で一人、心の中で快哉を叫んでしまいました。ダーウインの「種の起源」(渡辺政隆訳、光文社古典新訳文庫)をついに、やっと読了出来たのです。ハアハアと3000メートル級の高山を登頂できた爽快感と疲労感が入り混じったあの感覚が押し寄せて来ました。

 「種の起源」は1859年11月24日に初版が発行され、ダーウインはそれ以降、13年間も地道に改訂作業を続け、1872年2月に「第六版」まで出版しました。訳者の渡辺氏によると、ダーウィンと言えば直ぐに連想できる「進化」evolution という言葉は、この最後の第六版になってやっと出て来た言葉だといいます。(それまでは「変異を重ねて来た」といったような表現。)また、ダーウィン主義のキーワードとなる「適者生存」も、1869年の第五版になって初めて登場したといいます。「進化」も「適者生存」も社会学者のハーバート・スペンサーが命名した造語でした。

日比谷公園

 いわゆるダーウィンの進化論は、今や定説になっていて疑問の余地はないと私は思っていましたが、今でも、キリスト教原理主義者だけではなく、科学者の中でも反ダーウィン主義者がいるとは驚きでした。訳者の渡辺氏も「あとがき」の中で、同氏が1970年代の前半、大学の生物学の最初の授業で、高名な教授から「ダーウィンの『種の起源』は読む必要もない。あそこに書かれているのは嘘ばかりだから」と聞かされたといいます。

 ダーウィンの進化論とは、一言で言えば、「全ての生物は共通の祖先から進化してきたという考え方」で「生物の進化は世代交代を経た枝分かれの歴史であって、一個人が進化することはありえない」ということになります。しかし、「種の起源」は決して読みやすい本ではなく難解のせいか、正しく読まれずに、ダーウィンの業績も正しく評価されないまま、学界で論争を生んだのではないか、と訳者の渡辺氏は書いております。

 なるほど、そういうことでしたか。「種の起源」の最後は「実に単純なものから極めて美しく素晴らしい生物種が際限なく発展し、なおも発展し続けているのだ。」という文章で終わっています。「種の起源」第六版を出版した時のダーウィンは63歳になっていました(その10年後の73歳没、ニュートンやヘンデルら著名人が眠るロンドンのウエストミンスター大寺院に埋葬)。

内幸町

 この難解の書物を私自身、どこまで理解できたのか心もとないのですが、読破できたことだけは自分自身を褒めてあげたいと思っております。「種の起源」を読まずに進化論を語る勿れですね。

 訳者の渡辺氏も「解説」の中でこう書いています。

 進化の起こり方は、常に偶然と必然に左右され、行方が定まらない。あらかじめ定められた運命など存在しないのだ。生存することの意味を問う中で虚無に走るのは容易い。しかし、偶然が無限に繰り返された結果として人生は存在するという考え方には荘厳なものがある。「種の起源」を読まずして人生を語ることができない。

 これ以上、付け足すことがないほどの名言です。

 

 

🎬小津作品を観たくなります=平山周吉著「小津安二郎」

 今、話題になっている平山周吉著「小津安二郎」(新潮社)を読んでいます。同時並行で他の本も沢山読んでいますので、乱読です。

 巨匠小津安二郎(1903~63年)に関しては、様々な多くの書籍がこれまで出版され、いわば出尽くされた感じでしたが、それでもなお、この本では今までとは違った視点で描かれている(山中貞雄監督との関係や、円覚寺の墓石にかかれた「無」の揮毫は本人の遺志ではなかったことなど)ということで、多くの書評でも取り上げられ、脚光を浴びています。また、今年はちょうど小津没後60年の節目の年ということもあります。

 没後60年が何故、節目の年かと言いますと、小津監督自身、今ではとても若い60歳で亡くなっているからです。晩年の写真を見ると、80歳ぐらいに見えますが、まだ60歳だったとは驚きです。あれから60年経ったということで、今年は小津生誕120年ということにもなります。

 著者の平山周吉氏は、いつぞやこの渓流斎ブログで何度も取り上げたあの「満洲国グランドホテル」(芸術新聞社)の著者でもあります。文芸誌の編集長も務めた経歴の持ち主で、古今東西の古書を渉猟して調査研究する手法は、この本でも遺憾なく発揮されています。

 でも、正直言わせてもらいますと、異様にマニアックで、重箱の隅の隅まで突っついている感じがなきにしもあらずで、逆に言えば、マニアックだからこそ出版物として通用するといった感想を抱いてしまいました。

 とは言っても、私は小津安二郎が嫌いなわけではありません。彼がこよなく愛して通った東京・上野のとんかつ屋「蓬莱屋」には今でも通っているぐらいですからね(笑)。世界の映画人やファン投票で、代表作「東京物語」が何度も世界第1位に輝き、私も「東京物語」だけは、10回ぐらいはテレビやビデオで見ています。1953年公開ですから、劇場では見ていませんが。。。(遺作となった小津作品は「秋刀魚の味」ですら1962年公開ですから、小津作品を封切で映画館にまで足を運んで観たのは戦前生まれか、私の親の世代ぐらいではないでしょうか。)

 でも、この本を読んでみて、私自身は、小津作品をほとんど観ていないことが分かり、観ていないと何が書かれているのか分からないので、慌ててDVDを購入して観たりしています。

 早速、観たのは、1949年度のキネマ旬報の1位に輝いた「晩春」と、遺作になった62年の「秋刀魚の味」です。そしたら、あれ?です。何という既視感!

 男やもめの初老の父と年頃の娘がいて、老父は娘が行き遅れ(差別用語で、行かず後家)にならないか心配しています。娘はお父さん大好きで、いつまでも身の回りの世話をしてあげたい。老父は、痛し痒しで、それでは困る。結局、周囲からの縁談を進めて、最後は娘のいなくなった家で、老父は寂しく感慨深気な表情でラストシーンとなる。。。

 「晩春」「秋刀魚の味」ともに、この老父(とはいっても56~57歳)役が笠智衆。行き遅れになりそうな娘(とはいっても、まだ24歳)役は、「晩春」では原節子、「秋刀魚の味」では岩下志麻です。両作品とも、結婚相手は最後まで登場せず、名前だけ。自宅での花嫁衣裳姿は出てきますが、式や披露宴の場面はなし。うーん、同じようなストーリーといいますか、「晩春」から13年目にして、ワンパターンと言いますか、歌舞伎の様式美のような同じ物語が展開されます。それで、デジャヴュ(既視感)を味わってしまったわけです。

 特に老父役の笠智衆(もう40代から老人役を演じていた!)は、意識しているのか、あの独特のゆったりとした台詞の棒読み状態の中で、いぶし銀のような深い、深い味わいを醸し出しています。(「そおかあ、そうじゃったかなあ~」は夢にまで出てきます。)

 小津作品のほとんどがホームドラマと言えば、ホームドラマです。特別な悪人は登場せず(嫌な奴は登場します=笑)、露骨な煽情的な場面もなく、何処の家庭でも抱えそうな身近な問題をテーマにしています。どちらかと言えば、お涙頂戴劇か? 共同脚本を担当した野田高梧の台詞回しは、至って自然で、フィクションではなく、いかにも現実に有り得そうな錯覚に観る者を陥れますが、実生活では、最後まで独身を貫いて家庭を持たなかった小津が、何故ここまでホームドラマに拘ったのか不思議です。この本はまだ半分しか読んでいないので、最後の方に出てくるかもしれませんが、原節子との噂の真相も書いていることでしょう。

  ああ見えてファッション好きで、全く同じ色と柄の服を何着も揃えているとか、酒好きで知られ、行きつけの店は今でも「聖地」になっているとか。 ーこのように、小津安二郎という人が映画監督の枠を超えて、人間的に魅力があったからこそ、世界中の人から愛され、特にヴィム・ヴェンダース監督を始め、超一流のプロの映画人にも愛されたのではないかと私は思っています。日本的な、あまりにも日本人的な小津作品が、海外に通じるのも、人間の感情の機微に普遍性があるからでしょう。

 ところで、「秋刀魚の味」で、どこの場面でも秋刀魚が登場せず、少なくとも、何のキーポイントにもなっていないので、何でだろうと思って、この本の当該箇所を読んでみましたら、著者の平山氏は「『秋刀魚の味』は鱧(はも)と軍艦マーチの映画だ」なぞと書いておられました。恐らく、そう言われても、「秋刀魚の味」を御覧になっていない方は、よく分からないかもしれませんけど、確かにそうでした。そして、「秋刀魚の歌」で一躍有名になった詩人の佐藤春夫とその親友の谷崎潤一郎について触れ、文学少年だった小津安二郎は、二人の作品を全集などで読んでいるはずで、かなりの影響を受けていることも書いておりました。

 先ほど、この本について、「異様にマニアックだ」などと失礼なことを書いてしまいましたが、このように、ここまで各作品の細部について、解明してくれれば、確かに、「小津安二郎伝 完全版」と呼んでも相応しい本かもしれません。

 【追記】

 (1)著者の平山周吉の名前は、小津安二郎の代表作「東京物語」で笠智衆が演じた主役の平山周吉から取られたといいます。それだけでも、筆者は熱烈な小津ファンだということが分かります。

 (2)「秋刀魚の味」では、やたらとサッポロビールとサントリーのトリスバーが出てきます。「提携(タイアップ)商品広告」と断定してもいいでしょう。「ローアングル撮影」など小津安二郎を神格化するファンが多いですが、私は神格化まではしたくありませんね。ただ、小津作品は、歴史的遺産になることは確かです。映画を観ていて、パソコンやスマホどころかテレビもなかった時代。冷蔵庫も電話も普通の家庭にはなかった時代を思い出させます。文化人類学的価値もありますよ。

「絶滅種は復活しない」と「アルゼンチンの由来」

 相変わらず、といいますか、いまだに、まだダーウィンの「種の起源」(下、渡辺政隆訳、光文社古典新訳文庫)を読んでいます。

 この中で、「いったん絶滅した種は二度と出現しない」とか「一つのグループが、いったん完全に消滅すると、二度と復活しない。世代の連鎖が途切れてしまうからである」(174~175ページ)といった記述にぶつかり、ハッとしてしまいました。

 そっかあー。当たり前のことですけど、映画「ジュラシック・パーク」などでは、絶滅したはずの恐竜が「復活」したりしましたが、あれはあくまでもフィクションの世界だったんですね。ダーウイン先生に言わせれば、絶滅した恐竜は二度と出現しないし、同じように我々、ホモ・サピエンスの人類に最も近いデニソワ人もネアンデルタール人も絶滅したので、もう二度と出現しない、ということなのでしょう。

 そうなると生物に課せられた「生き延びること」と「生き残ること」は、最大最高の使命であり、最大の目的であり意味であることが再認識されます。(この後、ダーウインは、何百キロも離れた大陸や群島で、ある同じ植物が群生するのは、鳥や魚や動物たちが食べた果実や種子が嗉嚢(そのう)などに残り、遠距離で運ばれ、動物が死骸になっても、中に入っていた種子が長らく発芽能力を維持していることを実験で証明したりしております。)

◇絶滅危惧種を救え

 環境庁が発表している「レッドデータブック」をチラッと拝見しますと、既に「絶滅」した種としてニホンオオカミやニホンカワウソなどがあり、ラッコやジュゴンは「絶滅危惧」で、房総半島のホンドザルや紀伊山地のカモシカなどは「絶滅のおそれ」に分類されています。

 絶滅したニホンオオカミなどは二度と復活しないということになり、人魚姫のモデルになったとも言われるジュゴンなどの危惧種も絶滅したら、二度とその姿を見ることができなくなります。それらは人間の責任と言うべきか、それとも、生存闘争の末の「自然淘汰」と言うべきなのか? 少なくとも絶滅の恐れがある動物や植物たちは「人口問題なんかより、同じ地球に住んでいるんだから、俺たちの生存権をもっと大事にしてくれよ」と主張することでしょう。

 そんなことを考えながら、「種の起源」を読み進めています。

 話はガラリと変わって、先日、化学の元素記号を眺めていたら、ヘリウムheliumはHe、マグネシウムmagnesiumはMgなどと分かりやすいのに、何で金はgold なのにAu、銀はsilver なのにAgなんだろう、と思ったら、ラテン語だったんですね(実は知ってましたが=笑)。

 金は、ラテン語でaurum、銀はargentum。ですから、金の元素記号はAu、銀はAgとなるわけです。この銀のargentum(フランス語の銀は、argent でした!)は、どうも南米のアルゼンチンと関係があるのかな、と思って調べたら、やはり、アルゼンチンという国は、このラテン語の銀から取ったんですね。侵略したスペイン人が銀の鉱山を発掘したからでしょう。ついでながら、アルゼンチンとウルグアイを流れる有名なラプラタ川がありますが、スペイン語で、ラは冠詞、プラタは銀という意味なんですね。

 この年にして何ーも知らなかった、と恥じた次第です。

 アメリカの地名の由来は、イタリアの探検家アメリゴ・ベスプッチから取られたことは知っておりましたが、それ以外の北米、中南米の国々の地名の由来はほとんど知りませんでした。そこで、調べたところー。

カナダ=先住民の「村」「村落」を意味する「カナカ」が元になったという。

メキシコ=アステカ族の守護神メヒクトリ(「神に選ばれし者」の意味)にちなんで呼んだメヒコに由来する。

キューバ=先住民の「クーバ」(中心地の意味)の英語読み。

エクアドル=スペイン語で「赤道」の意味。

ブラジル=貴重な赤い染料が取れる「パウ・ブラジル」の木から。

ボリビア=ボリビア独立の功労者シモン・ボリバルに因む。

 まだまだ沢山ありますが、取り敢えず、この辺で(笑)。

1%の富裕層のための新自由主義=ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」を「100分de名著」が取り上げています

 目下、NHKのEテレで放送中の「100分de名著」の第130回「『ショック・ドクトリン』ナオミ・クライン」は頗る面白いので、皆さんと共有したいと思いました。6月12日(月)に第2回が放送されますが、同日に第1回の再放送もあり、見逃した方は、最初から見ることが出来ます。

 実は、私自身はこの名著を読んだことがなかったので、全く期待していなかったのですが、何となく見始めたら、すっかりハマってしまったのです。

 「ショック・ドクトリン」はユダヤ系カナダ人のジャーナリスト、ナオミ・クラインが2007年9月に発表したノンフィクションです。一言でいえば、シカゴ大学の教授でユダヤ系経済学者のミルトン・フリードマンが提唱した「新自由主義」に対するアンチテーゼで、彼女はフリードマンの経済政策を「惨事便乗型資本主義」と批判しているのです。

 番組の解説者として出演しているジャーナリストの堤未果氏によると、ショック・ドクトリンのショックとは、戦争やパンデミック、自然災害、テロといったことを指し、大衆がこのようなショックで正常な判断を失っている間隙を縫って、新自由主義者たちが次々と表向きは都合の良いように見せかけながら、自分たちだけが利益になるような政策を誘導していくことだといいます。一言でいえば、「火事場泥棒」ということで、実に分かりやすい表現だと思いました。

 新自由主義たちが為政者たちに「市場原理こそ全てだ」と言いくるめて、まずは①「規制緩和」に誘導させ、続いて、公共事業を次々と②「民営化」させる。最終的には③「社会福祉の制限」が目的となります。当然、貧富の格差は拡大しますね。堤氏によると、民間企業なら利潤があげられなければ、簡単に逃げられるが、公共団体は、綻びが出たからといって撤退できないといいます。つまり、例えば、2007年に財政破綻した北海道の夕張市は、撤退することが出来ず、国の管理下で借金を返済し、結果的に若者が離散して超高齢化と人口減少という現実があります。そうかと言えば、ハゲタカのようなファンドが、企業を乗っ取り、甘い蜜を吸いつくしてから、高額な金額で転売して逃げ去る構図と似ています。

 私は昔から、誰が世の中を動かしていて、誰が額に汗水たらさずに儲けて楽をしているのか、といった「世の中のからくり」について興味があり、ずっと知りたかったので、この本には目を見開かせられます。

 「ショック・ドクトリン」では、1973年、米CIAの工作員の力を借りてアジェンデ社会主義政権をクーデターで倒したチリのピノチェト将軍による独裁を振り返っています。ピノチェトは、1万3500人の市民を拘束し、数千人に拷問をかけて「ショック」を与え、1950代にシカゴ大学に留学してフリードマンから薫陶を受けた「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれた経済学者らに経済政策の指揮を執らせ、国営企業を次々と民営化して外国企業=つまりは米国=を参入させます。その結果、1974年のチリのインフレ率は375%に上り、パンの価格が高騰し、安い輸入品のお蔭で国内の企業が低迷し、失業率も増大します。

 その一方で、富裕層の収入は、アジェンデ政権時と比べて83%も増大したというのです。

 このほか、「英国病」と呼ばれて景気低迷していた1980年代の英国。サッチャー政権も支持率が25%と低迷していましたが、サッチャー首相は、フォークランド紛争という「ショック」を利用して、事業を民営化して景気回復を図り、支持率を59%に伸ばしたといいます。その一方、富裕層に対しては優遇政策を取ったといいますから、フリードマン流の新自由主義です。

 番組では、堤氏は「日本にもシカゴ・ボーイズ(フリードマンの影響を受けた経済学者や政治家)はいます」とキッパリ言ってましたが、具体的にどなたなのかは口を噤んで、言いませんでした。ズルいですねえ。まあ、誰かは想像はつきますが(笑)。

 でも、穿った言い方をすれば、政治の世界は「善か悪」とか「正しいか、間違っているのか」の世界ではなく、結局は、「強いか、弱いか」の世界です。民主主義なら、数が多いか、少ないかの世界です。権力を握った者=恐らく富裕層=が好き勝手な政策をできるわけです。

 だって、フリードマンの新自由主義は、1%の富裕層にとっては、救世主のような正しい善の政策になるわけですからね。

 思えば、日本人は、自分が貧困層だという自覚が全くないから、多くの人が富裕層を優遇する政党に投票しているわけで、勉強が足りないといいますか、自業自得になっているわけですよ。

用不用説は日常生活で感じられます

ダーウィンの「種の起源」(光文社古典新訳文庫、下巻)を読んでおりますが、ちょっと難解で、正直言って、途中で投げ出したくなります。科学者になる人、科学者になった人は必読書ですが、恐らく、多くの人は挫折しているんじゃないかと断言したいぐらいです。

 私の場合は、翻訳者の渡辺政隆氏が下巻の「訳者まえがき」に「ダーウィンの『種の起源』は手強い本である。決して読みやすい本ではない。」というお言葉に励まされて、息も絶え絶え、何とか読み続けております。

 頑張って読んでいると、20ページに1カ所ぐらい、私のような素人でも面白いと感じる箇所が出てきます。例えば、キリンに尻尾があるのは、その用途の一つとして、蠅を追い払うため、などと書かれたりすると、「へ~」と思ったりします。猿は尻尾で木の枝をつかんだりしますが、人類の尻尾が退化したのは、使わなくなったからでしょう(用不用説)。もう木に登らなくてすむようになったし、蠅や蚊はベープマットを使ったりしますから(笑)。

 でも、牛や馬やキリンさんにとって、蠅や蚊を追い払うことは「死活問題」です。もし、変な病気を持った蠅や蚊にやられたらイチコロですから、尻尾は必需品で、なくならないのでしょう。

有田

 用不用説ーつまり、使わなかったら、退化したり、なくなったりすることは、普段の生活で誰でも感じるのではないでしょうか。先月、私は健康診断でバリウム検査をした時、とんでもない体験をしました。機械の上に乗ってグルグル回されますよね。その時、両手は脇の棒にしっかり捕まって、変な姿勢を取らされる時に我慢しなければなりません。検査する医師が、マイクを通して、「はい、右に90度回転して」とか「左回転で1周回って」とか命令します。その時、私は、普段使わない左腕の筋肉がつってしまい、とても痛くて、脇の握り棒をつかめなくなり、体を回転するのも難儀になってしまったのです。

 それでも、検査医師は知らぬか、知ってか、「はい、真面目にしっかり握って!」とか「左じゃない、右に回転して」とか命令し続けるのです。

 あれには参りましたね。

 検査が終わって反省しました。「そう言えば、ここ何年も、鉛筆より重いもの持っていなかったなあ。だから腕がつったりするんだ」という事実に気が付いたのです。毎日、通勤で、書籍やペットボトルなどが入った重い鞄を持参していますが、リュックサックなので肩で背負って、手で持つことはありません。「あっ! 腕は全然使わず、鍛えられていなかったのだ」との用不用説に気が付いたのです。それ以降、なるべく、歩くとき、鞄は手で持つようにしました。(人類が二足歩行したのも、前脚で赤ん坊やモノを持つため、という説もありましたね!)

 1年も続ければ、腕は鍛えられるでしょう。もう腕はつったりしないかもしれません。来年の検診が楽しみになってきました(笑)。

池波正太郎さんの行きつけだった築地「かつ平」

 このように、用不用説は日々の日常生活で感じることが出来ます。歩かなければ、足が退化しますし、笑わなければ、顔面筋肉も退化することでしょう。そう言えば、入院した時、人と話さなかったら、声が出なくなった体験をしたことがありました。

 頭も使わなければ、退化しますので、こうして、私は毎日、一生懸命、ダーウィンの「種の起源」を読んでおります。電車の隣席では、おばさんが熱心にスマホゲームしてますが。

奴隷を巡る内戦と債務上限引き上げ問題との関係

  昨日のブログで、奴隷狩りするアマゾンアリや奴隷取引をする人間のことを書きましたが、読売新聞を読んでいたら、国際経済欄に米国の奴隷問題の話が出てきたので、その偶然の一致に驚いてしまいました。

 それは、国際経済学者の竹森俊平氏が、デフォルト危機に陥るのではないかと不安視された米連邦債務上限引き上げ問題について解説した記事でした(2023年6月2日付読売新聞朝刊)。債務上限の決定権を何故、議会が持つようになったのか、その経緯について歴史的に説明してくれています。近年は民主党の大統領の時に、共和党が議会の過半数を握る「ねじれ状態」が生じたりすると、共和党は、歳出削減を勝ち取ろうと、この上限引き上げを拒む瀬戸際作戦を画策するといいます。最初にそれが起きたのがカーター民主党政権時代の1979年5月で、不慮の不履行(テクニカルデフォルト)となりました。当時の私は、経済音痴の不勉強な学生でしたので、あまり覚えていません(苦笑)。同じ年に起きたホメイニ師らによるイラン革命はよく覚えているのですが。。。

「隣りの席に鞄を置くな」と言われた

 竹森氏は、「もともと政治の根本理念を巡る国内対立の深刻さこそが米国史の独自性だ」ということで、その典型的な例として南北戦争(1861~65年)を挙げています。この南北戦争は、奴隷制度を「自由の侵害」と考える北部と、奴隷禁止を国民の奴隷に対する「所有権の侵害」と考える南部の理念が真っ向から衝突したものだったといいます。

 つまり、19世紀になっても人間はいまだに奴隷を巡って争いを続けていたのです。ダーウィン先生(1809~82年)の進化論が正しければ、人間はもっと進化して賢くなっていいはずなのに、です。(ダーウィンは、南北戦争は同時代の戦争として経験していました!)

 また、この記事で、この奴隷を巡る南北戦争での戦死者は、米国史上最大の70万人だったことが書かれていたので、私なんか「えっ!?」と驚愕してしまいました。先日、この渓流斎ブログで、第二次世界大戦中の独ソ戦について触れ、ドイツとソ連の戦死者は、民間人も併せて3000万人だったと書いたばかりでしたので、不謹慎ながら、「えっ?70万人が最大なの?」と思ってしまったわけです。

 そこで、調べてみたところ、過去の米軍の死者数は、第2次大戦が40万5000人、ベトナム戦争5万8000人、朝鮮戦争3万6000人(米ABCニュース)でした。米国は、海外での戦争より、国内の内戦での死者数の方が多かったということになります。

 日本が先の太平洋戦争で犠牲になった戦死者数は民間人も含めて、310万人と言われています。この中には「米国の若者の犠牲を防ぐための正義の手段」と米国で教育されている原爆投下による犠牲者も含まれています。

「いらっしゃいませ」も「有難う御座いました」も言わない! ファストフード店でもない高い店なのに、食器を返却させ、制限時間まで通達する。こんな店、二度と行くかあ~!金輪際。

 もう一度書きますが、米軍の第2次世界大戦での犠牲者は40万5000人。奴隷を巡る内戦での死者数は70万人でした。ということは、米国は、海外での戦争や外交より、内政を重視しないと損害が大きいと米国史が教えてくれているようなものです。先に、バイデン米大統領が債務上限引き上げ問題で、G7会議を欠席するだの、参加してもすぐ帰国するだの、色々と話題になったのは、こうした外交より内政を重視せざるを得ない国内事情があったわけですね。

 話はダーウィンの進化論から奴隷問題、債務不履行問題にまで及び、何か、脈絡がないような話でしたが、根っ子はつながっているのです。

奴隷狩りするアマゾンアリから独裁者の末路を思う=ダーウィン「種の起源」

 相変わらず、チャールズ・ダーウィン(1809~82年)著、渡辺政隆訳の「種の起源」(光文社古典新訳文庫)を読んでいますが、この本では、同時代の多くの自然科学者の論文や観察記録等が引用されています。

 この中で、「昆虫記」で有名なジャン・アンリ・ファーブル(1823~1915年)の名前が出て来てたので、「へ~」と思ってしまいました。調べてみたところ、ファーブルはダーウィンより14歳年少ですが、ダーウィンがファーブルの観察者としての実績を評価して親交があったようです。ただし、熱心なカトリック教徒だったファーブルは進化論に関しては批判的だったといいます。これまた、「へ~」です。二人の話はかみ合っていたのかどうか、不思議です。

築地・町のパスタ屋さん「ソノコンテント」

 さて、ダーウィンは、当時、アリの研究で有名だったピエール・ユベールやF・スミスの観察記録を引用しています。ただし、本文の記述が難解ですので、そのまま引用するとよく分からないと思われるので、私が勝手に補弼編纂して引用してみます。

 アマゾンアリと呼ばれる蟻がいます。南欧とアジアの一部に自生する蟻です。この蟻は、クロヤマアリなどを奴隷として使う蟻として知られています。アマゾンアリの雄と妊性のある雌は働かず、不妊の雌である働きアリは、奴隷狩りでは勇壮活発に働きますが、それ以外の仕事はしません。自分たちの巣を作ることも、幼虫の世話もできないといいます。「それ以外の仕事」は奴隷アリがやるわけですね。

 このアマゾンアリは、完全に奴隷に依存した生活を送っていることから、「奴隷がいなければ確実に絶滅する」とダーウインは書いています。ユベールが実験で、30匹のアマゾンアリを奴隷アリなしで容器に閉じ込めたところ、多くの個体が餓死したというのです。容器には、彼らの一番好きな食べ物をたっぷり入れて、仕事の意欲をわかせようと幼虫やサナギまで一緒に入れたのにも関わらず、アマゾンアリは一切何もせず、自分で食べることさえも出来なかったというのです。

 また、ダーウィンは「アカヤマアリが奴隷狩りするアリであることを最初に発見したのもピエール・ユベールである」と紹介しています。ダーウィン自身も、アカヤマアリがクロヤマアリを奴隷化しようと闘って、撃退されている現場を目の当たりし、クロヤマアリのサナギ一塊を掘り起こして、彼らの「戦場」近くの露出した地面に置いたところ、アカヤマアリが大慌ててそのサナギをくわえて運び去ったと書いています。

 これらの記述を読むと、蟻でさえ、奴隷狩りをするぐらいですから、同じ動物界の霊長目ヒト科の人間も、同じように奴隷狩りや奴隷取引をしていたことがよく分かりました。奴隷取引の話は、古代やリンカーンによる奴隷解放の19世紀どころか、21世紀の現代でも似たような話は聞きますからね。

築地「千里浜」刺身定食950円

 そして、何と言っても、「アマゾンアリは、完全に奴隷に依存した生活を送っていることから、奴隷がいなければ確実に絶滅する」という話を読んで、どうも北の独裁国家の独裁者のことが思い浮かんでしまいました。自分たちの国民を奴隷化して、彼らが餓死しても見て見ないふりして、好き勝手に、好きなだけミサイルを飛ばして大喜びをしておりますが、実情は、独裁者は、完璧に「民主主義人民共和国民」という名の奴隷に依存して生きていて、自分一人では何も出来ないのです。アマゾンアリのように、奴隷がいなくなってしまえば、独裁者は絶滅するのはないでしょうか。

 それこそが、自然淘汰と言いますか、自然の法則の理に適う話です。

 ただし、英オックスフォード大の研究チームが運営する国際統計サイト「Our World in Data」によると、世界で民主主義を享受する割合は2017年の50%を頂点に下落し、2021年では世界人口(78.6億人)のうち23億人(29%)に下がったといいます。つまり、世界人口の71%に相当する55.6億人が「投票権」の保障を十分に受けていない、つまり独裁国家だというのです。

 あんりまあ、です。でも、人間も自然界の動物ですから、ほとんどが、奴隷アリや働きバチに似た同じようなもので、独裁国家の方が自然の理にかなっている、と言えないこともありません。何だか、よく分からなくなってきますが、そう考えると、自然の法則と実体が見事に一致します。あくまでも、私の意見ですが、インドはカースト制のある身分社会と批判されますが、先進国の欧州やアジア諸国でさえ、王政や貴族がいまだに残っている国が多くあります。

 自然界が生存闘争の末の適者生存で自然淘汰されるとしたら、身分社会は自然の理に適うということになってしまうことに気付かされます。語弊を恐れずに言えば、エジプトのピラミッドにせよ、姫路城にせよ、身分社会から生み出された世界遺産であり、逆に言えば、身分社会でなければ生み出せなかった世界遺産だからです。(私は身分社会を是認しているわけではなく、結果的に、世界は独裁国家と身分差別社会が大半を占めているという現状を暴露したかったのです。)

自然界は生存闘争だけの世界なのか?=真の自己に目覚め生き延びる

  相変わらず、ダーウィンの「種の起源」を読んでおります。先日は「自然淘汰」が頭にこびりついて離れない、とこのブログに書きましたが、まだまだありました。「生存闘争」もそうでした。struggle for existence の訳ですが、私の世代は「生存競争」と習い、そう覚えていました。かつての「競争」より新訳の「闘争」の方がどこか熾烈な争いの印象があります。

 生存闘争とは、自然界で、動物も植物も、弱肉強食のジャングルの中で、生き残りを懸けて、熾烈な闘いを繰り広げるということです。それによって、弱者は自然淘汰され、絶滅していくのです。勝ち残った強い者だけが生き残るのです。そこには、ダーウィンの造語ではありませんが、「適者生存」という法則で絶滅を免れたものだけが子孫を残すことが出来て、生き延びていくわけです。

 同じ種や仲間同士でも、雌(もしくは雄)を巡っての闘争があります。勝ち抜いた強者しか自分の子孫が残せないのです。

 このように、自然界は、動物も植物も、絶滅せずに、生存闘争に勝ち抜いて生き延びることが、唯一の目的であり、意味のように見えてきます。それは、動物界霊長目ヒト科ヒト属の人間にも同じことが言えるのかもしれません。つまり、人生には目的も意味もない、ということです。もし、唯一、人生に意味と目的があるとしたら、それは、「生き延びる」ということになります。

 人生に意味も目的もない、と言われれば、誰でも戸惑い、ニヒリズムに陥りますね。しかし、それは現実です。一生には限りがありますから、何をやっても一緒です(個人的にはひたすら善行を積みたいと思っていますが)。人間はニヒリズムに陥って絶望したくはないからこそ、芸術や制度をつくったり、宗教や神を創造したりしているのではないでしょうか。

 個人的にそういう思想といいますか、考えに到達しましたので、「迷える子羊」の友人から悩み事の相談メールがあったので、以下のような話に転化してお応えしておきました。

築地本願寺

 ところで、小生は最近、宗教書を乱読しておりましたが、宗教とは「壮大なフィクション」だということを確信しました。

 キリスト教の場合、イエス・キリストが人間として存在したことは歴史上の事実ですが、イエスが神の子であり、磔刑されて死んだのに復活し、最後の審判が下されるということは、壮大なフィクションです。それらを信じることが出来る人だけが、信者です。

 つまり、信仰とは壮大なフィクションを信じることなのです。そして、「信じれば救われる」という教えです。(確かに法悦の中で救済を得た人もいます)

 仏教も同じことが言えます。

  紀元前5世紀のインド(今のネパール)に釈迦という王子がいて、出家して覚りを開いたことは歴史的事実です。ただし、釈尊は「真の自己に目覚めよ」と覚りを開くことを説いただけで、それ以上の話は壮大なフィクションです。「阿弥陀様を拝めば救済され、極楽に行ける」というのも壮大なフィクションです。特に日本では法然を中心に西方浄土に住む阿弥陀如来を(「選択本願念仏集」などの著作で)「選択」しました。となると、東方妙喜世界にいる阿閦(あしゅく)如来や薬師如来を切り捨てたわけです。同時に北の不空成就如来と南の宝生如来も切り捨てたのです。だから日本人は、阿弥陀如来以外の切り捨てられた仏様についてはほとんど何も知らないのです。しかし、その一方で、阿弥陀如来の脇侍に過ぎなかった観音菩薩も独立して、日本では多くの像が作られるようになりました。広大無辺の慈悲を持つ「観音様」は、「救いの神」として広く信仰されるようになったのです。観音信仰がこれほど篤いのは世界でも日本ぐらいではないでしょうか。

 ただし、阿弥陀如来も観音菩薩も、それに加えて、釈迦入滅後、56億7000万年後に現れるという弥勒菩薩も、もともとペルシャ(イラン)の神様だったと言われます。ゾロアスター教の神ともいわれます。

 仏教は、うわばみのように、あらゆる宗教を取り入れて変容していきます。ジャイナ教、バラモン教、ヒンズー教…等です。挙句の果てには、後期密教では人間の煩悩まで肯定します。性欲も肉食妻帯もライバル同士の仲違いも殺人までも呪術として容認します。とてもついていけません。(後期密教は、日本には伝わらず、チベットに残っているだけです)

 インドは複雑で、とても、一言で言えませんが、根っ子には、インダス文明を築いた南インドのドラヴィタ人を征服したアーリア人がバラモン教を創始し、現在、カースト制度を含めヒンズー教に引き継がれていることがあります。このアーリア人というのは、諸説ありますが、イラン系という説が有力です。嗚呼、それでインドなのにイラン神の影響があったのか、と小生は納得しました。

築地本願寺

 話が長くなるので、一つだけ補足します。

 釈迦は、衆生を救済する神を創造したわけではありません。釈尊はただ「真の自己に目覚めよ」と説いたのです。それは、究極的に、「他者に依存せず、独立して生きよ」ということなのです。釈迦入滅間際に、不安になった弟子のアーナンダが、「師がいなくなったら、我々はどうやって生きていったら良いのですか?」と尋ねた時に、釈尊がそう答えたといいます。

 「他者に依存せず、隷属せず」ということは法華経の思想ですが、小生はそれに「他者を支配せず」を付け加えたいと思います。

 後期密教は、とても信仰出来ませんが、この「他者に依存せず、隷属せず、他者を支配せず、独立独歩で生き延びる」という仏教から派生した思想だけは、私自身、信仰したいと思っています。

 不安や悩みは、六波羅蜜の忍辱(にんにく)や諦念などのメンタルヘルス・ケアで克服出来ます。性悪説に近いかもしれませんが、他者に隷属せず、他者を支配せず、「真の自己」を目指して、小生は残りの人生を生き延びていくつもりです。

自然淘汰で《渓流斎日乗》は要らない?

 ダーウィンの「種の起源」を読んでいると、妙に「自然淘汰」という言葉が頭にこびりついて離れなくなってしまいました。

 自然淘汰は、natural selection の訳で、「自然選択」と訳してもいいのですが、今読んでいる本の訳者である渡辺政隆氏は、選択ではなく淘汰にしたことについて、「生物の変異個体を篩(ふるい)にかけるという意味を強調したいという意図がある」と説明しています。

 やはり、「淘汰」の方が、何か、目に見えない何かが、故意的に働きかけて個体を変異させたり、絶滅させたりしている雰囲気が伝わります。「目に見えない何か」となると、学問的ジャンルが全く違いますが、どうもアダム・スミスの「国富論」で出て来る「見えざる手」を連想してしまいますね。

 また、サンテグジュペリの「星の王子さま」に出て来る「いちばん大切なことは目にみえない」という言葉も浮かんで来ます。そんな目に見えないものとは、山本七平さんに言わせれば、日本人なら忖度したがる「空気」というものかもしれません。

 街を歩いていて、シャッターを下ろして閉店した何十年も歴史のある老舗店に出食わすと、大変失礼ながら、「自然淘汰かな」と思ったりしてしまいます。

新富町「TRAM ST. CAFE」ガパオライス 今どき750円です!

 20世紀の終わりにソ連邦や東欧の共産主義国が崩壊しましたが、あれも、「自然淘汰」だったのかしら? 私自身の小さな経験では、ソ連時代はモスクワ空港にトランジットで行ったことしかないのでよく分かりませんが、薄暗くて活気がなく陰気な感じがしました。他に、社会主義国は、貧乏旅行をした際、旧ユーゴスラビアの首都ベオグラード駅の売店で、まだサンドイッチなど豊富にあるのに、「もう時間だ」と言って、目の前でカウンターをバタンと閉められてしまい、空腹を抱えたまま、また列車に乗り込んだ鮮烈な想い出があります。食べ物の恨みは恐ろしい。共産主義国なんかには住みたくないと思いましたよ。

 キューバに旅行した時もそうでした。平等をうたう社会主義国のはずなのに、首都ハバナでさえ、物乞いするストリート・チルドレンに溢れ、黒人ともなると特別な許可証がない限り、自分の住む区域の外には勝手に出られないことも知りました。理想と現実は別物だということを実感しました。

 そうそう、創刊101年と日本最古の歴史を誇る「週刊朝日」が本日発売号で、休刊になるというニュースには驚きました。週刊誌というメディアが、もう時代についていけなくなって「自然淘汰」されたのでしょうか?いえいえ、週刊誌には、新聞では書けないディープな情報が某筋から垂れ込んで来るので欠かせないはずです。昨日、更迭された岸田首相の御令息のスキャンダルも、報道したのは週刊誌メディアでした。 えっ? それでも週刊誌はいらない、ネット情報で十分ですか? でも、ネット情報はどこまで信用できますかねえ? 結局、ネット情報は、ニュースソース不明の「要らない情報」に溢れ、アクセスするだけ時間の無駄遣いではないんでしょうか。

 えっ?何々? 《渓流斎日乗》もネット情報だから、要らない情報ですか? う~ん、勘弁してくださいよ。そこんとこ、どーか、ひとつ!

研究者生活も裕福でなければ続かない?=ダーウィン「種の起源」を読みながら

 チャールズ・ダーウィン(1809~82年)の名著「種の起源」(1859年)の渡辺政隆氏による古典新訳(光文社文庫、2009年9月20日初版)を3月に購入(2021年6月20日第13刷)しましたが、色々と御座いまして、途中で中断し、法華経や密教などの仏教書を優先して読んでおりました。

 先日、仏教書に関しては一区切りを付けましたので、今再読しております。(何か日本語が変?)「種の起源」といえば、超有名な古典です。ちょっと身構えて読み始めたのですが、拍子抜けするほど常識的な当たり前のことが書かれているのです。

 と、いけしゃあしゃあと言えるのは、実は、我々がダーウィンから見て150年後の未来人だからなのです。 「生存競争」(この本では「生存闘争」)、「適者生存」、「自然淘汰」、「用不用説」…。現代社会では、極めて常識になっておりますが、ダーウィンが生きていた当時は、極めて異様な危険思想だったようです。特に、いまだにキリスト教会勢力が権勢を誇っていた当時は、天地やヒトは「神が創造したもうた」ことが真実で常識であり、進化などという世迷言はあり得なかったのです。高貴で叡智に富んだ人類があの野蛮な猿から進化したなど、当時の人々にはとても受け入れがたい「不都合な真実」だったのです。それに、21世紀の現代でさえも、キリスト教原理主義者の人々は、いまだに進化論を受け入れていませんからね。

 1960年代後半、極東の島国の中学生だった私は、生存競争や自然淘汰などについて理科の授業で習ったと思います。考えてみれば、「種の起源」が出版されてまだ100年しか経っていなかったのに、極東国では既に常識として教えられました。特に、使わなかったらなくなってしまうという「用不用」説に関しては、先生が「人間の尻尾だって、昔はあったのに、今はないだろう?尻尾の跡はあるけど」といった例を出されたことを覚えています。

 ついでに、「頭だって、使わないとバカになるぞ」と脅された気がしますが、それは、理科の先生ではなかったかもしれません(笑)。

 最初に、この本は「拍子抜けするほど常識的な当たり前のことが書かれている」と記述しましたが、そのせいか、読むのがしんどくない、と言えばウソになります。それに、翻訳者の渡辺氏の方針で、註釈もしくは訳注は、最小限に留めた、ということですので、例えば、「マディラ島の甲虫は、ウォラストン氏が観察したように風が吹き止んで日が差すまで隠れていることが多い」(238ページ)と書かれていても、「あれ? マディラ島って何処にある島だろう?」とか「ウォラストン氏って前に少し出てきたかもしれないけど、誰だっけ?」となってしまうのです。そんな細かいことに拘らず、どんどん読み進んでいけば、それで済んでしまう話ではありますが。

 私は変わった人間なのか、本書(文庫本上巻)で一番興味深く読んだのは、ダーウィンの文章ではなく、訳者の渡辺氏が巻末に書いた「本書を読むために」という解説でした。駄目ですね(笑)。私自身、ダーウィンについて知っていたことは、この「種の起源」と、若き頃、ビーグル号に乗船して、特に南米の知られざる動植物の標本を収集して、「ビーグル号航海記」などの本を出版したことぐらいで、ダーウィンの人となりについてはほとんど知らなかったので、「へー、そうだったの!?」と驚いてしまったわけです。つまるところ、英国人ダーウィンは、あの世界的に有名な陶磁器メーカー「ウエッジウッド」の創業者の孫に当たり、父親も開業医というかなり裕福な家庭に生まれ育ち、生涯、仕事をしなくても自分の好きな研究に没頭する余裕があったということでした。

 22歳でビーグル号に乗船できたのも、父親から500万円もの支度金を融通してもらったからでした。

 昨今、我が国では、世襲政治の弊害が叫ばれ、バカ息子が首相官邸でどんちゃん騒ぎパーティーを開いても、何のお咎めなしですが、我が国の学者の世界もやはり、世襲の趣がなきにしもあらずです。ある程度、裕福でなければ研究生活が続かないことをダーウィン先生は教えてくれているような気がします。

 目下視聴率ナンバーワンのNHK連続テレビ小説「らんまん」は、植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにしたドラマですが、牧野も土佐の酒蔵の跡取りの息子という資産家出身で、生活費を稼ぐ必要もなく、子どものように天真「らんまん」に自分の好きな植物研究に没頭しています。

 牧野富太郎とダーウィンが重なって見えるのは私だけではないと思います。

【追記】

 あらまあ驚きです。このブログを書いた5月29日の夜になって、極東国の首相が、御令息の首相秘書官(政務担当)の職を更迭しました。まさか、首相はこのブログをお読みになったわけではないでしょうが、「バカ息子にお咎めなし」と書いたことはお詫びして訂正します。「御令息を解任」の誤りでした。