ジャガイモの話

 【馬鈴薯の歴史】
・南米インカ帝国を征服したスペイン人が、16世紀末にインカ帝国の主要作物だった馬鈴薯をヨーロッパに持ち帰り、世界中に広がった。

・日本には慶長3年(1598年)に南蛮人によって長崎の平戸に持ち込まれた。

・馬鈴薯は、江戸の学者、小野蘭山が中国の『松渓懸志』(1700年刊)に掲載されていた馬鈴薯(マメ科のアメリカホイド)に似ていることから付けた。

・ジャガイモは、蘭学者の大槻広沢が、インドネシアのジャカルタから命名した。ジャカルタは当時、ジャガタラと呼ばれ、大槻は、オランダ船が馬鈴薯をジャガタラから長崎に運んできたので、「ジャガタライモ」と名付け、いつしかジャガイモとなった。

・ジャガイモの一品種「男爵薯」は、明治時代、函館ドックの川田竜吉専務が、食味と貯蔵性に優れた米国生まれの品種を英国から輸入し、全国的に広がった。川田専務が男爵だったことから、その爵位から命名された。

・もう一つ、今でも大人気の「メークイン」は英国産の品種。中世の春の村祭り「メーデー」の時、村の娘の中から選ばれた女王(クイーン)にちなんだものです。北海道帯広市の「大正メークイン」は美味しいですよ!

夏目漱石「吾輩は猫である」100年

今年は夏目漱石が処女作「吾輩は猫である」を発表して丁度100年になります。
明治三十八年、漱石、時に三十八歳。

未完のまま絶筆となった最期の作品「明暗」は大正五年の作。漱石、時に49歳でした。
漱石の晩年の写真を見て、60歳か70歳くらいと勝手に想像していたのですが、随分若かったんですね。

私は、古今東西の作家の中で、漱石が最も好きで、尊敬しています。

全集を読破したのがもう四半世紀も昔なので、細かい所は覚えていないのですが、「三四郎」の中で、先生の口を借りて「日本は滅びるね」と漱石は予言していました。
そして、昭和二十年に、本当に日本は滅んでしまいました。
もし、漱石が生きていれば、78歳でした。

もっと書きたいのですが、今日はこの辺で。

ゾロアスターかく語りき

ゾロアスターは、こう語りました。

「自分を戒めてはいけません。

自分に責任があるとしたら、自分を幸せにすることです。それ以外他にないのです。
だから、したいことをすればよいのです。
今、自分がしたいことをさせてあげることが一番の幸せにつながります。
誰かが幸せにしてくれるわけではない。
自分自身が自分を幸せにするしかないのです。

自分が心地良いと思う方を選んでください。ワクワクする方を選んでください。
それが、地球貢献になります。その喜びで自分の波動をあげてください。

苦しむことを選ぶのは、その人がその苦しみを体験したいから選んでいるだけです。
すべて自分です。苦しみたいのも、悲しみたいのも、その人の心が決めています。
でも悲しみはもういいです。もう手放しなさい。
意識の改革で、自分を幸せにすることです。そういう風にすることで、エネルギーの奪い合いはなくなり、戦争もなくなり、世の中は平和になります。

自分を許すのです。そうしたら、人も許せます。殺し、殺されたという呪縛から逃れられます。
それが、宇宙とつながる新しい生き方なのです。
自分が自分の小宇宙の創造主になってもいいのです。そういう新しい時代がやってきたのです。

人は、体験するために生まれてきました。味わうために今があるのです。だから、今、生きていることを味わってください。
そして、必ず、味わい切ったら変化が現れます。つまり、カルマ、因果です。

親子喧嘩や夫婦喧嘩も上司との確執もライバルとの争いも、やりたいだけやりなさい。
どうぞ、やりきってください。あなたが望むなら。気が済むなら。
味わったら今度は違う体験をしたくなります。
例えば、散々、不安と恐怖を味わいつくせば、心の平安と安寧を得るのです。
だから、不安と恐怖を味わっている人は、そのまま味わっていていいのです。
それが必要だから味わっているのです。
良い悪いではないのです。
判断してはいけません。
何かが良いと思った瞬間、悪い物を生み出してしまうのです。
ただ、体験すればいいのです。
結果を求めてはいけません。

命は等しく、病気だろうが、寝たきりだろうが、タンポポだろうが、キングサーモンだろうが、等しいのです。生きているだけで奇跡。本当に生かされているのです。守られているのです。すべて、何かの役に立っているのです。あなたが喜ぶことで、周りも喜ぶ。他人は関係ないのです。

人は見たいものしか見ないのです。自分の心にあるものしか外側を見ないのです。「あの人、苦しそう」と見えるのはあなた自身の中に苦しみがあるからです。人の悲しみを見て、自分の悲しみをみるのです。自分の心を自分で見ているのです。すべて幻なのです。

宇宙の真理を語るのが本物です。

真実は外側にはない。すべて内側にあるのです。
誰も解放してくれない。自分自身でしか解放してくれないのです。
それがあなたの英知です。

山に行けば、山の自然に癒される。海に行けば海の自然に癒されるのです。
そこには取引がない。自然はただただ与えてくれるのです。
自然は喜びを与えてくれるのです。

まずは楽しむことです。
恐れや不安は幻です。
愛を受け入れ、愛を与えればいいのです。
過去が未来への不安を生みます。
今ここだけが愛を知るところです。今、ここにある一瞬しかないのです。

まず自分自身を愛しましょう。好きなことをして自分に愛を注ぎましょう。
コーヒーカップに8分目しか愛が満たされていないのに、人に愛を与えても無理です。「奪われた」とか「盗まれた」といった感覚に襲われます。
しかし、自分のコーヒーカップいっぱいに愛が満たされ、さらに自分自身で愛を満たしていれば、その愛は溢れ、周りから、その愛を嗅ぎつけて人が寄ってきます。
しかし、あなたは何の見返りも何の結果も求めません。溢れている愛を持っているだけだからです。

自分自身に愛を注ぐといっても、難しいことではありません。
いつもニコニコして、自分の好きなことをしていればそれでいいのです。
もう脱却しましょう。「何かをしなければならない」という妄想から離れましょう。あなたは散々、辛酸を嘗めてきました。もう十分ではありませんか。

自分自身の声に耳を澄ましてください。」

ゾロアスターは、そう語りました。

歴史の教訓

歴史家でもある作家の加来耕三氏の講演を聞きました。加来氏は46歳の若さですが、すでに300冊の著作があり、年間160日も全国を講演に飛び回っているそうです。演題「歴史を学び、未来を読む」のポイントは1つ。「歴史小説やドラマを史実として誤解して騙されてはいけない」ということでした。

日本人で人気のある歴史上の人物のベストスリーは①織田信長②坂本龍馬③諸葛孔明(この3人を特集すると歴史雑誌は完売するそうです)。しかし、実際は人気のある人物ほど「歴史の空白」があって、分からない所が多いそうです。それを作家が空想で穴埋めをし、脚色し、時には講談調の受け狙いで、全く事実に反することを書き加えることもあるそうです。

ですから、急に凡人から偉人に変身したりする。その方が面白いからです。しかし、これを史実だと信じてはいけない。龍馬ファンの多くは、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んだ人で、そういう人に限って頭が悪くておっちょこちょいなのです。

日本人は歴史を夢とロマンで語ろうとする。それでは歴史から教訓を引き出せない。歴史に奇跡や偶然はないし、ありえない。要するに地道な努力しかないのです。昨日アホだった人間が急に明日利口になるわけがない。やはり明日もアホなのです。

常に歴史から前向きに未来を予測し、前兆をつかむこと。そのためには、例えば経営者の場合、出発点に戻って創業の理念に戻ったらどうかーといった内容でした。

昨今、「歴史に学ぶ経営術」といった類の特集をしたビジネス雑誌・書籍が飛ぶように売れるようですが、百害あって一理なし。序に、ホリエモン本も眉唾ものです。人間は、残念ながら成功から何一つ学べない。失敗からしか学べないからです。これは私見です。

占い

時事通信社が発行する国際情報誌「世界週報」に昨年11月からユニークな企画が連載されています。題して「ドクター観幾の占い学入門」。

え、占い?

そう、占いです。これが大変奥が深くて滅法面白い。いずれ単行本になるでしょうが、非常に知的好奇心を満足させてくれます。占いではよく「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言います。この八卦が何を意味するかと言うと、

辛い時間など取るに足りぬ

1990年8月、米サウスダコタ州で、恐竜ティラノサウルス「スー」の化石を発見したスーザン・ヘンドリクセンさん(55)の言葉。

「スーは6500万年も地中に眠っていた。短い人生の、さらにその中の辛い時間など取るに足らない」(出典は3月16日付朝日新聞「ひと」欄)。

目下、逆境にいてその生活を楽しんでいる小生にとって、この言葉は後ろからいきなりハンマーでガツンと殴られたように衝撃的でしたね。この女性冒険家スーザンさん。もちろん、発見者として永久に「スー」の名前は語り継がれることでしょうが、その生涯も凄まじい。何と、50歳まで定まった家を持たず、発掘現場のテントやボートで暮らしていたということです。世紀の発見は決して偶然ではなかったのですね。納得しました。
ところで人類の文明が始まってたかが1万年。人間は、どれくらい賢くなったことでしょうか?
我田引水、自画自賛、牽強付会…。そんなことばかりではないでしょうか。周囲を見渡して御覧なさい。常識など、時、場所、雰囲気によってコロコロ変わる。共同幻想とも言うべき社会通念しかないことが分かるはずです。