黒川弘務氏の最高検検事総長就任を阻止しよう

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黒川弘務氏の最高検検事総長就任問題は、新聞の投書になるほど国民的関心が深まってきました。投書は、黒川氏に対して、「今夏に最高検検事総長就任の打診があったら辞退したらどうですか」と勧告するものでしたが、同感です。素晴らしいことです。先日、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫)を読了して、その意を強くしました。

 この本には、明治の日糖事件から、時の最高権力者だった田中角栄元首相が逮捕された昭和のロッキード事件まで政財界による疑獄事件を取り上げています。その中で、私自身が不勉強なため、知らなかった疑獄事件がありました。昭和43年(1968年)に発覚した日通事件です。運輸会社最大手の日本通運が、独占輸送をしている米麦などの政府食糧について、社会党の大倉精一(元日通労組委員長)と自民党の池田正之輔両衆院議員に対し、議会発言をしないよう働きかける見返りとして、日通が大倉に200万円、池田には300万円の現金を渡したとされる事件です。

料亭「花蝶」(今は新橋に近い東銀座にあり。当時もここにあったか不明。だって、高くて入れないんだもん!)

 この一連の日通事件の中に「花蝶事件」があります。これは、日通事件の渦中の68年4月19日に、新橋の料亭「花蝶」で井本台吉・最高検検事総長と自民党幹事長の福田赳夫(後の首相)と容疑者の池田正之輔代議士とが会食していたというのです。同年9月になって「赤旗」と「財界展望」が料亭の領収書を添えてすっぱ抜きました。井本検事総長は、池田代議士の逮捕には強硬に反対した人で、後に「この会食は日通事件とは関係がない。検事総長に就任したときに池田正之輔が祝いの宴を開いてくれたので、そのお返しとして一席設けただけだ」と弁明しています。 井本検事総長と福田幹事長は、ともに群馬県出身で、一高~東大の同級生です。

 「李下に冠を正さず」という諺がありますが、これでは、どうも検察のトップが政界疑獄を握り潰そうとしたかのような印象を強烈に残しています。逆に言えば、検察トップである最高検検事総長が「NO」と言えば、政治家の逮捕に手加減できる構図が浮かび上がります。

料亭「花蝶」(1968年当時の花蝶の流れを汲む料亭なのかどうか不明だが、新橋演舞場が目と鼻の先にあるので、恐らく、ここで検事総長と疑獄被疑者が会談したことでしょう)

 それを現代に当てはめれば、黒川弘務氏が安倍政権の強力な後押しで、最高検検事総長に就任すれば、安倍政権のスキャンダルを潰し、自民党員の選挙違反を曖昧にし、捜査に手加減をすることができることが容易に想像できるわけです。

 検察の世界では「被害者のいない犯罪」と呼ばれる三つの犯罪があるといいます。「汚職」「脱税」「選挙違反」です。

 先ほどの山本祐司著「東京地検特捜部」には、昭電疑獄から日通事件まで、特捜の鬼検事と言われた河井信太郎氏の残した言葉が掲載されています。

 「汚職、脱税、選挙違反などが蔓延すれば、法無視の荒廃した風潮を招く。やがて社会は自壊作用を起こし、国家は衰亡する」

 これは、1968年6月に著者のインタビューで語ったものですが、半世紀経った今、同じような状況になったということです。

 ロッキード事件を担当した検察OBも「世論の後押しで勇気づけられた」と後に語ったそうです。50年後の我々も、世論を高めて、黒川弘務氏の最高検検事総長就任を阻止しなければいけません。

お経は英訳の方が分かりやすい

 最近、仏教づいておりまして、先日は、仏教用語を英語で何と言うか、通訳のための研修会に参加してきました。

 講師は、浄土真宗本願寺派超勝寺の大來尚順さんという30歳代の若い御住職。米カリフォルニア州にある仏教大学院で修士号も修めた学者さんでもあり、翻訳家でもあり、既に「超カンタン英語で仏教がよくわかる」(扶桑社新書)など数冊、本も出版されてます。

 仏教に関する知識は、当然のことながら、かなり豊富ですが、私自身は、ここ最近は特に仏教書に目を通しているので、それほど驚くほどではありませんでした。むしろ、私の方が雑学的知識というか、宗派の派閥とか、アングラ情報に関しては多く持っている気がしました。…偉そうですね(笑)。

 仏教とは何かー? 会場から「哲学」だの「生きる指針」だのといった意見が出て、大來師は「危ないもの、と言われてなくてよかったです」と笑いを誘っておりましたが、大來師によれば、仏教とは、人が仏(覚者)になる教えだということでした。 日本ではもともと「仏道」と言われ、「仏教」となったのは、1893年(明治26年)のシカゴ万国宗教会議(鈴木大拙や釈宗演らも参加)の後からだといいます。 となると、仏教は、キリスト教と同じ宗教かと言えば、ちょっと違う感じがしました。

 仏様(釈迦)というのは人であり、宇宙を創った創造神でもなく、人を裁く審判神でもなく、超能力を持った至上神でもないからです。

 大來師の説明では、キリスト教が神と人との契約(contract)という二元性(Dualism)なら、仏教は一元性(Non-Dualism)である、といいます。そう説明すれば欧米人は分かるといいます。

 仏教では、人が真理に目覚めるためには「悟り」を開かなければなりません。その悟りとは「四聖諦」(「四諦」)を認識することです。四諦とは、すなわち「苦諦」(世の中は苦に満ちている)「集諦」(その苦には原因がある)「滅諦」(苦しみを和らげ、止めることができる)「道諦」(その苦を止める方法がある)の四つのことで、ざっくばらんに言えば、「自分の思い通りにならないことが人生だ」ということをしっかり頭に叩き込むことなんですね。つまり、それが悟りです。人が怒りに駆られるということは、大抵、自分の思い通りにできなかったり、他者が言うことを聞かなかったり、他者から損害や迷惑をかけられたりすることですからね。

平和観音(宇都宮市)

 その四諦を認識した上で、それらの不満足を解決していく方法が「八正道」だといいます。

 八正道とは、英語でEightfold Noble Path と訳され、その八つとは「正見」(Right View)「正思惟」(Right Thought)「正語」(Right Speech)「正業」(Right Conduct)「正命」(Right Livelihood)「正精進」(Right Effort)「正念」(Right Mindfulness)「正定」(Right Meditation/ Concentration)のことです。どうも、漢字の日本語よりも、英語の方が理解しやすいことが分かりますね。

 同氏は、得意の仏教用語の英訳についても解説してくれ、例えば、「悟り」には、Enlightenment, Awakening, Realization といった3通りの翻訳ができ、それぞれ「ひらめき」「能動的」「受動的」と意味の違いがあることを教えてくれました。

 「諸行無常」は、Every thing is changing で十分に通じるということでした。

 このほか、「煩悩」は、昔はWorldly sins などと訳されたりしましたが、ニュアンスがきつくあまり通じないので、最近では、 仏教本来の意味に近いSelf-centered Calculation mind(どこまでも自己中心にして計算する心)や、単にDesire(欲望)、 Defilement(汚れ)などと訳されるようです。sin(罪)は、信心深い欧米人の感覚からすると、飛び上がるほど強烈な意味になるらしいですね。そこら辺は日本人には分かりません。

仏教の経典はもともとインド古語のパーリー語で書かれ、唐の玄奘三蔵法師らによって苦難の末、中国に持ち帰って漢訳され、日本に輸入されました。漢訳は、意味のない音訳が多く、例えば、「南無」はNamo の音訳で、本来は「帰依する」take refuge inという意味です。南無という言葉そのものに、帰依の意味はありません。

 となると、お経は漢訳よりも、英語の翻訳の方が分かりやすかもしれません。いや、実際、英訳で読んだ方が意味はよく分かりますよ。英訳のお経は、市販されたり、国際ホテルに置いてあったりします。皆さんもチャレンジしてみては?

民俗学から藝能へのつながり転移=大阪・難波の国立文楽劇場で「みやざき神楽」を開催

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今晩は、浪速先生です。

今日は全国的に雨模様で気温はかなり上がって、もう春の陽気でしたね。

新型肺炎騒ぎは日本列島全体に益々広がり、畿内は和歌山で済生会有田病院の50代の男性医師が感染、同病院及びその周辺は大騒ぎです

日ごろ、どんなことがあっても能天気な日本人も、伝染病となるとマスクや消毒液を買い溜めしたりして、昔のオイルショック時のトイレットペーパー買い占め騒ぎの反省、教訓は全く生かされていません。

そんな日本の国内事情をいち早く察知した米国政府は「こんな危ない日本に米国人を任せられない!」と、米国民救出のため急遽チャ-ター機を日本に派遣しますが、つまり、これは「シンゾウ、アベは信頼できない!」の証拠です。

ところが”安倍親衛隊”の日本のマスコミは、その内実は報じません。こちら大阪も一時に比べ中国人観光客がガタ減りです。道頓堀周辺も一時は中国人で占拠されていましたが、今は人通りが少なく歩きやすくなり、商売人は大変でしょうが、遊びに来る日本人は気持ちが良いと思いますね。

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そんな中、ワタシは2月15日(土)の昼下がり。「無料」ということもあって神話の故郷、宮崎の「みやざき神楽」を大阪・難波の国立文楽劇場の舞台で開催されるというので見てきました。

去年10月、東京の国立能楽堂でも開催されたそうですが、ご存知でしたか?恐らく、知らないままで過ごされたと思いますが、国立能楽堂HPを日頃からチェックしていないとダメですね(笑)。

国の「重要無形民俗文化財」に指定されている日本三大秘境の一つ宮崎県椎葉村で毎年11月~12月に夜通し行われる「椎葉神楽」です。

宮崎から国立文楽劇場に河野俊嗣県知事も駆けつけ、天孫降臨神話の高千穂周辺の神楽のPRの挨拶をしましたが、確かに宮崎県の県央、県南は神楽が盛んだそうです。

この日、同劇場の舞台では「不土野神楽」で椎葉村に太鼓と鈴に合わせて、刀を振って火の神への祈祷、唱教をあげたり、鬼神面(きじんめん)や山の神面をかぶって力強く舞う「神楽」が舞台につくられた神域の中で行われました。

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河野知事は、昨年10月に国立能楽堂での同じ「神楽」公演では、鈴木健二氏(元NHKアナウンサー)から「神楽は舞台でするものではありません。やはり現地で闇夜の中で繰り広げられるのを、直かに接しないと神楽の持つ神秘性や神とのつながりは分かりません」と厳しい指摘があったそうです。しかし、現地に行く機会が容易でない都会人には、罰当たりかもしれませんが、希少な機会です。

貴人も「神楽」の謂れ、歴史、その系統を調べると民俗学から藝能へのつながり転移の視点から、屹度、ご興味を持たれると思います。この日は無料であることもあってか劇場は満員で特に青い目の外国人が目立ちました。

以上

黒川弘務氏の最高検検事総長就任は民主主義の危機

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 東京高検の黒川弘務検事長の定年を延長して、今夏には、検察トップの最高検検事総長に据えようとする安倍政権の目論見は、ついに国会でも追及されました。行政府の長が、司法検察のトップを意のままに動かすことができれば、勝手やりたい放題で、三権分立をうたう憲法違反になりかねませんからね。民主主義の危機です。

 ということで、私自身は検察関係とはこれまで「御縁」がなく、知識が浅かったので、友人に勧められて、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫、1985年11月10日初版)を赤線を引きながら読んでいます。これが、めちゃ面白い。人間臭い、人事の派閥抗争が検察庁内部で明治時代からあり、あまりにも人間的な検察官に親しみすら感じてしまいました。

 著者の山本祐司氏(1936~2017)は、元毎日新聞記者で、司法記者クラブに長らく在籍したスペシャリストです。特捜部関係の本は他にも結構あります。「東京地検特捜部」 は、文庫版になる前に現代評論社から1980年に初版が出ており、「古典的名著」と言われ、司法担当記者も、検察官自身も必読の書と言われています。が、文庫版になっても、間違いを散見します。例えば、21ページの「海部は、昭和22年大阪経済大を首席で卒業」は、「神戸経済大(現神戸大)」の間違い。55ページの「塩野のほうは、小原より四歳下」は「三歳下」の間違い。66ページの「ドイツの通信社ロイター電」は「英国の通信社」の間違い。114ページの「一木喜徳郎(いちのきき・とくろう)」は 「一木喜徳郎(いちき・きとくろう)」 の間違い…。いやはや、職業病というか、我ながら嫌な性格ですが、古典なら間違いを訂正して復刻してほしいものです。確かに名著だと思うからです。

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 私は「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」性格なので、どうも物事や歴史を当局や権力者側からというより、虐げられた側の人からの目線で見がちです。中年時代から近現代史に興味を持ち、「大逆事件」やら「2・26事件」やら「ゾルゲ事件」やら歴史的事件を自分なりに勉学してきましたが、そう言えば、「裁かれる側」からの視点ばかりで、検察など「裁く側」の視点に欠けておりました。

  戦前は、平沼騏一郎に代表されるような「公安・思想検察」が幅を利かせていましたが、戦後になって汚職などを摘発する「経済検察」が勢いを盛り返して、両者の間で血みどろの派閥抗争が続いていたことが、この本を読んで初めて知りました。

 経済検事の派閥を代表するのが、その後、司法大臣などを歴任した小原直(1877~1967)で、木内曽益(きうち・つねのり=1896~1976、最高検次長など歴任)~馬場義続(1902~77=元検事総長)に引き継がれます。小原は、大逆事件も担当しましたが、日本製糖汚職事件やシーメンス事件など戦前の大きな疑獄事件はほとんど担当し、その弟子筋の木内と馬場は、東京地検特捜部(東京地方検察庁特別捜査部)の産みの親と言われています。

 一方の公安検察の派閥を代表するのが、平沼騏一郎の引きなどで司法大臣なども務めた塩野季彦(1880~1949)で、その女婿の岸本義広(1897~1965)に引き継がれます。塩野は、日本共産党を壊滅にまで追い込んだ「3・15事件」や「4・16事件」などで実質的に指揮を執りました。

明治終わりに始まった経済検事・小原直と思想検事・塩野季彦との壮絶な覇権争いは、戦後は馬場義続と岸本義広による報復人事合戦による戦いとなり、最後は、経済検察側の勝利になりますが、映画かドラマを見ているような展開でした。

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 戦後まもなく起きた政界と財界との癒着汚職である「昭和電工事件」や犬養健法相による指揮権が発動された「造船疑獄事件」なども検察側からの視点で描かれ、多少、新鮮な感じがしました。「政界の爆弾男」田中彰治衆院議員や、「街の金融王」森脇将光らも登場します。石川達三原作で映画化された「金環食」では、この2人のモデルも登場し、それぞれ三国連太郎と宇野重吉が迫真の演技で強烈な印象を放っていたので、思い出してしまいました。

 先程の指揮権発動というのは言うまでもなく、1954年の造船疑獄事件で、犬養法相が、与党自由党の幹事長佐藤栄作の逮捕を阻止するために、使わざるを得なかった歴史的汚点のような事件のことを指します。 (犬養氏はすぐに法相を辞任し、事件の6年後に、この事件の背後に東京高検検事長だった岸本義広がいたのではないかと仄めかす論文を文芸春秋に発表)

 さて、今現在の話です。

 黒川弘務東京高検検事長を、最高検検事総長に据え置くという安倍政権の目論見は、指揮権発動に他ならないのではないでしょうか。この本を読んで、その思いを強くしました。

🎬「彼らは生きていた」は★★★★★

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 100年以上昔の第一次世界大戦(1914~18)のドキュメンタリー映画「彼らは生きていた」(ピーター・ジャクソン監督)を土曜日に観てきました。

 東京・有楽町の映画館で午前9時45分からの上映。63席しかないので、チケットは25分前に完売してしまいました。その様子をその場で見た私は、チケットはネットで購入していたのでセーフ。次の上映時間は夜の9時10分からですから、遠方から来られた方は絶望的な表情を浮かべていました。でも、こういう良心的な映画をご覧になる方がたくさんいるとは、世の中、捨てたもんじゃありませんね。私も含めて遠方の方は、良質な映画鑑賞の場合、次回はネット購入をお薦めします。

 この作品は、ジャクソン監督が、大英帝国戦争博物館に所蔵されていたモノクロの未公開フィルムを最新技術でカラー化し、当時従軍した兵士のインタビューの肉声をバックに重ねたものですが、信じられないほど画像が鮮明になり、つい最近に起きた戦争にさえ錯覚してしまいます。1961年生まれのジャクソン監督は、この映画を同大戦に従軍した自分の祖父に捧げていました。

第一次大戦では、戦場での兵士の移動は、トラックやジープがまだなく、徒歩か馬で、映画では、爆撃機は登場しませんでしたが、既に新兵器である戦車(タンク)が開発され、重機関銃、毒ガスまで使用されていました。

  第一次大戦では、7000万人以上の軍人が動員され、戦闘員900万人以上、非戦闘員は700万人以上死亡したといわれます。映画では、フランス国内の戦線で対峙した英国とドイツが、互いに迷路のような塹壕を掘り合って、陣取り合戦のような肉弾戦が中心でしたから、両軍ともに甚大の戦死者を生みます。

 おぞましい戦闘シーンや、腐乱した戦死者の遺体など出てきますが、よくぞこんなフィルムが残っていたと感心します。

 多くの日本人は、第1次世界大戦については、太平洋戦争ほど関心がないというのが本音かもしれません。私自身も、レマルクの「西部戦線異状なし」を読んだぐらいで、どちらかと言うと第2次世界大戦の方がもっと詳しく知りたい派です。

 しかし、欧州人にとっては、欧州大陸そのものが戦場となり、勝者も敗者も、いずれも甚大な損害を蒙ったことから、第1次世界大戦への関心度は、日本人と比較にならないでしょう。

 この映画の原題は、They shall not grow old で、敢えて逸脱して意訳すれば、「彼らの生きざまは並大抵ではなかった」辺りでしょうが、「彼らは生きていた」という映画タイトルは、実に巧いなと思いました。1914年のサラエボ事件を発端に、戦意が高揚し、マスコミが煽り立て、英国では、19歳から志願兵を受け入れるというのに、18歳、17歳、いや中には15歳や16歳まで年齢を偽って従軍していた様子から、この映画は始まります。

 100年前とはいえ、我々の父親、祖父、曾祖父の世代ですから、日々の喜怒哀楽は万国共通で、時代は変わっても本質は何も変わっていないことが分かります。

 兵士たちの食事は非常に粗末で、トイレがなく、穴を掘ったところに板を張って集団で用を足し、中には板が折れて、肥溜めに落ちる兵士もいました(尾籠な話で失礼)。

 塹壕は雨が降るとぬかるみになって、ネズミや病気が発生し、泥沼に落ちて亡くなる兵士もあり、苦心惨憺する有様も出てきます。このほか、英国軍のドイツ兵の捕虜に対する扱い方が、ちょっと紳士的に描きする嫌いがあり、本当かな、と思ってしまいました。

 1918年11月11日午前11時に休戦条約が調印され、大戦は終結しますが、帰還した兵士たちは、白い目で見られ、求職を断られるなど、市民生活とのギャップが描かれていました。帰還兵たちは「戦場に行った者しか分からない」と嘆いていましたが、この映画を観た観客は、塹壕での悲惨な戦闘を疑似体験しているので、非常に気持ちが分かります。こういうことは、時代を現代に置き換えても同じことでしょうね。

古代史の新発見が望まれる=東博で「出雲と大和」展

 新型コロナウイルスが猛威を奮う中、「よゐこは不特定多数の人が集まる所に行ってはいけません」と一国の総理大臣から通告されていたにも関わらず、上野の東京国立博物館に行って来ました。「出雲と大和」が開催されていたからです。

 週末なので混むはずでしたが、空いていたわけではありませんが、近くで見られました。けど、中国語が聞こえると(彼らは何処にいようが我が物顔で声がデカい!)、ドキッと緊張している自分を発見しました。

出品目録をざっと見ただけですが、出品111点中、国宝が23点、重要文化財75点という豪華絢爛さです。失礼、太古の発掘物ですから、絢爛さまではいかず、正直、余程、古代に関心があり、ある程度の知識がないとつまらないかもしれません。

 国宝「銅剣、銅鐸、銅矛」(出雲市荒神谷遺跡出土、弥生時代、前2〜前1世紀、文化庁蔵)や日本書記にも記された国宝「七支刀(しちしとう)」(古墳時代、4世紀、奈良・石神神宮像)など眼を見張るものが沢山ありました。でも、私自身は、ある程度の知識はあるつもりでしたが、はっきり言って難しかったですね。

 銅鐸一つ取っても、祭司用だと言われてますが、実際にどのように使われたのか諸説あります。

 また、考古学や古代学は、大半は文字がない時代ですから発掘された出土品から想像しなければなりません。専門家なら勾玉一つ見ただけで、色んなことが分かるでしょうが、悲しい哉、素人には限界があります。

 個人的には古代には48メートルの高さを誇ったと言われる出雲大社本殿の縮小版の模型が良かったですね。昨年は、実際に初めて出雲大社をお参りする機会に恵まれたので、感激も一入です。巨大本殿が存在したという証明になる鎌倉時代の宇豆柱(うづばしら)も展示されていました。

 出雲では博物館に立ち寄らなかったので、今回、初めて色んなお宝を見ることができました。

 3世紀になって大和に王権が成立し、巨大な前方後円墳がつくられます。しかし、多くの古墳は文化庁と宮内庁の管轄で、学者でさえ立ち入り禁止されているので、まだまだ未解明な所が多いのです。

◇国譲りで大和が出雲を征服したのか?

 最後のコーナーの年譜を見ていたら、大陸との交流が盛んだった出雲の勢力というか文明圏は弥生時代初期からあり、その一方で、後から大和政権は成立して、「国譲り」で大和が出雲を併合したのは明白に思えました。

 「古事記」は、敗れた出雲の側の立場を描き、出雲のことはあまり触れていない「日本書記」は、大和の側から叙述したものだということをある学者さんは言ってましたが、そう考えると分かりやすいですね。

 いずれにせよ、古墳が考古学者に公開されて、新史実が発見されれば、素晴らしいと思っております。

 この後、遅ればせの新年会が根津駅近くの「駅馬車」という店であるので、地下鉄で行こうとしたら、博物館のチケットの裏を見たら地図が載っていて、歩いて行けそうな距離だと分かり、徒歩で行きました。

 そしたら、参加した赤坂さんも東博を見て歩いて根津まで来たという小生と同じコースだったので笑ってしまいました。

 新年会では赤坂さんは、ピントが外れた唐変木なことばかり発言するので皆の笑い者、いや人気者でした(笑)。

継体天皇は新王朝なのか?

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「今、東博で『出雲と大和』展をやってますね。『芸術新潮』の今月2月号が、日本書紀を特集していますから、それを読んで展覧会に行かれたら分かりやすいんじゃないですか」との京洛先生からのお薦めがあったものですから、万難を排して本屋さんに行って買い求めて来ました。

 何しろ、今年2020年は「日本書紀」が編纂されてちょうど1300年という記念の年ですからね。

 で、読み始めたのですが、「嗚呼、こりゃあ駄目だあ~」となりました。特集「ラノベ日本書紀」のラノベの意味も分からず買ってしまったのですが、これは、どうやらライトノベルの略らしく、恐れ多くも畏くも天皇陛下の歴代記録をライトノベルにアレンジしてしまっていたのです。ライトとは若者向きの「軽い」読み物ということになるんでしょうけど、「軽妙」ならまだしも、「軽薄」気味で、2~3行読んですぐ嫌になりました。推測に過ぎませんけど、戦前なら不敬罪になりかねない、かもしれませんよ。とにかく、買って損しました(苦笑)。

 新潮社の編集者のレベルとまでは言いませんけど、センスが落ちた気がしました。いや、真相は、現代人である読者のレベルが落ちたのでしょう。岩のように堅くて難解な教養主義では、雑誌は売れないんですからね。

 これらはあくまでも個人的な見解ですが、もう一つ、この特集で波長が合わなかったのが編集者の質問に答える形で、「ここが知りたい!日本書紀」で「解説」を担当している遠藤慶太皇學館大学教授(1974~)です。 例えば、第26代継体天皇について。後継ぎのなかった武烈天皇が崩御したため、 大連(おおむらじ)の大伴金村と物部麁鹿火(もののべのあらかび)らによって、近江生まれで(母親の実家の)越前育ちの男大迹(おおど)王 が推挙されて即位したことから、学問研究が自由に解放された戦後になって、「それまでの王朝とは血縁関係のない新王朝」とか「越前王朝」といった新説が出ました。

 侃々諤々の論争が続いているのに(いまだ決着せず)、 遠藤教授は「(日本書記では継体天皇の)出自は応神天皇から5世の孫、彦主人王(ひこうしのおおきみ)の子とあるだけ。…それ以前の王朝とは血縁関係を否定する意見が多数派ですが、裏付けに乏しく、 私などは、あえて主張するほどの近さでもないのに、わざわざそう書くのだから、素直に5世の孫と受け止めていいのではと思っています」と、アッサリとまとめてしまっています。

 それなら、「5世の孫」とはいっても、系図が失われているので裏付けがなく、この論争は史料がみつからない限り、決着がつかないでしょう。でも、そこが古代史の面白さとも言えます。

 他にもありますが、長くなると、文句が百出して、読まれませんのでこの辺で(笑)。

 【後記】

 三浦佑之・千葉大名誉教授による「神話でくらべる古事記と日本書記」は大変勉強になる論考でした。この論文を読めるだけでこの雑誌の価値はありました。簡単に要約すると、古事記は、出雲の神々の滅びに対する哀悼や鎮魂を語ろうとしている印象を受けるのに対して、日本書記は、国家の正史として、王権の側の視点で出来事を叙述しようとする意図を強く感じるといいます。日本書記では、古事記で大きな分量を占めていた地上の王オオクニヌシの物語を意図的に削除したのが丸見えで、いびつな流れになっている、とまで指摘するのです。なるほど、そういうことだったのですか。「国譲りの物語」とは、やはり、大和朝廷が最後の強大な豪族「出雲」を征服する物語だったということなのでしょうね。

明智光秀は謀反人か?忠義の人か?

倉敷

 今年の HKの大河ドラマは「麒麟がくる」 。1月19日の初回の視聴率は、19.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)とかで、「テレビ離れ」が声高に叫ばれる昨今にしては、まあまあの出だしではないでしょうか。

 主人公は、あの本能寺で主君織田信長を討った謀反人(裏切者)の明智光秀ですからね。 以前の大河ドラマでは、戦前に「逆賊」と呼ばれた足利尊氏を主人公にした「太平記」はありましたが、裏切者を主役にすることなどとても考えられませんでした。

 とはいえ、裏切者といっても、信長側から見てのことで、人間の性(さが)などそんな単純なものではありません。まして、戦国時代ですから、親子兄弟でも謀反やら裏切りが公然とあったわけですから、後世の人間が、安全地帯から断罪するのも如何なものか、というべきです。ドラマは、これから明智光秀から見た戦国時代が展開されることでしょうが、楽しみです。

 特に、明智光秀の資料は極端に少なく、40歳以降しか分からないそうですね。私もよく知りませんでしたが、この明智光秀のおかげで、歴史ドキュメントの番組や光秀を特集した雑誌が増え、色々と勉強になります。今から500年近くもの昔の人間なのに、当時の手紙や資料が発見され、歴史が塗り替えられたりする様は、確かに見ていてワクワクします。明智光秀は若き頃、越前朝倉家に仕えていて、医者か薬師ではなかったか、という説には大いに驚かされました。

 先ほどの「裏切者」の話ですが、1600年の関ヶ原の戦いで、東軍に寝返った小早川秀秋があまりにも有名ですが、歴史ドキュメント番組を見ていたら、結構たくさんいることを知りました。

 例えば、細川藤孝・忠興親子です。本能寺の変後、 備中高松城の攻城戦から急きょ引き返してきた(中国大返し)羽柴秀吉軍と、信長を討った明智光秀の軍勢が激突して天下分け目の戦いとなります(山崎の戦い)が、光秀の親戚に当たる細川親子は「喪に服す」と称して、明智軍に加勢しなかったのです。細川忠興の正室は、有名な光秀の三女細川ガラシャですからね。 まあ、この行動は、明智軍に勝ち目はないと見て、機を見て敏な細川一族が、その後、生き残り、平成の世になって子孫に総理大臣を輩出することになりますから、「裏切り」ではなく、「大功績」と言えるかもしれませんがね。

 もう一人は前田利家です。信長の最後の跡目争いとも言うべき賤ヶ岳の戦いで、利家は、最初は信長軍団最強と言われた柴田勝家軍に付きますが、合戦の途中で戦線を離脱して、羽柴秀吉を勝利に導いてしまうんですね。これを「裏切り」と見るか、後に「加賀百万石」の礎となる「功績」と見るべきか、見方を変えると180度違ってしまいます。これだから、歴史は面白いのです。

姫路城

【後記】

 今、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫)を読んでいますが、この中に出てくる平沼騏一郎には俄然と興味が湧きました。司法畑のトップである検事総長、大審院長などを歴任し、司法大臣、枢密院議長、総理大臣まで務めた近現代史の最重要人物の一人です。国粋主義団体「国本社」を創設し、戦後はA級戦犯となり、終身刑で獄死した人ですが、もともとは、津山藩士としてこの世に生を受けます。この津山藩は、関ヶ原の戦いで「功績」があった小早川秀秋が移封された藩(宇喜多秀家領の岡山55万石)だったんですね。

 また、津山は、昭和13年に30人もの大量の村人が殺害された「津山事件」が起きたところで、後に横溝正史がこの事件をモデルに「八つ墓村」を書き、何度もドラマ化、映画化されています。

 さらに、津山は美作(みまさか)国です。この美作国宮本村は、剣豪宮本武蔵の出身地だという説があり、地元では生誕地として碑を立てているそうです。

 まあ、色々と話に繋がりが出てきて、書いていても楽しいです(笑)。

真理に目覚めた仏陀=仏像の世界は大変奥が深い話

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一昨日から松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」(日本文芸社、1988年4月30日初版)を読んでおりますが、教えられることが多く、大変勉強になります。

 ちょっと古い本ですが、会社の資料室にあったのを見つけ、自分用として読みたかったので、ネットで購入したのでした。「自分用」というのは、著者には大変申し訳ないのですが、本文に赤線を引いたり、書き込みしたりしてしまうことです。それほど格闘しながら読ませて頂いている、ということでお許し願いたいところです。

 著者の松濤弘道(まつなみ・こうどう)氏は1933年、栃木県生まれで、大正大学から米ハーバード大学大学院で修士号を取得され、栃木市の浄土宗近龍寺の住職などを務めておられましたが、2010年に77歳でお浄土へ往生されたようです。

近龍寺のHPによると、松濤氏には、日本語で55冊、英語で30冊、他にも中国語、フランス語、ポルトガル語等、多数の著作があったそうです。また、近龍寺には、栃木出身の作家山本有三のお墓があるらしく、私も昔、「路傍の石」や「真実一路」など愛読させて頂きましたので、いつか、この寺を訪れたいと思います。

  「日本の仏様を知る事典」は、特に、「如来」「菩薩」「明王」「天」など階級別に仏像について詳しく書かれていますが、仏教とは何か、といった基本的なことにも折に触れて解説してくれます。

 多くの人が誤解しているようですが、仏教とは、キリスト教などと違って、絶対的な神を信仰する宗教ではなく、修行によって自分自身も、真理に目覚める仏陀(覚者)になることを目指すことでした。松濤氏によると、仏陀とは、宇宙を創造した神でもなく、人間を裁く審判神でもなく、超越的な権力や力を備えた至上神ではない、といいます。

 仏教とは、釈迦という一人の人間が、説いた教えです。(王子の身分でありながら、妻子も捨てて29歳で出家し、6年間の修行の末、仏陀となり、80歳で入滅)釈迦が悟ったことは、すべての生物は自己の存在や自我意識に執着し、無明(執着の根源)から他者を差別し、他者の犠牲のもとに生き延びている、ということでした。そこで、釈迦は、他人を害することなしに生存するには、各自の特異性を認め、生命の同一存在(一如=いちにょ)を追体験することだと考えたといいます。もし、一如の生活に則れば、他者と喜びを分かち合い、他者の苦しみはわが苦しみとして受け入れ、人の幸せも自分の幸せとして感じ、気づくことができるだろう、といいます。

 このように、釈迦が悟ったことを簡略して、大きく二つだとすると、「智慧」と「慈悲」がそれに当たります。それゆえに、仏像にこの二者の概念が付きまといます。例えば、釈迦三尊像の場合、真ん中に釈迦如来を据え、脇侍(わきじ)として文殊菩薩と普賢菩薩を配し、それぞれ、智慧と慈悲を象徴しています。阿弥陀三尊の場合、中央の阿弥陀如来の脇侍には観音菩薩(慈悲)と勢至菩薩(智慧)を配します。密教の大日如来の場合、金剛界が智慧、胎蔵界が慈悲を表します。

 仏を分かりやすく整理すると、世界の真実そのものを人格化した毘盧遮那如来(奈良の大仏など)や大日如来を「宇宙仏」、釈迦如来のように世の真実を体得したものを「人間仏」、仏の徳性の働きを象徴する阿弥陀如来や弥勒如来を「理想仏」と分ける考え方もあるそうです。また、鎌倉時代には「過去仏」として釈迦、「現代仏」として阿弥陀、「未来仏」として弥勒の三世仏が盛んにつくられたといいます。弥勒如来は、釈迦の死後、56億7000万年後の未来に現れて、衆生を救済してくれる仏で、天理教や大本教に影響を与えました。(その弥勒如来が現れるまでに、地獄に堕ちた人でも救済してくれるのが地蔵菩薩です)

自宅の御本尊である36年前に鎌倉の仏具店で購入した仏様。当時20万円ぐらい。てっきり釈迦如来像かと思ったら、阿弥陀如来像でした。(本文参照)

 この本では色々と教えられましたが、釈迦如来像と阿弥陀如来像の区別の仕方が初めて分かりました(苦笑)。右手を上げて、中指を曲げているのが釈迦で、両手で印を結んでいるのが阿弥陀だといいます。東南アジアに広がった小乗仏教は仏像といえば、ほとんど釈迦如来像ですが、大乗仏教となると、さまざまになります。特に日本では、本地垂迹説で、色々な仏像がつくられ、釈迦如来像は天平期の頃がピークで、それ以降は、浄土教の影響からか阿弥陀如来像が主に占めたそうです。

 この本については、またいつか取り上げたいと思いますが、今日最後に特記したいのが阿閦如来です。「あしゅくにょらい」と読みます。 阿閦とは無瞋恚(むしんい)と同じ意味で、すべての誘惑に打ち勝ち、永遠に怒りや恨みを抱かないと誓って、東方世界に妙喜浄土をたてた仏だといいます。以前、このブログでも書きましたが、瞋恚とは、仏教用語の十悪(殺生・偸盗・邪婬・妄語・綺語・両舌・悪口・貪欲・瞋恚・邪見)の一つでしたね。私自身、最近、この瞋恚(自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)に取りつかれていたので、この阿閦如来さまに縋るしかありません。奈良の西大寺にも鎮座されているそうなので、西大寺先生に写真を送ってもらいたいものです。

奈良・春日大社「国宝殿」で「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」

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ご無沙汰しております。奈良に居ります、御存知「西大寺先生」です。

 奈良通信員として拝命していますが、本業が多忙で渓流斎ブログに出稿せず誠に申し訳ありません。令和二年の新年になり、第一弾の出稿です。

 奈良の美術展と言えば、国立奈良博物館の「正倉院展」があまりにも有名ですが、県内にはあまりにも多くの国宝、文化財があり、しかも、お寺、神社そのものが歴史遺産であり、美術展を見に行くというより、歴史遺産自体が自然体の「美術展」でもあります。ですから、奈良では東京のように博物館、美術館に「美術展」を見に出かける必要もそれほどないわけですね。

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そんな奈良ですが、新年3月1日まで春日大社「国宝殿」で開かれている「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」は見ごたえがありますよ。

 平安時代に伯耆(ほうき)の国(今の鳥取県中・西部)にいた安綱(やすな)の一門の刀は武家社会は勿論、神にも捧げられましたが、その後、この刀匠の流れは途絶え、作品もほんのわずかしか残っていません。現存の安綱の作品はほとんどが「国宝」「重要文化財」になっています。

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 今回はその国宝に指定された春日大社所蔵の「金地螺鈿毛抜形太刀」や、あの源頼綱が酒呑童子を斬った刀と言われる、やはり安綱作の国宝「童子切」(国立東京博物館所蔵)、重要文化財で「大平記」にも記されていて渡辺綱が鬼退治に使ったと言われる「鬼切丸」(髭切)(北野天満宮所蔵)が並び、日本の刀の歴史がよく分かります。

 会場はそれほど広くなく、展示数も厳選され、ゆったり、時間をかけて展示品が見られるのは好いですね。特に伯耆の国が、たたら、砂鉄がとれることから古代から刀作りが盛んで、この展覧会でも、安綱の作品だけでなく古伯耆の太刀も展示されています。

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 また、お城巡りを趣味にされている渓流斎山人ですが、徳川家を中心にした全国の諸大名が「家宝」にしていた太刀、名刀はいずれも、平安期から時の権力者のもとを迂余転変してきたことも分かりやすく説明がされていました。「へえ!足利、信長、秀吉、各大名家にこうして伝わったのか」「名刀には歴史の逸話がある!」と、貴人もご覧になれば関心、興味が倍加するでしょう。

 刀は歴史好きには堪えられない面白さがあると思いますよ。茶器とは別の奥深さが秘められています。単なる「武器」だけでなく「祭事や儀礼用」の意味、価値も持っているということです。春日大社「国宝殿」は同大社の本殿傍にあり、上の写真のように、境内の鹿も入口付近にやって来て、都心の美術館では味わえない雰囲気が漂います。

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この展覧会も館内の写真撮影は禁止でしたが、ただ、一点だけ国宝のレプリカは撮影OKでした。あまり上手く撮れませんでしたが、悪しからずご了承ください。

 3月1日まで開催しているので、奈良に行かれる機会があれば覗かれると良いでしょう。入場料は800円ですが事前に金券ショップのガラスケースを覗けばさらに格安のチケットが売られていると思いますよ(笑)。

 西大寺先生より

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 いやあ、有難いですね。いつもながら、ネタ切れになりますと、特派員リポートが送稿されます。紙面を埋めなければならない新聞社や雑誌社のデスクの気持ちがよく分かります(笑)。

 お城と並んで、今、刀剣もブームです。特に若い女性が全国の品評会にまで回っており、「刀剣女子」と呼ばれているとか。

 日本刀は武器ですが、美術工芸品でもありますね。戦場では、刀の威力はそれほど発揮せず、殺傷力では(1)弓矢(後に鉄砲)(2)薙刀(後に槍)(3)投石(4)刀ーの順らしいですね。何故、刀より投石による戦死者の方が多かったのか、というと、農民が合戦に駆り出されて、高価な刀剣は買うことができないか、刀の使い方ができなかったというのが有力な説です。刀狩りで、農民は刀剣を奪われていましたしね。