神道を読み直す

Nouchavilla

突然ながら、「旧約聖書」を読破した日本人は、そう多くはいないと思います。日本のキリスト教徒は全人口の2割ほどと言われていますが、クリスチャンの人でさえ、完読した人は少ないのではないでしょうか。

私は、クリスチャンではありませんが、「新約聖書」は、何とか苦闘できましたが、旧約は無理でした。その理由の一つが、名前が身に染みてこなくて、訳が分からなくなってしまうからです。例えば、「ノアの子孫」にこんな記述が出てきます。「ヤフェトの子孫はゴメル、メディア、ヤワン、トバル、メシュク、ティラスであった。ゴメルの子孫は、アシュケナズ、リファト、トガルマであった。ヤワンの子孫は、…」

ワー、勘弁してくれえい。と頭をかきむしりたくなります。(もちろん、別にキリスト教に悪意を持っているわけではありません。他意はありません。ゆめゆめ、誤解なさらぬように…)

同じように言えるのが、「神道」です。もちろん、神道には教典、経典めいたものはありません。(「神道」は中国の「易経」から取られた言葉で、政治的色彩が強く、外国向けの対外的な言葉だったそうです。国内では「古道」という言葉で広まったそうで、江戸時代は、儒教や仏典を除いた純粋な「神道」の研究を、本居宣長や平田篤胤らは「国学」と呼びました)

神道には教典がありませんが、「古事記」と「日本書紀」などに出てくる神話を抜きにしては、その思想は語れません。しかし、正直に告白すると、「旧約聖書」と同じように(一緒にすると叱られるかもしれませんが)、この年になって、私は「記紀」は一度も読破したことがないのです。

その理由は、全く同じように、「記紀」に出てくる神の名前がなかなか、覚えられないからです。天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カムムスビノカミ)、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)、天之常立神(アメノトコタチノカミ)…これら五柱(いつはしら)の神々は「別天津神(コトアマツノカミ)」と呼ばれますが、私はもうこの辺りで限界です(苦笑)。

そこで、いきなり、「古事記」「日本書紀」に挑戦することは諦めて、今、本屋さんで見つけた三橋健著「イチから知りたい!神道の本」(西東社)を読みながら、「専門用語」(?)と格闘しています。これは、カラー版で、図解が多くて、分かりやすい。私のような初心者向けです。今年は神社には、厄払いに行ったり、初詣に行きながら、「作法」を知らずに恥ずかしい思いをしましたので、この本は役立ちそうです。

神使(しし)には、京都・北野天満宮の「牛」や、伏見稲荷大社の「狐」、さいたま市浦和の調神社の「うさぎ」など色々あることも分かります。

神道は、戦前戦中は「国家神道」が軍部と結びついて、悲惨な戦争と損害をもたらしたため、戦後民主主義下、日本の伝統に疎いマッカーサーの鶴の一声(国家神道廃止令)で、悪者扱いされてしまいました。

しかし、もうそろそろ、日本人の原点なる思想として、学んだり、お参りに行ったりしてもいいのではないか、と思っています。

ただ、もともと「神道」という言葉自体が政治的色彩を持つという矛盾があるため、純粋なアカデミックなアプローチは難しいかもしれませんが、まあ、肩の力を抜いて、気張らず、拘らず、ユルキャラで行けばいいんじゃないんでしょうか。(カックン)

思いやり予算

Gallieni

  新聞の片隅に「思いやり予算」の記事が載っていました。

 「思いやり予算」とは、ご案内するまでもなく、在日米軍駐留経費の日本側負担金のことです。

 2011年から15年度までの5年間で、9332億円でしたが、2016年から20年度までは、133億円値上がりして、総額9465億円になるそうです。

 5年間ですから、1年で、1893億円。
      1カ月で、157億7500万円。
          1日で、約5億円。

 ですか!?…。 

 うーむ。これで、日本は安心ですかぁ…

 戦後民主主義教育を受けてきた私なんかは、占領軍のことを「進駐軍」と教えられ、(言いくるめられ)、GHQは、悪い軍国主義者を公職追放して民主主義の道を開いた解放者と叩き込まれました。

 しかし、事実は、彼ら占領軍が、何もボランティアで手弁当でやってきたわけがなく、戦勝国として、敗戦国を占領、支配するためにやってきたわけで、駐留経費は全て日本側持ち。その上で、司法、立法、行政に至るあらゆる権力を戦後約7年間、掌握しました。(建前上、主権は日本側にありましたが、実質、GHQの顔色を窺った傀儡政権でしょう)
 敗戦で国家財政も破綻していた時期に、よくも当時の日本政府は、「思いやり予算」を献上できたものです。

 もしかしたら、現在の貨幣価値に換算するとそれほど変わらないのかもしれません。(ちゃんと調べなければなりませんが、学校の授業で「占領時代」のことは、時間がなくなったということで、習うことは一度もありませんでした)

  いまだに国民の税金で「思いやり予算」を献上しているということは、日本は現在でも、占領状態と変わらないような気がしてきました。

「真田丸」が意外と面白い

Hachodhatee

どなたか分かりませんが、またコメント有難う御座いました。内容からインサイド情報に相当精通している方だと思われますが…(笑)。

 さて、今朝は珍しく(失礼!)天気予報が当たって朝起きたら、私の住む関東地区でも一面銀世界でした。このおかげで、高速道路の一部が閉鎖になったり、飛行機が欠航になったり、ダイヤが乱れたり、何と言っても、通勤が痛勤となって、サラリーマンの皆様は相当辛酸を舐めたことでしょう。運行中止になった路線もあり、どうすることもできない方も多いでしょう。心痛察し申し上げます。

 さて、私はこのブログで散々、テレビの悪口を書いてきましたが、中には見ている番組もあります。テレ東の「何でも鑑定団」は、機会があればよく見ますし、全般的にドキュメンタリー番組や動物ものが好きです。

 ドラマはほとんど見ないのですが、1月から始まった某国営放送の大河ドラマ「真田丸」はなかなか面白いですね。同放送局の「ブラタモリ」も毎週面白く拝見していて、先日、番宣ではありますが、「真田丸」が放送開始する前に、「ブラタモリ」のタモリと、「家族に乾杯」の鶴瓶と、「真田丸」の堺雅人の3人が真田昌幸が建てたと言われる「上田城」を訪れて、何やらかんやらやっているのを見て、真田一族に興味を持ってしまったのがきっかけです。

 脚本は、三谷幸喜なので、あまり期待していなかったのですが、見るとなかなか面白い。戦国時代ですから、下克上あり、裏切りあり、政略結婚あり、人質あり、人間不信の魑魅魍魎の策略があり、歴史の結果が分かっていても、ハラハラドキドキしてしまいます。(三谷は、喜劇はいいのですが、シリアスなドラマは、ちょっと大袈裟な作為が見えすぎます。真田雪村の母親役の高畑の演技は学芸会ですよ)

 私も子供のころに、「真田十勇士」の猿飛佐助や霧隠才蔵といった忍者ものに夢中になったことがありますので、これからが楽しみです。

「後七日御修法」の秘宝曼荼羅図等

Taughji-temple bouddhique Kyahuteaux

 久しぶりに、京都洛中にお住まいの京洛先生から、風物詩が舞い込んできました。

 …今日1月14日は、皇居で「歌会始め」が執り行われましたが、他方、洛中の「東寺」では空海、弘法大師が始めた、真言宗の最高の儀式「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」が無事終わりました。

 一昨年、小生が初めてこの儀式に出かけて、貴ブログにレポートさせて頂きましたが、今年も、野次馬気分で、のぞいて来たのでご報告申し上げます(笑)。…

 あれ?そうでしたか?過去のブログは消滅してしまいましたし、じぇんじぇん覚えていませんね(苦笑)

  …今日は、「後七日御修法」が終わった後、この秘儀が行われた「灌頂院」(通常は非公開)が、1時間だけ一般公開されました。そして、この時だけ、下付される「お札」を受納するため、全国の真言宗の僧侶、檀信徒、関係者などが、灌頂院の前に、朝から並んで、午後1時の開場を首をながくして待っておられました。…

 覚えていないので、初耳ですね(笑)。

 …「東寺」のホームページ(HP)を検索しても、この貴重な儀式の詳細や、「灌頂院」の一般公開など、何処にも出ていません(笑)。文字通り、「知らない人は、知らない。知っている人は、知っている。それなら、来なさい!」と、弘法大師が囁いているような感じですね(笑)。ですから、観光客や最近、目立つ、近隣国の”爆買い族”とかいう、卑俗な連中が居ないので清々します(笑)。…

 えーー、そうなんですか。「知る人ぞ知る」とは、この「渓流斎日乗」みたいなもんですね(笑)

 …1時間だけ公開された「灌頂院」の中は、勿論、写真撮影は厳禁ですが、護摩壇が設けられ、7日間にわたっての、厳粛な修法の後がうかがわれました。また、日頃、公開されない大きな曼荼羅図やつい先程まで、儀式に使われていた佛具なども置かれ、美術館、博物館で見るそれとは、趣の異なるリアルな空間になっていました。…

 それは、それは貴重なものを御観覧になりました。「眼福」とはこのことかもしれませんね。

 しかし、これは貴重な情報ですよ。何と言っても、東寺のHPにも掲載されていない「知る人ぞ知る」情報なんですから。

馬橋稲荷神社とアイドルを探せ

 馬橋稲荷神社

 今年2016年の、「日本一のパワースポット」が東京・阿佐ヶ谷にあるというので、交通費1500円かけて、わざわざ出掛けて行ってみましたよ。

 馬橋稲荷神社です。

 何度も繰り返すようですが、今年は丙申(ひのえさる)年です。申は風水か何か分かりませんが(笑)、南西の方角です。全国の神社のほとんど全てが、鳥居は南の方角に建っておりますが、全国で2社だけ、南西方角に向いている神社があるそうです。その一つが、この馬橋稲荷神社です。

 「一の鳥居」を通って、このブログにアップした写真の「二の鳥居」には、このように立派な龍の彫刻が施されております。これも、全国の神社で珍しいらしく、本殿に向かって左の昇竜に触って願い事して、次の「隋神門」の天井に飾られている鈴に向かって、その願い事を唱えながら拍手して、反響が良ければ、叶うという言い伝えがあるそうです。

 私も早速やってみました。(とにかく、今は、縋れるものがあれば、何にでも縋りたい。必死ですからね=笑)

 何となく、安寧の気を得ることができました。

 この馬橋稲荷神社は、商店街から離れた閑静な住宅街のど真ん中にあり(本来は逆で、神社の周りに、宅地が浸食してきたということですね)、道がくねくねして、三斜路、四斜路が当たり前で、何処をどう曲がったのか、他人様に道を聞いて、辿り着いたので、もう二度と行けないかもしれません。(笑)

 ◇アイドルを探せ

 時代が不景気で、格差が広がると、ヒトは身近に「アイドル」を求めるものですね。

 女の子には、ジャニーズ系のタレントが毎年のように量産されて、選択肢が広がったり、何十年もファンとして忠誠心を誓ったりしています。

 男の子は、というより、中年のファンも多いでしょうが、今は「AKB48」なのでしょうか。私は、あまり興味がないせいか、AKBが秋葉原を意味することは分かっていても、「48」が何を指すのか分かりません(笑)。最近、このAKBから布教分派した姉妹グループの国内4番目として、新しく新潟に「NGT48」ができたことが話題になっていました。

 御本山は、秋葉原だけではありません。今や、聖地が東京・原宿に変わりつつあるらしいですね。竹下通りの入り口近くのビル内に「原宿駅前ステージ」をつくり、ファンと握手ができるほど目と鼻の先にアイドル「原宿駅前パーティーズ」が出演し、人気が高まっている、という記事を読みました。

 この「原宿駅前パーティーズ」は、中学生が中心でかわいい系の「ふわふわ」とモデル系の「原宿乙女」と恰好いい系の「原駅ステージA」とアクロバットが得意の「ピンクダイヤモンド」の四つのユニットでできているそうです。

 私が、何故、ご丁寧にも、こんなことをわざわざ、一生懸命に引用させて頂きながら書いたのは、そこに、「あっ」と驚く人の名前が書かれていたからです。

 この「原宿駅前パーティーズ」の仕掛け人のプロデューサーが、あの老舗芸能プロダクションのTさんだというのです。芸能界でTさんの名前を知らない人はいないし、一時、第一線から離れていた時期もあったようですが、見事復活したんですね。

 ただ、この記事を書いた若い記者は、Tさんのことをあまり知らないような書きぶりでしたが…。

庚申塚とは

 丙申

 「松の内」とは1月15日までだと、私は思っていたのですが、地方によって異なり、関東地方は7日まで、関西地方は15日まで、その他、10日までという地方もあるようです。松の内は、勿論、これで正月気分が終わり、正月飾りが片付けられる伝統ですね。

 今年は、申年です。正確に言いますと、「丙申」(ひのえさる)です。これは、十干十二支(じっかんじゅうにし)の一つで、十干の「干」は木の幹が語源で、「甲(こう)」「乙(おつ)」「丙(へい)」「丁(てい)」「戊(ぼ)」「己(き)」「庚(こう)」「辛(しん)」「壬(じん)」「癸(き)」の十個の漢字で表します。この十干を五行の「木(き)」「火(ひ)」「土(つち)」「金(か)」「水(みず)」に当て嵌めて、それに陽を表す「兄(え)」と陰を表す「弟(と)」を順番に組み合わせると「六十干支」となります。

 だから、六十年経つと、生まれた年と同じ組み合わせとなり、「還暦」となり、赤ちゃん還りということで、赤いチャンチャンコを着たりするのですね。

 いやあ、皆様、よくご存知のことを書いてしまい、申し訳ない。

 そういう私も知らなかったことを次に書きますから、ご安心ください。

 青面金剛

 この十干十二支から、「甲子園」(「きのえね」の年にできた)や「壬申(じんしん)の乱」(「みずのえ」の年)が命名されたことは知っておりましたが、恥ずかしながら、「庚申塚」という意味・由来は最近まで知らなかったのです。

 「庚申塚」は、私が大学生時代に通っていた都電荒川線(いわゆる、チンチン電車)の途中駅に、「庚申塚」と「新庚申塚」駅があったので、馴染み深いものがありました。しかし、深く意味を知ろうとも思いませんでした。

 「庚申」とは、もちろん、「かのえさる」の年、月、日のことですね。
 そして、「庚申塚」とは、三猿か青面金剛(しょうめんこんごう)を刻んだ庚申供養の塔のことだなんだそうです。村の鎮守様として、旅人の安全祈願として崇められたのではないかと思われます。

 たまたま、ウチの近くにも庚申塚があり、青面金剛が刻まれていました。江戸後期の文化文政の古い時代のものでした。

 看板には「庚申待ち」のことも書かれ、そこには「庚申の夜になると、人の腹の中にある三匹の虫が抜け出して昇天し、天帝にその人の罪科を告げ、命が奪われるというので、寝ないで過ごした」とありました。

 これを読んで「へー」と思ってしまいましたね。昔の人はこのようなことを伝統行事としてやっていたのでしょう。

 皆さんも、他に、十干十二支にまつわることでご存知の方はコメントしてくださいね。

慰安婦問題、決着か

あっ!!

もう仕事収めて、年末年始休暇に入った方も大勢いらっしゃることでしょうね。

昨日は、ソウルで歴史的な政治決着がつきました。慰安婦問題について、日本と韓国の両政府が合意したのです。

「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したといいますが、「不可逆的」とは、普段、化学や医学で使われる専門用語です。英語で、irreversible です。私は、表が白っぽい、裏が黒っぽい「リバーシブル」のカーデガンを持っていますが、ir は「その逆」「その反対」の接頭辞ですから、裏返しできない、逆転できない、という意味になります。この他に、撤回できない、取り消しえない、という意味もあります。今回は、後者の意味でしょう。

そんな科学用語を政治の世界で使うとはよっぽどのことですね。

内容については、安倍首相が「心からのお詫びと反省の気持ち」を表明し、韓国政府が設立する財団に日本が約10億円拠出するというのが骨子です。まだまだ、細かい点で、侃々諤々の論議があるようですが、私のような天邪鬼で皮肉屋でさえも、素直に「よかった」と感心しています。

どちらかと言えば、私は韓流ドラマや韓流音楽には全くと言っていいくらい、興味がないんで見たり聴いたりしませんが、隣国同士、仲良くするに越したことはありません。両国の文化交流や渡航が深まり、信頼関係が生まれれば、素晴らしいことだと思っています。

ついでに、この際、対馬で盗まれた仏像も返してほしいですね。

藤原辰史著「稲の大東亜共栄圏」

Noucavilla

久しぶりに、京都にお住まいの京洛先生のお勧めで、藤原辰史著「稲の大東亜共栄圏」(2012年初版)を読了しました。著者は、初版の時点で、東大大学院農学生命科学研究科講師。今、調べたら、現在、京大人文科学研究所准教授のようです。1976年生まれの若き研究者です。

 版元は、吉川弘文館ですから、ちょっと真面目な堅い学術書のようです。ご興味のある方は読んでみてください。終わり。

 あ、終わりではいけませんね(笑)。少しだけ、かいつまんでみましょう。

 著者は、今になって、ようやく、多国籍バイオ企業による遺伝子資源の独占が知られるようになった、と書きます。その代表格がモンサント社で、次世代の種子を植えても育たない「自殺する種子」を開発するなど、自社やその関連企業に都合の良い情報を組み込んだ種子を、世界各地の農地に送り込んでいることを暴きます。

 まあ、いわゆるひとつの「遺伝子組み換え食品」ということになるんでしょうね。これが、TPPによって、日本に知らないうちに紛れ込んで大量に入ってくるという噂を聞いたことがあります。
 
 このモンサント社を援助しているのが、「ロックフェラー財団」や「ビル・ゲイツ財団」と著者ははっきり書いていますが、私は知らなかったですね。先日、ビル・ゲイツさんが来日して、大手マスコミ新聞が、彼の功績をこれぞとばかりに持ち上げ、尊崇していました。

 しかし、これで、本物のスペクターというものは、多国籍バイオ企業と手を結び、税金逃れのために、「慈善」という善人の仮面を被って世間を歩いていることがよく分かりました。害毒をまき散らす日本の大手新聞社の責任も小さくはありません。

 科学が発展した現代では、遺伝子操作などはお茶の子さいさいなんでしょうが、この本では、実は、日本も戦前戦中は、遺伝子こそ操作はしなくても、品質改良=育種の名のもとに、特に、日本人のシンボルであるコメの種子を改良し、大東亜共和圏にもその技術を導入してきた歴史を辿っています。

 昭和初期の東北地方は、天候不順で作物が育たず、飢饉に襲われました。そのため、国家主導で人口交配が奨励され、大きな成功を収めた初めての品種が「陸羽132号」というコメで、あの宮沢賢治も、農業技術者としてこの品種の普及を試みたそうです。

 大東亜共栄圏ですから、日本の植民地だった台湾や朝鮮などでも、日本人に合うコメの品種改良に励みますが、台湾以外、多くの地域ではうまくいきません。この「失敗した」代表として朝鮮総督府農場試験場の種芸部長を務めた永井威三郎が登場します。

 この人は、戦後になって、農業技術改革を啓蒙する多くの文章を書く文筆家に転向したようですが、何と、先日、このブログでも何回も登場した我が師、正直言えば、俄かファンになった永井荷風の実弟だったんじゃありませんか。吃驚しましたよ。荷風は永井家の長男で、威三郎は三男です。帝大卒業後、マサチューセッツ州立農科大学、コーネル大学大学院、ハイデルベルク大学で生物学や遺伝子学の最先端技術を習得した超エリートだったんですね。

 「断腸亭日乗」は、まだすべて、読んでいませんが、恐らく、この弟さんも何処かに登場しているんでしょう。詳しい方はコメントください。…そう書くと、コメントなんか来ないんですよねえ(笑)

時代は独裁者を求めた

 une tasse de cafe

 昨晩、国営放送で放送された「新・映像の世紀」第3集「時代は独裁者を求めた」は大変、見がいのあったプログラムでした。

 ヒトラーが独裁政権を握っていく過程をつぶさに映像で見せてくれました。

 当時、最も進んだ民主主義を謳った「ワイマール憲法」の下で、ヒトラーは、ちゃんと手続きを踏んで(ただし、暴力や威嚇や粛清や秘密警察などを使ってですが)、「合法的」に、ヒトラーただ一人に権力が集中できる総統独裁体制を築き上げてしまったのですからね。

 1933年1月に、ヒトラーが念願の首相に就任した時、まだ43歳。周囲の閣僚たちは「こんな若造なんか、いつでも引きずり落としてやる」と内心思っていながら、次々とヒトラーの策略にはまり、多くの大衆の支持を背景にヒトラーは、「全権委任法」を可決させて、独裁権力を握ってしまうのです。

 それが、タイトルの通り、「時代は独裁者を求めた」です。第一次世界大戦に敗北したドイツは莫大な賠償金を課せられた上、強烈な超インフレ状態に陥り、わずかパン一斤が1兆マルクなんていう看板も写し出されていました。しかも、多くの失業者が街に溢れました。

 そこへ、ヒトラーが登場して、国民車フォルクスワーゲンをポルシェ博士の助言でつくったり(今年、フォルクワーゲンが問題を起こしたのも時代の皮肉ですね)、7000キロにも及ぶ世界初の高速道路「アウトバーン」を建設したりして、公共事業を起こして、雇用を創出し、国民大衆に豊かさの恩恵を与えます。1936年にはベルリン・オリンピックも成功させています。そして、ますます、ヒトラーとナチス党員に権力が集中するように法律を改正していくのです。

 意外に思ったのは、ヒトラーの「ユダヤ人排斥」思想は、アメリカの自動車王ヘンリー・フォードの影響が色濃かったという話でした。フォードはヒトラーの熱烈な支持者となり、勲章まで授与されます。他に、世界で初めて大西洋を単独飛行で横断した米国人のリンドバーグも、ナチス擁護の演説をして米国人に影響を与えていたのです。ドイツ人では哲学者のハイデッガーや指揮者のフルトベングラーらがナチス支持者でした。フランス人では、あのココ・シャネルが代表的ですが、彼女の「伝記映画」には、ナチスとの関係は全く出てきませんでしたよね。

 歴史は変えられませんから、その後のドイツ帝国の行く末(崩壊)は、皆さんご存知の通りです。

 最後に、ユダヤ人の強制収容所で、ぼろ雑巾のように山積みされた遺体と、異様に痩せこけた生存者を、連合国軍が、ドイツ人の市民にこの悲惨な状況を強制的に見せつける場面が出てきます。

 泣き出す「良心的な」ドイツ人も出てきて、「私はこんなことになっているとは知らなかった」と発言しているのに対し、収容所の生存ユダヤ人は「いや、知っていたはずだ」と叫びます。強烈な印象深い場面で終わります。

 最初に、ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンが撮影したヒトラーのカラーフィルムが出てきますが、カラー動画だと、つい昨日の出来事のように見えるのが不思議です。ニコニコ笑顔のヒトラーは、普通のお金持ちのおじさんに見えます。

 ヒトラーが、総統官邸地下室で自殺したのは55歳。恐らく、大量の戦死者を出したレニングラードの前線や、強制収容所など悲惨な場面には目をそむけて、視察せず、見ていなかったと思われます。

 この番組を見ると、ヒトラーが一人で勝手に「純血ゲルマン踊り」をしていたのではなく、周囲の大衆が応援し、時代が彼を求めていたことが分かります。

 今我々が生きている時代も、このようなことがあり得ないわけがなく、もしかしたら現在進行形で進んでいるのかもしれませんよ。

 

ああ~やっぱり内緒でした。

昨日は、アークヒルズの全日空ホテルで、ノンフィクション作家の佐野真一さんに会ってきました。

 一番、聞きたかったのは、彼の「満州3部作」の3作目は誰になるかということでしたが、半ば予想していた通り、内緒でした。教えてくれませんでしたね。

 第1弾が「阿片王」の里見甫、第2弾が「甘粕正彦」、続く第3弾は、岸信介かなあ、と頭によぎったのですが、児玉誉志夫ではないかと思った、と先日書いた通り、同じ質問をぶつけると、

 「児玉じゃありませんね」と言下に否定されてしまいました。続けて、

 「二キ三スケでもありません」と言われてしまいました。

 少しでも、満州の本をかじったことがある方ならすぐわかりますよね。

東條英機(とうじょう ひでキ、関東軍参謀長、後の首相)
星野直樹(ほしの なおキ、国務院総務長官)

の「二キ」と

鮎川義介(あいかわ よしスケ、満州重工業開発社長、日産の創始者)
岸信介(きし のぶスケ、総務庁次長、戦後の首相)
松岡洋右(まつおか ようスケ、満鉄総裁、国際連盟脱退時の外相)

の「三スケ」の5人のことです。

いずれも、後に首相になったり、東京裁判でA級戦犯になったりする超大物ばかりです。

それでは一体誰か?

他には、石原莞爾か板垣征四郎といった軍人か、李香蘭といった芸能人しか思い浮かびません。

佐野さんはヒントをくれました。

戦後、生き永らえて、日本の高度経済成長に貢献した人だそうです。

それなら、岸信介じゃないでしょうか?

ますます分からなくなりました。

佐野さんは、取材から資料集めから執筆まで、最低5年はかけるそうですから、答えが分かるのは5年後ですかね?