京都・伏見稲荷大社
いまだに「京都大旅行」の余韻に浸っております。とはいえ、行った所ではなく、行けなかった京都の「佐阿彌(さあみ)」や「瓢亭」や「つる家」などです(笑)。
何?知らないとな?
奈良・元興寺(本文とあってないじゃん)
京洛先生は、京都御所近くの邸宅で産湯をつかい、御幼少の砌の遊び場は京都御所でした。そこで蝉を取ったり、鳥獣戯画の如く、蛙や兎と相撲を取ったりして遊びました。代々の墓所はあの建仁寺という名家で素封家です。嗚呼、それなのに、それなのに…。
実は「佐阿彌」は、昨晩、「神谷町のおじさん」(といえば、歌舞伎通なら誰でもが御存知です)が案内役を務めるテレビ番組「京都探訪」で紹介された円山公園の敷地1000坪を有する老舗料亭のことでした。
円山公園の円山とは、慈円山安養寺から取られたもので、安養寺は吉水坊とも称します。天台宗の開祖最澄が創建。浄土宗の開祖法然がここを本拠に30数年間も称名念仏を宣揚した寺としても知られています。と、今、書きましたが、行ったことはありません(笑)。以前に、この吉水坊を舞台にした寺内大吉著「念仏ひじり三国志」を読んで感動したので、行きたかったですねえ。
京洛先生に電話で、「東山の高級料亭…あれ、何でしたかね?」と伺うと、直ぐに「あ、佐阿彌ね」と答えが返ってくるではありませんか。なあんだ、超有名だったんですね。
もう5~6年前になりますか、京洛先生には岡崎や南禅寺辺りにある高級料亭や別荘(の前)に連れて行ってもらったことがあります。(そのことは当時ブログに書きましたが、消滅してしまいました)この中で、最も有名なのが、明治の元勲山縣有朋の別荘「無燐庵」でしょう。七代目小川治兵衛の作庭です。(生憎、その時は休園でしたが)
南禅寺近くの高級料亭「瓢亭」の延々と続く土塀を見ただけで、規模の大きさに卒倒しそうでした。(ですから、中に入りませんでした=笑)
この辺りは、時の最高権力者や大財閥の別邸や博物館などがあります。住友財閥の「泉屋博古館(せんおくはくこかん)」は青銅器の世界的なコレクションとして知られ、圧巻でした。
私のような庶民は、京都といえば、四条河原町や先斗町辺りの狭くて雑踏としたイメージがありましたが、そんな所は、やはり庶民の街でした。富裕層は岡崎辺りの閑静な広大な敷地に別荘を構えているのです。別世界ですよ。野村財閥などの別荘もありましたが、最近では、ニトリの似鳥さんやソフトバンクの孫さんといった「新興産業」さんが、ここまで進出されているようです。嘘か誠か、100億円はくだらないとも言われてます。
御影の延々と続く村山邸宅の土塀
東京には、田園調布や松涛、成城、白金といった高級住宅街がありますが、関西は桁違いですね。まず、都内には岡崎のような高級別荘地はないし、京都の別荘は日本一でしょう。それに、朝日新聞創業者の村山家の御影の本宅を周囲から拝見させて頂きましたが、東京では見たこともないほどの広さです。東京ドーム1個が軽く入ってしまう広大な敷地でした。
◇◇◇
ここからやっと本題に入りますが(笑)、京都滞在中は、京都が生んだ立身出世の偉人、日本電産創業者の永守重信会長の話題で持ちきりでした。永守会長は、つい先日の27日に御自身の出身地である京都府向日市に約32億円の私財を投じで市民会館を建設し、市に寄付すると発表したばかりです。
オッケー、グーグル!
教育にも力を入れ、今年3月には京都学園大学の理事長に就任しました。私財100億円を投じたと言われております。
その前に昨年11月には、京都府立医科大学に「永守記念最先端がん治療研究センター」(総工費70億円)の形で寄付しております。
いやあ、凄い人ですね。
永守会長は、「すぐやる」「必ずやる」「できるまでやる」をモットーに365日働きまくり、休日は元旦の午前中だけ、という逸話は有名です。今や、日本電産は世界最大のモーター会社となり、永守会長の総資産は3890億円とも言われてます。
やはり、関西は、財界人も桁違いです。
京都駅南口「殿田」のお稲荷寿司