言葉が人類に暴力性を生んだ?…そう言われると困りますが

Ginza

 いやはや、たまたま見ましたEテレの「NHKアカデミア」に出演されていた人類学者の山極寿一氏のお話は、私にとっては「コペルニクス的転回」でした。そして、何よりも、自分は今まで何を信じて生きて、行動してきたのか、グサッと鋭利な刃物を突きつけられた感慨になりました。

 山極氏は、京大の総長まで務められた方であり、世界的なゴリラ学者であります。そういう人が何故、人間は現代になってもいまだに暴力的なのか、その起源はいつからなのかという問題を探索したことがこの番組のテーマになっていました。

 結論を先に書けば、霊長類の人類は700万年前にチンパンジーから枝分かれしてヒトとして歩み始めてから、当初はアフリカのサバンナで捕食者に囲まれ危険な状態だったので、どうしても協力して集団を作らなければならなかった。そこには共感が生まれ、食べ物の分配も行われ、平和的だった。しかし、1万年前に「言葉」が生まれ、同時に農耕定住生活となると、集団同士が食物や領地の争い等で暴力的になったというのです。

 山極氏に言わせれば、共感の力が暴発して、言葉による情報交換が人々を傷つけ、不安や戦争に駆り立てるようになったのではないかというのです。私は「記者」という職業を選び、40年以上も「言葉」を信じて仕事をしてきたので、まさに彼の説は、コペルニクス的転回の発想であり、衝撃を受けたわけです。人類は699万年間、平和だったのに、言葉の威力によって、わずか1万年前から暴力的になったというのですから。

小倉城

 山極氏が専門のゴリラは、決して暴力的な動物ではなく平和を愛好して、リーダーは仲間割れしないよう制裁したり、気を配ったりしているというのです。よく誤解されているのは胸を叩くドラミングで、これは相手を威嚇する意味ではなく、相手と戦わずして引き分けにする表現だったというのです。

 ゴリラは言葉を持っていないので、自分が見ている世界しか共有できない。一方の人間は、言葉を使うので、見た世界を言葉で表現する。それによって、同じ集団や共同体(せいぜい150人程度)以外に住む世界の別の人間にも情報が伝わる。それが、良い方向で伝わればいいのですが、誤解したり、曲解したりして、相手を傷つけたり、猜疑心、嫉妬心、敵対心などネガティブな感情が生み、人間を暴力的に至らしめる、というわけです。

 私は、言葉より、今はSNSや動画の方が影響が強いと思っていますが、同じことかもしれません。

 山極氏は、このように暴力性を生まないよう防ぐにはどのようにしたら良いのか、ズバリ処方箋を語っていました。それは、言葉に片寄り過ぎないようにして、身体的コミュニケーションを増やすことだというのです。一緒に、食事をしたり、スポーツをしたり見たり、音楽を聴いたり演奏したり、ボランティアをしたりすることによって、相手の気持ちや感情を理解するようにすれば良いというのです。

 確かに、契約や条約締結などは言葉のやり取りで済むはずですが、例えば、わざわざロシアのプーチン大統領が、北朝鮮の金正恩総書記に会うために平壌にまで出かけたりするのは、まさに握手したり、食事を一緒にしたりして身体的コミュニケーションを図って、初めて信頼関係が生まれるからなのでしょう。

 山極氏は若い人からの質問に面白い助言をしていました。

 友達と一緒に夕焼けを見たら良いよ。言葉が出ないでしょう。感動して言葉が見つからないでしょう。人間も自然と付き合うことで相手に近づけて、相手の気持ちも分かるかもしれませんよ。

 うーん、確かにそうですね。しかし、「言葉が人類に暴力性を生んだ」と言われると私は困ってしまいます。何しろ、言葉だけを頼りにこれまで生きてきた人間ですから。。。

日本も韓国も消滅か?=そんなことないでしょうが人口減に拍車掛かる

 昨年2023年の日本(人口1億2570万人)の出生数(速報値=在留外国人も含む)が前年比5.1%減の75万8631人だったと厚生労働省が発表した数字は実に衝撃的でした。8年連続で減少し、過去最少です。一方、死亡者数は159万503人で、前年から8470人増え、過去最多だったといいますから、人口減に一層の拍車が掛かったわけです。何しろ、生まれてきた赤ちゃんの倍以上の人が亡くなっているわけですから減る一方です。

 このまま少子化が進めば、日本人はいなくなってしまうのではないかというSFの世界が待っているかもしれません。

東京・新富町

 これは日本だけの問題かと思いましたら、お隣りの韓国(人口5174万人)ではもっと大変な状況でした。女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す「合計特殊出生率」が、8年連続で前年を下回り、昨年の韓国は過去最低の0.72だったというのです。低水準といわれる日本の1.26(2022年)より低いのです。生まれた韓国の子どもの数も、前年比7.7%減の約23万人で過去最少です。8年間でほぼ半減し、少子化は「日本以上」に見えます。

 韓国の少子化の背景には、ソウルに人口が一極集中して、地価と住宅価格が高騰し若者が住宅を購入出来ず、結婚に踏み切れない状況があるようです。結婚しても韓国はかなり苛烈な受験競争と超狭き門の大企業就職と格差拡大問題があり、高額の教育費が掛かるので子どもを2人も3人も持つ余裕がないという遠因があるようです。

 日本もそして韓国も、結婚新生活支援事業や育児休暇、子ども手当、教育費無償化など少子化対策を推進していますが、それでも歯止めが効きません。となると、結婚したくても出来ない非正規雇用といった経済的理由や、将来に対する不安など心理的理由が大きいと思います。

 林官房長官も記者会見で「少子化の進行は危機的状況」と述べ、少子化対策も発表していましたが、口先だけで、「笛吹けども踊らず」の印象です。だって、当事者である企業が賃金を引き上げ、非正規労働者の社員化を進めない限り、改善しないことが分かりきっているからです。「内部留保」に邁進する企業は、相変わらず、低賃金に抑え、非正規雇用の比率を挙げることで利益と業績を上げているわけですから、イエスマンで這い上がってきたサラリーマン経営者が、そんな「打ち出の小槌」を手離すわけありません。

 「内部留保税」や「非正規雇用割合税」なるものを徴収すれば、そんな悪循環が改善するでしょうけど、そんな法案を提出する政治家は一人もいないでしょうし、財界も大反対のキャンペーンを張ることでしょう。フリードマンや竹中平蔵らの新自由主義思想の根が深いからです。

 かくして、少子化に拍車が掛かり、人口減が幾何学級数的に進み、…この先はあまり想像したくないですね。

漢字を知らない私

 恥をさらします。

 仕事で、たくさんの地名や人名を扱っています。他人様の名前の中には吃驚するほど、今まで聞いたことも見たこともないお名前に遭遇したりします。例えば、祖母井(うばがい)さん、八月一日(ほずみ)さん、薬袋(みない)さんとかです。地名は、読めない漢字が多いのは沖縄や北海道に多いのですが、沖縄の豊見城村(とみぐすくそん)、北海道豊頃町の十弗(とおふつ)、青森県の鷹架沼(たかほこぬま)などがあります。まあ、何千件もありますから、キリがないのでやめておきます。

 私が取り上げたいのは、この年になるまで、間違って覚えていた漢字です。

 東京都葛飾区の「葛」です。「かつしかく」の「かつ」ですが、「くず」とも読みます。この漢字の下方に、周りに囲まれるようにして、「人」の文字が入っております。恥を忍んで申し上げますが、私は、ずっと、これは「人」ではなく、カタカナの「メ」だと思い込んで手書きでそう書いていたのです。

 その間違いに気が付いたのは、つい最近ですから、もう救いようがありませんね。それとも、「生涯勉強だ」と前向きに捉えることにしますか。

築地「魚竹」

 最近、驚いたお名前に、高橋胄さんというという方がいらっしゃいました。「胄」は「よつぎ」と読みます。この漢字は、理由の「由」の下に「月」を書きます。ところが、この「胄」に似た漢字に「冑」があります。こちらは、理由の「由」の下に「月」ではなく、月に似た、横棒がくっつかない字を当てます。実は、こちらの方が馴染み深い漢字で、甲冑(かっちゅう=よろいかぶと)の冑でした。

 逆に言いますと、甲冑の「冑」(かぶと)は、「胄」(よつぎ)ではないのです。

 新聞社や出版社にはこうした間違いを「発見」するお仕事があります。「校閲」とか「校正」とか呼ばれています。縁の下の力持ちで名前は出ませんが、なかなか大した仕事をされているのです。

 いくら大作家、文豪と呼ばれている人でも、校閲さんの影の支えがあってこそなのです。

今更ながら、外山滋比古著「新版 思考の整理学」を読んで

 新聞の広告で「東大&京大で一番読まれた本」「刊行から40年読み継がれて287万部 ロング&ベストセラー」の宣伝文句に惹かれて外山滋比古著「新版 思考の整理学」(ちくま文庫)を有楽町の書店で購入し、読んでみました。

 うーん、あまり、批判はしたくはないのですが、えっ?この本が40年も読み継がれて287万部も売れて、東大、京大で一番売れている本なの? というのが正直な感想でした。偉そうですね。

 40年も経てば、古典の名著と言えるのかもしれませんけど、この本の中で取り上げられたコンピューターの話はさすがに、パソコン時代を乗り越えた現代のスマホ優勢時代では、古びてしまっており、また、40年前なら「セレンディピティ」という言葉も新鮮で、斬新過ぎて、格好良い響きがあったかもしれませんが、その後、勝間和代さんが著書でかなり世間に浸透させて、今や少し聞き慣れ過ぎた言葉になってしまっています。

 読者感想文の中に「もっと若い時にこの本に出合っておけばよかった」というのがありましたけど、やはり、その通りです。若い人向き、特に大学の卒論を執筆しようとしている人向けに書かれているようなフシがあり、もう年老いた「手遅れ」の人が読んでも感動しないのは当たり前かもしれません(苦笑)。

 本を読めば、大抵、引用したい心に引っかかる文章があるものですが、この本で引用したいと思った箇所は、「思考の整理学」の本筋とは全く関係がない包丁を長持ちするための秘訣でした。包丁はさびやすく、直ぐ切れにくくなりますが、その対策としてこんなことが書かれています。

 使ったあと、湯に浸してから乾いたふきんでふいておけばいい。なぜそんな簡単なことが知られていないのか。一説によると、早く包丁をだめにした方が、買い換え需要が増えて業者の利益になる。長持ちさせる方法など教えるのは自分の首をしめるようなものだ、というのである。(185ページ)

 著者の文章は、新聞記事のようにセンテンスが短く、歯切れが良い。だから読みやすい。だから、売れてロング&ベストセラーになったのではないかと推測します。

 悔しかったらお前も、ロング&ベストセラーを書いてみろ、ということですか。

「マティス」展で作品の撮影が解禁! 著作権は大丈夫でしょうか?

 2月24日(土)に、東京・乃木坂の国立新美術館で開催中の「マティス」展を観に行って来ました。土曜日の午前中でしたが、意外と空いていました。5月27日まで開催されるので、皆さん余裕を持っていらっしゃるからでしょう。

 国立新美術館は本当に久しぶりです。10年ぶりぐらいかもしれません。ですから、行き方もすっかり忘れておりました。そしたら、地下鉄千代田線の乃木坂駅に直結していたのでした。

 でも、入場したら、あまりにも広大で何処に行ったら良いのか、訳が分からなくなりました。何しろ、マティス展だけでなく、他の会場では、多摩美術大学や日大芸術学部など東京の5大学の美術部の展覧会が同時に開催されていまして、私なんか3階にまで行ってしまい、迷子になってしまいましたよ。(マティス展は2階でした)

4×8メートルの切り紙絵「花と果実」(マティス展・乃木坂・新国立美術館)

 フランスの画家アンリ・マティス(1869~1954年)に関しては、日本人も大好きですし、御説明するまでもないでしょう。フォーヴィズム(野獣派)の代表作家であり、「色彩の魔術師」の異名まであります。私も知っているつもりでしたが、若き頃、官立のフランス高等美術学校に入学できず挫折を味わっていたことまで詳しく知りませんでした。ただし、ギュスターヴ・モローから特別に個人指導を受けることで才能が開花します。

 また、絵画だけでなく、生涯にわたって彫刻や切り絵も手掛け、ライフワークとして南仏ヴァンスにステンドグラスから壁画、礼拝台に至るまで「ロザリオ礼拝堂」を設計し、今展でその礼拝堂の一部が展覧されていました。

「ロザリオ礼拝堂」(マティス展・乃木坂・新国立美術館)

 個人的な話ながら、最近、どうもメンタルが不調気味でしたので、「色彩の魔術師」の力によって煩悩を圧倒してもらおうと会場に足を運びました。2200円と入場料が高かったのですが、それだけの価値はあったと思いました。

 会場に足を運んで、一番驚いたことは、一部の作品が「撮影可能」だったことです。ですから、こうして、恐る恐る、一部写真を渓流斎ブログに掲載させてもらっています(もっと沢山撮影したのですが、ほとんど破棄しました)。

 何故、恐る恐るなのか、と言いますと、実は私は、もう30年も昔ですが、1990年代に美術記者をしていまして、当時、新聞にマチス(当時はマティスではなく、マチスでした)作品を取り上げて、その写真を掲載する際、かなり高額の著作権料を請求されたからでした。それで、マティス作品の著作権は大丈夫なのかなあ、と気になってしまったのです。

 そして、「そっかあ、マティスは1954年に亡くなっているから、没後50年の2004年で著作権は切れていたのかあ」と気付いたのです。しかし、話はそんな単純なものではなかったのです。例えば、海外の作家には「戦時加算制度」というものがあり、通常の著作権保護期間(50年間)に、第2次世界大戦の期間に相当する日数を加えることで、戦時中保護されていなかった著作権者の利益を回復する制度があるのです。マティスのフランスは、3794日(約10年5カ月)なので、50年ではなく、60年5カ月となります。

 となると、マティス作品は、2004年ではなく、2014年で著作権が切れたということになります。しかし、これでは安心できないようです。2018年に著作権法(TPP11協定)が改正され、1968年以降に亡くなった作家の著作権は、没後50年から没後70年まで延長されることになったからです。これにより、例えば、藤田嗣治画伯は、1968年に亡くなったので、これまで50年後の2018年まで著作権は保護されていましたが、改正により、70年後の2038年12月31日まで保護されることになったのです。

 さてさて、肝心のマティスさんです。繰り返しになりますが、2018年の著作権法改正に該当しない1954年に亡くなり、戦時加算を入れても、2014年には著作権が切れているはずです。しかし、フランス本国ではどういうわけか、マティスの著作権は切れておらず、「マティス財団」(著作者人格権)が管理しているというのです。彼らは、ミュージアムショップ等で売られるカップやバッヂなどのグッズに関して、いまだに制約しているといいます。

 私は著作権法に関しては素人なので、これ以上踏み込めませんが、今年2024年はマティス没後70年です。それで、展覧会の主催者さんは、会場の作品の撮影を許可したんじゃないかなあ、と判断しました。はい、間違った解釈でしたら、このブログに掲載した写真は全て取り下げますので、マティス財団さんの御見解も宜しくお願い申し上げます。

 (写真にも著作権があり、だから私が撮影した写真ですから、著作権は私にあるはずです。しかし、平面の絵画には写真の著作権がなく、立体の彫刻を撮影した写真なら著作権が有効になるとか、色々と複雑なようです。詳しい方、どうか御教授ください。)

 

「エントロピーが増大する」とはどういうことなのか?=ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を再読してやっと分かりました

 以前、予告しました通り、ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)を読了した後、今は再読しております。

 一回目は、著者特有の韜晦的な書き方によって、正直、よく分からない部分が多かったのですが、再読すると、意味がよく分かるようになりました。えっ?韜晦(とうかい)的の意味が分からない? 衒学的の正反対です。えっ? 衒学的も分からない? 韜晦的とは、自分の才能を包み隠すこと。衒学的とはその逆で、自分の知識を自慢したり見せびらかしたりすることです。

 著者のグリーン氏は、自分の知識を包み隠すような書き方で、はっきりした結論は書かないように一回目に読んだとき思ったのですが、二回目に読んだ時は、実は印象が少し変わりました。例えば、109ページに「ビッグバンから、10億分の1の10億分の1のさらに10億分の1秒後には、斥力的重力は空間の小領域を大きく引き伸ばし、…広がった。…それと同じくインフラトン場もまた、いずれ『破裂』し、場の粒子たちは霧になる。」と書いた後、「その粒子たちが正確に何だったのかは分かっていない」とはっきりと、分からないことは分からないと明言しておりました。

王子神社

 宇宙の生成から終焉において、熱力学第二法則の「エントロピーは増大する」というキーワードが最も重要で、本書の後半にかけても何度も出てきましたが、この意味を深く理解することがなかったので、1回目に読了したとき、どうも痒い所に手が届かなかった読後感がありました。が、再読してみたら、前半で、はっきりとエントロピーとは何かについてかなり詳述されていたことが分かりました。一回目は一体、自分自身何を読んでいたのかしら?

 「エントロピー」とはざっくばらんに「無秩序状態」と翻訳して良いと思いますが、本書の70ページでは、実に分かりやすく、エントロピーとは何なのか説明してくれています。一回目で読んだはずなのに、覚えていなかったとは本当に情けないですね。メンタルの不調のせいにしておきます(笑)。

 著者はこのように書いています。(少しだけ差し替えています)

 エントロピーは時間とともに増大する圧倒的な傾向がある。きれいにアイロンのかかったシャツが皺になるように「特別な配置は平凡な配置に近づく傾向がある」とか、整理されたガレージが、道具類や収納箱や遊び道具がごちゃ混ぜに詰め込まれた物置になるなど「秩序は無秩序になる傾向がある」といったことだ。

 なるほど。エントロピーが増大する、とはガレージが散らかったり、シャツが皺になったりすることでしたか。こりゃあ、分かりやすい。

王子神社

 また、著者のグリーン氏によると、宇宙が生成されるきっかけとなったビッグバンは、高度に秩序立った極めてエントロピーが低い出発点だったといいます。つまり、最初は極めて秩序が整った状態だったということです。それが、熱力学第二法則により、エントロピーが増大すると、宇宙に存在するもの全ては、衰え、劣化し、朽ちるという、抗いがたい傾向を持ってしまうのだといいます。ということは、これで、宇宙に終焉があるという結論が導き出されるわけです。

 その前に、地球の生命体の一つである人類の消滅が先にあります。人類だけが持つ「考える」という行為そのものも、(思考することによって)無益な環境エントロピーを増大させてしまうせいで自滅するともいいいます。あまり、自分勝手に苦しんだり悩んだりしたら、エントロピーが増大するということなのかもしれません。

 ところで、18世紀のニュートンの時代まで人類はモノが引き寄せられる「重力」しか分かっていませんでしたが、20世紀になって、その逆のモノが引き離される「斥力」が発見されました。同じようにエントロピーが増大する、とだけ考えられていたのに、エントロピーは減少することも分かってきました。エントロピーの減少とは、カメラを逆回しにしたようなSFのような世界ですから、専門外の私からはうまく説明できませんが、この本にはそういった話も多く出てきます。

 いずれにせよ、私自身は「エントロピーが増大する」とはどういう意味なのか? 再読してやっと分かったという、実に情けない恥さらしなお話を御紹介しました。

オートルマンって何のことですか?

 2月16日、北極圏にある刑務所で、プーチン政権によって殺害されたのではないかとされているロシアの反体制指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(行年47歳)。日本のマスコミでは、「ナワリヌイ」と表記されますが、英字紙では Alexei Navalny と表記されています。このまま日本語に置き換えればアレクセイ・ナヴァルニイとなります。ナワリヌイとは読めません。ロシア語では Алексе́й Анато́льевич Нава́льныйと表記され、アレクセイ・ナヴァリヌイと読むらしいので、これが一番正しいのかもしれませんが。

 国際語になっている英語は、あくまでも独自路線を貫いているということなのでしょう。地名にしても、オーストリアのウィーンは、「ヴィエナ」と言うし、イタリアのヴェネツィアは「ベニス」と発音したりしますからね。

新富町「躍金楼」(明治6年創業)天ぷら膳(五点盛)1320円 本文と全く関係ないやないけ!

 何でこんな話をするのかと言いますと、先日、久しぶりに婿殿に会った時、驚く体験をしたからです。婿殿は米国人です。その彼が急に「オートルマンは知ってますよね」と言うではありませんか。えっ? オートルマン? 聞いたことないなあ~ 「知らないなあ」と応えると、彼は「えっ?日本人なら誰でも知ってますよ。そりゃあ、おかしい」と言いながら、スマホを取り出して、そのオートルマンというものの画像を私に見せたのです。

 なあ~んだ。ウルトラマンじゃないか! 「オートルマンじゃないよ。ウルトラマン。オートルマンじゃ、日本人に通じないよ」と諭しましたが、彼はあくまでも、「いや、違う。絶対にオートルマンだ」と譲らないのです。仕舞いには、「ゴジラ」ではなく、「ガジ~ラ」が正しい、とまで言い出しました。

 これで、私は1970年代に流行ったテレビCMを思い出しました。パナソニックのカラーテレビ「クイントリックス」のCMです。1930年代から「あきれたぼういず」で活躍していた坊屋三郎(1910~2002年)が、相手の外国人タレント、トニー・ダイヤが「クイントリックス」と連呼するのに対して、坊屋が日本語風に発音して、「英語でやってごらんよ。なまってるよ。外人だろ、あんた。発音だめだねえ」と切り返して笑いを誘っていました。坊屋さんは随分お爺さんに見えましたけど、当時まだ61歳だったんですね。

 英語は現地語の発音を超越して自分たちの発音を押し通すように、日本語も同じことをやっています。

 この渓流斎ブログで、以前にも取り上げましたが、第2次世界大戦下の米国の大統領を日本のマスコミは「ルーズベルト」と表記しますが、本来は、つまり、米国では「ローズベルト」Rooseveltと発音します。米下院議長を務めたナンシー・ペロシはペロシではなく、「プロウシイ」Pelosi と発音するので、ペロシと言っても誰のことなのか分かりません。

 もっとも日本では和製英語が氾濫しています。今や事故だけでなく、事件や災害の際に大いに活躍しているドライビング・レコーダーがあります。これはdriving recorder で欧米でも通じるかと思っていましたら、米国では、略してdashcam、もしくは dashboard cameraというんですってね。ドライビング・レコーダーでは通じないのです。

 何か、本日は「ゲーテとは、俺のことかとギョーテ言い」みたいな話になってしまいましたね(笑)。

北条早雲の興国寺城跡=ついに「洗脳」されたO氏

  会社の後輩で、還暦過ぎて静岡県の某支局長に転身したO氏からメールが来ました。な、何と、戦国時代の火ぶたを切ったと言われる伊勢新九郎盛時(北条早雲=1456?~1519年)の最初の居城として知られる興国寺城跡(静岡県沼津市)に週末の休日を利用して行って来たというのです。しかも、「高低差20メートルもある空堀を作らせて東西に睨みをきかせた北条早雲の野望を感じました」と大いに感動した様子だったのです。

興国寺城跡(静岡県沼津市)Copyright par K.O

 O氏は昨年10月末まで、小生と同じ部署で、席が隣でしたので、仕事の合間によく無駄話をしたものでした。主に小生が、歴史や文化などについて、偉そうに蘊蓄を傾けることが多かったのですが、特に力を入れたのは、全国のお城巡りや神社仏閣、仏像の話でした。

 しかし、O氏は全くといっていいぐらい関心がなく、特にお城の魅力をこちらがいくら口酸っぱく唱えても、うわの空でしか聞いてくれませんでした。

興国寺城跡(静岡県沼津市) Copyright par K.O

 そんな彼が、この期に及んでお城の魅力を語るとは! やっと、小生の「洗脳」が実を結んだ、と感激したわけなのです(笑)。

興国寺城跡(静岡県沼津市) Copyright par K.O

 全国にお城は、2万5000とも3万ともあると言われ、中世の山城跡も含めば5万以上はあると言われています。恐らく、一人で一生懸けても全てを回れないかもしれません。

 でも、城廻りをすると、健康にも良いちょっとした運動になり、山城も多いので、良い空気が吸えます(笑)。何よりも、色々と調べるとその時代のことや城主の家系も知りたくなり、日本史に詳しくなります。お城は合戦の場なので、それ以外の、というか、それに付随する城主の菩提寺や合戦必勝に願を懸ける神社にも興味を持つようになり、城と併せてお参りしたくなります。

興国寺城跡(静岡県沼津市) 穂見神社 Copyright par K.O

 特に城跡は建物も何も残っていないので、当時の櫓や大手門などを想像する楽しみがあります。O氏が感動した興国寺城跡は遺跡ではありますが、実際に行ってみれば、歴史上の人物だった北条早雲が実在したという実感をつかむことが出来たと思います。(小生は行ったことがないので、いつか行ってみたいと思っています。)

 現存12天守や大坂城、名古屋城などは入場料が必要ですが、山城のほとんどは無料で入ることが出来て、誰にでも開放されているところが魅力です。

 別にお城は歴史学者さんらの独占物でも何でもありませんから、庶民でも大いに知的に楽しめばいいのです。と書きながら、私は読者の皆さんにもお城廻りを趣味にするよう「洗脳」しております(笑)。

 

新生《渓流斎日乗》、タイガーマスクさんのお蔭で復活しました

 本日、ここ1カ月間もの長い、長い間、個人的に苦しめられていましたGoogle アドセンスの申請がやっと出来ました。

 これもこれも、覆面レスラーのタイガーマスクのような篤志家のお蔭です。本当に信じられませんが、最初から最後までボランティアでやって頂きました。覆面レスラーなので、お名前も、どういう方なのかも、このブログでは詳しく書けませんが、仮にお名前はMさんと呼ばせて頂きます。勿論、コンピュータ専門技師で、マイクロソフトなど大手IT企業の大幹部とも顔馴染みのITコンサルタントです。

 私は運が良いのか、天のお導きで、Googleアドセンスのフォーラムで知り合うことが出来ました。大変失礼ながら、ほんの少しだけ変わった方で(本当にごめんなさい)、「私はお助けマンでもレスキュー隊でもありません」と仰ったり、「Googleアドセンスを単なる宣伝目的のお金儲けのためだけの人でしたら、助言するつもりは全くありません」と厳しく仰ったりしました。それでも、私とはこの1カ月近く、フォーラムで90回以上もメールのやり取りをしてくださったのです。

 90通以上もやり取りをした、というのは、細かい専門的な話ですが、プラグインの無効化とか、SiteKitでの申請に際しての、必要なチェックの入れ方とか、レンタルサーバーのセキュリティの問題とか、何度も何度も試行錯誤で試してきたということです。お蔭様で、スクリーンショットの画像の撮影はベテランの域に達しましたが(笑)、それでも、設定がうまくいかなかったということです。

 私もその度に、喜んだり、意気消沈したりし、もうこんな苦しいんだったら、もうブログなんかやめてしまおうと何度思ったか分かりません。

東銀座「ふらいぱん」ハンバーグ定食(珈琲付)1100円

 そしたら、Mさんが、「最後の手段」として、Google MeetというZoomのようなリモートを使って、私のサイトの画面共有して、同時進行で作業を進めて行きましょう、と提案してくださったのです。(Mさんは、Google Meet の方が、Zoomより遥かにセキュリティがしっかりしていると強調されていました!)

 Mさんの御提案に、私は天にも昇る気持ちになりましたが、さすがに、ここまで来たら、ボランティアでやって頂くわけには行きません。そこで、私がそれとなく手数料をお支払いしたい旨を提案したところ、「私のクライアントさんは大企業のビジネスクラスの方が多く、正直申し上げて、コンサルティング料はかなり高額です。個人の方にはその旨をお伝えして、事前に契約書に記入して頂くことになります。」と仰るのです。私は血が凍りつきました。どうやら、このMさんは世界でも5本の指に入る超一流のIT技術者で、世界の大企業から引っ張り凧の有名な方だったようです。当然ながら、超多忙です。

 となると、私のような無名の庶民ではとても払いきれませんので、諦めかけました。ところが、頂いたメールの先をよく読んでみると、「乗り掛かった舟ですから、私の性分で、このまま舟を乗り捨てるわけに行きませんから、続行致します」と仰るではありませんか! 実は、Mさんは私との90回以上のフォーラムとメールでのやり取りの中で、私の個人的事情(私のブログのフォーマットを作成してくれた高校の後輩でIT会社社長の松長哲聖氏が急逝したため、サーバーの引っ越しを余儀なくされ、全く素人の私がイチから、ITの設定に追い込まれているといった事情)を汲んでくださったからだと思われます。

 何よりも、これは自分の勝手な思い込みですが、Mさんがこの《渓流斎日乗》をお読み頂き、もう20年近くも続いているブログがこのまま廃業してしまうのは惜しいと思ってくださったのではないかと想像しております。あくまでも、想像ですが、そうでなければ、ここまで会ったこともない見ず知らずの人間に手を差し伸べたりすること自体があり得ないからです。

 勿論、私は個人的に、Mさんの御厚情と恩義に感謝し、お返ししたいと思っているのですが、Mさんは「それはお気持ちだけ受け取っておきます。」としか述べないのです。こんな奇特な方がこの世に存在し、私のような人間と巡り会うとは奇跡に他ありません。他の人ではこんな幸運に巡り会うことはないと思います。大袈裟な書き方ですが、そうとしか言いようがありません。

 そして、本日、Googleアドセンスの設定をSiteKit ではなく、他の方法で設定して頂いたのですが、何と、わずか数分で終わってしまいました。本当に5分も掛かりませんでした。唖然、呆然ですよ! 今まで苦労したこの1カ月間は一体何だったのか? 僕の青春を返してくれ!といった心境になりました。

 もっとも、私はもう高齢者ですから、青春も何もないのですが、これで、残された人生、ブログを出来る限り、書き続けて行こうという気持ちになりました。これからも、皆様の応援、御支援の程、宜しくお願い申し上げます。

(注=M氏のお言葉は意訳で、本人のお言葉そのものではありません)

残念!「ブラタモリ」終了

 NHKの人気番組「ブラタモリ」が3月末で終わってしまうんですね。とても、残念です。「目から鱗が落ちる」ような話がふんだんに用意されていて、とてもタメになったからです。

 それでも、番組当初はその存在すら知りませんでした。タモリと女子アナとの掛け合いも見どころですが、初代アシスタントの久保田祐佳さんも2代目の首藤奈知子さんも見たことがありませんでした。番組を見始めたのは、3代目の桑子真帆さんからでした。彼女は頭の回転が速く、最初はとまどっていたのに、どんどん知識を吸収して成長していく様が見ものでした。3~4年間担当していたと思っていましたが、2015年4月からわずか1年しか担当していなかったんですね。ブラタモリといえば、桑子ちゃんというイメージが強かったので意外でした。今では、「クローズアップ現代」を担当するなど看板アナです。

 4代目の近江友里恵さんは16年4月から2年間担当しましたが、一番好感が持てる人でした。天然ボケに見せかけて、裏ではかなり勉強していることが分かりました。でも、そういう人に限ってNHKを退局してしまうんですね。18年4月から担当した5代目の林田理沙さんは東京芸大ピアノ科卒という異色のアナウンサーで博士号まで取得しているところが凄い。門外漢の地学や地球物理学には苦手意識丸出しでしたが、彼女も努力家で凄い成長して惜しまれて降板した感じでした。20年から2年間担当した6代目の浅野里香さんは近江アナより天然ボケで肩肘を張らない物おじしない所が良かった。そして22年から担当している現在の7代目の野口葵衣さんは、場違いな感じがしましたが、気が付かないうちに溶け込んでいったところ凄い。

東銀座

「なあんだ、お前は女子アナしか注目しなかったのか」と言われそうなので、弁解しますが、非常に勉強になりました。岩石のチャートなんて、この番組で初めて知りました。タモリは岩石マニアなので何でも知っていて、講師の案内役を驚かせていましたが、事前にかなり情報を仕入れて彼は台本通りに喋っていたと、性格が悪い私は推測してます(笑)。

それに、道を歩いていて、変に蛇行していたり窪んだりしていると、「ははあん、ここは元々は川が流れていて今は暗渠になってるんだなあ」と推理を働かせるようになりました。

番組は事前の下調べから始まって案内役の選定に至るまで、かなりお金をかけていたことがそのスタッフの多さで分かります。あんな番組、一人しか取材に行かない新聞記者では無理だし、民放でも作れません。スタッフが有り余っている天下のNHKだからこそ作れるのです。

 前回放送された「鎌倉」は、もう、種が尽きたかと思ったら、知らないことばかり。特に、極楽寺は、元寇の頃から作られ、西日本がもし元に占領された時を見込んで、興福寺や那智大社や東大寺の大仏まで模して鎌倉に作っていたとは驚きでした。

また、金沢文庫には、国宝が2万点、世界に一つしかない蔵書も何点もあるということで、歴史を後世に伝えた金沢北条氏と称名寺の影に隠れた貢献には感動しました。

もっと北条氏を再評価していいですよね。