20世紀前半の映像87作公開=国立映画アーカイブ 

 4月6日(木)付読売新聞朝刊の二社面に「映像で知る20世紀前半=国立映画アーカイブ 87作公開ー教育や軍事「CMの先駆け」も」と題する記事がありました。私もネットで見てみることにしました。こりゃ、凄い。

 国立映画アーカイブ(NFAJ=National Film Archive of Japan、1952年開館、東京都中央区京橋)には、約8万6000本のフィルムが所蔵されていますが、そのうち、劇映画ではない実写作品の文化・記録映画やニュース映画が5万本近くあるといいます。そこで、NFJAは、ネット上に「フィルムは記録する ―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―」サイトを設置して、産業や教育、軍事、皇室関係など戦前の貴重な文化・記録映画をアップし、無料で公開することにしたのです。取り敢えず、まずは87本で、今後増えると思われます。

 国立と言うからには、国民の財産です。誰でも簡単に、わざわざ会館に足を運ばなくても、居ながらにしてアクセス出来て観られるようにしたところが凄いです。

 私も早速アクセスしてみました。読売の記事で紹介されていた「日露戦争の記録」(1904~05年)関係のフィルムは8本もあり、白黒の無声映画ではありますが、「よくぞ撮った」「よくぞ残っていた」といった感じです。こういう記録映画は、NHKテレビの「映像の世紀」などで見たことがありますが、いつでも見たい時アクセスできるということは、本当に素晴らしいですね。

咲くほどにこはれてゆくよチューリップ  吉田林檎

 また、明治製菓が大正15年に製作した「菓子と乳製品」(9分)なるプロモーション・フィルムもあります。説明には「明治製菓の製菓工場(川崎)におけるチョコレートの製造工程、牧場(茅ヶ崎)と製乳工場(両国)の様子を描写し、同社による主要製品を紹介するPR映画。完全版と思われる。」とあります。

 これが、読売に言わせると、「CMの先駆け」となるわけです。1926年当時の最新の工場機械によるチョコレートなどの製作過程だけでなく、当時の典型的な美人さんと思われる和服や洋装の女性(タレントの先駆け?)が笑顔を振りまいて登場したりしています。今から100年近い昔だというのに、オートメーションの機械は現代とそれほど変わらない感じで、驚くばかりです。

 この他、当時の文部省が製作した「子供の育て方」(28分)なるものまであります。1925年ということは、大正14年。三島由紀夫、永井路子、丸谷才一、辻邦夫、杉本苑子らが生まれた年ですから、この映画に登場する赤ちゃんを見ると、何か親近感が湧いてきます(笑)。

朝日新聞、月額500円の値上げに想ふ

 私は一応、今でもメディア業界の片隅で棲息しておりますので、朝日新聞の値上げのニュースには心を痛めました。5月1日から500円値上げして、朝夕刊セット月極め購読料が4900円になるというのです。値上げは2年ぶりですが、同時に愛知、岐阜、三重の東海3県での夕刊発行も休止するというのです。愛知は中日新聞、岐阜は岐阜新聞、三重は伊勢新聞の牙城ですから、(中日新聞は県紙というより、中部、東海、北陸のローカル紙ですが)天下の朝日も、地元紙に敗れたり、ということになります。

 値上げされて、「心を痛める」というのも変ですが、同情せざるを得ないからです。日本ABC協会によると、朝日新聞の発行部数は、1997年1月862万7500部をピークに、今年2月にはその半数以下の377万2617部にまで激減しているというのです。

 60歳以上の高齢者は忠誠心がありますからそれほど「新聞離れ」はしてませんが、特に20代、30代の若い世代の新聞購読者が激減したことが要因です。若い人が新聞を読まないと、その人が高齢になっても読まないということになります。つまり、先細りです。新聞業界も斜陽産業といいますか、衰退産業ということになります。

 となると、優秀な学生さんもそっぽを向いて入社しなくなり、人材不足で記事の質もどんどん劣化し、悪循環でさらに部数も落ちることになります。

 これでええんかいなあ、と思います。

 まず、若い人は、ニュースはネットでタダで見られるから良いと勘違いしている人が多いのですが、それは大間違いです。特に、新聞・通信社の記事の中には、記者が夜討ち朝駆けで、苦労して足で稼いで書いたものもあり、その原稿は、デスクや校閲ら何人もの校正や事実確認などを経て記事化され、間違いやフェイクを避ける努力をしています。丸一日、取材対象に食い込んでも、1行も原稿にならない日もあります。費用対効果が非常に悪い業界なのです。

 ということは、記事が有料だからこそ、信頼度が担保されている、と言っても過言ではありません。

 しかし、ネットに溢れる「ニュース」の中には、タダですから、あまりにもいい加減な噂話やフェイクニュースだったりします。しかも、テレビの番宣だったり、読者を巧妙にモノを買わせるように洗脳する記事に見せかけたステマ広告だったりもします。

 もっと言えば、新聞は「社会を映す鏡」みたいなもんですから、新聞は、その国民の民度を表すのです。新聞の記事が劣化するということは、日本人の民度が劣化すると言っても良いのです。

 まあ、こんな影響力のないブログに何を書いても「暖簾に腕押し」か「蟷螂の斧」でしょうけど、新聞社や出版社などがネット上に記事を無料でアップするのをやめるか、有料にしたりしたらどうなるか、夢想します。

死語について考える=昔の話し言葉は素晴らしかった

 今の若い人たちは、と書けば、老人の繰り言に聞こえるかもしれませんが、まあ、聞いてくださいな(笑)。

 今の若い人たちは、「衣紋掛け」と聞いても、何のことか分からない、という話を聞いて、驚いてしまいました。衣紋掛けって、もう死語なんですかねえ? 今どきの若い人たちは、「ハンガー」なら分かるのでしょうか。

 それで思ったのですが、「下駄箱」はどうでしょうか? 私の世代は、小学校や中学校などで当たり前に使っていましたが、それでも、ほとんどの生徒は、学校まで下駄なんか履いて来たことありませんでした。そっかあ、今は「靴箱」と言うんでしょうか? 

 衣料関係では、私たちの世代で言っていた「チョッキ」は死語になり、「ベスト」と言うのは別に抵抗はないのですが、「ズボン」のことを「パンツ」というのはちょっと恥ずかしいですね(笑)。

 こうなったら、「ナウいアヴェックは、チョベリグーだね」とワザと死語を使いたくなってしまいます。どうだ。若いモンよ、意味が分からんだろう?(笑)

これだけ、日本語がちょこちょこ変わっていくと、若い人はもう古いことわざなんかはピンと来ないことでしょうね。「悪銭身に付かず」と言っても、銭なんていまや見たことない。「風が吹けば桶屋が儲かる」と言われても、桶屋って何? 「瓢箪から駒が出る」といっても、なんじゃそれ?でしょう。瓢箪なんか実物を見たことなんかないんじゃないでしょうか?

 その点、外国語は結構「保守的」であまり変わらないようです。以前、ロシア文学者で翻訳家の亀山郁夫氏(当時は東京外国語大学長)にインタビューしたことがあるのですが、19世紀のドストエフスキー(1821~1881年)の小説のロシア語は、現代ロシア語とそれほど変わっていない、という話を聞いた時は、本当に驚いてしまいました。

 そう言えば、私も学生時代にデカルト(1596~1650年)の「方法序説」(1637年)を頑張って原語(つまり、フランス語)で読んだことがあったのですが、20世紀の外国人が読んでも、あまり違和感なく、現代フランス語と同じように読むことができたことを覚えています。でも、17世紀のフランス語が読めるというのに、恥ずかしながら、17世紀の江戸時代の日本語は、崩し字を含めて、読めないし、意味も直ぐには分かりません。

 日本語の場合、その変遷があまりにも激しいので、出版界でも名作や旧作の新しい翻訳本が必要になってくるのでしょう。良いか悪いかは別にしてですが、そのうち、昭和の日本語を分かる人が少なくなる時代も到来するかもしれませんよ。あと100年? いやあ、もっと早いかもしれませんね(笑)。

築地本願寺

 書き言葉がこれだけ変わるのですから、話し言葉も変わります。小津安二郎の名作「東京物語」(1953年)での登場人物の話し方が、本当に、当時しゃべっていた同じ言葉遣いだったのか、と今では疑いたくなるほどです。

 それでも、戦死した次男の妻紀子役の原節子の言葉の言い回しはゾクゾクします。今どき、「でも、お父さま、お母さまも、ちっともお変わりありませんわ」なんて、言いませんからね。丁寧といいますか、情が籠った配慮のある言葉遣い、といいますか。。。「昔の日本人は素晴らしかったなあ…」なんて思ってしまいます。

昭和の情緒が消えていく東京=銀座も普請中

 この期に及んで、目下、世界に名だたる東京は、あちらこちらで「再開発」中です。

 例えば、東京駅前の八重洲エリア。オフィスビルとして日本一の390メートルの高さを誇る「Torch Tower(トーチタワー)」が2027年度竣工予定で、また、都内3番目となるミッドタウン「東京ミッドタウン八重洲」が出来るようです。

 日比谷公園の東側の内幸町・日比谷エリアでも大規模再開発が予定され、高さ約230メートルのノースタワー、セントラルタワー、サウスタワー、高さ約145メートルの帝国ホテルの新本館の建設などが計画されています。最終的な工事完了は2037年度以降らしいので果たして生きているかなあ?

銀座ソニービル

 私が縄張りにしている銀座もその御多分に漏れません。

 有楽町に近い銀座ソニービルは1966年に建てられたというのに、あっけなくも解体され、2018年から公園になっていましたが、それも壊されて、何やら2024年にGinza Sony Parkなるものが出来るらしいですね。新ビルの詳細は公表されていませんが、条例で許される高さ56メートルの3分の2に満たない34メートルのビル(地上5階、地下4階)になるといいます。

 銀座4丁目交差点の「銀座のシンボル」的ビルでもある「三愛ドリームセンター」も解体工事が始まっています。このリコーの新ビルは、前のビルを継承する形で設計され、2027年竣工を目指しています。となると、同じような円錐形ビルになるかもしれません。

 このビルの最上階にある「RICHO」の広告塔は、かつては「三菱電機」だったことを覚えています。私が子どもだった昭和30年代か40年代頃です。昭和50年代までもそうだったかもしれません。

 この晴海通り沿いを日比谷方面に行った3軒ぐらい先のビルの屋上に地球儀のデッカイ広告塔があり、「森永チョコレート」とあり、夜はネオンサインで輝いていました。これも昭和40年代ぐらいまであったかどうか…。このビルは洋書のイエナなどが入っていた建物だったのでしょうか? 駄目ですね、ちゃんと調べないと(苦笑)。もし、そうなら、現在は、「ジョルジュ・アルマーニ」ビルになっているところでしょうか。

 いや、銀座も含めて、東京は変わり過ぎるのですよ。まだ建物は使えるというのに、どんどん解体して建て替えしています。建物を500年も600年も優に持たせようとする欧州のパリやローマやロンドンやバーゼルなどとは大違いです。

 日本人はせっかちだなあ。

 私の通勤路でもある「みゆき通り」の5丁目、6丁目辺りでも工事中の現場をよく目にします。

 上の工事中は、銀座通りに面した銀座6丁目で、以前のビルの1階にはドコモ・ショップが入居していて、地下にイタリアンのレストランなどがありました。

 また、雑居ビルが建てられるのでしょうが、よくこんな狭い空間で、しかも銀座のど真ん中の繁華街で、新しいビルが建設されものだ、と感心してしまいます。(狭くても地価は、何十億円かは軽くするでしょう)

 この上の写真は、みゆき通り沿いの銀座5丁目で、以前は、1~2階はみずぼ銀行が入居していました。ビルの名称についても、次に建設されるビルについても何も分かりませんけど、また斬新な50メートル近いビルが建つことでしょう。

 みゆき通りの5丁目は、他に2カ所もビル建て替え工事中で、現場の歩道が半分削られて狭くなり、観光客も増えて、歩くのに詰まって不便でしょうがありません。(この不満を書きたくてブログにしたようなもんです=笑)

 銀座では、この他にも、いっぱい、いっぱい再開発が計画されているようです。このままでは、昔の面影がどんどん無くなっていきますよね。

 永井荷風は、関東大震災と米軍の空襲を体験し、東京にはすっかり江戸の情緒が無くなってしまった、と嘆いておりましたが、そんな災害や人災がなくても、昔の東京がどんどん破壊されていっております。戦争がない平和な時代が続いたというのに、昭和の情緒が消えてなくなってしまっているのです。

  私のような古い世代は「こんなんでいいのかなあ」と寂しくなります。

【追記】2023年4月5日

 重大なことを書き忘れていました。先日亡くなった世界的な音楽家坂本龍一氏は、少なくとも3000本の樹木が伐採される神宮外苑の再開発に反対する手紙を先月、闘病中にも関わらず、小池都知事らに送付しました。そしたら、小池都知事は「さまざまな思いをお伝えいただいたが、事業者でもある明治神宮にも送られた方がいいのではないか」と発言したらしいですね。(「日刊ゲンダイ」3月18日付など)

 再開発の許認可権を持つのは、都知事ではなかったでしたっけ?

【追記】2023年4月6日

 銀座だけかと思ったら、そのお隣りの築地でも、あちこちでビルが解体されて、再開発が始まっています。特に、電通の旧本社ビルがあった辺りは、住友不動産が再開発するようです。日本人は50年に一度の頻度でビルを建て替えるつもりなんですかね?またまた、都市の風貌が変貌していきます。

健康とは何か?=「頭」だけでなく「心と体」の声を聴くー軽井沢病院の稲葉俊郎院長

 NHKラジオ「日曜カルチャー」<人間を考える コロナ後を生きる(2)>で軽井沢病院の稲葉俊郎院長による「個と場が共に健康であること」をスマホアプリの「聴き逃しサービス」で聴くことが出来ました。(今なら、ギリギリ聴くことが出来ます)

 あまりにも素晴らしいお話でしたので、忘れないためにも、是非ともこのブログに書き残したいと思い、取り上げさせて頂きます。ただし、お話は1時間以上のかなり長い濃密な話で、全てを取り上げるわけにはいきません。この中で、私自身が一番印象に残った一つに絞ってみたいと思っています。

チューリップ

 稲葉氏は1979年、熊本生まれで、東大医学部の博士号を取得後、東大病院勤務を経て、2020年から軽井沢病院で医師として勤務されている方です。その稲葉氏は、学生時代から、病気そのもの以上に、人間が健康であるというのはどういうことなのか、という難題に悩まされて来たと言います。日本の大学の医学部は西洋の現代医学が中心で、例えば、中国の漢方やインドのアーユルベータなど伝統医学について、稲葉氏が学生時代に教授に聞いても、「それはエビデンスがないから」という理由で深く教えられなかったといいます。

 そんな悩みを抱えながら医師生活を続けてきた稲葉氏は15年目にしてやっと、「健康とは何か」についての自分なりの考えがまとまり、それらは著書「体と心の健康学」(NHK出版)として出版しました。

 そんな中で、人間には「頭」と「心と体」のいわば対立する二つで構成されていることに気が付きます。稲葉氏によると、「頭」とは脳のことで身体の中で異物に近い存在で、色んな情報を集めて判断しますが、勘違いや偏見、思い込みをしがちだといいます。例えば、テレビや雑誌などで有名な先生が言っているからその通りにする、といった具合です。また、「頭」は因果論的で、善悪とか好き嫌いといった二元論で考えがちだといいます。病気だったら、例えばガン細胞が原因ならそれを切除したりしますが、短期的には有効ですが、長期的な健康にはなりません。

 一方の「心と体」は、目的論的で、欲求に従って、好きなことをしたり、行きたい所に行ったりしようとします。今ここにある感情で、レストランで食事をして「美味しい」と感じたりします。それなのに、「頭」は別のことを考えたりして、あっちのレストランの方が美味しかったかもしれない、とか、明日はどこへ行こうか、とか余計なことまで考えます。

 「頭」は、「何かをしなければならない」といった命令形の形で出てきます。「食べなければいけない」とか「嫌な人でも仲良くしなければならない」といったいわば偽装された浅い感情に支配されます。一方の「心と体」はオリジナルの深い感情で、何とかしたいという感情はあるものの命令形では出て来ないといいます。「頭」が偽の感情や嘘の感情は発すれば、「心と体」には嘘の概念がないので、拒絶して、だから苦しむことになるといいます。

 「頭」と「心と体」の関係には、いっぱい頭に知識を溜め込んでも、現実世界に応用したらうまくいかなかったりする事例や、ゴルフ理論が分かっても、実際、スウィングしたら、身体がついていっていない、といった事例がありますね。

 稲葉氏は、この「頭」は現代の西洋医学に相当し、病気の解明に大変役立ちますが、「心と体」は、アーユルベータなどの伝統医学で、健康になるには、何をしてどうしたら良いのかを考える。この両者は、対立するのではなく、両立させるべきだと考えたというのです。

 ですから、稲葉先生の診断は独特です。例えば、糖尿病の患者が、「先生、私は何を食べたら良いのですか」と稲葉氏に聞いたとします。すると、稲葉先生は「私は決めません」と言うのです。「私は手助けはしますが、貴方の身体の問題であるので、人生とか食べ物に関しては、最終的には貴方自身で決めてもらいます」と言うのです。つまり、主導権は医師ではなく、患者側にあり、心と体の状態をベースにして、自分自身で決めてもらうというスタンスなのです。今までそんな医師に巡り会ったことがなかったので、へーと驚いてしまいました。

銀座

 稲葉氏は、結局、健康とは、自力と他力(病院や医師)とのバランスを考え、身体感覚を取り戻すことだというのです。

 確かに、人生で一番大切な「健康」について、人は、他人や医師に任せっきりで、自己努力が足りない面が多々ありました。稲葉氏のお話は大変興味深く、私も深く考えさせられました。

【追記】

 このブログに書いたことは、稲葉先生のお話のほんの一部ですから、皆様も「聴き逃しサービス」でお聴きになることをお勧めします。

「高齢者は集団自決を」発言に一言、苦言を呈したい

3月29日付朝日新聞朝刊の「声」(読者投稿)欄で、東京にお住まいの91歳の女性が「老いた庶民の苦労 忘れないで」と題して投稿されておりました。それによると、ある若い経済学者が「高齢者は老害化する前に集団自決みたいなことをすればいい」と(ユーチューブなどで)発言したというのです。この「高齢者は集団自決を」といった問題発言は、同日同紙の鴻巣友希子氏による「文芸時評」の中でも取り上げられていました。

 私は、この問題発言のことを不覚にもこの記事で初めて知ったのですが、やはり、その「若い経済学者」とは誰なのか、気になりました。調べてみたら、東大を優秀な成績で卒業し、現在、米国の大学の助教授を務め、テレビのバラエティー番組などにも引っ張りだこの有名人だということが分かりました。

Higashi-Kurume

 彼は38歳ということなので、両親は60代後半か?そして、祖父母さんも御健在なら80代後半か90代ぐらいでしょうか。そんな自分の肉親に対しても、彼は「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と言い放つことが出来るのかなあ?と真っ先に思ってしまいました。

 ただ、彼の発言の背景や趣旨については、よく分かっていません。純粋に、新自由経済主義的な経済効率原理で述べていたのかもしれませんし、確信的で学問的信念での発言だったのかもしれません。

MInouma

 しかし、私自身は「いかがなものか」と叱ってやりたくなります。ただ、「そういうお前は、今さら何を言っているんだ」と言われそうですね。何しろ、彼の一連の発言ついては、既に米紙「ニューヨーク・タイムズ」(2月12日付)が「このうえないほど過激」と報じ、ネットでも大きな話題になっていたからです。もう、今から1カ月以上も前じゃありませんか。今さら、何を言う!と言われても仕方ありませんね(苦笑)。

 はい、情報伝達に1か月も掛かるなんて、私は江戸時代か鎌倉時代に生きているもので、と開き直るしかありません。日本の新聞は読みますけど、ネットニュースはあまり見ませんからね。

 彼の発言について、既に多くの識者の方々もコメントされておりますから、私のような浅学菲才の出る幕はありませんが、それでも、一言、言いたくなります。

 若い経済学者さんは、国立の東京大学を出たということは、今や高齢者になった人々が払った血税で豊かな教育を受けさせてもらったということになりませんかねえ? それに、若いと言っても、あっという間に自分自身も高齢者になりますよ。その時、自分の子どもか孫のような世代から、いや、自分の子どもや孫から直接「頼むから早く死んでくれ」と言われたら、どういう気持ちになるか、想像できませんかねえ?

MInouma

 彼には、ボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリングストーン」を聴いてもらいたいものです。

 ディランは、How dose it feel? Like a complete unknown? と繰り返し唄っています。貴方は、今は有名人ということで注目されていますけど、落ちぶれて、無名になって、誰も気にも留めてくれなくなったら、どういう気持ちになりますかねえ?

老若男女、身分の差別なく覚りを啓くことが出来る思想

 現在再放送中のNHK「100分de名著」の「日蓮の手紙」の著者植木雅俊氏は「そもそも『浄土』という言葉は、『阿弥陀経』のサンスクリット原典にも鳩摩羅什(による漢)訳にも出てきません。もともとは『仏国土を浄化する」(浄仏国土)という意味なのです。」と自信たっぷりに書かれていたので、自分の不勉強を恥じるとともに、驚いてしまいました。

 植木雅俊氏は、「法華経」と「維摩経」をサンスクリット語と漢訳語を参照して平易な現代日本語に翻訳された仏教思想研究家だけあって、学識の深さには恐れ入ります。

 となると、南無阿弥陀仏を唱えて、西方の「極楽浄土」を望む浄土宗や浄土真宗などは、どうなるのかと思ってしまいます。「選択本願念仏集」を著した浄土宗の開祖法然は、これまで天皇と貴族のための鎮護国家の宗教だった仏教を、老若男女を問わず、一般庶民にまで信仰を広げた革命的功績は日本史に屹立と輝く偉人だと私自身考えていますが、「選択本願念仏集」と著書名がまさに表しているように、法然は「西方浄土」を「選択」したわけです。

 そうなると、釈迦の教えの中には、東方にも「浄瑠璃浄土」があり、そこには薬師如来がいらしゃいます。浄土宗や浄土真宗といった念仏宗は、西方の阿弥陀如来だけ選択して、東方の薬師如来は重視しないのかなあ、といった素朴な疑問が浮かんできます。

 念仏宗を「無間地獄」と糾弾した日蓮は、法華経を「選択」します。選択というより、他宗派を激烈に批判ししため、多くの「敵」をつくて、日蓮自身も何度も法難に遭うわけです。

 植木雅俊氏によると、日蓮は、浄土と言えば、極楽浄土のような死後の別世界ではなく、我々が今生きている娑婆世界で体現できる世界を「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」と呼んだといいます。これは、「現在」の瞬間に過去も未来もはらんだ永遠の世界を意味しています。

 植木氏は言います。時間は、今(現在)しか存在しません。過去といっても、過去についての「現在」の記憶であり、結局「現在」です。未来といっても、未来についての「現在」における期待や予想でしかありません。それなのに、多くの人は「今(現在)」の重みに気付かずに、過去や未来にとらわれてしまいがちです。過去につらく、忌まわしい経験をしてそれを忘れられない人は、過去に引きずられて今を生きていることになります。あるいは、今をいい加減に生きて、未来に夢想を追い求めて生きている人もいます。いずれも妄想に生きていることに変わりありません。

 植木氏は、現在の生き方次第で、過去の「事実」は変えられなくても「意味」は変えられる。未来も現在の生き方次第だ、とまで言い切るのです。

銀座「吉澤」 韓国大統領と日本の首相が会食された所です

 これこそが、「現世利益」なのかもしれません。利益(りやく)とは、金銭的なものではなく、精神的な幸福を意味すると思います。往生してあの世の幸福を願うのではなく、現実世界に浄土世界を実現して幸福になる、という意味ではないでしょうか。

 法華経の思想について、もっと詳しく知りたくなり、目下、植木雅俊氏が、サンスクリット語と漢語から現代日本語に翻訳した「法華経」(角川文庫)を読み始めたところです。サンスクリット語の原典から翻訳したところに意義があります。かつて先人たちが日本語に翻訳したものの中には、漢語からの翻訳が多く、サンスクリット語から漢語に訳された際の間違いをそのまま踏襲して日本語訳した箇所もあり、そんな誤訳も厳しく指摘しておられました。同書の「はじめに」を読んだだけでも、かなり戦闘的です(笑)。でも、解説もあり、かなり、平易に訳されているので、私でも読めます。

 法華経とは、サンスクリット語で、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言いますが、植木雅俊氏は、「白蓮華のように最も勝れた正しい教えの経」と翻訳されています。法華経は、釈迦が入滅後500年ほど経過した紀元1世紀末から3世紀初頭に編纂されたといいます。当時は、厳しい修行を経たほんの一部の菩薩しか悟りを啓くことができないとされ、釈迦も神格化された権威主義の小乗仏教が隆盛でした。が、そんな風潮に異議を唱える意味で、「原始仏教に帰れ」と大乗仏教が生まれ、法華経が編纂されたといいます。小乗仏教では女性は成仏できなかったのに、法華経では、老若男女、身分の差もなく平等に誰でも覚りを開く道があることを説いています。

 私も目下、必要に迫られて、法華経を読んでいるので、心に染み入ります。

恐竜史上最大のプエルタサウルスも最強のマイプも史上最古のエオラプトルも知らずに生きて来た私

 昨年、小生がジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)にハマってからは、古人類学、文化人類学、地球46億年史、それに進化論にまで興味の範囲が広がってしまったことは、拙ブログの御愛読者でしたら御案内の通りです。

 21世紀になって次々と古代人類の化石が新発見されて、それに伴い人類史も次々と塗り替えられてきました。ですから、わずか20万年程度しか歴史のない現生人類(ホモ・サピエンス)のことばかり気を取られていましたが、当然のことながら、21世紀になって恐竜の化石も次々と新発見されるようになって、恐竜史まで次々と塗り替えられているというのです。

 霊長類の人類が、チンパンジーから分岐したのは、わずか、たったの700万年前のことですが、恐竜は、1億6000万年もの間、繁栄したのです。そりゃあ、桁違いです。

 先日、NHKで放送された「恐竜超世界2 前編  巨大恐竜の王国 ゴンドワナ大陸」をたまたま見たのですが、そして、番組はお子様向けに編集・制作されてはいましたが、私自身、全く何も知らなかったことばかりで、本当に魂げてしまいました。

 何しろ、私の恐竜の知識は、「世界最強」のティラノサウルス程度ですからね。脳に苔がむしているようなもんです(笑)。

 番組では、ゴンドワナ大陸に棲息していた恐竜に絞って紹介されていました。ゴンドワナ大陸とは、このブログの「地球46億年」でも取り上げたことがありますが、地球は3億年前まで大陸ほとんど全部くっついていて、超大陸パンゲアと呼ばれ、それが1億5000年前頃に南北の二つに分かれて、南部の大陸がゴンドワナと呼ばれていました。7000万年前になると、このゴンドワナ大陸は、南米とアフリカとインドとオーストラリア、南極の各大陸に分岐するわけです。これまで恐竜研究は、ティラノサウルスが制した北米などが中心で、南米は進んでおりませんでしたが、21世紀になって新発見が相次いだのです。

 この中に、2001年に発見された竜脚類のプエルタサウルス(1億4500万~6600万年前)がいます。恐竜史上最大と言われ、全長35メートル。高さは6階建てビルに相当します。こんなにデカイのに、草食です。肉食恐竜に負けないように体格を増大させたらしいのですが、1日100キロもの植物を食べるというのです。ですから、食物を求めて移動しなければなりません。

 このプエルタサウルスを狙うのが肉食恐竜マイプ(メガラプトル類)です。全長わずか(笑)9メートル。捕食者の頂点とも言われます。ライオンなんかより遥かに強い百獣の王です。初めて聞く名前なので調べてみたら、何と2019年にパタゴニア地方(現アルゼンチン)で化石が見つかったというではありませんか。何だ、つい最近です。

新富町「煉瓦亭」Bランチ1150円

 同じアルゼンチンのサンフアン州では、「世界最古の恐竜」とも言われる化石が見つかり、1993年にエオラプトルと命名されました。全長わずか1メートルで、恐竜の部類に認めない学者もいるそうですが、中世代後期三畳紀ということで約2億3000年前です。

 6600万年前の隕石の衝突による気候変動で恐竜は絶滅したと言われますから、最古の2億3000万年ー6600万年=1億6400万年 となります。恐竜は1億6400万年間繁栄したという計算式が成り立ちます。

 この隕石衝突による「恐竜絶滅」説ですが、最近は、全滅ではなく、一部の恐竜はその後、数十万年は生き延びたという説が有力になってきました。北半球はほぼ絶滅しましたが、南半球のゴンドワナ大陸の南端、つまり、今の南極は森林火災などから免れ、新世代の地層からもシダ類の化石が見つかったことから、恐竜が食べる植物があったことの証明になりました。

 恐竜の世界は、人類より遥かに奥が深いのです。

※ 恐竜の【写真】がなくてすみません。ご興味のある方は、是非、図鑑等でご参照ください。

強い心を持ち、正しい道を歩む=日蓮の実像に迫るー「偉人・素顔の履歴書」と「100分de名著 日蓮の手紙」

 渓流斎ブログの3月20日付で「NHK『英雄たちの選択』に違和感=意図的な隠蔽を感じます」を書いて批判しましたが、今のところ、関係者からの抗議はありません(苦笑)。「あの番組は、細川幽斎の『古今伝授』という有職故実に通じた文人としての戦国武将を描くことが趣旨なので、明智光秀も細川ガラシャには敢えて触れませんでした」との回答が寄せられそうですが、テレビにせよ、出版にせよ、そしてネット情報にせよ、作品意図を貫徹するために故意に不都合な部分は切り取ってしまう「編集」には警戒するべきだ、という思いを強くしました。

 私は、この他のテレビの歴史番組として、BS11「偉人・素顔の履歴書」もよく観ますが、どちらかと言えば、こちらの方が、地方の名士ら色んな人に語らせて、比較的「客観的に」史実を追っている感じがします。御意見番で番組進行役でもある作家の加来耕三氏のキャラにもよるのでしょう。番組では、歴史上の人物が、かつて言われていた定説になっていた人物像とは全く違う意外な面を多角的に引き出しています。

 人なんて複層的ですから、見方を変えれば全く違った人物に見えたりします。下剋上の典型の「天下の極悪人」と言われた松永弾正久秀なんかもそうで、奈良の大仏を焼き討ちした張本人ではなく、教養のある茶人という一面をあったといいます。

 「偉人・素顔の履歴書」では、「兄・武田信玄を支え続けた名補佐役・武田信繁」や「信玄に二度も勝利した北信の雄・村上義清」ら私自身よく知らなかった人物も取り上げてくれたりして、勉強になりましたが、3月11日に放送された「闘う仏教者・日蓮」も、私の知らなかった日蓮の意外な面に触れることが出来て心に残りました。

 日蓮と言えば、「四箇格言(しかかくげん)」〈念仏無間(ねんぶつむけん)禅天魔(ぜんてんま)真言亡国(しんごんぼうこく)律国賊(りつこくぞく)〉に代表されるように、他宗派を激烈に批判し、何度も法難(迫害)にあっても挫けない不屈の僧というイメージが強かったのですが、この番組では、案外涙もろく、弟子たちを労わる慈悲深い面も多く紹介されていました。

 特に印象的だったことは、植木雅俊さんという仏教思想家が出演し、日蓮の意外な一面を明かしていたことでした。

 「日蓮は、飢饉の際、鎌倉の市場で鹿肉や魚などに人肉を混ぜて売っていた、と書くなどジャーナリスト的だった」

 「日蓮は、自己を拠り所として、他人を拠り所としない。法という真理を拠り所として、他の物を拠り所としない、と説いた」

 「神や迷信にすがるのではなく、一人一人が強い心を持ち、正しい道を歩めば、この世を浄土に変えることができる。来世ではなく、現世の幸福を願う法華経こそが最も尊い教えだ」

ーといった日蓮の言葉を紹介してくれたので、日蓮に対する偏見が吹き飛び、大変、大変勇気づけられました。それと同時に、紹介してくれた植木雅俊さんのことも調べたら、目下、NHKのEテレ「100分de名著 日蓮の手紙」(再放送)にも出演されているというので、テキストも買って番組も見ることにしました。

 残念ながら第1回は放送終了してしまいましたが、第2回からは間に合いました。「厳しい現実を生き抜く」というテーマで、日蓮が弟子である富木常忍、四条金吾らに宛てた手紙が紹介されておりました。この中で、直情径行型の四条金吾に対しては、冷静になるよう諄々と説き、「法華経に凝り固まるな」とまで助言している様には驚きました。日蓮こそ法華経に凝り固まった人であるはずなのに、意外にも本人は冷静で、かなり自身を客観視することが出来る人だと分かり、感服した次第です。法華経信奉者ならまず言えない言葉です。

 やはり、後世につくられた人物像より、手紙などに表れた人物像の方が確かに本物により近いのではないでしょうか。

NHK「英雄たちの選択」に違和感=意図的な隠蔽を感じます

 テレビは歴史番組を結構見ています。私自身、全く知らなかったことや新しい解釈を知ることが出来たりして、かなり勉強になるからです。

 ただし、時には、番組が、歴史的解釈の面で意図的に「偏向」することがあり、これは警戒しなければいけないなあ、と思うことがあります。

例えば、NHKの「英雄たちの選択」という人気番組があります。進行役は、磯田道史さんという今や、テレビ、新聞、雑誌でお見かけしないことはないほど超売れっ子の歴史学者さんです。物事を自信満々に断定的に仰り、しかも、かつての小泉純一郎首相のようにワンフレーズで明快に発言されるので痛快感もあり、多くの人に多大な影響力を与えるインフルエンサーであることは間違いありません。立派な学者さんなのに、自著の映画化作品などにわざわざ脇役で出演されりして、露出が超過剰なところは気になりますが。

 先日(3月15日)は、細川幽斎を取り上げておりました。ネット上の番組紹介欄にはこんな風に書かれています。

 細川幽斎は、戦国武将であるとともに、和歌の達人であった。平安以来受け継がれてきた「古今和歌集」解釈の秘伝を武士の身でありながら継承していた。いわゆる「古今伝授」である。秀吉の時代、茶道の千利休とともに、歌道の幽斎として、秀吉の天下取り戦略のため大活躍する。そして、関ケ原の戦いの直前、幽斎・生涯最大の選択に迫られた。戦国時代に、和歌というソフトパワーで生き抜いた幽斎の人生にスポットを当てる。

 この「幽斎・生涯最大の選択」というのが、その時、籠っていた田辺城を開城するか、それとも籠城して戦うか、というものでした。

 私は、「幽斎・生涯最大の選択」とは、そうじゃないだろうと思ったわけです。田辺城じゃない、だろうと。やはり、本能寺の変の後、盟友・明智光秀からさんざん、一緒に挙兵して戦いに参加してもらうよう催促の手紙を何度ももらいながら、結局、裏切って、豊臣秀吉側についたことが、「幽斎・生涯最大の選択」ではないかと思うのです。

浦和博物館(旧埼玉師範学校校舎)

 何と言っても、細川幽斎と明智光秀は盟友以上に義兄弟のような濃密な関係で、幽斎の嫡男忠興と光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が結婚しております。つまり、幽斎は、どう転ぶか分からないのに、親戚より、勢いがありそうな秀吉を選んだのです。

 田辺城籠城の時点で、既に、後陽成天皇に裏工作して、「こいつを殺しては、古今伝授が永久に失われる危機がある」ことを王朝の公家社会に吹聴したフシがあるので、選択に迷うわけがありません。幽斎は、最初から生き延びるつもりだったのです。

 番組では不思議なことに、「本能寺の変」は出て来ても、細川忠興と細川ガラシャとの結婚の話を意図的に隠蔽して、国宝の刀剣まで持ち出して、細川幽斎が如何にも立派な文武両道の英雄武将であることを仕立てていました。磯田先生なら知らないわけがないので、一言も触れないのはおかしいなあ、と違和感を覚えたわけです。

 勿論、それらは歴史の解釈ですから、明智光秀は主君信長を下剋上で暗殺した極悪非道人で、そんな悪人に細川幽斎が加勢するわけがない、という見方でも結構だと思っています。幽斎は多分、光秀軍に参加する武将がほとんどいなく、秀吉軍に勝てないことを事前に情報としてつかんでいたのでしょう。

 もともと幽斎は、室町幕府の申次衆・三淵晴員(みつぶち・はるかず)の次男として生まれ、細川家の養子になった人物でした。応仁の乱などで疲弊し、没落寸前に陥っていた管領細川家の再興を事実上任されたのです。ということは、何と言っても、「お家」が大事です。明智光秀より、豊臣秀吉。秀吉が亡くなれば、石田三成より徳川家康、とその時の状況と最新情報を忍びを使って収集して、最善策を「選択」していった、とても頭が切れる戦国武将だったのでしょう。

 幽斎がいなければ、細川家も、土岐氏や畠山氏や今川氏のような運命になっていたのかもしれません。幽斎は、肥後藩52万石の礎を築いた細川家の中興の祖に間違いありません。

 生前の細川幽斎に、もしインタビュー出来たとしたら、恐らく、彼は最大の選択は、明智光秀との関係を挙げるに違いありません。

 その辺り、番組では意図的に「隠蔽」されていたので、「テレビ番組は100%信用してはいけないなあ」と思った次第です。メディアは何でも、編集者やディレクターや作家や学者らの意図をもって作られているからです。

 「英雄たちの選択」は、以前にも歴史的事実を意図的に隠蔽しているような違和感を覚えたことがあるので、今回、はっきりとこうして文章にしてみました。

 個人の感想ですが、今後は磯田先生の明解で明快な発言についても、少し、警戒しながらフォローしていきたいと思っております。歴史は、学者さんのものでもないし、英雄のためのものでもないからです。