亡くなった親友が雲になって現れた話

 さあ、楽しい、愉しいゴールデンウイーク(GW)がやって来ました。

 GWという名称は、この長い連休期間中に劇場に足を運んでもらいたいという映画業界の人が考え付いたらしいのですが、今年のGWはどうも個人的には映画を観に行く気がしません。3月に観た今年の第95回米アカデミー賞で主要部門の作品賞を含む7部門も受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が個人的見解では、あまりにも酷過ぎて、生涯で初めて途中退席した話をこのブログに書きましたけど、すっかりトラウマになってしまったからです。

印西牧の原の高級マンション

 「アカデミー賞作品賞受賞」といった肩書やら宣伝文句だけで、観てはいけませんね。アメリカ映画は、もうあまり観たくなくなりました。

 今年のGWは行くとしたら、都内の博物館とか美術館を計画しています。本当はまたお城巡りもしたいのですが、事情があってあまり遠出が出来ないので控えています。近場でしたら、何処かに行くかもしれませんが。

印西牧の原の高級住宅街

 本日は、2年前に急逝した親友神林康君のお墓参りに行って参りました。早いもので、今年で三回忌です。菩提寺の大生寺は千葉県の印西市にあり、最寄り駅は北総線の印西牧の原です。初めて行った時は、道に迷って、駅から50分ぐらい掛かりましたが、今回は迷わず、20分で到着できました。

 大生寺は真言宗豊山派(奈良・長谷寺が総本山、東京・護国寺が大本山)ということなので、墓前では、「南無大師遍照金剛」「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」「オン バザラ ダト バン」と唱えました。先日、自分の誕生干支の守護仏が大日如来だということが分かり、運慶作の国宝「大日如来坐像」(奈良・円成寺)のモデル仏像を入手しましたが、密教も勉強し始め、少し詳しくなりました(笑)。「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」も「オン バザラ ダト バン」も大日如来の意味で、お呼びかけする時の呪文のようなものです。勿論、彼の冥福をお祈りしました。

 帰り、駅に戻る際、バンド仲間だった神林君との昔の思い出を思い出しながら歩いて、ふと空を見上げると、雲の形が彼の顔そっくりになり、「今日はわざわざ遠い所から来てくれて有難う」と言うではありませんか(拙宅から墓苑まで、バスと電車と徒歩で、往復5時間近く掛かります)。その雲は目と鼻と口だけではなく、あれよという間に耳までくっきり出来たので吃驚しました。風のせいで、すぐに消えてしまい、写真は撮れませんでしたが、本当の話です。(表紙の写真は雲が消え去った後の青空の写真ですが)

 サウロ(パウロ)がダマスカスへ向かう途中、イエスの復活を見た話とはレベルが違いますが、宇宙論を齧ると、どうも肉体は滅びても、霊魂は宇宙の果ての何処かに存在していると信じたくなります。

印西牧の原「板前バル」海鮮丼1000円、一番搾り生ビール580円

 駅に着いて、昼時だったので、また、駅前の「BIG HOP」内にある「板前バル」でランチしました。「BIG HOP」は大型ショッピングセンターなのですが、閑散としていて、結構、閉まっている店が多く、空いているお店はここぐらいしかないんですよね。

 印西牧の原駅から東京の都心まで1時間ちょっとしか掛からないので、「通勤圏」ではありますが、鉄道の北総線の運賃が結構高く、首都圏で一番高く定期代がかかると聞いたことがあります。

 それでも、ニュータウンということで、立派なマンションだけでなく、かなり敷地の広い高級住宅街もありました。人通りも少ないので、「日本って、結構広いんだなあ」と思ってしまいました。何しろ、2070年には日本の人口が8700万人なる(厚労省推計)と言いますからね。この先、我らが日本はどうなってしまうのか? 私としては楽しみなので、どうなるのか、色々と見届けたいという希望を持っています。

情報デトックスと宇宙論

 スマホが普及してから、「情報デトックス」なる新語が生まれました。FacebookやInstagramやTwitterなどSNSを数分置きにチェックしなければならないほど依存中毒になった御同輩に対して、「少し休んでみましょう」といった軽い提案から始まりました。デトックスとは「毒抜き」といった意味で使われます。酷い症状の人には、アプリを削除するか、スマホ画面をカラーから白黒にして興味をなくさせる方向に持って行ったりする「対処療法」を勧めたりしてます。

 私はスッパリではありませんが、中毒になったSNS(のチェック)はやめました。Twitterは、電車が事故で遅れた時に、迷惑を受けた乗客が一斉に情報発信してくれて、鉄道会社の「公式見解」より早いのでアプリまで削除してませんが、まず敢えて見たりしません。

 やっているのはこのブログだけですが、もしかして、世間の皆様には一番ご迷惑をお掛けしているかもしれませんね(笑)。「毎日欠かさず《渓流斎日乗》を読まずにはいられない」という人が世界にもし一人でもいらっしゃれば、主宰者としては大変嬉しゅう御座いますが、自分で言うのも何なんですが、このブログは、デトックスの対象になるサイトなのかもしれません。つまり、ネットやテレビなんかに溢れている「いらない、必要もない情報」であり、生死に関わるような緊急の要件が書かれているわけでもないからです。

 そのため、少しは遠慮して書く頻度を緩くしようかと思ったのですが、このブログの主宰者は職業病に罹っているため、即刻、断筆するまでには至っておりません。ということで、読者の皆様方には「情報デトックス」の対象にならないよう、程々のお付き合いをお願い申し上げる次第で御座います。 

東銀座「うち山」

 本日書きたかったのは、やはり、宇宙論です。先日の続きで、一生忘れないように、頭の海馬にしっかり納めておきたい数字を列挙しておきます。<参照文献は、高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」(PHP研究所)と渡辺潤一著「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」(日本文芸社)>

 ・上空400キロ⇒国際宇宙ステーション

 ・上空4万キロ⇒静止衛星の周回軌道

 ・上空38万キロ⇒月までの距離

 ・上空1.5億キロ⇒太陽までの距離

 ・1光年⇒9兆4600億キロ

 ・10万光年⇒天の川銀河の直径(天の川銀河は、約2000億個の恒星などで出来ており、太陽系は、その中心から2万8000光年の距離にある) ※全宇宙には、他にアンドロメダ銀河など1000億個以上の銀河がある!

 ・太陽系は秒速約240キロのスピードで天の川銀河の中を移動し、2億5000万年かけて1周する。

 ・1000万年光年⇒銀河団(100個から1000個の銀河の群れ)

 ・1億光年以上⇒超銀河団(銀河群や銀河団の集団。天の川銀河は、おとめ座超銀河団の一員で毎秒300キロの速さで動いている)

 ・宇宙は「無」から生まれ、1点が膨張(インフレーション)し、138億年前にビッグバンが起きて出来た。

 ・現在の宇宙論の基礎になっているのがアインシュタインの相対性理論。ここから、相転移による多重発生によって、無限に宇宙が生まれるというマルチバース(多重宇宙)理論も生まれた。

  以上ですが、マルチバース理論によると、母宇宙は子宇宙を生み、子宇宙から孫宇宙が生まれ…宇宙は膨張していきます。ということは、未解明の異次元空間の存在があるということで、もしかしたら、人類以外の知的生物も広い宇宙の中にいるかもしれません。

 ただし、25億年後は、地球の気温が100度以上に達し、地球上の全生物が絶滅すると考えられています。それまでに、UFOや宇宙人が見つかるのが先か? 地球が壊れる前に人類が地球以外に棲める星を探し出すことが出来るのかが先か?ー少なくとも、もう、地球上で戦争をしたり、環境破壊をしたりしている暇はないのは確かです。

 そんな暇があったら、私自身も含めて、アインシュタインの相対性理論の入門書ぐらい読むべきだと思いました。人類にとって、絶対に「いらない、必要もない情報」ではないからです。

ジェームス・ディーン似のジーンズと仏友会と北原安奈さんが議員当選したお話

 本日は二日酔いでしたので、例のLee 101zのジーンズを履いて会社に出勤しました。別に深い意味はありませんが…。「例のLee 101zのジーンズ」というのは、4月20日付の渓流斎ブログに書きましたが、「有言実行」で、ジェームス・ディーンが愛用したモデルジーンズを買っちゃったわけです(笑)。結構高かった。

 二日酔いになったのは、ちょっとワインを飲み過ぎてしまったからです。昨日は、東京・大手町のサンケイプラザで開催された大学の同窓会「仏友会」に参加し、講演後の懇親会で美味しいワインを頂いたら、すっかり調子に乗ってしまい、帰宅してから家にあったワインまで開けて呑んでしまったのでした。そりゃあ、二日酔いになります。

 仏友会の同窓会は、ちょうど1年前に不肖、この私が講師として、「仕方なく始まった僕のジャーナリスト生活」の題で講演させて頂きました。あれからもう1年経ってしまったとは!

東京・大手町サンケイプラザ

 今回の講師は、川口裕司東京外国語大学名誉教授で演題は「外語での27年間」でした。川口氏は言語学者で、「中世フランス語における方言研究の現状」などの著作や、「フランス中間言語音韻論における母音研究」「第2言語としてのフランス語教育における話し言葉のフランス語研究」などの論文がありますが、あまりにも専門的過ぎて、内容はよく分かりません(笑)。ただ、驚いたことには、川口氏は1981年に東外大フランス語科を卒業しながら、最初の留学先がトルコのイスタンブール大学でトルコ語をマスターしてしまうのです。その後、パリ大学などにも留学しますが、その後に台湾の淡江大学などとも接点が出来て、学究生活は日本とフランスだけでなく、トルコと台湾まで行き来して講義されたりしていたのです。川口氏の研究は「日本語とフランス語の否定辞比較研究」など非常にマニアックなので、「希少価値」として世界中から引っ張りだこだったのでしょう。

 懇親会では、主に、世界的な金融業界で大変な苦労をされた鈴木さんの体験談を聞きました。涙なしには聞けない話でした。

東京駅

 ワインを呑み過ぎたのは、もう一つ要因がありまして、帰宅後、朗報に接したからでした。4月21日付の渓流斎ブログに書きましたが、旧友Kさんの御令嬢Aさんが福島県の裏磐梯にある北塩原村議会議員選挙に出馬し、昨日が投開票日だったのですが、最年少の新人候補ながら、見事、当選したというのです。私以上に「有言実行」の人です。

 当選したので、もうイニシャルはいいでしょう。北原安奈さんです。

 今朝、やっと選挙結果が公表された北塩原村のホームページによると、投票率が何と85.34%。議員定員数10人のところ、16人が立候補しましたが、彼女はギリギリ10番目で当選したのです。まだ実績のない、知名度も低い新人候補ですから、当然ながら、大苦戦でしたが、天の神さまも見てくれていたんですね。奇跡の風を吹かせてくれました。

 でも、当選してから、これからが本番です。村では過疎化や産業発展など色々と問題が山積していると思われますが、是非とも、2697人の村民のためになるよう尽力してほしいものです。

上野・東博の特別展「東福寺」と小津監督贔屓の「蓬莱屋」=村議会議員選挙も宜しく御願い申し上げます

 旧い友人のKさんの御令嬢Aさんが今回、福島県の裏磐梯にある北塩原村議会議員選挙に出馬されたことが分かり、吃驚してしまいました。投開票は4月23日(日)です。

 Aさんにとって、北塩原村は、幼少時から小学生まで育ち、その後、同じ福島県の会津若松市に引っ越しましたが、第二の故郷のようなものです。長じてから、北塩原村にある観光温泉ホテルで働いておりましたが、選挙に出るともなると、両立することは会社で禁じられ、仕方がないので、退職して「背水の陣」で今回の選挙活動に臨んでいます。

 2年ほど前、私もその観光ホテルに泊まって、Aさんに会った時、将来大きな夢がある話も聞いておりました。ですから、別に驚くこともないのですが、こんなに早く、実行に移すなんて、まさに「有言実行」の人だなあ、と感心してしまいました。

 政治というと、どうも私なんか、魑魅魍魎が住む伏魔殿の感じがして敬遠してしまいますが、Aさんの場合は全くその正反対で、彼女は、裏表がない真っ直ぐなクリーンな人なので、安心して公職を任せられます。とても社交的な性格なので、友人知人が多く、周囲で支えてくれる人も沢山いるように見えました。最年少の新人候補なので苦戦が予想されますが、是非とも夢を着実に実現してほしいものです。Aさんは、SNSで情報発信してますので、御興味のある方は是非ご覧ください。

上野・東博「東福寺」展

 さて、昨日は所用があったので会社を休み、午前中は時間があったので、上野の東京国立博物館で開催中の特別展「東福寺」を見に行きました(2100円)。当初は、予定に入れていなかったのですが、テレビの「新・美の巨人たち」で、室町時代の絵仏師で東福寺の専属画家として活躍した吉山明兆(きつさん・みんちょう)の傑作「五百羅漢図」(重要文化財、1383~86年)が14年ぶりに修復を終えて公開されると知ったので、「これは是非とも」と勇んで足を運んだわけです。平日なのに結構混んでいました。

上野・東博「東福寺」展

 「五百羅漢図」は明兆が50幅本として製作しましたが、日本に現存するのは東福寺に45幅、根津美術館に2幅のみです。それが、近年、第47号の1幅がロシアのエルミタージュ美術館で見つかったそうです。この絵は、ある羅漢が天空の龍に向かってビーム光線のようなものを当てているのが印象的です。明兆の下絵図(会場で展示)が残っていたお陰で、江戸時代になって狩野孝信が復元し、この作品も現在、重要文化財になって会場で展示されています。何で、この本物がエルミタージュ美術館にあるのかと言いますと、どういう経緯か分かりませんが、もともとベルリンの博物館に収蔵されていたものをドイツ敗戦のどさくさで、ソ連軍が接取したといいます。接取と言えば綺麗ですが、実体は戦利品として分捕ったということでしょう。ウクライナに侵略した今のロシアを見てもやりかねない民族です。

上野・東博「東福寺」展 釈迦如来坐像

 この東福寺展で、私が一番感動したものは、東福寺三門に安置されていた高さ3メートルを超える「二天王立像」(鎌倉時代、重要文化財)でした。作者不詳ながら、慶派かその影響を受けた仏師によるもので、異様な迫力がありました。撮影禁止だったので、このブログには載せられず、撮影オッケーの釈迦如来像を掲載してしまいましたが、「二天王立像」は、運慶を思わせる写実的な荒々しさが如実に表現され、畏敬の念を起こさせます。

 東福寺は、嘉禎2年 (1236年)から建長7年(1255年)にかけて19年を費やして完成した臨済宗の禅寺です。開祖は「聖一(しょういち)国師」円爾弁円(えんに・べんえん)です。34歳で中国・南宋に留学し、無準師範に師事して帰朝し、関白、左大臣を歴任した九条道家の「東大寺と興福寺に匹敵する寺院を」という命で東福寺を創建します。鎌倉幕府の執権北条時頼の時代です。特別展では、円爾、無準、道家らの肖像画や遺偈、古文書等を多く展示していました。

現在の上野公園は、全部、寛永寺の境内だった!

 ミュージアムショップを含めて、80分ほど館内におりましたが、お腹が空いてきたのでランチを取ろうと外に出ました。上野は久しぶりです。当初は、森鴎外もよく通ったという「蓮玉庵」にしようかと思いましたが、結局、東博からちょっと遠いですが、小津安二郎がこよなく愛したトンカツ店「蓬莱屋」に行くことにしました。

上野

 司馬遼太郎賞を受賞した「満洲国グランドホテル」で知られる作家の平山周吉さんの筆名が、小津安二郎監督の「東京物語」に主演した笠智衆の配役名だったことをつい最近知り(東京物語は何十回も見ているので、そう言えば、そうじゃった!)、その作家の方の平山周吉さんが、最近「小津安二郎」というタイトルの本を出版したということで、頭の隅に引っかかっていたのでした。上野に行って、小津と言えば「蓬莱屋」ですからね。

上野「蓬莱屋」「東京物語」定食2900円

 「蓬莱屋」に行くのは7~8年ぶりでしたが、迷わず、行けました。でも、外には何も「メニュー」もありません。「ま、いっか」ということで入ったのですが、前回行った時より、値段が2倍ぐらいになっていたので吃驚です。結局、せっかくなので、ランチの「東京物語」にしました。「商魂逞しいなあ」と思いつつ、流石に美味で、舌鼓を打ちました。上野の「三大とんかつ店」の中で、私自身は蓬莱屋が一番好きです。

 隣りの客が、昼間からビールを注文しておりましたが、私は、ぐっと我慢しました。だって、展覧会を見て、ランチしただけで、併せて5000円也ですからね。昔は5000円もあれば、もっともっと色んなものが買えたのに、お金の価値も下がったもんですよ。

ジェームス・ディーンはリーバイスじゃなかったのかあ

  最近、どういうわけか、自分の中学生時代のことばかり思い出されます。もう大昔の話ですが、自分の人生でも最悪だった時期の一つでした。

 13歳にして、「人生は一行のボオドレエルにも若かない」と虚無的になってしまったのです。このまま、いい学校に入って、いい会社に入って、郊外に庭付き一戸建て住宅を建てて、家族と幸せに暮らすといったありきたりのエスカレーターに乗ったような人生を送ることが許せなくなってしまったのです。勉強にも手が付かなくなり、学業成績も坂道を転げ落ちるように急降下し、高校受験も失敗してしまいました。

 あの頃の「孤立無援」といった気分は今でも思い出します。

 でも、振り返ると、あの頃、孤立感を味わったのは自分だけではなかったのかもしれません。中学生というのは子どもから大人になる中間のような存在で、電車賃だけは大人料金を取られるのに、気持ちはまだまだ子どもの所がありますからね。

 中学1年の時のクラスメートに野島さんというちょっと大人びた無口な女の子がいました。彼女も休み時間、友人とつるんでワイワイ騒ぐことなく、一人でいることが多かったのですが、ある映画スターだけは特別で、そのスターのブロマイドをいつも持ち歩いていました。そのスターの名前は、ジェームス・ディーン(1931~55年)。「理由なき反抗」や「エデンの東」などわずか数本に主演して大スターの座を獲得しましたが、交通事故で24歳の若さで亡くなってしまいました。

 ジェームス・ディーンは私が生まれる前に既に亡くなってしまったので、私自身は知らなくて、野島さんからその存在を知りました。彼が出演した映画はその後、何度もリバイバル上映されたり、写真集も出版されたりしたので、日本にも根強いファンが多いのですが、「孤立無援」に悩む中学生が見ると、彼が演じる反抗期の挫折感や孤独感には妙に共感してしまうのは確かです。私も一気に大ファンになりました。

 話は少し変わって、先日、テレビの「開運 なんでも鑑定団」を見たら、700万円と450万円で購入したという古くてボロボロの汚い(恐らく臭い)リーバイス501XXのジーンズ2点が出品されましたが、世界的にも数点しか残っていないヴィンテージものということで、何と、何と2点で2000万円もの値が付いて、超びっくりしてしまいました。

 そこで、リーバイスのジーンズなら、映画「理由なき反抗」などで格好よく履いていたジェームス・ディーンの姿を思い出し、自分も一着ぐらい買ってみようかなあ、と思い、調べてみたのです。

 そしたら、これまた吃驚。ジェームス・ディーンが履いていたジーンズは、リーバイスではなかったのです。「Lee」の101ライダースというブランドでした。確か、ジェームス・ディーンはリーバイスの日本のコマーシャルやポスターで出ていた記憶があるので、おかしいなあ、と思いましたが、ワーナーブラザースの衣装庫にあったジェームス・ディーンのジーンズは確かに「Lee 101z riders」でした。

 今は、チャットGPTなんか使わなくても、何でも調べられる時代になりましたからね。私は、自分の中学生時代の「孤立無援」感を思い出してしまいましたが、いつか2000万円のリーバイスではなく、Lee の手頃なジーズンを買ってみようかなと思っています(笑)。

東京の川や堀は米軍空襲の残骸で埋め立てられていたとは!=鈴木浩三著「地形で見る江戸・東京発展史」

 斎藤幸平著「人新世の『資本論』」(集英社新書)は3日ほどで急いで読破致しました。仕方がないのです。図書館で借りたのですが、2年ぐらい待たされて手元に届き、しかも、運が悪いことに、他に2冊、つまり3冊同時に図書館から届いたので、直ぐ返却しなければならなかったからです。

 でも、私は若き文芸記者だった頃、月に30冊から50冊は読破していた経験があるので、1日1冊ぐらいは平気でした。歳を取った今はとても無理ですが…。

 斎藤幸平著「人新世の『資本論』」についての感想は、先日のブログで書きましたので、本日は、今読み始めている鈴木浩三著「地形で見る江戸・東京発展史」(ちくま新書、2022年11月10日初版)を取り上げることに致します。(これも図書館から借りました)

 著者の鈴木氏は、東京都水道局中央支所長の要職に就いておられる方で、筑波大の博士号まで取得された方です。が、大変大変失礼ながら、ちょっと読みにくい本でした。内容が頭にスッと入って来てくれないのです。単なる私の頭の悪さに原因があるのですが、あまりにも多くの文献からの引用を詰め込み過ぎている感じで、スッと腑に落ちて来ないのです。とは言っても、私自身は、修飾語や説明がない固有名詞や歴史的専門用語でも、ある程度知識があるつもりなのですが、それでも、大変読みにくいのです。何でなのか? その理由がさっぱり分かりません…。

 ということで、私が理解できた範囲で面白かった箇所を列挙しますとー。

・江戸・東京の地形は、JR京浜東北線を境に、西側の武蔵野台地と、沖積地である東側の東京下町低地に大きく分けられる。赤羽~上野と田町~品川~大森間では、京浜東北線の西側の車窓はには急な崖が連続する。…この連続した崖が、武蔵野台地の東端で、JRはその麓の部分を走っている。(17ページ)

 ➡ 私は京浜東北線によく乗りますので、この説明は「ビンゴ!」でした。特に、田端駅の辺りは、西側が高い台地になっていて、かつては芥川龍之介の住まいなどもありました。一方、東側は、まさに断崖絶壁のような崖下で、今はJR東日本の車輛の車庫か操作場みたいになっています。東側は武蔵野台地だったんですね!上野の寛永寺辺りもその武蔵野台地の高台に作られていたことが車窓から見える寛永寺の墓苑を見ても分かります。

・江戸前島は、遅くとも正和4年(1315年)から鎌倉の円覚寺の領地だったが、天正18年(1590年)に徳川家康が関東に入府した後、秀吉が円覚寺領として安堵していたにも関わらず、家康が“実行支配”し、江戸開発の中心にした。江戸前島は、本郷台地の付け根部分で、現在の大手町〜日本橋〜銀座〜内幸町辺り。(47〜50ページなど)

 ➡︎ 江戸前島は、日本橋の魚河岸市場や越後屋などの商店が軒先を連なる町人の街となり、銀座はまさしく銀貨鋳造所として駿府から移転させたりしました。江戸前島の西側は日比谷入江という浅瀬の海でしたが、神田山から削った土砂で埋め立てられました。現在、皇居外苑や日比谷公園などになっています。江戸時代は、ここを伊達藩や南部藩など外様の上屋敷として与えられました。当時は、埋め立てられたばかりの湿地帯だったので、さすがに仙台伊達藩は願い出て、上屋敷を新橋の汐留に移転させてもらいます。この汐留の伊達藩邸(現日本テレビ本社)には、元禄年間、本所吉良邸で本懐を遂げて高輪泉岳寺に向かう忠臣蔵の四十七士たちが途中で休息を求めて立ち寄ったと言われています。

・江戸城防御のため、家康は江戸城南の武蔵野台地東端部に増上寺、北東の上野の山の台地に寛永寺を建立した。寺院の広大な境内は、軍勢の駐屯スペース、長大な堀は城壁、草葺などが一般的だった時代の瓦葺の堂塔は「耐火建築物」だった。(50、76ページなど)

 ➡天海上人の都市計画で、特に北東の鬼門に設置された寛永寺は「鬼門封じのため」、南西の裏鬼門に建立された増上寺は、「裏鬼門封じのため」と言われてきましたが、それだけではなかったんですね。増上寺は豊臣方が多い西国の大名が攻め上ってくる監視、寛永寺は伊達藩など奥州から来る軍勢を防ぐ監視のための軍事拠点として置かれていたとは! それぞれ、上野の山、武蔵野台地と高台を選んで設置されたことで証明されます。

 ・東京の都市としての構造や骨格は、江戸時代と連続性があるどころか、実は少しも変わっていないものが多い。…その背景には、江戸幕府から明治新政府になっても、社会・経済システムの多くがそのまま使われ続けたことにあった。明治維新の実態は「政権交代」に近かった。(176,181ページなど)

 ➡この説は大賛成ですね。明治維新とは薩長藩などによる徳川政権転覆クーデターで、新政府は政経システムもそのまま継承したことになります。江戸城は皇居となり、江戸城に近い譜代大名の上屋敷は霞ヶ関の官庁街や練兵場になったりします。外務省外周の石垣は福岡黒田藩の上屋敷時代のものが引き継がれているということなので、今度、遠くから見学に行こうかと思っています(笑)。築地の海軍兵学校は、尾張家、一橋家などの中屋敷跡だったとは…。他に、小石川・水戸家上屋敷→砲兵工廠→東京ドーム、尾張家上屋敷→仮皇居→赤坂御用地などがあります。

 ・昭和20年、米軍による東京大空襲で、都市部の大部分は焦土と化した。…GHQは、東京都に対して、大量の残土や瓦礫を急いで処理するよう命じた。東京はてっとり早く外濠に投棄することを決定した。(196ページ)

 ➡関東大震災の際の瓦礫は、後藤新平東京市長の原案で、埋め立てられたり、整備されたりして「昭和通り」になったことは有名ですが、東京空襲の残骸は、外濠埋め立てに使われたとは知りませんでしたね。それらは、現在の「外堀通り」なったりしてますが、真田濠が埋め立てられて、四ツ谷駅や上智大学のグラウンドになったりしております。そう言えば、銀座周辺は、かつて、外濠川、三十三間堀川、京橋川、汐留川、楓川など川だらけで、水運交通の街でしたが、空襲の瓦礫などでほとんどが埋め立てられ、(高速)道路などに変わってしまいました。(戦災後だけでなく、昭和39年の東京五輪を控えての都市改造もありました)まあ、都心の川や堀がなくなってしまうほど、カーティス・ルメイ将軍率いる米軍の東京爆撃が酷かった(無辜の市民10万人以上が犠牲)と歴史の教科書には載せてもらいたいものです。

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謎の100部隊と満洲国の「真の姿」=「満洲における日本帝国の軌跡の新発掘」ー第49回諜報研究会

 4月15日(土)、東京・高田馬場の早稲田大学で開催された第49回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催、早大20世紀メディア研究所共催)の末席に連なって来ました。同研究会にはここ数年、コロナの影響でZOOM会議では参加しておりましたが、実際に会場に足を運んだのは4年ぶりぐらいでしょうか。久しぶりにお会いする旧知の方とも再会し、まるで同窓会のような雰囲気でした。

 何と言っても、今回登壇されたお二人の報告者が、もう20年近く昔に謦咳を接して頂いた私淑する人生の大先輩ですので、雨が降ろうが嵐が吹こうが、万難を排して参加しなければなりませんでした。実際、この日は雨が降っておりましたが(笑)。

 今回の諜報研究会の大きなテーマは「満洲における日本帝国の軌跡の新発掘」でしたが、最初の報告者は、加藤哲郎一橋大学名誉教授で、タイトルは「人獣共通感染症とワクチン村 731部隊・100部隊の影」でした。事前にメール添付で各人に資料が送られて来ましたが、加藤先生の場合、簡単なレジュメどころか何と70ページにもなる浩瀚なる資料だったので絶句してしまいました。

 こんな長尺な資料から醸し出される講演について、このブログで一言でまとめることは私の能力では無理なので、「概要」から特に印象に残ったことだけ記させて頂きます。講演は、政治学者である加藤哲郎氏と獣医疫学者である小河孝氏がコラボレーションして共著された「731部隊と100部隊ー知られざる人獣共通感染症研究部隊」(花伝社、2022年)の話が中心でした。私自身は石井四郎の731部隊に関しては存じ上げておりましたが、100部隊については、全く知りませんでした。この部隊は、細菌戦研究・生体実験実行部隊として活動した「関東軍軍馬防疫廠100部隊」が正式名称で、歴史の闇の中に隠れておりましたが、小河孝氏による「新発掘」のようです。

 ズルして、概要について、少し改編して引用させて頂きますと、「中国大陸や東南アジアで細菌戦や人体実験を行ったのは、医学者、医師中心の関東軍防疫給水部『731部隊』(哈爾浜) だけではなく、 馬を『生きた兵器』とした軍馬防疫廠『100部隊』(新京)も重要な役割を果たしていた。 戦後、731部隊関係者は米軍に細菌戦データを提供して戦犯訴追を免れるが、軍歴を問われなかった獣医たちはGHQと厚生省、農林省に協力して伝染病撲滅のワクチン開発に職を得た。 そこに人獣共通感染症を研究してきた旧731部隊医師が加わり、彼らは1948年にジフテリア予防接種事件(84人死亡、1000人被害)を起こしながらも、感染症が蔓延した占領期の『防疫』に従事し、その後も日本のワクチン産業を支えた。 2020年年以来の新型コロナに対する日本の医療にも、731部隊・100部隊出身者の系譜を引く「防疫」の影がみられた。」

 これだけの概要だけでも、「えーー、本当ですか?」と胸騒ぎがしますが、加藤氏は、一つ一つ、実証例と関係者の実名を明らかにして解説してくれました。特に、驚かされたことは、究極的に、言論思想統制の「防諜・検閲」と、感染症対策の「防疫・検疫」は相似形で、明治の山縣有朋以来、同時進行で行われ、戦前の最大官僚だった内務省の対外インテリジェンスの二本柱であったという事実です。それだけではなく、現在の新型コロナの感染対策も明治以来の施策が色濃く残り、旧731部隊、100部隊出身者が設立した病院や彼らが開発したワクチンや医薬品、それに彼らが旧職を隠して潜り込んだ大学や製薬会社などがあったという史実でした。

 加藤氏は、医師の上昌広氏がコロナ・パンデミックに際して発表した「この国(日本)は患者を治すための医療ではなく、日本社会を感染症から守る国家防疫体制でコロナに対応している。(中略)明治以来の旧内務省・衛生警察の基本思想がそのまま生きる、通常医療とは別の枠組みからなっている。先進国では日本以外ない」(「サンデー毎日」2021年9月5日)といった記事も「裏付け」として紹介されていました。

 また、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバーの出身を検証すると、(1)国立感染症研究所(感染研)は、国立予防衛生研究所(予研)と陸軍軍医学校防疫部の流れを汲み、この軍医学校防疫部から731部隊が結成されます。(2)東京大学医科学研究所は、伝染病研究所の流れを汲み、(3)国立国際医療センターは、陸軍病院の流れを汲み、(4)東京慈恵医科大学は、海軍生徒として英国に留学した高木兼寛らが創立し、海軍との関係が深かった、ということになります。まさに、人材的に、戦前と戦後は途切れたわけではなく、その歴史と系統と系譜は脈々と続いていたわけです。

 100部隊の獣医師らについては、農林省の管轄であったこともあり、戦後はほとんど公職追放されることなく無傷で、ワクチン業界に入ったり、学会に戻ったりした人も多かったといいます。後に岩手大学長になった加藤久弥や新潟大農学部長になった山口本治らの実名が挙げられていました。

 このほか、ワクチン製造会社で有名なデンカ生研は、電気化学工業(現デンカ)の子会社ですが、その前は東芝の子会社として1950年に設立され、戦前は東芝生物理化学研究所新潟支部で、もっと辿れば、1944年に設立された陸軍軍医学校新潟出張所が母体になっていたといいます。陸軍軍医学校とは、勿論、石井四郎の731細菌部隊を輩出した母体でもあります。

 次に登壇されたのが、ジャーナリストの牧久氏でした。タイトルになった「転生」ですが、私はこの本について、このブログでも昨夏、二度にわたって紹介させて頂きました。(2022年8月9日付「8月9日はソ連侵攻の日=牧久著「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」」と同年8月12日付「周恩来と日本=牧久著「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」」です。)牧氏らしく、多くの資料を渉猟して、満洲国皇帝、愛新覚羅溥儀とその実弟溥傑と日本人妻嵯峨浩を中心にした波乱万丈の生涯と満洲帝国の「真の姿」を描き切った労作です。

 今回の諜報研究会の大きなテーマになっている「新発掘」というのは、これまで散々流布されてきた「傀儡国家・偽満洲」ではなく、残された資料から、皇帝溥儀と満洲帝国の「真の姿」を炙り出したことが「新発掘」に繋がると思います。

 つまり、自己批判の回顧録として書かされた溥儀の自伝「我が半生」には、自分の都合の悪いことは書かれず、また、東京裁判で証言に立った溥儀が、自分は関東軍にピストルを突き付けられ、脅迫されて即位した皇帝で、満洲は傀儡国家だったいった趣旨の発言も虚言だったことを暴いたのです。歴史の資料というものは、100%真実が書かれているわけではないのです。

 私も、自分自身の思い込みなのか、教育でそう教え込まれたのか分かりませんが、溥儀の言う通り、満洲は傀儡国家で、皇帝溥儀には何ら自由も決定権もなく、関東軍に操られた人形に過ぎなかった、と信じておりましたが、牧氏の「転生」(小学館、2022年)を読むと、そうではなかったことが分かります。溥儀は、清朝最後の「ラスエンペラー」で、辛亥革命で退位させられたものの、実は、清朝復辟(復活)を夢見て、日本(軍)を利用しようと目論んでいたというのです。そのためにも、実弟溥傑を日本の陸軍士官学校に留学させたりします。

 また、溥儀は、満洲国皇帝に即位して、昭和10年に初来日した際、大歓迎を受け、特に貞明皇太后(昭和天皇の母)から、我が子のように手厚いもてなしを受けたことから、「自分は天皇の兄弟ではないだろうか」と大錯覚してしまうのです。満洲に帰国すると、溥儀は自ら率先して、天照大神をまつる建国神廟を建立するなど、各地に神社をたてます。これも、以前は、「日本人が強制的に満洲に無理やりに神社を建立させた」と、私自身も思い込み、「可哀想な満洲の人たち」と思っていたのですが、溥儀自らが決断したことだったことが分かりました。

 私も、牧氏が仰るように、同じように「歴史修正主義者」ではありませんが、やはり、少なくとも歴史教科書には真実を書くべきであると思っています。諸説ある場合は、違う説も並列して記述するべきです。そうすれば、学徒も間違った思い込みをしたまま、老いて一生を終えたりしないと思います。

 

杉田敏著「英語の極意」から連想したこと

 あれから、杉田敏著「英語の極意」(集英社インターナショナル新書)を読んでいます。2023年4月12日初版ですから出たばかりです。私は、杉田先生のNHKラジオ「ビジネス英語」で勉強させて頂いたお蔭で、かなり英語が上達したと思っておりますので、お会いしたことはありませんが、勝手に師として仰いでおります。

 そんな杉田先生が、どのようにして英語を獲得されたかと言えば、毎日、必ず、ニューヨーク・タイムズを始め、英字紙3紙以上に目を通されたりしている不断の努力の賜物なのですが、それ以外に、ただ闇雲に単語や文法を覚えるのではなく、英語という言語の裏に隠された「文化」を知るべきだ、とこの著書で「極意」を明かしているのです。

 その文化として杉田氏が挙げているのは、順不同で、聖書、シェークスピアの作品、ギリシャ神話、イソップ寓話、ことわざ、スポーツ用語、広告コピーなどです。欧米人ならお子ちゃまでも知っている格言、成句、聖句の数々です。

 まあ、日本人も「鬼に金棒」とか「早起きは三文の得」とか普段の会話などにも使ったりしてますからね。

 となると、英語上達の早道は、聖書やシェークスピアなどを英語で読むことかもしれません。特に聖書は、言語だけでなく、泰西美術(西洋絵画)を鑑賞したり、バッハを始めクラッシックを聴く際は必須で、聖書を知らないと話になりません。

 残念ながら、と言う必要はありませんが、英語には、当然のことながら、仏教用語やイスラム教用語は格言としてあまり取り入れていません。ただ、The nail that sticks out gets hammered down. は、日本のことわざ「出る杭は打たれる」を翻訳して取り入れたものだと杉田氏は言います。

 聖書やシェークスピア以外で、「イソップ寓話」が結構、英語に取り入れられていたとは、少し意外でした。「アリとキリギリス」や「オオカミ少年」などは日本人でも知っていますが、「キツネとブドウ」から取られたsour grapes(酸っぱい葡萄)などは格言にもなっています。

 そしたら、この「イソップ寓話」は、定説ではありませんが、紀元前6世紀頃の古代ギリシャのアイソーポスという名前の奴隷がつくったという説があるというのです。たまたま、私自身は、3月から4月にかけて、植木雅俊訳・解説の「法華経」をずっと読んでいたのですが、この法を説いたお釈迦さまは、紀元前565年に誕生して紀元前486年に入滅されたという説があるので、イソップ(アイソーポス)とほぼ同時代の人ではありませんか! 仏教のお経が何百年にも渡ってお経が書き続けられたように、イソップ寓話も何百年にも渡って、物語が書き続けられたという点も似ています。

 お釈迦さまは6年間の厳しい厳しい苦行の末、覚りを開かれましたが、イソップさんも、奴隷だったとすれば、厳しい苛酷な肉体労働を強制されて、つかの間の休憩時間に物語を生み出したのかもしれません。

 お経は宗教書ですが、イソップ寓話は子どもでも分かる教訓書になっていて何千年も読み継がれ、語り継がれました。となると、イソップ寓話も人類の文化遺産であり、仏教書に負けずとも劣らず人類に影響を与え続けて来たと言っても過言ではないでしょう。

 さて、ここで話はガラリと変わりますが、先日、テレビで古代エジプトの悲劇の少年王ツタンカーメンの特集番組を見ました。このツタンカーメンは、父アクエンアテン王が宗教改革を断行して、多神教から太陽神だけを祀る一神教にしたため、大混乱に陥った最中の紀元前1341年に誕生したと言われます。父王の死後、9歳で即位し、戦闘中での膝の傷から感染症が悪化して20歳前後で亡くなったという波乱の生涯をやっておりました。(ツタンカーメンの死後、クーデターで実権を握って王になった最高司令官ホルエムヘブが、ツタンカーメンを歴史上から抹殺したため、長年、その存在が忘れ去られ、奇跡的にほぼ無傷で20世紀になって墳墓が発掘されました。)

 私はテレビを見ていても、法華経を説いた仏陀=お釈迦さまのことが頭から離れずにいたので、「あっ!」と小さく叫んでしまいました。

 当たり前の話ですが、紀元前1341年生まれの古代エジプト王のツタンカーメンにとって、釈迦は、自分より約800年も先に生まれる「未来人」に当たるわけです。逆に人間お釈迦さまにとっては、ツタンカーメンは800年も前の昔の人で、恐らく、その存在すら知らなかったことでしょう。

  つまり、何が言いたいのかと言いますと、古代エジプト文明から見れば、お釈迦さまは、意外にも「最近」の人で、仏教も新しいと言えば、新しい。キリスト教はまだ2000年しか経っていないからもっと新しい、といった感慨に陥ったのでした。

 Art is long, life is short.  芸術は長く、人生は短し。(紀元前5~4世紀 ギリシャの医者ヒポクラテス)

 

観音さまは古代ペルシャの神様だったのか?

 相変わらず、植木雅俊=翻訳・解説「サンスクリット版縮訳 法華経」(角川ソフィア文庫)を読んでおります。「読む」などと書きますと、怒られるかもしれませんが、首を垂れながら、熟読玩味させて頂いております。これまで、法華経は部分訳で読んだことはありますが、この本で初めて「全体像」を把握することが出来ました。

 法華経は、本来なら、「神力品」の次に「嘱累品(ぞくるいぼん)」で完結していましたが、後世になって「陀羅尼品」から「普賢品」まで六つの章が付け足されたということも、この本で私は初めて知りました。

 翻訳された植木氏も、解説の中でさまざまな矛盾を指摘されております。例えば、最古の原始仏典「スッタニパータ」に著されているように、釈尊は占いや呪法を行ったりすることを禁止しておりました。それなのに、後世に付け加えられた「陀羅尼品」の中では、法華経信奉者を守護する各種のダーラニー(呪文)が列挙されます。

 また、同じく付け加えられた「薬王菩薩本事品」の中では「説法の場に女性がいない」と書かれていますが、本来の法華経の冒頭では、魔訶波闍波提(マハー・オウラジャーパティー)=女性出家第一号=や耶輸陀羅(ヤショーダラー)=釈迦の妃で、十大弟子の一人になった羅睺羅の母=ら何千人もの女性出家者が参列しています。植木氏の解説によると、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経のいずれにも、説法の場に女性が含まれておらず、「『無量寿経』で阿弥陀如来の極楽浄土には女性が皆無とされていることと関係があるかもしれない」(356ページ)と書かれています。

 えっ?西方極楽浄土には女性はいないんですか!? 

 翻訳・解説の植木氏は、どうも浄土教系とは距離を置いている感じで、「極楽(スカーヴァティー)世界」についても、法華経の中では、後世に付け加えられた「薬王菩薩本事品」と「観世音菩薩普門品」しか出て来ない。「何の脈絡もなく阿弥陀如来が出てきて、唐突さが否めない」(356ページ)とまで書いておられます。よほど腹に据えかねたのでしょうか?

 いつぞやもこのブログで書きましたが、お経は、お釈迦様御一人が語られたものだけでなく、多くの弟子たちが「如是我聞」ということで、書き足されたことは確かなので、私なんかそれほど目くじらを立てることもないと思ってしまいます。が、人文科学者として正しい行いであり、正確を期する意味では有難いことだと感謝しています。

 さて、これまたいつぞやにも書きましたが、釈迦入滅後の56億7000万年後に如来(仏陀)となるあの弥勒菩薩が「名声ばかり追い求める怠け者だった」と「序品」で明かされたことは衝撃的でした。あの有名な京都・太秦「広隆寺」の弥勒菩薩半跏思惟像は、個人的にも特別に尊崇の念をもって拝顔しておりましたので、少しショックでした。法華経で、弥勒菩薩の「過去」を暴かれたことについて、翻訳・解説の植木氏は「イランのミトラ神を仏教に取り入れた当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれていたので、気になって調べたら、色んなことが分かりました。

 このミトラ神とは、古代ペルシャ(イラン)の国教になったゾロアスター教の聖典「アヴェスター」に出て来るらしく、ミトラは、閻魔大王のような、人の死後の判官だったというのです。また、ゾロアスター教の創造主はアフラマズターと呼ばれ、この神が仏教では大日如来の化身となり、アフラマズダ―の娘で水の女神アナーヒターが、仏教では観音菩薩になったという説があるというのです。

 観音菩薩は、勢至菩薩とともに、阿弥陀如来の脇侍に過ぎないのですが、日本の仏教では、「観音さま」として特別に信仰が深いのです。33のお姿を持ち、全国では千手観音像や如意輪観音像や聖観音像などを御本尊としておまつりしている寺院が圧倒的に多いのです。あらゆる苦しみ、恐怖、憂いを消滅させてくれる菩薩さまだと言われております。その観音さまが、もともとはゾロアスター教のアナーヒター神だったとすると、驚くばかりです。

 また、仏教に影響を与えたバラモン教(聖典「リグヴェーダ」)の最高神ブラフマーは、仏教では梵天、ブラフマーの娘である河の女神サラスヴァティは弁財天の化身だという説もあるようです。

 バラモン教が創始されたのは紀元前1500年以降、ゾロアスター教は紀元前1400年以降、仏教は紀元前500年以降と言われているので、仏教はバラモン教(ヒンズー教)やゾロアスター教などを取り入れたことは確実ですが、とにかく、奥が深い世界です。

 (ただし、植木氏は「観世音菩薩普門品」の解説の中で、「架空の人物である観世音が、歴史上の人物である釈尊以上のものとされる本末転倒がうかがわれる」と批判されてます。)

心の安寧を求めて法華経に学ぶ

 相変わらず、植木雅俊訳・解説のサンスクリット版縮訳「法華経」(角川ソフィア文庫)を少しずつ読み続けております。

 「はじめに」によると、「法華経」が編纂されたのは、紀元1世紀末から3世紀初めのガンダーラを含むインド西北だと考えられ、釈尊が入滅して500年も経過していたといいます。となりますと、21世紀に生きる人文科学者たちには、当然のことながら、このお経は、歴史上の実在人物である人間ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が一人で直接、本当に説法したものではなく、後世の弟子たちによって創作されたものも含まれているのではないかという疑念が生じることでしょう。

 私は、仏教を信仰する信者、信徒、門徒の人たちや僧侶に怒られるかもしれませんが、それでも構わないと思っております。いくら超天才のお釈迦様でも、万巻のお経を全て自ら独りで著すことは物理的にも無理でしょうから。お経に関しては、最初にまとめられたとされるお経は「阿含経」と言われ、小乗仏教の経典になりますが、次第に厳しい苦行を経て修行した一部の者しか成仏できず、女性が成仏できるわけがないという差別的、特権階級的宗教になってしまいました。それが、西暦紀元前後から大乗仏教運動が起こり、「般若経」を始め、「法華経」「維摩経」「阿弥陀経」など多くの経典がつくられます。それは、一言で言えば、特別な人ではなく、老若男女のあらゆる衆生が身分や階級の差別がなく成仏できるという本来釈迦が唱えた「原始仏教」に帰れといった運動でした。

 よく誤解されますが、成仏というのは、死んだ後にあの世に行って仏になるという意味ではなく、全ての人には仏になれる性質、つまり「仏性」を持っているので、本来自分自身に備わっている仏性に目覚めて、現実世界で悩みや苦しみを乗り越えて生を充実させる生き方を覚ることが成仏と言われています。特に、この「法華経」には、成仏のための方便が描かれています。訳者の植木氏によると、この方便とは、ウパーヤの漢訳で、ウパは「近くに」、アヤは「行くこと」で「接近」を意味し、英語のアクセスに当たるといいます。仏典では、衆生を覚りへと近づけるための最善の方策、という意味で使われます。

 法華経は、特に日本の仏教にも影響を与え、天台宗と日蓮宗が所依経典としています。(真言宗は紀元6世紀頃につくられた密教の「大日経」などを所依経典とし、浄土宗、浄土真宗などは、「阿弥陀経」など浄土三部経を所依経典とし、臨済宗、曹洞宗の禅宗には所依経典がないといいます。)

 実は、私は、この法華経を、ひとかけらの批判精神もなく、ただただ盲目的に信じて一言一句を読みながら、脳裏に焼き付けているわけではなく、取り敢えず、初めて遭遇する専門的な仏教用語に悪戦苦闘しながら、読み続けております。それでも、植木氏の翻訳と解説が大変分かりやすいので、本当に読み易くて助かっております。(私が購入した本は、2022年11月25日発行で、何と16刷です。かなり多くの人が「法華経」を求めていることが分かります)

 さて、やっと本文に入ります。第7章の「化城喩品(けじょうゆぼん)」には、16人の王子たちが、この上もなく正しい覚りを得て仏陀(如来)になった様が描かれています(140~141ページ)。何処に、どなた様がいらっしゃるかと言いますとー。

【東】歓喜の世界

(1)阿閦(あしゅく)如来

(2)須弥頂如来

【東南】

(3)獅子音如来

(4)獅子相如来

【南】

(5)虚空住如来

(6)常滅如来

【西南】

(7)帝相(たいそう)如来=インドラ神の旗を持つ

(8)梵相如来=ブラフマー神の旗を持つ

【西】

(9)阿弥陀如来

(10)度一切世間苦悩如来

【西北】

(11)多摩羅跋栴檀香神通(たまらばつせんだんこうじんつう)如来

(12)須弥相如来

【北】

(13)雲自在如来

(14)雲自在王如来

【東北】

(15)壊一切世間怖畏(えいっさいせけんふい)如来

【中央】娑婆(しゃば)世界

(16)釈迦牟尼如来

 やはり、法華経でも、西方の極楽浄土にいらっしゃるのは阿弥陀如来だったことが説かれています。そして、お釈迦さまがいらっしゃるのは、中央の娑婆世界だったとは! 娑婆とは、刑務所用語かと思っていました。いや、訂正して撤回致します。これは、これは、罰当たりなことを申して大変失礼致しました!

 この如来様の配置図で、法華経が分かったつもりになって安心していたら、第15章の如来寿量品(第十六)の植木氏の解説(273ページ)を読むと「あっ」と驚くことが書かれていました。

  歴史的に実在した人物は釈尊のみであった。「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのだ」という西洋の言葉と同様に、釈尊以外の仏・菩薩は人間が考え出した架空の人物である。 

 えっ!? 本当なのでしょうか? もし、そうなら、釈迦如来の脇侍である文殊菩薩も普賢菩薩も架空だということなのでしょうか? 特に、「智慧第一」の文殊菩薩は、釈迦の弟子マンジュシリーの名で、この法華経にも何度も登場しますが…。

 その一方、弥勒菩薩は、釈尊入滅後の56億7000年後に現れる未来仏と言われていますが、こちらは、どうも、実在するとは思えません。何故なら、地球が誕生して46億年しか経っていないこと、そして、太陽の寿命から、地球の寿命もあと50億年しかもたないことを現代人は知ってしまっているからです。

 それに、法華経序品で描かれるマイトレーヤ(弥勒)菩薩は、意外にも、心もとない菩薩として描かれていて驚いてしまいました。つまり、弥勒菩薩の過去は、名声ばかりを追い求めて、怠け者だったというのです。植木氏の解説では、「これは、歴史上の人物である釈尊を差し置いて、イランのミトラ神を仏教に取り入れて考え出されたマイトレーヤ菩薩を待望する当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれています。古代ペルシャ(イラン)の宗教の中にはゾロアスター教も含まれています。ゾロアスターとは、ニーチェの言う「ツァラトゥストラ」です。

 なるほど、そういうことでしたか。仏教は、今から2500年前に、ジャイナ教やバラモン教などの影響を受けながらお釈迦さまによって創始されましたが、その後、ゾロアスター教やヒンズー教(密教)を取り入れて変容していきました。色んな経典が出来たのも、そのためなのではないかと思われます。

 法華経は、日本人が最も影響を受けた経典の一つであることは間違いなく、私自身は、先人に倣って、謙虚に学んでいきたいと思っております。

 それなのに、仏教が生まれた本国インドでは、仏教は下火となり、厳しいカースト制度のあるヒンズー教が現在、優勢になっているのはどうしてなのか? 人間とは差別、身分社会こそが本来の姿なのか? 格差がないと、観光資源になるような文化は生まれて来ないのか? 仏教はあまりにも平等思想を吹き込み過ぎたのか? 仏教の説く覚りは、やはり、煩悩凡夫では無理で、次第に人々の心から離れて行ってしまったのか? そもそも、人類にとって、救済とは何か?ーまあ、色々と考えさせられながら、今、法華経を読んでおります。