社会保険労務士になった先輩とこれから目指す友人

 会社の「同窓会報」に目を通していたら、以前懇意にして頂いた先輩のN氏が定年後、一念発起して社会保険労務士の国家資格を取得して、現在、沖縄県那覇市で社労士事務所を開業していることを知りました。

 私は、社労士というのは全く門外漢なので、どんな仕事するのか知らなかったのですが、市民の年金相談や治療と就業との両立や顧問会社の規定見直しなどの相談に乗っているといいます。

 N氏は、もう20年近い昔ですが、私が北海道の帯広支局に赴任していた時、旭川支局長だった方で、当時、話題を呼んだ旭川動物園の小菅園長を講演会にお呼びする際に、彼に橋渡しになってもらい、お世話になったりしたのでした。

 N氏はその後、沖縄の那覇支局長にも赴任したので、そこで知り合ったと思われる不動産仲介業最大手の会長さんからの要望で那覇に事務所を開業したようです。

 社会保険労務士という国家試験はかなり難しいらしく、N氏は60歳で定年退職してから沖縄を離れて京都で受験勉強し、6回目でやっと合格したといいます。合格率7.9%といいますから、相当難関です。私は、確定申告でさえ、よく分からず、ギャアギャア騒いでいるぐらいですから、とっても無理ですね。

 そう言えば、北海道にお住まいの私の親しい友人A君も、これから社会保険労務士の試験を受けようか、どうしようかと悩んでおりました。彼も60歳定年で会社から再雇用してもらえないので、ある「信頼する人」に相談したところ、「社労士の資格を取って仕事を続けなさい」との御託宣を得たというのです。

 A君が社労士向きなのかどうか分かりませんが、何しろ、北海道に移住したのも、その「信頼する人」の御託宣で決めたといいますから、相当な入れ込みようです。

 第2の人生、社労士の試験を受けるか受けないかは彼の判断ですから、自分の信じた道を進めばそれでいいのではないか、と私は思い、そう彼には伝えておきました。どちらにせよ、陰ながら応援しています。

 「自分の信じた道を進む」というのは、実は私の筆名(ペンネーム)「信之進」のことだったのです(笑)。

比企氏一族滅亡で生き延びた比企能本とその子孫の女優=「鎌倉殿の13人」

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(三谷幸喜脚本)が1月9日にスタートし、初回の視聴率が17.3%(関東)で、「そんなに低いのか」と思っていたら、16日の2回目は14.7%と2.6ポイントもダウン。最近、「見逃し配信」で見る人も多いので、視聴率に反映されませんが、2回目で視聴率が下がるのは6作連続らしいですね。1987年の「独眼竜政宗」(主演渡辺謙)が記録した最高視聴率39.7%は、夢のまた夢で、もう実現することはないかもしれません。

  「鎌倉殿の13人」 は、二代執権北条義時(小栗旬)が主人公で、鎌倉幕府を開いた源頼朝を支え、頼朝の死後は、承久の乱で、約650年続く武家政権の礎を築いた武将の物語ですが、何となく通好みのような気がします。何しろ、戦前は、義時は承久の乱で後鳥羽上皇を隠岐に配流するなどしたため、「逆賊」「悪党」扱いでしたから、とても小説や舞台の主人公になりえませんでした。

 時代は変わるもので、最近の歴史研究では、当初は、朝廷に対して弓をひくことなど考えもしなかった義時で、むしろ、無理難題を押し付けて挑発した後鳥羽上皇側の方に無理があったという学説に傾いているようです。つまり、義時の評価が見直されたわけです。

 いずれにせよ、私自身、北条氏といえば、まずは「尼将軍」政子であり、あとは初代執権の時政か、御成敗式目を制定した三代泰時か、元寇を退けた八代時宗ぐらいがキーパースンだと思っていましたから、義時についてはあまりよく知りませんでした。でも、私は真面目ですから(笑)、ここ数年は鎌倉にまで出掛けて義時所縁の寺社仏閣巡りをしたり、関連本を読んだりして勉強しました。

 そして、今月は、大河ドラマに便乗した「歴史人」(「鎌倉殿と北条義時の真実」特集)(ABCアーク)と「歴史道」(「源平の争乱と鎌倉幕府の真実」特集)(朝日新聞出版)の2冊も宣伝に乗せられて買ってしまいました。

 今は「歴史人」の方を読んでいるのですが、非常にマニアックで、正直、読むのに難儀しています。なかなか頭に入ってくれません。

 大学入試の「日本史」で、「頼朝の死後、『13人合議制』になったが、その有力御家人13人を全て書け」という問題が出たら、全員は書けませんね(苦笑)。

 しかしながら、この13人の曲者同士が仲良く末永く穏便に暮らせるわけがなく、凄まじい、血なまぐさい権力闘争が繰り広げられます。最終的には、父親である初代執権の北条時政を追放した義時が最高権力者の座(二代執権)に就くことになるのですが、その間、例えば、頼朝の「右腕」として鎌倉幕府成立に粉骨砕身した梶原景時は、御家人66人からの連名で「糾弾訴状」を突き付けられて失脚します。景時は、目付役として義経を貶めた人物とされ、御家人の監視役として恨みを買ったと言われます。一方で実務に長けた優秀な人材だったという説もあり、権力闘争に巻き込まれた形で、嫡男景季から九男景連らを含む梶原一族33人は殲滅され、路上で首を晒されたといいます。怖ろしい。

 他に、殲滅された有力御家人の中には和田義盛や畠山重忠(居城は埼玉県武蔵嵐山市の「菅谷館」)らもおりますが、本日は比企能員(ひき・よしかず)を取り上げます。

 比企能員は、源頼朝の乳母だった比企尼の甥で、その養子になった御家人で、源平合戦で鎌倉方の幕僚として活躍します。(比企氏が一帯を支配した武蔵国は、埼玉県比企郡として今も名を残しています。比企氏は大資産家でしたが、北条氏によって比企氏の事績や勲功が「吾妻鏡」から削除されたため不明な点が多いといいます)。比企能員の娘の若狭局が後の二代将軍頼家の妻となり、長子一幡(いちまん)を生んだことから、能員は二代将軍の義父、三代鎌倉殿候補(一幡)の外祖父として強大な権力を握ることになります。

 これに危機感を持った北条時政が、比企能員に謀反の疑いがあるという謀略を仕組み、時政の自邸に招いて部下の天野遠景、仁田忠常に殺害させ、息子の北条義時には、比企氏の館を襲撃させて、幼い一幡もろとも比企一族を殲滅します。時政は、比企氏の血が濃い一幡よりも、娘の政子が生んだ千幡(せんまん=頼家の弟で、一幡の叔父に当たる。後の三代将軍実朝)を将軍にしたかったためでした。(慈円「愚管抄」)

鎌倉・妙本寺

 この北条氏によって滅ぼされた比企一族の館跡には、妙本寺が建立され、私もお参りしたことがあります。この寺は、比企能員の末子で、事件当時は京都で勉学中だったため生き延びた比企能本(よしもと)が文応2年(1260年)に日蓮宗に帰依して建立したものです。

 境内には比企一族の供養塔もあります。当時の比企館の一部でしょうが、妙本寺は広大な敷地でした。鎌倉時代は想像した以上に血なまぐさい武力闘争が頻発していたことを改めて思い起こしました。

 1980年代の往年のアイドル歌手で、今も女優として活躍する比企理恵さんは、比企一族の末裔と言われ、御先祖を意識して、全国の寺社仏閣巡りを心掛けているという話を聞いたことがあります。

山道を歩きながら考えた。兎角、英語は難しい=袖川裕美著「放送通訳の現場からー難語はこうして突破する」

 渓流斎ブログの今年1月10日付「『失敗談』から生まれた英語の指南書=袖川裕美著『放送通訳の現場からー難語はこうして突破する』」の続きです。

 昨晩、やっと読破することが出来ました。読破とはいっても、寄る年波によって、前半に書かれたことをもう忘れています(苦笑)。最低、3回は読まないと身に着かないと思いました。かなり難易度が高い上級英語です。英語塾を経営されている中村治氏には是非お勧めしたいです。

 何しろ、同時通訳英語ですから、市販の辞書にまだ掲載されていない最新用語が出てきます。後で調べて、例文も探してやっと分かったというフレーズも沢山出てきます。著者の袖川さんがその場で自身で考えた「本邦初訳」があったことも書いております。

 前回にも書きましたが、この本では、袖川さんが訳に詰まったり、聞き違いして誤訳したりしたことも正直に書かれています。勿論、うまくいった話も沢山ありますが、私なんか読んでいて「とても出来ない仕事だなあ」と正直思いました。私は、米国人でも、南部のテキサスやフロリダの英語は聴き取れなかったし、本場英国のコックニ―はさらにチンプンカンプン。セミナーを取材した際、マレーシア人らの英語はお手上げでしたからね。同時通訳者全員、尊敬します。

 これまた、前回にも少し書きましたが、英語は中学生レベルの単語を並べただけでも、全く複雑な意味になり、英語ほど難しい外国語はないと私は思っています。今回も具体例を御紹介しましょう。

 Hindsight is twenty-twenty,

答えを先に言ってしまいますが、これで「後知恵は完璧」「後からなら何とでも言える」となります。ことわざですが、急に言われたら分かるわけありませんよね?袖川さんも正直に書いてますが、最初 twenty-twenty は2020年のこと?それとも、catch-22(板挟み)のことか?と一瞬頭によぎったそうです。でも、それでは意味が通じなくなるので、「沈黙」した(尺=時間制限=があるので飛ばした)ことも正直に告白しています。

  でも、catch-22が出てくる当たり、さすが袖川さんです。これは、1961年にジョセフ・ヘラーが発表した小説のタイトルで、第2次世界大戦の米兵の「板挟み」が描かれています。1970年にマイク・ニコルズ監督によって映画化されましたが、私も池袋の文芸座でこの映画を観て、中学生ながら、この単語の意味を覚えました。

 肝心の twenty-twentyというのは、20フィート離れた所から、サイズ20の文字が識別できる正常な視力のことで、「正しい判断」という意味でも使うとのこと。 Hindsight は「後知恵」「後から考えたこと」ですから、「後から考えれば正しい判断ができる」といったような意味になるわけです。

東京・新富町「東京ハヤシライス」ハヤシライス、サラダ付き1078円 旨い!

 この本では、in the room「部屋の中で」を使ったイディオムが二つ出てきました。elephant in the room とthe last person in the room です。 elephant in the room は「部屋にいる象」と私なんか聞こえてしまいます。これで、「見て見ぬふりをする」「触れてはいけない問題」となるそうです。象が部屋の中にいれば見えないわけがない。だから、見て見ぬふりをする?…うーん、分かるわけがない。本文に出てくる例文も、英国とEUとの通商交渉の話(BBC)で、Elephant is not in the room, but in the service, financial service.ですから、難易度が高過ぎる。

  the last person in the room は、「部屋にいる最後の人」ではなく、「その部屋で最も~しそうもない人」という否定的な意味だと高校時代から刷り込まれていた、と著者の袖川さんは言います。そしたら、バイデン米大統領が就任100日目を迎えるに当たって、ハリス副大統領がCNNのインタビューに応じた際に、同時通訳のブースに入った袖川さんは以下の発言を耳にします。

 I was the last person in the room when Biden made the decision to pull all the US troops out of Afghanistan.

えっ?もしかして、ハリス副大統領は、バイデン大統領の米軍アフガン撤退の決定に否定的だった?などと、私も思ってしまうところですが、袖川さんは、この発言で何を否定するのかよく分からなかったので、「最後まで大統領を支持しました」とお茶を濁したそうです。ただ、この場合、他の皆が反対したのに、自分は最後まで支えたことになり、これでは、他の人が反対したことが前提となり、実際はどうだったのか分かりません。政権内が一枚岩ではないことを暴露してしまうことにもなり、ハリス副大統領がそんな意図で発言したわけがないことを袖川さんは後で落ち着いて考えました。

 結局、他の例文なども確かめ、調べに調べた結果、 the last person in the room とは「最後に部屋に残って、意見を求められる、最も信頼される立場の人」のことで、一言で言うなら「重要な相談相手」ということが分かったといいます。

 うーん、これだから英語は難しい。同時通訳は「瞬間芸」ですから、聞き逃したり、聞き間違えたり、勘違いしたりすれば、全て後の祭りです。まさに、神業(かみわざ)と言っていいでしょうが、この本を読むと、ミスをしないため、常に事前準備と自己鍛錬と不断の努力と毎日、毎時、毎秒の勉強が欠かせないことがよく分かりました。

 最後に、私が全く分からなかったフレーズに、money note (見せ場、山場)=市販辞書にもネット辞書にも載っていなかった=やhot potato(熱々のポテト、というより、難問、難局、手に余る問題)などがありました。

 どうして、そんな意味に「豹変」するのか、皆さんもこの本を是非、手に取ってみてください。

銀座「木村屋総本店」と新富座と助六寿司

 本日もまたまた「銀座ランチ」のお話です。

 私にとって、銀座ランチの最高の贅沢は、銀座4丁目の木村屋總本店の3階レストランです。運が良ければ、窓際の席に案内してくれます。

 ここから「下界」を眺める景色は「絶景かな、絶景かな」です。まるで、天守から城下町を眺める大名(城主)になった気分です。

銀座「木村屋総本店」プレートBランチ+ドリンクセット 2480円

 木村屋は、明治2年(1869年)創業です。創業者は、木村安兵衛(1817~89年)という常陸国(現茨城県牛久市)の農家出身者で、婿入りした木村家の叔父を頼って江戸に出てきます。最初にパン屋を開業したのは今の新橋駅近くで「文英堂」という名前でしたが、火災で焼失してしまいます。安兵衛は52歳ですから、当時としては相当高齢での起業だったことになります。安兵衛は、再起を目指して、明治7年に銀座4丁目に「木村屋」の看板を掲げて、日本人の口に合う柔らかいパンを売り出します。明治天皇の侍従だった山岡鉄舟が当時「へそパン」と呼ばれていた木村屋のアンパンを天皇に献上したところ、大変なお気に入りになったことから評判となり、大繁盛となって現在に至るわけです。

 レストランは、いつも混んでいて並んでいますが、本当に運が良くて窓際の席を確保できれば、贅沢気分を味わうことができます。それに、何と言っても、色んな種類のパンが食べ放題というところが最高です。でも、銀座という場所柄、お値段がちょっと張ります。それは仕方ない(笑)。

東銀座「大海」大分とり天定食880円

 木村屋に行ったのは昨日ですが、本日は数年ぶりに新富町方面に足を延ばしてみました。

 このブログを書くためだけに、ひたすら、ランチは銀座か、築地方面を回っていたので、新富町は本当に久しぶりです。銀座だと1500円とか2000円のランチなんかザラですが、少し離れた新富町ともなると、800円台でも十分美味しいランチが食べられるのです。木村屋さんの3分の1です(笑)。

 新富町といえば、私的(わたくしてき)には、歌舞伎の新富座です。新富座は、万治3年(1660年)に木挽町(現銀座六丁目)に創建された森田座を引き継ぐ劇場でした。紆余曲折の末、明治5年(1872年)にこの地に移転してきました(座元は十二代守田勘弥)。その後、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失してしまいます。

 今は、確か、税務署になっていたはずですが、見当たりません。

京橋税務署

 そしたら、驚きです。前の古いビルは壊されて、七階建ての超近代的なビルに変わっていたのです。しばらく行っていなかったので分からなかった。

 思わず、「税務署って、本当に儲かるんだなあ~」と心の中で叫んでしまいました(関係者の皆様には、とんだ失言で失礼仕りました!)

 以前は入り口の近くに設置されていた「新富座跡」の看板は、正面から左奥に直ぐに見つかりました。歴史のある旧跡ですからね。

 ただし、この京橋税務署の道路を挟んで真向かいに合ったはずのお寿司屋さんは、どうしても見つかりませんでした。あの市川團十郎の十八番の「助六寿司」の発祥地と言われる「蛇の目鮨」です。10年ぐらい前に何度か行ったことがありました。「コロナ禍で閉店したのかしら?」と、会社に帰って調べてみたら、京橋税務署の真向かいではなく、場所は、そこからワンブロック北に行った所で、元気に営業されているようでした。

 これまた失礼致しました。

 

嗚呼、岩波ホールと「演劇界」=大師号についても考える

 岩波ホール(東京・神保町)が今年7月で54年間の歴史の幕を閉じるというニュースに接しました。コロナの影響のようです。

 悲しいですね。ここでしか観られない芸術性の高い映画を上映してくれて、私もお世話になったものです。芸術性が高いとなると万人向けでなく、やはり採算を取るのが難しかったのでしょう。

 ここで観た思い出深い映画は、アンジェイ・ワイダ監督の「大理石の男」と「カティンの森」、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」、小栗康平監督の「眠る男」、羽田澄子監督の「嗚呼、満蒙開拓団」などでした。

  採算を取るのが難しい映画上映を続けて来られたのは、ホール総支配人の高野悦子(1923~2013年、83歳)の作品を選ぶ「目利き」の力が大きかったことでしょう。彼女は満洲(現中国東北部)帰国者で、父親の高野与作は南満州鉄道技師でした。 姉の淳子が岩波書店の岩波雄二郎社長の妻だったことから、東宝文芸部にいたこともある悦子が総支配人になったと思われます。

とにかく、良質な映画を観る機会が一つ減ってしまった感じがして本当に残念です。

  今朝の朝刊の同じ紙面で、歌舞伎専門誌「演劇界」(小学館)が3月3日発売の4月号で休刊するニュースも出ていました。同誌は、色々と版元が変わりましたが、明治40年(1907年)創刊の「演芸画報」が母体だったということで、これまた、歴史的な伝統が一つ消えたことになります。毎日新聞の小玉さんも悲しんでることでしょう。

 まあ、舞台芸術の最高峰である歌舞伎は、高嶺の花ですからね。(銀座の歌舞伎座の一等席は1万6000円)

 「時代の趨勢」と言ってしまっては、それまでですが、何か、日本文化の劣化と衰退が始まったような気がします。

鎌倉・建長寺(川崎大師はどうした!?)

 あまり暗い話ばかりでは何なんで、また与太郎話を一つ。お正月の初詣で有名な「川崎大師」を特集している番組を見ていたら、私自身、長年勘違いしていたことが発覚しました。

 川崎大師の「大師」は大抵、弘法大師が一番有名ですから、何んとか大師と付くお寺は全て空海弘法大師の真言宗の寺院だとばかり思っていました。川崎大師は平間寺ともいって、確かに真言宗智山派です。しかし、特に関東では有名な栃木県の「佐野厄除け大師」は、真言宗ではなく天台宗だったのです。それは、十八代目天台座主も務めた良源こと慈恵大師にちなんでいるからでした。

 良源は、元三大師(亡くなった日が1月3日=元三だったため)とも呼ばれています。天台座主として比叡山の焼失した御堂を再建したり、教団内の規律を高めたりした功績から「延暦寺中興の祖」とも言われています。他に「角(つの)大師」などの異名を持ちますが、良源本人も疫病に罹って高熱を出した経験があったため、鬼のような形相で疫病退治の祈りを民衆に施したことから、厄除け大師の効能が認められたとも言われています。良源をお祀りした寺院はほかに、埼玉県の川越大師(喜多院)も有名です。

 序ながら、「関東の厄除け三大師」は、真言宗の場合、川崎大師のほかに、東京都の「西新井大師」、千葉県香取市の「観福寺」の3寺を、天台宗の場合、先の佐野厄除け大師と川越大師のほかに群馬県前橋市の青柳大師(龍蔵寺)の3寺を指す場合が多いようです。

 ちなみに、「大師号」とは高僧が亡くなった後、朝廷から贈られる謚号で、浄土宗の宗祖法然は、「圓光大師」を始め、「東漸」「慧成」「弘覚」「慈教」「明照」「和順」、そして平成の天皇(現上皇)によって2011年に加諡宣下された「法爾大師」と実に八つも贈られています。

 どういうわけか、空海は弘法大師の一つだけですし、日本仏教の宗祖はほとんど大師号を贈られていますが(天台宗の最澄は伝教大師、浄土真宗の親鸞は見真大師、時宗の一遍は証誠大師、曹洞宗の道元は承陽大師、日蓮は立正大師など)、臨済宗開祖の栄西だけには大師号は贈られていません。

 理由は、不勉強のためよく分かりません。(関東ばかりで失礼致しました)

「失敗談」から生まれた英語の指南書=袖川裕美著「放送通訳の現場からー難語はこうして突破する」

 大学時代、語学専門だったのでクラスはわずか15人でしたが、そのうちの一人、袖川裕美(そでかわ・ひろみ)さんが昨年末に新刊を出版されたということで、早速、ネットで買い求めました。

 本は大晦日に届き、お正月休みにすぐ読めるかと思ったら、何やらかんやら忙しくて、実はまだ半分ちょっとしか読めていません。それだけ、私にとってレベルが高過ぎるということかもしれません(苦笑)。

 袖川さんは同時通訳者で、新刊は「放送通訳の現場からー難語はこうして突破する」(イカロス出版、2021年12月25日初版)というタイトルです。彼女の前著「同時通訳はやめられない」(平凡社新書)は、朝日新聞の「天声人語」にまで取り上げられて大きな話題を呼びましたが、同書は2016年出版だったと聞いて、「えっ?あれから5年も経ってしまったの!?」と我ながら驚愕してしまいました。光陰矢の如し。信じられません。まさに、自分自身は馬齢を重ねてしまった感じです。

 それはともかく、最新刊は、タイトル通り、英語の難語を突破する「指南書」のような本です。どちらかと言うと、本人が引っ掛かったといいますか、誤訳に近い形で放送してしまった「失敗談」も正直に書かれています。御本人も「おわりに」の中で、「こういうことばかり告白し、書いていると、心から我が身の不明を恥じる気持ちになってきます」と正直に書かれていますが、「学習者にとっては、失敗談の方が役に立つ」と私は擁護しておきます。

 偉そうなことを言いましたが、私も正直に告白しますと、この本に出てくる用語やフレーズはほとんど知りませんでした。これでも、私は国家試験の通訳案内士に合格しているのですが(笑)、同時通訳者とのレベルとは格段に違うことを思い知らされました(以前からですけど)。求められる知力と教養と技能と瞬発力は、翻訳者より上でしょう(短距離走とマラソンの違いもありますが)。袖川さんも、「同時通訳者はほとんど顔なじみで、(国内には)50~60人くらいではないか」と書かれていますが、エリート中のエリートであることが分かります。

 袖川さんは、本書中で、大きな間違いのように書かれていましたが、私から見れば、極々「軽傷」に過ぎないと思われることがほとんどでした。例えば、83ページでは「teething problems」を取り上げています。BBCが、英国のEU離脱ニュースの中で、「The UK government put it down to teething problems.」というフレーズが出てきました(詳細略)。袖川さんは最初、この 「teething」が「teasing(からかう、いじめる)」のように聞こえましたが、話の流れからすると、「いじめ」では直接過ぎると思い直して、「(英国)政府は厄介な問題だと述べました」としたそうです。

 後で調べ直してみると、「 teething problems 」とは、乳歯が生える時の問題ということから「初期の困難・問題、創業時の苦労」といった意味で、「 put it down to~ 」も「~のせいにする」という意味だということが分かりました。つまり、先程の例文は「英国政府は、それは初期に起きがちな問題のせいだと述べました」になるというのです(詳細は本文ご参照)。

 いやあ、放送という限られた時間の中で、これまで蓄積してきた知識を瞬時に総動員して、披露することはまさに芸術の域です。親のどちらかが英語を母国語にしたり、子どもの頃に外国に滞在していた人なら、「耳」から語学力が養われますから完璧でしょうが、中学生から英語を始めた日本人のその習得力と日々の勉強はまさに超人的と言っていいでしょう。袖川さんは私の大学の同期ながら尊敬してしまいます。当然ながら、私のような生半可なジャーナリスト以上に、毎日、欧米の主要紙とニュース番組はチェックしているようです。

 そのせいか、彼女が「知らなかった」と告白されている「hunker down」(隠れる、潜伏する、閉じこもる)とか「down under」(英米から見た地球の反対側の豪州やニュージーランド)のことを偶々知っていたりすると、意地の悪い私は「僕は知ってたよお~」と無邪気に喜んでしまいます。実は、全て、杉田敏先生の語学講座「ビジネス英語」に出て来たフレーズで、その受けおりですけど(笑)。背伸びしたかっただけです。

 とにかく、 down under のように、中学生レベルの英語でもイディオムになると想像もつかない意味になったりするので、英語ほど難しい外国語はない、と私は思っています。この本については、読了したらもう一回、取り上げたいと思います。

戦国時代の家臣団=伊賀や甲賀だけでなく透波、風魔、村雲党も登場

 「戦国最強家臣団の真実」を特集している「歴史道」別冊SPECIAL(週刊朝日ムック、2021年12月発行)は薄い雑誌ですが、内容は百科事典みたいな本で、情報量が多く、全て頭に入れることは諦めて、必要な項目はその時にまた参照することにして、一応読了しました。

 「織田家」「武田家」「徳川家」「豊臣家」から「黒田家」の家臣団まで11家の家臣団が取り上げられているほか、合戦の陣形や戦術から調略まで、何かあらゆることが詰まっている感じです。

 考えてみれば、何故、家臣団のことを知るべきなのか、答えは単純ですね。例えば、「織田信長による比叡山焼き討ち」と歴史の教科書で習っても、実際に比叡山延暦寺に火を付けたりしたのは信長ではなく、その家臣団です。実戦部隊は主に、明智光秀軍だったと言われ、光秀はその戦功により、坂本城の一国一城の主となり家臣団の出世頭になったことは皆さんご案内の通りです。

銀座国旗掲揚塔奉賛会

 この本で取り上げられた家臣団の中で一番印象に残ったのは武田家です。百戦錬磨と言われた武田信玄亡き後、跡目を継いだ武田勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れてからは(この時、信玄の「四天王」と言われた内藤昌豊、山縣昌景、馬場信春が討死)転落の一途です。徳川家康軍に攻められていた高天神城に援軍を送れなかったことをきっかけに、家臣団中枢の御親類衆まで離反し、織田方の滝川一益隊に包囲されて最期に自決した田野(現山梨県甲州市)まで勝頼に従って残っていた家臣団はわずか43人だったといいます。

 家康との三方ヶ原の戦いの時の武田家が最盛期だったと言われますが、その時の家臣団は5万人はいたそうです。それがたったの43人に減少してしまったという史実は、武田家にせよ、戦国時代は、大名一人の独裁ではなく、多くの国衆などの家臣による合議制だったということが分かります。国衆の家臣も一国一城の領主でもあったわけですから、自分たちの領地を安堵してくれる頭目の神輿を担いでいるだけということになります。(武田軍団が無敵を誇ったのは、地元甲斐には肥沃な土地がないため、命懸けで他国に攻め入って領地を広げるしかなかったからという説が有力)

 武田勝頼は、最後に御親類衆である穴山信君(のぶただ、梅雪)や譜代・家老衆の小山田信茂らにも離反(裏切り)されますが、勝頼は、信玄の四男で母方の諏訪大祝(おおほうり)家の血が濃く(勝頼は、若い頃は諏訪四郎と名乗っていた)、名門「甲斐源氏」の正当な継承者ではないと見られたことも背景にあったようです。

 国衆にしても、自分の家の存続のために汲々としなければならないので、戦国時代は、離反や裏切りは当たり前だったことでしょう。明智光秀も主君織田信長を裏切った下克上の極悪非道人扱いをされましたが、光秀自身さえ、盟友で娘(お玉、細川ガラシャ)の嫁ぎ先であった細川家(藤孝・忠興親子)に出陣を要請しても裏切られています。

 裏切りや離反や寝返りや内応といったことは、現代感覚では「卑怯」の一言で済むかもしれませんが、当時は、生き抜くための手段の一つに過ぎなかった、と私は最近思うようになりました。まあ、現代人でも平気で裏切ったり、寝返ったりする人が多いですからねえ(爆笑)。

皇太子殿下御降誕記念 京橋旭少年団 昭和9年5月

 話は全く変わって、慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いの際、島津義弘による「敵中(前方)突破」は有名ですが、この捨て身の戦術「捨てガマリ」(殿様の退却を援護するために、殿軍=しんがりぐん=が反転して追撃してくる敵を迎撃)のおかげで、1500人いた家臣団のうち薩摩まで生還できたのはわずか80人だったいいます。

 裏切りや寝返りや離反が多いという時代に、島津家臣団は、殿様のためにあっさり自分の生命を投げ出すとは…。島津家臣団の結束の堅さには目を見張りました。

 いやはや、壮絶な話でした。

偶然、銀座の街角で見つけた「京橋旭少年団員 団長:会津半治」の碑。本文と全く関係なし。どうしてくれるんやあ?

最後に私も仕事柄、興味がある「戦わずに勝つことを目指した『調略・諜報・外交』の頭脳戦略」の中の「間諜」は勉強になりました。いわゆる忍びの者のことですが、大名によって色々と呼び方に違いがあることを初めて知りました。

 伊賀や甲賀の忍者はあまりにも有名ですが、武田信玄お抱えの忍者は「透波(すっぱ)」と言ったそうですね。これが、人の秘密などを暴いて明るみに出す「すっぱ抜く」の語源になったそうです。この他、伊達政宗が組織した忍者集団を「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」、北条氏に仕えた忍者は風魔と呼ばれ、頭目は風魔小太郎として知られています。私も子どもの頃に読んだ忍者漫画の中に風魔小太郎が登場していました。架空ではなく実在人物だったとは!

 このほか、福井藩に仕えた義経流や、安芸の福島正則に仕えた外聞(とどき)、加賀前田藩の偸組(ぬすみぐみ)などの忍者がいました。

 何しろ、京都の天皇家に仕えた忍びもおり、村雲党(流)と言われたそうです。忍びの者は隠密とも言われますから、村雲党を御存知の方はよほどの通でしょうね。

ATM(明るく、楽しく、前向きに)をモットーに=2021年大晦日所感

 2021年も暮れようとしています。この時期になると、いつも頭にこだまのように聞こえてくるのが、中原中也の詩「帰郷」の中にある「ああ おまえはなにをして来たのだと…吹き来る風が私に云う」というフレーズです。

 本当に一体、自分はこの年齢(とし)まで、何をして来たんだろう、という感慨です。随分、青臭い話じゃありませんか(苦笑)。少年の頃、年を取れば、落ち着いて、物事を達観して、日向ぼっこでもして、平穏な日々が送れるものとばかり思っておりましたが、真逆ですね。自分は、生臭坊主ということなんでしょうか(本物のお坊さん、失礼!)。人間、恐らく、誰でも未完成、未熟のまんまで死んでいくことでしょうね。

焼き鳥店「もりのした」佐賀名産のみつせ鶏

 さて、師匠さんも走る「師走」ということで、私も、ここ数日、ブログ執筆はほんの少しお休みさせて頂いて、他人様と同じような日常作業を行っておりました。年末は、いつも通り、年賀状書きとお買い物の付き合いとお掃除整理に追われた、といったところでしょうか。

 年賀状は、かつて一番多い時は300枚ぐらい出しておりましたが、年々減っていき、それが200枚となり、150枚になり、ここ最近では120枚ぐらいが続いておりました。が、今年はついに100枚を切りました。先方から「70歳になり、これを節目に賀状は取りやめることに致しました」との御連絡が届くようになり、私としても、「気づかないうちに減っていった」という感じが理想的です。先方から来なくなったら、こちらからもう返信しませんから、いずれ50枚ぐらいにしたいと思っております。

 年賀状が減っていった理由は、やはり、相手様が亡くなってしまったことが大きいですね。今年も高校時代の親友を始め、会社の70歳代のまだ若い先輩(出してから、後で訃報を知った方もおられました)ら5人も亡くなってしまいました。メメントモリです。

焼き鳥店「もりのした」

 最初から暗いことばかり書いてしまいましたが、来年以降の私のモットーとして挙げたいのが、「ATM」です。いえいえ、Automatic Teller Machine(現金自動預け払い機)のことではありません。「明るく、楽しく、前向きに」の頭文字を取った造語です(笑)。

 私にとって、今年最大の出来事は高校時代からの親友の急死でしたが、それにまつわり、想像もしていなかった人間関係のこじれに巻き込まれてしまい、落ち込んでいたら、ある方から、私の性格をズバリ見抜かれてしまい、これからは「明るく、前向きに」生きることを勧められたのでした。

 この「明るく前向きに」に「楽しく」を入れたのは私の考えです(笑)。もともと「お笑い」は大好きで、「エンタツ・アチャコ」や「あきれたぼういず」はさすがに知りませんが、クレイジーキャッツやドリフターズ、「コロンビア・トップ&ライト」「Wけんじ」、漫才ブームの「横山やすし・西川きよし」らずっと見聞きしてきました。

 この中で、「ビッグスリー」と呼ばれる「たけし」「さんま」「タモリ」の三羽烏がまだ健在なことが凄いですね。ビートたけしさんの場合、ギャラが高いせいなのか、ある番組を降板させられたり、最近人気に陰りが出てきてしまいましたが、タモリは、NHKの「ブラタモリ」などでその隠れたインテリぶりを発揮していまだに絶好調です。

 でも、3人の中でいまだに現役でお笑いの第一線を張っているのは、現在66歳の明石家さんまかもしれません。バラエティー番組のレギュラーに何本出ているか知りませんけど、若手芸人を押しのけて、40年以上もいまだにトップを走っています。私は、一番最初は、この人のことを「落語も出来ないのに、何処が面白いのか」分からなかったのですが、その当意即妙な司会進行ぶりや、常人ではとても考えられないギャグの連発には、誰かの好きな言葉でもある「余人に代え替え難い」お笑いのチャンピオンだと納得するようになりました。

 「お笑い」ながら、彼が時々垣間見せてくれる「人生訓」には、鋭利な刃物のように胸に突き刺さります。彼の娘に「いまる」と命名したのは、「生きているだけで丸儲け」から取ったことは有名です。確かに、地位も名誉も人気もお金も死んでしまったら、何も必要のない霞みたいなもんです。本当に、生まれてきて、生きているだけでも、丸儲けです。この世に生まれて来られなかった人も沢山いることでしょうから…。

最近、ジャズギターにはまって、CDを買い揃えました。ケニー・バレル、タル・ファーロウなんかいいですね

 もう一つ、先日、見ていた番組で、「さんまさんに悩みはないんですか?」との質問に、彼は、25歳まで悩みはたくさんあったが、25歳以降はもう悩むのはやめようと決めた、と言うのです。「自分は悩むような大した人間ではない。反省もしない」と達観したようですが、これまた凄い。人間ですから、色々と悩みは尽きないはずですが、「悩むことをやめた」とはなかなか出来ないことです。(考えてみると、皆、一人で好きで悩んでいるのかもしれませんぜよ?)

 やはり、お笑いを仕事にしている限り、自分がハッピーでなければ、他人を笑わせることはできません。お笑いの王者は、天賦の才なのか、計算づくなのか分かりませんが、打算や計算ぐらいでは大した人気者にはなりません。やっぱり天才なんでしょうね。

 私もシニアになったことですから、これからは「明るく、楽しく、前向きに」をモットーに、無理はせず、背伸びもせず、某局の紅白はもうついていけないので、好きなタル・ファーロウ(米ジャズギタリスト、1921~98年)でも聴いて、年を越したいと思っています。

馬廻り衆はとっても偉い旗本だった

 本日は、単なる個人的な雑記ですから、読み飛ばして戴いて結構で御座います。

 皆さん御案内の通り、私は今、通勤電車の中で、アダム・スミスの「国富論」(高哲男・新訳、講談社学術文庫)と格闘しているのですが、文字を読んでも、来年、講師の依頼があった講演会で何を喋ろうかという思いが先行してしまい、さっぱり頭に内容が入ってこなくなりました。

 電車の中の読書といえば、こんなお爺さんが一生懸命に勉強しているというのに、車内の9割ぐらいのお客さんはスマホをやっていて、新聞や雑誌を読む人でさえ皆無になりました。中にはスマホでニュースを読んでいる人もいるでしょうが、ほとんどゲームかSNSかネットショッピングです。こりゃあ、日本の将来は明るい!

「もりのした」みつせ鶏唐揚げ

 お爺さんといえば、その講演会案内用の講師の写真を自撮りしてみたら、まるで、玉手箱を開けてすっかり老人になった「浦島太郎」の心境です。我ながら、「えっ!こんな老けてしまったの?」という感慨です。まあ、既に孫がいるシニアになってしまったので仕方ないのですが、人生って、あっという間ですね。悩んでいる暇はありませんよ。

銀座「わの輪」生姜焼き定食900円

 さて、12月25日付朝日新聞朝刊を見たら吃驚です。このブログで何度も登場して頂いているノンフィクション作家の斎藤充功氏が写真入りでインタビューに応じていたのです。オピニオン&フォーラム耕論のテーマ「死刑 その現実」という中で、斎藤氏は、3人のうちの一人として登場されていたのですが、強盗殺人で計4人を殺害した死刑囚と11年間、131回も面会を続けてきたことと、その心に残った印象を話されていました。

 早速、斎藤氏には「天下の朝日新聞に御真影まで掲載されるなんて凄いですねえ」とメールをしたのですが、返信はありませんでした。普段なら直ぐに返事が来るのでどうされたのでしょうか?彼一流の照れなのか、それとも怒っているのかもしれません。

 その斎藤氏のことですが、このブログで何度も書いているのですが、「斎藤氏の大正生まれの御尊父は、陸軍大学卒のエリート軍人、明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒の海軍大佐、江戸幕末生まれの曽祖父は幕臣で、六百石扶持の馬廻役だった」といいます。その曾祖父の「馬廻役」とは、どんなものかそれほど詳しく知らなかったのですが、雑誌「歴史道」別冊(朝日新聞出版)の「戦国最強 家臣団の真実」を読んでよく分かりました。

 馬廻り衆とは殿様の側近中の側近で、戦(いくさ)になれば、騎乗して総大将(大名、藩主)の一番近くに従い、機動力を生かして家臣団の中核を担う花形でした。総大将の近くに「幡(はた)持ち」がいますから、まさにその旗の近くに控える「旗本」ということになります。

 六百石扶持ともなると、供侍(ともざむらい)や小荷駄(こにだ)持ち=武器や食料を運ぶ=ら常に10人近い家来を付き添わせています。平時では、殿様の警護を務めることから、城下町でも藩主の近くに住む上級武士団と呼ばれ、その外側に軽輩の身分の徒士(かち)が住み、その外に町人が住み、さらにその外側に、弾除けの足軽組屋敷が配置されるという五重構造になっていたと言われます。

 とにかく、斎藤氏の御先祖さまの「六百石馬廻役」というのはとても高い身分だったことは確かです。私の先祖の高田家は、九州の久留米藩(21万石)の下級武士でしたが、御船手職の中で、御船手頭、大船頭、中船頭、小船頭に次ぐ御水主頭(おかごがしら)という役職で、わずか、五石六斗二人扶持だったと聞いてます。足軽は三石一斗(三両一分=さんぴんいちぶ)程度で、「このどさんぴんが!」と蔑まされていましたが、私の先祖も足軽に毛が生えていた程度だったことでしょう。でも、私の先祖が住んでいた下級武士の長屋には、後にブリヂストンを創業する石橋家も住んでいました。(自分の祖先については、もう少し調べなければならないと思いつつ、時間が経ってしまっています=苦笑)。

 下級武士とは言っても、江戸時代、武士は全人口のわずか7%しかいなかったと言われています。安藤優一郎著「幕臣たちの明治維新」(講談社現代新書)によると、幕臣と呼ばれた人は約3万人いて、そのうち旗本が6000人で2割、御家人が2万4000人で8割だったといいます。やはり、旗本は凄いエリートだったんですね。

【追記】

 江戸城では、海や大掛かりな堀が少なく警備に隙がある北西に当たる番町(現東京都千代田区)に、旗本を住まわせたことから、広大な屋敷が並び、今でも高級住宅街になっています。

 明治維新後、幕臣旗本は追放され、その後にやって来たのが、薩長土肥の明治新政府陣です。作家有島武郎、里見弴、画家の有島生馬らの父である有島武は薩摩出身で大蔵官僚となり、番町の追放した元旗本の邸宅に住んだわけです。

ウイグルの人権問題をNHKが特集

 詐欺メールが来ました。

 「三井住友カード【重要】」と称する輩から「以下へアクセスの上、口座のご利用確認にご協力 をお願い致します。ご回答をいただけない場合、口座のご利用制限が継続されること もございますので、予めご了承下さい。」といった脅迫状です。

  文末に「Copyright © Sumitomo Mitsui Banking Corporation.All Rights Reserved.」とまであり、本物と瓜二つです。騙されるところです。しかしながら、私は三井住友カードなるものは、これまで一度も契約したことがないので、すぐ詐欺だと見破りました。

 いつぞや、ITに詳しい友人から聞いた話ですが、身に覚えがないメール来たら、「発信元を確認すべきだ」という助言を受けたことがあります。三井住友カードが本物だったら、発信メールのアドレスが、よく分かりませんけど、mitui-sumitomo.jp とか正真正銘のアドレスになっているはずです。

 そこで、ちなみに、このメールの発信元を確認したところ、「送信元:jl2283b.cn」になっていました。おやおや、ぎょ、ぎょ、ぎょ、ぎょ! 末尾が「cn」になっているではありませんか!  「cn」 というのは、国際プロトコールで「中国」だということは、ITに詳しくない小生ですら熟知していることです。詐欺メールは中国から送信されていたことになります。

鎌倉五山第1位 建長寺

 今や日本の3倍のGDPで世界第2位の経済大国となった中国は、同時に「一帯一路」で世界制覇を目論む軍事大国になったとも言われます。共産主義を表明しながら、優秀な人材に世界最高の教育を施す超エリート格差主義で、サイバー攻撃などを盛んに行っているとも噂されています。いずれも、根も葉もない、根拠もない「中国脅威論」を煽って、日本の軍事費増強の口実と言い訳にしているかと思っておりましたが、こうして、直接、中国発と思われるサイバー攻撃を個人的に受けてしまうと、ちょっと考えてしまいますね。

 米企業のGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)が既に世界的に情報制覇しているので、殊更に中国の脅威だけを強調するつもりは毛頭ないのですが、先日放送されたNHKスペシャル・中国新世紀 (5)「“多民族国家”の葛藤」で、現在、世界が最も注目している新疆ウイグル自治区の人権問題を取り上げておりました。

 これは随分、勇気ある番組でした。ジョージ・オーウェルの小説「1984」どころではないウイグル自治区の人々への「監視社会」が描かれ、背筋が凍るほど恐ろしくなりました。この番組の中では、日本在住でウイグル料理店を千葉県松戸市で営んでいるウイグル人の御主人が登場していましたが、ウイグル自治区に住む彼のきょうだいたちが、中国の公安に監視され、自分たちの本意ではないと思われることを電話やネットで語らせられている場面が出てきました。

銀座「ローマイヤー」本日のランチ・スペアリブ 1100円

 自治区最大都市であるウルムチ市内では、街中至る所に監視カメラが設置されていました。「反政府主義」と目されたウイグル人は「テロリスト」のレッテルを貼られ、強制収容所のような所に隔離され、イスラム教から離反させられたり、髭を剃らされたり、女性はヴェールをやめさせられたりし、中国語と共産主義を学ぶよう「再教育」される様子も映像と証言を通して描かれていました。

 日本に住むウイグル料理店の主人は、人権を弾圧する中国政府への抗議活動をする在日団体の代表も務めているので、ウイグル自治区に住む彼の兄弟姉妹とその家族たちは特別に監視されているようなのです。御主人がスマホで、ウイグル自治区に住む彼の兄にテレビ電話すると、横から中国の公安の人まで出てきて、公安バッヂまで見せたりしたので驚きました。本当に オーウェルの「1984」の世界どころではありませんでしたが、御主人も、抗議活動の演説の中で「小説(の世界の話)ではありません」と訴え、涙を流したりしていました。